メンフィル王国、王都ミルスのマルーダ城。
 与えられた客室のバルコニーから眺める街は、人々の笑顔で溢れていた。

 戦時下ということで、不安だという気持ちももちろんあるだろう。
 しかし彼らはリウイを信じているのか、決して笑顔を絶やさない。
 何よりもこの国では、人間族の子供の笑顔をよく見る。
 魔族と人間族の共存が、少なくともこの街では実現していた。

 無論、それに反発している勢力もある。
 リウイの取った政策によって、権力の座から追放された人間族の貴族たち。
 その大半はフレスラント王国に亡命したという話だったが、何やら城内にも不穏な空気がある。

 また私とセリカは、下の方には人間族の傭兵と話されている。
 軍からも距離を置いているため、どうやら反乱の手引きでもしているのではと疑われているようだ。

 実際はもちろん、そんなことは在り得ない。
 リウイとてそれが分かっているから、こうして監視も付けずにいるのだろう。
 付けたところで、すぐに気付かれると考えているのかもしれないが。

 そう考えたところで、私は視線を室内に戻した。
 真っ白なシーツのベッドに、執務用の机。
 全身を写す、身支度のための鏡。
 壁際には何処かの川を描いた絵画が一枚飾られている。

 無駄な調度品の類は無く、元々そうなのか、リウイの趣向なのか。
 そこまでは分からないが、王都に滞在してセリカと共に調練や魔物退治を行って一年。
 今では、中々落ち着く部屋だと感じていた。

『一つの街にこれほど長く留まるのは、レウィニア以来か』
『そうね。……ここは、本当に素敵な街だと思うわ』

 心話で話しかけた私に、様々な感情を込めてアイドスがそう返してきた。
 人と魔の共存する闇夜の眷属の街。
 相容れないはずの光と闇が共に生きている。
 そう考えれば、感慨深いものがある。
 ……かつての盟友であるあの二人は、無事このような街を探すことができたのだろうか。

『……国を興すなど、私には無理だな』
『昔ならば兎も角、今の私にもできないわね』
『……だが、それでいい』
『ふふ、私もそう思っているわ』

 机の横に立てかけてあった、神剣アイドスを背負う。
 背中にかかる重さが、その存在を確かに伝えてくる。

『何処かに行くの?』
『いや、セリカだけでなく、私まで出るのはまずいだろう。……少し、城内を歩こうと思う』
『そうね。ずっと部屋に閉じ篭っているのも良くないし、それくらいならいいのではないかしら』





 静かな城内に、私の足音だけが響く。
 メンフィル王国上層部の多くが、クラナ王国侵攻軍に従軍しているためだろう。

 セルノ王国の王女が王都を訪れてから一年、メンフィルはレスペレント南部をほぼ支配下に置いていた。
 王女であるラピス・サウリンが訪問した理由。
 それは冷戦状態にあった隣国バルジア王国の侵攻にあたり、同盟を結んで欲しいというもの。
 当初は相手の器を探るために渋っていたリウイ。
 しかし国ではなく民を護って欲しいという言葉に、参戦を決意したようだった。

 戦の結果は、セルノ・メンフィル同盟軍の勝利。
 バルジア王家の大部分は、戦わずしてフレスラント王国に亡命した。
 唯一残こったバルジアの王女、リン・ファラ=バルジアーナ。
 経緯は分からないが、ラピス王女の助命嘆願によって現在は彼女の補佐官として行動している。
 王都で顔を合わせた時には魔神である私が気に入らないのか初対面で睨みつけられ、苦笑と共にラピス王女に窘められていた。

 ……静かな佇まいのラピス王女も印象深かった。
 しかし一角公を猪突猛進にしたようなバルジアの王女は、それ以上に記憶に残っている。
 個人的にはあまり係わり合いになりたくないという意味も含めて、だが。

 はたから見る分には面白いだろう。
 しかし常に行動を共にするというのは遠慮したい。
 別に嫌いというわけではなく、苦手なのだと思う。
 セリカは平然としていたがリウイには何となく分かったらしく、慣れろと一言告げられた。
 何処で聞いたのかカーリアンやラピス王女、引っ込み思案なペテレーネにまで言われたのは、流石に応えた。

 そしてメンフィルがバルジアを支配下において数週間後。
 亜人国であるスリージの使者を名乗る者が、王都を訪れたらしい。
 らしいというのは、公式の謁見ではなかったためだ。

