第二章[癒える心]
九話【思惑と葛藤】

 

無事四人は宿屋へと戻り、どちらが先に手を放すかで再び衝突が起きそうになったベルペオルとヴィルヘルミナを上手く収めた悠二は疲れきった顔で一つのベッドに寝転がりため息をついた。
ベルペオルとヴィルヘルミナは悠二に叱られた先の事もあってか我先に傍に行きたいという気持ちをぐっと堪え、一定の距離を保ち、ライバルの出方を牽制しつつも彼の状態を心配そうな顔で見つめている。
ティアマトーも悠二が心配なのは二人と同じで、互いに無言で牽制しあっている二人に代わって悠二に向けて言葉を放った。

「鼓舞激励(コブゲキレイ)」

元気を出してと励ますような一言にその声の持ち主以外の三人の目がヴィルヘルミナの頭に乗るヘッドドレス。"夢幻の冠帯"ティアマトーの意識を表出させる神器"ペルソナ"へと向いた。

「ありがとう。でも、ティアマトーに心配されるなんて思ってもみなかったよ」

意外そうな顔をして体を起こし、悠二は礼を言って答えたがティアマトーはその意外そうな様子が気に障ったようで次の言葉を返す。

「無礼」

「あっ……」

ティアマトーに言われ自分が少々失礼な事を言ったことに気が付いた悠二は申し訳なさそうにあやまった。

「その……ごめん。あまりに淡々というからそうはみえなくて……本当にごめんね」

「許容」

どうやらティアマトーはその程度ならと咎めずに許してくれるらしい。
そんな心が広くて非常に無愛想な、でも、とても優しいヴィルヘルミナの中の内なる王に今度は素直に心からの礼を言う。

「ありがとうティアマトー。心配してくれて嬉しいよ」

「感謝無用」

再び淡々とした口調で、控えめな事をいうティアマトーに悠二は続けた。

「そんなに謙遜(ケンソン)しなくてもいいのに……それに、ティアマトーはそんなに綺麗な声してるんだからもっと感情を表に出せばいいと思うよ」

すると不思議な事が起こった。
ヴィルヘルミナの頭の上にあるヘッドドレスが変化したのである。
この変化を悠二とベルペオルは目を大きく見開いて眺めていた。
ヴィルヘルミナは上を見るようにして視線だけを上げていたためその変化には気付いていなかったが、悠二達の様子と視線で神器"ペルソナ"の異変に気付き右手を頭の上に伸ばすとヘッドドレスを外して自分の胸の前に持ってくる。

「むむむ!」

「じ、神器の色が……」

「変わった、よう、だね………」

三人が三人とも同じ驚きを示し、神器"ペルソナ"の形をそのままに色だけをオレンジに変えたティアマトーが今までと変わらない淡々とした口調で言った。

「感情色」

つまり心の色と言いたいらしい。
ティアマトーは自分なりのやり方で感情を表に出した。
しかしその方法が、想像の遥か右斜め上をいっていたために三人は度肝を抜かれていた。
驚き唖然とする三人を代表してヴィルヘルミナがティアマトーに色の意味を尋ねる。

「ティアマトー。その色の意味は何でありましょう?」

「歓喜」

「さては、声が綺麗と言われ嬉しかったのでありますな?」

「肯定」

今度は肯定の返事とともにベッドドレスの色を鮮やかなピンクに変えた。

「……どうやら照れているようであります」

「羞恥」

その様子を最初は唖然と、後からは楽しそうに笑って見ていた悠二が尋ねた。

「ねぇ、ティアマトー。他の感情も色で表現する事ができる?」

「可能」

「じゃあ、他のも色々と見てみたいな」

そう言って興味津々とばかりに悠二はヴィルヘルミナの持つヘッドドレスに顔を近付けると、羞恥のピンクをより鮮やかにしたティアマトーが、やはり口調だけは淡々した調子で言った。

「御題要求」

「うーん、御題ね……何がいいだろう?」

どんな感情の色が見たいとティアマトーに聞き返され悠二は手を顎にやり真剣に考え始めようとした時、彼のお腹から擬音が鳴る。

グゥ〜〜!!

するとティアマトーは悠二の言った通り、他の感情を表現するため神器の色を赤に変える。

「爆笑」

悠二の顔はこれまでに無いぐらい赤面していた。
その音を間近で聞いていたもう一人の女性、ヴィルヘルミナは小さく優しげな微笑を浮かべると赤面する悠二の顔を覗き込む。

「ユウジ、お腹が空いたでありますか?」

「う、うん」

赤面した顔のまま恥ずかしそうに悠二は頷き返事をした。
よく考えれば朝から何も口にしていなかったのである。
今日はベルペオルとのデートの約束でばらばらに家を出たため朝ご飯を食べ損なっていた。昼は昼で、ベルペオルとどこかの店で食事を取ろうと考えてはいたのだが、ヴィルヘルミナの奇襲にあい教授こと"探耽求究"ダンタリオンの実験と称した自在法によって過去へ飛ばされてしまって食事を取ることが出来なかった。

「では、何か食べる物を用意してくるのであります」

ヴィルヘルミナはそういい残し部屋を出て行こうとするが、ベルペオルがそれを止める。

「お待ち、"万条の仕手"。その必要は無いよ」

止められた彼女は不思議そうに聞き返した。

「何ゆえであります?」

「それは、こういう事さ」

ベルペオルは言葉と共にに自分の胸の谷間に手を突っ込むと一枚の灰色の長衣のようなマントを取り出して見せる。

「? ……そんな布切れではユウジの空腹は満たされないのであります」

何がしたいんだと問い詰めるような視線を向けるヴィルヘルミナに、ベルペオルは馬鹿にするなといった口調で返す。

「そんな事は分かってるよ。誰がこれを食べさせるって言ったんだい! まあ、黙って見ておいで」

そう言ってベルペオルは取り出したマントの中にもう片方の手を突き入れる。
厚さ数ミリも無い薄い布に彼女の腕が肘の辺りまでがすっぽりと埋まっていた。

「うーん、確かこの辺に…………あったね!」

お目当てのものを探り当てたベルペオルはマントの中から手を引き抜くと、その手には一つの大きなバスケットが握られていた。
見れば蓋もしっかりと閉められており、お弁当を詰めてピクニックに出かけたくなるような、そんなバスケットである。

「ベル、もしかしてその中身って?」

ベルペオルは悠二ににっこりと笑い頷き、彼の座っているベッドに腰を下ろすとバスケットの蓋を開いて中を見せる。
中には悠二の予想通り、食べ物が入っていた。
その種類も豊富でサンドイッチに始まり、アスパラのベーコン巻きに玉子焼き。昨日の残り物のハンバーグとポテトサラダ。
そして、小さいながらも存在感たっぷりで自己主張しているたこさんウインナーが、どれも複数入っている。
バスケットの中身を物欲しそうな目線で見つめる悠二にベルペオルは笑みを崩さず、それを彼の前に広げて誘うように言った。

「ほら、たんとおあがり悠二」

「うん! それじゃあ、いただきます」

お行儀良く、両手を合わせて返事した悠二はサンドイッチに手を伸ばし自分の口へ運ぶ。
ベルペオルも悠二と同じ物を手に取り口に運んだ。
だが、ヴィルヘルミナの目がこちらに向いているのに気付いてしまって、悠二は口に入れる寸前でその手を止めてしまった。

「…………」

悠二はヴィルヘルミナの視線が気になりどうにも落ち着かない。
手の止まった悠二を見て小さくサンドイッチを一口かじったベルペオルが不思議そうな顔で尋ねてくる。

「……どうしたんだい? 食べないのかい悠二」

「いや、食べるけど……その、ヴィナは食べないの?僕達だけ食べるのは何か落ち着かないんだけど……」

すると、ヴィルヘルミナは先程までの悠二と同じ物欲しそうな視線を向けながらも遠慮がちに聞いてくる。

「私も食べていいのでありましょうか……?」

「当たり前でしょ! 二人で食べるには量も少し多いし、ベルもそれでいいよね?」

「…………」

言われたベルペオルは折角悠二のためだけに作ったのにと少々複雑そうな顔をしてる。
これがヴィルヘルミナ本人だけから食べたいと告げられていたのであれば答えは間違いなく決まっていた。
しかし、今聞いてきているのは悠二である。
なので彼女はどう答えるべきかと悩んでいると、そこに駄目押しの一手を彼が加えた。

