タナカ・ハルミは、岡持を手にブリッジへと急いでいた。

 出前の配達は、普段は厨房唯一の男手であるアキトの役目なのだが、今回はハルミが請け負った。そもそも、ブリッジから注文があった訳ではなく、あくまでハルミの自主的な行動である。

 現在、ナデシコ食堂では、オペレーターのホシノ・ルリの誕生日パーティーが盛大に開かれている。厨房勤務のハルミはパーティーの料理を作るのに大忙しだったのだが、それも一段落付いたため、機を見て厨房を抜け出したのだ。

 その目的は、現在ブリッジに詰めている一人の男性クルーにあった。

 アオイ・ジュン。ナデシコ副長を務める青年であり、ハルミが現在気になっている異性でもあった。

 

 

 ジュンが一人ブリッジに籠もっているのには理由がある。

 ルリの誕生日パーティーが企画された際、ブリッジが空になってしまうという事が問題となった。

 いくらスーパーA.I.であるオモイカネが管理していると言っても、ブリッジを完全に無人にする訳にはいかない。通常であれば、最低限オペレーターが詰めているものなのだが、今回はそのオペレーター要員の誕生日である。

 サブ・オペレーターであるラピス・ラズリはパーティーへの出席を強く希望していたし、オペレーター見習いであるセレス・タインとマキビ・ハリは年齢的に問題がある。

 艦長であるミスマル・ユリカは誰よりもパーティーを楽しみにしていたし、副提督である黒百合は欠席すると複数の女性クルーに不興を買いかねない。提督であるムネタケ・サダアキは当然除外。

 そこでお鉢が廻ってきたのが、副長であるジュンだった。ナデシコ内で一番のお人好しと評判の彼は、自ら進んで留守番を引き受けた。困っているユリカを見かねて、自主的に貧乏くじを引き当てたのである。

 そんな彼の行動を、大多数のクルーはいつもの事と笑っていたが、ハルミだけは別だった。純粋にジュンの事を気の毒に思い、パーティーの合間を見て差し入れに行こうと決意していた。

 チャンスだ、と思わないでもなかった。ブリッジに二人きりというシチュエーションに、心惹かれたという事もある。

 ハルミは、どちらかと言えば恋愛には積極的な方だ。テラサキ・サユリのように、想いを伝えずに胸の裡で暖めておくといった事はしない。それも恋愛のひとつの形だとは思うが、自分向きではないと思っている。

 だが今現在、ジュンには意中の女性がいる。ナデシコ・クルーなら誰でも知っている事だ。知らないのは、その想いの対象であるユリカだけである。

 二人は幼なじみだと聞いているが、見たところユリカはジュンに対して、それ以上の感情はないようだ。彼女の『お友達』発言には、まったく含むところは無い。それがジュン攻略の鍵となるだろう。

 今のところ、こちらから告白するのは得策ではない。いかにしてジュンにユリカを諦めさせるかが肝要だ。彼を振り向かせるのはそれからである。

 恋する乙女は、非情な策略家であった。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第39.1話

「ブリッジの情景」



 

 ブリッジの扉の前に辿り着いたハルミは、入る前に懐から鏡を取り出して、身だしなみを再チェック。軽く前髪を整えて、リップを引き直す。厨房勤務のため化粧はしていないが、そこは素材で勝負だ。

「よしっ」

 と気合いを入れてから、足を進めて扉を開けた。

 プシュッ。

 軽い、エアーの抜ける音と共に、眼前にブリッジの光景が広がる。

 艦長席の斜め前にある、副長用のシート。そこに、ジュンは座っていた。ウィンドウを開いて、なにやら考え事をしているらしい。ハルミが入ってきた事には気付いていなかった。

 一人だけで待機していると気が抜けてしまいがちだが、ジュンに至っては例外のようだった。

 もともと、ジュンは女性と見まごうような中性的な顔立ちをしている。そんな彼が真剣な表情で思案している様子は、非常に絵になっていた。

 ハルミは声を掛けるのを躊躇ったが、それも数秒の逡巡だった。せっかく持ってきた料理もあるし、此処まで来て黙って帰る訳にもいかない。

「失礼しまーす」

「はい?」

 考え事を遮られたジュンが振り返った。その表情は軽い驚きで、実年齢よりも幾分幼く見える。士官学校の成績はユリカに次いで次席だったというが、彼女とは違う意味で軍人には見えない青年だった。

