ヴィー! ヴィー! ヴィー!

「うわぁっ、何だ何だ!?」

 けたたましいアラームの音が鳴り響き、アキトは微睡みから叩き起こされて飛び上がった。跳ね上がった布団が当たり、部屋の隅に積み重なっていた荷物の塔が傾く。

「うわたたっ」

 反射的に崩れ落ちる荷物を両手で支えたアキトは、そこで漸く同室のヤマダの存在に気付いた。

「……ガイ?」

 本名ヤマダ・ジロウ、魂の名前はダイゴウジ・ガイ。アキトはルーム・メイトであり、彼の事を魂の名前で呼ぶ数少ない親友である。

 そのヤマダは、起き抜けのトランクス一丁のまま、枕元の荷物をひっくり返していた。

「何やってんだ、ガイ?」

「うおおおっ、パイロット・スーツ、パイロット・スーツはどこだーっ!?」

「……パイロット・スーツなら、非常時にすぐに取り出せるようにって、出入り口の脇のロッカーの上に置いたじゃんか」

「おおっ、そうだったぁ!」

 ヤマダは飛び起きて、すぐさま出入り口へと向かう。その背中に、アキトが呼び掛ける。

「ガイ! このアラームって、一体何なんだよ?」

「何言ってんだ。わっからねぇのかアキト!」

「いや、分かんないから訊いてるんだけど」

「ナデシコに危険が迫っているんだ! それはすなわち、ヒーローである俺様の出番って訳さぁ!」

「えーっと……」

「なーに心配はいらねぇ。俺はまだこんな所でくたばるような、ヤワなヤツじゃねぇからな! じゃあアキト、ちゃちゃっと済ませてくるから、お前は此処で待ってろよ! じゃあな!」

 ハッチを開いてヤマダが廊下に飛び出し、

「おーい、パイロット・スーツ忘れてるぞー」

「うおおっ、しまったぁ!」

 トランクス一丁の姿で慌てて戻ってきて、ナノマシン発生装置を身に付ける。スイッチを入れて青いパイロット・スーツを身に纏い、そして再び部屋を飛び出していった。恐らく格納庫に向かったのだろう。時々忘れそうになるが、ヤマダはエステバリスのパイロットなのだ。

「また戦争……か」

 ヤマダを送り出し、一人残ったアキトが溜め息をついた。

 時々――本当に時々だが、コックの身である自分を歯痒く思う事がある。師匠であるホウメイには、「それぞれ役目ってものがあるさ」と諭され、事実その通りだとは思うが、感情は納得してくれない。

 自分がもし、黒百合のような超一流のパイロットであったら、この手でみんなを護る事が出来るのに。そう思った事は幾度もある。

 だが、現実は覆らない。自分はしがない半人前のコック見習いで、エース・パイロットである黒百合と比較するのもおこがましい。

 無力な――自分。

「……なに考えてんだろ、俺」

 ネガティブな思考に囚われているのを自覚して、アキトはもう一度溜め息をついた。

 じっとしていると、嫌な事ばかり考えてしまう。取り敢えず食堂にでも行こう。もし戦闘が起こったら、コック見習いの自分は厨房を守らなければならない。

 アキトは制服に着替えようと自分の布団の辺りへと戻り、そこで崩れた荷物の山から飛び出している水色の梱包が目の端に止まった。

「あれ、これって……」

 アキトはその梱包を手に取って眺め――あっと驚きの声を上げた。

 

          ◆

 

 バタバタバタバタ……プシュ!

「状況はっ!?」

 ブリッジに入るなり、開口一番ユリカはそう問い掛けた。それに答えたのは、ブリッジで一人当直をしていたオペレーターのルリである。

「今のところ、木星蜥蜴の行動に変化は見られません。一定速度で移動中です」

「こちらに気付いた様子は?」

「ありません。熱源反応にも変化なし。ただの通りすがりみたいです」

「そっか……それなら、アラーム鳴らす事なかったかな?」

 プシュ!

