現在、ナデシコ・クルーは半数が休暇中となっていた。

 エリナから通達のあった1週間のボーナス休暇だが、その間、改修中とはいえナデシコを完全に空にするわけにも行かなかったのだ。

 休暇中のクルー達は、そのほとんどは実家へ帰省中である。数少ない例外――メグミやウリバタケのように家に帰りたがらない者や、アキトやウツホの ように帰る家のない者――だけが、休暇中もナデシコの自室の中で暇を持て余している。

 とはいえ、自室でごろ寝をしていても不健康なだけで、買い物の為に外に出るのは、ちょうどいい暇つぶしと言えるだろう。たとえ、仕事がどれほど好 きなのだとしても、だ。

「そう、何も問題は無いのよ」

 サユリは口に出してはそう認めつつも、心の中で釈然としないがある事を、渋々ながら自覚していた。

「ええそう、別にアキトさんが休暇をどう利用しようと自由なわけだし? ましてや黒百合さんに誘われて、イツキさんやミナトさんと一緒にショッピン グに行ったって、何の問題もないのよ。今日なんか休みの日だっていうのに、申し訳ないからって朝の仕込みを手伝ってくれたし、そういう優しいところはいい かなって思うけど、別に私の彼氏って訳でもないし。どうせなら同じ職場のよしみで食事に誘ってくれるくらいの甲斐性があってもいいかなとは思うけど、それ は期待するだけ無駄だって言うのは身に染みて分かっているし? ええ、だから今の状況は予想通りだから何の問題も……」

「…………サユリさーん」

 恐る恐ると言った感じで、先程から延々と独り言を漏らしているサユリに、ウツホが声を掛けた。

 ぴたり、と言葉を途切れさせて、サユリがウツホの方を向くと、彼女はさあっと顔を蒼白にさせて顔を逸らした。

「どうして眼を逸らすの」

「だってサユリさん、さっきから怖いですよう」

 トレイを楯のように掲げて、ウツホが言う。ハルミも同じように、食器棚の陰に隠れてこちらを窺っていた。

 それを見て、はあっと盛大なため息を漏らすサユリ。

「……私、そんなに怖い顔してた?」

「ええ、そりゃあもう。今時山姥やなまはげだってこんな顔はしてないってくらい」

 ウツホの喩えが気になりはしたが、サユリは自分の非を素直に認めた。

「そっか……ごめんなさい。今日はどうも朝から何だかイライラしちゃって」

「ええ、それは見てれば分かりますけどぉ」

「って言うか、そんなにテンカワさんの事が気になるんだったら、サユリさんも付いて行けばよかったのに」

「そういう訳にもいかないでしょ。ナデシコ食堂はただでさえ人手不足なんだから」

 ホウメイガールズのうち、ウエムラ・エリとサトウ・ミカコ、ミズハラ・ジュンコは帰省中で厨房を留守にしている。アキトは休みを取ったため、今日 は三人だけでホウメイのサポートをしなければならないのだ。

「……サユリさん、テンカワさんにするならテンカワさんにするで、早めに手を打っておかないと、取り返しのつかない事になるわよ?」

「ど、どういう意味なの? ハルミ」

「何しろ、あの艦長が居るんだし……それに、テンカワさんって結構優柔不断そうだから」

「それは確かに……」

「まあ、追われると逃げたくなるタイプみたいだから艦長の行動はむしろ逆効果だし、そういう意味ではサユリさんの選択は間違ってないけど」

「でもぉ、サユリさんって結構さりげないアプローチしてますけど、アキトは全然気付いてないですよぉ?」

「問題はそれなのよねぇ。そうすると、どうすればいいのかしら?」

「むしろ直球勝負の方がいいんじゃないですかぁ? 人気のないところに呼び出して、健気な想いを打ち明けるとか。アキトってその場のムードに流され そうだし。取り敢えず既成事実を作っちゃえば、責任感も強いから逃げ出したりはしませんよぅ。後はじっくり外堀を埋めていけば……」