「ベル、お願い。二人で食べるより三人で食べた方がおいしいよ! ね?」

笑顔と共に放った彼の一言にベルペオルは頬を赤らめ、ヴィルヘルミナにその顔を見られないようにと顔を彼女の位置とは真逆に首を振り言った。

「……しょ、しょうがないね。悠二がそこまで言うのなら、私はかまいやしないよ!」

とことん、悠二のお願いにだけは非常に弱く激甘のベルペオルである。
不機嫌そうに拗ねたような態度を取る彼女に悠二は苦笑しつつ、ヴィルヘルミナを近くに呼び三人で食べることにした。

「それじゃあ、ヴィナも早くこっちに来て一緒に食べよう」

「分かったのであります」

今度はヴィルヘルミナも先のベルペオルと同様、悠二が座っているベットに腰を下ろし、ヘットドレスを自分の頭に戻した。
三人は広げられた一つの大きなバスケットの中身を囲む形で座る。
悠二はこれでようやく落ち着いて食べることが出来ると、止めた手に握っているサンドイッチを自分の口に放り込んだ。
その瞬間、悠二の顔が喜色に緩む。

「 !!! 凄い、美味しいよベル。……これだけ美味しいと毎日でも食べたいぐらい」

改めてベルペオルの料理の腕と才能に驚かされ悠二は満面の笑みを浮かべると、ベルペオルの頬の赤みが更に増し今度ばかりはその顔を隠すのを忘れて悠二をじっと見つめていた。
そうなるってくると面白くないのがヴィルヘルミナである。
悠二の満面の笑みが向いている相手がベルペオルであればなおさらだ。
だらしなく緩みきった笑顔でサンドイッチを食べる悠二にヴィルヘルミナは思わずムッとして些か乱暴に彼と同じ品に手を伸ばし、味に不満があれば文句の一つでも言ってやろうという思いでそれにパクついた。
しかし、咀嚼(そしゃく)を繰り返していくにつれヴィルヘルミナの表情が変わっていき、手元に残った最後の一欠けらを飲み下した後には感嘆の声が漏れた。

「むむむっ!こ、これは……美味しいのであります……いったい誰が作ったのでありましょうか?」

悠二は食べるのを止めて視線を動かした。
ヴィルヘルミナはその視線を追ってゆく、と、そこにはベルペオルが満足気に笑っている姿があった。

「なっ!……ま、まさか、"逆理の裁者"が作ったのでありますか?」

「驚愕」

ヴィルヘルミナは驚き、仰け反るようにして体を後ろに反らした。
ティアマトーも、ベルペオルが料理を出来たことにヘッドドレスの色を変えて驚いている。

「何をそんなに驚いているんだい? さして、そこまで難しい料理でもあるまい。お前だってこれぐらいは出来るだろう?」

そう、ベルペオルの言った通り。サンドイッチとは、朝の短い時間に片手間で作れる極めて単純な料理であった。
ティアマトーはともかく、ヴィルヘルミナはフレイムへイズであっても基は人間の、ましてや女性なのだから、出来ておかしくはあるまいと不思議そうに言っていた。

「た、たた、たしかにそうであります」

突っ込まれたヴィルヘルミナの様子がおかしい。狼狽し、舌を噛んで、声が上ずったのである。
これを見たベルペオルは自分とヴィルヘルミナの女のとしての性能差を一瞬で見抜き追い討ちをかけた。

「おやおや、本当かい?」

薄い唇の端を切れ上がらせるようにして笑う。

「むっ!も、もちろんであります!……私もこの程度の料理であれば物の数分で作って見せるのであります」

「冷凍食品」

ヴィルヘルミナは自分の頭をゴンと叩いた。

「ティアマトーは黙っているであります!」

「了解」

それを見た悠二は苦笑し、ベルペオルは呆れ返っている。

「おい、"万条の仕手"。それは作るとは言わないよ! もっとこう、そういった物に頼らずに自分の力だけで作れる物は何かないのかね?」

「馬鹿にするなであります!そんな物使わずとも私だって作れる物ぐらいあるのであります!」

「ほう、それはなんだね?」

再びベルペオルは愚者を笑うようにして唇の端をくいっと吊り上げた。

「うむむむっ……ゆ、湯豆腐と、生サラダであります」

言いよどんだヴィルヘルミナに、黙っていろと言われたティアマトーが癖なのかいつもの調子で続ける。

「料理音痴」

次の瞬間ヴィルヘルミナの手が自分の頭にあるヘッドドレスへと光速で伸び、それを掴むと部屋の隅に設置されているくずかごにポイッと投げた。
神器ペルソナが宙を舞う。
そして見事に綺麗な放物線を描きその中心へと落ちたティアマトーに向かってヴィルヘルミナは言った。

「ティアマトーは裏切り者であります!」

ヴィルヘルミナは怒っていた。

「…………」

反省してるかのようにくずかごの中心で何も言わないティアマトー。
流石にこれには悠二もティアマトーのことを不憫に思いヴィルヘルミナに言った。

「ねぇ、ヴィナ? あれじゃあ、ティアマトーが可哀想だよ」

「むー」

悠二に言われ許そうかと唸るように考えるヴィルヘルミナ。
しかし、そこに事態を更にややこしくさせる一言をベルペオルは叩き込む。

「そうだよ。自分が料理を出来ないのを棚に上げて"夢幻の冠帯"に八つ当たりとは酷い女もいたもんだね」

「こら、ベルはそうやって煽らないの!」

「うっ……」

悠二に叱られベルペオルは押し黙った。

「ヴィナ。ティアマトーも反省してるみたいだし許してあげようよ。ね?」

言われた彼女は、悠二にここまで思ってもらえたティアマトーに、内心嫉妬の感情を抱きつつも渋々許した。

「……分かったのであります。悠二がそこまで言うのなら戻って良いでありますよティアマトー」

すると、神器ペルソナの姿がくずかごの中からヒュンと消え、ヴィルヘルミナの頭に姿を現した。
そのティアマトーに悠二はにっこり笑う。

「許してもらえて良かったね!ティアマトー」

「感謝」

ティアマトーは短くではあるがヴィルヘルミナとの仲を取り持ってくれた悠二に礼を言った。
悠二は、彼女達の仲がもとに戻ったことに安心して満足そうに頷き、残りのお弁当を食べ始める。
ベルペオルやヴィルヘルミナも悠二に続いて箸を進めた。
その間、悠二はベルペオルとヴィルヘルミナが再び不毛な言い争いを始めないようにと、当たり障りの無い話題を両者に振り、場の空気を和ませるのに全神経を使っていた。
その話題とは、ヴィルヘルミナがこの御崎市に訪れた理由や、ここより遥か遠い未来にいる母、千草のことであった。
そして、お弁当も全て食べ終わり、ベルペオルは現代に戻る方法を話し合う前に飲み物を用意してくると言って部屋を出て行く。
今現在、この部屋には悠二とヴィルヘルミナ、二人の姿が残されていた。
悠二はただ待っているのも暇なので何か話をしようと思いヴィルヘルミナの方をふと見る。
すると、深刻そうな顔が目に入ってきた。
いつも通りであれば背筋を伸ばし姿勢の正しい彼女が、今は背を丸め、中身の入っていないバスケットをじぃーと見つめている。
そんな彼女の様子から、その心情を察した悠二は恐る恐る聞いてみた。

「ヴィナ? その、料理の事気にしてるの?」

「そ、そうであります……」

図星を突かれたヴィルヘルミナは、気まずそうに空のバスケット見つめたまま答えた。
ベルペオルの料理の腕に予想以上のダメージを受けているようだ。

「そこまで気にしなくてもいいと思うけど、僕も料理はあまり出来ないし」

「それなら、なおさらなのでであります……」

何がなおさらなのか、悠二はよく分かってはいなかったが、自分がフォローの為に言った一言でヴィルヘルミナの深刻そうな顔がよりいっそう濃くなったのは分かった。
よっぽど気にしているのか、肩の位置を僅かにながら、しゅんと落としてしまっている。
これを見た悠二は、慌てて別のフォローを入れる。

