ミシェル・ブレタは今日何度目かになる溜め息をついた。

 もう数えるのはやめてしまった。カウントすればするだけ、余計に憂鬱さが増すからだ。

 憂鬱な気分の原因ははっきりしていた。と言うか、目の前に人の形を成して具現化している。

 今朝起きてから――正確に言うなら、自分たちの乗艦であるコスモスが、試作艦であるナデシコとのランデブーが決定した時から――待ちきれないとばかりにソワソワしている二人の少女。

 オプシィ・ディアン。カーネ・リアン。

 二人が二人とも、容姿の点では飛び抜けていた。

 オプシィは黒髪を側頭部でふたつに纏めてお団子にし、カーネは紅色の長い髪を両耳の後ろだけ細く編み込んで、白いリボンをあしらっている。

 歳は共に6歳。女性としての容姿云々を語るにはまだ早すぎる年齢だが、それでもその細いおとがいや白い肌は、同性の眼から見ても魅力的だった。

 そして、琥珀色の輝きを放つその瞳。

 彼女たちが持つ儚げな雰囲気とも相まって、神秘的な容貌をしている。艦内で妖精や天使に喩えられるのも頷ける。

 翻って我が身を見てみる。

 ブロンドの髪――といえば聞こえが良いが、1/4だけ入っているアジア人の血の所為でやや茶色がかったくすんだ色をしているし、癖っ毛の為に毛先が大量にハネている。

 毎日のシャワー後のブローには人一倍気を遣っているのだが、この癖毛はやけに頑固で思い通りになってはくれない。

 また、使っているシャンプーが合わないのか枝毛が多いのも気になるところだ。

 自分は自費で持ち込んだ高級コンディショナーを使っているというのに、支給品のリンス・イン・シャンプーだけでああも艶やかで張りのある髪を維持できている二人の少女に、ミシェルは世の不公平を嘆いた。

 もちろん、だからといって二人の少女が幸せだという事ではない。彼女たちは自らの容姿がどれほど優れているかは理解していないだろうし、分かったところでそれを喜びもしないだろう。

 何故なら、彼女たちは『作られた人間』だからだ。

 マシンチャイルド。

 彼女たちに会うまでは、ミシェルも噂だけは聞いていた。受精卵の状態から試験管の中で育てられた、親ナノマシン体質の子供たち。まるで日常会話でもするかのような気軽さで高度なコンピューターにアクセスするという。

 そんな話を聞いた時、ミシェルは便利だな、くらいにしか思わなかった。

 コンピューターの扱いに疎いという訳ではなかったが、決して誇れる程のものでも無いと思っている。そんな身空としては、生まれながらに誰よりもコンピューターの扱いに長けているというのは、利点であっても欠点ではないと思う。

 そんな訳で、コスモスの主計班に配属されて、マシンチャイルドがオペレーターを担当すると同僚から聞いた際は、「ふうん……」と軽い相づちを打っただけだった。

 ブリッジ勤務のオペレーターと、主計班員である自分とでは、接点があるとは思っていなかったし、進んで交流しようとも思わなかった。同僚のように好奇心に溢れる性格をしている訳ではない。取り敢えず、自分に害がなければどうでも良い、というのが本音だった。

 だが、そんな自分の考えは甘かったのだと、ミシェルは乗艦30分後に思い知る事となる。

 着任の挨拶の為、艦長室へ向かっていたミシェルは、通路の途中で二人の少女とすれ違った。

 その容姿は神秘的で人目を引く者だったが、少なくともその時ミシェルが抱いた感想は、

(何でこんな処に子供がいるんだろう?)

 という至極普通のものだった。

 その時オペレーター要員である事には思い至るはずもなく。かといって着任の挨拶を後回しにするつもりもなく。

 特に声を掛ける事もなく、すれ違った際にただほんの一瞬だけ視線が交わった。

 不思議な色の瞳をしている、とは思った。だが、それだけと言えばそれだけ。

 そのまま特に気にする事もなく、艦長室の前に辿り着き、ノックをしてから入室する。

 一歩部屋に足を踏み入れた地点で敬礼をし――軍属であるため――、口を開こうとしたところで、艦長が此方を見ていない事に気付いた。

 艦長の視線は自分の横に向けられているようだった。その視線を追って首を動かすと、下から見上げる琥珀色の瞳と目があった。

『……は?』

 余りにも予想外の出来事に、我ながら間抜けな声を出してしまった。二人の少女は何も言わずに此方を見上げている。

 その様子を見ていた艦長が感心したように頷いていたのに、その時気付く事はなかった――不幸な事に。

 その後、うやむやのうちに二人の面倒を見る事になってしまった。

 何故こんな事になってしまったのかさっぱり分からない。きっと艦長も面倒ごとを押しつける相手が欲しかったのだろう。そして其処にちょうど、哀れな生け贄が間抜けにも自分から現れたという訳だ。

