閃光が弾ける。

「――!」

 身を乗り出した勢いのまま、アキトの足は地面を踏みしめた。平衡感覚を失い、たたらを踏むアキト。

 倒れる事はなかったものの、アキトは蹲って額を押さえた。

 まるで今まで酷い頭痛にでもあっていたかの様に、頭の奥にじんじんと痛みの余韻が響いている。

「くぅ……」

 体中のナノマシンが荒れ狂っているかの様だ。

 復讐の合間にも何度か経験した、ナノマシン・スタンピード。活性化したナノマシンがアキトの命を削り取り、全ての感覚が掻き回され、外部の情報の 一切が遮断される。

 こうなるとまともに動く事すら出来なくなる。

 今はそれとは違うようだが、この感じはナノマシン・スタンピードに耐えた後の疲労感に似ていた。

 感覚はさほどの時間も掛からずに戻った。白に霞んだ世界が色を取り戻し、最初に視界に飛び込んできた物は――

「バッタ!?」

 アキトは驚きの声を上げていた。

 昆虫にも似た黄色の機械兵器。アキトは今にも彼に襲いかからんとしているコバッタの群に取り囲まれていた。

 

 

 キシャァ!

「くっ!?」

 ご丁寧に鳴き声まで挙げて飛び掛かって来たコバッタを躱し、アキトはリボルバーを引き抜いた。

 頭の中は未だに驚きに支配されているが、意思とは離れて身体が反応した。この2年間に死にもの狂いで叩き込んできた戦闘の手練は、アキトの身体に 染み込んでいたのだ。

 リボルバーを2連射。コバッタの頭部に38口径の小さな穴が二つ、綺麗に穿たれる。

 火花を上げて沈黙するコバッタ。だが無人兵器がそんな事で怯むわけがない。次々と飛び掛かってくる。

「ちっ!」

 アキトは滑り込むようにしてコバッタの体当たりをやり過ごすと、コンバット・ナイフでバッタの首筋を掻き切る。血の替わりに潤滑オイルが噴き出 し、動きを停止するコバッタ。首元は電子回線の集中している部分なのだ。

「何だって今更バッタなんかと……!」

 愚痴りながらもリボルバーの引き金を引く。アキトはユーチャリスに乗ってさんざんバッタを使っていたのだ。そのバッタと生身で戦うなど、何だか異 常に理不尽な気がしてくる。

 とはいえ、アキトがどう思っていようとコバッタが構ってくれるはずもない。

 一機一機は今のアキトにとってさしたる脅威でもないが、何しろ数が多い。手持ちの銃弾も数は少なく、このままではジリ貧だ。

(ジャンプで逃げるか……?)

 何故コバッタが自分に襲いかかってくるのか解らないが、このまま訳も分からず命を落とすわけにはいくまい。

 コバッタを踏み台に跳躍し、無人兵器の群から逃れるアキト。ボソンジャンプのためにはイメージングのための時間が必要なのだ。

 アキトは着地を決め、振り向きざまにベルトに差していた高性能手榴弾を投げつける。地面に落ちる前に爆発。数機のコバッタが爆炎に巻かれる。

 その爆音を背中で受け止めながら駆け出すアキト。その向かう先にある壁が、突如として砕けた。土煙の中から現れたるは、紫色の鋼鉄の巨人。

「エステバリス!」

 先ほどからアキトは驚いてばかりだ。

『下がって!』

 巨人はそれだけ告げると、ライフルの銃口を構えた。

 ガガガガガガガガガッ!

 口径35ミリの銃弾が嵐が、バッタの群を薙ぎ払う。きっかり10秒間の斉射で、20機ほどのコバッタが鉄くずへと変わった。

『大丈夫ですか?』

 呆然と立ちすくむアキトに、彼の知る物とは微妙に異なる形状をしたエステバリスが声を掛ける。

 アキトには応える術がなかった。何しろ状況がまったく解らない。

 何も答えないアキトを不審に思ったのだろう。エステバリスのハッチが開く。そのコクピットから身を乗り出したパイロットの姿を見て、今度こそアキ トは驚愕に身を固まらせた。

「あのー、大丈夫ですか?」

 そう心配げに尋ねてくる女性の顔をアキトは知っている。

 アキトが軍に徴発されるのを嫌ってナデシコAを下りようとした時、入れ違いにパイロットとして就任してきた宇宙軍パイロット。ボソンの閃光に消え た少女……

「?」

 彼女――イツキ・カザマは、アキトの気など知らずにハッチの上で小首を傾げていた。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERア ナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第4話