「……えーと、ヴィナ。あのね、僕は全然気にすることないと思うんだけど……ヴィナがどうしても気になるって言うのなら……母さんに、習ってみたらどうかな?」

「ユウジのお母様にでありますか?」

「うん。ベルも母さんに習ってたみたいだしね」

それを聞いたヴィルヘルミナは不安そうな顔を悠二に向けて聞き返す。

「私にも、教えていただけるのでありましょうか?」

「母さんはそういうの好きだし、きっと教えてくれるよ!」

悠二に励まされ一縷の希望が見えてきたヴィルヘルミナの表情が和らいだ。
しかし、それはほんの少しだけである。彼女にしてみればまだ肝心な事が聞けてはいないのだ。
ヴィルヘルミナはその肝心なことを聞くために、まだ不安の残る表情を浮かべたまま意を決して口を開いた。

「その、ユウジは、私の料理を食べてみたいでありますか?」

「うん!」

「……わ、私は、あまり料理は、と、得意ではないでありますよ?」

「いいよ!」

「……本当でありましょうか?」

「もちろん!」

悠二は笑顔ではっきりと答える。
ヴィルヘルミナの表情がまた少し和らいだ。
どうやらもう一押しのようである。

「……ど、同情は、いらないのでありますよ」

「同情じゃないって、本当にそう思ってる! ヴィナが作った料理すごく食べたいよ」

「……美味しく出来ないかもしれないであります」

「それでも、ヴィナが頑張って作ってくれた料理なら喜んで食べるよ。ちゃんと残さずにね!」

料理に自信が無く、次々と質問をぶつけてくるヴィルヘルミナに対して、悠二は自分の素直な気持ちを伝えた。
その悠二の気持ちが通じたのかヴィルヘルミナの表情もお弁当を食べ終えた直後とは見違えるほどにまでなっている。

「……そうでありますか……ユウジは私の料理をすごく食べてみたいでありますか……」

悠二に言われたことがそんなに嬉しかったのかその言葉をかみ締めるように復唱し、とても幸せそうに笑うヴィルヘルミナ。
その笑顔を見ていると悠二まで幸せな気分になる。
互いに見惚れて、視線を合わせ見つめ合い恋人同士のような雰囲気をかもし出す二人。
このままいけばキスの一回や二回は流れに任せて自然と交わしそうな空気であったのだが、これを好しと思わない女の放つ重圧によってそうはならなかった。

ゾクッ――。

(うっ……な、なんだ、急に寒気が……)

悠二は不意に背筋に寒気が走るのを感じた。
それと同時にかなり強烈な視線を感じる。

(ま、まさか……)

嫌な予感がして恐る恐る視線の方に振り返る。

「…………」

(やっ、やっぱり……)

そこには、部屋の出入り口の扉を開た所でじぃーっとこちらを無言で睨んでいるベルペオルの姿があった。
ベルペオルは悠二とヴィルヘルミナの二人と目が合うと、手にしている三人分の飲み物を適当にその辺へと置きゆっくりとこちらへ近付いてくる。

「悠二! "万条の仕手"! お前達は一体何をやってるんだい?」

二人に向けた放った言葉の声質は、普段の彼女の物より低かった。

「へっ!?」

「…………」

悠二は今のベルペオルの放つ計り知れないプレッシャーに押されて素っ頓狂な声を上げた。
ヴィルヘルミナは折角のいい雰囲気を邪魔されたのが気に食わないようで無言でそっぽを向く。

「へっ!? じゃ、ないだろう悠二。私が飲み物を用意している間に一体何をやっていたのか正直に言ってごらん」

「えっ、えーっと……」

「ほら、早く」

ベルペオルの目が据わっている。

「い、いや、ベルが飲み物を用意している間に、ただ待ってるのも暇だったから……ヴィナと少し話をしようとしてヴィナの方を見て……」

「ほーう。……それで?」

「その、料理の事が気になってたみたいだったからだったから……母さんに習ってみたらどうかなって進めてみて……それでヴィナの作った料理を食べてみたいって聞かれたから……食べてみたいと素直に答えただけだよ。うん……」

「ふーん」

悠二は冷や汗をかきながら必死にベルペオルに状況の説明をする。
しかし、一向にベルペオルは冷ややかで恨めし気な視線を収めようとはしない。

(こっ、こわい……)

悠二はベルペオルに何を言われるかドキドキしていた。
ヴィルヘルミナは無言で表情こそ変えないものの、悠二が自分の口から素直に食べてみたいとベルペオルの前で言った事に優越感を覚えている。
しばらく視線の質を変えずに二人の様子を凝視していたベルペオルがゆっくりと口を開く。

「……ねぇ、悠二。悠二は私の料理を美味しいと言ってくれたろう?」

「え……そ、それは、もちろん」

「さっきも、私の料理を毎日でも食べたいぐらいって言ってたね?」

「……言いました」

先程、確かに自分でそう答えていたので認める。
するとベルペオルの睨みが一転して、悲しいそうな表情に変わった。

「……じゃあ、何で"万条の仕手"にそんな事言ったんだい」

「えっ」

「私は悠二の為に……いつか旅立つ日が来ても寂しい思いをしないで済むようにって、千草の味に少しでも近づけるようにと思って……千草に聞いて一から料理を覚えたのに……それなのに、"万条の仕手"にそんな事を言ってしまうなんて……どうせ私の料理を毎日でも食べたいって言ってくれたのは嘘だったんだろう……」

怒られると思っていた悠二は、悲しそうな表情で視線を下に落としていじけるベルペオルにどう対処していいのか困ってしまった。
この彼女の様子にはヴィルヘルミナも、かなりの衝撃を受けると同時にほんの少しの罪悪感を覚えてしまっている。
悠二は困り焦りながらも、自分の言動がベルペオルを傷つけたと思いフォローを入れる。

「ご、ごめんね、ベル。そこまで考えが回らなくて……でも、ベルの料理が食べたくないって言ってる訳じゃないんだよ。本当にベルの料理は美味しいし……ベルが今度から作ってくれるって言ってたお弁当も、凄く楽しみにしてるよ」

悠二はそう言ってベルペオルの顔色を伺う。
だが、ベルペオルはぷいっとそっぽを向いた。

「本当にそう思ってるか怪しいもんだね」

どうやら、ベルペオルは完全にいじけてヘソを曲げてしまっているようだった。
悠二はこれまでない激しいいじけ方にどうしたら良いか分からず途方に暮れていると、悲しげな表情のままベルペオルがこちらに視線を向けてきた。
悠二の目をじっと見つめて訊いてくる。

「…………本当に、そう思ってるかい?」

「うん!」

「……朝、昼、晩、毎日でも食べたいぐらいに、かい?」

「うん、さっきもそう言ったでしょ。僕を信じてよ」

「……じゃあ、私の事は好きかい?」

「えっ、う、うん、それはもちろん」

なにやら徐々に論点がずれてきている気がするが、ベルペオルの悲しそうな表情を目の前にしている事もあってか悠二はそれに気付いていない。

「なら、言葉だけじゃなくて……行動で、示しておくれ」

「ベ、ベル……?」

ベルペオルはしなだれるようにして悠二に体を預けてくる。

(こ、これは、もしかして抱きしめろと、そういうことなのか?)