 それにしても、未婚の21歳の女性に子育てもどきをさせるとは、艦長はいったい何を考えているのか。まあ、確かにスクール時代のバイトでベビー・シッターや保母の真似事をした事はあったが。

 何にせよ、艦長命令とあれば断る事は出来ない。軍隊は上下関係に厳しいと聞いていたミシェルはそう判断して諦めた。本来ならこの程度の事なら拒否しても何ら問題は無かっただろうが、その時のミシェルには思い至らなかった。

(まあ、見た目からして大人しそうだし、それほど手の掛かる事もないでしょ)

 そう高を括っていたのだが、ミシェルの見通しは甘かった。

 天使か妖精のような容姿を持った二人の少女。だが、その中身は小悪魔だった。

 何しろ落ち着きがない。何にでも興味を示し、躊躇無く飛びつく。一度など、エステバリスの試験機動をしている格納庫に強引に入り込んで――ロックしてあったハッチをクラッキングしてこじ開けた――大騒ぎになった。

 そのくせ人見知りをするのか、男性クルーに話し掛けられると身を縮こませてしまう。それは一部の女性クルー相手でも同様だった。

 ならば何故、自分の後に付いてきたのだろう?

 そう疑問に思ったミシェルは、同居を初めて1週間たったある日、二人の少女に尋ねてみた。

 その返答は。

『オヒトヨシそうだったからだヨ』

『単純そうでしたし、おだてにも弱そうでしたし』

(……私、6歳の子供に舐められてる? た、確かに威厳のある外見はしてないけど……)

 それを聞いたミシェルは真剣に悩んでしまった。お陰でその夜は寝付きが悪かった。夜更かしは美容の天敵なのに。

 だが、ある程度同居生活も長くなれば、それまで見えていなかった事も見えてくる。

 二人の少女は警戒心が強く、皮肉げな言動をする事もあるが、基本的には素直で純真だ。たまに此方を困らせる事もあるが、悪意がある訳ではないのだ。これで悪意があったら堪ったものではないが。

 考えてみれば、マシンチャイルドという事で、これまであまり良い扱いを受けて来なかったのだろう。妙に世間ずれしているのも、そう考えれば頷ける。

 その事に思い至ってしまえば、もうミシェルに二人の少女を邪険に扱う事は出来なかった。我ながらお人好しだとうは思うが仕方ない。これからしばらくはこの我が儘なお嬢様に付き合って差し上げよう。

 そう思った矢先――第四次月攻略戦も大過なく終了した頃、ナデシコとのランデブーの報せが届いた。

 それを聞いた時の二人のはしゃぎようと言ったら!

 普段は寝付きが良い方なのに、その日はベットに入ってもなかなか眠れず、寝かしつけるのに苦労した事を覚えている。

 その頃には二人はコスモスのマスコットとしてすっかり定着していて、クルー達とも随分打ち解けていた。

 そのクルー達に、二人が嬉しそうに『義理の父』について話しているのを聞いた事がある。拳銃だとか弾丸だとかなにやら物騒な話をしていたような気がするが、要は二人を助けてくれた恩人であるらしい。

 あまり話をした事がある訳ではないが、自分たちを優しく抱きしめ、名前をくれたのだと嬉しそうに語っていた。だから、施設にいた頃から会ってお礼を言いたかったのだと。その事をずっと楽しみにしていたのだと。

 

 

 そして今日――遂に待ち焦がれたナデシコとのランデブー当日。

 朝起きた時から二人はソワソワと浮ついていた。無理もない。

 聞けば、先方も無理を押して直接コスモスに会いに来てくれるらしい。せいぜいモニター越しに会話が出来るだけだと思っていた二人はなおさら喜んだ。ミシェルも我が事のように嬉しかった。

 だが反面憂鬱にもなった。二人の少女はいつも以上にはしゃいで、そのフォローを自分がしなくてはならなくなるからだ。関係ないクルー達は微笑ましそうに眺めているだけで良いが、巻き込まれる自分は堪ったものではない。

