外伝2『太平洋戦争編』
六十八話『行間』


――坂本Aは、黒江達が一度目に何をしたか、大学ノートに書いていた。元々は若い坂本が感じたデジャヴをまとめたモノだったが、黒江達はその意味を知っていたので、トラブル解決方法として活用した。それは1945年。ちょうど501に圭子が着任した8月始め頃の事であった。

「このノート、しばらく預かるぜ〜いいな?」

「あ、ああ」

と、ノートを借りた黒江はその日から対策を立て始めた。圭子が記憶を突き合わせ、残りの二人が具体的に行動をするという手法だ。一度目の時のトラブルを未然に防ぐのに活用し、出来事が大幅に変わった事も多い。ただし、予想外の反応により、拳で語り合う必要に迫られた事もある。意外にも、バルクホルンともやり合った事がある。マルセイユの行動の自由の裁量の事についてであり、マルセイユに対し寛容であるスリーレイブンズと、軍記にうるさいバルクホルンとで口論になり、その挙句に、ドツキあいに発展した。その時は黒江とバルクホルンとで取っ組み合いになったが、地力で上回るため、ジーグブリーカーをかけてダメージを与え、最後に廬山昇龍覇で吹き飛ばして、気絶させた。当然、数日間の謹慎処分を食らっている。ミーナが警戒心を緩めるのが二度目でも遅れた要因は、バルクホルンのパワーをさらに超えるパワーで振り払い、ジーグブリーカーで締め上げているところを目撃したためであった。その時の内容は、『なんのために士官なのか意味を考えろ!』と黒江が怒鳴ったのにバルクホルンが逆上して持論を怒鳴り返し、取っ組み合いになった。当初はバルクホルンが優勢だったが、小宇宙を発動させた黒江が逆転し、ジーグブリーカーをかけた。加減はしてあるものの、バルクホルンが怪力を全開にしても抜けられない程度の締め付けにはしてあった。リーネの通報でミーナが駆けつけた瞬間、リーネとミーナは黒江に昇龍を見た。

『廬山昇龍覇――ッ!!』

強烈な一撃でバルクホルンは大きく吹き飛ばされ、昏倒。事情を説明されたミーナは喧嘩両成敗で黒江に数日間の謹慎処分を下している。リーネは事情は分かったものの、この時に黒江がバルクホルンに対し怒鳴った言葉の意味をしばらく測りかねていたという。バルクホルンがスリーレイブンズの理解者に立場を転ずるのは、二度目でもやはり、妹のクリスからの連絡を必要とした。この『二度目』においては『妹からの手紙で貴方方のことを知った。自分の不見識をお詫びしたい』と、バルクホルンが圭子に切り出し、詫びる形で関係が始まった。これはクリスがウィッチマニアであるためであり、それとハルトマンの口添えも効果絶大だった。バルクホルンは黒江の謹慎処分が解かれたと同時に詫びて、妹宛ての写真を取るという、ちゃっかりしている面を見せている。その時に黒江は『おい、ケイ!ライカ持って来い』と、早くも圭子を『ケイ』と呼び、坂本を驚かせている。バルクホルンは快く撮影会をやってくれたことに恩義を感じ、その次の日にミーナに談判して、スリーレイブンズの『坂本の任務の一部代行』を正式に決めさせた。三人が扶桑海事変最大の英雄であることは、バルクホルンが『クリスから聞いた』と前置きして伝え、坂本が説明を補強してくれた。坂本はミーナに『私が新兵の頃に世話になった恩人だ。人物は私が保証する』とまで言ってくれ、竹井も同様の意見具申をした。これがミーナにスリーレイブンズへの信任を始めさせるきっかけであった。(二度目において)