「ウ、ウツホちゃん。表現が露骨すぎるわ……でも、あながち外れじゃないわね」

「ですねぇ」

「どう? サユリさん」

「どうって……当人を目の前にして勝手に盛り上がらないでよ……」

 顔を手で覆ってサユリが力無く呻く。もう抗弁する気力もないようだ。

「でも、今のままだと絶対に進展しないと思うわ。近くにいるのに見て貰えないっていう、副長みたいに情けない事にはなりたくないでしょ?」

「……あのー」

 カウンターの向こうから気まずそうに声を掛けられ、顔を向けると。

 其処には、副長であるところのアオイ・ジュンが、顔を引きつらせて立っていた。

「ふ、副長!?」

「……注文、いいかな?」

 後じさりするハルミ。周囲を見渡しても、あとの二人はとっくにいなくなっていた。逃げられない!

 口元をジュンそっくりに引きつらせ、油の切れたロボットみたいなぎこちない動作で聞き返した。

「ふ、副長……聞いてました?」

「は、はは……まあ、だいたい……」

「そ、そうですか……」

 それだけしか言えず、ハルミは黙り込んでしまった。

 気まずい沈黙を破ったのはジュンの方だった。あるいは沈黙に耐えかねたのかも知れないが。

「えーっと、ナデシコ定食、お願いしたいんだけど」

「えっ、あ、はい!」

 慌てて食券を受け取り、厨房へと駆け戻っていく。定食は数が出るため下ごしらえも済んでおり、ただ盛りつけるだけだ。すぐにウツホがトレイに食事 を乗せてハルミへと渡す。その間、ウツホもサユリも露骨に視線を逸らせて、助け船を出してくれそうにはなかった。

 諦めて、ハルミがトレイを持っていく。

「……ナデシコ定食、お待たせしました」

「うん、ありがとう」

 ジュンは礼を言ってトレイを受け取り、そのまま箸を割って手を合わせた。おもむろに食事を始めたジュンに、かえってハルミが戸惑ってしまった。

「あのー、副長」

「うん、なに、タナカさん」

「え!? あ、あの、私の名前、知ってるんですか?」

「うん、まあ……これでも僕は副長だし、だいたいのクルーの顔と名前は覚えてるよ」

「そうなんですか……あ、あの、怒ってないんですか? 私、失礼なこと言っちゃったのに……」

「怒ってるよ」

 変わらぬ口調で――何でもないようにジュンは言う。が、ハルミはその言葉にびくりと肩を震わせた。

 迫力があるわけでも、凄みがあるわけでもない。だが、ジュンの言葉にはそれらを上回る何かが込められていた。本人は、ただ頭を掻いて困ったように 笑っている。

「怒ってるけど……まあ、しょうがないかなって。僕も、情けないなぁって思ってたしね。ユリカが僕を見てないのには……ずっと前から気付いていたか ら」

 ジュンの顔をかすめた翳は、それが幻かと思うくらいの一瞬で消えてなくなった。

「あ、あの……」

「あ、ご免ご免。こんな事言われても困っちゃうよね。ともかく、僕は気にしてないから、タナカさんも気にする事は無いよ」

「はい……」

 優しい口調でそう言われて、ハルミは頷いてその場を後にする事しか出来なかった。

 

 

 とぼとぼと厨房に戻ってきたハルミに、サユリが駆け寄ってきた。

「……ハルミ?」

「え、何、サユリさん」

「な、何だか随分元気がないけど、副長にそんなにきつい事言われたの?」

「え……まあ、怒られるよりもきついって言うか、自己嫌悪を誘われるって言うか……」

「大丈夫? 何だったら、私が副長に言ってきてあげようか?」

「だ、駄目!」

 いきなり声を荒らげて、ハルミはサユリの手を掴んだ。

「絶対駄目! これは、私が悪いんだから……」

「え、ええ」

 びっくりして、サユリは目を丸くした。こんなに深刻そうな彼女を見るのは初めてだった。

 それきり黙り込んでしまったハルミはその日、笑顔をどこかに置き忘れてしまったかのように消沈していた。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第27話

「モラトリアムV」



 

