「それで、メンフィルにいるはずのお前が何でこんなところにいるんだ?」

 一先ず食事を取り終えた私たちは、カーリアンを連れて部屋に戻った。
 彼女は先の戦争では前線で活躍した剣士。
 顔は知られているだろうし、それで目立っては敵わない。

「ん、ただの偶然よ」
「本当にか?」
「やけに突っ掛るわね」
「いや、リウイの側近であるお前が接触してくる理由に心当たりがあったものでな」
「へぇー、この忙しい時にリウイがそんなことをする理由……イリーナ様でも寝取ったの?」
「……お前の中の私はいったいどんな魔神なんだ?」
「だって、姫将軍にルシファーさま〜♪ なんて言わせてるんだから」

 甘ったるい声音だ。
 エクリアの真似のつもりなのだろうが似ていない。
 私の名を呼ぶ時、普段は凛々しい声だし、性儀式の時は切なげだ。

「わ、私はそんな言い方はしていない!」
「そうだな。エクリアはもっと――」
「言わなくていい!」

 姫将軍だったころの話し方に戻っている。
 気が昂っているのが原因だろうか。
 意識しないとあの口調はまだ無理のようだな。

「……それで、本当のところはどうなんだ?」
「えっ? ああ、そうね。本当にただの偶然よ。知り合いと別れた先で立ち寄った宿に、あんた達がたまたまいただけ」
「知り合いですか?」

 セリーヌの問いに、カーリアンは少し困ったような顔になった。

「……ええ。セリーヌとセリカはミオって魔術師知ってる? 私より小柄な、ちょっと生意気そうな男の子なんだけど」
「私は……」
「記憶にないな」
『我が覚えておる限りでは、シルメキア帝国だったかの出身であったと思うぞ』
『……そうか。だが、記憶にないのならば、俺には無関係だったのだろう』
『お主は……いや、何も言うまい』

 私がエクリアを落ち着かせている間に、話が進んでいたようだ。

 ……カーリアンの話。
 ミオという名前は知らないが、腕のいい魔術師の少年ならば覚えがある。
 メンフィル滞在時に部屋を訪れて、確か“風鶴の神器”を知らないかと尋ねられたように思う。
 長年旅を続けていた私とセリカならばと訊いたらしいが、生憎と名前すら初めて聞いた代物。
 礼を告げて部屋を辞したが、カーリアンの話からすればおそらく、あの時の人間族の少年がそうなのだろう。

「――で、その子と旅をしてたんだけど、ちょっと喧嘩しちゃってね。
 いや、喧嘩っていうのも違うかな。……まあ、それで仕方なくこっちに戻ってきた矢先ってわけ。だから本当に偶然よ」

 僅かに憂いを含んだ表情でカーリアンは語る。
 思い悩んでいるようだが、その心の内を推し量ることは私にはできない。
 だが、エクリアが察したらしい。

「カーリアン様。それで、今はまだメンフィルに戻る気はないのですね」

 何かを確信しているような言い方だ。
 エクリアには彼女の心情が分かったというのだろうか。
 心話で尋ねてみようと思い――止めた。
 当然疑問に思うだろう“どうして喧嘩をしたのか”とは尋ねなかったのだ。
 濫りに訊くべきことではないのだろう。

「貴女に様付けで呼ばれると違和感を感じるわね……。まあ、その通りよ。それで、最初の提案なんだけど」
「リオーネ王女に話を通す、でしたね」
「別にリオーネ王女じゃなくても、私の名前を出せば問題ないでしょ。
 レスペレント同盟の盟主国メンフィル……その国王の側近らしいし」
「それはそうですが……宜しいのですか?」
「ほんと調子狂うわね……」

 苦笑するカーリアン。対してエクリアは真剣な表情だ。
 何処か気遣っているような印象も受ける。
 口を開きかけ、閉じ、今度は言葉を選ぶようにして、

「私はルシファー様の使徒です。だから――」
「ああ、はいはい。お熱いことで。……別にいいわよ。どうせマーズテリア兵のいない船を紹介してもらうだけでしょ?」
「ええ。ですが、フレイシア湾行だと……」
「マーズテリアの入植地っていっても、貴女たちの気配を察知できるほどの手練れなんていないわよ。
 もしいたら今頃私は死んでるわね。一応、邪悪な魔族様らしいから」