――二度目においては、一度目で起きなかった出来事も起き、衛星軌道上にいる艦艇からのMSによる空挺降下が行われ、黒江が基地防空に配置されている連邦軍部隊からZPlusC4型を借用して迎撃戦を行って見せるなどの出来事も起こった。特に衛星軌道上からのMSによる空挺降下に、501新基地に元来から設置されている高射砲では無力であった。当時のロマーニャ最新鋭の『Da 90/53』が設置されていたが、当然ながらMS相手には効かないし、そもそも射程不足である。スリーレイブンズとハルトマンは連邦軍側の格納庫からZPlusC4型を借用し、直ちに迎撃戦に打って出た。

「まさか衛星軌道上から空挺降下してくるなんて……。こちらの防空網ではMSには効果が殆どない……」

「敵が高度12000に下がってきた段階で撃たせろ。旧来の信管だが、撹乱には使える。VT信管があれば理想だが、あいにくまだない。我が軍の『8.8 cm FlaK 18/36/37』もそれほど多くは搬入しておらんが、アウトレンジ攻撃である程度は有効だ。MSのマシンガン程度の口径に相当するしな」

バルクホルンはミーナに対MS防空戦をレクチャーする。一年戦争もそうだが、MSの空挺降下は意外と被撃墜、あるいは撃破数が多く、ジャブロー攻防戦の折には多数が撃破されている。特にMSはドダイやベースジャバーなどのサブフライトシステムがなければ、空中機動性は皆無に等しい。前年にジュドーから聞いていたので、教えられたというわけだ。

「私だ。防空部隊は12000から射撃開始、5000から友軍のMS隊も加わる。弾幕を張って、降下予定地点からずらせろ。降下された場合、MS部隊に迎撃を委託する」

と、連絡を入れる。ティターンズは空挺降下に当たり、旧式だが、重装甲の機体を使用しており、装甲強化型ジムや陸戦用ジムの他、ジム・キャノンUの姿もあった。それが15000の成層圏に達した段階で、黒江達のフライトによる要撃、コスモタイガーによる援護が実行された。一撃離脱戦法を用いての迎撃は効果を挙げ、敵が殆ど回避できないのもあり、MS隊の2割ほどが空中で撃墜、あるいは落伍する。が、黒江達も驚きの機種が大隊長機であった。

「何ぃ、RX-78系だと!?」

黒江のウェーブライダーの前に立ち塞がったのは、なんとファーストガンダム系のフェイスを持つMSだった。だが、よく見てみると、肩にセンサーが増設されており、フェイスのカメラもツインアイと思いきや、ゴーグルタイプだった。

「噂のガンナーガンダムか……!ティターンズめ、金にモノ言わせて、デラーズ紛争からグリプス戦役までに作ってたな?各機、大隊長機はガンダムタイプだ、注意しろ!」

「ティターンズ、元は連邦軍だから、ガンダムの一機や二機はあるあると思ってたけど、やっぱりか」

「奴ら、ガンダムタイプには金かけてたっていうしね」

「大隊長機は引き受けた!みんなは他を!」

と、MS形態で迎え撃つ。RX-78系はほぼ例外なく(マドロック除き)、空中での機動性も当時としては突出しているからだ。ガンナーガンダムはジムとは明らかに違う動きを見せ、ベース機のRX-78のポテンシャルの高さを証明。後発のTMSに引けを取らない動きを見せた。

「これがファーストガンダムの改良機か……!シミュレータで何度かGPシリーズなら動かした事あるけど……鋭い!」

かつて、パイロットだったアムロが言っていたが、78系は『優秀なパイロットが乗れば、後発機にも劣らない機動性は有している』。フレーム構造に再設計したMK-Uがグリプス戦役から第一次ネオ・ジオン戦争で活躍したことからも分かるが、機動性が高いのだ。RX-78の直系後継機として試作されたGP01が、グリプス戦役時の高級量産機よりも高性能を謳われた理由もそれだ。特にセカンドロット機以降は『組織の象徴』として高性能を追求しているためか、部材の入れ替えだけで、後発機に比肩するポテンシャルになってしまう。ガンナーガンダムは正にそれで、武装を強化し、センサーと電子戦用のポッドをグリプス戦役時の技術で小型化する事でリスクを低減しており、戦後のモックアップとは形状に差異がある。サーベルも純正のものではなく、後発機の流用らしく、サーベルの発光色がピンクではなく、青だ。

