ルミアの街はこの戦時下にあって尚、活気が衰えていなかった。
 おそらくその理由は、メンフィル王リウイの采配なのだろう。
 そして、この街を支える人々の弛まぬ努力……。

 もともとレスペレント都市国家は、他国との貿易や交通の要所としてその利益を享受していた。
 戦争さえ起こらなければ、行商人や訪れる旅人によって賑わう街だった。
 その繁栄に不穏な影がちらついたのは、メンフィルに対する大封鎖が起こったころだったように思う。

 西の端――カルッシャと国境を接する領土に住み着いた、竜を使役することに長ける民族。
 彼らが、民族や文化ではなく商業を中心とする政策に嫌気がさしたのか、大封鎖による混乱に乗じ内乱を引き起こした。
 カルッシャ王国の介入により、ミレティア保護領として名目上、都市国家郡から独立させることで一先ず落ち着いた。
 しかしその影響は未だに残り、現在でも国境付近で睨み合いが続いている。

 最近では、姫将軍自ら出陣しているという話も聞いている。
 別に鎮圧に梃子摺っているわけではなく、それが犠牲を少なくする方法だからだろう。
 呪いによって、彼女が血を求めている可能性も否定はできないが。

 兎も角、そんなルミアの街のメンフィル駐屯地に、私とセリカは案内されていた。
 馬車を降りて前方を歩くのは、両脇をメンフィル兵に護られたイリーナ王妃。
 かえって目立つということで、外套を脱いで後ろを歩く私とセリカの両脇にも、メンフィル兵が並ぶようについている。

 王妃自身は必要ないと言っていたが、仮にも王妃が明らかにメンフィル兵ではない男と並んで歩くのは、民衆の目を気にすればまずい。
 早朝に迎えに来た、ブラム・ザガードという騎士のその進言によって、イリーナ王妃は納得したようだった。
 私自身は別にどうでもよかったのだが、誤解されるのも面倒だ。
 セリカは最初からどうでも良さそうだったが。

「陛下にはすでにお伝えし、お会いするとのお返事を頂いております」
「……姫将軍のことについては?」
「それは、直接お話を伺いたいと」
「分かった。……しかし、よく私とセリカに会う気になったものだ」

 正面を向いたまま話すイリーナ王妃。
 そこで私は果たして、自身が彼の立場であったならばどうだろうかと考える。

 謁見を申し出てきたのは、下手をすれば現神光陣営を完全に敵に回すかもしれない相手。
 どこに目があるか分からない状況で……いや。
 国政にまで口を出すマーズテリアの介入を望まないのは、他国も同じ。
 ならば神殿にまで情報が伝わる可能性は低いのか。
 何よりイリーナ王妃……私の場合はアイドスの頼みだと考えれば、会う程度ならば……。

「セリカ、お前にもメンフィル王と会ってもらうことになるが――」
「――既に言ったぞ。俺は別に構わないと」

 言葉はかけず、セリカの肩の辺りを手の甲で軽く叩く。
 それで通じたのか、彼の口元が僅かに動いた。

 そんなセリカを、ある種の喜びを持って見ていた私の耳に届いた忍び笑い。
 視線を前に向けると、クスクスとイリーナ王妃が微笑していた。
 不思議に思っていると、気配を感じたのか彼女は立ち止まり、こちらを振り向いてすまなそうに口を開いた。

「申し訳ありません。……お二人はとても仲が宜しいのですね」
「……そうでもない。偶にだが、喧嘩することもある」
『あれを喧嘩というのかは、甚だ疑問だがの』

 王妃の言葉に、少し何かを思い出すようにして答えるセリカ。
 ハイシェラの言い分はよく分からない。
 イリーナ王妃は、セリカの言葉に興味深そうに首を傾げた。

「そうなのですか?」
「どれほど仲が良くても、言い合いをしないなどということはない。
 むしろ、相手を知れば知るほどそういう機会は多くなる」

 相手の全てを受け入れるなど不可能だ。
 そんなことができる者がいるのだとしたら……いや、待て。
 ならばなぜ私は――

「……そう、ですね」

 イリーナの返答に、唐突に浮かんだ疑問が消える。
 何か思うところでもあったのか、俯いて悲しげな様子になる王妃。
 敵対関係になってしまった二人の姉のことを思い出しているのだろうか。