「ユリカ、遅れて御免!」

「あ、ジュン君」

「状況は?」

 入ってくるなり、ユリカとまるっきり同じ事を尋ねるジュン。案外、艦長といいコンビなのかも……と心の中で呟きつつも、ルリは先程と同じ回答をした。

「……そう」

「ジュン君、どう思う?」

「うん……ただの偶然――なら良いんだけど」

「そうだね。どうしてこんな所に木星蜥蜴がいるんだろ? 今、第二艦隊が防衛ラインを構築してるはずだよね?」

「防衛ラインを突破してきた、とは考えにくいね。敵の規模は?」

「ヤンマ級が9、カトンボ級が13、無人兵器が約1000。それと、小型のチューリップが7機確認されています」

「小型チューリップ?」

「はい。光学測定によるヤンマ級との対比から計算して、全長約80メートル程のチューリップです」

「80メートル? 随分ちっちゃいねぇ」

 そんな会話をしているうちに、遅れていたクルーたちがブリッジ・インしてきた。

「ごめーん。遅れちゃったぁ」

「すいません! 遅れましたぁ」

 ミナトは起き抜けにもかかわらずルージュまできっちりと化粧を整えて、メグミはいかにも急いで来ましたと言わんばかりに息せき切らせて、それぞれの持ち場に着く。

「どうする、ユリカ? このまま静観していれば、多分やり過ごせると思うけど……」

「でも、この木星蜥蜴がどこかのコロニーを襲いでもしたら大変でしょ? こちらに気付いてないなら好都合。横合いから奇襲して一気に殲滅しちゃいましょーっ!」

 おー!、とばかりに元気に拳を振り上げるユリカに、ジュンは苦笑を漏らした。

「そう言うと思ったよ。レイナードさん、各パイロットに出撃準備をさせて」

「はい。……あ、黒百合さんとイツキさんは、既にエステバリスで待機しているみたいです。その他のパイロットも、各自格納庫へ向かってます」

「さっすが黒百合さん♪ ミナトさん、木星蜥蜴の後方から襲えるように、舵お願いしますね」

「りょ〜かい♪」

 ミナトが明るく受け答える。

 

 

 その後、提督であるムネタケがブリッジ・クルーの中で一番最後にブリッジに入ってきて、一同に白い目で見られるのだった。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第36話

「報い」



 

『そ〜れぇっ!』

 ヒカルのかけ声と共に、ラピッド・ライフルの銃口が火を噴く。しかし銃弾はバッタの装甲に触れる前に、ディストーション・フィールドによって虚しく弾き返された。

『あ、あれれ〜?』

 戸惑いつつも、ラピッド・ライフルを撃ち続けるイエローのエステバリス。そうするうちに、何機かのバッタのフィールドを突き破り、その黄色い機体を爆散させた。

『え〜? あれだけ撃って10機中3機だけぇ〜?』

 不平の声を上げるが、それは他の皆も同じだった。

『なんだコイツら、バッタのくせにフィールドが硬ぇぞ!』

『耐久力が格段に上がっているわ。以前のように、一撃一殺とは行かないようね』

『これが、報告にあった木星蜥蜴の新型無人兵器でしょうか?』

『みたいだねぇ。フィールドだけじゃなくて、機動性なんかも地味〜にアップしてる。これだけ数が揃うと流石に厄介だね。バラけると不利だ。固まって戦った方が良いと思うんだけど?』

 相変わらず気障っぽい口調でアカツキが言ってくるが、提案自体はそう的外れなものではなかった。

 が、それを無視する熱血馬鹿が一人。

『へっ、フィールドくらいでこの俺様が参るかってんだ! 鉄砲が効かなきゃ殴るまで! とぉうりゃあぁぁぁぁぁっ!』

『おおいっ!?』

 リョーコの抗議も何のその、マリン・ブルーのゼロG戦フレームが新型パッタに向けて突貫する。その右肩には、パーソナル・マークであるゲキガンガーの胸像が燦然と輝いていた。

 ドグシャ!

 という音でも聞こえてきそうな勢いで突き刺さった拳が、フィールドごとバッタを粉砕する。流石に、エステバリスの質量を完全に防ぐ程の強度は、バッタのフィールドには無かったようだ。

 その光景を見て、溜め息をつくアカツキ。

『やれやれ。こういうスマートじゃないのは、僕のスタイルじゃないんだけどな』

『ですけど、有効みたいです』

『しょうがない。このメンバーの中で近接戦闘が得意っていうと――』

『リョーコとヤマダ君かな』

『ダイゴウジ・ガイだっ!』

『じゃあ、その二人を他のメンバーが射撃で援護するって形で、どうだい?』

『そんなところね』

『おいっ! 人の話を聞けっ!』

『はいはいヤマダ君。援護するから、チャチャっとやっちゃってね〜』

『だからっ! 俺の名前は――』

 そんな掛け合いをしながらも、二人ともしっかりとバッタを撃破していく。

『何だい、随分と息が合ってるじゃないの』

『ったく、おら、オレらも行くぞ! 援護しろロンゲ!』

『君ねぇ、僕の名前覚えてる?』

 ぼやきながらも、的確な射撃で突貫するリョーコを援護する。

 アカツキの乗っているアイス・ブルーのエステバリスは、ワン・フレーム・タイプのカスタム機だ。飛び抜けた武装はないものの、基本性能が上がっており、新型バッタもものともしない。