 皮肉を言うカーリアンに閉口するエクリア。
 それを見て取ったのか、カーリアンが気まずそうにしながら、

「ごめんなさいね。貴女の前で言うべきことじゃなかったわね」
「いえ……」
「……それでね、引き換えに貴方たちに頼みがあるんだけど」

 首の後ろを掻きながら、どこか困った様子。
 言葉にするのを躊躇っているような。 
 やがてカーリアンはセリカ、セリーヌ、エクリア、そして最後に私へと視線を向けて、

「私もしばらく貴方たちの旅に同行させて貰えないかしら」





『ケレースっていうと、あの一角魔神を思い出すわね』
『アムドシアスか? ハイシェラは綺麗に忘れていたようだが』
『何ていうか、彼女はもうそういう運命にあるのだと思うわ』
『だがあいつは、神の墓場に……』
『運命は否定しないのね。……大丈夫よ。
 きっと“二度と生き返らぬよう、はらわたを食いつくしてくれるわー!”とか言って復活するから』
『……何だ、それは?』
『えっ? アムドシアスなら言いそうじゃない?』
『……そうか』

 ザイファーンの港を発つ船の上でアイドスと交わす、そんな下らない会話。
 相変わらず彼女は時々突飛なことを言い出すが、もう慣れた。

 カーリアンからの申し出に、最初に賛成したのは意外にもエクリアだった。
 彼女の様子から何か思うところでもあったのか。

 しかし、カーリアンほどの腕前ならば拒否する理由はない。
 強いていうならば、厄介ごとに巻き込む可能性があること。
 それをセリカが尋ねたところ、彼女からはむしろ望むところという答えが返ってきた。

 こういうところは、やはり人型をしていても魔族らしいと思う。
 好戦的な悪魔族の血を受け継ぐ証。
 私も戦闘衝動は抱えているので、理解できないことはない。しかし……

『……カーリアンのことだが、同行を許して良かったと思うか?』
『貴方はどう思うの?』

 逆に問い返されてしまう。

 ――分からない。
 例えそれが良かれと思った行動でも、間違いであることなど珍しくない。
 カーリアンは何を思ってついてきたいなどと言ったのか。
 唯一分かっているのは、それがエクリアやアイドスが私に向けてくれているもの。
 そしてセリカに対するセリーヌの思いとは違うものであることだけだ。

 だが、それ以上私が踏み入ることは許されないだろう。
 アイドスは、共に歩むという考えが僅かでもあったから手を差し伸べた。
 エクリアについては、アイドスの望みを叶えるために関わっただけ。
 しかし、今は愛しさを感じている。
 だから自らの使徒として護ることを誓った。
 セリカは命を預けられる生涯の友。
 それがカーリアンにはない。

 無責任な優しさというのは、害にしかならない。
 優しいだけで、関わるリスクを考慮して尚踏み入る覚悟がないのでは、自分どころか相手も傷つける事態を招く。
 だから私はセリーヌの心には踏み入らない。
 それが出来るのは、主であるセリカだけ。……そういうことか。

『少なくとも、私たちにできるのはここまでだ』

 これ以上はカーリアンが自分で解決するか、彼女の親愛なる弟の役目だろう。
 私に出来ることはせいぜい、話し相手になってやることくらいか。
 思い当っていたエクリアならば、相談相手もできるのかもしれない。

『そうね。私もそう思います』
『古神も万能ではないな』
『あら、神が万能ならば、こうして隠れながら旅をする必要もないわよ』
『……魔王も同じだ』

 静寂の支配するプレニア内海。
 向こう岸が見えるまで二日はかかるだろう。

 かつて魔神ハイシェラが荒らし、神殺しの伝説が今なお色濃く残る魔境。
 しかしだからこそマーズテリアも容易には動けない。
 そこを越えた先には、馴染み深いアヴァタール地方が広がっている。
 
