近江・姉川――日の光が反射した川が、観る者を幻想的な世界へ招き入れる。
そこを木瓜の家紋を印した軍旗を揺らし、織田の騎馬隊と兵士達の行列が歩行していた。
その中心には、重武装した兵士に囲まれる、豪華な染色を施した1つの駕籠があった。

その駕籠の中には、今日と言う輿入れの日を迎えた、織田信長の妹――お市。
白い花嫁の装束に身を包みながらも、市は静かに目的の場所へ着くのを待った。
目的の場所――市を妻として迎える、浅井長政を領主とする小谷城である。

(長政様……市の……傍に居てくれる人……)

胸に手を当て、これからの事に思いを馳せる市。
今まで自分は、笑顔と言う物を浮かべた事は1度として無い。
しかしどうしてだろうか――今日は、笑えそうな気がした。

 

 

 

 

小谷城・結婚式場――浅井長政は紋付羽織袴を着込み、婚礼の儀に備えていた。
家紋を印した『三つ盛亀甲』羽織の白い袖が風で揺れ、清々しい気持ちにさせる。

(今日と言う善き日……魔王と恐れられた織田信長が人と成り、私の義兄となったのだ)

織田家と浅井家が同盟を結んだのは、今から数日前の話だ。
同盟の証として信長は、自身の妹である市を長政に差し出したのである。
長政は信長の申し出を快く了承し、市を自分の妻として迎え入れる事に決めたのだ。

(任せてくれ兄者……私は貴殿の妹君を、必ずや幸せにしてみせる!)
「長政様ッ! お市様と織田家御一行、御到着にござりまする!」

兵士の報告を聞き、長政は思考をそちらに向けた。

「うむ……皆の者、式を始めるぞ!」
「「「「オオオオオオオッ!!」」」」

長政の雄叫びに近い号令と共に、兵士達が一斉に各地の砦に入って行った。
玄武の砦、青龍の砦、朱雀の砦、白虎の砦――酒樽と豪華料理が次々に席に運ばれて行く。
それから数分後――会場の本陣に重武装の兵士に囲まれた市が、長政の前に姿を表わした。

(あれが……兄者の妹君……)

市が長政に近づくにつれ、彼女の警護をしていた兵士達がゆっくりと離れていく。
そして長政のすぐ正面に立った時、市は伏せていた顔を上げ、眼の前の長政を見つめた。
長政は彼女の顔を見て、思わず息を飲む。

(う、美しい……)

長政は自身の顔が自然と熱くなるのを感じ、慌てて首を振った。
何を不埒な事をと、長政は何故か気合いを入れるように胸を張った。

「お市殿……いや、市……」

長政が市の両手を握り、彼女の瞳を見つめた。

「長政……様……」
「私は貴殿を、決して不自由にはさせぬ。我が剣に懸けて誓おう」

市の眼が驚きに見開かれる。
そして――ゆっくりと頷いた。

「うん……長政様……2人で一緒に、頑張ろうね」
「う……うむ」

長政の言葉を最後に、会場が両家の歓声に包まれた。
両家の兵士達が「結婚おめでとう」、「末永く御幸せに」と、2人に言葉を掛ける。
めでたい式だから良いが、普通なら無礼者と言われても仕方がない言葉である。

 

婚礼の杯を交わし、永遠に続く夫婦の誓いを結ぶ長政と市。
交流を結んでいる朝倉家からの祝辞も受け、会場の雰囲気は盛り上がった。
両家の重臣達が用意された酒を酌み交わし、縁を結び、暖かく語り合う。

長政はその様子を見つめ、この同盟が破棄されず、永く続く事を望んだ。

「長政様……お酒……」
「う、うむ。頂こう」

市から杯に酒を注いでもらい、長政はゆっくりとそれを飲み干す。
妻となった女から注いでもらう酒は、この世のどんな酒よりも甘美な味がした。

「市、お前にも――」
「長政様ッ! 長政様ッ!」

長政が市の杯にも酒を注ごうとした時、突然兵士が声を掛けてきた。
声色からして緊急の用ではないようだが、長政からすれば、良い場面を潰されたようで少し不機嫌である。

「何だ? 騒々しい……」
「ハッ! 各地の勢力から、我等に婚礼の祝いの品が届いております」
「何……? 祝いの品を?」

伝えに来た兵士が一声掛けると、会場に次々と祝いの品が運ばれてきた。
中には異様に大きい物があったり、極端に小さい物があったりと、千差万別である。

「この野菜は誰だ? ……伊達か」

長政が祝い品の1つである、野菜の盛り合わせに注目した。
葱、芋、大根、小松菜、蕪、牛蒡――どれも美味しそうな野菜ばかりである。
それには1通の文が乗せてあり、見つけた長政が徐に手に取り、開いて本文を読む。