 これは後にリウイから聞いた話だ。
 スリージ王国の王女がフレスラント王国に人質として連れて行かれ、秘密裏にその救出を願いたい。
 そう老騎士シウム・センテがバルジアの王女に面会していたのだそうだ。

 その場に偶然遭遇したリウイは、バルジアの王女の願いを聞き入れ、フレスラントに侵攻。
 セリエル・イオテール王女を救出し、フレスラント王国を倒し支配下に。
 その際リウイは、姫将軍を自身の理想像としているらしいリオーネ王女を配下に加えている。
 スリージのガゼル国王がセリエル王女と再会と同時に死去し、その折の説得とリウイの振る舞いを信じて従軍したようだった。

 リオーネ・ナクラといえば、闇夜の眷属を魔族と蔑む典型例のような風聞だったように思う。
 一国の姫にしては随分と思い切った格好をしていたが、果たしてガゼル国王は彼女に何を言ったのか。
 フレスラントといえば生活水準こそ高いが、階級制度も厳しい他種族への偏見の強い国家だと記憶している。
 アイドスはそんな国の王女を説得した言葉を気にしていたようだ。
 しかしミルスで調練を行っていたのだから、聴けなかったのは仕方がない。

 リウイに訊こうとも思ったが、アイドスと話をして結局訊かないことにした。
 その時のガゼル国王の感情までは再現できないのだから、魔族を嫌悪する人間族とも分かり合える可能性があると知れた。
 それだけでも良かったと、そう判断したためだ。

 そうしてメンフィル軍は、この一年の間にレスペレント地方の南部の大部分を支配下に置いた。
 このまま順調にいけば、メンフィルがレスペレントを統一するのも難しいことではないだろう。
 カルッシャ王国との当初の国力差は十八倍というのだから、恐ろしいことでもある。
 問題は沈黙し続けているカルッシャの動向と、

『テネイラ事件で行方を晦ました、あの嫌な魔術師の行動ね』
『……そうだな』

 近づいてくるある人物の気配を感じ、イウーロ連峰を望むベランダに出た。
 そして現在リウイが侵攻しているだろう、クラナ王国の方角に視線を向ける。

 確かあの国には、王であるジオ・ニークという豪傑の他に、魔性の巫女と呼ばれる預言者がいたはずだ。
 厳しい修練の果てに神格位を得たのか、膨大な魔力故に人の寿命を超越したかのどちらかだと思う。
 百数十年生きて尚、彼女の容姿は変わっていないらしい。
 名前を確かニーナ・クオパスというのだと、リウイが語っていた。

 そこで思考を、四年前に見た赤い髪の闇夜の眷属に傾ける。

『ケルヴァン・ソリードだったな。
 ……リウイは死んだと思っているようだが、あのような目をした男がそう簡単に死ぬとは思えない』
『私もそう感じてる。あれは、強い野心を持った目だったもの。
 それが何なのかまでは分からないけど、もしかしたら……』

 ――テネイラ事件の主犯。
 
 ケルヴァンは会談の場にはいなかった。
 つまり、何かした可能性は十分ある。

 ただ事件の後、会談の場に突入したケルヴァンは、リウイを守ってその場に残ったらしい。
 そして現在に至るまで、その姿は一向に確認されていない。
 ならば当然忠臣として主を守り、そのまま殺されたと判断するのが普通だ。

 だがそこにどうしても疑念が付き纏う。
 一度会っただけではあるが、とても私にはあの男が大人しく死を迎えるとは思えない。
 それに魔術師ならば、いくらでも逃亡の手段はあるはずだ。
 
『確実に生きているでしょうね。得てして魔術師というのはしつこいから』
『もう名前も人物像も覚えていないはずなのだがな。
 いつだったか似たようなことをセリカに話したら、うんざりといった様子だった』

 思い出すのは、数百年前にセリカの肉体を狙い、アヴァタール地方で暗躍していた一人の魔術師。
 神の墓場に堕ちたはずだが、またいつか会いそうな気がする。
 その時はあの“宿敵”とも戦うことになるだろうが。

