異変を感じたのは、上層に至る転移陣を抜けてすぐのことだった。
 自身の精神が何かに浸食される感覚。
 いや、これは衝動だ。自分ではどうすることもできない――破壊を望む心。
 耐えられないほどのものではないが、長時間このままでいればそれも分からない。

「どうかしたのか?」

 声をかけてきたのはリウイだった。
 表情には表れていないはずだが、彼も似たような経験があるからだろうか。
 私の様子がおかしいと感じたらしく、リウイは少し警戒するように近づいてきた。

「……ここはどうやら、冥き途の最下層と繋がっているらしい。――失念していた」
「冥き途? それは御伽話だろう?」
「私もそう思ってたんだけど、ルシファーたちの話からするとどうにも実在するっぽいのよね」
「……なるほど。信じるかは別として、その冥き途がどうかしたのか?」

 歩み寄ってきたカーリアンの捕捉に、リウイはやはり納得いかなそうな顔をする。
 普通に生きていれば、死ぬまで死後の世界など関わることはないだろうから無理もない。
 いや、多分にそれ以外の感情も含まれている気がするが、気付かない振りをした。
 訝しげに問うリウイに私は答えようとして――

「ルシファー、もしやかの地には古神サタンの肉体が封じられているのでは?」
「古神サタンですって――ッ!」

 セリカと話をしていたルナ=クリアの言葉を聞き咎め、天使モナルカが声を荒げた。
 やはり彼女も天使族である以上、我が父の名を知っていたのだろう。

 しかしここで一つ矛盾が生じる。
 それはサタンの名を知っているにも関わらず、ルシファーと名乗った私をただの魔神と認識していたことだ。

 そこから導き出せることは、彼女はおそらく一万年前の大戦以降に生まれた天使族の末裔。
 敵対者の名は知っていても、かつて大天使長の座にあったころの熾天魔王の名は教えられていないのだろう。
 まあ、相容れない敵がかつてどのような存在であったかなど、知る必要がないのは当然だ。

「まさか貴方……いえ、封じられているのならば使徒ではありませんわね」
「その前に私は堕天使なのだろう? 堕天使が神に仕えているわけがない」
「いいえ、かの者は邪神であり――魔王。堕天使が仕える理由ならば御座いますわ」

 ……確かにな。
 しかし、モナルカが言ったようにサタンは封印されている。
 故にこそ奴に縛られていた多くの悪魔は暗黒の太陽神と繋がりを持つようになった。
 サタンに未だに忠を尽くしている者など、もはや大した数はいないだろう。
 そも欲望に忠実であることこそ悪魔の本質。
 秩序より混沌を望むのだから、忠義心を持つ魔族の方が珍しいのだ。

「天使モナルカ、今は我々が争う時ではありません」
「……分かっていますわ。どうにも相手が堕天使となると抑えが効きませんわね」

 諌めるルナ=クリアに、モナルカは自嘲するように告げた。
 おそらくは私に対する敵意を孕んだ態度を悔いているわけではない。
 あれは、この場で争う愚を冒しそうになった自身を戒めているのだろう。

 天使にとっては、仕えるべき主に反旗を翻した堕天使は敵でしかない。
 それは、現神に仕える彼女とて同じということ。
 だから敵意を持つこと自体を否定することはない。

「それがお前たち天使の業か」
「我ら天使と堕天使は決して相容れません」
「俺はそうは思わないがな。少なくとも人と魔は理解し合えた」

 そう告げてリウイは、ペテレーネを交え姉妹と談笑している自身の妻に視線を向けた。
 メンフィルの王都ミルスで別れてから一年。
 私からすれば大した時間ではないが、彼女たちからすれば久しぶりの再会なのだろう。

「リウイ、お前は自分の理想を成せると思っているのか?」
「できるかできないかは分からんさ。だが、やらなければ成せないということだけは間違いない。
俺は、あいつと共に抱いた理想を現実にする。そのために己の覇道を進んでいく。
……道を違えたのならば、イリーナが俺を止めてくれるだろう」
「物理的に止められないといいがな」
「……それはどういう意味だ、神殺し」
「いや、何でもない」

 この二人も仲がいいのかそうでないのか、私には良く分からない。
 会えば会ったで常に言い合いをしている気がする。
 アイドスやエクリアに言わせれば私も似たようなものらしいが。