 しかし――何より憂鬱になるのは、この二人の少女の笑顔の為なら、この程度の気苦労くらい耐えてあげよう……と思ってしまった自分自身だった。

(何でこんな事になっちゃったんだろ……)

 はあ……と、ミシェルは自分の膝の上に頬杖をついて、再び小さく溜め息をつくのだった。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第44.1話

「妖精達の子守歌」



 

 ミシェルとしては、せめて『義理の父』とやらが格好いい人である事を願っていた。そんな役得でもなきゃやってられないわよ、という多分に利己的な考え方があったのは否定し得ないが、年頃の女性としては当然の事ではあっただろう。

 実を言えば少しは期待していた。二人の少女から想像できる『義理の父』は、言葉少なめだが優しく、父性に溢れ、格好いい大人の男性だった。

 だが、実際にその『義理の父』を目の当たりにした時、その期待は見事に裏切られた。それも、予想もしていなかった方向に。

 ミシェルも年齢的に夢見がちな少女ではない。自分の想像が悪い方向に外れる事も覚悟していた。だが、これはどう判断して良いものか。

「オトーさん!」

「父さま!」

 二人の少女――オプシィ・ディアンとカーネ・リアンが嬉しそうに駆け寄った『義理の父』を、ミシェルはまじまじと凝視してしまった。

 格好が怪しい。怪しすぎる。ここまで来ると狙ってやっているんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。

 黒ずくめなのはまだいい。男性のファッションとしては珍しくないだろう。だが、その羽織っているマントと顔の大部分を覆い隠しているバイザーはいったい何なのか?

(何かのコスプレなのかしら?)

 そうも考えたが、元ネタがなんなのか分からない。自分も一般常識程度ににそちら方面への造形はあるが、少々ジャンルが偏っている事も自覚している。興味の無いものは視ないからだ。

 どうしよう。ここはスルーするべきなのか。それとも取り敢えずの愛想笑いでも浮かべて褒めるべきだろうか? でも、元ネタを知らないのに褒めるのは、真性のコスプレイヤーに対して失礼かもしれない。

 色々な考えが頭の中をぐるぐると廻る。ついでに目まで廻りそうだ。ミシェルは自分の思考が現実逃避を始めている事に気付かなかった。

「ミシェル、ナニやってるノ?」

「はっ」

 オプシィに声を掛けられて我に返った。

 感激の再会も一通りすませたのか、『義理の父』が此方に視線を(といってもバイザーで隠れているが)向けている。ミシェルは慌てて身ずまいを正した。

「ど、どうも、初めまして。ミシェル・ブレタと申します」

「黒百合だ。カーネリアンとオプシディアンが世話になっているそうだな」

 『義理の父』はクロユリという名前らしい。変わった名前だとは思ったが、流石に指摘する勇気はない。

「俺は保護者といっても名ばかりで、二人にはほとんど顔も会わせられない。それに男親では何かと気の行き届かないところもあるしな。君のような人に二人を預けられるのは、非常に助かっている」

 だが、身なりに較べれば意外とまともそうな印象を受けた。あまつさえ礼まで言われて、ミシェルは恐縮して手をぱたぱたと振った。

「い、いえ。とんでもないです」

「謙遜しなくてもいい。二人の手紙の内容を読んでいれば、君の人柄もよく分かるさ」

 大人びた低めの声でそう言われて、ミシェルは顔を朱くしてしまった。

「わ、私も、えっと……クロユリさんのお話は二人から良く聞いてます」

 二人の少女に目をやると、黒百合の手をとって、もう放さないとばかりに全身で足にしがみつくようにしている。そこに浮かぶ表情をみれば、彼がどれだけ慕われているかも分かろうというものだ。

 と、そこでミシェルは彼の後ろにも同行人がいる事に気付いた。一人はナデシコの白い制服に身を包んだ女性。こちらは見覚えがあった。スカウトされた際に顔を合わせた事がある。確かネルガル・グループの会長秘書でエリナと名乗っていた。

 もう一人は、オペレーター要員を示すオレンジのベストを羽織った少女。薄桃色の髪を腰の後ろ辺りまで伸ばしている。その顔立ちは、初対面のはずなのにどこか見知った面影を残していた。

 何故かその少女は不機嫌なようで、その琥珀色の瞳を鋭く引き締めて……琥珀色の瞳?