「ちいっ!」

黒江はロングビームサーベルで迎え撃つ。相手のサーベルが出力でロングビームサーベルに当たり負けしない事から、少なくともZ系に近い世代の機体のビームサーベルを流用したのが分かる。黒江は義理の姉(長兄の妻)が槍と薙刀の達人で、一次大戦従軍経験のエクスウィッチであった事から、志願から間もない頃にその彼女から教えを受けた事が数回ほどある。当時は子供であったので、それほど深くは教えてくれなかったが、護身術に役に立つ程度までは教えてくれたので、その経験を反映させた動作プログラムを噛ませ、アップデートしておいた。ロングビームサーベル捌きが上手いのはそのためだ。黒田も使い、槍の動きもアップデートしているので、黒江の代々の搭乗機は格闘戦寄りのセッティングなのだ。黒江が大隊長機を格闘で引きつけている内に、他の三人は敵を落伍させてゆく。ハルトマン機はメガビームランチャーを携行していたので、ジム・キャノンU以外の大抵のジム系は一撃で破壊できる。これを繰り返していく内に高射砲の射程に入り、援護射撃が入る。時限信管とは言え、88ミリと90ミリ砲の破裂はMSにも意外に効果はある。装甲は破壊できなくとも、センサー類にダメージを与えたりできるからだ。が、いよいよ高射砲がMSの射程に入り、少なくない数がジム・キャノンUのビームキャノンで沈黙させられるが、味方のMS(ジェガン、ジャベリン、リゼル)の援護射撃も加わり、ティターンズの被害は拡大する。その様子を下原が観測していたが、MSがビームで爆散したり、人間のように仰け反りながら撃ち抜かれていく様に冷や汗をかいている。

「定子、大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です、黒田先輩……」

ほぼ同年代の二人だが、志願年度が1940年代に入ってからの下原と、扶桑海に一桁で従軍した黒田とではキャリアも心構えも違う。ましてや、メカトピア戦争とその後の治安維持任務に従軍した黒田は、残党狩りを普通の任務と割り切っている。その差によるもので、下原を介抱する。

「少し休みな。あとはあたしがやるよ。暇が続くと、手当に差し障るしね」

「せ、先輩……こういう時までお金ですか……」

「華族と言っても、元は末端の分家だしね。ばーちゃんとかに仕送りしたり、黒江先輩にゃたかられるし」

黒江に金をたかられていることを冗談めかして言う。黒江は給金を趣味にぶっこむタイプなため、生活費が足らない事も多く、後輩の黒田や菅野、芳佳にたかる。(次の月で返している。)芳佳にたかるのを見たバルクホルンも見かねて、金を貸した事がある。その時は芳佳にたかろうとしたら、『いくらです?自分が貸しますから、宮藤に借りるのはどうかと……」と苦言を呈しつつも、貸している。(ハルトマンやマルセイユには貸さないが、黒江や智子には貸す事がままあった)

「す、すみません……」

「なーに、お安い御用さ」

黒田は秘書として出向扱いだったが、8月に入ってからは『技能維持とフェイトのエスコート』を名目に出撃する機会が増えた。これは504のアンジーの回復が遅れ、その看病に、パティが専念したいと、前線任務を固辞したため、黒田はローテーションに入れられた。パトレシア・シェイドの人員補償になったのがビューリングなので、結果として相対的戦力は向上した。パティはその後、アンジーが1940年代中に退役し、エクスウィッチとなったと同時に退役したため、501の人員には数えられていない。その事もあり、新生501の予定人員と実際の人員にかなり差があり、504出身者は三人のみ、505出身者は黒江のみ。後は501/502/506/507出身者が多数を占めたので、実質的にアルダーウィッチーズは肝心のロマーニャ防衛の任を果たせずに終わっている。竹井は決戦後、子供の姿ながら、その事を残念がっている。