 黒百合と一緒にいたのは、ラピスとアサミ、それにミナトとメグミである。

 アサミのファンから逃れるために、裏路地の方へ回り込んだ後に表通りへ戻ってきたのが悪かったらしい。いつの間にか、アキトやイツキ達と離れ離れ になってしまった。

「はぐれたか……」

「あらまあ、困ったわねぇ。どうしよっか」

 どことなくよそよそしげにミナトが言う。

「一応、居場所はコミュニケで調べられる」

「え、そうなの?」

「ああ。オモイカネにアクセスできればな。つまり、ラピスかルリちゃんがナデシコのオペレーター・シートに座っている必要があるんだが」

「じゃあ、つまり……」

「ああ、つまり、調べる術はないという事だ。さて、どうするか……」

 顎に手を当てて考え込む仕草をする黒百合。

「みんなで手分けして捜してみたらどうですか?」

「あまり上手い手じゃないな。悪くすれば二重三重で迷う可能性もある」

「コミュニケで呼びかけるっていうのは」

「ナデシコの動力がダウンしているからな。コミュニケはオモイカネが正常に働いている状態でないと、著しく機能が低下する。こちらからは繋がらない だろう」

「でも、アキト君もイツキちゃんもカイト君も、別に子供っていう訳じゃないし。そんなに心配いらないんじゃないの?」

「あ、でも、ミナトさん。ルリちゃんがいますよ?」

「うーん、ルリルリもまあ、大丈夫だとは思うんだけど。確か、アキト君が手を引いてたかしら」

「まあ、ここで立っていても解決しないのは確かだな。取り敢えず辺りを歩いて捜してみよう。見つからなくても、日が沈めばナデシコに戻るだろう」

「そうね、じゃあ、取り敢えず先にお昼にしない?」

「あ、そういえばもうそんな時間ですね」

 メグミが手元の時計を見る。

「じゃ、行きましょっか、黒百合さん……って、ねえ、いつまでアサミちゃんの手を握ってるの?」

「ん?」

 ミナトにジト目で言われて、黒百合は初めてアサミの手を掴んだままでいる事に気が付いた。

「ああ、済まなかったな」

「い、いえ……」

「さ、行きましょ!」

「いや、ちょっと待て。その前に……」

 ミナトのかけ声を遮ると、黒百合はアサミを見た。視線を向けられて、彼女はどもりながら、

「な、何か?」

「変装、し直さなければならないだろう。また、先程のような事になるぞ」

「「「……あ」」」

 その場にいる、黒百合とラピス以外の声が揃った。

 


 