「間も無く、陛下のお待ちする駐屯地に着きます」

 何かを振り払うように彼女は告げる。
 私を見上げる瞳には、強い決意が宿っていた。





 メンフィル軍の駐屯地となっている建物は、王の意向かは知らないが実に簡素なものだった。
 槍や大剣といった武器が無造作に並べられ、兵隊たちも何の気兼ねもなく出入りしている。
 とても王族が一夜を明かした場所とは思えない。
 そんなことを考えていると、

「久しぶりだな“腰抜けの魔神”よ」

 部屋の中に入った私にかけられた第一声がその言葉だった。
 長椅子に腰掛けて、私と隣のセリカに鋭い目を向ける一人の男。
 幾分成長したのか四年前はなかった覇気を漂わせ、私とセリカを睨みつけている。

「随分な物言いだな。イリーナ王妃を仲介役にしたのが、そんなに気に食わなかったか?」

 返答した私にはっとした様子で、セリカの隣にいたイリーナ王妃が口を開こうとする。
 しかし声が発せられる前に私は、

「言っておくが、イリーナ王妃に出会ったのは偶然だ」

 本当かと問うような視線を、リウイはイリーナに向けた。
 彼女は一度だけ頷き、そのままリウイの隣に近づく。

 しかし“腰抜けの魔神”か。
 甚だ不本意だが闇夜の眷属――特に魔に連なるものの一部では、私はそう呼ばれている。
 レウィニアの“黒翼公”は、闇の側からすれば蔑みの対象でしかない。
 戦わずして人間族に屈した臆病者と。

 マーズテリアに対する水の巫女の牽制とはいえ、何も知らない者からすればそう見えるのは仕方がない。
 早い話が、魔神グラザと同じ理由で蔑まれているということになる。
 流石に魔神級ともなれば心情は兎も角、水の巫女と盟約を結ぶことの意味も理解している。
 しかしレウィニアでの伝説が今も残っている以上、下級の魔族にとっては私は臆病者でしかないのだろう。
 ただ今回の場合は、イリーナ王妃が誑かされたとでも思ったリウイがあえて口にしたのだと思う。

 その蔑称を訂正するつもりは、私にはない。
 その方が相手の油断を誘発し易いし、建前すら理解できない程度の輩など相手にするまでもない。
 ただ私を馬鹿にされるのが癇に障ったのか、アイドスだけは立腹していた。
 その“優しさ”に喜びを得ることができるのだから、私としては寧ろ感謝したいくらいだ。
 何だかんだで気にしていたらしいハイシェラにそう告げたら呆れられたが。

「それならばいい。……いや、良くはないが。一応、納得しておいてやる。
 それで、姫将軍についての話とはいったい何だ?」
「……姫将軍、エクリア・テシュオスが受け継いだ可能性のある呪い。“殺戮の魔女”について話がしたい」

 物騒な単語が出て来たせいか、リウイの鋭い目が更に細まる。
 彼は隣に控えたイリーナに目で何かを訴え、

「良かろう。……お前たち、ここはもういい」

 王の突然の命令に護衛として待機していた兵は抗議したが、リウイは無言で退席を促す。
 辺境の村からの付き合いであった、ベルガラード王国の使者らしいブラムは軽く笑みを浮かべ。
 赤い髪を後ろで結んだ、以前どこかで会った気がする傭兵のような女はこちらを睨みながら。
 最後に――

「なーんか、よく分からないけど。後で私にも話してよね」
「分かったからさっさと出て行け」
「お姉さんに対して何てことを言うのかしらこの子は!」

 カーリアンと、確か言っただろうか。
 艶のある声を響かせ、意味ありげな視線を送って退室した。
 おそらく、リウイに何かしたら殺すという意味だろう。
 それは他の兵にしても同じだろうが、彼女だけは何か別の意思を感じた。
 ……何処かで感じたような、強い思い。

「騒がせてすまないな。……どうした?」

 怪訝に思いリウイの視線の先を辿る。
 セリカが何かを考えるように目を閉じていた。

「いや……確か、カーリアンだったか。
 お前とあいつのやり取りが何となく気になってな」
『それは、きっと懐かしいという感情であろうな。
 御主がまだ人間であったころ、似たような光景があったのやもしれぬ』
「……懐かしい、か」

 それだけを呟いて、セリカは口を閉じた。
 人間であったころのセリカか……。
 アイドスの記憶を介することで、私も少し知っている。
 おそらく彼は、実の姉のことを思い出したのだろう。

