地球圏を脱出して一息ついたナデシコのブリッジに、ばつの悪そうな顔をして入ってきたのはジュンである。

 その後ろには、黒百合達パイロットの姿もある。

「ユリカ……その、ごめん」

「ううん、ジュン君は悪くないよ」

 ユリカは朗らかに笑う。

「ミスター、副長の処遇だが」

「はい、そうですな……もし副長に復帰していただけるなら、今回の件は不問という事で……艦長が宜しければ、ですが」

「はい、構いません。ユリカもジュン君が居てくれると嬉しいな♪」

「ユ、ユリカ……」

 ジュンのおもてにぱっと輝きが戻る。しかし、それもユリカの次の言葉が発せられる迄だった。

「それにしてもユリカのためを思って軍を抜けちゃうなんて……さっすがジュン君! 最高のお友達だね!」

「「「「「はぁ?」」」」」

 呆気にとられる一同。ミナトがおずおずと手を挙げて、

「あのー艦長、副長が何のためにあんな事したか、分かってる?」

「はい! 親友のユリカのためだよね、ジュン君♪」

「……艦長は、副長の事どう思ってるんですか?」

「え? ジュン君は大切なお友達だよ?」

 ユリカの返答に含むところは全く窺えない。混じりっけなしの本気でそう思っているらしかった。

 一同が何も言えなくなる中で、ユリカがぱっと黒百合を振り向いた。

「黒百合さん、これで作戦も終了したし、もうブリッジを出てもいいですよね?」

「あ? ああ、構わんと思うが……何故俺に訊く?」

「えー、だって黒百合さんがさっき駄目だって言ったんじゃないですかぁ」

「そ、そう言えばユリカ、何で着物なんか着てるんだい?」

 何とか復活したジュンが、口の端をひくひくさせながら訪ねる。

「うん、アキトに見せようと思って♪

 それじゃ、ナデシコは通常警戒態勢のままサツキミドリ2号へ向かいます。ミナトさん、よろしく!」

「え、ええ」

「それじゃ、ユリカは行って来まぁ〜っす」

 るんるんという擬音がぴったりと填りそうな浮かれ調子で、ユリカはブリッジを出ていった。

 声を掛ける暇もなく置き去りにされたジュンに、ブリッジ・クルーが次々に声を掛ける。

「副長も大変ねぇ」

「がんばって下さい。私、応援しますから」

「あの……その、気を落とさずに……」

「いいんです、慣れてますから……」

 るる〜っと涙を流すジュンの姿が哀愁を誘った。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第14話

「命題を問う」



 

「あ〜き〜とっ!」

「うわあっ! ユリカ、お前何で着物なんか着てんだよ!?」

 などという会話が某コックの部屋で交わされていた頃、艦長のいなくたったブリッジでは、今後の方針が打ち合わされていた。

「え〜、先ほど艦長が仰った通り、ナデシコは物資補給とパイロット補充のためにサツキミドリ2号へ向かいます」

「補充パイロットですか?」

「はい、サツキミドリ2号で機体の最終調整を行っています。エステバリスの宇宙用ゼロG戦フレームは、黒百合さんとイツキさん用にロール・アウトさ れた先行量産機が2機のみでしたが、これで予備も含めて全機、納入される事になります」

「へえ……どんな人たちなんですか?」

「まあ、それは着いてのお楽しみという事で。腕の方は保証いたしますよ」

 考えてみればパイロットの人員はまだしも、火星まで行こうという戦艦に無重力戦闘用の機動兵器が揃っていないというのは、かなり致命的ではある。

「本来であればナデシコ発進の前に揃っている手筈だったのですが、なにぶん木星蜥蜴の襲撃で出航が早まってしまいまして……

 そこで本題に移るのですが、サツキミドリ2号に向かう道中、相転移エンジンの全力稼働試験を行います」

「全力稼働試験?」

 首を傾げる一同。プロスはさもありなんと頷いた。

「先程述べた通り、ナデシコは木星蜥蜴の襲撃によって緊急発進を余儀なくされました。大気圏内での運行には問題は発生していませんが、なにぶん相転 移エンジンには運用実績がありません。