「タナカさん?」

「すいません、お邪魔しちゃいました?」

「あ……いや、別に構わないよ」

 こちらが申し訳なさそうな顔を作ると、ジュンは安心させるように微笑みを浮かべた。

「どうしたんだい? パーティーの最中でしょ?」

「いえ。アオイさんも退屈してるだろうと思って、差し入れを」

 岡持を掲げるハルミ。

「あ、そうだったんだ。わざわざありがとう」

「アオイさんも大変ですよね。せっかくのパーティーなのに、留守番を押しつけられちゃって」

「いやまあ……でも、誰かがやらなきゃならない事だから」

 仕方ない、とばかりに苦笑をひらめかせるジュン。そんな表情は、歳不相応に年期が入っていた。

 人が好すぎる、と思うのだが、ここで言っても詮無い事である。ハルミは苦笑を返して、岡持から料理を取りだした。

 持ってきたのは骨付きチキンの煮物と、帆立と蛤のスープ。コーン・サラダに、焼きたてパンをいくつか。

 いずれもパーティー会場から適当に見繕ってきたものだが、サラダだけはハルミが自分で盛りつけた。本当は全て自分で作りたかったのだが、キッチンはパーティー料理のために塞がっていたため断念したのだ。

 岡持は外見こそ昔ながらだが、その実は保温機能を備えた最新式である。取り出した皿はいずれも、出来立てのように湯気を上げていた。

「どうぞ、アオイさん」

「ありがとう。美味しそうだね」

 礼を言って、ジュンはスプーンを手にする。笑顔を浮かべながら料理を頬張るジュンを、ハルミは満足そうに見つめていた。それに気付いたジュンが、

「あ、僕ばっかり食べても悪いな。タナカさんはいいの?」

「私はもう食べましたから」

「そうなの? でも、調理とかで忙しかったんじゃぁ……」

「私はどちらかと言うと、作る方より運ぶ方でしたけどね。それに、エリたちと交代で食事は済ませたんです」

「そっか。ならいいんだけど」

「あ、でも、そのスープは食べてなかったかも。ちょっと一口いいですか?」

「うん、構わないよ。と言うか、もともとタナカさんが持って来てくれたものだしね」

 ハルミの頼みに、ジュンは快く手を付けていたスープの皿を彼女に差し出した。ハルミはたった今までジュンが使っていたスプーンを手にとって、スープを一口掬う。

「美味しい……流石ホウメイさん。やっぱりコンソメが決め手なのかしら……」

「いつも、そうやって味見を?」

「ええ、それはまあ。まだ私は料理を任されてはいないですけどね」

「そっか。タナカさんは勉強熱心だね」

「そんな、普通ですよ。それに、美味しいものを食べたいっていうのもありますし」

 悪戯っぽく片目を瞑ってスープの皿を返すハルミに、ジュンは納得したように笑った。

「それもそうだね」

「どうも、ご馳走様でした。って言うのも変ですか?」

「はは、どういたしまして」

 皿を受け取ったジュンがスープを啜るのを確認してから、ハルミはふと思いついたように切り出した。

「あ、ところでこれって間接キスですよね?」

 ごふっ! とむせ返るジュン。

「ごほっ! げほっ! な、何を……」

「あ、気にしないでいいですよアオイさん。中学生じゃあるまいし、間接キスくらい」

「そ、そう」

「でも私は初めてですけどね間接キス。ホント、気にしなくて良いですから」

「そ、そう」

 引きつった笑みを浮かべるジュン。その表情を見て、堪らずハルミはクスクスと笑いを漏らしてしまった。

「ひ、酷いなぁタナカさん」

「あ、御免なさい。からかうつもりは無かったんですけど、つい」

 そう謝りながらも、ハルミの表情は笑ったままだ。あんまり苛めても気の毒なので、さりげなく話題転換を図る。

「ところでアオイさん、私が入って来た時、何をしてたんですか?」

「え? ああ、ちょっと次の任務の資料を見てたんだ」

「次の任務って……たしか、月に行くんでしたっけ」

「そう。何か見落としは無いかと思って、作戦を再検討してたんだ。ブリッジ待機って言っても、あんまりやる事はないからさ」

「そうだったんですか……アオイさん、私なんかよりよっぽど勉強熱心じゃないですか」

「はは、そんな事ないよ」

 しきりに感心するハルミに、苦笑を漏らすジュン。

 料理と戦闘指揮では、掛かっているものの重みが違う。料理は失敗しても挽回するチャンスはあるかも知れないが、戦闘での失敗は部下の命で贖われるのだ。当然、掛かるプレッシャーは計り知れない。幾度も検討を重ねるのは当然だ。