「ところでルシファー、冥き途に繋がっているとのことですが……大丈夫ですか?」

 微笑しながら二人のやり取りを見ていたルナ=クリアが表情を改め、私に問いを投げた。
 やや困惑していたらしいモナルカもこちらに注意を向ける。
 カーリアンに仲裁され、漸く口論を止めた二人もこちらに顔を向けていた。

『……クリアさんは検討が付いているわね。でも、現神陣営に全てを話すのは止めた方がいい。……信用できないもの』

 クリアは兎も角、モナルカという存在を前に口にすべきか迷っていた私に、アイドスが助言をしてきた。
 彼女の意見も当然といえば当然だろう。
 魔王などという混沌と破壊の化身に意識が乗っ取られる可能性があるなど、現神系神殿が放置するはずはない。
 ましてアイドスは現神を信じて一度殺されかけている。
 誰でも簡単に信じてしまう彼女が、疑いを持つようになったのは良いことだが。

『邪竜、か――』

 冥き途には熾天魔王のもう一つの肉体が封じられている。
 三百年前にセリカと赴いたあの場所で、私はその事実を知った。

 ……だが不思議なことに、私にはそこに“父”のもう一つの肉体が封じられている理由が分からない。
 本来ならば、知っていておかしくないはずなのに。
 私は熾天魔王の記憶を受け継いでいる。しかし、どうしてもその記憶は……。

 いやそもそも……“もう一つの”肉体とはどういう意味なのだろう。
 私は今まで“そういうものだ”と認識していたから、疑問に思わなかった。
 だがいざ考えてみると、神に肉体が二つあるとはどういうことだ?
 かつては“アラミタマ”と“ニギミタマ”のように、同一の神が別の神格として扱われることもあったと聞くが……。

 何か……やはり何か大事なことを忘れているような……。

「ルシファー?」

 クリアの声にはっとして、私は一先ず考えを保留にした。
 今はそんなことより、この引き摺られるような感覚に耐えることの方が重要だ。

「……そう簡単にどうこうなるわけがないだろう。私は神殺しの盟友だぞ」
「ふふ、そうでしたね。ですが――」
「――分かっている」

 それ以上の会話は必要ないと手で制す。
 彼女が言いたいのは、もしも精神を乗っ取られ世を混沌に導くようならば、全力を持って討ち滅ぼすということだろう。

 私とてそれは望むことだ。
 破壊の化身になどなったら、アイドスの願いを踏み躙ることになる。
 それに、自分の意思が他者に左右されるなど我慢ならない。
 そのようになるくらいなら死んだ方がいい。
 自分が自分でなくなり、自由を奪われるくらいならば消滅の道を選ぶ。
 それが“傲慢”を司る“父”の力を受け継いだ私の矜持だ。

 ただもしもそのような事態になれば、おそらく私を止めるのはアイドスに――殺すのはセリカになるだろう。
 私はあいつに、二度目を経験させる気はない。
 恋人と盟友……立場は違うが、それを失った時のあいつを想像すれば、たかが残留思念如きに負けてなどいられない。
 まして、アイドスを孤独にして逝くなど有り得ないことだ。

 戦うべきは自分――その宿業。
 私はその邪竜と戦う未来を、朧気ながらこの時初めて意識した。
 




「――塵と成りなさい!」

 イリーナの勇ましい叫びと共に、神聖魔術で浄化されていく霊体。
 不死者や悪霊が多いため、彼女の魔術の効果は絶大だった。

 しかしそうなると敵意を向けられ易く、上位悪魔はイリーナを集中的に狙い始める。

 だが覚悟するがいい雑多共。
 今貴様らの眼前で剣を振るうのは歴戦の勇士だ。

 神殺しに闇の覇王、魔剣士が前衛を務め、迫りくる相手を一刀のもとに斬り捨てる。
 魔術と近接――双方に長けた天使モナルカとエクリアが前衛の取りこぼしを殲滅。
 後衛に陣取ったルナ=クリアとペテレーネ、イリーナとセリーヌが援護する。
 即席の役割分担のため多少の戸惑いはあったようだが、伊達に混成部隊で幻燐戦争を経験してはいない。
 一番の不確定要素であったセリーヌでさえ前衛に合わせて魔術攻撃を繰り出している。
 尤も、それを褒められたとしても、不必要な争いを嫌うセリーヌは苦笑いを浮かべるだけだろう。