 そこで、本格的に長距離航行に乗り出す前に不具合箇所を洗い出すために、テストを行います」

「テストって、具体的にはどうするの?」

 ミナトが手を挙げて質問する。どうも出航時のやりとり以後、この方法が定着しているらしい。

「特に難しい事は御座いません。相転移エンジンの出力を最大まで上げて航行するだけです。

 当初にはこのテストの予定はなかったのですが、副提督――黒百合さんから提案がありまして。艦長と話し合った結果、実施する運びとなったのです よ」

「ふーん、そうなんだぁ……」

 黒百合はもう艦橋にはいない。ゼロG戦フレームの整備のために、イツキと一緒に格納庫へ向かっているはずである。

 ちなみに予定より早くナデシコに乗り込んでいたため、ヤマダ用のゼロG戦フレームは存在しない。それを用立てるには、サツキミドリ2号への到着を 待たねばならない。

「特に問題が発生しなければ、サツキミドリ2号への到着は予定よりもかなり早まりますが、その場合はコロニーでの自由時間に当てようかと考えていま すので」

「そうなんですか? やったぁ」

「試験は1時間後。それまでは通常勤務でお願いします」

 プロスが締めて、その場は解散となった。

 『何故艦長が直々に説明しないのか?』という疑問を誰も持たないあたり、皆ユリカの性格に慣れてきているようだった。

 

          ◆

 

「何故だ!? 何故俺のスペースガンガーが用意されてないんだぁ〜っ!!」

「やかましーんだよさっきから!」

 ごいん!

 ウリバタケの投げたスパナがものの見事にヤマダの頭を直撃する。

「おめーが乗ってるのはこっちの予定にゃぁ無かったの! だから当然、おめーのエステも本当はまだ用意する必要はなかったはずなんだよ! 勝手に こっちの仕事増やした奴が、でけぇ顔するなっての!」

「し、しかし博士!」

「だぁれが博士だ誰が! でーい、俺のエステちゃんに触るなーっ!」

 エステバリスの足下で漫才を始めた二人に、他の整備員達が『やれやれ、またか……』という視線を向ける。

 そんな喧噪には気付かず、黒百合とイツキはそれぞれのコクピットで黙々と機体の調整を行っていた。

 エステバリス・ゼロG戦フレームの特徴は、他の陸戦フレームや空戦フレームと違って、推進系を完全に反重力推進機関に切り替えた点にある。

 全身に姿勢制御用の重力放射器を備え、無重力下では抜群の機動性を誇っているが、その反面操作には熟練を要する。素人だったアキトが曲がりなりに も操縦できた陸戦フレームなどとは違う。

「……何をやっているんだ?」

 一足先に調整を終えてエステを降りた黒百合が見たのは、お互いの拳を相手の顔面にめり込ませてダブル・ノック・ダウンしている、ウリバタケとヤマ ダの姿だった。

「ふっ、なかなかいいパンチだったぜ、博士……」

「だから、誰が博士だ」

 むっくりと起きあがる二人。結構仲がいいのかも知れない。

「おう、黒百合。もう終わったのか、早ぇなぁ」

「……まあな。ところでセイヤさん、俺のエステについてなんだが」

「おう、何だ、言ってみな。大抵の改造は受け付けてんぞ」

 改良、と言わないあたりがウリバタケの真骨頂である。

「エステの反応速度が鈍い。考えてから動くまでに、若干のタイムラグを感じる。何とか改良できないか?」

「反応速度が鈍いぃ? って言われても、今んのが現状の最高速だぞ?」

 顔をしかめてウリバタケが言う。

 イメージ・フィードバック・システムの採用によって、エステバリスは破格のパイロットへの追従性を発揮する。これは、パイロットの体内に形成され たナノマシンの補助脳が、脳の指令を右手のコネクタを介して信号として直接機体へ伝達するためで、いわば『考えた通りに動く』という非常に便利な代物に なっているわけだ。