 快活で弟思い。
 恋慕の情にも似た感情を持っていたようにも思える。
 ……ああ、そうか。
 私が感じたのはその感情か。
 ならばそんな姉の姿を、セリカはリウイとカーリアンのやり取りの中に見たのかもしれない。

「こいつにもいろいろあるんだ。……それより話を始めていいか?」
「……あ、ああ。頼む」

 少し戸惑ったような顔をするリウイに断り、私は向き合うように椅子に座る。
 リウイが動揺したのは、神の体ではあっても神ではないセリカ。
 その中の“人間”を垣間見たせいだろうな。

 私はそれを知りつつ、呆けているセリカに声をかけ、

「では姫神フェミリンスについて、私の知っていることを話す」

 フェミリンスという名を聞いてリウイは驚いた様子だったが、すぐに平静を取り戻しゆっくりと頷いた。





 私がリウイに話した内容は、王妃にも話したことに加えて、その解呪の時期まで。
 
 姫神フェミリンスにかけられた呪い。
 屈すれば、血を求め戦場を彷徨う“殺戮の魔女”になるであろうこと。
 その可能性が最も高いのが、人間とは思えないほどの魔力を有し、禍々しい怨念が“見える”姫将軍であろうこと。
 私にはその呪いを解く手段があり、泥沼の戦にならぬよう、最終的には解呪を行いたいこと。
 その動機の説明の為、イリーナ王妃同様、渋々アイドスのことも話した。

 そして解呪の瞬間は、メンフィル王国とカルッシャ王国の決戦が始まってから。
 でなければ解呪したとして、姫将軍が戦を止めるわけがない。
 なぜなら呪いに突き動かされていなかったとしても、一度戦争が始まった以上、立場がそれを許さない。

 なぜリウイの元に来たかについては、確かに国家に私たちが関わることは避けるべきだ。
 だが今回は目的が目的のため、どちらかの軍に所属する必要がある。
 カルッシャに入国できていれば別の方法もあったのだろうが、それは難しい。
 そして独自に行動して戦場を掻き回すだけでは何の意味もない。
 ならばメンフィルに所属した方が、混乱は少なくて済む。
 
「むしろこちらとしては、カルッシャの戦場を混乱させて貰った方が助かるのだがな」
「お前の国の衰退にまで関わる気はない」
「……余計なことはしないということだな」
「ああ、だから無理だというのならば、はっきりそう言って構わない」
「……ふむ」

 逆にリウイからは、テネイラ事件の真相について話を訊いた。
 彼を信じるのならば、やはりメンフィルの謀ではなかったらしい。
 ――おそらく事実だろう。
 それを、かの大国に証明させるための侵攻なのだと彼は語った。

 散々考察してきた私だが、実のところその真偽はどうでもいい。
 誰が殺したにせよ、姫将軍を止めなければ戦は終らない。
 だからただ、民衆の間で語られるメンフィル王の理想――人と魔の共存。
 それが正しい情報なのかだけを訊く。

 僅かに漏れた自嘲の笑みと共に、彼はその通りだと告げた。
 ならばとセリカに心話で尋ねれば、頷くことで返される。

 そして最後に、万が一解呪に失敗した場合に備え、正規の方法を見つけて欲しいことを願い出た。

「三百年ほど前の情報で定かではないが、北か南のエルフの森に伝承が残っているという話だった」
「……それは誰からの情報だ?」
「ずっと忘れていたのだがな。ティルニーノの辺りに出向いて漸く思い出した。
 ……ケレース地方のエルフ領。トライスメイルのかつての長だ」

 そうして私が話を終えると、リウイは悩むような素振りを見せる。
 フェミリンスの呪い。その真偽を含めて検討しているのだと思う。

「……魔神は、好戦的で残忍な者が多い。これはもはや本能と言っていい。
 にも関わらず、なぜお前は争いを避けようとするんだ?」

 それは、私に対する質問とは思えなかった。
 自分自身に対する問いのように私には感じられた。
 半魔人という特殊な生まれ。
 それはつまり、人としての心と魔神としての性を持つということ。
 彼は今も抗っているのだろう。
 血と快楽を求める魔神としての自分に。