悠二は意を決して、ベルペオルの背に両手を回ししっかりとと抱きしめた。
ベルペオルは抵抗することなくそれに従い、悠二の体を抱きしめ返して彼の肩に自分の顔を乗せて小さく笑った。
これを見たヴィルヘルミナの罪悪感は、光速を軽く凌駕するスピードで遥か成層圏の彼方へとぶっ飛んでいってしまった。
なぜならそれは嬉しそうな笑顔ではなく、ヴィルヘルミナの方をチラッとだけ見て唇の端を密かにくいっと吊り上げたためである。
そんな状況に一瞬で零から沸点にまで達したはヴィルヘルミナは、急いでベルペオルから悠二を引き離し彼女を見たまま声を張り上げる。

「騙されてはいけないのでありますユウジ! "逆理の裁者"は貴方をたぶらかすつもりであります!!」

「えっ、ちょっ、ヴィナいきなりどうしたの?」

悠二はヴィルヘルミナの方に強引にいきなり引かれそんな事を言われたので訳が分からない。
だがヴィルヘルミナがベルペオルのことを言ってるのは分かったのでそちらに視線を動かした。
するとベルペオルはしれーっと幸せそうににっこりと笑って口を開く。

「悠二が私の事を好きといって抱きしめてくれたから信じてあげるよ」

そう悠二に告げると、それを聞いたヴィルヘルミナの怒りがますますヒートアップした。
悠二がベルペオルに言葉を返す前にと会話に割ってはいる。

「"逆理の裁者"! 何をいけしゃあしゃあと言うでありますか! 勘違いも甚だしいのであります。ましてやユウジを騙して既成事実を作るとは不届き千万であります!」

「勘違い? それに騙す? 一体何のことを言っているのさ? 私が悠二を騙すだなんて、するわけないだろう……」

ベルペオルの仕草は実にしおらしく悲しげに目を伏せた。
事情の分からない悠二ならともかく、先程の笑みを見たヴィルヘルミナにとっては、その仕草は挑発されてるに等しい。
案の定、ヴィルヘルミナの怒りのボルテージは天井なしと言わんばかりにに上がっていく。

「よ、よくもそんな戯れ事を、もはや我慢の限界であります! そのふざけた言動、この場で粛正してやるのであります!」

これを聞いたベルペオルは予想通りの展開に見えないようにニヤリとほくそ笑むと、次の瞬間にはその笑みを消して悠二にしなだれかかった。

「悠二ぃ、助けておくれ。"万条の仕手"が私に難癖付けてくるんだ。」

ベルペオルは悠二の胸元に頬を当て、上目遣いに悠二に助けを求めた。

「ななななんとういう女でありますか!信じられないのであります!!」

「フンッ。お前みたいな料理の出来ない駄メイドに言われたくないね!!」

「むっ!言ったでありますな……」

「ああ、言ってやったさ。だが事実だろう?」

「「…………」」

悠二を抱きしめて離さないベルペオルと、悠二をベルペオルからなんとしても引き剥がしたいヴィルヘルミナの睨み合う瞳と瞳が火花を放つ。
もうこうなってしまっては悠二には何がどうなっているのか訳が分からない。
元気になったベルペオルに、いきなり烈火の如く怒り出したヴィルヘルミナ。
このまま二人を放っておけば再び戦闘になるのは目に見えて分かっていたの取りあえず止めようとしたその時。
予想だにしない第三者が部屋の扉を開けて入ってくる。
三人は、虚をつかれてそちらに視線を動かした。

「すいませんお客さん。静かにしてくれないですかね・・・・・・他の部屋からも苦情がきてるんですが・・・・・・」

見れば宿屋の店主が頬をひくつかせて営業スマイルを浮かべていた。
その様子からして相当怒っているようだった。
しかし、普通の客ならこれで謝罪の一つでもして黙るところだが、今の悠二以外の二人はそうではなかった。

「部外者がくちだしするんじゃないよ!!!!」

「部外者はくちだしするなであります!!!!」

「ひぃーーーっ」

ギロリッという二人の睨みと供に凄まじい迫力と殺気を受けた店主は腰を抜かして部屋から急いで逃げ出していった。
その背中に悠二はすいませんすいませんと何度も平謝りをすると二人に向かって口を開く。

「ちょっと二人ともなんて事言うの! このままだと僕達うるさいって言われて部屋を追い出されちゃうよ! 僕、そんな理由で野宿したくないんだけど・・・」

「むむむむっ……そうでありますが"逆理の裁者"が……」

と、ヴィルヘルミナの台詞の途中でベルペオルが割ってはいる。

「人の所為にするでないよ!お前が全部悪いんだよ!」

二人は一向に争いを止める気配がない。
そんな二人に悠二は一際大きいため息を一回はいた。

「そう、わかったよ。じゃあ僕は新しい部屋かりてそっちで寝るから」

そう言って悠二は部屋を出て行こうとする。
すると二人は寂びそうな顔をして悠二に聞き返した。

「なぜだい?」

「なぜであります?」

「だってこのままだと本当に追い出されちゃうし……僕も一部屋で済むならベルとヴィナと一緒にいたいけど・・・・・・二人は喧嘩をやめてくれないんでしょ?」

「うっ……」

「むっ……」

押し黙って下を向きばつの悪そうな顔をする二人。
本当にこういう反応はおかしい位似ている二人に悠二は心の中で苦笑を浮かべると続けた。

「ねぇ? ベル、ヴィナ、反省してる?」

ベルペオルとヴィルヘルミナは顔を上げてこくりと頷いた。

「じゃあ、もうあまり喧嘩はしないでね。それと関係ない人に殺気とばしちゃだめだよ」

「……分かったよ」

「……分かったであります」

こうして今回は炎弾や宝具なのどの物騒な物も飛び出さずに一件落着して、部屋も追い出されずに済み事なきを得た悠二はほっと胸を撫で下ろした。

 

そして、悠二達一行が過去についてようやく一息ついた頃。
オストローデの市街地より遥か数十キロ離れたハルツの山地。その暗き夜の闇に、数万の色とりどりの怪火(カイカ)とも呼べる異変が渦巻いていた。
ここは、これからのこの集団が入城予定である金城鉄壁の大城塞を眺める絶好の位置に敷設(フセツ)された《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 の仮本陣であった。
物資運搬用の荷物の間に飾り幕を張っただけ、という簡素な様式で全体に大雑把な方陣、正方形の配置を組んでいる。
その人ならぬ異形の"徒"たちがひしめき合う本営の中央に、特別広大な『九垓天秤(クガイテンビン)』らの集う空間があった。
彼ら《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 最高幹部たる九人の"紅世の王"の総称、『九垓天秤(クガイテンビン)』は一つの宝具の名から流用したものである。
その宝具は、中央の支点から九枝(クギ)の腕を広げる黄金の上皿天秤という奇怪な形状をしており、特筆すべき機能として、"徒"の持つ存在の力を支点から皿へと、皿から皿へと再分配する事が出来た。サイズも伸縮自在で、上皿に家さえ載せれるほど大きくも出来れば逆にテーブルに載せるほど小さくもなる。
今、宝具『九垓天秤』は人の背丈大に縮められ、集まった九人の『九垓天秤』らの中央に据えられている。
この彼らが、在るべき場所の目印を囲む一人。
体躯の輪郭が黄色の輝きを放つ、派手な礼服で着飾った直立する牛骨の顔がせわしく歯を鳴らしながら言った。

「あ、主の戻りがあまりにも遅すぎではないでしょうか……も、もしや、なにかあったのでは……」

骨体(コツタイ)までもをせわしく動かしていまだ戻らぬ主の身を心配しているようだ。
彼の名は"大擁炉(ダイヨウロ)"モレク。
『九垓天秤』の一角、宰相たる地位にある組織のナンバー2で強大な紅世の王である。が、骨の身をカラカラと鳴らしオドオドと動揺を見せる姿には貫禄の欠片さえない。
そんな彼の向かい側、輪郭が枯草色に輝く黒い毛皮のオーバーコートを纏った痩身(ソウシン)の女性が鋭い叱声を上げた。

「黙れ! 少しは落ち着かんか! 痩せ牛」

黒衣と黒髪の内に、色の抜けるような鋭い白面をみせる美女である。その顔と、頭上に一対生えた獣の耳の内にある毛だけが黒い全身に三点の白を浮かび上がらせている。
その痩身の、右腕だけが異様に大きく、コートの袖が漏斗(ロウト)のように広がって地面についていた。
袖の口からは無骨な黒い爪が放り出されていて、それが彼女の纏う物騒な雰囲気をより強くしている。
彼女の名は"闇の雫(ヤミノシズク)"チェルノボーグ。
『九垓天秤』の一角、暗殺と遊撃を旨とする『九垓天秤』の隠密頭である。
彼女にきつく言われたモレクは落ち込むように肩を落としたその隣。
牛の十倍はある巨体を巨体をうずくまらせ、熊の十倍はある四肢を苛立ちに揺すり、胴の半ばまで裂けた口に牙を並べる狼が、ため息のように焦茶の火を噴いてモレクに続ける。