「流石に上層ともなると数がすごいな」
「……悪いな、私がもう少し戦えれば良かったのだが」

 エクリアの背後を狙っていた悪魔を斬り伏せ、セリカに返答する。
 今の私は、正直満足に戦えない状態だ。
 
 冥き途からの影響も当然あるのだが、それ以上に魔力を消費し過ぎたのが大きい。
 中層に至るまでの間に唱えた神聖魔術。
 更には単独でラーシェナと戦った結果、予想以上に魔力を消費してしまった。
 戦えないほどではないが、まだ先が長いことを考えれば無理をすべきではない。

『うっかりね、うっかり。ルシファーは本当にダメダメね』
『五月蠅いぞうっかり女神。人間の邪気が強過ぎて浄化できず邪神化したなど、お前も大概抜けているではないか』
『あ、あれは――! ……本当にごめんなさい』

 ……そういえばアイドスにとっては三百年前のことは禁句だったな。

『謝るのはいいが、今は戦いに集中してくれ』

 セリカにそう言われては返す言葉も無い。
 いつかアストライアに再会し、アイドスにとっても笑い話にできる日が来るといいのだが。

「……この先、何か大きな気配を感じます」

 そんなことを思っていると、先に進んでいたエクリアの言葉が耳に入る。
 感覚を研ぎ澄まし、相手の気配を探ると確かに大きな魔力を持つ存在を感じ取った。

「魔神……それも数体いますわね」
「深凌の楔魔かしら」
「行ってみれば分かるだろう」

 カーリアンの呟きに答えたリウイが突剣を握りしめてすっと前に出る。
 戦う準備は万全らしいな。

「何が起こるか分かりません。みなさんご注意を」

 ルナ=クリアの言葉に皆が頷き、警戒しながら歩を進める。
 さて、どんな魔神が出てくることか。




 
 進んだ先にあったのは、造りが先のラーシェナたちと戦った場所とほぼ同じ広場。
 違う点があるとすれば、露骨に敵意を向ける輩がいることくらいか。

 一柱は私の身の丈ほどもある大剣を持つ、世に名立たる輪廻の魔神ラテンニール。
 かの者は例え神核が砕けようと何度でも復活する特殊な存在だ。
 典型的なはぐれ魔神であり、滅ぼされても時間をかけて蘇生する異様さからラウルバーシュ大陸で最も名が知られている。

 二柱目はソロモン72柱が一柱、魔神サブナク。
 巨大な岩石が意思を持ったかのような姿の魔神で、宮殿を粉砕しながらこちらに迫ってきている。
 動きは鈍重そうだが、その膂力は侮らないほうが良さそうだ。

 それにしても、先史文明期に存在したらしい機工兵機――ソルガッシュに姿が似ている。
 ……ハイシェラのように人間に改造でもされたのか、それとも彼がオリジナルなのか。
 一先ずはその名をリウイに伝えておくべきだろう。

 最後の一柱は稲妻を纏った巨人だった。
 気配からしておそらくはぐれ魔神なのだろうが、生憎と名前は分からない。

 だが攻撃手段は実に分かり易い相手だ。
 強靭な下半身の踏み込みから繰り出される拳と、纏う電撃による間接攻撃。
 問題は電撃が何処まで届くかだが、あまり知性が高いとは思えない。
 せいぜい近接格闘の合間に、直感で放ってくる程度だろう。

「ルシファー、お前はどの程度戦える?」
「魔力が足りずとも、戦いようはいくらでもある」
「……信用するぞ?」
「私とて死ぬのは御免だからな。無理なら無理と言うさ」
「いいだろう。ならば鈍重な動きの魔神を任せる。……神殺し」
「経験からすれば俺が一番適任だろうな。……分かった。あの魔神は任せろ」

 リウイの提案で三組に分かれることになり、それぞれ戦う相手を決める。

 私、エクリアで魔神サブナク。
 リウイたちメンフィル組とカーリアンでラテンニール。
 そして、セリカとルナ=クリア、セリーヌで最後の魔神に当たることになった。

 ラテンニールは何度も表舞台に現れているため、その対処方も知られている。
 他の二柱を、魔神との戦闘経験の多い私とセリカが引き受けるのは悪くない判断だ。
 全員で三柱を相手にしても、やはり連携で問題が出てくるだろうしな。

