元親は激しく混乱していた。原因は目の前に居る“関羽”と名乗った女性にある。
一国の大名であり、海を気ままに渡る海賊の自分が、まるで似合わない“天の御遣い”と言われた。
更に言えば元親が、自分の治めた領地について質問した際には――

「“しこく”や“せとうち”とは何ですか?」

自分が領地にしている四国、瀬戸内、果てには日の本の国さえ関羽は知らない始末。
予想もしなかった答えに元親は頭を抱えるしかなかったのである。
元親の様子を見た関羽が心配そうな表情をして彼の顔を覗き込む。

「貴方が居た天の事をしこく、せとうちと言うのですか?」
「あんたから言わせりゃそうかもしれねえが……ああメンドクセェ、もう良い。とにかくここは俺の言った国じゃないんだな?」

元親はヤケクソ気味に話を中断させた。
関羽は元親の問いに、ゆっくりと頷く。

「はい。ここは幽州琢郡。遠方の稜線にそびえる五台山を見て頂ければ分かる通りです。これより西に進んだ所に村があり……どうかしましたか?」

全く知らない地名が出てきた事に、元親はまたしても頭を悩ますことになった。
幽州琢郡と言う地名は少なくとも、元親自身まったく聞いた事がない。初耳だ。
自分がよく知るインチキ教祖がやってきた南蛮国の地名かとも思ったが、すぐに頭から振り払った。
あの忌々しい奴等の国に居るなぞ、死んでも御免だ――元親はそう思った。

元親が何処か苛々している様子を見て、関羽は何処となく気まずさを感じていた。
自分に何か不手際でもあったかとも考えたが、気を取り直して話を切り出してみる。

「あの……申し訳ありません。貴方様のお名前をお聞かせ願いますか? まだ聞かせて頂いて無かったので……」
「あ、ああ……俺の名は、長會我部元親だ」

ドンドンと話が進んでいるのに気を取られて、元親はまだ自分の名を名乗っていなかった事に気が付いた。
少し失敗したなぁと、元親は心の片隅で思った。
対して関羽の方はと言うと、名前を聞けた上に話す機会をも作れたのでホッとしていた。

互いの名前を知れたのは良かったが、元親は関羽と会話する度に違和感を感じていた。
彼女が自分に話しかける時の態度は、まるで上の者を敬う感じだった。
関羽は自分の部下でも何でもない。ハッキリ言えば先程会ったばかりの他人同士である。
元親はその事が少し気になり、関羽に訊いてみると、何回も聞いている言葉が返ってきた。

「貴方様は天の御遣いです。天から来た御方を敬うのは当然の事です」
「……そうかい」
「はい。先日、この戦乱を治めるために天より遣わされた方が落ちてくると、管輅という占い師が言っていたのです」

“天の御遣い”と言う部分はどうしても訂正しておきたい。元親は1番にそう思った。
訂正する機会を窺ってはいるが、関羽がなかなかその隙を見せてくれないのだ。

(何て眼をしてやがるんだ……)

彼女の澄んだ瞳が元親をしっかりと捕えている。
元親はただ黙って、彼女の話に耳を傾けた。

「その場所はまさにここ、そして貴方様と私は出会った。貴方様以外に誰が天の御遣いと言うのでしょうか」

元親は驚愕の表情を隠さずにはいられなかった。
その占い師の予言した事は当たらずとも遠からず――と言った感じだったからである。
天とは自分が元居た場所である瀬戸内――もしくは四国や日の本の国の事なのだろう。
そしてそこから落ちてきた(?)自分が紛れも無い、天の御遣いと言う事になる。

「変に理に適ってるじゃねえか……」

元親のそんな吹きをも気にせず、関羽は話を続けた。

「それに――先程の武勇も見事の一言でした。貴方様こそ、天の御遣いである事を雄弁に物語っています。如何ですか?」
「……ご立派なお言葉だ。涙が出てくらぁ」

元親は溜め息を大きく吐きながらも、自分の中である仮説を立てていた。

元親自身、幽霊の類や超常現象等は全くと言って良い程に信じない質である。
だが自分が置かれているこの状況は、それ以外に説明の仕様が無かった。
関羽の話を聞いていると、本当に自分が居た所は天かもしれない――そんな気さえしてくる。