 背中のアイドスの存在を何とはなしに確認。
 甲板から見える遥か遠くの水平線。
 懐かしい深凌域《ケレース》に、私は思いを馳せた。





 ――オウスト内海を渡る帆船。

 時間帯は夕暮れ時に差し掛かり、乗客の多くは船内の食堂にいる。
 それはエクリアやセリーヌたちも例外ではない。
 男二人は抜きにした話があるからと、カーリアンが連れて行った。

 しかし私とセリカに許可を取る辺りは、使徒二人の性格をしっかりと把握しているようだ。
 主が許すのならばと、渋々といった様子ではあったが、二人はカーリアンに同行。
 アイドスなどは、その強引さに苦笑していたようだ。

『随分と賑やかな旅路になったのぅ。セリカ、お主騒がしいのは嫌いであったはずだが、平気か?』
「確かにそうだが、悪くはない。……昔も、似たようなことがあった気がする」

 セリカは誰の事を思い出そうとしているのか。
 顔が浮かぶことはないのだろうが、少し表情が柔らかなものになっていた。
 少なくとも悪い記憶ではないようだな。

「……あれは」

 そんなことを考えていると、何かに気付いたようにセリカが声を上げた。
 彼の視線の先を辿っていくと、

「水竜……か?」
『誰か騎乗しているようね……っ、この気配はっ!』
『マーズテリアだの』

 近くをかの神殿の船が通っているのかもしれない。
 深凌の楔魔の復活を契機に、死霊の大量発生などオウスト内海にも異変が起こっている。
 それ故、警戒任務に出てきた騎士といったところだろう。
 死霊といえば、かつて“悪霊の頭”と呼ばれた古神の拠点がこの近くにあったように思う。
 まあ、今は関係のないことだが。

 水竜に乗った騎士はこちらに気付くことはなく、マストの上の船員と敬礼を交わして去って行った。
 去り際、その騎士が騎乗していた水竜が、翠の瞳をこちら――おそらくセリカの方に向けて一度だけ鳴いた。
 まるで旧知の友にでも再会したような、そんな嬉しそうな声。
 もちろん、私がそう思っただけだから気のせいだと思う。

「お前に水竜の盟友がいるとは知らなかったぞ」
「いや、記憶にはない。だが……」

 ……からかうつもりで言ったのだが、思う所があるらしい。
 私もアイドスを通じてセリカの過去はある程度知っている。
 しかし、あくまで記録として見せられただけだから、細かい部分や感情までというわけではない。
 これからもそれを知る気はないし、知る必要はないとも思っている。

 だかセリカには、私が覚えている“記録”ですらもほとんど残されていない。
 記憶が記録となって、やがてそれすらも消え失せ忘れていく。
 だが“約束”を含め、それでも忘れていないことがある。
 そのうちの一つが、先ほどの水竜だったのかもしれない。

『何はともあれ、気配は消しているが、次に連中に見つからん保証はないぞ』
『……そうね。食堂はまだ話し合いとやらが終わってないだろうし、客室にでも行きましょうか』
「そうだな」

 縁があれば、また会うことになるだろう。
 無ければそれまで。
 だがあの水竜がマーズテリアの所属ならば、会わない方がいいのかもしれない。





 ハイシェラの手入れをすると言ったセリカと、彼の客室の前で別れ自室に戻る。
 すると部屋の中では、今まで怪我の治癒のため動けなかった、世話好きの使い魔が掃除をしていた。
 彼女の本分は戦闘ではなく、魔具や薬の製造。
 集団戦においての策略や指揮にあるので今まで召喚しなかったのだが、偶には気晴らしにと召喚してみればこの通りである。

 灰色の巨大な堕天使の翼に尻尾を生やし、頭には二本の角。
 以前は薄汚いぼろ布のようなフード付きローブを纏っていた。
 だが私が見苦しいといったら身なりを整え、今は胸元の大きく開いた真紅のドレスを着ている。

 かつては顔も窺うことができないほど深々とフードを被っていたというのに、真面目な者ほど極端というのは真実らしい。
 これで“大いなる怠惰”を司るというのだから信じられない。
 いや“大いなる傲慢”を司る私同様に、別に自身が怠惰である必要はない。
 むしろ彼女が何でもできる分、主となるものは怠惰になる。
 ――そういうことなのかもしれない。