『牛蒡の皮を剥いちまうのは粋じゃねえ。あいつにこそ栄養があるんだ』

只一言、文にはそう書いてあった。
書いた者の名前は記されておらず、不明のままである。

「何だ、この突拍子も無い文は……悪か?」
「牛蒡に限り、皮の用途を説明してくれているように見えますが……?」
「何だと……! それではこの文を書いた者は正義か?」
「恐らくは……」

文を書いた者は正義か、悪か、頭を悩ませる長政。
それを尻目に市が野菜を手に取り、眺めながら「美味しそう」と呟いたのは秘密だ。
散々悩んだあげく、その野菜の盛り合わせを下げる事で事態を収めた。

「次に、この箱は誰だ? ……武田か」
「中身は蕎麦らしいですね。細く、長く、良い夫婦で居られるようにと書いてあります」

長政が「む……」と声を出し、顔を少しだけ赤らめた。

「武田め、なかなかに出来るな。あのちゃらんぽらんな忍と猪突猛進の武士は悪としか良いようがなかったが、少しは見る目を変えてやるとするか」

長政が置いた箱を手に取った市が、ハッと眼を見開く。

「長政様……これ……信玄様が直々に打ってくれた物だよ……」
「――――何ッ!」

箱を市から引っ手繰るように奪い取った長政は、裏面を見て愕然とした。
そこには達筆で『我、激しく打つ事、蕎麦の如く 武田信玄』と書かれていたのだから。

「一国の主が総力を挙げ、他国の為に祝いの限りを尽くす……! 甲斐、侮り難し!!」
(長政様の甲斐へ向けていた悪としての考えが、信玄公の作った蕎麦で揺らいだ!?)

兵士の心の叫びを尻目に、市が長政へソッと寄り添った。
そして上目遣いで長政を見上げ、ゆっくりと口を開く。

「長政様……細くて、長くて、良い夫婦で居ようね……」
「う……うむ。当然だ。正義を志す者が、良い夫婦を保てぬ訳が無い!」
(揺らぎが収まった!? 流石は姫様、長政様の妻に相応しい御方だ!)

2人が自然と作りだした空間に、再び盛り上がりを見せる会場。
兵士がそれを幸せに見守りながらも、武田の蕎麦を下げて次に行った。

「次は誰だ? ……長曾我部か」
「そうみたいですね。随分と箱が大きいですけれど……」
「長曾我部……悪だと思っていたが、丁寧に祝い品を送ってくるとはな。少しは武田と同じく、見方を変えてやるとするか」

長政が箱を開けると、その中には髪飾りや着物など、高価な物が詰められていた。
思わずその場に居る全員が「おお……」と息を飲む。

「何だと……長曾我部にこんな心意気があったとは……!」
「あ……でもこれ――」

あまりの豪華さに開いた口が塞がらない長政。
しかし次の兵士の言葉で、大きな怒りを露わにする事となる。

「敵から奪った物だと書いてありますよ。自分にはいらないからやるって……」

同封してあった手紙を読み、長政に伝える兵士。
刹那、長政が愛刀『浅井一文字』を手に取り、叫ぶ。

「おのれ長曾我部……! 少しでも感心した私が馬鹿だった! この善き日に、他人から奪った物を送りつけるなど、悪である!!」

今すぐにでも長曾我部が治める四国へ攻め入りそうな長政に、兵士達が必至で宥める。
よりによって婚礼の日に敵の領地へ出陣など、結ばれたばかりの夫婦仲が一瞬にして消えかねない。

「落ち着いて下さい長政様。姫様が怖がっておられますぞ」
「何…………ッ!」

 

長政が見ると、身体を震わせ、怯える姿を見せている市の姿。
そんな彼女の姿を見た時、長政の中に深い罪悪感が湧いてくる。

「長政様が怒ってる……それも全部、市のせい……」
「なっ……! 何を言う市! 私の怒りとお前は関係無い!」

市の震えを止める為、長政は彼女の両腕を優しく握り締める。
瞳から一粒の涙を零していた市だったが、長政のお陰で流れは止まった。

(長政様……ここは懐の広い所を見せる為、優しい御言葉が効果的ですぞ)
(う、煩い! それくらい言われなくても分かっている!)