「だいたい、てめーは心配しすぎなんだよ」

"戎君(ジュウクン)"フワワ。
『九垓天秤』の一角にして遊軍首将、戦機に応じて敵の虚を強襲する、または危険な任務に率先して当たる、遊撃部隊の勇猛なる長である。

「し、しかし」

と、モレクが返事をしたその逆隣。

「ならばどうしたいのだ、モレク」

厳しく締まった声がくすんだ色合いの壷から響く。その壷には槍に剣に棍棒、様々な武器が刺さり中からはチラチラと雪の様に黝(アオグロ)の火の粉が零れていた。
"天凍の倶(テントウノグ)"ニヌルタ。
『九垓天秤』の一角にして中軍首将、首領たるアシズを守り全軍の中核となる主力軍を率いる堅実にして冷静な指揮官である。

「そ、それは……」

言いにくそうにしているモレクに代わって城壁のような分厚い鉄板を組み合わせた巨人が語尾を大きく震わせて訊いた。

「主を迎えにいくうううう?」

そう訊いた彼の胡坐(アグラ)をかく身に首はなく、胴体部分の白い染料で描かれた双頭の鳥の部分から濃紺(ノウコン)の火の粉を散らしている。
"巌凱(ガンガイ)"ウルリクムミ。
『九垓天秤』の一角にして先手大将、もう一人の先手大将とともに先陣を切る卓抜した戦術眼と統率力の持ち主である。

「は、はい、そうです。主を今から迎えに……」

と、モレクの台詞も終わらぬうちに新たな一人の王が声を上げる。

「これはこれは、賢者として名高い宰相殿のお考えとは思えませんな!」

一枚の葉もない石の大木が、口のようなウロから甲高い声を吐き出していた。
双眸(ソウボウ)と見紛う割れ目とともに黄土色の光を染み出させる姿は、まるで気に宿った幽鬼(ユウキ)である。
"焚塵の関(フジンノセキ)"ソカル。
『九垓天秤』の一角にして先手大将、同様の地位にあるウルリクムミと二人、全軍の先駆けを任される名うての戦上手であった。

「はっ!? はぁ、申し訳ありません。」

ソカルの即座の反発に、モレクは飛び上がって慄(オノノ)く。
この様子のモレクにチェルノボーグは内心のイライラを隠さず、組んだ左腕の指を叩いた。

(まったく、無様な……もう少し大度(タイド)に構えればどうなんだ……少しは主の前で見せる態度を私達にもしめしてみろ……本当に私は何でこんなやつの事を……)

そう、チェルノボーグはモレクに密かに心を寄せていた。
その所為か、ソカルの反発に動揺し狼狽する彼の姿をみてイライラを募らせてゆく。
心なしか、組んだ左腕の指を叩く速度も上がっていた。
その間も、ソカルは自分の持論をモレクに熱弁してる。

「つまり、つまりですな!宰相殿。 我ら"徒"が不用意に動けばどうなるか自ずと結果が見えているというものでしょう」

「はっ、はあ……」

と、終始その弱々しい物腰と態度を見せるモレクについに人の気も知らないでと業を煮やしたのかチェルノボーグが叩く指を止め動き出そうとした時。

彼女の密かな思いに感づいている、今まで蹲(ウズクマ)っていた長老が含みのある鈍色(ニビイロ)ため息と共に鎌首を持ち上げた。
分厚い甲羅と鈍色の鱗で巨躯(キョク)を覆った四本足の有翼竜(ユウヨクリュウ)である。
長老は話を始める前にチェルノボーグの方をチラと横目でみて、行動の出端を挫かれ顰(シカ)めっ面でこちらを見る彼女を全く素直ではないと心の中で苦笑しつつ口を開いた。

「つまり、ソカルが言うておるのは今我々が動けばフレイムヘイズどもに気付かれ主の身もあるなくなる、ということか」

"甲鉄竜(コウテツリュウ)"イルヤンカ。
『九垓天秤』の一角にして『両翼』の左、《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 の力の象徴とも呼ばれる最強の二将、その盾たる片割れである。

「さすがはイルヤンカ殿、ご明察です」

言葉だけは長老をほめているようでも、口調の方では明察できない連中を馬鹿にしたようにも聞こえる。
なんとも癇(カン)に障(サワ)る男だった。
この態度に、普段から反りの合わないニヌルタが石の大木へと挑発気味に言い返す。

「ふん、己の回りくどい言い回しを棚に上げてのその言い草とは。語るに落ちる、とはこのことか」

「……なんですと!?」

バキバキ、と大木の幹が鳴動する。
根が花崗岩(カコウガン)に食い込んで見る間に太くなってゆき、枯れた枝から無数の黄土色の火の粉が零れ落ちるように舞い始める。
激しく光を明滅させるウロの中から、邪悪さを加えた甲高い声が漏れ出した。

「たわいもない戯言ならともかく、そればかりは聞き捨てなりませんな!」

「ふん、ならば次はどうする気か? どうせなら一度開けば虚妄(キョモウ)が飛び出すその口ではなく、行為で答えるがいい」

今度は対するニヌルタの声の冷たさが形となったように刺された武器の表面に白く霜が張る。
同時にガラスの壷の中から、すう、と氷の粒が舞い始めた。
その氷の粒は数秒の内に吹雪のように渦を巻いて壷を浮き上がらせてゆく。

「お、お二方とも、どうか落ち着いてください!」

モレクが慌てて両者の間に入ろうとする。

(馬鹿が! 何度打ち砕かれれば気が済む!!)

その、容易に己が身を捨てるモレクのやり方を、チェルノボーグは心中で罵った。
見かけなど飾りに過ぎない、異常な大きさと規模の力を持つ彼は、揉め事があった場合、自分の骨体を壊させ砕かせる事で、当事者間にある鬱憤(ウップン)を晴らさせる。
その行為の意味や効果の程は十分にわかってはいたが、それでも彼女はモレクのやり方が気に食わない。

(お前がそうだから、こいつらも甘えて、いつまでも幼稚ないざこざを起こッ──!!)

刹那、

岩を掘る根、風に舞う氷、それら二つが触れかけた間に、一条の虹が迸(ホトバシ)った。
爆発とも破壊とも付かない衝撃音が辺りに木霊し、鮮烈な七色の光が一同の目を妬く。

「貴公ら、我等が大願の成就のため、留守にしている主を無様な内紛で出迎える気か」

イルヤンカの足にもたれ眠りに興じていた男が、七色の破壊光、当代最強を誇る攻撃系自在法『虹天剣(コウテンケン)』を発した剣を突き付けて静かに言った。
銀の長髪に金冠を模した額当て、青い軍装という騎士、あるいは剣士、の格好をした青年であった。
"虹の翼(ニジノツバサ)"メリヒム。
『九垓天秤』の一角にして『両翼』の右、イルヤンカとともに《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 の力の象徴として軍団を支える最強の二将、その剣たる片割れである。
泡を食って根を引き戻す大木、再び地へと落ちる壷に、メリヒムは付け加えた。

「それに、睡眠の邪魔だ」

そこの言葉は冗談や軽口ではなかった。
現に、剣を目にも留まらぬ速さで腰間の鞘へと収め再び目を瞑ってしまう。

「ちゅ、仲裁に感謝いたします、メリヒム殿」

「…………」

どうやら、モレクの謝辞(シャジ)にも返答すらしない。
最強の将ならば、ここでこの場を収める言葉の一つもあってしかるべきだったが、口は不機嫌に引き伸ばされて開く気配はなかった。
彼は、『九垓天秤』のリーダーが自分でないことを知っているため余計な事を言わないのである。
その同じ『両翼』たるイルヤンカの方は、その本当のリーダーに向けて穏やかに言った。

「して、宰相殿はどうしたいのだ? この場で主の帰りを待つか、迎えに行くか、お主が決められよ」

そんな自覚の欠片もない牛骨をカタカタと振るわせる宰相は、怯えながらも懸命に考える。

(た、確かに、ソカル殿やイルヤンカ殿が言った通り、今我々が動けば主の身に危険が及ぶかもしれない………いや、しかし、なにかあってからでは…………)