 ラピッド・ライフルを放ちながらも、近付いてきたバッタをパンチで殴り飛ばす。

『……さてさて、噂の黒百合君の戦いぶりを、拝見させてもらおうかな』

 アカツキがコクピットでそう独りごちた時、バッタの群の向こう側、木星蜥蜴の本隊の中に閃光が灯った。

『ん……?』

 光の方向に目を向けたアカツキが見たのは、爆散して果てる木星蜥蜴の戦艦の姿だった。

 もしここが地上ならば、けたたましいほどの爆音が鳴り響いていた事だろう。

 未だ収まらぬ爆発の閃光に照らされて、宇宙を駆ける漆黒の機影が映し出されていた。

 

 

 黒百合の駆るエステバリス・カスタム・ブラックサレナがヤンマ級戦艦の横をすれ違うと、その軌道をなぞるようにヤンマの艦体に爪痕のような亀裂が走った。タイム・ラグをおいてそこから炎が噴き出し、ヤンマは亀裂に沿って断ち割れ、ややもしないうちに自らが発する爆光の中に消えた。

 その光景は、漆黒の影が蜥蜴の戦艦と交差する度に繰り返される。

 迎撃する新型バッタの群の中央を苦もなく突破するブラックサレナ。煩わしげに手にしたフォールディング・サイズを振るう度に、数機のバッタがいとも容易く斬り払われ、49oアサルト・ライフルの銃弾は、強化したバッタのフィールドを易々と突き破る。

『すごーい……』

 あっけにとられて、ヒカルが呟く。目の前で繰り広げられている光景は、それほどまでに非常識だった。

 ブラックサレナの機動性は凄まじく、離れた距離にいるヒカルたちからも、その軌道を目で追うのがやっとだ。だが何よりも特筆すべきは、機動兵器としては異常とも言える、そのディストーション・フィールドの強度である。

 数量では木星蜥蜴の方に圧倒的な優位がある。ヒカルたちは互いにフォローし合う事でその不利を補っているが、単機で中央突破を図る黒百合には、ブラックサレナの機動性を以てしても躱しきれない弾も出てくる。

 しかし、バッタのミサイルなど難なく跳ね返せる程のディストーション・フィールドを、このブラックサレナは備えているのだ。バッタの搭載している火器では、集中砲火を食らいでもしない限りびくともしないだろう。

 そして、その強力なディストーション・フィールドは、攻撃面においても威力を発揮している。

 手にしたフォールディング・サイズにフィールドを集中させる事で、ヤンマ級戦艦のフィールドをも突き破って、その死神の鎌を突き立てているのだ。

 『鎌』という一般的ではない近接戦用の武装も、ブラックサレナの機動性を活かした突撃戦法からすれば、至極理に適った選択と言えるだろう。

 何隻かの戦艦を撃墜したブラックサレナは、一旦蜥蜴艦隊から離れて無人兵器の直中へと漆黒の機体を踊らせる。強化されたフィールドによる高速度アタックが、バッタの一群を粉砕した。

『すげえ……ゲキガン・フレアーだ……』

『ゲキガンガーねぇ……アレが正義の味方ってガラかね。どちらかと言うと、戦場の死神ってトコだと思うけど。

 しっかし、聞きしにまさる戦闘力だね。噂以上だよ』

『そうね……ここまで凄まじいのは、あの火星での戦闘以来かしら』

『新型との相性もばっちりみたいだね〜』

 皆が口々に称賛の声を上げるのに対して、イツキだけは懸念するように眉を顰めた。

『そうでしょうか? 私には、黒百合さんがらしくもなく勝ち急いでいるように見えるんですが……』

『……勝ち急いでる?』

『まっさかぁ。黒百合さんだよ? そんなコトないって』

『なら、いいんですけど……』

 ヒカルの言葉にも、沸き上がる不安を鎮める事は出来なかった。イツキは、コンソールを操作して黒百合の機体に通信を繋げる。しかし、返ってきたのは『通信拒絶』というウィンドウだった。