「おーし、MS隊、射線をもうちょい下に直して〜。そそ、そんな感じ」

黒田はとぼけているようで、仕事はきっちりこなす才女の一面がある。また、戦場に幼少から身を置いていた事や、ジオン残党狩りを経験した事、ガリア王党派の策謀に巻き込まれ、人同士の政争や戦争を見てきたので、この混沌とした世界を生き抜く決意を固めていた。それが黒田の『強さ』だった。








――1948年。『その時の様子』を記したノートを閲覧する武子。フッと笑いつつ、電話を取ると、驚きの報告が入った。ゲッちゃんがストナーサンシャインを放ったというのだ。報告によれば、ゲッター線の高なりとともに、ゲッちゃんのマッハウイングがバトルウイングへ変形し、ゲッター線の導きでゲッタードラゴンの姿でストナーサンシャインを形成して放ったとの事であった。


『感じますわ、ゲッターの力を!!』

ゲッターバトルウイングへとウイングが変形したゲッちゃんは、真ゲッターロボを思わせる溜めのポーズからストナーサンシャインを形成する。ライガ、ポンちゃんの思いも乗せ、真ゲッターロボに勝るとも劣らないストナーサンシャインを形成する。

『私の、私たちの想いが、ゲッターのパワーを引き出す!!ストナァアアサァアンシャイィィン!』

その瞬間、ゲッちゃんは竜馬と同質の微笑みを浮かべていた。これは真ゲッターロボの力の片鱗であり、ゲッちゃんが真ゲッターロボ化できる事の表れであった。ゲッちゃんはお嬢様口調だが、ゲッター線の化身である故に、ゲッター線との同調率が高まった場合は、竜馬のように、好戦的な素振りを見せる。ゲッちゃんの本質は竜馬寄りであるのだろう。ストナーサンシャイン。それがゲッターロボ最大の技の一つ。それを放ったという事は、ゲッちゃんはゲッターロボの化身の段階がゲッターロボGから進みつつあるという事だろう。

「――ありがとう。書類をまとめるわ」

と、報告を受けた武子。高濃度ゲッター線の攻撃をポンポン撃たれたウィッチ世界の人間達は、この年にはウィッチ達の中から『体内のリンカーコアが活性化し、上がりが消えた』者が増加しており、その人員がエクスウィッチになろうとしていた人員であったりしたのもあり、そのウィッチをリウィッチ化させる事で、連合軍は人員の消耗を抑えていた。アンジーやパティと言った、それぞれの事情で軍を離れた者を除けは、『1945年に主力を張っていた世代』が主力を担い続けている。(アンジーとパティはそれぞれ、祖国や家の事情で軍を離れたが、その後、自衛隊の設立と同時に幹部自衛官として現場復帰したとの事)武子はそんな事情から、ロボットガールズをフル活用している。戦争が長引き、1950年代を迎えつつある時代、ウィッチ部隊は一つの岐路に立たされていた。一つは世代交代という従来の摂理を打ち破る事、もう一つは緩やかに消滅するか。後者は近代兵器の発達とそれを前提にした兵法にウィッチは異質と判断された事への反発だが、怪異への対抗という存在意義は残されていたし、適応せんと奮闘している者も多い。それ故、倫理観の転換が迫られている。摂理を越えんとしている者達は、決戦時までに歴代ヒーロー達に助けられた経験を持つ者達であった。時間も世界も越えて、悪と戦っている彼らに敬意を持つ者達が、ウィッチ達の改革派である。武子もその一人で、超獣戦隊ライブマンのレッドファルコンに憧れており、この年までに、彼から『ファルコンブレイク』を継承している。圭子が光戦隊マスクマンのレッドマスクから『ゴッドハンド』を継承し、黒江が太陽戦隊サンバルカンのバルイーグル(二代目)から『飛羽返し』を継承しているので、意外に技の引き出しは豊富である。リベリオン本国軍ウィッチとのキルレートが改善されたのは、この事もあっての事だ。




