「風邪が流行っちまった……」

自身の部屋で椅子に座りつつ、元親はそう吹いた。
彼の眼の前には元親によって集められた武将達が何人か居る。
しかしその人数は、いつもと比べるとかなり少ない。

「唯一風邪を拗らせなかったのが私達ですけど……」

糜竺が自身から見て右を向く。
そこには妹の糜芳、紫苑、秋蘭、季衣の4人の姿があった。

「無事な者が少ないな……」

秋蘭が糜竺の言葉に答えるように吹く。
彼女の隣に居る季衣もまた、同意するように頷いた。

「月から始まって詠に移り、そこから何故か異常に増えやがったからな」
「ご主人様、詠ちゃんが風邪を拗らせた日とは……“あの日”ですか?」

紫苑が何かを確信したように訊く。
元親は頭を抱えつつ、紫苑の問い掛けに答えた。

「そうかもしれねえな。風邪を引きそうにない愛紗や星にまで移った訳だし」
「そうですか……悲しいですね」

ここに来てから間も無い秋蘭と季衣には、元親と紫苑の会話の真意が分からなかった。
2人が語る詠の“あの日”とは、詠が日頃味わっている不幸が他の者に広がる日の事なのである。

普段詠は普通に仕事をこなしているのだが、その陰には多大な不幸が付き纏っている。
例を挙げるなら、お茶を運んで来た際に転んで零したり、食器を積み重ねている最中に全てを落っことしたり、何も無い所で激しく転んだり――挙げればキリが無い。

その詠が味わっている不幸が何故か他の者に広がる日を、元親達は“あの日”と呼ぶ。
基本的にその日が来るのを予感させるのは、詠が1日に3回程自嘲気味に笑っているらしい。

ちなみに言えば、その警戒警報は彼女の親友である月から元親達に伝えられている。
しかし今回は月が最初に風邪で倒れた為、次に感染した詠の“あの日”の予感には気付けなかったのだ。
これも詠の不幸が成せる業か、ある意味恐ろしい物を感じさせた。

「まあともかく、俺達が唯一風邪を引かなかったんだ。あいつ等の風邪が治るまで、俺達で何とかやっていかなくちゃいけねえ」
「ああ……その事だが、元親殿……」

秋蘭が気まずそうな面持ちで元親に言う。

「力になりたいのだが、出来れば私は華琳様や姉者達の傍に居てやりたい」

秋蘭に続き、季衣も元親に申し出る。

「兄ちゃん、僕も秋蘭様と一緒に華琳様達の御側に居たいんだ」

元親は2人の顔を交互に見つめた。
彼女達は真っ直ぐに自分を見ている。

「元親殿がどうしてもと言うのならば、季衣を行かせて私だけでも手伝うが……」
「……いや、良いぜ。あいつ等の傍に居てやんな」

元親が微笑を浮かべ、2人の申し出を了承する。
紫苑もまた、風邪を拗らせた愛娘の璃々が居る為、手伝わせるのも難である。
元親は秋蘭と季衣と同じように、紫苑にも璃々の傍に居てやるように促した。

「申し訳ない、元親殿」
「御免な、兄ちゃん」
「私と璃々も気遣って頂き、ありがとうございます」

3人が申し訳なさそうに謝りつつ、部屋から出て行く。
元親はそれを苦笑しながら見送った後、静かに溜め息を吐いた。

「残ったのがこれだけか……」
「仕方ありませんよ。でも、ご主人様の判断は良いと思います」
「私も姉さんに同感です。ご主人様、私達だけで頑張りましょう」

糜竺と糜芳の言葉にほんの少し感動した元親は、何とかやってやろうと決意を固めた。
その後、元気が有り余っている何十人もの兵士達を集め、全力で事態の招集に努めるように言う。
元親の言葉を聞いた兵士達は戦の最中で無いにも関わらず、雄叫びを挙げたと言う――

 

 

 

 