 

          ◆

 

「カトンボ、撃沈。これで残数はヤンマ6、カトンボ4です」

「はあ〜……」

 ぽかんと口を開けたユリカが、感嘆の吐息を漏らした。その心情は、唯一人を除いたプリッジ・クルーも同様である。

 当初、木星蜥蜴の艦隊の後方より襲撃したナデシコのグラビティ・ブラストは、敵右翼の艦隊を貫いた。破壊効率を損なうのを承知で右翼を狙い撃ったのは、蜥蜴が散開するのを防ぐのためと、小型チューリップが右翼に偏って配置されていた為である。

 ヨコスカ・ベイのドックにて改修されたナデシコのダブル・グラビティ・ブラストの威力は絶大で、有効範囲内の木星蜥蜴を、重力波の渦が根こそぎ押し流していった。僅かに撃ち洩らした数機の小型チューリップが、ふらふらと残存勢力へと向かっていく。

 この時点で、木星蜥蜴の戦力はヤンマ級7、カトンボ級9、小型チューリップ2となっている。機動兵器群は無傷で残っているが、戦力を吐き出すチューリップの駆除を優先した結果である。

 ナデシコがグラビティ・ブラストを再チャージする間、敵戦力を削りつつ主砲の有効射程内に誘導するのがエステバリス隊の役目だった。

 だが、たった一機の機動兵器が、その戦術を根幹からひっくり返してしまった。

 もちろん悪い意味ではない。その漆黒の機動兵器が、1000近くからいる無人兵器を圧倒しているのである。

 その機動兵器の名はブラックサレナ。ヨコスカにて支給されたネルガル最新鋭のカスタム・タイプのエステバリスである。

 そしてその強さの何よりの要因が、パイロットである黒百合にある事は誰の目にも明白だった。

「黒百合さん、凄いね〜……」

 思わずユリカが呟くのも頷けるというものだ。黒百合の駆るブラックサレナは、戦場を縦横無尽に駆け抜けている。

 その戦術自体は、戦艦に向けてのヒット・アンド・ウェイという基本的なものであったが、その速度とフィールドの強度が尋常ではなかった。

 他のエステバリスも密集隊形を取り、数において遥かに勝る無人兵器の猛攻に渡り合っているが、黒百合の活躍と比べると見劣りしてしまう感は否めない。彼らとて、一流のエステバリス・ライダーである事は間違いないのだが。

 ユリカが惚けている間にも、戦況は刻一刻と進んでいる。

「艦長。グラビティ・ブラスト、チャージ完了しました」

 複座式となったオペレーター・シートの一席で、ルリがユリカを仰ぐ。もう片側の座席には、ラピスが言葉無くコンソールに手を当てていた。

 そのラピスの表情を見る者が見れば――例えば黒百合やイネスが――、苦痛に耐えるように眉を顰めていた事に気付いただろう。だが、幸か不幸かそれに気付く者はこの場にはいなかった。

 ルリに冷ややかな声を掛けられたユリカは、はっと忘我の縁から帰還してきた。

「あっ、うん。いつでも撃てるように準備しておいて」

「わかりました」

「でも、そんな事しなくても決着付いちゃうんじゃないの?」

 と、ミナト。確かに黒百合の活躍振りを見ていると、そんな感想も抱いてしまうだろう。

 だが、ジュンがそんな楽観的な意見を否定する。

「いえ、いくらなんでもそれは無理ですよ。ライフルとかの弾数がもちませんし、接近戦用のブレードも、繰り返し使っていればいつか折れます。それに何より、パイロットの体力が持ちませんよ」

「でも、黒百合さんだと何とかなりそうな気もしますねぇ」

 ミナトに迎合したのはメグミである。いまの状況では、通信士はあまりする事がない。ナデシコの位置がほとんど移動しないため、操舵士の仕事も少ない。忙しいのはオペレーターばかりである。

「ま、まあ、だとしても、ナデシコのエネルギー・ウェーブ供給エリア外からあんなに離れてたら、すぐに活動限界が……って、あれ?」

 ふと立ち湧いた違和感に、ジュンは首を傾げた。違和感の正体はすぐに分かった。外部動力方式を採用しているエステバリスが、エネルギー・ウェーブ供給エリア外にいて、あれだけの時間を全力稼働出来るはずがない。