 常に抱えている魔術書は今はないが、彼女はそもそも魔術を得意としているので、異空間にでも消したのだろう。
 代わりに何処から持ってきたのか、箒を握っている。
 そういう天使族がいないわけではないだろうが、こうも妖艶な美女といっていい者がやると、中々に違和感がある。

「ベル、掃除はもういい。……というかやり過ぎだ。船員の仕事を奪うつもりかお前は」
「人間の、それも女のことなど私の知ったことではありません。
 それよりルシファー様、遂にあのエクリアとかいう雌猫と縁を切ったのですね。ついでに忌々しい“神殺し”とも――」
「五月蠅い、黙れ。エクリアは私の使徒で、お前と同列だ。悪口雑言は止めろ。セリカのこともだ」
「……申し訳ありません。ですが、私は貴方様にあまり人間と付き合うのは止めて頂きたいのです」

 私の言葉にアイドスにも劣らない優艶な純白の頬を赤く染めつつ、それでも言いたいことははっきり言う魔神。
 大きく揺れる胸と、長い銀色の髪が艶やかではあるが……。
 丁寧な口調の中に何か負の想念を感じ取る。

 彼女との出会いは、二百年ほど前まで遡る。
 当時私たちは、いつもの気まぐれで西方リガナール半島近郊を旅していた。
 腐食の王《ジェルグナ》の信徒によって支配されている闇の領域。
 その時に偶然にも立ち寄った迷宮で遭遇したのが彼女だった。

 私の魔力に気付いた途端攻撃を仕掛けてきたが、冷静な判断ができなかったのだろう。
 彼女は魔術による守りや回復には向いているが、いくら暗黒の魔神と雖も攻撃力では能天使であるニルにさえ劣る。
 まして私は暗黒属性の攻撃に関しては強い耐性を持っている。
 結果打ち負かし、使い魔としたのだが……

「ルシファー様、人間の女などに心を許してはなりません。糧が足りないというのならば、貴方の副官であるこの私が――」
「止めろ、服を脱がせようとするな。脱ごうとするな。魔力なら足りている」
「……私を、拒絶なさるのですか?」
「そうは言っていない」
「ふふ、有難うございます。お慕い申し上げております、ルシファー様」

 神算鬼謀の魔神ベルフェゴル……通称をベル。
 かつて魔神アスモデウスと共に、元権天使でありながら私の“父”である古神の副官を務めた女魔神。
 魔神パイモンやアスモデウスと並び、その知識はかなりのものだが、彼らと違う点は発明家というところだろう。
 要はあくまで学問としての知識を得ている二柱とは違い、実戦向きなのだ。

『ベル、貴女が女性不信なのは分かるけど、エクリアはね――』
「アイドス様、人間というのは不完全な存在です。
 古の女神である貴女ならともかく、あのような輩と契りを交わしては、ルシファー様が不幸になってしまわれます」

 過去に何があったのかは知らない。
 だがベルフェゴルは人間、それも同性を嫌悪している。
 それが今まで使い魔にしていても、エクリアやセリーヌの護衛をさせなかった理由。
 今でこそ長い旅の間で人を知ったため、ある程度融通が利く。
 しかし当初は憎悪の度合いでいうなら、まだディアーネのほうがマシというほどだった。

「それでも私はエクリアを使徒とすると決めたのだ。不満は分かるが、受け入れろ」
「……はい」

 何とかしなければならないとは思うが、解決の手段は見つからない。

 私がベルフェゴルを本気で疎ましく思っているのならば、使い魔の生から解放するという手段もあった。
 しかしいくら性魔術で敗北し、使い魔にされた為逆らえないとはいえ、彼女が私を慕う心は本物。
 それは儀式の際の精神戦で確認できたのだから間違いない。
 パイモンとは違った意味で灰汁が強いが、信用に足る参謀だ。