「え? あ……」

 意味のない呟きが漏れる。

 黒百合も気付いて、背後の薄桃色の髪の少女を招き寄せた。

「ラピス」

 それが、その少女の名前らしい。手招きされた少女の表情には、先程まで浮かべていた負の感情は欠片も残っていない。それを見て、ミシェルは何となくピンときた。

 少女――ラピスが近づいたところで、黒百合はカーネとオプシィの二人の手を取ってラピスの前に押し出す。

「カーネリアン、オプシディアン。セレスティンからの手紙で聞いているだろう?

 彼女はラピス。お前達のお姉さんだよ」

「……姉さま?」

「……オネーさん?」

 くりっとそれぞれ、正反対の方向に首を傾げるカーネとオプシィ。

 一方、紹介された方も戸惑いを隠せない様子だ。

「……お姉さん?」

「ああ、そうだ。この子達はセレスティンと一緒に育ったんだ。それなら、ラピスはお姉さんだろう?」

「…………お姉さん」

 その言葉の響きを確認するように呟くと、ラピスはひとつ頷いてから二人の少女を覗き込むように顔を寄せた。

「……ワタシはラピス。ラピス・ラズリ。ワタシはアナタたちのお姉さん。ヨロシクね」

 そう言ってふわりと微かな笑みを浮かべた。同性から見ても綺麗に透き通った笑顔だった。

 戸惑っていた二人も、その笑顔を見てぱっと表情を輝かせ、

「わたしはカーネ・リアンともうします。こちらこそよろしくです、ラピス姉さま」

「ボクはオプシィ! オプって呼んでネ、ラピスオネーさん!」

 作法好くお辞儀をするカーネと、元気に手を挙げるオプシィが対照的だった。

 その様子を見守って、黒百合は口元を僅かに綻ばせている。何となくその身を包む雰囲気も今は柔らかい。

(見た目ほど怖い人でもないのかな?)

 ミシェルは最悪だった黒百合の第一印象を上方修正する事を心の中で決定した。

 

 

 何時までも連絡通路にいるのも何なので、取り敢えず場所を移そうという事になった。

 コスモスはナデシコに倍する規模を持つだけあって、そこに内包する福利厚生施設にも力が入っている。バーチャル・ルームにホログラム展望台、大浴場にトレーニング・ジム、果てはビリヤード台などを配備したプレイ・ルームなど、レジャー・ランドもかくやといった様相を呈している。

 それら全てを見て回っていれば優に1日はかかってしまうだろう。今日は黒百合も長居は出来ない事だし、無難にコスモス食堂に通して食事でも、と言い出そうとしたミシェルだったが、それより先に上げたオプシィの声に遮られた。

「ネエネエ、オトーさん」

「ん? なんだ、オプシディアン」

「ボク、オトーさんとイッショにおフロに入りたいヨ!」

「あ、わたしもご一緒したいです、父さま」

 元気に手を挙げるオプシィの傍らで、カーネがおずおずとマントの裾を引っ張る。

「…………風呂?」

 黒百合が問い返すまで、若干の間があった。それに気付いた訳ではないが、ミシェルも怪訝に思って首を傾げた。

 オプシィとカーネの二人は、特に入浴を好んでいるという訳ではない。むしろ同年代の少女と比較すれば、風呂嫌いだと言ってもいいだろう。そんな彼女たちが、何故こんな事を言い出したのだろうか。