「理由か? 愛だ」

 迷いなくそう答える。
 誇るように堂々と。
 しかし返ってきたのは、なぜか沈黙だった。

「……お前、真顔でそんなこと言って恥ずかしくないのか?」
「何がだ?」
「……いや、もういい」

 何がもういいのか分からないが、いったいどうして恥じる必要があるというのだろう。
 水の巫女はそんな反応はしなかったのだがな。

『私もそれはよく分からないのよね。愛という言葉を言うのは、人間にとっては恥ずかしいことみたい』
『御主等……その辺りの感性はやはり人に近い者とは違うのだの。
 直接的な行為には羞恥を覚えるくせに、我からすればそっちの方がよく分からん』
 
 ……ふむ。
 そういうものなのだろうか。
 そんなやり取りをしていると、ごほんとリウイが咳払いをして、

「俺も無駄な殺戮を望んでいるわけではない。
 ただイリーナと共に、人と魔の共存という理想を叶えたいと思っている」
「……あなた」

 私に答えるというよりも、己自身に確認するように呟かれた言葉。
 イリーナ王妃がそんなリウイを支えるように、後ろから抱きしめる。
 身を預けたリウイは何かを考えるようにして、

「お前の話は分かった。だが、そっちの……“神殺し”の方はどうなのだ。
“黒翼”の動機は知った。だがセリカ・シルフィル、お前は……」
「……盟友が望んだ」
「お前はそんな理由で、自身が狙われる可能性がある場所に来たのか?」
「……お前にとってはそんな理由かもしれない。
 だが、俺にとっては大事なこと……なのだと思う」

 リウイはしばらくセリカの顔を見ていたが、変化のないセリカの顔色から悟ったようだ。
 それ以上は何も言わず、目を閉じて沈黙する。
 やがて何かを決めたのか、徐に口を開いた。

「傭兵剣士カムリ殿とセリカ・シルフィル殿を、メンフィル国王の名において雇う。
 ただし、両名の従軍は対姫将軍戦においてのみとする。
 それ以外の期間は王都ミルスおよび支配域で、魔物討伐と兵の調練を依頼する」
「……あなた、それは」
「勘違いするな。俺はただ、姫将軍が無暗に戦を広げようとするのならば、メンフィルの民のために食い止めたいと思っただけだ。
 そのための戦力……。それに利害が一致している間は裏切りはしないだろうしな。下手に正義だの言われるよりは信用できる」

 憮然とした態度で語る彼は、それでも何処か優しげな雰囲気を纏っている。
 しかしカムリとは良く知っているものだ。
 セリカと旅をするようになって、痕跡を残さないためにギルドに登録した偽名なのだが。
 何処かで彼に名乗ったのだろうか。

「いいだろう。セリカ、お前もそれで問題ないか?」
「……構わない」

 リウイ・マーシルンが言ったことは、私とセリカを従軍させるための予防線だ。
 公に“神殺し”と“黒翼”を軍に引き入れたとなれば、余計な争いを招くことになる。

 ならば、幸い私の名前以外のことは知られていないのだ。
 翼を出さなければ、私は人間族と変わらない。
 セリカに至っては民衆からすれば御伽噺の存在。

 ここからは私の予想だ。
 ただの傭兵として扱いギリギリまで姿を見せず、姫将軍戦において別働隊として行動してもらう。
 万が一正体が知られても、証拠はないから軍神が介入するほどの大義名分もない。
 そう考えてのリウイの答えなのだろう。
 セリカは恐らくそこまで考えて返事はしていないだろうが、経験で何となく分かっていると思う。

「契約成立だな。……この戦争の間だけになるだろうが、一応は言っておく。よろしく頼む」

 椅子から立ち上がって出された手に、私とセリカも立ち上がって自身の手を重ねる。
 確か約束をするときの方法は、小指と小指を絡ませるものだった気がして提案してみた。
 しかしなぜかリウイは怯えたように、セリカは何かを思い出すようにしていた。
 リウイの方は何か過去にあったようだったが、セリカの方は分からない。
 まあ、この約束の結び方は旧時代のものだから、大方アストライア絡みだろう。

 レスペレント都市国家郡、ルミアの街から一路飛竜でメンフィル王都ミルスの街へ。
 動機はそれぞれ違うが、目指す目的は同じ。
 被害を最小限に――この戦争を終らせる。

 セルノ王国王女ラピス・サウリンが王都を訪れたのは、そうして私とセリカとリウイが手を結んで、数週間後のことだった。



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