 だが、その糸口がここに来て向こうから現れた。
 借りを作ることになるが、相談してみるのも一つの選択か。

 彼女の手触りのいい髪を撫でるのを止め、少し残念そうな表情をしたベルフェゴルに提案をする。
 カーリアンを交えた上で、エクリアと話をしてみないかと。

 それでその話し合いの結果を言えば……人間嫌いは治らなかった。
 しかしエクリアに対しては少しは理解したらしい。
 ただ厄介なことが増えた。

 もはや半ば恒例と化している、アイドスとエクリアの私に対する不満の言い合いに、彼女まで参加するようになった。
 嗾けたらしいカーリアンは素知らぬ顔。
 ルシファーも大変ねぇ、などと言っていた。

 ……いったいどういうことなんだろうな。





 海の見える窓と、真っ白な敷布のベッド。
 それから簡素な衣装棚だけの船室。
 狭くはないが、私――ベルフェゴルが思うに、我が主には相応しくありません。

 我が主は何とも思っていないようですが、仮にも古神にして魔王の系譜。
 それ相応の装飾品は身に付けて頂きたいし、もう少し家具などに拘りを持ってほしい。
 今回は船室だから仕方がないが、いつか拠点を持つことになったのならば――。

 ――我が主、ルシファー様。
 私があの方とお会いしたのは、とある迷宮でした。

 漆黒の麗しい翼は消しておられたようですが、あの魔力を間違えようはずがない。
 色で例えるならば、全てを塗り潰す黒。
 かといって混沌としているわけではなく、単色であるが故に純粋。
 それから、気まぐれに古の女神や現神の僕。
 果ては神殺しすら盟友としてしまう、奇矯が性の過ぎる方です。
 だからこそ一度敵対した私のような魔神でも、あの方の側にいることを許されているのですが。

 正直、最初は怒りを覚えました。
 このような男が魔王の後継者足り得るのかと。
 実際はルシファー様ご自身もお気付きでない、ルシファー様だけの力で屈服させられてしまったわけですが。

 容姿は……古き主は最も美しい天使だったので、品のある中世的な顔立ち。
 しかし彼は昔と変わらない、凛々しいという印象がまず先にくる、きりっとした精悍な顔立ち。
 ……ま、まあ方向性は違うので、及第点といったところです。
 無意識に女を口説こうとするのも……大変遺憾ですが、本当に遺憾ですが、ああいう方ですから仕方がありません。
 赤い髪の女性を寵妃にするところまで同じですし。

 ――しかし、です。

 どうしてよりにもよって人間族、剰え“神殺し”などと呼ばれる者と行動を共にしているのか。
 あの男女を見ていると……ふふ、忌々しい正義馬鹿を思い出します。
 先の三神戦争で何処かに封じられたか、滅んだかしたようですが、清々しました。

 それはさて置き、今でもその思いは変わってはいません。
 人間族など信用できないというのは、我ら魔の者にとっては普通の感情。
 利があれば自らの神をも簡単に裏切るような輩、どうして信用などできましょうか。

 だから、私がルシファー様の配下になったのは、彼の言葉に感化されたからではありません。
 人を信じるということは、どうあっても私には無理です。
 ルシファー様の業が“大いなる憤怒”であるように、人間不信は私の業なのだから。

 私がルシファー様を慕っているのは、偏にあの方の不思議な魅力のため。
 かつての古き主同様……いいえ、それ以上に惹きつけて止まない在り様を知ったからに他なりません。
 味方であればあの方ほど心強い者はいませんが、一度敵に回れば一切の容赦がない。
 アイドス様至上主義のような側面もありますけど、相手を問答無用で薙ぎ払う。
 あの恐怖という感情そのものを叩きつけられるような、真紅の瞳に睨まれた瞬間私はもう……。

 ゾクゾクっとこう、いけないものを感じで一瞬で虜にされました。
 ……いけませんね。思い出しただけで身悶えしてしまいます。
 そんな私をルシファー様は呆れたように見るのですが、ご安心下さい。
 このような姿を見せるのは貴方様の前でだけです。
 そう言ったら今度は深々とため息を吐かれましたが、どうしたのでしょう?
 いえ、もちろん慕う理由は他にもありますよ。その強さとか、素直じゃない所が好きだとか。