「はい、お待たせ、イツキ」

「ありがとう、カイト」

 ヨコスカ・シティの海岸縁の公園にて。

 路上のクレープ・ショップから買ってきたチョコバナナクレープを、カイトがイツキへ手渡した。それを受け取ったイツキは、生地から頭を出している バナナを一口囓る。

「ん、おいし」

「うん、この甘さが何とも」

 生チョコクレープを満面の笑みで頬張るカイト。彼が実はかなりの甘党である事を、訓練学校の同期の中ではイツキだけが知っている。

「ちょっと見回してみたけど、みんな公園には来てないみたいだね」

「そう……」

「心配する事は無いんじゃない? みんな、別に子供な訳じゃないんだからさ。あ、ラピスちゃんとルリちゃんはまだ子供か」

「アサミだってまだ13歳よ?」

「でも、彼女はもう一人前に働いてるしさ……って、それを言ったらルリちゃんやラピスちゃんもそうか。んー、でも、二人とも結構特殊な例だし」

 あっという間にクレープを平らげ、くしゃっと丸めた包みをくずかごに投げ捨ててから、カイトは続ける。

「ともかく、そこいらの同年代の子と一緒にするのは、失礼ってもんじゃないかな」

「そう……なのかしらね。私にとっては、まだまだ手の掛かる妹のつもりだったんだけど。ついこの間までは、お姉ちゃんお姉ちゃんって、私の後を付い て回ってたのよ?」

「思春期の女の子は、成長が早いからねぇ」

「そういう問題なのかしら……」

 イツキは首を傾げたが、カイトはまったく気にしていないようだ。

「細かい事は気にしない。せっかくのお出掛けなんだしさ。どうせなら楽しく行こう」

「ふふ、そうね」

 おどけるカイトにつられてイツキも笑みを漏らす。と、カイトが突然声を上げた。

「あっ、イツキ、ちょっと」

「え?」

 いきなり手を引かれて、公園の案内掲示板の裏に隠れるような形になる。

「どうしたの?」

「イツキ、ちょっと屈んでくれる?」

「え? いいけど……」

 素直にイツキが従うと、カイトは彼女の頭をさっと手で払った。

「どうしたの?」

「いや、イツキの頭の上に、何か乗ってるみたいだったから。毛虫かと思って」

「けっ、毛虫!?」

 ばばばっ! と自分の頭を両手ではたくイツキに、カイトが笑いながら、

「あ、大丈夫大丈夫。ただの糸くずみたいだったから」

「そ、そうなの? カイトったら、驚かせないでよ」

「ははは、ごめんごめん」

 頬を膨らませるイツキと、それを見て笑い声を上げるカイト。端から見れば、恋人同士がじゃれ合っているように見えただろう。だが、実状はそうでは ない事を、誰よりもカイトがよく知っていた。

「さて、イツキ、ちょっと歩かない?」

「え? でも、そろそろアサミ達を捜さないと。ヴェルニー公園にはいなかったんでしょう?」

「うん、誰か来てないかなと思ったんだけどね。でも、まあいいじゃない。せっかくのお出掛けなんだし、さ」

 カイトはそういって、持ち前の人なつっこい笑みを浮かべた。

 

          ◆

 

 自分が訓練学校に転入してきた日。右も左も分からず、ただおろおろしていた自分に声を掛けてきたのが彼女だった。

『どうしたの? こんな所で立ったままで』

『あ、いや……』

『あ、もしかして、今度学校に途中転入してくるヤマモト・カイトって、貴方?』

『え、そうだけど。何で僕の名前を?』

『やっぱりそうなんだ。ヤガタ教官がね、言ってたのよ。今度、ナラシノ訓練所で実技も含めて全科目トップの秀才が編入してくるから、その人にトップ をさらわれないようにしておけ、って。こわーい顔して、ね。』

『へえ、そうなんだ。やっぱり、何処でも教官がしかめっ面してるってのは変わらないね』

『そうかも。でも貴方も、教官に会えばすぐ分かるわ。鬼の面みたいな顔をしてる教官がそうだから。たぶん、転入手続きが終わったらすぐ会う事になる と思うわ……って、私がそんな事いってたなんて、ヤガタ教官には内緒よ?』

『ははは、分かった、黙っておくよ。え〜っと……』

『あ、私はイツキ。イツキ・カザマよ。貴方の事はなんて呼べばいいかしら』

『僕の事はカイトって呼んで。よろしく、イツキ』

『よろしくね、カイト』

 握手を交わして、彼女は華のように微笑んだ。

 ――思えば、自分がイツキに惹かれたのはその時が最初だったのだろう。同じ教室に配属され、イツキとグループを組んでいたクロウやカズマサ達とも 親しくなり、やがて常に行動を共にするようになった。

 はっきりと想いを自覚するようになったのは、卒業を控えての秋の頃だった。

 配属先の話も出始め、イツキと離れ離れになるかも知れないという不安を抱えて、夜も録に眠れなかった。配属先が同じ火星駐屯地への出向だと知った とき、カイトは誰もいない裏庭で、喜びの声を上げて飛び上がっていた。何故かカズマサとシンヤはそれを知っており、後で散々からかわれた上に口止め料とし て昼飯を奢らされた。