耳打ちで兵士からソッと助言を受ける長政。
確かに長曾我部は許し難いが、今はめでたい婚礼の日――
出陣はまた後日、急がずとも悪は確実に削除していけば良い。

「すまぬ市。こんな善き日に怒ったりして……私を許してくれ」
「ううん……良いの。長政様は悪くないから……」
「あ、ああ……(祝い品が来てから場が乱れているな。後は適当に見て下げておこう)」

市を何とか落ち着かせた長政は、心の中の決意通り、祝い品を適当に見て下げる事にした。
上杉からは塩の詰め合わせ、前田からは鯛が2匹、徳川からは米俵を3俵、島津からは薩摩芋、北条からは御香(縁起が悪過ぎる)と、多様な祝い品の数々だった。

「ふぅ……やっと終わったか。これでようやく婚礼の儀もゆっくりと出来る」
「長政様……疲れてる……?」
「何を馬鹿な……これぐらいでは疲れぬ。これぐらいで根を上げていては、世の悪を削除出来ぬからな」
「……長政様……凄いね……」

刹那、長政の顔が薄らと赤くなる。
それは市も同じようで、傍から見れば微笑ましい。

「と、当然だ! 正義は悪には屈せぬ。市、お前も悪には屈してはならぬぞ!」
「はい……長政様。市……頑張るからね……」

2人が――今日何度目になるだろうか――手を取り合おうとした時、兵士の声が響いた。
それは敵がこちらへ来たと言う報せ――長政は急いで兵士から報告を聞く。

「申し上げますッ! 今川軍が各砦の祝いの席に乱入し、暴れ回っているとの事です!」

長政の拳が怒りに打ち震える。
このめでたい日に暴れ回る――許し難い悪だった。

「おのれ今川……この善き日を打ち壊すか!」

長政は腰に掲げた刀を手に取り、空へかざす。
そして――宣言した。

「悪は削除するのみ、それが私の使命ッ! 皆の者、狼藉者を追い出せ!!」
「「「「オオオオオオオッ!!」」」」

そう宣言した後、長政は傍らに居る市へ詫びる。
長曾我部へ攻め入る事を止めたにも関わらず、結局は別勢力と戦う事になってしまったからだ。

「すまぬ市。すぐに狼藉者を追い出し、婚礼の儀を仕切り直す。待っていてくれ……」

市はゆっくりと首を縦に振り、長政を見つめる。

「うん……市、長政様の事、御祈りしてるから……」

市の言葉を受け、長政は兵士達を連れて今川討伐へ向かった。
信義不倒・浅井長政――我、ここに在り!!

 

 

後書き
短編をお届けしました。
英雄外伝の『浅井長政』のストーリーモードで「あったかもしれない」出来事。
婚礼の儀の途中に今川が攻めてきたので、攻め入る前の内容を想像してみました。
長政のストーリーはコミカルで熱く、王道を行っているのでこれぐらいかなぁと。
本文とオマケのネタはコミックを元にしています。

 

 

【オマケ話――婚礼の儀が終わって……】

婚礼の儀が終わり、織田の兵が引き揚げていく中、1人の兵士が長政に文を渡した。
長政が中身を見ると、めでたく自分の義兄になった、織田信長直々の祝辞であった。

内容はこうである――

『ひとつ、市を可愛がる事
ふたつ、市から眼を離さない事
みっつ、市を泣かせない事――追記・市を泣かせて良いのは我のみ
これが守れぬような輩は――(以下は黒く塗り潰されていて読めず)』

「何だ最後は……破ったらどうなると言うのだぁ!! 兄者ァァァァ!!」

長政の心の叫びが、姉川に空しく響いた――




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