主のことを思えば思うほど、この押し問答のような考えにモレクははまっていったその時。
魔物と女と獣の面を貼り付けた人間大の亜麻色の光沢を放つ卵が、それぞれからおどけた声で意味不明な言葉を張り上げた。

「我らの懸念は晴れた」「貴方の家臣を受け取ってください」「我等は争いなどしてはいません!!」

"凶界卵(キョウカイラン)"ジャリ。
『九垓天秤』の一角にして大斥候(ダイセツコウ)、無数の蝿を操る自在法『五月蝿る風(ウルサバルカゼ)』によって広く情報を収集する組織の枢要(スウヨウ)たる変人である。
しかし、そのジャリの発した意味不明な言葉に、主への言葉が含まれていた。
モレクはそれに気付き周りを見回してみると、いつの間にかメリヒムが立って、剣の位置を直していた。
イルヤンカも、首を大きく持ち上げ、感嘆とも陶酔(トウスイ)とも取れる唸りを漏らす。

「おお」

それにつられ他の一同も見やる空。
夜の闇が支配する暗き空に、輝きの欠片のような青き羽根が一片、はらりと舞っていた。
やがてそれは、置かれた宝具『九垓天秤』の中央に、集う九人の『九垓天秤』の中央に、舞い降りる。
その羽根と同じようにして後から多くの羽根が山上に降り注ぎ、豊かな光で『九垓天秤』のみならず、仮陣営にある全ての"徒"たちもを包み込んでゆく。
今まで騒いでいたほかの"徒"たちや、もちろん『九垓天秤』ら九人の王も皆、一斉に静まり返って自らの主の光臨を待つ。
そして、誰もが見上げる天上の空から重い壮年の声とともに、仮面に角、逞しい体躯に翼を持つ、一人の青き天使が舞い降りていた。

「遅く、なったな……九垓を平らぐ、我が天秤分銅たちよ」

宝具『九垓天秤』が、この到来に反応し仮本営の空間をいっぱいに埋めて巨大化する。
最高幹部、九人の『九垓天秤』らは、敬愛して止まない無二の主へと、巨大化した宝具『九垓天秤』の大皿の上で各々の姿に見合った最敬礼の姿勢をとった。
"棺の織手(ヒツギノオリテ)"アシズ。
当代、最大級の規模を誇る"紅世の徒"の集団、対フレイムヘイズ軍団、《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 の首領、世にも名高き自在師にして世界の秩序への最大級の配信者である。
その優しき彼は、愛する子らに向けるように一同を宙で一回り眺め、天秤の中央へと爪先だけで降りて立ち、信頼する宰相へとまず問うた。

「なにか、変わったことは、あったか?」

問いかけられていない二人が、密かに恐怖からビクリとなる。
だがその恐怖は、力、苦痛、死への恐怖ではない。
優しさを与えてくれる主が悲しむ事への恐怖からである。
しかし、宰相"大擁炉"モレクは、敬礼のしたから平然と答える。

「いえ、特には」

その毅然(キゼン)とした立ち振る舞いには主を補佐する賢者としての、また、『九垓天秤』を纏める宰相としての風格が確かに現れていた。
ただし、本人にその自覚はない。
アシズはこの答えにわずかに視線を動かして、地に深々と刺さった『虹天剣』の後に微笑した。

「苦労をかける、我が宰相」

「……勿体無き、お言葉」

震えるような喜びを骨の総身に感じつつ、モレクは地に向ける顔を表に上げて続けた。

「恐れ入りますが主。『鍵の糸』に何かおありになったのでしょうか?」

モレクは何故遅くなったのかとは訊かない。
あえて、アシズがオストローデの人々を喰らい、トーチに施した仕掛けの名をいうことでその理由を伺う。
アシズもモレクが何を聞こうとしているのかを全て理解して口を開いた。

「いや、我が仕掛けになんら不備は無い。だが……トーチに身を代え存在の力を喰らい『鍵の糸』を施している最中にフレイムヘイズの気配が近付いていているのを感じた……」

その言葉にモレクや他の『九垓天秤』らも驚きを隠せないようで、敬礼の姿勢を解き主を見上げていた。

「では……フレイムヘイズ達が私達の計画に気付いているのでしょうか……」

「それは無かろう、オストローデ市内に入っても討滅の道具どもは何ら行動を起こす気配も見られぬ。放っておけば直に立ち去るであろう。」

主のその言葉に一同は平静を取り戻し、『九垓天秤』のリーダーたるモレクがその風格をただよわせ、主の判断を伺うように訊く。

「それでは当初の予定通りでよろしいでしょうか?」

これを聞いたアシズは天秤の支点の上で、遊ぶように爪先立ちの身をくるりと回し、居並ぶ『九垓天秤』たちに視線を巡らす。
平然当然とそこにある『両翼』。
今は騒がす静かに宙に浮かぶ大斥候。
自分の前では大人しいゆえに可愛い先手大将。
また悲しい葛藤を経たのか、少し元気のない隠密頭。
正しさからくる情の怖さを、刃に霜とみせる中軍首将。
呑気に欠伸を噛み殺す遊軍首将。
黙して頑とそびえる頼もしき先手大将。
そして最後に、普段は貫禄の無い無自覚な賢者へと告げる。

「良い」 

そう九人に告げた青き天使は、どこまでも大きく強く翼を広げ、この仮本営全体へと声を轟かせた。

「歓呼せよ!! 我等が大願が成就する日も近い!!」

直後、天地を揺るがす大歓声が、ハルツの山地に木霊した。

 

その一方、再び舞台は戻ってオストローデ市内の宿屋の一室。
今は、先程までの騒ぎが嘘のように静まり返っていて悠二達は同じ思案顔を浮かべて現代に戻る方法を考えていた。
悠二は前と同じベッドに寝転んで、ベルペオルはソファーに腰を下ろして、ヴィルヘルミナはもう片方のベットに座っている。
ティアマトーは表情というものが見えないのででわからないが、きっと三人と同じ顔をして考えているだろう。
その沈黙を悠二が先に破り躊躇いがちに口を開く。

「やっぱり……これしかないのかな……」

どうやら何か思いついた用である悠二にベルペオルは視線を移して尋ねてみた。

「何か良い方法でも思いついたのかい?」

「うん、ベルに前話してもらったこれから起こる大戦の話を思い出してるうちに考えつくには考えついた……だけど、良い方法かって言われたらそうじゃない。この方法を実行すれば間違いなく《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 が必ず動くと思うし、下手すればこの時代のフレイムヘイズ達とも戦う事になるかもしれない……」