「気が付けば赤い星」



 

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ」

 とうとうハッチから下りてきたイツキに、アキトは漸く声を返した。応答がかなり怪しいが、正直まだ驚愕から抜け切っていない。

「そうですか、良かった……」

 ほっと息をつくイツキだった。本当に心配していたのだろう。これだけで彼女の人間性が窺える。

「このコロニーのシェルターに敵群が向かったのを知って、急いで駆け付けてきたんです。他のコロニーは……」

 イツキのおもてが翳りを帯びる。

 見渡せば、周囲は既に瓦礫の山となっている。生き残りはいないだろう。

「ここのシェルターの生き残りは貴方だけですか……」

 俯き、下を向くイツキ。アキトもまたそれにつられるように黙り込む。その二人の耳に、炎の燃え上がる音に混ざって微かな呻き声が聞こえた。

「「!」」

 二人の反応は早かった。すぐさま呻き声の元へと駆け付ける。そこには瓦礫の下敷きになっている女性の姿が。

「しっかり!」

「う……」

 女性はイツキの呼びかけにかすれた声を返す。その女性の顔を見て、再びアキトは動きを止めた。

「な……!」

 掠れた呻きが零れる。イツキにも届かない様な微かな声。

「まだ……生きてる……!」

 イツキの表情に輝きが宿る。手近にあった鉄のパイプを手にとって、瓦礫の隙間に差し込んだ。

「く……んんん〜……っ!」

 テコの原理を使って瓦礫をどけようと、精一杯力を込めるがびくともしない。顔を真っ赤にして踏ん張る彼女の後ろから、2本の逞しい腕が差し伸べら れた。

「どいていろ」

 ぶっきらぼうにそう言う黒衣の青年。イツキは今更ながらにその奇妙な出で立ちに気付いて瞳をぱちくりとさせたが、アキトはそれに構わず瓦礫に手を かける。

「むっ……!」

 背中の筋肉が盛り上がる。火星の後継者の研究所で受けていた実験により、アキトは常人を遥かに上回る筋力を得ていたのだ。

「ぐ……ああああああ……っ!」

 瓦礫がパラパラと粉塵をこぼしながら持ち上がる。どう見ても200キロはくだらない鉄筋コンクリートの固まりがせり上がってゆくのを、イツキは唖 然とした表情で見つめていた。

 ガコォン!

 完全にひっくり返った瓦礫の音にイツキは我に返った。すぐさま下敷きになっていた女性に応急処置を施す。

「……どうだ?」

「大丈夫です。命に別状はありません」

「そうか……」

 安堵の息が漏れる。イツキはこの青年が、見た目ほどに冷たい訳ではない事を知った。

「あの、ありがとうございました」

「何がだ」

「救助の手助けをして頂いて……私だけではどうにもなりませんでした」

「先に助けられたのは俺だ。気にする事はない」

「でも、私は軍人です。一般市民の皆さんを守るのが私の勤めです」

「俺は一般人とは言い難いがな……何にせよ、肩肘を張る事はないだろう。一人で守れる物などたかが知れている。他人の力を借りる事に恥じ入る必要は ない」

「そうですね……ありがとうございました」

「……気にするな」

 そっぽを向くアキト。照れているのかも知れない、そう思うとイツキは何だか可笑しかった。くすくすと笑いを漏らしてしまう。

「あの……私は連合宇宙軍火星駐留部隊所属テストパイロット、イツキ・カザマ軍曹です。よろしければお名前を聞かせて頂きたいんですけれど……」

「ああ、俺は……」

 言いかけたアキトだったが、そこで瓦礫の下敷きになっていた女性が意識を取り戻した。

「ぅ……あ……」

「大丈夫ですか!?」

 イツキの呼びかけに応えて、うっすらと目を開ける。

「う……わたし……」

「良かった……もう大丈夫です。すぐに手当を済ませますから」

「アイ……アイは……」

「アイ……?」

 恐らくはこの女性の知り合いなのだろうが、この場に彼女以外の生き残りの姿は見えない。その事を伝えるべきか否か、戸惑いを浮かべるイツキ。その 横からアキトが静かに告げた。