もし仮にそうだとするならば、どうにかして自分が今居る“幽州琢郡”から、関羽から天と言われた“四国”または“瀬戸内”に戻らなければならない。

元親はこれからどうするべきかと、途方に暮れた。
もはや天の御遣いを訂正すると言う目的は、元親の頭から消えている。

「……あの、ご主人様?」

関羽の口から零れた言葉に、元親は思わず「ハッ?」と言って首を傾げる。
その元親の反応に応えるように、関羽はもう1度同じ言葉を吹いた。

「ご主人様ぁ? 何だそりゃ」

元親の内心に疑問が湧きあがる。
自分は関羽にそんな呼び方をさせた覚えは全然ない。
それに自分を呼ばせる時は――部下には必ず呼ばせる――“兄貴”である。

だがそんな元親の心情を全く知らない関羽は、突然元親の前に跪いた。
元親は彼女の唐突な行動を、ただ呆然として見つめた。

「私は貴方様に仕えるのです。ならば私が貴方様をご主人様と言うのは当然の事」
「お、おいおい……!」

自分の知らない所で、ドンドンと話が進んでしまっている。
そんな気がするのを、元親は感じずにはいられなかった。
元親はすぐさま、関羽に言葉を投げ掛けた。

「勝手に俺に仕えるなんて決めるなよ。それにどうしてお前はそんなに俺に仕えたいんだ? そこん所を詳しく聞かせてもらえねえか?」
「それは貴方様が天の御遣いで、戦乱の世を鎮めるための力を持つ御方だからですよ」

一点の曇りも無い瞳。それが自分の本心だと言う声で、関羽は元親に告げた。
その瞳には確かな強い意思が宿っている。それに声色からも意志の強さが聞き取れた。

ここまで言われてしまうと、元親は“天の御遣い”と言う字を否定する気が無くなってきた。
それどころか(このままで構わない)と言う気持ちも徐々に湧き上がってくる。

こんな気持ちが湧き上がってきたのも、元親が関羽を気に入り始めてきたからだった。
元親は男だろうが女だろうが、度胸のある者と、何事にも一生懸命な者が好きだった。
自分の部下達にもそう言った者達がかなり多い。
故に元親は彼等を“家族”と称し、大切にしてきたのだ。

本当に関羽を自分に仕えさせて良いかもしれない。
そんな風に思い始めた矢先――

「姉者〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

大声で叫ぶ少女の声が、元親と関羽の間に大きく響いた。
元親は反射的にその声の方向を向いてみた。

声がした方向には背丈が関羽の半分ぐらいしかない、赤髪の少女が1人――
その少女が自らの身長を軽く超える矛を持って、こちらに走ってきていた。
その異様とも言える光景に元親は度肝を抜かれ、開いた口が塞がらない。

一方の関羽は少女を視界に入れた途端、跪いた状態から立ち上がった。
今までの真剣な表情が、一転して眩しいぐらいの笑顔に変わる。
ここに走ってくる少女はどうやら、関羽の知り合いらしかった。

「おお、鈴々。ようやく追いついたのだな」
「む〜酷いのだ姉者。鈴々を置いていくなんて」

どうやらこの少女――鈴々と関羽はかなり親しい間柄らしい。
似てはいないが、2人の間には姉妹のような雰囲気が流れていた。

「大体お前が街で子犬と戯れているのがいけないのだぞ」
「む〜……それはそうだけど。……ところで、このお兄ちゃん誰〜?」

ようやく話は蚊帳の外に居た元親に向かったようだ。
鈴々が矛を持っていないもう片方の小さな手で、元親を指差した。

「こらっ! 失礼な言い方をするな。この方こそ、私達が捜し求めていた天の御遣いの方なのだぞ」
「……へ〜! お兄ちゃんが天の御遣いの人なんだ」
「お、おう……そう言う事になってるな」