そう言って思案の色を強めた悠二に今度はヴィルヘルミナとティアマトーが尋ねる。

「いったい、どのような方法でありましょうか?」

「意見聴取」

「うん」

悠二は返事をして体を起こすとゆっくりと喋りだした。

「じゃあ、まず最初に僕達がどうやってこの事態に着たかはベルもヴィナも覚えてるでしょ?」

「ふむ、教授の自在法だね」

「そうでありますな」

「そう自在法。だから僕達も同じ時間転移の自在法を使えば現代に戻れるはずなんだ」

その悠二の言葉をヴィルヘルミナは納得した上で、否定する為に口を開く。

「たしかに、理論上では可能であります。ですが……」

と、その台詞も終わらぬうちにベルペオルがそれに割って入った。

「お待ち、"万条の仕手"。悠二も馬鹿じゃないさ、お前の言いたい事ぐらい分かっているはずだよ。」

「うん、ヴィナが言いたいのは誰がその自在式を組むかでしょ?」

「そうであります。現に私もティアマトーもあそこまで大掛かりな自在式は組めないのでありますよ」

「不可能」

「うん、僕とベルもあそこまでの自在式は無理だよ」

「ふむ、教授は変人といえども宝具の製造や自在式に関しては天才といわれているからね」

ヴィルヘルミナはならどうやって、と言うような視線を悠二に向けてきた。
だが、悠二は大丈夫だよと頷く。

「僕達が出来ないのなら出来る人に……あれだけの自在式を組める天才に頼めばいいんだよ」

この言葉と先の悠二の言葉に、ベルペオルは言の真意を、悠二が言わんとしている事を全て理解して驚きのあまりはっと目を見開き声を大にして言った。

「まさか! 悠二、『小夜啼鳥(ナハティガル)』を使う気なのかい?」

これを訊いたヴィルヘルミナも驚きの様子を大にして悠二に訊いてくる。

「本気でありますか!? た、確かに、『小夜啼鳥』を使えば可能なのでありましょうが……」

そう、彼女達の言うとおり『小夜啼鳥』を使えば時間転移の自在式を紡ぐことは可能であった。
その『小夜啼鳥』とは、教授こと"探耽求究"ダンタリオンと並ぶ、紅世最高の天才自在師“螺旋の風琴(ラセンノフウキン)”リャナンシーと、彼女を捕らえて『啼(な)かせる』鳥籠、これらを総じた宝具の名称である 。
もともとは鳥籠単体が宝具であり、存在の力を注ぎ込むことで、捕らえている"徒"の身体や意識を支配するという能力であった。
だが、最高の自在師を捕らえ支配することでありとあらゆる自在法を「啼(ナ)かせる」ことが可能となり、その二つを総じた名が新たなに付けられたのである。
悠二はそんな驚きの様子を隠せないでいる二人の目を真剣に見つめて、コクリと頷くと続けた。

「正確には『小夜啼鳥』を道具として使うんじゃなくて、それに捕らわれている"螺旋の風琴"リャナンシーに頼もうと思ってる。それに、ただ頼むにしてもそれなりに準備をして歴史が狂わないようにしてからじゃないといけないし、その時間転移の自在式を起動させるだけの莫大な量の存在の力も集めなきゃいけない。そうなると、問題になってくるのが……」

「どこからそれだけの量の存在の力の確保するかでありますな……」

「う、うん……」

ここにきて悠二の口調と様子が変わった。
辛そうに、申し訳なさそうにしている。

「ヴィナの言うと通り、どこからそれだけの存在の力を確保するかなんだけど……それについてはもう考えてあるんだ。」

「どうするのであります?」

「そ、それは…………」

悠二はその先を口にするのを躊躇い、やや顎を引き視線を下に落として沈黙してしまった。
何故ならそれは、フレイムヘイズとしての有り方を大きく逸脱する行為だからである。
ベルペオルはそんな言いにくそうにしている彼の心情を汲み取って、答えに誘導するかのように優しく訊いた。

「……下手すればこの時代のフレイムヘイズ達とも戦う事になるかもしれない、その言葉の理由がこれなんだね?」

悠二はベルペオルの言葉を受けると再びその申し訳なさそうな顔を上げ口を動かす。

「うん、ベルはもう気付いてるみたいだね……」

「ふむ」

ベルペオルは返事をしてただ優しく悠二を肯定するように頷いた。
今度は、その顔をヴィルヘルミナの方に向けて続ける。

「その、ヴィナ。それに、ティアマトー。……きっと二人には辛い思いをさせると思う。かつての仲間達と炎を交えることになるのかもしれない。それでも、現代に戻る方法はこれしかないと思うから今から話すけど……もし、そうなることがどうしても嫌なら、しばらく身を潜めっ――」

と、そこまで言った悠二の言葉を遮るようにしてヴィルヘルミナが、寂しそうな表情で言った。
ティアマトーもそれに続く。

「ユウジ、どうしたのであります? 私達の事を頼ってはくれないのでありましょうか?」

「不信頼」

「そうじゃないよ! 二人の事はベルと同じぐらい信頼してる! でも、これはそういう事じゃないんだよ……」

悠二は再び視線を下に落とした。
ヴィルヘルミナはそんな様子の悠二に、ベルペオルと同様の優しい声音で告げる。

「なら、最後まで私達を信じて、悠二の言葉で言って欲しいのであります。それに、あそこまで言われれば大方の予想は付いているのでありますよ」

「推測容易」

そう言ってヴィルヘルミナは視線を戻した悠二に小さく微笑んで見せた。
ティアマトーも不器用で分かりにくい表現ではあるが肯定の色を示している。
その彼女達の三人の小さくも大きな優しさに触れ、悠二は三人それぞれに礼を言うとようやくその先を口にする。

「その存在の力の供給元だけど、『都喰らい』の一部を僕達が現代に戻るための力として確保しようとおもってる。そして、これにはさっきも言った通り、《"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)》 が必ず動いてくると思うし、この時代のフレイムヘイズに気付かれれば間違いなく敵対行動を取られると思う。だから、この方法に乗るかどうかはちゃんと考えて決めて欲しい」

悠二はそこまで言うとこれから帰ってくる返答を待った。
もちろん、返ってくる答えは彼女達の先程の様子からしてだいたいの予想は出来ている。
そして案の定、その答えは悠二の予想通りのものとなった。
意味合いとしてはという補足がいるが。

「改めて聞くまでもないだろう悠二。悠二は私のフレイムヘイズ(恋人)だよ! だから悠二が考えて選んで決めた事ならなんだってしてやるさ!」

「私はユウジに付いて行くとそう決めているのであります。それに、ご主人様(夫)に付いて行くのはメイド(妻)として当然なのであります!!」

ベルペオルとヴィイルヘルミナは同時に発した相手の言葉にムッとしそうになった刹那。

「同意同文」

と、思わぬ伏兵が発した意味深な発言にによってそれを止める。

「ん!?」

「む!?」

「…………」

その伏兵、ティアマトーはしれっと黙って知らん振りを決め込んでいた。
悠二はそんな頭に疑問符を浮かべその意味を考える二人とだんまりを決め込んだティアマトーに素直に感謝し、再度確認の為に聞いてみた。

「ベル、ヴィナ、ティアマトー、本当にいいの? 僕が考えた方法は直接引き金は引かないにしても"徒"とやってる事は一緒だよ?」

聞かれた三人はさも同然のように考える間もなく即答する。

「それでも私は悠二が一緒なら別にかまいやしないさ。」

「たとえそうであったとしても、今はの状況を打破するためには仕方ないのであります」

「免罪」

どうやら三人の心はもう強く決まっているらしく悠二の案に合意した。
そしてベルペオルは一言付け加える。

「悠二、お前は色々と深く考えすぎだよ。」

「そ、そうかな……」

「そうさ。それに言い方は悪いかもしれないが、私等にとってはもう過ぎたる過去だ。だからあまり深く考えるのはおよし」

「うん、わかったよ」

本当に悠二にだけはどこまでも優しいベルペオルの言葉に、悠二はもう大丈夫と笑顔を作って見せる。
これをみたベルペオルは、ふむ、と満足そうに笑って頷き、窓の外の月を見て悠二に言った。

「それじゃあ、悠二。夜ももう遅い、この話はこれぐらいでやめにしてそろそろ寝ようか」

「そうだね、そういえばもうこんな時間か……」

悠二はふと心臓の辺りを押さえた。
ヴィルヘルミナは心配そうな顔をする。

「ユウジ、まだ痛いむでありますか?」

『零時迷子』が存在の力を回復する予兆を感じてふと抑えたその場所がヴィルヘルミナのリボンが貫いた場所に近かったため、どうやら勘違いをしたようである。

「大丈夫だよ。これは『零時迷子』が零時を告げる前の予兆みたいなものを感じただけだから」

これにはベルペオルも捕捉して続ける。

「悠二の癖みたいなものさ。」

それを聞くとヴィルヘルミナは安心したようにほっと旨を撫で下ろした。

「そうでありましたか」

「うん、傷の事ならもう直る寸前だし気にしないで、たぶん明日の朝には完治してるよ……それじゃ寝るね。おやすみ」

それだけ言って悠二はパタンと倒れるように体を寝かせる。
ヴィルヘルミナもおやすみと言葉を返し、近くにあったランプの明かりを弱くすると自分も寝るために体を倒そうとした時、とても許しがたい光景が目の中に飛び込んできた。
ベルペオルが悠二が寝ているベットに当然のように入ろうとしている。