 だが、それはあくまで一般論である。何事にも例外というものは存在する。

 黒百合のI.F.S.レベルは通常のパイロットとは一線を画しているため、現状のシステムでは処理しきれずに『鈍い』という結果に終わってしま う。

「それなら、スラスターの出力を上げられないか?」

「それも今のままで最大限だよ。これ以上はパイロットの身体が保たねぇし、何より機体の耐久限度を超えちまう。いきなり空中でバラバラになっちまう ようなモンに、お前さんを乗せるわけにゃぁいかねぇからな。

 ただでさえ専用機って事で手を加えてんだぞ? これ以上性能を上げるには、フレームから設計し直さなけりゃ駄目だ」

「そうか……なら、武装の方なんだが――」

 二人の話が熱を帯びて来た頃、それに水を差すように格納庫の照明が明滅した。

「あん?」

 ウリバタケが天井を見上げる。ちかちかと照明が点滅を繰り返したのち、格納庫内に低い鳴動の音が響いて、相転移エンジンはその活動を停止した。

 

          ◆

 

「で、どうですか?」

『駄目だぁ〜。エンジン自体に問題はねぇが、制御回路の一部が焼き切れてやがる。こりゃあ部品の初期不良だな』

「直るまでにはどれくらいかかりますか?」

『ん〜、まあ、部品のとっかえだけだから……8時間ってとこか。ついでに他んトコもチェックしとくけどよ』

「分かりました。よろしくお願いします」

 ウィンドウの向こうのウリバタケはひらひらと手を振って請け負って、コミュニケは閉じた。

 相転移エンジンの全力稼働試験の結果、案の定というべきか、不具合はすぐに発見された。幸い部品の交換で済むものなのでさして致命的ではないが、 これが実戦の最中に起こったかも知れないと思うと、さすがに肝が冷える。

「やれやれ、早速問題が見つかるとは、黒百合さんの意見を聞いて正解でしたな」

 プロスが独りごちながら電子ソロバンを弾く。そこに出てきた金額に目をむいたあと、そっと安堵のため息をついた。

「サツキミドリ2号への到着時間には間に合いそうなのかい? ユリカ」

「うん、ほとんど問題ないと思うよジュン君」

「現在ナデシコは慣性航行中。8時間後に相転移エンジンの修理が完了後、直ちに全速航行に移れば、予定時間の10分前にサツキミドリ2号へ到着しま す」

 ルリがモニターに映した図解にユリカが頷く。

「うん、じゃあ問題は、万が一木星蜥蜴に襲われた時の対処だね」

「現在のディストーション・フィールドの稼働率は40%。グラビティ・ブラストのチャージ率も、常時の35%にまで落ち込んでいます」

「つまり、機動兵器だけが頼りって事か」

「そういう事」

 状況は決して良くはない。しかし、ユリカの表情に焦りは見られない。それは誰しも同様だ。

 クルーのほとんどが民間人で、未だ死線を体験した事がないというのも原因の一つだが、それ以上にパイロット二名への信頼が強い。

 出航時、百を超えるバッタを手玉に取った黒百合。チューリップを軽くあしらった《紫衣の聖女》ことイツキ。

 ここで約一名、機体の頭数が合わないため意図的に存在を忘れられているパイロットがいるが、名前は伏せておく。

 ともかく、この二人がいれば多少の無人兵器の襲撃など恐るるに足らない。

 それは事実だったが、現在のナデシコクルーの中で最も焦燥に駆られているのが黒百合である事を、ユリカはもちろん他の誰も気付いてはいなかった。

 


 