鈴々の瞳がまるで玩具を目にした女の子のように輝く。
子供が少し苦手な性分である元親は、これに一瞬たじろいだ。

「自己紹介するのだ。鈴々はね〜、性は張、名は飛。字は翼徳。真名は鈴々なのだ」
「……張飛か。子供のくせに、立派な得物を持ってやがるな」
「む〜! 鈴々は子供じゃないのだ〜ッ!!」

頬を膨らませ、拗ねた顔をする鈴々に元親は苦笑する。
どう見ても見た目は子供なのだが、持っている武器を見ると、確かに普通の子供とは違う気がした。
関羽の持つ剣と同じく、彼女の持つ武器も見事な刀身と作りである。
子供の力では到底持てないであろう、大きさも兼ね備えていた。

「ねえ、姉者。本当にこのお兄ちゃんが、鈴々達のご主人様になってくれるの?」
「ああ……それは……」

関羽が困ったような表情を傍らの元親に向ける。
まだ元親が関羽に仕えても良いか、駄目かの返事をしていなかった。
決意は固まった。元親は関羽を見つめ、微笑を浮かべながら口を開く。

「ああ。俺に仕えたいなら好きにしな」
「――ッ!! 宜しいのですかッ!?」

関羽の表情が驚愕からすぐさま、喜びの表情に変わった。
それと同時に鈴々も、自分の事のようにはしゃいで喜ぶ。
2人の喜び様は元親を少々呆れ気味にするには十分だった。

「私達が仕える事をお許し頂き、本当にありがとうございます。今後我等の事は真名で呼び、家臣として扱ってください」
「真名? 真名ってぇのは……張飛が名乗った時に、最後の方に出てきた奴か?」
「そうです。真名とは――」

関羽の話によれば、真名と言うのは第2の名前――のような物――であるらしい。
それは信頼に値する者にしか教えることを許可しない、秘密同然の事だった。
それを教えてもらった元親は、少々気恥しい気持ちになる。

「そんな大事なモンを教えてもらうなんてな。俺も初っ端から信用されたもんだぜ」
「貴方様は私達の主ですから。改めて申し上げます。我が名は関羽。字は雲長。真名は愛紗。これからは愛紗とお呼び下さい」
「鈴々の事も張飛じゃなくて、鈴々と呼んでほしいのだ〜」
「ああ、分かったぜ」

関羽――愛紗の丁寧な態度と、鈴々のあどけないしぐさ。
相反する態度に元親はたじろぎながらも、返事を返した。

「そんじゃあ俺の事は、これからは兄貴って呼べ。良いな?」
「あにき……ですか? それがご主人様の真名なのですか?」
「そんな大層な物じゃねえ。俺に仕える奴には、共通で呼ばせる物だよ」

元親はそう言うが、当の愛紗は何処か言い難そうだった。
鈴々もお兄ちゃんと呼びたいと言っており、兄貴とは呼んでくれない。
元親は自分のポリシーが少しだけ傷付けられたように感じた。

「……あの、ご主人様ではいけませんか?」

愛紗がオズオズと尋ねてくる。
それに対し、元親は軽く溜め息を吐いた。

「ハァ……だったら名前で良いぜ。兄貴とまでは行かなくてもよ」

元親の言葉に、一瞬にして愛紗の眼付が変わった。

「それはなりませんッ! 私は貴方の家臣です。名前で呼ぶなんて事は出来ませんッ!!」
「固いなぁ。そんじゃあ好きに呼びな。もう何も言わねえから」
「ありがとうございます。ご主人様」
「にゃはは。姉者は変な所で真面目なのだぁ」

鈴々の何気ない一言にに、愛紗は鋭い視線を向ける。
鈴々はそれを感じ取ったのか、そそくさと口を塞いだ。
元親は内心、密かに鈴々の言葉に同意していたりする。

それから元親は、愛紗達から今からやるべき事を大まかに聞いておいた。
これからやるのは“黄巾党”と言う、この辺り一帯を荒らし回っている盗賊団を退治することらしい。
最近の黄巾党の活動は非常に活発化しており、農民が住む村の被害が後を絶たないのだと言う。
元親が愛紗と出会う前にボコボコに殴り倒したのも、黄巾党の一味らしい。