「おう親仁、ちょいと邪魔するぜ」

元親は調理場の扉を開け、中に居る料理長に声を掛ける。
料理長は内心少し驚きながらも、冷静な態度で出迎えた。

「これは太守様、こんな場所にどうしたので?」
「お前等に作ってほしい物があって来たんだが……忙しそうだな」

元親が調理場を一瞥する。
何人もの料理人が忙しく動き回り、風邪を拗らせた者達のために料理を作っていた。
時折料理人同士でぶつかったりしているが、何とか料理は零していないようである。

「仕方ありませんよ。なんせ幽州きっての将軍達が何人も倒れたんですから」
「面倒を掛けちまってすまねえな。後で上等な酒でも持って来てやるぜ?」
「ハハハハ、豪勢ですね。後が楽しみだ」

それから話は戻り、元親の頼みは何とか受け入れてもらった。
元親は作り方を料理長に簡単に説明し、試しに作ってもらってみる。

「おお、良い出来じゃねえか。流石は調理場を纏める奴ってとこか?」
「褒めたって何も出やしませんよ? 太守様」

元親は作ってもらった“それ”をゆっくりと飲み始める。
飲み終わった後は身体が温まり、ほんのり甘い味が口内を潤した。

「美味いな。やっぱ風邪にはこれが一番効くんだよ」
「天界の料理って面白いもんですね。何て言う料理なんです?」
「ん? これはな、“玉子酒”って言うんだよ」

料理長が感心したように頷く。
事実、この玉子酒なる物はとても美味しかった。
主に風邪の予防用と言うが、普段出している料理の1品に加えても良いくらいである。

「それよりこれも続けて作ってくれよ。風邪を引いた奴に届けてやりたい」
「相変わらず太守様はお優しい。待ってて下さい、すぐに人数分作りますからね」

 

 

 

 

「よっと……流石に数が多くて運びにくいな」

大きめのお盆に作ってもらった大量の玉子酒を乗せ、元親は愛紗の部屋に向かっていた。
調理場から1番近い部屋は愛紗である為、最初にお見舞いに行こうと思ったのである。
お盆から零さないようにゆっくりと歩きながら、元親は愛紗の部屋の前に辿り着いた。

「愛紗、見舞いに来たから入るぞ」

本人からの返答を待つ事は無く、部屋に入る元親。
お盆を持ちながらも、肘で扉を開けるのは何処か器用だった。

「ご、ご主人様!? どうして……ケホッ、ケホッ!」

突然の訪問者に戸惑い、思わず咽る愛紗。
元親は呆れたような表情を浮かべ、ゆっくりと愛紗に近づく。

「おら、病人は大人しく寝てろって」
「は、はあ…………?」

布団を首まで被り、愛紗は元親の言う事に素直に従った。
元親は適当な丸机にお盆を置いた後、愛紗の額に置かれた布を取って手を当てる。

「あ…………!」
「まだ熱いな。ちゃんと寝てたかぁ?」
「は、はい…………(ご主人様の手、温かい)」
「華柁が来てくれりゃ楽なんだが、今日は医院に患者が多いらしいからな」