 結局、話好きのカズマサからガール・フレンドの(本人達は否定しているが)ジェシカへと伝わり、彼女から本人であるイツキ以外には知れ渡ってし まったのだが。

 最終的には配属先は別れてしまい、想いを告げるタイミングを逸したまま、第一次火星会戦を迎える……

「そういえば、初めてイツキに会ってから、もう4年近くになるんだね」

「そう……もう、そんなに経つのね」

 黒船来航200年を記念してヴェルニー公園に建てられた展望台を共に歩きながら、カイトは傍らのイツキにささやく。その頃を懐古して、イツキは遠 い目で海を眺めやった。

「あの時は確か、カイトは事務室の場所が分からなかったのよね」

「そうなんだよね。それでさ、人に聞こうにもみんな忙しそうにしていて構ってくれなかったし、途方に暮れてたんだよ」

「あの時はちょうど、中期試験の真っ最中だったんだもの。皆余裕がなかったのよ。それに、そんな時期に中途編入されてくる訓練生がいるなんて、誰も 思わないでしょ?」

「まあ、ねぇ。結局、イツキに案内して貰う前に通りがかったヤガタ教官と鉢合わせして、イツキはすぐに逃げちゃってさ。むっつり黙ってる教官と二人 して事務室まで向かうその道のりが、やたらと長く感じたよ」

「あ、あれは、ホントに急用を思い出したのよ。ほら、私も試験会場に向かう途中だったし」

 頬に汗など一筋流しながら弁明するイツキに、カイトは半眼を向ける。

「どうだか……」

「ほ、ホントよ?」

「……まあ、いいけどさ。おかげで、置き去りにした事を悔やんで後で謝りに来たイツキと、付き添いのクロウ達と仲良くなれたし。イツキには感謝して るよ」

「そ、そう? それにしては、何だか言葉に含みがあるように聞こえるんだけど」

「それはきっと、後ろめたい事があるからだよ」

 そう言ってやると、イツキは露骨に視線を逸らせた。カイトもその視線の先を追うように、眼下に広がる大海原に目を向ける。

「……でも、本当に、イツキには感謝してるんだ」

「……カイト?」

 俄に口調の変わった彼を、訝しげに窺うイツキ。

「イツキが間に立ってくれたおかげで、中途編入の僕もクラスに溶け込む事が出来たし……辛いこともあったけど、概ね楽しい学生生活だった」

「……ええ、そうね。楽しかったわ」

 それは、輝かしきひとつの黄金時代と言えるだろう。社会人としての義務と責任を背負う前の、ささやかな自由を謳歌していた日々――モラトリアム。

 カンザキ・クロウ。ジェシカ・ストロベリーフィールド。カズマサ・ジョンソン・ミヤタ。ヒムロ・シンヤ。そして、イツキ・カザマと、ヤマモト・カ イト。

 この六人はいつも一緒だった。同じ事をして笑い、同じものを見て泣き、同じ時を過ごした仲間。時には仲違いする事もあったけれど、それでも最後に は笑い合っていた。

「本当に……楽しかった。でももう、あの頃と同じじゃいられない。それは……イツキも分かってるだろ?」

「……」

「もう、僕たちもそれぞれの立場がある。イツキやクロウ達は、今や地球圏の英雄だ。フクベ提督が亡くなった事で、第一次火星会戦を生き残ったのは僕 たちだけになってしまった」

「私は……自分の事を、英雄だなんて思った事はないわ。多分、クロウ達もそうだと思う」

「イツキ達がどう思っているかなんて、関係ないんだ。問題なのは、周りが……軍上層部がそう考えているって事なんだ。

 ……こんな事を言うのも訳があってね。ほら、この間、イツキがアサミちゃんに呼ばれたとき、僕も管制局に一緒に行っただろう? あの時、連合軍極 東方面司令部から出頭要請があったんだ」

「出頭? どうして? カイトは別に、何かをした訳じゃ……」

「どうして地球についてすぐ軍に連絡を入れなかったのかって、さ。まあ、本題は、火星の様子を直に聞きたいって事なんだと思うけど。

 それでさ、最後にこんなこと言うんだよ。次の任地での活躍に期待しているって」

 笑いながら言うカイトだったが、その声はけして明るいものではなかった。

「……それって」

「はは。晴れて、僕も英雄の仲間入りってわけさ。火星の避難民達を守り通した功績を讃え、2階級特進の上に軍司令部の直属部隊への栄転。まだ確定で はなく内定だって言ってたけど、恐らく変更はないよ。じゃなきゃ、わざわざ当人に知らせるわけないしね」