「うう〜〜〜お兄ちゃんも居る事だし、ワクワクしてきたのだぁ。それじゃあ早速、この近くの黄巾党を退治しちゃおうよッ!!」
「ああ、そうだな。近くの村で義勇兵を募って、一軍を形成しよう」
「近くに村があんのか。だけどよぉ、村人は協力してくれんのか?」
「大丈夫です。必ず協力してくれます。何よりご主人様がいますから」

疑いなど微塵も無く、素直に言う愛紗に、元親は自然と笑顔になった。
ここまで素直に言う者は、自分の部下の中であまり見た事がない。
無論、今まで自分が戦ってきたクセの強い大名達も、である。

「それじゃ、すぐに行こうッ! 今すぐ行こうッ! 走って行こうッ!!」

鈴々はまるで元気一杯の子供のように飛び跳ねた。
湧き上がる気持ちが先行するのを、抑えようとしているのが見て取れる。
それを見た愛紗は仕方ないな、という感じの笑みを零していた。

「鈴々は先行して村人達を集めておいてくれ。私はご主人様と共に行く」
「合点承知なのだッ!!」

元気良く答えるや否や、鈴々は先程と同じく、物凄いスピードで駆け出した。
小さい体格に、自分の身長を超える程の武器を持ちながらも、見事な速さである。
元親は小さい子供と言った事を、内心反省した。

「それでは主ッ! 鈴々の待つ街へ行き、黄巾党を追い払いましょうッ! ここより我等の戦いが始まるのですッ!!」
「へッ……! 面白そうじゃねえか。こうなりゃトコトンやってやるか」

先程まで笑みを見せていた愛紗はもう居ない。
強い意志の灯った瞳を輝かせた、武器を振るう武将の愛紗がそこに居た。
元親は力強く、新しい家臣を頼もしく思っていた。

元親自身、自分が元々居た場所に戻る為に愛紗達に協力すると言う思いもあった。
あのまま考えていて、何もしなければ、絶対に何も変わらない。それ故だった。
だが今の元親の中にあるのは、黄巾党を倒し、村を救う事だけだ。
それと同時に、天の御遣いを演じると決めた一種の不安もあった。

 

 

 

 

「…………ヒデェな」

元親の吹いた一言は、辺り一体を漂う重い空気の中に溶けて消えた。
元親が愛紗に案内されたのは、かなり大きな街――だった場所である。
だが目の前に広がる光景を見て、これが街である等と言える筈がない。

所々に火の手が上がる家――
消火したのだろうが、まだ小さい火が燻っている家――

外から見える家の中は徹底的に荒らし尽くされていた。
食べ物や品々がそこら中に散乱している。
略奪行為があったのはまず間違いなかった。

それから少し進んでいくと、更なる凄惨な光景が広がっていた。

顔の判別がつかない程に斬り刻まれ、倒れている者――
身に着けていた服を剥がされ、目から光を失った女性――
胸に剣を刺され、無情にも壁に貼り付けにされた男性――
血塗れの母親に抱きつき、泣きじゃくる赤ん坊――

この世の地獄だった。

元親は戦国大名を兼ねながらも、船に乗り、海を渡る海賊でもある。
海賊である以上、略奪行為は日常茶飯事と言って良い。
だが元親は決して弱い者達や村を襲ったりはしなかった。
当然部下達にも、弱者からの略奪行為は厳しく禁じていた。

だがここは違う。
弱者を平気で襲い、物を奪い、容赦無く殺していく。
元親の心の奥底から、激しい怒りが沸々と湧いた。

ふと眼を向けると、壁際に座り込み、呆然とする男の子供の姿を元親は見つけた。
彼の眼にも光はない。生気が無く、呆然としているようだ。
元親は愛紗に一言告げてから、子供にゆっくりと近づいた。

「怪我はねえか?」
「…………」
「親はどうした?」
「…………」

子供は答えない。襲撃のショックで喋れなくなったのだろうか。
元親は碇槍を壁に立て掛け、ゆっくりと子供を胸に抱き締めた。

「生きてて良かったな……」
「…………」
「心配すんな。俺がお前等を襲った奴等をぶちのめす。安心しろ」
「…………」

元親と子供のやり取りを、愛紗は少し離れた所から辛い表情で見ていた。



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