――1948年も盛夏を超えつつあると、リベリオン本国軍ウィッチ隊の平均練度が下がり始めた。これはベテランウィッチが後送された後の穴埋めが新人ウィッチであった都合、戦線の維持が覚束なくなり、エースにヒーロー達からの継承技を食らわされ、戦死率が跳ね上がったためだ。マスドライバーで陸の行動を封殺しても、空は元気に動き回っていたため、制空権が確立出来ず、せっかくの軍事的優位な時間を有効活用できていない。それと戦闘ストレス反応も深刻で、戦場で直面した事態があまりにも残酷過ぎた結果、心理的外傷を負うケースが増大、ウィッチ隊が戦闘不能に陥ることも多くなった。更に、自衛隊の参戦で陸の火力差を帳消しにされ、米軍の援助で先進兵器(当時)の訓練がなされ、更に、連邦宇宙軍の本格援助で近代化が達成された扶桑軍の守りは固く、戦況は膠着状態に陥り、『まやかし戦争』と呼ばれる、陸上戦闘が皆無に等しい状況に陥った。これは扶桑は攻勢に出れるほどに物資貯蔵量が回復していないことと新兵器開発の時間を稼ぎたい思惑があったし、ティターンズ側も軍備の更新とロボットガールズの攻撃で打撃を受けた部隊の再編を行いたい思惑があったので、ここからおおよそ2年近くの間、空中戦以外の目立った軍事行動を双方が控える事になった。武子はこの僥倖を『休暇』の機会とし、上層部に直談判し、交代で数ヶ月程度の休暇ローテーションを組むことになった。これは比較的暇が取れる飛行隊からになり、比較的後方での錬成任務が多い天誅組、極天隊から順に休暇を取っていったが、実戦部隊の新撰組は順番的に最後になるため、フル稼働は当面は続いた。新撰組のみは、休暇でも南洋島から離れるのはご法度と通達があったので、新撰組のみは南洋島内での休暇とされた。(例外的に異世界に行くのはOKとされる)




――これは64に配属されてきた新人向けの説明である。孝美が編成の説明を行う。

「諸君らに我が隊の状況を説明する。諸君らが配属される極天隊は戦闘604飛行隊であり、錬成中心の部隊である。そこから三つの飛行隊に『昇進』する。戦闘603『天誅組』、戦闘602『維新隊』、戦闘601『新撰組』である。諸君も知っての通り、新撰組は各戦線から選りすぐりの撃墜王が集められた実戦部隊である。そこに配属されるのは、他の飛行隊で技量優と認められた者だけである。次に……」