 ナデシコのセンサーに木星蜥蜴の機影が確認されたのは、相転移エンジンの修理も完了し、コロニー到着までの時間もあと僅かという頃だった。

 念のため、ということで第2級警戒態勢のまま航行していたのが、功を奏した結果となった。もちろんそれは黒百合の思惑の内でもある。

「敵母艦チューリップは見当たりません。進路はサツキミドリ2号へ向かっているようです。数はおよそ五千」

「五千も……」

 その呟きは誰のものだったのか。これまでの木星蜥蜴の襲撃とは、文字通り桁が一つ違っている。

「プロスさん、サツキミドリ2号の護衛戦力はどうなっているんですか?」

「そうですな、サツキミドリ2号には最終調整をしているエステバリスがありますが……現在、パイロットは数名しかいないはずです」

「そうですか……」

 状況は芳しくない。数機の機動兵器だけでは五千ものバッタの襲撃に耐えられるはずもない。ナデシコが合流できれば別だが、相転移エンジンの修理も 終わったばかりで、正直不安が残る。それに、バッタ達がサツキミドリ2号に辿り着く予想時間には、僅かながら間に合わない。

「……どうする? ユリカ」

 ユリカは目を瞑って、じっと動かない。それが彼女の戦術を考える時の癖である事を知っているジュンは、あえて先を促した。

 何故なら、この仕草の後に生み出される奇術のような戦術の数々を、士官学校時代に目の当たりにしてきたのだから。今このナデシコの中で、ユリカを 最も信頼しているのは間違いなくジュンだった。

 そして、彼女は決断した。

「……行きましょう。助けられるかも知れない人たちを放っておく訳には行きません!」

「ふむ。ですが、このままでは予想される襲撃時間には間に合いません」

「はい。ですので、もう一度相転移エンジンの出力を最大まで上げて進みます。安全限度ではなく危険限度ギリギリまでです。今度はテストじゃありませ ん。

 整備班の皆さんは万全の体勢を保って相転移エンジンの管理に当たって下さい」

『おうよ、任しときな! 今度は問題が発生する事なんかねぇからよ!』

「ミナトさん、進路そのまま、最大船速でお願いします」

「はぁ〜い」

「ルリちゃんは、他に木星蜥蜴さんの機影がないかどうか、策敵の方をお願い」

「了解」

「メグちゃんはサツキミドリ2号に連絡を。小隕石帯の所為で繋がり難いとは思うけど、応答があるまで呼びかけを続けて。繋がったら私が対応しますの で中央モニターに回して下さい」

「はい、分かりました」

 ユリカが普段の態度とは見違えたようにきびきびと指示を下す。それに応えるクルー達も、打てば響く鐘のような返事を返してくる。

 ナデシコの志気は、確かに高まっていた。『人を救う』という目的が、明確な形を成して目の前に現れたからである。

 プロスは活気に満ちてきたブリッジを眺め、満足そうに頷いた。

 もちろん社員であるナデシコクルー達にはネルガルの利益を守る義務があるわけで、本来はサツキミドリ2号へ行かないという選択肢はなかった。

 それでもプロスが敢えて艦長に選択を任せたのは、ユリカに正しく艦長の資質がある事を、すべてのクルーに知らしめるためである。その目論見は果た されたといって良い。

 がっちりと歯車が噛み合い、動き出したナデシコ。

(さて、後は頼みましたよ、黒百合さん)

 プロスは眼鏡を押し上げ、人知れずキラリと光らせた。

 

          ◆

 

「おらおら、ちんたらやってんじゃねーぞぉっ!」

 スクランブルが発せられ、ここ格納庫も慌ただしさを増した。

 ウリバタケの檄が飛ぶ。整備班が汗水垂らして駆けずり回る。その喧噪に包まれ、黒百合はエステバリスのコクピットで瞑目していた。

 正直、相転移エンジンにトラブルが発生したと聞いた時は焦った。しかし黒百合の胸の裡とは裏腹に、艦内の誰もが危機感を持ってはいなかった。イツ キさえもだ。

 それは当然の事ではある。サツキミドリ2号に到着したあとの休暇の時間が無くなってしまったのは残念ではあるが、だからといって焦る理由にはなら ない。

 その時点で、サツキミドリ2号に木星蜥蜴の襲撃がある事を知っているのは黒百合だけなのだ。彼はその事を他の誰にも教えていないし、仮に教えたと しても正気を疑われるだろう。