「大丈夫だ。貴女の娘は無事だ。だから今は安心して休んでいればいい」

「そう……よかった……アイ……」

 女性は安心した笑みを浮かべると、再び意識を失った。

「あっ!」

「心配いらん、気を失っただけだ」

 慌てるイツキに言う。安堵の息をつく彼女だが、ふと立ち湧いた疑問をアキトにぶつけた。

「あの、どうして娘さんだと分かったんですか?」

「……何となく、そんな気がしてな」

 それだけ応えて、アキトは女性をそっと抱き上げた。

「あの……?」

「こんな場所では満足な処置もできまい。取り敢えず何らかの施設の揃っている場所へ行くべきだろう」

「あ……そうですね」

「あのロボットに乗せていけばいい。後一人分くらいコクピットに乗れるスペースがあるだろう。さ、行け」

 素っ気なくそう言うアキトだ。イツキには、その態度が何となく不自然に感じられた。

「貴方は、どうするつもりなんですか……?」

「俺はここに残る」

「そんな!」

「大きな声を出すな。目を覚ましてしまうだろう。

 別に居残って死ぬつもりはない。少し忘れ物があるんでな。それを取ってくるだけだ。別にバッタに襲われたとしても、少数なら何とでもなるからな」

「バッタ?」

「あの黄色い機械兵器の事だ。何となく虫のバッタに似てるんでな、勝手にそう呼んでる。

 さ、行け。急がないとまた奴らが襲ってこないとも限らん。一般市民の救助は軍人の勤めなのだろう?」

 真顔でそう言ってくるアキト。忘れ物云々などどう考えても嘘に決まっているが、何故かその事に触れてはいけないような気がして、イツキは何も言え なくなった。

 促されるままに女性をコクピットに乗せ、コクピットのハッチで名も知らぬ黒衣の青年を振り返るイツキ。

「あの……!」

「……何だ」

「まだ……貴方の名前を聞いていません。……教えて下さい」

 それを聞いて、アキトの表情が少しだけ緩んだ。苦笑を浮かべたのかも知れない。

「……アキト。テンカワ・アキトだ」

「そうですか……ありがとうございました、アキトさん。……ご無事で」

 そう言い残してイツキの姿はコクピットへと消えた。走り去ってゆく紫のエステバリス。

 その姿を見送ったアキトは一つの確信を得た。

 

 

 自分は過去に来たのだ。

 


 

 第一次火星会戦。

 西暦2195年10月1日に端を発した、木星側宙域から現れた未確認艦隊――木星蜥蜴と、地球連合宇宙軍第一主力艦隊との間に交わされた一連の戦 闘をこう呼ぶ。

 この会戦において地球連合軍は、グラビティ・ブラストやディストーション・フィールドといった新技術を備えた木星蜥蜴の前に大敗、第一主力艦隊は ほぼ壊滅。更には敵大型兵器の侵攻を防ごうとした旗艦リアトリスの特攻により、火星における最大規模のコロニーであったユートピア・コロニーを壊滅させて しまうというミスを犯してしまう。

 窮地に追い込まれた地球連合軍は、地球防衛のために火星宙域の征宙権を放棄し、月宙域まで後退する事を決定する。

 これにより火星は陥落。以後1年半に及ぶまで、地球側の人間が火星の土を踏む事はなかった。

 

 

 アキトはこの時、ユートピア・コロニーの地下、僅かに生き残ったシェルターで地球連合軍撤退の報を聞いていた。

 そこで出会った少女――アイ。

 突然の木星蜥蜴の襲撃。アキトの特攻。爆発。そして、ボソンジャンプ。

 地球に跳んだアキトに、シェルターに生き残りがいたかどうかなど知るわけもない。

 だが、あの女性は生きていたのだ。

「アイちゃんの、お母さんか……」

 アキト自身、一度会った事があるというだけで、顔までは覚えてはいなかった。だが、意識の朦朧とした母親が、我が子以外の誰の名前を呼ぶというの だ?

 そしてあの少女、イツキ・カザマ。

 アキトは彼女の名前を知らない。一度言葉を交わした事があるだけだが、顔はしっかりと覚えている。彼女は自分の身代わりになって死んだようなもの だと思っていた。

 その少女が、生きている。

 彼女が火星駐留軍の一員で、第一次火星会戦の当時に火星にいたなどとは思いも寄らない事だった。火星からどうやって地球まで辿り着いたのかは知ら ないが、恐らくはシャトルか何かで脱出してきたのだろう。

「あの時に戻ったというのか……」

 何故、自分は過去に戻ってきたのか?