元親が思わず溜め息を吐く。

「聞いています……とても忙しくて手が回せないらしいですね」
「幽州全体に風邪が回ったのか知らねえけどな。俺達だけ特別って訳にもいかねえだろ?」

布を元通りに置き、元親は愛紗を見つめる。
いつもの彼女とは全く違い、弱々しさが垣間見える。
まあ、全て風邪のせいなのだろうが。

「それよりご主人様……御仕事……ケホッ! 御仕事は……?」
「ああ、今日は無し。お前等の看病に専念する事にした。糜竺と糜芳も他の奴等の看病に回ってもらってる」

愛紗が眼を見開き、上半身を起こす。

「そ、そんな! 私達に構わず、御自身の仕事を……ゲホッ、ゲホッ!」
「おいおい、あまり無理に喋ろうとするなよ」

元親は愛紗の背中を摩り、落ち着きを促す。

「す、すいません……」
「今までお前等が俺の面倒を看てくれたんだ。恩返しぐらいさせろって」
「うう……本当にすいません……」

愛紗の言葉に苦笑しつつ、元親はお盆の上の玉子酒を1つ手に取った。
熱さを逃がさないために置いていた木の蓋を取り、それを愛紗に手渡す。

「?? ご主人様、これは……?」
「天界にある、風邪に効く薬だよ。玉子酒って言うんだぜ」
「たまござけ……?」

愛紗は中身を少し凝視した後、ゆっくりとそれを飲み込む。
ほんのりとした甘さが口内に広がり、身体が温まるのを感じた。
愛紗はあまりの美味しさに頬を緩ませる。

「何と……とても美味しいです! 流石は天界の薬ですね」
「だろ? 俺が小さいガキの頃は、それを飲んで風邪を治したもんさ」

愛紗は玉子酒の美味しさに嵌ったらしく、一気にそれを飲み干した。
その様子は元親が思わず苦笑するぐらい豪快だった。

「美味しかったです。家臣として、ご主人様の御気遣いはとても嬉しく思います」
「そりゃ良かった。お前も他の奴等も、早く元気になってほしいからな」

元親は丸机に置いてあるお盆を持ち、立ち上がる。
そろそろ次の部屋にお見舞いに行かなくてはならない。

「あっ……!」
「ん? どうした?」
「あ、あの……もう行ってしまうのですか?」
「ああ、玉子酒が冷めちまうしな。温かい内に飲むのが効くんだ」

何処か寂しげな表情を浮かべる愛紗に対し、元親は首を傾げる。
何か不満だったのだろうか。

「そ、その……もう少し御傍に居てもらえませんか?」
「ああ?」
「せめて私が……その……眠るまで……」

元親は思わず眼を丸くした。
珍しく愛紗が子供のように甘えているのである。
これも風邪の成せる業なのだろうか。

「…………仕方ねえな。蓋してあるし、まだ温かさは保つだろ」
「あ……それじゃあ……!」
「傍に居てやるよ。お前が安心して眠るまでな」

元親が適当な椅子を持ち、愛紗の眠る寝台の傍に置いて座った。
自身の要望が叶って嬉しいのか、愛紗は真っ赤な顔を浮かべながらも、満面の笑みを浮かべる。

「あの……ご主人様……」
「おう、何だ?」
「手も握ってくれませんか……?」

愛紗の更なる要望に元親は微笑を浮かべ、差し出してきた手を優しく握る。
それに安心感を持ったのか、愛紗はゆっくりと眼を閉じて眠り始めた。
その表情は風邪を引きながらも、何処か穏やかだった。

「おいおい……この手をどうやって離せば良いんだよ」

眠ってくれたのは嬉しいが、元親は頭を抱える事となった。
どうやって愛紗を起こさずに離すか、それが問題だった。
玉子酒の温かさが冷めていくのは、無情にも待ってくれない――

 

 

その後、何とか愛紗の元から抜け出した元親は次々とお見舞いに向かった。
鈴々、朱里、星、翠、璃々、水簾、桜花、恋、月、詠、霞と行ったのだが、全員が愛紗のように甘えてきたのである。
そのお陰でかなりの時間を使い、元親は溜め息を吐かない時は無かった。

そしてようやく華琳達の元へ着いた時には完全に玉子酒は冷めてしまっていた。
その時の華琳、桂花、春蘭の不満は凄まじく、唯一風邪から生き残った秋蘭と季衣は宥めるのに苦労したらしい。

そして最後の砦とも言える貂蝉は――襲い掛かってきた為に殴って永眠させた。
その時は風邪を引いているにも関わらず、何故か動きが俊敏だったと言う。

後日、蔓延した風邪は完全に消え、屋敷内に元気な声が響いた。
唯1人、元親の溜め息がそれにかき消された――



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