 その疑問はすぐに解消された。

「オトーさん、セレスといつもイッショにおフロにはいってるんだよネ?」

「な、なに?」

「セレスがメールにじまんげに書いていたんです。それを知って、わたしたち、とってもとってもうらやましかったんですよ」

「だからネ、オトーさんに会えたらおフロにイッショに入ろうって二人で決めてたんだヨ」

「…………そ、そうか」

 黒百合の返答には若干の動揺が窺えた。その後ろで、エリナが呆れたような声を出す。

「なぁに黒百合、貴方いつもセレスと一緒にお風呂に入ってたの? 」

「……む」

「前々から思ってたけど、ちょっと甘やかしすぎなんじゃない?」

 呻き声を上げる黒百合に、つんとすましてそう言うエリナ。その表情は、どこか得意げに見えた。

 なんだか気になる異性を苛めて悦ぶ学級委員長みたいだ、と思っていたら、後方から圧迫感を感じてはっと振り返った。

 薄桃色の髪の少女――ラピスが、むっつりと不機嫌な表情で黒百合を睨め付けていた。

 ぶすっと頬を膨らませ、不思議な光の宿る目を今は吊り上げて怒っている。だが、そんな表情も彼女の容姿を損なう事は出来ず、むしろ可愛らしく微笑ましいと言える。が。

「ラ、ラピス? どうした?」

 プレッシャーを向けられる本人にとってはそうは言ってられないだろう。黒百合が困惑を滲ませて問い掛ける。

「アキト、いつもセレスと一緒にオフロに入ってるの……?」

 先程、オプシィ達に語りかけた際とは打って変わった、冷え冷えとした声だった。

 アキトって誰だろう、とミシェルは思ったが、訊けるような雰囲気ではない。

「ワタシとはモウ入らないって言ってたのに……セレスとは一緒に入ってるの……?」

「い、いや、ラピスはもうセレスティンと違って大きいんだから、俺と一緒に入る必要はないだろう?」

「ワタシはイツでもアキトと一緒にオフロに入りたい」

「いや、だからだな、ラピスの年齢で俺と一緒に入浴するのは色々と問題が」

「ワタシ、そんなの知らナイ」

(な、なに? いったい何なの?)

 いきなり目の前で痴話喧嘩らしきものを始めた二人に、ミシェルは動揺を隠せなかった。

 これが修羅場というものだろうか、それにしては随分と大人しめだなぁ、などと考える。エリナは面白そうに成り行きを見守っていた。

「姉さまは父さまといっしょに入りたいんですの?」

 そこに、オプシィとカーネの二人が加わる。少女達は不思議そうに義姉を見上げていた。

「ウン。でも、アキトはワタシと一緒に入ってくれナイ……」

「そうなんですの……」

「オネーさん、カワイソウ……」

「それでしたら、姉さまもわたしたちと一緒に入ればよいです!」

 自分の思い付きを喜んで、カーネがぱちんと手を打った。

「ア、そうだヨ! オネーさんもイッショに入ればいいんだヨ!」

 既に少女達の中では黒百合との入浴は決定事項らしい。

 慌てたのは当事者の黒百合だ。

「い、いや待て。それは拙い」

「どうしてですの?」

「ミンナイッショの方がタノしいヨ」

「アキト……イヤなの?」

 三対のつぶらな琥珀色の瞳に晒されて、目に見えてたじろぐ黒百合。その様子を見ていると、最初に恐そうな人だと感じたのが嘘のようだ。

 何とか三人を説き伏せようと努力している黒百合を眺めながら、ミシェルはそれとなく隣のエリナに話しかけた。

「……あの」

「何かしら?」

「えっと……助けてあげなくて良いんですか?」

「………………面白いから、しばらく見物してましょう」

 意地の悪そうな笑みを浮かべてそう言うエリナ。

 その答えにミシェルはもう一度黒百合たちの方を見遣ってから、

「……そうですね」

 と無情にも頷いた。

 

          ◆

 

 結局、黒百合はなんとか三人を宥めて風呂場行きは中止になったのだが、隣でエリナが「ちっ」と小さく舌打ちしたのをミシェルは確かに聞いた。

 実際問題として、黒百合がコスモスにいられる時間にも限りもある。行き先は無難にコスモスの食堂と決まった。

 その代償として、黒百合は少女達に色々と約束をさせられて、ほとほと困り果てているように見えた(バイザーで表情は見えないが)。

 コスモス食堂に入った一行は、厨房前のテーブルの一角を占領した。周囲のクルー達からの好奇心の入り交じった視線を感じ、今まで地味な生活を送っていたミシェルは居心地が悪くなった。

 あらゆる意味で注目を引く黒百合がいるのは勿論だが、エリナも会長秘書としての立場を別としても破格の美人であるし、ラピスはそれこそ物語に出てくるお姫様のような儚げな容姿をしている。

 それに加えて、コスモスのマスコット・キャラであるオプシィとカーネが顔を揃えているのだ。これが人目を引かない訳がない。

 だが、ミシェル以外はそんな露骨な好奇の視線に構う様子すら見せずに、話に花を咲かせている。といっても、基本的にしゃべっているのはカーネとオプシィだったが。

 黒百合は見た目通りに口数は少ないようだったが、それでも二人には優しげな言葉を掛けている。

 ラピスはそんな黒百合に対してちょっとだけ不満げな様子を見せているが、それでも二人を邪険に扱う事がないのは、お姉さんとしての自覚を持っているからなのか。

 エリナは以前から二人とは顔見知りだったらしく、自然な表情で会話に加わって、時折黒百合にからかうような言葉を掛けていた。

(一種の愛情表現なのかしら?)

