訓練場に靡く一陣の風――――
その風はそこで訓練に励む兵士達が起こした物だ。
中でも兵士達を纏めている華雄――水簾の勢いは凄まじかった。

「もっと腰を入れろ! そんな事では敵に討ち取られるぞ!!」
「「「はいッ!!」」」
「よーしッ! 後100回振ったら今日の訓練は終わりだ! 最後まで気を抜くな!!」

水簾の激励を受け、兵士達が手に持つ剣と槍を振るう勢いが増す。
周囲を歩いて回りつつ、水簾は彼等が確実に成長していると感じていた。

(今頃ご主人様達はどうしているだろうか……)

遼西群を治める公孫賛の元へ向かった、自身の主と仲間達の顔が水簾の脳裏に浮かぶ。
既に彼等が幽州を出発してから10日以上が経過している。
元親からここの守りを頼まれたとは言え、本当は自分も共に行きたかった。
共に遼西群へと赴き、彼等と共に戦場を駆け、武を振るってみたかった。

(ふっ……私がこんな事を考えるようになるとはな。昔なら考えられん)

水簾が人知れず自嘲気味の笑みを浮かべる。
昔の自分は1人で戦い、武を振るう事に異常なまでに拘っていた。
しかし今はどうだ、主や仲間達と共に武を振るう事を望んでいる。

(こんな気持ちが芽生えたのも……ご主人様の御陰か)

彼女の脳裏に主――長曾我部元親の気さくな笑顔が浮かんだ。
自分と戦場で敵対した人、自分の命を白装束から救ってくれた人、自分を大事な家族と呼んでくれた人――

(――――ッ!? い、イカンイカン! く、訓練中に私は何を考えてるんだ!?)

自分の意思とは無関係に頬が熱を持った事を感じ、水簾が顔を急いで横に振った。
本人は熱を逃がすつもりでやっているのだが、訓練中の兵士達から見れば滑稽な姿だ。

(華雄様は何をやってるんだ……?)
(さあ……? と言うか、もう100回振ったぞ?)
(何時になったら終了の掛け声を出してくれるんだ……?)
(俺……手が少し痺れてきたよ)

1人慌てる水簾を尻目に、兵士達は終了の掛け声を待ち続けていた。
結局水簾から掛け声が出たのは兵士達が300回振った後だったと言う――

 

 

 

 

「ふう……」

焚いておいた風呂から上がり、水簾は午前中の訓練の疲れを癒した。
この後に2、3人の兵士達と共に街の見回りに出ることになっている。
だがそれまではまだ時間がある為、これからどうするか悩んでいた。

「また1人で訓練でもするか……? いや、それではせっかく湯に浸かった意味が無い」

屋敷の通路をゆっくりと歩きつつ、これからどうするかを考える。
月と詠の侍女組の手伝いと言うのもあるが、元来自分がその手の仕事が得意じゃない為、足手まといになる確率が高い。
いまいち考えが纏まらない中、水簾はとある部屋の前を通り掛かった所で歩みを止めた。

「む……ご主人様の部屋か」

自分達臣下に宛がわれている部屋とは一回りも二回りも違う大きさの扉。
これを見るだけでも、自分よりも位の高い人間の部屋だと言う事が分かる。
言うまでも無く、この部屋は元親の部屋だ。

(そう言えばご主人様の部屋ってあまり入った事が無かったな……)

水簾はふと、そんな事を思った。
普段出入りしているのは朱里、月、詠、愛紗の4人だ。
元親が書類仕事を苦手としている為、4人はそのお手伝いとして入っている。
時折それとは関係無く、談笑をする為に入っている者達も居るのはご愛敬だ。

そして自分は指で数えられるぐらいの回数しか入った事が無い。
その全てが訓練に関係することばかりである。
――あまりにも味気と言うか、色気が全く無い。

「…………」

無言のまま、水簾は部屋の扉を見上げた。
そして暫くした後、彼女は行動を開始した。

「し、し、し、失礼すりゅ……」

微妙に慌てて噛みつつも、今は部屋に居ない主に向けて水簾は声を掛けた。
そしてゆっくりと扉を開ける。自分の顔が異常に熱いのを感じた。

「……ゆっくり眺めた事が無かったが……これがご主人様の部屋か」

扉をゆっくりと閉めながらも、水簾は元親の部屋を食い入るように眺めた。
周りには見るからに豪華そうな家具が並び、奥には元親がいつも仕事をしている机がある。
いつもなら元親が机で書類と必死の形相で格闘しているのだが、彼は今居ない。

部屋が妙に静かで寂しい感じがした。
住み主が居なくなるだけで部屋の活気が無くなると言うのは本当らしい。

「…………戻るか」

妙に虚しい感じが水簾を襲う。
主が居ない部屋へコッソリ訪れるなど、まるで泥棒みたいではないか。
自分の取った行動に少々呆れつつ、水簾は部屋を出ようと背を向けた。
その時――

