ウクライナ飢餓


 西暦1905年より続いた一連の大規模農業災害の総称。

 日露戦争終結の年ウクライナでは冬小麦が全く穂をつけず、生産量が50パーセントを下回るといった異常事態が確認された。これは次の春小麦、大麦、ライ麦までに及びロシア帝国の全穀物生産量の70パーセント以上が壊滅するといった惨事となった。しかもこの異常事態は虫媒、風媒拡散しウクライナだけでなく白ロシア、ガリチア、旧ポーランド地域まで5年にもわたってこれら地域の穀物生産を激減させている。この影響は政治にも及び、ロシアでは帝政 社会主義 共産主義政府が立て続けに興っては崩壊し、無政府状態になった旧ロシア帝国より外周の国家に向けて2000万の食糧難民が流れ出すことになった。(スラブ民族の大移動を参照)自然発生とはいえ現在なお世界最大の生物汚染(バイオハザード)と呼称されている。


――ある書籍の記述――






―――――――――――――――――――――――――――――







 池袋、霞が関からあふれ出した群衆が永田町に向かう沿道を驀進しつつある。騒擾、暴行、狂乱を溢れさせこちらに突進してくる善良な市民だった筈のモノ、御国の民は此処まで愚かだったのかと舌打ちする。
 我々とて人の事など言えない。その群衆を力づくで蹴散らし、鎮圧する国民国家としての最悪の行政手段、戒厳令の尖兵たらんとしているのだから。巡査(らそつ)の一人が走りこんでくる。向こうも準備できたのだろうか? 連絡役として方々走りまわっているのだろう。私の前、息が切れ擦れた声で文言を並べる。


 「乃木大尉殿! 内務省から感謝するとの事です。我々が食い止めている間に後ろの扇動者を残らず御用にすると、騒擾教唆罪は現行犯でない限り逮捕できないので誠申し訳ないと……」

 下っ端、それも新米の巡査のようだ。真新しいはずの制服が泥に塗れ汚物がこびりついている。扇動者曰く【売国奴の手先】として群衆の荒っぽい歓迎を浴びたのだろう。頷き下がらせる、彼にこれから我等の為す所業を見せたくはない。市民を武力で叩きのめす等、公権力を振るう者が最も唾棄すべき所業だ。振り向き部下の報告を待つ。


 「部隊整列完了! 支援車水圧最大、水管、駆動機問題なし!!」

 「解った、各小隊及び制圧小隊はそのまま前進、奴らを阻止する。かかれ!」


 樹脂でできた透明な面当て付の鉄兜を被り、軽合金(ジュラルミン)で作られた楯、強化鋼製のずっしりとした感触が腕に残る警棒、それらで武装した兵士たちが補助憲兵として僕の部下である憲兵士官の指揮で動いていく。びっしりと密集し楯を構えて行軍する様は古代都市国家の市民歩兵(ファランクス)のようだと欧州の外交官が呆れていたくらいだ。最前衛は楯で壁を作り次の列は最前衛の頭を守るように楯で傘を作る。さらに後ろはその前の頭を守るように……装備と言い戦術と言いよく御国はこんなものを考え出したものだ。

 後ろの戦車から拡声器(メガホン)で威嚇する車長、

「帝国第一師団である! ただちに騒擾を止め家に帰れ!!」

 「「「役立たず陸軍 !!!」」」

 「「「聖戦完遂!!!」」」

 「「「奸賊討滅!!!」」」

 拡声器以上の音量で罵声と怒号が返って来る。ついでに投石も。棒や角材を掴んだ群衆が罵声とは違う文句(スローガン)をかざして突っ込んでくる。だがその行為は自殺行為として各々の体に叩き込まれた。
 たかが木製の棒など軽合金の楯に阻まれ、逆に楯で叩きつけられて突進を阻止される。たかが一尺の棒きれと思っていたこちらの特殊警棒は、その重量と固さで暴虐の嵐と化し人々を打ち据えていく。部下の下士官が『当たり所が悪ければ骨砕きですぜ、この鉄棒は』そう言ったほどだ。
 殺されはしなくとも痛みは恐怖を生む、こんなはずではないという戸惑いが恐慌を生む。群衆が散り散りばらばらになるのには大して時間はかからない。後方の連中は戦車から盛大に威嚇射撃をうけて大潰走だ。もちろん実弾や本来使用する燃焼物ではない。火炎放射を行う戦車を改造し高圧縮した水を吐き出すのだ。まともにこの水流に当たれば大の男も成す術なく地面に転がされてしまう。あらかた騒乱者を地面に這わせた戦車は火の着いた家屋にその砲を向け消火を始めている。便利なものだ、報告書に記載しておくべきだな。双眼鏡で後方の扇動者と警官の大立ち回りを監視していた兵が報告してくる。