「そう……」

「多分、次の任地は北欧の方だと思う。あそこは激戦区だって聞いてるからね。生きていても死んでいても、英雄ってのは軍にとっては利用価値があるん だ。いや、むしろ死んで貰った方が都合がいいかな? イツキもフクベ提督の軍葬を見ただろう?」

「ええ……」

 ナデシコがヨコスカに着いてから3日後、死亡したフクベの葬儀が、連合宇宙軍主導により盛大に執り行われた。

 其処には故人の遺志はなく、ただ連合軍と政府首脳の思惑に従った、戦意高揚のための軍事セレモニーに過ぎなかった。フクベがどのような事を考えて ナデシコに乗り、火星へと向かったのか。その事には微塵も触れずに、ただ功績だけを褒め称えていた政治家達。そこに映る醜悪さに耐えかねて、イツキはモニ ターを切ってしまった。

「でも、正式な命令となれば、断るわけには行かない。僕も軍人だからね」

「そう……そう、よね」

 言葉では同意しながらも、イツキの心は納得しえないものを感じていた。2年前にはまったく感じる事の無かった違和感。だが今は、その違和感こそが 真実だと内なる心が訴えている。

 カイトは言葉を続けた。

「それで……さ。司令部から言われたのは、もう一つあって、さ……」

「カイト?」

 言い淀む彼に、イツキは不安めいたものを感じた。しばし視線を彷徨わせていたカイトは、決意しておもてを上げた。正面からイツキを見つめる。

「イツキ。僕と一緒に来てくれないか?」

「……え?」

「イツキは、火星に行くためにナデシコへの出向を申し出たんだろう? なら、もうナデシコに乗る理由は無いじゃないか」

「それは……そうかも知れないけれど」

「イツキの出向期間は一応無期限という事になっているけど、軍としてはすぐにでも戻ってきて貰いたいんだよ。ただ、イツキの強い希望とネルガルの意 向もあって、強く言い出せないんだ。だから、イツキがそれを望みさえすれば、何時だって軍に戻れるんだ。それだけじゃない、次の任地の希望も可能な限り便 宜を図ると言ってたよ。それに……」

 僅かな逡巡を振り払い、カイトは続けた。

「それに、僕がこんな事を言うのは、司令部に言われたからってわけじゃないんだ。

 僕も、イツキに軍に戻ってきて欲しいって……いや、違う。そうじゃない。僕の傍にいて欲しいって。イツキが、隣にいて欲しいって、僕はそう、思っ ているんだ」

「え……」

 掠れた声がイツキの口の端から漏れた。

「僕は、イツキのことが好きだ。ずっと、ずっと前から……」

 真摯な瞳がイツキを見つめる。そこから逃れるように、彼女は下に俯いた。

 正直、カイトの言葉がまったくの意外だった、という訳ではなかった。その証拠に、今彼女の心中を締めているのは驚きではなく、「ついに言われてし まった」という失意にも似た感情だった。

 以前から薄々は感じていたのかも知れない。周囲から言われるたびに否定したが、もしかしたらとは思っていたのかも知れない。だが、確信は持ってい なかった。まさか、カイトに限ってそんな事があるとは思っていなかった事もある。

(いえ……)

 イツキは心の中で否定した。それは違う。違うのだ。

 答えは、思いの外あっさりと口に出す事が出来た。

「ごめんなさい……」

 カイトの表情にひびが入る。

「イツキ……」

「ごめんなさい、カイト。私、きっと貴方の気持ちに気付いてた。気付いていて、気付かない振りをしていたんだわ。今までの関係を壊したくなかったか ら。

 卑怯よね、こんなの。本当に、ごめんなさい。でも、私、貴方と一緒には行けないわ」

「イツキ……駄目なのか? 僕は……僕はずっと、イツキだけを想っていたんだ」

「カイトの気持ちは、本当に嬉しいわ。カイトと一緒にいるのは楽しかったし、それは今も変わらない。でも……やっぱり駄目なの。私は貴方とは行けな い。

 私には……見続けていたい人がいるから」

「黒百合さん、なのか……? イツキは、あの人が……」

 言い当てられてイツキは意外そうな表情を見せたが、それもすぐに消えた。自分の心を確かめるように胸に手を当て、切々と想いを言葉へと紡ぐ。

「この気持ちが、恋なのか、愛情なのかは分からない。でも、これだけは言えるわ。私は、あの人の進む道を見てみたい。あの人が何をするのか、この目 で確かめたいの。

 だから……私はナデシコを離れない。あの人の傍らにいたいの。ごめんなさい、カイト。本当に……ごめんなさい」

 イツキの瞳から、一筋の涙が零れた。陽の光を受けて、それは一粒の宝石のように見える。

 潮風が、さあっとイツキの髪を揺らした。

 