「おそらく相手は冷却系秘印術に耐性がある。純粋系主体で援護してくれ」
「分かりました。……ですが、あの」

 言い淀むエクリアを怪訝に思い、首を傾ける。
 僅かに頬を染めているが、どうしたのだろうか。

『察して上げなさいよルシファー。……本当は私ができればいいのだけれど』
『……なるほどな。エクリア、少しだけ貰うぞ』

 心話でそう告げると、腰に手を回しぐっと引き寄せてエクリアの唇を奪う。
 流れ込んでくる精気は微々たるものだが、魔神一柱潰すには問題ない量。
 何か周囲の気配が変わった気がしたが、私には関係ないことだ。
 唇をそっと離すと、エクリアの少し潤んだ金の瞳を見つめながら、

「助かった」
「いいえ、私は貴方の使徒ですから」





 セリカが召喚石に魔力を注ぎ、テトリを呼び寄せたのを視界の端に捉えながら、私は魔神サブナク目掛けてかけ出した。
 それに呼応するように、呆けていたメンフィル陣営の者たちも動き始める。
 戦場で気を抜くなど命取りだと理解しているはずだというのに何をやっているのか。

 ――さて。

 エクリアから精気を吸収し、幾分魔力が回復したとはいえ無駄に使うことはできない。
 サブナクが仮にソルガッシュのオリジナルだとするならば、その最大の攻撃は光分子砲となる。
 メギドの炎にも匹敵するそれを放たれてしまえば、この身とて無事ではいられないだろう。

『来るわ!』

 アイドスの声を聞くより早く、振り下ろされるサブナクの拳を避ける。
 直後、まるで荒れ狂う暴風雨のような衝撃に襲われた。
 轟音と共に先ほどまで私がいた地面が砕け散っていく。
 その光景に躊躇することなく、私は間髪を容れずに接近し、刃を魔神の腕に連続して叩き込んだ。

「……堅いな」
「ルシファー様!」

 後ろに飛んで距離を取った先にエクリアが走り込んできた。
 私の一撃は人間相手ならば、それこそ四、五人纏めて薙ぎ払うだけの破壊力がある。
 いくら全力が出せないとはいえ、その辺の魔族程度ならば初撃で絶命しているはず。 
 それを受けて負ったのが掠り傷だけとは、流石はソロモンの魔神といったところだろう。

「エクリア、強化魔術を頼む。奴に物理攻撃はさして効果がないようだ。
 接近し、直接体内に純粋系魔術を叩き込むしかない」

 私の言葉に彼女は頷くと即座に詠唱に入った。
 術式が完成すると同時に私とエクリアの足元が淡い光を発し、やがてそこから生じた光の柱に包まれる。
 強化魔術――覚醒領域の付術の発現だ。
 対象の肉体的な面を大幅に強化する秘印術。
 他に魔術の威力などに影響を与える術者の精神力を強化する魔術も存在するが、今回は必要ない。

「魔力弾で援護します!」
「任せた!」

 交わす言葉は少ないが、それで十分だった。
 後は互いの動きを感じ取って、臨機応変に対応するのみ。

 エクリアが旅に加わってから大分時間が発つが、私の動きに合わせて攻撃ができるのは、今のところセリカとエクリアだけ。
 しかしセリカとて連携が取れるようになるまでには、かなりの時間を消費したのだ。
 それがたった数カ月で成せるようになったのだから、それだけエクリアは私を見ていてくれたのだろう。
 
「……っ、アイドス、お前自身の魔力だけで魔法剣を発動できるか?」

 サブナクの純粋系魔術の絨毯爆撃を、高速で移動して回避する。
 しかし下手に移動すればリウイやセリカの戦闘を邪魔することに成りかねない。
 その結果、逃げ場所は徐々に狭くなっていった。

 正直言ってこいつは魔神というより、もはや兵器に近い。
 意思などないかのように、こちらを殲滅しようと只管攻撃を続けている。
 攻撃が単調な分大きな傷を負うことはないが、かすり傷を負うごとに魔力を削られていく。