「……ホシノさん。黒百合さんの機体は、ナデシコのエリア外だよね?」

「はい。ちなみに、黒百合さんの機体は20分ほど前からエネルギー・ウェーブ供給エリア外に出ています」

「あれ? エステって、ナデシコの近くじゃないと戦えないんじゃないっけ?」

「はい。通常のエステバ」『しかぁし! あのブラックサレナはちがーう!』

 ルリの台詞を遮ったのは、大きく開いたウリバタケのウィンドウだった。

「どういう事ですか? ウリバタケさん」

 興味津々のユリカたち。ちなみに、ルリだけは台詞を邪魔されてふてくされた顔をしていた。誰も気付いていないのが惜しまれる。

『あのブラックサレナは、あらゆる意味で今までのエステバリスとは異なっているって事よ。通常のエステバリスは、外部動力方式――つまり、ナデシコから動力を得ている訳だが、ブラックサレナだけは違う!』

「そうなんですか?」

 首を傾げるユリカに、ウリバタケは絶好調で、

『そう! 何故なら、あのブラックサレ』『説明しましょう!』

「あ、イネスさん」

 説明しようとしたのだが、さらに巨大なウィンドウに遮られてしまった。『説明お姉さん』ことイネス・フレサンジュのご登場である。

『エステバリスがナデシコのエネルギー・ウェーブによる外部動力方式をとっているのは前述の通りだけれど、このブラックサレナはさらに捕獲したバッタのジェネレーターを元に設計された新型ジェネレーターを搭載した、内外動力併用方式が採用されているの。

 これにより、全力稼働時の出力は通常のエステバリスの約2.4倍、エネルギー・ウェーブ供給エリア外での稼働時間も20倍以上に延長されたわ。

 ただ、ふたつの異なる動力を併用したために、機体がスケール・アップして規格を外れてしまったのが欠点ね。マニピュレーターの大きさから、通常のエステバリスのライフルなんかも装備不可になってしまったし。

 それに、パイロットにかかる負担が大きすぎて、連合軍のエース・パイロット級でも扱いに難儀する事請け合いね。実際、ネルガルのテスト・パイロットも負荷を軽減したシミュレーターで音を上げてしまったそうよ。

 正直、パイロットの健康面を考えれば、乗るのはお勧め出来ない機体よ』

「そんなエステに乗ってて、黒百合さんは大丈夫なの?」

 不安そうに眉を顰めるミナトの疑問に答えたのは、イネスに台詞を取られて所在なげな顔をしていたウリバタケだった。

『……俺も、実際シミュレーターであいつが使いこなせてなきゃ、デチェーンが必要だと思ってたんだよ。パイロットの手に余る機動兵器なんて、意味ねぇからな。でも、黒百合のヤツはデチェーンなんて必要ねぇって言い張るしよ。

 ……にしてもイネっさん、なんであんたあの機体についてそんなに詳しく知ってんだ? 一応、ネルガルの極秘プロジェクトだろ?』

『私もちょっと興味があったから。黒百合さんの乗る新型機動兵器に、ね』

「……ふぅ〜ん?」

 ミナトが疑わしげな口調で呟くが、イネスは取り合わなかった。

『それより艦長。さっきからホシノ・ルリが用があるみたいだけど?』

「へっ?」

 言われて、ユリカは先程からルリがオペレーター・シートからこちらを振り仰いでいるのに気付いた。

「な、なにルリちゃん」

「先程から、敵を主砲の範囲内に収めているんですが」

「あ。ホントだ」

 見てみれば、ナデシコの射程を示す青い帯が、木星蜥蜴の機影をすっぽりと覆っている。

「このままですと、パイロットに負担が掛かりますけど」

「ご免なさーい! 各エステバリス、射程内より待避して下さい!

 ダブル・グラビティ・ブラスト、発射――」

「アキト!」

 ユリカの号令を遮って、ラピスのせっぱ詰まった声がブリッジに響き渡った。

「えっ?」

「ラピスちゃん?」

 一同は揃ってサブ・オペレーター・シートに目を遣る。

「どうしたの? ラピラピ」

「アキトの……アキトの声が聞こえなくなったの!」

 問い掛けるミナトに答えたラピスの声は、常ならぬ焦燥の響きを帯びていた。

「黒百合さんの声がって……さっきから彼、返答ないじゃない?」

「いえ、黒百合さんの機体はラピスさんのダイレクト・サポートを受けているので、ラピスさんとだけはリンクしているんです。多分、そのリンクが断絶したのでは?」

「それって……もしかしてピンチってコト?」

 見上げるモニター上では、漆黒のエステバリスを示す輝点が明滅を繰り返していた。

 