 とはいえ、その事をハルミに言っても理解できないだろうし、ジュンも言う気はなかった。どちらが良い悪いではなく、話の道義そのものが違うのだ。

「艦長も、アオイさんくらい熱心なら良かったのに」

 ぽろり、とハルミの本音がこぼれた。それはほとんどのナデシコ・クルーの実感だったに違いないが、ジュンがユリカの事を想っているのを承知の上での発言だった。

 その台詞を聞いたジュンは、僅かに眉を動かしたが、その次に浮かべた表情はハルミの予想を外れていた。

「はは、そんな事無いよ。僕なんかより、ユリカの方がよっぽど頑張ってるんだから」

 苦笑を浮かべて、諭し聞かせるような口調だった。

「え。でも、いつもアオイさんに仕事を押しつけてるじゃないですか」

「前はそういう事もあったけど、最近はほとんど無いよ。まあ、テンカワが絡むと話は別だけど。

 皆、ユリカの事を誤解してるんだよ。ユリカも、それを意識して、普段はあんな態度をとってるんだけどね」

「じゃあ、艦長のあのいつもの性格って、実は演技だったんですか?」

 ハルミにはとてもそうは思えない。

「いやまあ……7割方は地だけどね。でも、艦長の責務を疎かにした事は無いよ。ただ、そういった苦労が外に出ないだけで。事実、僕よりもよっぽど多くの職務があるんだよ?

 それに、何だかんだ言っても、ナデシコ・クルー全ての生命を背負っているのは彼女だ。その上で、ユリカはあんな明るい態度で振る舞ってるんだ。それって、普通は出来ない事だと思う。少なくとも、僕にはまだ荷が重いな」

「……」

「ユリカは……そうだね、確かに天才だと思う。でも、何の努力も無しに今の地位についた訳じゃないんだ。確かに、ミスマル提督のお陰もあるとは思う。ユリカもその事は気にしているみたいだったけどね……」

 ジュンが回想するのは、ナデシコが最初に地球圏を突破する時、衛生軌道上で訴えた言葉だ。

『此処が私の場所なの! ミスマル家の長女でもお父様の娘でもない、私が私でいられる場所は此処だけなの!』

 それは、ユリカがユリカ自身でいたいという意志の顕れだった。

 彼女は唯の箱入り娘ではない。心の奥底に、真っ直ぐ通った芯を持っている。傍目からは分かりにくいかも知れないが。

「昔はね、ユリカに勝とうと躍起になった事もあったよ。でも結局、僕はそんなユリカに何一つ敵わなかった。それで気付いたんだ。僕はそれまで、彼女のほんの一面しか見ていなかったんだって……」

 そう遠い目をして語るジュンの横顔に、ハルミはどきりと鼓動が高鳴った。それには気付かず、ジュンの意識は過去に飛んでいる。

「それからかな。ユリカの隣で彼女の支えになりたいと思ったのは。もちろん、幼なじみっていう事もあるけどね」

 一転して、澄んだ笑みを向けてくる。下手な女性よりもよっぽど綺麗な笑顔だった。

 だがその笑顔は、むしろハルミの心に棘を突き刺した。

 ジュンが本当にユリカの事を想っているのがよく分かる。だが、その想いが届いていないのは誰の目にも明白で、しかも本人も自覚しているのだ。

「でも……艦長は、アオイさんを見てないじゃないですか」

 自分でも理解できない苛立ちに突き動かされて、ハルミは語気を荒くした。ジュンは、そんな彼女を驚いたように見返している。

「艦長は、テンカワさんしか眼中にないんです。そんなの、誰が見たって分かるじゃないですか。アオイさんはお人好し過ぎですよ。

 届かないのが分かっていながら想い続けているなんて、馬鹿馬鹿しいじゃないですか……!」

 言い捨てて、ハルミは俯いて唇を噛んだ。

 即座に後悔していた。感情の高ぶりに任せて、とんでもない罵声を浴びせてしまった。

 だが、どうしても我慢出来なかったのだ。

 此処まで言えば、流石のジュンも腹を立てるだろう。当然だ。謂われのない罵声を浴びせられて、理不尽を感じない人間はいない。ましてや、己の抱いている大切な想いに泥を掛けられたのだから。