 

 言葉を継いだのはカイトの方だった。

「……泣かないでよ、イツキ。君を困らせたいわけじゃないんだ」

 カイトは困ったようにかぶりを振ると、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「そっか。イツキは、黒百合さんのことが……

 そうじゃないかとは、薄々思っていたんだ。僕は結局、遅すぎたって訳か……」

「カイト……」

「ああ、そんな顔しないで、イツキ。さっきも言った通り、君を困らせたいわけじゃないんだ。でもね、ひとつだけ覚えて欲しい。僕はまだ、負けを認め た訳でも、諦めた訳でもないから」

「え、でも……」

「失恋から始まるラブ・ストーリーってのも結構あるもんなんだよ? イツキはドラマとかあんまり見ないだろうけど。少なくとも僕は、イツキが黒百合 さんと結婚して子供が出来るまでは、諦めるつもりはないから」

「こっ、子供って、そんな……」

 一転して顔を真っ赤にして狼狽えるイツキに、カイトは笑い声を上げた。

「もうっ、カイト!」

「ははっ、じゃあ、そろそろほかのみんなを捜そうか」

 返答を待たずにカイトは駆け出す。その姿にイツキは溜め息をつくと、彼を追って駆けだした。

 少なくとも二人の表情には、わだかまりを抱えている陰はなかった。

 


 

 昼食を終えた後、はぐれたイツキ達を捜すという名目でミナトにブティックやらアクセサリー・ショップやら怪しげな土産物屋やらを梯子させられ、決 して少なくない買い物を両手に抱えていた黒百合は、肉体的にはともかく精神的には疲れ果てていた。

「……なあ、イツキ達を捜すんじゃなかったのか? さっきから、買い物ばかりしているような気がするんだが」

「ええ。そうよ。だから、ほかのみんなが行きそうなお店を探しているんじゃないの♪」

 溌剌とした笑顔でそう答えるミナトだったが、最後の「♪」に説得力がなかった。

 黒百合の懐疑的な視線をものともせず、アサミに話しかける。

「じゃ、次は何処行こっか?」

「うーん、海岸のヴェルニー公園なんかどうですか? カップルのデート・スポットになってるそうですよ」

「へー、そうなの? ミナトさん、行きましょうよ」

「うーん、でも、お楽しみは最後までとっておいた方がいいじゃない? 夕暮れ時まで待ちましょ。その頃には公園もすいてるでしょ」

「夕暮れ時の方が、カップルが多いんじゃないですか?」

「それはそれで好し♪」

「何がいいんだ……」

 黒百合のぼやきはミナトに無視された。アサミがさも意外そうに呟く。

「それにしても、黒百合さんって最初に見たときはちょっと怖そうだなって思ったんですけど、話してみると全然そうじゃないんですね」

「駄目よーアサミちゃん。人を外見で判断しちゃ」

「そうですね。すいませんでした、黒百合さん」

「いや、別に謝られる事でもないんだが」

「でも、安心しました。これなら、姉さんの恋人でも全然……きゃっ!」

 ふらふらと背後に忍び寄ってきたミナトが、アサミの首筋にふっと息を吹きかけた。

「あっ、ごめんねーアサミちゃん。ちょっとふらついちゃった」

「ふ、ふらついちゃったって……」

「ふらついちゃったのよ♪」

「そ、そおですか」

 ミナトの笑顔に危機感を覚えたアサミは、本能に従ってぐっと言葉を飲み込んだ。

 そんな女性達の様子を溜め息をつきながら見守っていた黒百合だったが、ふと異質な気配を感じて振り返った。

 最初に視界に映ったは赤い色だった。それが季節外れのトレンチ・コートの色だと気付いたのはその一瞬後の事だった。

 オールバックに纏めた黒い髪にサングラス、下はカーキ色のトラウザースを穿いている。外観的な特徴はどうという事のない、何処にでもいそうな男性 だった。だが、纏っているその雰囲気が異質だった。素人にはそうとは分からない、しかし見る者が見れば街の雑踏の中でもそれと分かる、ある種の緊張を孕ん だ空気。自分と同質の匂い。