          ◆

 

 その光景を目の当たりにしたイツキは我が目を疑った。

 黒百合の駆るブラックサレナが、何の前触れもなくその機動を停止したのだ。

「――!?」

 バイザー式のメイン・カメラに一筋の電光が走り、力尽きたように消え失せる。直後の姿勢を維持したまま、慣性に従って直進するブラックサレナに、今までの報復とばかりにバッタたちのミサイルが襲いかかった。

 その全てが命中した訳ではない。だが、その全てが外れた訳でもなかった。幾つかのミサイルは、ディストーション・フィールドも張られていない無防備な漆黒の装甲を叩いた。

 大きく揺れるブラックサレナ。その衝撃で目が覚めたかのように、漆黒のエステはスラスターを噴かせて崩れた体制を回復させる。

 だが、その動きは明らかに精彩を欠いていた。フィールドを張り、バッタの追撃に耐えるその姿は、先程まで禍々しいほどの力で戦場を席巻していた死神のものとは思えぬ程だ。撃墜こそ免れたものの、装甲板は吹き飛び、内部回路が露出している部分も見える。

「黒百合さんっ!!」

 その姿を認めたとき、イツキの人並み以上に備えられた理性はあっけなく吹き飛んだ。

『イツキ!』

『おいっ!?』

 エステバリス隊のフォーメーションを無視して、黒百合目掛けて愛機を飛翔させる。リョーコたちの呼び掛ける声も耳には届かなかった。

 困ったのは、取り残された他のパイロットたちである。

『おいおい、どうすんだよ?』

『ほっとく訳にもいかねぇだろ! 俺は行くぜ!』

『あっ、ヤマダ君!』

 すぐさまマリン・ブルーのエステが飛び立ち、それを追ってイエローのエステもスラスターを噴かせた。

『やれやれ、作戦行動台無しだねぇ』

『ヤマダはともかく、ヒカルのヤツまでどうしたってんだ?』

『それよりリョーコ、私たちはどうする? 3機だけだと辛いわよ』

『どうするったって……ええい、行くしかねぇか! ついて来いロンゲ!』

『はいはい――っと?』

 肩を竦めて返事をしたアカツキは、センサーに映る反応を見て声を上げた。

『これは……来たのか、《ウルフズ・ジャベリン》。早かったねぇ』

 

 

「黒百合さん! 応答して下さい、黒百合さん!」

 黒百合の元へ急行するイツキ。絶えずコミュニケに呼び掛けているが、返って来るのは『通信拒否』のウィンドウのみ。その事実が、彼女の焦燥をせき立てる。

 行く手に立ち塞がる新型バッタをラピッド・ライフルで蹴散らし、ミサイルを最小限の機動で躱し――しかし、必死のイツキを嘲笑うかのように、限界点は唐突に訪れた。

 応戦するブラックサレナの背後から、1機のバッタが群を飛び出て特攻してくる。普段の黒百合なら、余裕で捌いていただろう。気付いてない訳ではないだろうが、その時の彼はその他の無人兵器と応戦するので手一杯だった。

「黒百合さん!!」

 モニターでは指呼の距離に望むその光景も、現実にはまだ1q近い距離が壁となって立ちはだかっている。間に合わないと悟りつつも、イツキはラピッド・ライフルの引き金を引いた。

 だが、ライフルの弾丸が銃口から解き放たれる前に、飛来してきた暴風のような火線の群が、バッタの黄色い装甲を貫いていた。

「えっ!?」

 端からその光景を見ていたイツキが声を上げる。

 火線はその勢いを衰えさせず、バッタの群を思うさま蹂躙していった。幾筋もの光が閃き、闇の海へと沈み込むように消えていく。

 その火線の発生源は、こちらに飛翔する数機のエステバリスだった。その内の1機、青と白の色を基調としたエステバリスが、ガトリング砲を腰溜めに構えて乱射している。そのエステから全方向通信が入ってきた。