 ――このままではまずい。

『上位のものは無理ね。せいぜい“ヴァニタス”が限度かしら』
「魔神相手ならば暗黒属性は通る。後はエクリアに隙を作ってもらうか」

 視線で合図を送る。それで意図が伝わったのだろう。
 彼女は連接剣を構えると、中距離からサブナクを挑発するように牽制攻撃を繰り出した。
 最初はそれを気にも留めていなかった魔神。
 しかしエクリアが連接剣に冷却の魔術を付与させるに至ると、遂に意識を彼女にも向け始めた。

『今よ!』

 地を有らん限りの力で蹴り、一気に相手の間合いまで踏み込む。
 風を切るという言葉があるが、今の私の速度は音さえ置き去りにしていた。

「ふっ!」

 暗黒の属性を付与された魔法剣をサブナクに叩き込む。
 しかしそれは厭くまで伏線に過ぎない。
 女神の魔力を用いた魔法剣によって怯んだサブナク――そのゴツゴツした身体に触れ、

「吹き飛べっ!」

 純粋系秘印術“アウエラの裁き”

 威力としてはエクリアの“原罪の覚醒”には遥かに及ばないが、至近距離から放ったのならば間違いなく致命傷。
 魔力の収束によって発生した破壊球は、思惑通りサブナクの身体を粉砕する。
 それで身体を維持することができなくなったのだろう。

 魔神はその場から、まるで最初からいなかったかのように消滅。
 後には戦いの余波で砕け散った宮殿の瓦礫が残るだけだった。





「……終わったのですか?」
「ああ、今回ばかりは少し疲れた。倒せたのは、お前の御蔭だ」
「いいえ……ですが、まだ休憩には早いようです」
「……そのようだ」

 視界に入りこんだ光景はリウイの刺突――確か“エクステンケニヒ”という技で魔神ラテンニールを仕留めたところだった。
 これで残りは、あの名前が分からない魔神のみなのだが、

「……まずいな」

 突如響いた爆音に目を向ければ、セリカとルナ=クリアたちが相手取っていた魔神が、急速に周囲の魔力をかき集めていた。
 速さで翻弄したのだと思うが、セリカは全く傷を負っていない。
 そこは流石神殺しなのだが、どうやら相手は自爆して私たちを道連れにする腹積もりらしい。
 能力は大したことはないはずだが、まさかそんな手段に打って出るとは想定外だ。

「皆さん、ここは私が食い止めます。この場からお逃げ下さい」

 事態を察したルナ=クリアが前に出て、魔神を中心に結界魔術を発動させる。
 確かにあれならばしばらくは魔力収束を抑えることはできるだろうが、問題は何も解決していない。

「だめだ、ルナ=クリア!」

 セリカの少し焦りを孕んだ声が響く。
 あいつがここまで感情を露わにするのは珍しい。
 だが、今はそれよりこの状況をどうするかだ。

「……結界の崩壊と同時に、一斉攻撃で仕留めるしかない」
「失敗すれば大爆発か」 
「あら、怖いとでもいうのですか?」

 リウイの結論に続けた私に、モナルカが挑戦的な笑みで告げる。

「まさか。それしか手が無いのならば賭けるしかないだろう」

 今まで潜り抜けてきた修羅場に比べれば大したことではない。
 そんな戯言を話している間にも、ルナ=クリアの結界が限界を迎えようとしていた。

「――今だ!」

 リウイの合図と共に、即座に攻撃を開始する。
 もはや時間との勝負。

 魔神の魔力収束の方が早ければ、それまでだ。

「仕留める……ッ!」

 数多の斬撃、そして留めにセリカの飛燕剣。
 耳を劈くような絶叫を上げていた魔神は、最後の一撃を頭に受けると、ゆっくりとその場に崩れていった。

 ――だが、それで終わりでは無かったらしい。

「いけない! 集められた魔力が暴走している! このままでは――」

 ルナ=クリアの悲鳴に近い叫びも虚しく、暴走を開始した魔力。
 瞬間、桁外れな光の奔流が私の視界を埋め尽くした――。





「――無事か」

 全身に魔力を巡らせ、傷を癒した後周囲を見回してみると、遥か昔に貴族悪魔の根城になっていただろう宮殿は無残な姿を晒していた。
 命を代償に魔神が行使した魔術によって、辺りは惨憺たる有様。
 廃墟もかくやという荒れ果てた広場を視界に収め、私は顔を顰めながらもまずエクリアの無事を確認した。