 今回の全力稼働試験にしても、サツキミドリ2号への到着を早めて、木星蜥蜴の襲撃を未然に防ごうという目論見からの提案である。

 プロスの疑念も誘わずに事は上手く運び、木星蜥蜴への対策のためにウリバタケと話し込んでいたところに、相転移エンジンのトラブルである。これは 『前回』にはなかった事だ。

 幸い、策敵範囲を広げるという提案が採用されたおかげで、先んじて敵影を捕らえる事が出来たし、予想される木星蜥蜴の襲撃時間にはギリギリだが間 に合いそうではある。

 しかし、未然に打っていた手はすべて徒労と化し、後は何も手持ちの札がないところで勝負をしなければならない。また何かトラブルが起きれば、状況 はまたひっくり返ってしまう。

 黒百合は疑念を抱く。

 歴史は変えられないのか? 『前回』の歴史の通り、死ぬべき者は死すべき運命にあるのだろうか? それを回避する術は、何処にもないのだろうか。

 ならば。

 サツキミドリ2号の人たちは必ず死ななければならないのか。

 ムネタケ達を逃した事によって死を免れたガイも、いずれは戦いの中で果てゆく定めなのか。

 イツキはテツジンのジャンプに巻き込まれて死に逝く運命なのか。

 いや、違う。違うはずだ。

 仮にそうだとしても、絶対に認めるわけには行かない。そんな運命など否定してみせる。己のすべてを賭けてでも。

 これから始まる戦いは、ナデシコ初の宇宙空間戦闘という意味を持つだけではない。黒百合は、己の戦う意味を問われている。

 果たして、歴史は変わるのか。それが黒百合に課せられた――黒百合自身が課した命題である。

『エステバリス隊、発進して下さい!』

 戦闘開始を告げるユリカの声。

 パイロットの黒百合に呼応するようにメインカメラに明かりが点り、漆黒の巨人が動き出した。

 


 

 ナデシコからサツキミドリ2号にもたらされた報告は、コロニーの職員をいたく動揺させた。特に上役達は何とか自分の助かる術を見出そうと、それぞ れが勝手に方策を打ち出し、部下達を酷く混乱させた。

 そんな混沌とした状況の中、いち早く己のすべき事を見定めたのは、機動兵器のパイロット達である。

 サツキミドリ2号には、ナデシコに合流予定だった者を含め、七名のパイロットが詰めていた。しかし、その内の過半数は、実戦経験のないテスト・パ イロット。逃げだそうとはしない心意気は買うが、ほとんど戦力としては考えられない。