 黒百合に話しかけるエリナの横顔を眺めながら、ミシェルはそんな事を思ったりした。本人に言えば顔を真っ赤にしながら否定するだろうなぁ、などと確信しながら。もちろん口に出すほど迂闊ではない。

 会話の内容としては、それ程大した事ではない。カーネとオプシィの普段の生活の様子や、コスモスの事を話したり、あるいはナデシコやラピス、黒百合自身の事について尋ねたり。今まで離ればなれだった事もあり、話題には事欠かない。

 やがて時間も過ぎ、すっかり黒百合の雰囲気にも馴染んだ頃、ふと腕時計を見遣ったエリナが表情を曇らせた。

 その様子に気付いた黒百合が問い掛ける。

「……そろそろ時間か?」

「……ええ」

 言い難そうにしながらも、エリナは答えた。

 楽しい時間は過ぎるのも早い。陳腐な表現だが、それを実感するのは過ぎ去った後の事で……そしてまさしく真実でもある。

 少女たちの心情を気遣って視線をやると、二人は残念そうに気落ちしているものの、表情には笑みを浮かべていた。

「オトーさん、モウ行かなきゃならないんだネ」

「……ああ。すまないな、せっかく会えたのに」

「いえ、わたしたち、父さまとお話できただけでも、うれしかったですから」

「ボクたち、オトーさんにまた会えるマデ、イイコにして待ってるヨ」

 にぱっ、と笑みを浮かべるオプシィ。その表情は何処か乾いていて、感情というものを感じさせない。

 無理もない、とミシェルは思う。今まで1年以上会いたいと思い焦がれていた相手に漸く会えたというのに、僅か3時間足らずでまた別れなければならないのだ。普通の6歳の少女であれば間違いなく泣き出していただろう。

 彼女たちも悲しくない訳ではないだろうが、それでも黒百合の事情を察して健気にもそんな素振りを見せないようにしているのだ。そんな二人をミシェルは不憫に思ったが、聞き分けが良い事に安堵を覚えたのも確かだった。

 それはエリナも同様だったのだろう。表に出さないよう気をつけてはいるのだろうが、僅かにほっとしたような表情が漏れている。涙の別れは出来るだけ避けたかったのだ。

 だが、黒百合の方はそうではなかった。

 僅かに眉を顰めた後、おもむろに二人の少女を招き寄せ――そして俗に言うデコピンで少女達のおでこをパチンと弾いた。

 黒百合のその行動に、呆気にとられるミシェルとエリナ。驚いているのは当の少女達も同様で、おでこを押さえて目を白黒させている。

 そんな彼女達を黒百合はそっと抱き寄せ、その耳元で優しく囁いた。

「……二人とも、無理をするな」

「エ……」

「無理をしてそんな表情で笑う事は無い。悲しい時は素直に泣けばいい。嬉しい時は笑えばいい。自分の感情を押し込める必要はないんだ」

「……」

「お前達は今までが今までだったから、物分かりがいい振りをしているんだろうが、もうそんな事をする必要はないんだ。此処はもう研究所なんかじゃないんだからな」

「でも……でも、わたしたちがわがまま言ったら、父さま、困るですよね」

「まあ……そうだな。場合によっては困るだろうな」

 おずおずとした問い掛けに対する返答に、カーネは一瞬身を強張らせたが、

「だが、それが何だ?」

 黒百合の意外な言葉に、その腕の中で彼を見上げた。

「お前達はもっと我が儘を言っていいんだよ。

 勿論、俺もお前達を必要以上に甘やかせるつもりはない。無理な場合はどうしてもあるしな。

 だが、だからといってお前達の感情を押し込めるような事もしたくないんだよ。お前達は、少なくとも俺だけには、何の気兼ねもなく言いたい事を言っていい」

「…………」

 オプシィとカーネ、そしてセレスの三人は、諏訪人類遺伝子研究所で生まれ、研究者の手によって育てられた。

 彼らにとっては三人の存在自体が重要であって、意志はむしろ不要だと思っていただろう。例えそう語らずとも、そのモルモットを見るような研究者特有の視線は、彼女たちの幼い情緒を閉じこめるには十分だった。