「ちょっと待つのであります」

ヴィルヘルミナは許しがたい行動を起こした女の手を掴む。

「貴方は一体なにをするきでありますか?」

「何をするって、寝るに決まっているだろう」

この答えに、ヴィルヘルミナがややムッとした顔で言った。

「……まぁ睡眠については別にどうこうと、とやかく言う気は無いのであります。ですが、そこは悠二のベッドであります!!」

「そうさ、そんなの見て分かるだろう」

そんな事も分からないのか、と、ベルペオルは馬鹿にした様な口調で言い返し続ける。

「だいたい、ベッドが二つしかないんだから仕様が無いだろう? それに私はお前と寝るなんて死んでもごめんだよ!」

もしベッドが三つあったとしても、ベルペオルは一人で寝る気など初めからさらさら無い。
ただ単に、ベッドが二つしか置いてない部屋をヴィルヘルミナが選んだ事を逆手に取って挑発しているだけである。
しかし負けじとヴィルヘルミナも、ややを取った顔で言い返す。

「むっ! なんでありますかその言い草は、大体"紅世の徒"である貴方には睡眠など必要ないのであります。それに顕現を解けばベッドなど使う必要など無くなるのであります!」

「フン、お前になんと言われようと顕現を解く気は無いね」

「くっ……なんという勝手な女でありますか! 顕現を解く気が無いのならそれでもいいのであります。その代わり私がユウジと寝るのであります。"逆理の裁者"は私が使う予定だったベッドで寝れば何の問題もないのでありましょう?」

そういい残しヴィルヘルミナはベッドから立ち上がり、ユウジの寝ている方に身を移そうとする。
しかし、これに黙ってベルペオルではない。

「ふざけるでないよ!悠二は私と寝るんだよ!」

「駄目であります!悠二は私と寝るのであります!」

「悠二はどこの馬の骨とも分からないお前と寝るより、私と寝たほうが安心して眠れるんだよ!」

「その言葉そっくりそのまま返してやるのであります。ユウジは妻である私と眠るほうが安心するに決まっているのであります!」

「私の方が安心するんだよ!」

「私の方が安心するのであります!」

「私の方だよ!」

「私の方であります!」

「私だよ!」

「私であります!」

両者、角を突き合わせての相手を睨み互いに一歩も譲らない。
ただティアマトーだけが何も言わず大人しくしている。
そこに、途中から閉じた瞳を再び開け、体を起こした悠二の言葉がかかる。

「ちょっと、二人とも何やってるの。喧嘩しないって約束したでしょ……それにどうしてもやめてくれないっていうなら、僕、新しい部屋借りてそっちで一人で寝るけど……」

前回はこれが二人に効果抜群で、反省して大人しくなってくれたため今回も上手くいくと確信して悠二は言った。
だが、確かに言い争いを止め二人は大人しくはなったのだが、悠二に取って予想外の事態に発展する。

「なら、悠二が選んでおくれ」

「はい?」

「そうでありますな。この場ではっきりと言ってくれればいいのでありますよ」

「えっ?」

これには流石に悠二も困った。
ヴィルヘルミナを選べばベルペオルは間違いなく拗ねてしばらく、いや下手したら一生口をきいてくれないかもしれない。
反対にベルペオルを選べば今度は逆にヴィルヘルミナが拗ねるのは目に見えている。
この状況に、なんとか二人共傷つけずに上手くこの場を収める方法をと、優柔不断という名の優しさの答えを考え始めた。
そして、その考える悠二の顔が、彼の優しさなのか言いにくそうにしていると思ったのかベルペオルがある一つの提案をする。

「悠二、お前は優しいから"万条の仕手"のことを思って言い出せないでいるんだね。」

もちろん自分を選ぶと確信している思っているからこそいえる台詞であったが、それはヴィルヘルミナも同じである。

「何を根拠にそんな戯言(タワゴト)を言うのであります! 選ばれない貴方の為にユウジは言いにくそうにしているのではありませんか!」

ヴィルヘルミナもまた、自分が選ばれると確信して疑わない。
そんな彼女の台詞を無視してベルペオルは悠二に言った。

「悠二、私と"万条の仕手"が今から目を瞑(ツブ)って後ろを向くから好きな方(私)の手を握っておくれ。そうすれば選ばれ無かった方("万条の仕手")の顔は見ずに済むだろう?」

「たしかに、名案でありますな。貴方の顔を見ずに済むわけでありますから」

「えっ、ちょっとベル?……それにヴィナまで……」

何が何でも優劣をここで決めときたいようである。

「フン、何とでも言うがいいさ。後で吠え面を掻くのはお前だからね」

「言ったでありますな! いいでありましょう! 貴方の提案に乗ってやるのであります」

そうして二人は悠二の返事もなしにいったん彼のベッドから離れると目を瞑り後ろを向いた。
残された悠二はこの事態に頭を抱えてどうしようかと悩んでいると、ふと、ヴィルヘルミナの頭に乗っかって大人しくしているヘッドドレスが目に飛び込んだ。
ここで悠二は名案を思い浮かぶとすぐさま実行に移すため目を瞑(ツブ)り背を向ける二人に向かって口を開いた。

「その、ベル、ヴィナ。二人は僕が選ぶまでそうしてるの?」

「そうさ」

「そうであります」

「……えーっと、もう一つだけ聞いていい?」

「なんだい?」

「なんでありますか?」

「誰と一緒に寝るか絶対に選ばなきゃ駄目だよね?」

悠二は絶対にどちらかとはきかない。

「当たり前だよ」

「当然であります」

「うん、わかった」

そう返事して悠二は物音を一切立てずにゆっくりと動き出す。
一歩一歩を慎重に、前へ前へと進め、目的の場所までたどり着くとそーっとヴィルヘルミナに分からないように頭のヘッドドレスを外した。
そしてティアマトーが声を出さないように人差し指を自分の唇に当ててジェスチャーすると再び同じようにして物音を立てないようにしてベッドへと戻り他の二人には聞こえないように小声で話す。

「ティアマトー、僕と一緒に寝ようか」

するとティアマトーは喜びと羞恥の色にヘッドドレスを染めて小声で返事を返す。

「了解旦那様」

こうして悠二は一人の相手をちゃんと?選んでピンク色に染まるヘッドドレスを自分の胸の上にのせ抱きながらその意識を眠りの底へと落としていった。

 

後日。
寝苦しさを感じて悠二が目を覚ますと胸の上にのせ抱いていたティアマトーの姿は無く、なぜか両脇にはベルペオルとヴィルヘルミナの寝ている姿があった。
不思議に思ってティアマトーを探せば、怒りの攻撃色とも取れるほどの真っ赤に染まったティアマトーがゴミ箱の中に放置されていて「姫原因」「女怪原因」と必死に悠二に訴えていたのは言うまでも無い。

 


《あとがき》
すいません長い間ご無沙汰しておりました作者ことチェインです。
四月中になんとか更新したかったのですが……( TдT)とある諸事情と、なかなか自分の中で納得のいくリズムでの展開にならずに苦労しておりました。
(。。)これを読み返してみても多少強引過ぎる展開になってしまったところも無きにしもあらずですが……広い心で許していただけると幸いです
まぁこれでようやくストーリー事態の始動に何とかこぎつけたわけですがいかがでしたか?(゜ω゜)
今後は極力歴史の流れを変えずに(多少はかわるかもしれませんが)話を展開してゆくつもりです♪
あと最後にこの場をお借りして(゜д゜)何度か聞かれた質問にお答えしますね。
ヴィルヘルミナの呼び方がヴィルじゃなくて、ヴィナなのは(゜▽゜)私の独断でございます。
なんかヴィルって響きだと男性ぽいってのが私のイメージの中にあったし、それに対してヴィナって響きは女性っぽくありませんか?
ヴィルヘルミナの ヴィ と ナ で ヴィナ (゜∀゜)b
外人さんのニックネームとかってこんな感じだし、これでいいかなと思いましてつけたしだいでございます。(゜〜゜)
では、今回はこの辺で…………次回十話のあとがきでお会いしましょう。
                         See you  ( ☆▽☆)/~

P.S. 他にも些細な疑問でいいので気になったらメールなり何なり聞いてくださいね♪お答えできる範囲でならおこたえします。


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