『こちらは第07特務部隊のカンザキ・クロウ! ナデシコ所属のエステバリス、聞こえるか!?』

「クロウ!?」

 驚きの声を上げるイツキ。ウィンドウの向こうの顔は、こちらに気付くと気さくな声を掛けてきた。

『やあ、イツキ。久しぶり。元気だった?』

「え、ええ……」

『まあ、再会を喜ぶのは後だね。これより援護に入る。皆、行くよ!』

『応!』

『ほ〜い』

『はいよっ』

 応えて出てきた面々のいずれにも、イツキは見覚えがあった。火星駐屯地の育成学校の同期であり、第一次火星会戦を共に戦い、スノー・ドロップ号に乗って木星蜥蜴の手に落ちた火星を脱出した仲間たち。

 予期せぬ再会に、イツキはしばし状況を忘れて呆気にとられた。

「シンヤ……ジェシカ、カズマサ! みんな、どうして……」

『まあ、簡単に言うと、俺たちもサザンカで合流するはずだったんだよ』

『で、ナデシコからの緊急通信が届いて急行したってワケさ』

『そ〜ゆ〜こと。ってワケで、いっくよ〜っ! スパイラル・アタック!』

 ジェシカがそう言うが早いか、オレンジのエステバリスがバッタの群に向かって突撃する。

『おおいっ!?』

 慌てた声を掛けるリョーコ。オレンジのエステの行動があまりにも無謀に思えたからだが、結果としてそれは杞憂に終わった。

 オレンジのエステはバッタの群の中を穿つように突き進み、いとも容易く中央突破を果たした。ジェシカ機の通り過ぎた後には、先程までバッタだったものの残骸が宙に漂っているのみだった。

『は……』

 リョーコが惚けたような声を出したのは、黒百合のブラックサレナさながらのフィールド・アタックの威力――にではなく、そのエステバリスが突撃の際に掲げていた右腕に付いている物を認めてしまったからだ。

『ド、ドリル?』

 そう呟くヒカルの表情は、驚きよりも呆れの成分が多かった。

 そう、ドリルである。右腕の肘から先に、まるでアニメに出てくるロボットのようなドリルが装着されていた。

『お……』

『おおおおおおおおおおっ!』

 怒濤のような歓声を上げたのは、ウリバタケを筆頭とする整備班の面々である。

『ドリル! ドリルだよおいっ!』

『かっけぇ〜っ!』

『くぅ〜っ、やっぱり漢の機体はドリルだよなぁ!』

『くっそぉ〜、俺がやろうと思ってたのに、先越されちまったーっ!』

 そんな声援(?)を背に受けて、オレンジのエステは単機による中央突破を繰り返す。ドリルは伊達ではないらしく、その突破力は黒百合のそれに匹敵していた。

 ジェシカが敵陣に開けた穴を、クロウたちが広げに掛かる。良く見れば、クロウの機体も右腕の肘から先がガトリング砲になっていた。

 識別から判断して迷彩色のエステがカズマサの機体で、その右腕は大型のクローになっている。左手にはバズーカを持ち、主に近距離の敵を相手取っていた。

 カズマサとは逆に遠距離から援護射撃を放っているのが、鈍色のシンヤのエステである。彼の機体だけは右腕にちゃんと手が付いていたが、代わりに腕部に照準装置らしきスコープが付属していた。エステの全長にも匹敵する程の銃身のライフルを構えている。

 その4機に続くように、8機のゼロG戦フレームが編隊を成して射撃する。あっという間に、黒百合の周囲を飛び交っていたバッタたちを駆逐していった。

「黒百合さん、無事ですか!?」

 辿り着いたイツキが、ブラックサレナに接触通信を繋げる。

『……イツキか』

 黒百合からの返答は相変わらず音声のみだったが、その声には力が感じられて、イツキはほっと胸を撫で下ろした。

「機体は動きますか? 援護しますから、一旦ナデシコに帰還して下さい」

『…………そうだな。そうしよう』

 若干の間を挟んで、黒百合は承認した。彼の性格上、構わずに戦おうとするかと思っていたイツキは少々意外に思ったが、それを指摘するのも変に思えて、それについては何も触れなかった。

 


 