 彼女たちは自然と自分の意志というものを喪っていった。

 研究所から解放された後に孤児院に預けられ、そこで初めて自分たち以外の同世代の子供たちとの交友を体験した。それは1年に満たない僅かな時間ではあったけれども、彼女たちにとっては宝石のように貴重な時間だったはずだ。

 だが、それもなお、彼女たちの深い部分での人間不信は癒されていない。だから大人達の顔を窺い、気分を損ねないように無意識のうちに振る舞ってしまう。

 黒百合は、それに気付いた。だから「我が儘を言え」などという、一見理不尽な事を言っているのだ。

 その腕に顔を沈めている二人の少女に、黒百合は優しく静かに問い掛けた。

「二人は――オプシィもカーネも、俺とすぐに別れたいか? もっと話をするのは嫌か?」

 ぷるぷると二人の少女はかぶりを振った。

「俺だけでなく……ラピスやエリナと話をするのは退屈だったか?」

 同じ動作を繰り返す二人。その身体は小刻みに震えている。

「なら……そう言えば良いんだ。ほら、カーネリアン、オプシディアン、言ってみろ」

「……」

「さあ」

 黒百合が促すと、二人の感情の堤防が決壊した。

「ア……」

「……」

「ヤ……だヨ。

 ボク、ボク、オトーさんと離れたくナイヨ。

 もっとオトーさんとイッショにいたいヨ。もっとお話したいヨ」

「……わたしもです。やっと会えたのに、これでさよならなんていやです」

「グスッ。マダ……お話してないコト……いっぱい……ウウ、イッパイ……グスッ」

「オプ、ないちゃだめです。なかないって、ふえ、ふたりで決めて……」

「ウウ、ウ、ウエェェェェ、ヤダヨゥ、オトーさんと離れたくナイよゥ……」

「ふえ、ふえええぇぇぇん。ふえぇぇぇぇぇええ!」

「ウェェェェェン! ビエェェェェ!」

 少女たちの涙が黒百合の胸元を濡らす。泣きじゃくる二人を黒百合は抱き留め、その背中を優しくさすった。

 その暖かく離れがたい感触に、少女達はますます泣き声を高くする。

 黒百合は姿勢を変えずに顔を上げ、エリナを仰いだ。

「エリナ、悪いが少し時間をくれ」

「………………30分よ。それ以上は引き延ばせないわ」

「……恩に着る。

 先にラピスと一緒にナデシコに戻ってくれ」

「わかったわ」

「……アキト」

「ラピス、済まないが先に戻っていてくれ。すぐに俺も行く」

「……ウン、分かった」

 薄桃色の髪の少女はこくりと頷くと、胸の前で両腕を握って、

「アキト……ワタシ、待ってるから」

「…………ああ」

「さ、行くわよ」

 エリナに声を掛けられて、呆然としていたミシェルははっと我に返った。

「はっ、え、えっと、いいんですか?」

「いいのよ。今は……三人だけにしてあげましょう」

 こちらにだけ聞こえるような声でエリナが答える。

 ミシェルはただただ泣きじゃくるカーネとオプシィと、無言のまま少女達を抱きしめる黒百合の姿を見返した。

 それはまるで1枚の絵画のような風景だった。幻想的で、どこか現実離れしていて、それでいてこの上もなくリアルな感情を映し込んだこの絵の中に、自分たちの居場所は無いのだ。

 それを誰もが気付いているから、コスモス食堂にいる誰もが声を掛けられずにいる。自分でさえも。

 ミシェルはその事に後悔にも似た感情を覚え、その胸に痛みを感じた。

 食堂の扉に遮られるまで、三人から目を離す事は出来なかった。

 


 

 ミシェル・ブレタはブランデーの入ったグラスを傾けながらも、物思いに囚われていた。

 基本的に通常の警戒体勢下においては飲酒は禁止されているし、ミシェル自身もそれほど嗜む方ではないが、今夜は飲みたい気分だった。

 物思いの原因は、ベットの上で寝息を立てている二人の少女と、その養父。

 オプシィ・ディアン。カーネ・リアン。そして黒百合。

 あの後――

 降艦予定時刻からきっかり25分が過ぎてから、黒百合はナデシコとの連絡通路に姿を現した。その両腕の中には、泣き疲れたのだろう、目元を濡らしながらも穏やかな寝息を立てている二人の少女の姿があった。

 恐らくは物心着いてから、声を上げて泣いたのは初めてだったのだろう。目元に涙の跡を残したまま、しかしその表情は全てのわだかまりを吐き出したかのように穏やかだった。

 ミシェルはオプシィとカーネとはもう1ヶ月以上寝食を共にしている事になる。だが、そのささやかな共同生活の間で、これほど安らかな表情をした二人を見た事があっただろうか?