 自分たち三人だけで、五千近い無人兵器を相手にしなければならない。己の胸の内に沸き上がる畏れを誤魔化すように、リョーコは悪態をついた。

「ったく、オレ達だけでバッタどもを相手しろってんだから、ネルガルも人使いが荒ーぜ」

『まあ、しょーがないっしょ。あの人達が戦闘で役に立つ訳じゃないし』

『ナデシコがこの宙域に向かっているそうよ……それまで粘れるかがポイントね…………納豆みたいに』

 イズミの寒いギャグはいつものように聞き流して、ヒカルに問いかけるリョーコ。

「んで、ナデシコが来るまでどれくらいだって?」

『んーっとねぇ、10分くらい?』

『外れ、15分よ……』

 イズミがぼそっと呟く。

「15分か……まあ、なんとかならねぇ事もねぇ、か?」

 ナデシコが到着しさえすれば、搭載している機動兵器も戦力に加わるし、何よりナデシコの主砲グラビティ・ブラストは地球側で最大の威力を持ってい る。

 問題はイズミの言った通り、ナデシコ到着までバッタの猛攻を凌ぎきれるかどうか、だ。

「へっ、おいでなすったな……」

 もう既に、雲霞の如きバッタの群がモニターで視認できる。

「おっしゃ、行くぜ!」

 気合いを入れて、コンソールを握る。赤のエステバリスが手に持ったラピッド・ライフルをバッタの群へと向け――

 ぽっと花火が咲いた。

「あん?」

 リョーコが戸惑いの表情を浮かべる。まだライフルの引き金は引いていない。コミュニケの向こうにいる同僚二人に視線を向けるが、共に首を横に振っ た。

『あたしじゃないよー』

『他にも誰も撃っていないわ。まだ射程外だから……意外だけど』

 リョーコ達が話している間にも、花火の数は連鎖するように増えていく。絶え間なく続くバッタの爆発が光となって、戸惑うリョーコ達を照らした。

 その輝きの中に見える漆黒の影。

「ありゃぁ……エステバリス?」

 困惑気味にリョーコが呟いた。

 

          ◆

 

 黒百合の機体が戦場を駆け抜ける。

 エステバリス・ゼロG戦重武装フレーム。無重力下での制圧戦闘を目的とした機体で、砲戦フレームに次ぐ火力を誇る。

 ナデシコから先行するために取り付けた重槽をパージせず、そのままブースターとして使用する事で、異常なまでの機動力を発揮していた。無論リミッ ターは解除してある。

 もちろん、そんな使い方をして機体に無理が出ないはずがない。旋回するごとに凄まじいGが機体と黒百合を襲う。

 そんな殺人的な加速度に晒されながらも、黒百合の表情は動かない。

 ラピッド・ライフルとレール・カノンを両手に構え、全方位から襲いかかってくる無人兵器達を、いともたやすく捌いている。

 ライフルが火を噴く度にバッタが火球に変わり、電磁レールから射出される弾丸が黄色い装甲に穴を穿つ。

 その黒百合を後方から援護する紫のエステバリス。正確な射撃で効率よく戦果を上げている。

 しばし動きの無かったサツキミドリからの機動兵器も、我を取り戻したように機動を再開した。中でも特に赤・黄・緑の3機のエステの動きが冴えてい る。

(これなら、何とか保つかしら……)

 標準を合わせながら、イツキは心の中で呟く。

 彼我戦力比は9対5000。本来なら絶望的な数字であるはずなのだが、彼女は全く危機感を感じていない。むしろ感じるのは安堵感――自分の背中を 守っている者に対する信頼がそうさせているのだ。

 黒百合の戦闘は、火星でのものも含めて幾度か傍らで眺めてきた。だが、今日の黒百合の動きはいつもに増して冴えを見せているように思える。

 重武装フレームは武装が強化されている分やや機動力に劣るはずなのだが、そんな様子は微塵も見えない。もちろん、黒百合が機体の安全装置を解除し たなどという事に、彼女が気付くはずもない。

 イツキの見守る中、黒百合の漆黒のエステは弾丸の尽きたレール・カノンを戻し、腰に差してあるブレードを引き抜いた。手頃なバッタを斬撃で斬り裂 き、銃弾を叩き込み、脚で蹴り飛ばす。

 やがて弾も尽きたのか、ライフルを放り出して両手にブレードを下げて、バッタの群に突撃した。

「黒百合さん!? 何を――」

 イツキが声を掛ける暇もあればこそ。

 黒百合の機体の通り過ぎた後に幾つもの爆発の花が咲く。ディストーション・フィールドによる高速度攻撃。回転を加味する事でさながらドリルの様に 敵陣に穴を穿つ。

 中央突破を果たした黒百合の機体は回頭してさらに再突撃。敵戦力の4%程を一気に撃破した。

 流石にこれにはイツキも、驚くより先に呆れた。

「な、何だか無茶苦茶ですね」

 たらりと汗を流す。だが何となく納得してしまう辺り、イツキもナデシコに馴染んできたのかも知れない。

 気を取り直して敵に意識を向けたところで、

『みなさん、お待たせしました〜!』

 ユリカの顔アップがコクピットに出現した。

 