「……はい、何とか」

 息も絶え絶えに答える様はとても無事とは思えない。
 逆巻く旋風の直撃を受けたのか、右腕を庇うように抱えている。
 全く、変なところで意地を張るのは悪い癖だな……。

 少し呆れながら瓦礫を押し退けその場から立ち上がると、治癒魔術をエクリアにかけるため側に寄った。
 着ていた旅装束の腕の部分が破け、そこからどうやら血が流れているようだ。
 爆風に吹き飛ばされた際、瓦礫に擦れたか裂かれたかしたのだろう。
 必死に隠そうとしているようだが、他の者は誤魔化せても私はそうはいかない。

「隠しても無駄だ。見せてみろ」
「いえ、私は……」
「お前は私の使徒だぞ。主が気付かないわけがないだろう」
「……はい、申し訳ありません」
「謝るな。私が勝手に治癒するだけだ」

 魔力は――魔神サブナクを撃破し、その魔力を吸収したことで大分回復している。
 ソロモン72柱の魔神は古神に属するため、どうやら魔力の相性が良かったらしい。
 治癒魔術の行使には十分な量だが……エクリアのこの傷なら薬を使った方が良さそうだ。

 腰の道具袋からイーリュンの加護を受けた水を探し出し、それで傷口の血を洗い流す。
 細菌感染なども考えれば下手に治癒魔術を使うよりこちらの方が適切だ。
 魔神ならばそのような細かいことは気にしなくても良いのだが、流石に人間族では問題がある。
 イーリュンの信徒ならば浄化もできるため気にすることはないだろうが、生憎私は治癒魔術が苦手というのもある。

『――セリカ様ご無事ですかっ!』

 治癒の水を数度かけて包帯で腕を巻いていると、セリーヌの焦燥した心話が耳に届く。
 そこで私は初めて広場の中央に大穴が開いていることに気付いた。
 純粋系の魔術が炸裂したかのような破壊の跡。
 疑う余地も無く、魔神が魔力を掻き集め、自分の命を代償として発動させようとしていた魔術の痕跡だ。

 となるとセリカは穴の底を覗くセリーヌの様子を思うに、地下に堕ちたのだろう。
 あいつの側にいたルナ=クリアもおそらく同様だ。

『……リーヌ……じだ……』

 ……無事のようだ。

 しかし、私に続いてあいつまで使徒に心配をかけたわけか。
 使徒は主の影響を強く受ける。
 主が傷つけばその反動が使徒にまで及ぶわけだから、セリーヌが生きていればセリカも生きている。
 それはすでにセリーヌとて知っているはずだが、そういう問題ではないのだろう。
 確かに私もアイドスやエクリアに何かあったと勘繰れば気が気でないからな。

 セリーヌはセリカにその場で待つように心話で伝えると、既に察して行動に移っていたリウイに事態を告げた。
 それを受けたリウイは一先ず進軍を止め、一度引き返して陣営からロープを取ってくることにしたようだ。

 正しい判断だと思う。
 無理をしても仕方がないし、流石に魔神三柱との戦いは厳しいものがあった。
 ここで取り合えず休憩を取り、改めて行軍を再開するのがいいだろう。

「……悪いリウイ、少し休ませて貰う」
「ああ、その代わり後で馬車馬の如く働いて貰うぞ」
「雇い主の言葉とあらば是非もないな」
「……いや、加減はしろよ」
「……一つ言っておくが、私はちゃんと残存魔力を考えて戦っている」
「では先の魔力切れは何だったんだ?」
「あれは……そんなことよりさっさとロープを取ってきたらどうだ」
「……誤魔化したな」

 胡散臭そうに見るリウイから顔を逸らし、私はエクリアの様子を窺った。
 傷の方はもう良さそうなのだが、何処となく苦笑いを浮かべている。
 ……まあ、仕方がない。確かに私がラーシェナとの戦いで必要以上に魔力を使ったのは事実だ。

 それからリウイは、これ以上私を追及しても得る物はないと判断したのか、モナルカを連れて本陣に踵を返した。
 イリーナを置いて行ったのは、おそらく大人数の場に居させた方が安全と判断したのだろう。
 素直ではないあいつは――

「お前まで戻る必要はない」

 ――などと言っていたが。

 カーリアンとペテレーネも置いて行った辺り、久しぶりに話をさせたかったというのもあるのかもしれない。

 