 男は何をするでもなく、ただ横を通り過ぎていっただけだった。こちらに視線を寄越す事さえしなかった。

 黒百合がその男に気を取られたのは、ほんの数瞬に過ぎない。

 だが、そのほんの数瞬の空白のために、黒百合は後方から迫る殺気に気付くのが遅れた。

「――!」

 息を呑んで振り向く。黒百合の視界に、何か黒い影のような物が写った――ような気がした。

 

 

 突然後ろを振り向いた黒百合が、見えない何かに横殴りにされたように吹き飛び、どうと地に伏せる一部始終を、ミナトはキョトンとした表情で見届け ていた。

 黒百合が彼らしくもなく、ふざけているのかとミナトは思ったのだ。そこで起こった出来事は、彼女の理解範疇を超えていた。

「アキト!」

 真っ先に倒れ伏している黒百合に駆け寄ったのはラピスだった。彼女は普段の無表情をかなぐり捨てて、動転した様子で黒百合に縋り付く。

「く、黒百合さん……?」

「アキト、アキト!」

 呆然とミナトが呟く間にも、ラピスが黒百合を呼ぶ声は止まらない。

 最悪の予想が、ミナトの脳裏をかすめた。まさか、このまま黒百合は二度と立ち上がらないのではないだろうか……?

「うそ、でしょ……? 黒百合さん」

「ああ」

 茫洋としたミナトの呼びかけに至極当然のように応えたのは――もちろん、黒百合当人だった。

「へ?」

 間の抜けた声を出すミナト。黒百合は何事もなかったかのようにむくりと体を起こした。その胸板に、ラピスがしがみつく。

「アキト! アキト! 良かった……イタイところはナイ?」

「ああ、大丈夫だラピス。心配かけたな」

「だ、大丈夫……なの? 黒百合さん」

 泣き出したラピスを宥めている黒百合に、ミナトは戸惑いがちに尋ねた。

「ああ。危ういところだったがな」

 黒百合はそういって、左手に持っている物を掲げた。小口径のオート拳銃、その銃身に、黒い針のような物が刺さっている。それが、黒百合を襲った物 の正体だった。

 黒百合は咄嗟に懐から拳銃を引き抜き、その銃身で飛来する針を受け止めた。反応があとコンマ1秒遅れていれば、針は黒百合の眼窩に突き刺さってい た事だろう。後ろに飛んで衝撃を逃がしたため、傍目には吹き飛んだように見えたのだ。

 黒百合はラピスを宥めながらも、何事かと集まってきた野次馬の群を見渡した。

 もう、あの赤いトレンチ・コートの男の姿は見えなくなっていた。タイミング的に考えて、この襲撃とは無関係とは思えない。恐らくあの男は囮だった のだろう。

 射線からして黒百合を撃った者は別にいたはずだが、何時までも居残っているはずはない。路上での暗殺は1度切りがセオリーだ。

「何者か知らんが、なかなかやってくれるな」

 ようやく事態を悟って慌て出すメグミとアサミを視界の隅に捕らえながら、黒百合は冷静に状況を分析した。

 敵が追撃の好機を敢えて逃したのには、ほかにも理由がある。こちらは素人を抱えて、迂闊な動きは出来ない。もし無音拳銃でミナトやメグミが狙われ れば、次に護り切れる保証はないのだ。こちらとしては慎重にならざるを得ない。

 つまり、先程の銃撃は牽制なのだ。

(と、いう事は……)

 黒百合はあるひとつの結論に達した。

 と、いう事は――離れ離れになった、ルリやイツキ達が危ない。

 

 


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