 

「グラビティ・ブラスト、チャージ完了」

「エステバリス隊、射線上より退避して下さい」

 メグミの呼びかけに応えるように、エステバリスが散開していく。その間隙に標準を合わせ、ナデシコの主砲が火を噴く。

「グラビティ・ブラスト、発射!」

 重力波が戦場を貫き、バッタ達を蹂躙する。

「敵戦力、50%消滅」

「よ〜し、じゃんじゃん行っちゃって下さい!」

「グラビティ・ブラスト、続けて発射します」

 ルリの言葉と共に発射されたグラビティ・ブラストが、残りの4割ほどを吹き飛ばす。

 真空をより位相の低い真空へと転移させることによってエネルギーを得る相転移エンジンは、大気圏内と違ってその能力を十分に発揮する。あらかじめ チャージしておけば、グラビティ・ブラストの連射も可能である。

「ウリバタケさーん、相転移エンジンの調子はどうですか?」

『おーう艦長、エンジンに異常は無し! 心配ねーぞぉ』

「そうですか」

『艦長! 俺の、俺の出番は無いのかぁ〜っ!?』

『だからぁ、おめーの乗るゼロG戦フレームはまだ無いの!』

「ところでヤマダさん、何で縛られてるんです?」

『俺の名前はダイゴウジ・ガイだぁ〜』

 喚くヤマダ。勝手に空戦フレームに乗って出撃しようとしたところを整備班に取り押さえられ、現在はタラップの柱に縄で括り付けられている。

 そんな馬鹿な事を話している間に、戦況は終息していた。ルリの報告が入る。

「敵戦力、全滅しました。コロニーへの被害は3%。エステバリス隊、全機健在です」

「いやいや、少ない被害で何よりですな」

 ソロバンを弾きながら、プロス。

「ナデシコはサツキミドリ2号に入港します。メグちゃん、通信を開いて」

 

          ◆

 

 サツキミドリ2号への入港したナデシコを待っていたのは、新しい仲間達である。

 エステバリスから降りたスバル・リョーコ、アマノ・ヒカル、マキ・イズミの三人がクルー達に捕まり、今は格納庫のお立ち台に立って自己紹介をして いる。

 三人娘が何かしゃべる度に沸き立つ整備班達。その熱狂ぶりを遠目に見やっている黒百合に、イツキが声を掛けてきた。

「行かないんですか?」

「別に……必要ないだろう。後で嫌でも顔を合わせる事になるんだからな」

 今はあの輪の中に加わる気にはなれない。

 サツキミドリ2号は助かった。しかし、それが後の歴史にどう影響を与えるかは分からない。

 それに、これからの事もある。助けられる者は出来るだけ助けたいが、事象のすべてに自分の力が及ぶわけではない。自分一人の力などたかが知れてい る。

 今回はたまたま上手くいったが、次回もこう行くとは限らない。未来を知っている事が必ずしも有利に働く訳ではないという事が、今回の件でよく分 かった。思わぬ事態で足下を掬われる事のないよう、これから地盤をしっかりと固めていかなければならない。

 考えねばならない事は多い。

「……黒百合さん?」

「いや、何でもない。イツキは行かなくてもいいのか?」

「いえ。後で、顔を合わせる事になる訳ですし」

「……俺に合わせる事はないんだぞ」

「別に……そういう訳ではないです」

 澄ましてそう言うイツキに、黒百合は苦笑を浮かべた。

 

 

 サツキミドリ2号での一時の休息の後、ナデシコは火星への航海へと出発する。

 

 



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