『……姫将軍か、それとも宰相辺りと手を組んだか』
『存外、両方かもしれないわね』
『……今、リウイに話したところで証拠は無い。解呪の際に邪魔でもされたら事だ。注意だけはしておこう』
『セリカにも、後で話しておくべきね』
『セリーヌ王女を人質にされる可能性か……』
『ええ……。あの男がカルッシャにいるのならば、イリーナ王妃が送った手紙を見ている可能性も無くは無いでしょうから』
『だろうな』

 魔術師というのは、本当に厄介な存在だ。
 例えば多少抵抗力がある相手でも、術者の望む方向に思考を誘導させるくらいのことはできる。

「……面倒なことにならなければいいが」
「それはいったい何がでしょう?」

 静かに、心の奥底に響くような声で告げられた言葉。
 漸く気配の主が来たかと思い、かけられた声に振り向くことはせず、答える。

「お前ならば、すでに理解していると思ったのだがな。……ケルヴァン・ソリードという魔術師のことだ」
「……陛下から話は伺っております。ですが、例え何があっても私はメンフィル王国を守るだけです」
「マーズテリアを破門になってもか?」
「……新しいメンフィル王国の未来を見ることができないという未練はありますが、後悔はしていません」
 
 その言葉に振り向いたことで、視界に入ったマーズテリア聖騎士の純白の甲冑。

 耳を隠す程度に短く切り揃えられた緑の髪。
 綺麗というよりも、凛々しさを湛えた表情。
 しかしそんな外面よりも、琥珀色の瞳の奥底にある揺ぎ無い信念。
 それこそが、彼女の人を惹きつけてやまない魅力の正体なのだろう。

 メンフィル王国において、イリーナ、ファーミシルス将軍に次いでリウイが信頼している人間族。
 軍神マーズテリアより神格位を受け、建国当初からメンフィル王国を守り続けた女性。
 先の動乱において、魔族の配下になったとして破門された聖騎士。
 
「ところで先ほどから私を追っていたようだが、何か用でもあったのか、シルフィア・ルーハンス」





 リウイと協力関係になってから一年。
 メンフィルの城でシルフィア・ルーハンスと顔を合わせることは何度かあった。
 しかし振り返ってみると、こうして対話をするのは始めてかもしれない。
 
 リウイが城を空けている間は、国内政策の全てを一手に引き受けているのが彼女であった。
 また私自身も調練や魔物討伐で城を空けることが多い。

 特別繋がりがあったわけでもなく、時間を設けようとする意思自体がなかった。
 もちろん、無関心だったわけではない。
 マーズテリアの人間というだけで興味を持つには十分。
 リウイの意向を受け、マーズテリアに私たちのことを報告していないとなれば尚更。
 それはセリカも同じだったから、或いは私が城にいない時にでも聖女クリアについて、会話くらいしていたかもしれない。

 ベランダで向き合って立つ私とシルフィアを、秋の涼しい風が撫ぜていく。
 シルフィアは均整の取れた顔に笑みを浮かべると、問いには答えず、並び立つように私の隣に移動した。
 それに釣られたわけではないが、私も再び雄大なイウーロの山々に視線を向ける。

「ルナ=クリア様からお話は伺っておりました。魔神らしくない魔神にお会いしたと」
「……それは褒めているのか?」
「私はそのつもりですけど」

 こちらに顔を向けた気配を感じ視線を向けると、何が可笑しいのかシルフィアはクスクスと笑っている。
 ……その微笑みは死を目前に控えた人間とは思えない、穏やかなものだ。

「神格位の剥奪を告げられたそうだな。闇夜の眷属の配下になったとはいえ、マーズテリアの教義を捨てたわけではないだろう。
 ……狭量な神、と言いたいところだが、狭量なのはその信徒である教皇を始めとする神殿の人間か」
「なぜ、そうお思いに?」
「マーズテリアは神殿の人間の意思を追認しただけだろう。神の意向が絶対ならば、猶予期間などそもそもあるはずがない。
 そう考えれば、真逆。他と比べ懐の広い現神といえる」

 セリカやアイドスを見逃しているのは、その現れといえるかもしれない。
 単に見定めているとも考えられるが、問答無用である他の神々よりはまだ好印象だ。 

「……そうですね。その通りでしょう。マーズテリア様は猛々しくも寛容な御方ですから」

 誇らしげに語る姿は、自分の選択を後悔していないと告げた証そのもののように思えた。
 これほどの騎士の神格位を取り上げるとは、かの神殿も馬鹿なことをするものだ。

 ただ、彼らの思惑も分からないわけではない。
 メンフィル王国は闇夜の眷属の国家。
 その刃がいつ自分たちに向けられるか分からない。
 だからこそ、シルフィア・ルーハンスを断罪しないわけにはいかない。
 魔族に仕えたからというのは建前で、おそらくそちらが本音なのだと思う。