 まだ心の距離はあると思っていた。偽りの家族生活である事も自覚していた。しかし、こうして今までにない表情を見せつけられると、如何に自分がこの少女達の表層の部分しか見ていなかったかをまざまざと思い知らされた。

 そして、この少女達の心の枷を取り払った、あの奇妙な格好をした青年の事が、別れ際に言っていた事を思い出す。

 彼は時間に遅れた事を詫びた後、こう続けた。

『……この子達は、今まで幸薄い人生を強いられてきた。何より哀しいのは、それが不幸である事をこの娘たちが自覚していない事だ』

 眠る時に傍で子守歌を歌ってくれる母親が、抱きしめてくれる父親が居ない、その事を哀しいとも思わない。

 何故なら、その存在そのものを知らないからだ。

『だが、これから幾らでも取り戻せる事も確かだ。

 これから、この娘達の人生の中で、辛い事や哀しい事もあるだろう。だが、その中で楽しい事、嬉しい事もきっとあるはずだ』

『…………』

『普通の女の子としてのささやかな幸せが、少しでも多くこの娘たちの上にあれば良いと俺は願っている。

 ミシェルさん、身勝手な頼みなのは分かっているが……どうかこの子達の事を宜しく頼む』

 バイザーのせいで表情を窺う事は出来なかったが、切々としたその声音を聞いてしまっては、否と言えるはずもなかった。

 ミシェルは頷いて請け負ったものの、確たる自信がある訳ではなかった。その事を伝えると、黒百合は小さく笑みを漏らして、

『心配ないさ。二人の表情を見ればわかる。君は二人に慕われている』

『ですけど……』

『俺は出来の悪い父親役だが、それくらいは分かっているつもりだ。

 カーネリアンもオプシディアンも、君を年の離れた姉のように慕っているよ』

 二人を頼む、そう言い残して黒百合はハッチの向こうに消えた。薄桃色の髪の少女と空色の髪の少女に迎えられて。

 

 

 ……最初は疎んでいた。艦長から二人の世話を言いつけられた時は、正直面倒だと思った。だが、1ヶ月以上共に過ごして、情が移ったのも確かだ。少女達の身の上にも同情している。

 だが、果たして自分に、少女達の姉として振る舞う資格があるだろうか。それを考えると、ミシェルはどうしても肯定的な考えを持つ事は出来なかった。

 しかし同時に、もう一歩近づきたいとも思う。仮令偽りの家族だとしても、まだ心を寄せる余地は残っているのではないか。そしていつか、本当の姉妹のようになれたら、どれだけ良い事か……

 そう願う自分を自覚する。

 ミシェルはグラスをテーブルの上に置くと、ベットの上で未だに眠り続けいる少女たちの傍らに立った。オプシィの烏の濡れ羽色の髪を、カーネの薄くくすんだ紅の髪を、順に撫でさする。

 それに反応して、「ううん……」と身じろぎする二人。巣に身を寄せ合う小鳥のように。

「…………」

 ミシェルは靴を脱いでベットに上がり、カーネの脇に寄り添った。もともと制服を脱いであったので、このまま寝てしまっても問題はない。

 左手を、二人の少女を一緒くたに抱えるように添える。オプシィの背中をゆっくりと撫でる。

 そして歌い出したのは、ミシェルが昔母親に歌って貰った子守歌。あまりにありふれていた為、歌の名前も覚えていない。

(今度、お母さんに訊いておこう……)

 そんな事を思いながら、ミシェルはゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 やがて穏やかな眠りの抱擁に抱かれるまで、ミシェルは静かに歌い続ける。

 その、妖精達の為の子守歌を。

 

 



後書き

 カーネ・リアンとオプシィ・ディアンの顔見せ話。
当初は第44話でちょっとだけ、のつもりでしたが、頂いた感想メールからヒントを得て、ミシェル・ブレタという当初予定していなかったキャラを作成、彼女の視点で話を進めていたら、丸々1話を使ってしまいました。
これは完全に想定外であり、出来た文章もいつもとは毛色が違う。その為、この話は挿話扱いとさせて貰いました。

 なんだかんだ言って外伝やら挿話やらが増えてきたので、これからも番外を書くこともあるかもしれません。


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