 それはさて置き、現在私は雌猫――もとい、エクリア・フェミリンスとテーブルの席で向かい合っています。
 不本意ですが、ルシファー様の命とあらば仕方がありません。
 私としてはこんなことをしている暇があったのならば、ルシファー様のお食事でも作りたいところなのですが。
 残念ながら、あのお方は“神殺し”と食堂の方へ行ってしまいました。

 代わりにエクリア・フェミリンスに抱えられた神剣であるアイドス様と、何やら顔を引き攣らせている女魔族がいます。
 首の辺りを右手で掻きながら――“これは手強そうだ”――などと言っていますが、何だというのか。

「…………」
「…………」

 続くのは只管に沈黙。
 エクリア・フェミリンスは何処となく話さなければと思っているようです。
 しかし私にその気がないので意味がない。

「ねえ、ベルフェゴル」

 名を名乗り合ってから何の進展もない状況に遂に業を煮やしたのか、確かカーリアンとかいう魔族が口を開きました。
 露出過多な服装……というかどう見ても水着ですが、多分睡魔の血でも混ざっているのでしょう。

「私も人間が好きってわけじゃないんだけど、少しくらい話してみたらどうかしら」
「その必要はありません。人間――特に女というのは、簡単に信頼を裏切る心弱き生き物です。この女だって、いつ主を裏切るか……」
「なっ! それは聞き捨てならない! 私はルシファーの――」
「――使徒、というのが如何程の証になると?
 魂を預けたとはいえ、あの方が他者を縛ることをあまり好んでおられないのは承知のはず。
 貴方が裏切ったとしても、ルシファー様は使徒の契約を破棄するだけに留まる。お解りのことと思いますが」

 これは間違いありません。
 かつてのあの方もそうでした。

「……それは」
「ちょっと待って。使徒っていうのは、つまり神格者のことよね。普通、神格位を剥奪されたら、魂が消滅するんじゃないの?」
「いいえ、そうとも限りません。神格位剥奪というのはあくまで、授けた神の力を回収するだけ。
 ですがそのような状況は仕えた神に反旗を翻した時ですから、そういう裁きが下されるわけです。なので、例外も当然あるでしょう。
 何れにせよ判断するのは、神格位を与えた神です。……使徒が必ず神格者であるとも限りませんし」

 例えば天使などは悉くが使徒ですが、元から神核持ちで神に近い存在なので神格者とは言いません。
 代わりにもしも神から離反した場合は、私のように創造神の力を失い堕天使になってしまいます。

「あれ? 生殺与奪の権利があるだけなの?」
「神格位剥奪が神の意思の介入なしに魂消滅に繋がるなど、そんな馬鹿なことあるわけないでしょう。
 それを行うのは仮にも神なのですよ。それくらいの権能は当然持っています」

 もしもそうでなければ、例えば……本当に例えばの話ですが、ルシファー様が何者かの使徒になったとしましょう。
 その場合、その者はルシファー様の魂を消滅させることが出来ることになってしまう。

 ……いえ、そこまで考える必要はありませんね。
 セリカ・シルフィルを例にすればいい。
 本来ならば神の肉体に人の魂など耐えられるわけがない。
 これはつまり“神殺し”の魂が消滅しないように、女神アストライアが神格位剥奪の時と逆方向。
 ――即ち魂の守護に力を使用していることになります。
 その辺り、ルシファー様はどうお考えなのか。

 話が逸れました。
 兎も角、神格位剥奪が直接魂消滅に繋がるわけではありません。

「どちらにしてもシルフィアは何ともならないか……」

 何事か考えるように目を閉じたカーリアン。
 ですが、一度頷くと再び口を開きました。

「あのさ、ベルフェゴル。他の人間のことは兎も角、エクリアのことは信じてもいいと思うわよ。
 というか、どうして貴女は人間の女が嫌いなの?」
『それは私も疑問に思っていたわ。
 ……そういえば貴女は、耐性のない人間族の女性を姦淫の罪に導く特性があるってルシファーには聞いてるけど……』
「なななななななっ!?」
「ん、どうしたのエクリア? ……もしかしてアイドス?」