 リウイたちが戻ってくるまでの間、私は広場の瓦礫の一つに腰を降ろして、彼らの帰りを待っていた。
 セリカの無事を確認できたことで、やっと落ち着いたセリーヌ。
 エクリアが薄暗い廊下の先の様子を窺いに行き、戻って来たところで彼女は徐に口を開いた。

「……駄目ですね私は。こんなことで取り乱してしまうなんて」
「そんなことはない。私もアイドスやエクリアが同じ状況になったら動揺する」
「ルシファー様の場合は暴走しそうです」
「セ、セリーヌ……」
「え? あ……えーっとですね……」

 私は――何と言えばいいか迷い、

「……しない、とは言い切れない。実際に――いや、すまない。忘れてくれ」
『ルシファー……』

 馬鹿か、私は……。
 彼女たちに何を語り、無様な姿を晒しているのか。
 弱音など、私が口にすべきことではないというのに。
 つい言ってしまったのは、ここのところいろいろと考えることが多かったからなのだろうな……。

 ――この地に降りたころは、そんな恐怖とは無縁のはずだった。

 アイドスと旅をしていたころは、共にあることが当たり前で、喪うなどということを考えたこともなかった。
 それを意識するようになったのは、あのアビルースという魔術師にアイドスを狙われてから。
 大切なものを喪うかもしれないという戦慄。
 理不尽な喪失は決して遠い世界の話などではなく、身近なものだと自覚させられた。

『……大丈夫よ、ルシファー。私もエクリアも居なくなったりしないわ』
「ええ……だいたい私はルシファー様と約束しましたよ? ずっと側にいると」
「……そうだったな」
『そうよ。でも、それだけじゃない。そんな一方通行は私は御免です。貴方が辛い時は私が貴方を守る。エクリアだっている』
「……私だって守られてばかりいるのはお断りです。姫将軍の名は飾りではない」

 言い返すべき言葉が見つからなかった。
 弱くはないと思っていたが、まさかエクリアにまで言われるとはな。

「でも、ルシファー様が喪う恐怖を感じているように、私やアイドス様も貴方を喪うことが怖い」
『だから、無茶はしないで。貴方も完全無欠ではないのだから』
「っ……分かっている」

 ……ああ、そうだ。なぜ気付かなかったのか。

 例えどれほど愛し合っていたとしても、いつか必ず別れはくる。
 不完全だからこそ誰かを求めるこの身――古神である私にも、滅びは確かに存在するのだから。

 しかしそれは決して悲観的なことではない。
 いつか必ず別れることを知っているから、私は彼女たちに離れて欲しくないと思える。

 ――これほどまでに強い愛情を抱ける。

 だから別れを恐れることはあっても、それから逃避してはいけないのだ。
 死を恐れても、限りある生を恐れてはならないように……。
 それを覚えている限り、私が狂うことは決してない。
 ……きっと、そういうことなのだろう。

 困ったように笑うアイドスに気まずくなって、私はセリーヌに顔を向けた。

「セリーヌ、おそらくセリカも同じだ。お前がいなくなれば、あいつは大きな傷を負うことになる。
 だから、魔神である私が頼むのもどうかと思うのだが、できる限りあいつの側を離れないでやって欲しい」
「……ルシファー様」

 今頃地下でルナ=クリアと何をしているかは知らないが、間違いなくあいつはセリーヌを喪うことも恐れている。
 本来ならば、こんなことを言うのはあいつの保護者の役目なんだろうが、まあこれくらいなら私が言ってもいいだろう。

「何やら興味深い話をなさっていますね、お義兄様たちは」
「なっ! イリーナ、今何て言ったの!?」
「ですから、お義兄様と申し上げたんです、エクリア姉様」
「イリーナそれは違う! 私はルシファー様の使徒であって――」
「おや、とてもそれだけとは思えませんけど?」
「イリーナ、貴女は――ッ!」

 カーリアンと久方ぶりの会話を交わしていたらしいイリーナの乱入。
 エクリアが真っ赤になって彼女を説得している。
 セリーヌがそんな光景を見ながら笑い、護衛として従っていたペテレーネも笑いを堪え切れない様子でクスクスと微笑む。
 
 それは宮殿攻略の途中の束の間の休息だ。
 しかし、私にはそれが掛け替えのない物に思えてならなかった。



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