「…………む」

水簾の視線がある一点に集中する。
そこには元親がいつも眠っていると思われる寝台(ベッド)が1つ。
無論、ここも豪華な装飾が施されていたりする。

「ご主人様の寝床……」

突如として悪魔の誘惑が水簾を襲う。
なけなしの理性で水簾は抗うが、誘惑には勝てなかった。

「少し……だけなら……」

顔を真っ赤にしつつ、水簾はゆっくりと寝台に近づく。
そして自身の身を預けるように、寝台へ横になった。
布団特有の柔らかさが身体を包み、水簾は眼を閉じる。

(気持ち良い……ご主人様の匂いがする)

水簾の表情が自然と笑顔へ変わる。
想像でしかないが、まるで元親に抱きしめられているようだった。
それから後、猛烈な睡魔が水簾を襲う。

(うっ……駄目だ。これから警邏があると言うのに……)

自身の仕事を思い浮かべて対抗するが、襲い来る睡魔には通用しないらしい。
このまま水簾が睡魔に流されてしまいそうだった、その時――

「あ――――ッ!! 華雄様! 何してるんですかぁ!!」
「ズルイです!! ご主人様の布団に1人で浸っているなんてぇ!!」

突如として聞こえてきた声に、水簾の眠気が吹っ飛んだ。
慌てて寝台から飛び起き、声の正体を確かめる。

「お、お、お前達……!?」

声の正体は糜竺と糜芳の姉妹。
2人は水簾と一緒に幽州の守りを元親から任されていた。
と言うか、何時の間に部屋に入って来ていたのだろうか。

「あ、こ、これはだな……」
「言い訳は無用です! 私だってやった事が無いのに!!」

糜竺は普段とは比べ物にならないくらいの覇気を発し、水簾に詰め寄る。
彼女は水簾よりも地位は低いのだが、嫉妬力の前では関係無いらしい。

「それなら私だって――――隙有り!」

2人が言い争っているのを尻目に、糜芳は隙を見計らって元親の布団に飛び込んだ。
水簾と同じく眼を閉じ、至福の時を味わう。

「あーッ!! 糜芳! 何してるのよ!」
「良いじゃない。華雄様だってやってたんだから」
「ぐっ…………そ、それより早く退け! ご主人様の布団が滅茶苦茶になる! 糜竺もだ!」

もう事態が収拾不可能ぐらいに混乱している。
無論、犠牲になっているのは元親の寝台と布団だ。
今や見る影も無く、皺くちゃで滅茶苦茶である。

こんな混沌とした場所を治めたのは、1人の侍女であった。

「あんた等……人の部屋で何をやってんのよ!!!」
「「「――――ッ!?」」」

扉の前で怒気を発しながら仁王立ちする1人の侍女。
元親の世話を任されている侍女の中でも“かなり怖い”と恐れられている詠である。

「え、詠……これには深い訳が……」
「そうそう。別に故意に騒いでいた訳じゃ……」
「何と言うか……その……夢を実現したかったと言うか……」

上から水簾、糜竺、糜芳の言い訳である。
しかしそんな言い訳は聞きたくないと言うぐらいに、詠は3人を睨みつけた。

「その布団を今から干すんだから、早く3人とも退く!!」
「「「は、はいッ!!」」」
「それからさっさと、各々の仕事に戻れーッ!!」
「「「わ、分かりました!!」」」

詠の怒鳴り声に圧され、3人は一斉に部屋から出て行った。
それを見送った後、詠は溜め息を吐きつつ、皺くちゃになった布団を見つめる。

「まったく……世話をするこっちの身にもなりなさいよ」
「え、詠ちゃん、遅れてごめん」

少し遅れてもう1人の侍女である月が部屋に入ってきた。
詠が笑顔を浮かべて入ってきた月を迎える。

「うわぁ……何だか凄い事になってるね」
「うん。月が来る前にお馬鹿3人がちょっと……」

皺くちゃになっている布団を見て月は苦笑を浮かべつつ、詠から枕を受け取る。
それから詠は皺くちゃになった布団をふらつきながらも、それを持った。

「ご主人様達……早く帰ってこないかな?」
「もうすぐ帰るんじゃない? 何時までも同じ場所に留まったりはしないでしょ?」

そうだねと、月が笑顔で返す。
詠は彼女の笑顔を見た後、徐に天井を見つめた。

(こっちはこっちで大変なんだから、早く帰ってきなさいよ……元親)

詠が心中で吹いた言葉は誰に聞かれる事も無く、心中で消えていった。
これから数日後、元親達が無事に幽州へと帰りつく。
出発する前には居なかった大勢の仲間達を連れて――



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