 急に取り乱したエクリア・フェミリンス。
 確かにアイドス様の言うように、望む望まざるに関係なく、私はそのような特性を持っている。

 意図せずとも勝手に発現する力。
 私が堕天するきっかけとなった、ある事件で背負わされた罰のようなもの。
 その能力の影響がないのは、アイドス様は当然のこと。
 エクリアやカーリアンは、ルシファー様の加護と魔族だからでしょう。

「私のことなどどうでも良いでしょう。それより、どうなのですエクリア・フェミリンス。
 貴女は本当に我が主を裏切らないと誓えるのですか?」
「私は……」

 悩んでいる――わけではない。
 これは躊躇いなのでしょう。
 その先を口にするのが恥ずかしいのか、エクリアは顔を真っ赤にして私を睨む。

「――ッ」

 しかし私の表情をどう捉えたのか、急に真面目な顔になって、

「私はあの方を愛している。別に貴女に信用されなくてもいい。ただ、その気持ちまで否定される謂れはない」
「……その言葉、偽りではないでしょうね?」
「本心だ」
「本当に?」
「しつこいぞ! ……貴様のその高潔さ、本当に魔神なのか?」
「気に入った人間を淫獄に陥れ、それに愉悦を覚えるどこぞの阿婆擦れ女とは私は違います」
「……それ私のことじゃないわよね?」

 いくら私でも、亡くなった後まで思い続けろとは言いません。
 私だって今のルシファー様を慕っていますから。
 だが、それでも……

『簡単に信用できないというなら、これからのエクリアを見たらどうかしら。
 貴女は元権天使の君主でしょう? その役目は確か、人間が間違った方向へ行かないように監視すること。
 古き時代の役割を演じるというのも、悪くはないのでは?』

 人間は“大いなる父”が創り出した最大の失敗作。
 それ故不仲になるように定められており、幸福な契りなどあり得ない。
 それがかつて私が出した結論。
 アイドス様は、それを承知の上で言っておられるのだろう……。

「……分かりました。エクリア・フェミリンス、ならば確かめさせてもらう。お前の信念が本物かどうか」
「いいだろう。私の誓いは本物だということを教えてやる」

 せいぜい足掻け。
 人間など、直ぐに言葉を違えるに決まっている。
 しかしまさか魔神となった私が、今更天使の真似事をすることになろうとは。

『それにしても、ルシファーもルシファーよ。事の中心にいるのに何もしないなんて』
「お言葉ですがアイドス様、これは我々の問題であってあの方は……」
「ええ、これは私とベルフェゴルの問題で、ルシファー様は関係――」
『――あるわ。美人をこんなに誑かしておきながら、自分は関係ないなどと言わせるつもりはありません。……少し、天罰が必要ね』

 酷く平坦な、感情の起伏が一切ない、絶望を形にしたような声音。
 なぜだろう、神剣に封じられているのだから顔は見えないはずなのに。
 その時のアイドス様の心話から恐怖を感じた。魔神である、この私がだ。

 それはエクリア・フェミリンスも同じらしく、顔を血の気が失せたように蒼褪めさせている。
 平静としているのは声の聞こえないカーリアンだけ――と思ったが、何故か彼女までも……

『今度、遊星でも召喚してみようかしら。
 隕石落としはルシファーの得意分野だけど、私だって神剣に魔力を少しずつ溜めておけば……』

 今まで慈悲の女神の二つ名に相応しい、心優しきお方だと思っていたが確信しました。
 普段、温和な者ほど怒らせてはいけない。
 そういえば、真面目な者ほど極端に走るとルシファー様がおっしゃってましたね。
 結局私が“熾天魔王に文句を言おう大集会”なるものに参加することで、事無きを得ました。
 申し訳ありません、我が主。これが私の限界でした。




あとがき

修正していて気づいたんですが、姫神って元姫であった他に
日本の神道における比売神(主宰神と関係がある女神)も元ネタかもしれません。
そう考えると、姫神はマーズテリアの……。



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