 考えられる理由は一つしかない。

「ボソンジャンプ、か……」

 あの時の、相転移エンジンの爆発による空間の歪みと、ジャンプ・システムの異常によるジャンプの急停止。

 これによりジャンプがアキトの意志を離れ、行き先のイメージを確定しないボソンジャンプ――所謂ランダム・ジャンプを引き起こしたのだ。

 まったく、この能力は何処までも自分について回る。

「良く無事だったもんだ……」

 アキトは他人事のように呟く。

 ランダム・ジャンプは行き先を確定していない故に、何処に出るか判らない。以前は2週間も時を遡ったりもした。それはまだいい方で、悪くすれば時 空の狭間に囚われて二度と抜け出せない可能性もあったのだ。

 安定したボソンジャンプのためには、高出力のディストーション・フィールドが欠かせない。ランダム・ジャンプの瞬間に、ユーチャリスのディストー ション・フィールドに包まれたのが良かったのだろうか……

(…………!!)

 そこまで考えてアキトは愕然とした。

「……ラピス!」

 ユーチャリスに乗っていたはずのラピスの姿がない。自分と一緒にランダム・ジャンプに巻き込まれた、薄桃色の髪の少女の姿がないのだ!

《ラピス! ラピス!》

 リンクを伝って呼びかけても返事はない。アキトの背筋を冷たい汗が伝う。

 バッタ達の攻撃に巻き込まれてしまったのか……? それとも崩れた壁の下敷きにでもなったのか……? そもそもランダム・ジャンプから出現すら出 来なかったのか……?

 過去に戻ってきてから急な事態の連続でろくに考える暇もなかったとはいえ、こんな大切な事を忘れていたとは……!

 アキトは胸に広がる絶望感に、その場に膝をついた。

「俺は……また守れなかったのか……! 一緒にいると約束したのに……一人にはしないと約束したのに……!」

 頬を、涙が伝う。

 自分はいつもそうだ。ユリカを守ると誓ったのに。ルリちゃんとずっと一緒だと約束したのに。結局言葉だけで、実現できたものなど一つとして存在し ないじゃないか……!

「ぐ……ぐぅぅぅぅ……うぐううぅぅぅぅう……!」

 アキトの嗚咽。

 堅いコンクリートを掻きむしった指先から血が流れ出る。爪は割れ、皮膚は破れ、それでもまだ足りない。心の痛みに比べれば、こんな痛みなど……!

 高ぶった感情に反応してナノマシンが活性化し、線状の光がアキトの肌を駆けめぐる。

 アキトは火星の後継者たちの手を逃れて以来、初めて涙を流した。

 

 

 しばしして、誰もいない地下シェルターの中に響いていた嗚咽の声が止まる。哀しみの涙もやがては枯れ果てるのだと思うと、何だか酷く理不尽な気が してくる。

 朧気にしか働かない思考でアキトは考えた。

 自分は過去に戻りやり直す機会を得た。自分の浅はかで身勝手な望み通りに。ラピスという足枷も、ルリやユリカという柵もなくなった。

 だが、これで全てが白紙に戻ったと言うのか……?

(……違う!!)

 ダン!

 感情にまかせて壁に拳を叩きつけるアキト。

 ルリに別れを告げたあの時、過去に戻って全てをやり直す事が出来れば……そう考えてしまった。

 その考えがランダム・ジャンプと重なり、通常のジャンプでは不可能だった、時間を超えるボソンジャンプを実現したのだ。

 全ては自分の身勝手な想いが引き起こしたのだ!

 アキトは自分のした事を覚えている。復讐に取り憑かれて幾多の命を奪った自分。命乞いをする者を薄ら笑いすら浮かべて嬲り殺した自分。

 この両手はもはや血塗れだ。いくら時を超えようと、染みついた血の色と硝煙の臭いは消えはしない。しないのだ。

「これからどうする……」

 望む望まざるに関わらず、自分は過去に戻ってきた。

 今なら自分一人でこの火星を脱出する術もある。このまま全てに見て見ぬ振りを決め込んで、何もかもなかったことにする事もできるだろう。だが……

(……そんな事が出来るか!)

 手を差し伸べれば、助けられる者達がいる。それだけで、アキトには充分だった。

 歴史の変革? そんなもの知った事か。

 火星会戦にて消えた火星出身者たち。A級ジャンパーと呼ばれ、火星の後継者達にモルモットとして扱われ死んでいった者たち。アキトと同じ故郷に生 まれ、同じ枷を背負い、アキトが助けられなかった者たち。

 何も出来ず、その死に様を見る度に、自分に力があれば……そう思った。

 その時渇望した力が、今この手にあるのだ。

「助けてみせる……どんな事をしてでも……!」

 アキトは決意を漲らせて立ち上がる。

 赤い星の大地の上で、アキトの孤独な戦いが幕を開けた。

 

 




押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


あさひさんへの感想はこちらの方へ

掲示板でも歓迎です♪



戻 る

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.