新撰組は編成が半固定の実戦部隊であり、幹部級の入れ替えはごく僅かである。維新隊は孝美が新撰組に転属になり、その代価に244Fから新隊長を迎える他、244Fの幹部が複数転属して来た。天誅組は人員交流用の部隊でもあるので、人員入れ替えが激しく、現隊長は智子の明野助教時代の後輩である。64Fは概ね、編成は旧343空を受け継いでおり、343空の面影を色濃く残す。その一方で、旧64Fの編隊空戦を尊ぶ風土が残ったり、プロパガンダに活用するために公表を義務付けられた幹部級以外の個人スコアが伏せられる傾向があり、双方の風習が混ざり合っている。スリーレイブンズを要する部隊としての特権として、『未来兵器運用』が許可されており、その関係で64Fの基地は地域で最も大規模なものが宛てられている。扶桑軍はリベリオン本国軍の人材を消耗させるため、敢えて64Fの存在を大々的に宣伝しており、その勇名は自衛隊や米軍にも轟いている。航空自衛隊は『加藤隼戦闘隊』と冗談めかして呼んでおり、武子にコンタックス製のカメラが進呈されたりしているほど交流がある。米軍は2011年の演習以来、トップガンをも圧倒した黒江と赤松のことを調査しており、今回の顧問団派遣はその一環だった。米軍は64Fを『ジャパニーズインペリアルエアフォースのトップガン部隊』と解釈し、米メディアもそう報じた。米海軍航空隊を中心に、『メンツ丸潰れだ!』という声が大きいが、実戦経験が今や皆無の米海軍航空隊のみならず、米空軍でも64Fの練度は異常だと称された。これにWWU経験者らは『航空戦のイロハを知っているだけだ』と冷静に返したという。また、この戦争で起こった特異な現象として、日本と米のWWU経験者の老人らの有志は扶桑に移民として渡り、そこで大日本帝国軍/米軍在籍時の姿へ若返り、現地軍の志願兵や義勇兵として戦い抜いたという。これは特に、青年期に『やり残した事がある』と、戦後ずっと生きてきて、軍人としての悔いが残っていた、青年時に大日本帝国軍人であった者に多く見られ、『軍人としてやり残した思いを遂げたい』という想いのある者達が日本から扶桑皇国に渡った。元々、日本では齢90を超え、死期が迫っていた老人たちであった者達であるので、危険度の高い任務もこなしてくれる事もあり、重宝された。烈風や紫電改と言ったレシプロ機の高級機種が充てがわれたのも戦果の要因だった。義勇兵は当初、自衛隊員の孫、もしくはひ孫がいて、自身は1943年以後に日本陸海軍の航空兵だった者達が水交社、厚生労働省などを通して、義勇兵として参加したいと扶桑の当局へ打診したのがきっかけである。義勇兵の最高年齢はなんと105歳で、それ以外はおおよそ90歳代が年齢層だった。21世紀まで生き残っている者達は大半が往時の最若年層であった都合、実戦経験についてはあまり問わなかった。マスコミに知られると、面倒なことになるので、水交会や偕行社、厚生労働省を介しての極秘通達とした。2013年も暮れようとしている時期に関わらず、候補者はかなりいた。思想チェックのため、扶桑の面接官が面接し、そこからの打診だったものの、日本人は長寿なので、意外と矍鑠たる態度を見せた者も多く、そこは安心だった。旧軍在籍経験者で、尚且つ、戦後も自衛隊に入った者達が第一陣となった。第二陣には少数が生き残っていた、戦時中に撃墜王で、戦後は別の職業だった者が含まれていた。全4回程度行われた募集で扶桑皇国の軍人として、青年期の思いを遂げた旧軍人達は数百名に登った。元々は元航空自衛官に教官を依頼するという趣旨のものだったが、旧日本軍人達の志願が得られたのは思わぬ僥倖であり、義勇兵部隊も幾つか作られ、烈風や紫電改、疾風などを駆って戦い抜き、かつての上官の同位体と対面を果たした者もいたという。同様のケースはアメリカでも起き、リベリオン義勇兵団と称して、太平洋戦争、朝鮮戦争、一部のベトナム戦争経験者などの退役軍人らが参加したという。この義勇兵はやがて、旧日本軍人/米軍の太平洋戦争経験者を中心に一種のムーブメントとなり、義勇兵が報道されると、野党や活動家の規範した批判ムードどころか、旧日本軍人達の志願者続出となり、海軍の艦艇乗員経験者、陸軍歩兵、戦車兵などの生存者が大量に志願したという。扶桑皇国軍はこの義勇兵を活用し、人材難解決の糸口とし、日本側では、義勇兵の参加は外務省や旧日本軍の残務整理を行う厚生労働省や防衛省が『個人が行く事は思想信条の自由であり、我々口出しは出来ません』、『扶桑は傭兵ではなく、国軍の義勇兵受け入れとアメリカでのグリーンカード取得のためのルールを参考にしただけであります』と答弁し、野党も口出しできなかった。日本側の『償い』の一環はこの義勇兵であり、双方に旨味のある話として決着した。1948年秋から義勇兵の訓練と投入は逐次行われ、中にはかつて乗艦していた艦艇に訓練生として乗り込めたケースもあったという。



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