「シルフィア、今から信仰を変える気はないか?」
『ルシファー?』

 驚いたような顔で、こちらを見つめる純白の聖騎士。
 アイドスの怪訝な声を意識下に置きながらも、私は続ける。

「お前が望むのならば、私はお前に神格位を与えてもいい」
「……やはり、貴方は古神なのですね」
「そうだな。古神と言われればそうだろう。だが、立場的には水の巫女と同じだ」

 なるほど、と一言告げて、

「お断り致します。私は例え破門になったとしても、マーズテリアの聖騎士ですので」
「……そうか」
「ですが私を認めて頂いた事、在り難く思います」
「それが闇の陣営の者でもか?」

 古神と聞いて強張っていた、彼女の口の端が緩む。
 可笑しなことをとでもいうように微笑んで、

「貴方は中立の存在でしょう。レウィニアの守護神と同じと、自らおっしゃられたのですから」
「……そう、だな。すまない、先ほどの言葉は聞かなかったことにしてくれ」
「分かりました。……そうですね。聞き様によっては引き抜きとも取れますし」

 その言葉に私はどう反応したのか。
 シルフィアはうまくいったという表情で、佇んでいた。





 仕事が残っているということでシルフィアがその場を去ってからも、私はしばらく風に当たっていた。
 半身であるアイドスは神として同じことを感じたのか、シルフィアに言った言葉に対して質問はしてこない。
 あの聖騎士を失うことがどれほどの損失を生むのか、私同様に理解したのだろう。

 自分の選択を後悔することなく、信念を抱いて行動できる強さ。
 リウイが信頼するのも頷ける。
 だが断られた以上は、仕方がない。
 彼女が結局何のつもりで私を追っていたのかも分からなかったが、有意義な時間ではあった。
 だから、それで由としておこうと思う。

『愛のために神から離反した使徒か』
『別に珍しいことではないさ』
『そういえば、天使の中にもいたのだったかしら。グレゴリといったと思うけど。
 筆頭は、確かアザゼルよね?』
『アザゼル? ……ああ、そうか。そうだったらしいな。しかし……』
『――? どうしたの?』
『……いや』

 アイドスが話題にした天使たち。
 知らないわけではない。
 ないのだが、それとは別に何か……。

『何か思うところがあるみたいね』
『分からない。だが私はサタンと出会う以前の記憶がないんだ。
 グレゴリのことも、サタンの記憶を思い出しているに過ぎない』
『……そんな話聞いたことなかったのだけど。その、貴方が記憶喪失だという方よ』
『そうだったか……?』
『そうだったかって……どうしてそんな大事なこと言わなかったの?』
『あの場所には何もなかったからな。覚えることが何もなかった。
 だから過去が無いことにも疑問を持たなかったのだろう。それに……』
『それに?』
『別にどうでもいいと思っていた』
『……貴方、そういうとこはハイシェラに似ているわよね』

 アイドスの呆れたような声には答えず、私は遠くの山を眺めた。
 かつて“名も無き世界”にいたころ、自分は別の何かであったと感じていた。
 ……いや、まさかな。

『でも、どうして人を愛することが堕天に繋がったの?』
『別に人を愛したことが悪いわけではなかったのだろう。ただ連中はその際に、あまりに多くの知識を人に与え過ぎた。
 それが“鉄の時代”を招いた要因の一つなのだろう』
『……そう。深い愛情もまた争いを生むのね』
『どうだろうな。その思いが向かう方向の違いじゃないか?
 大丈夫だ。私にお前がいるように。お前には私がいる』
『……うん』

 眺める山にリウイの使い魔の姿を捉える。
 確か睡魔族で、名前はリスティと言ったか。
 あの様子であれば、クラナの王都コーステントを落としたようだ。

 この戦でまた人間族、闇夜の眷属問わず、多くの命が失われたのは間違いない。
 私はできる限りアイドスが思い悩まないように神剣に慰撫の感情を送り、リウイを迎えるために城門に向かった。



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