 援軍を得て力付いたエステバリス隊は、一時撤退する黒百合とイツキの穴を埋めるべく、クロウたち第07特務部隊と連携して無人兵器を撃墜していった。

「第07特務部隊のエステバリス隊ってぇと……《ウルフズ・ジャベリン》!? 《白蒼の天狼》カンザキ・クロウの!?」

 そう問い詰めるリョーコに、その本人は苦笑して、

『まあ、何だかそう呼ばれてるらしいね。自分から名乗った事はないけど』

『それに、その言い方は不本意だぜ。《ウルフズ・ジャベリン》隊はクロウ一人じゃ無ェんだからな』

『そうそう。でも、カズマサはどっちかって言うと猪突して足引っ張る方じゃないの?』

『誰がだよッ!?』

『まあまあ、二人とも落ち着いて……』

 言い合いを始めたカズマサとジェシカを宥めるシンヤ。どうやら苦労人であるらしい。

 ナデシコのクルー達と同じく、緊張感に欠ける部分もあるらしいが、彼ら四人のコンビネーションは絶妙だった。

 それらを見ていたリョーコは、始めは呆然としていたが、やがて獰猛な笑みを浮かべ、

「へっ、面白ぇ。噂通りの腕かどうか、この目で確かめさせて貰おうじゃねぇか!」

『応、見て貰おうじゃねェか!』

 そう応えるカズマサも、挑発するようににやりと笑った。

『……何だか、いきなり意気投合してるねぇ』

『きっと似た者同志なんじゃない?』

『おでんと鯖ミソ……煮たもの同志……ふふ、ふふふふふふふ』

『……カズマサ、後でお仕置き決定』

『まあまあジェシカ、落ち着いて……』

 

 

『みんな、真面目に戦おうよ……』

『アンタ、苦労してんだなぁ』

 ヤマダにまで慰められては、クロウも立つ瀬が無いというものだろう。

 

          ◆

 

「うはあ……また、初陣でいきなり派手にやられたなぁ、おい」

 ナデシコに帰投したブラックサレナを見て、ウリバタケの嘆き混じりの第一声である。

「すまんな、セイヤさん」

「ああっと、お前さんを非難してるワケじゃねぇぞ。お前さんの腕は俺がよーっく知ってるからな。安心しな。明日にはまた新品同様にしといてやるからよっ」

「……頼む」

「ここは俺達に任せて、お前さんは休んでろよ。暴れ馬を振り回して、相当体力を消耗してんだろ?」

「いや、まだ戦闘中だからな。ブリッジに上がるつもりだ」

「そうなのか? 副提督ってのも大変だな」

「それじゃあ、ブラックサレナの事は宜しく頼む」

「おーう。任せとけって!」

 手を振るウリバタケに背を向けて、格納庫を出る黒百合。しかし、向かう先はブリッジではなかった。

 とある確信に背中を押されて、急ぎ足で通路を進む黒百合。しかし、その道の中途にて、彼の身体を異変が襲った。

「ぐ……!」

 苦悶の声を押し殺し、よろけた身体を腕で支えて何とか平衡を保ったが、それ以上前に足を踏み出す事は出来なかった。

 ナノマシン・スタンピード。出撃前、そして出撃中の黒百合の身を襲ったのもそれだった。

 黒百合の身体に投与された過剰なナノマシンが活性化し、体内で暴れ回っているのだ。無計画なままに注入された幾つものナノマシンは、黒百合の体内で複雑に反応し合い、ともすれば皮膚や内腑を突き破る。黒百合に出来るのは、唯じっと身を伏せて暴風が収まるのを待つのみだった。

 やがて、焼け付くような痛みと共に、黒百合は血の塊を吐き出した。暴走したナノマシンが喉元の粘膜を突き破ったのだ。口元を押さえた手から、明滅するナノマシンの混ざった赤黒い液体が滴り、床に弾けて不格好な冠を作った。

 黒百合は息を荒くしながら、いつの間にか蹲っていた我が身を起こす。

「ついさっきスタンピードが起きたばかりなのに、発作の間隔が短くなっている……ふ、今までしてきた事の報いか。俺も、いよいよ長くないな……」

 その声の成分には、自嘲の翳が多分に含まれていた。

 ぱしゃん。

 不意に背後から響いた水音に、黒百合はゆっくりと振り返った。その心情は不思議と落ち着いていた。予感めいたものを感じていたのかも知れない。

 振り向いた先には黒百合の予想通り、驚愕の表情を刻んだ彫刻のように、一人の女性が立ち尽くしていた。

「イツキ、か……」

 恐らくは黒百合を追って来たのだろう。差し入れだったのか、ジュース入りの紙コップが手から零れ落ちて、床に極小の池を作っている。先ほどの水音の正体はこれだった。

「黒百合……さん?」

 呆然としたイツキの呟き。それは問い掛けではあったのだろう。だが、黒百合は何も答えない。答える事は出来なかった。

 声もなく対峙する二人。

 それほど離れていない格納庫の喧噪が、やけに遠くに感じられた。

 

 


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