 だが、ジュンから返ってきた言葉には、怒気は含まれていなかった。

「……そんな事ないよ」

 優しく、穏やかな声だった。ほろ苦い笑み。そこには、人間の負の感情は一片たりとも含まれていないようにさえ見える。

「馬鹿馬鹿しいなんて、そんな事ない。

 僕は、確かにユリカが好きだ。出来れば、僕を見て欲しいと思ってる。でもそれは、あくまで僕の想いなんだ。それに応えるか応えないかはユリカの自由だ。

 ユリカは、テンカワを選んでる。僕も分かってる。その事は確かに悲しいけど……そのせいで、僕の気持ちが変わる訳じゃない。

 ユリカは……今でも、僕の大切な人だよ」

「…………」

 ハルミは何も言えなくなった。ジュンがそう言えるようになるまで、どれほど苦しんだ事だろう。自分の言葉は、彼の傷を抉るに等しかった。

 なんて無様なんだろう。ジュンの想いを聞いて、自分がいかに醜いのが分かった。

 ぎゅっ……と握りしめた掌に爪が食い込んだ。

 

 

「ははっ。なーんて、そんな風に思えるようになったのも、実は黒百合さんのお陰なんだけどね」

 照れくさそうに頬を掻くジュンの言葉に、ハルミは俯いていたおもてを上げた。

「黒百合さんの?」

「そう。僕もね、以前はどうしても納得出来なかった。どうしてよりによってテンカワなんかに、って思ってた。テンカワの何処が僕より勝っているんだってね。その頃の僕は、妬みに凝り固まっていたと思うよ。

 でも、そんな僕に黒百合さんが言ったんだ。確か、火星に到達するちょっと前くらいだったかな。『お前の想いは、艦長が自分を選ばなければ変わってしまう程度の、底の浅いものなのか』ってね」

「…………」

「それを聞いて、はっとしたよ。そんなんじゃ駄目だって思った。ユリカと一緒にいるには相応しくないってね。

 その後、火星を脱出してから、自分なりにいろいろ考えて……それでようやく、受け入れる事が出来たんだ。ユリカが僕を見ていないって事に。本当は、ずっと前から気付いてたんだけど、気付かない振りをしてたんだって」

「じゃあ……アオイさんは、艦長のことを諦めたんですか?」

「諦めたっていうのとはちょっと違うと思うけど。今でもユリカの事は好きだし。

 そうだね。敢えて言うなら――ユリカが幸せになるのを願ってる、っていう所かな。その相手が、たとえ僕じゃないとしても……」

「アオイさん……」

「はは、なんだかみっともない事しゃべっちゃったね。……実を言うと、まだ吹っ切れてはいないんだ。我ながら女々しいとは思うけど……」

「そんなこと……そんなこと無いです! 絶対に」

「……ありがとう、タナカさん」

 辛い思いを乗り越えた者だけが浮かべる事の出来る、透き通った笑顔。それを間近に捉えたハルミは、自分の頬がかーっと熱くなるのを自覚した。

 ジュンは話を打ち切るように、努めて明るく切り出した。

「さ、随分と引き留めちゃったね。そろそろ食堂に戻らないと。まだ仕事は残ってるんでしょ?」

「え!? あ、そ、そうですね」

「差し入れ、本当にありがとう。また今度もお願いするよ」

「あ……はい!」

 比喩ではなく顔を輝かせて、ハルミは頷いた。何故こんなにも嬉しいのか、自分自身でも分かっていない。今までに幾度も恋愛経験はあるのに、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 

 

 ジュンに見送られてブリッジを後にするハルミ。帰路を行く彼女の足取りを誰かが見たならば、熱に浮かされているのでは無いかと心配した事だろう。幸いと言うべきか、誰かとすれ違う事はなかった。

 その気分の昂揚はナデシコ食堂に帰っても治まらず、顔が紅いのを他のホウメイ・ガールズ達に見咎められて、追求を受ける羽目になってしまった。特にサユリからの風当たりが強かったのは、普段彼女とアキトの事をからかいの種にしているせいだろう。

(これからは、迂闊にサユリさんの事を言えないわね)

 いつまで経っても熱の消えない頬を両の掌で押さえながら、ハルミはそんな事を考えていた。

 その表情からは、策略家としての片鱗は窺えなかった。

 

 



後書き

 外伝……というか、挿話です。蛇足ともいいますが。
 本当は39話に入れる予定だった話なんですが、尺が長くなるし話の焦点がブレてしまうので、敢えて挿話扱いとしました。

 ジュンの心理描写が本編にはほとんどないので、今現在の彼の心境を書き綴ってみました。こんなのジュンじゃねぇよ、という意見もあるかも知れませんが、あさひのイメージとしてはこんなもんです。
 ユリカについては、ジュンの視点から見ているため、150%美化されています。が、まるっきり偽りという訳でもないです。
 まあ、あんまり貶しても可哀想なんで、たまには持ち上げてあげないとね。

 ちなみに、あさひは一応ユキナ×ジュン派です。
 でも描いてて結構楽しかったですな。


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