 「大尉殿、捕縛完了しました。巣鴨側からも救援要請が来ております。」


 頷き命令を発する。


 「よし、戦車隊の半数と3.4.5小隊は私に続け。もう一度やるぞ」

 「ハッ!」


 縄に繋がれ引き立てられていく犯罪者共、その一人がこちらを振り向き怒鳴る。


 「手前共は国を負けさせて何のつもりだ! 国賊は手前等だろうが!!」


 暴言に怒った周りの羅卒が警棒で殴りつけ強引に黙らせようとする。『俺等は間違っていない』絶叫し続ける声がいやに耳に響いた。





―――――――――――――――――――――――――――――






 
帝都が、燃えている。



 この街が江戸と呼ばれていたころに起こった大火ではない。それなら我々もこんな処に巣籠りしていないし、陛下に至っては御自ら陣頭指揮を取られて消火と救助にあたられるだろう。自ら条約を説明せんとした陛下を半ば無理やり宮に押し込め、呼び戻したばかりの第一師団を投入して騒乱鎮定にあたらせているのだ。
 6月初めまで大新聞は暢気と楽天的と傲慢の三人四脚な報道ばかり続けていた。やれ日本の大勝利だのシベリア全土の割譲だの賠償金30億円だの……政府の冷静な談話や報道もそっちのけで勝手に盛り上がった馬鹿共に迎合し、いざ現実に引き戻されると責任逃れに野党ともども政府攻撃を煽りたてたのだ。


 結果は、橙子嬢ちゃんが言う盛大な自爆


 怒った数万の民衆は交番や政府系の建物はもとより、無目的に新聞社や議事堂まで襲ったのだ!


 「日比谷でしたかな? 嬢ちゃんが言った焼き打ちが火遊びに思えるほどの騒乱だ。」

 「こちらはこうなることが解っていましたからどうにか始末がつきそうですが、霞が関(第2次仮議事堂)のほうは酷い有様です。野党議員その他48名が死亡、200名余りが重軽傷、勿論議事堂は全焼、野党の議員達がこちらに入れろと嘆願してきた位で。」

 「都合よく立ち回ろうと生兵法を繰り返した揚句でか? 怒って周りが見えない民衆の前に立てばどうなるか解っておろうに。」

 「おい? さっきの群衆を退散させた時、殺しはしていないのだろうな?」

 「大丈夫ですよ。威嚇射撃と方楯、それに警棒しか使いませんでしたから。今、逃げる際に将棋倒しになって負傷した数人を救護中です。事情聴取はそれからですね。乃木さんのくれた物はどれもこれも役に立つモノばかりだ。」


 ここにいる十人余りの政治家……いや重臣や元老と呼ばれる人間達は他人事の様な発言を繰り返す。しかし彼らの目は笑っていない。明治の世、生き馬の目を抜くがことき権力闘争を繰り返し大日本帝国を創り上げた国政の重鎮達は既に次の手を打ち、更にその次の手を打つための情報を欲している。


 「で……児玉君、この始末どうつけるつもりですかな?」


 桂総理の声で私は答えた。


 「規模が拡大しただけでおおむね予定通りです。それでも死傷者1000人以上という常識外の数字ですが……駐日トルコ大使と英大使の声明をもって宮で臨時閣議を行い、戒厳令下で一気に法案を通すべきと考えます。国民国家として最悪の選択肢ですが国が滅ぶよりはましです。」


 私は乃木さんや小村さんのように達観した選択はできない。彼らの言う、【国滅んでもいつか蘇る】が如き言動は政治家は勿論、御国を守る軍人としても容認できるものではない。どちらかといえば思想家の範疇(ロマンチスト)で留めるべきなのだ。だからどれほど時間がかかっても我が国は二流を国民が納得するまで待つ。


 「そして総理の退陣宣言で幕を引きます。列強全てに抗っても国滅ぶだけ、下関の敗北を忘れたのか? と、」


 下関の敗北……まだ明治の名が付けられぬ徳川の世の頃だ。関門海峡を有する我が長州藩は攘夷を掲げ、海峡を通過しようとする外国船(くろふね)に砲台をもって攻撃を仕掛けた。その原因は笑うに笑えない。
 実を言うと長州藩は外国と貿易がしたいのだ、それも秘密裏に。対馬を通して密貿易を行い大きな利益を上げる。しかし、幕府が開国政策はそれを覆してしまう。幕府の名であれば日本政府のお題目で自由に貿易ができるのだ。当然お題目を売り払う幕府に巨利が流れ込む。
 密貿易は儲かるから止められない。儲からなかったら嫌でも止まる。長州藩はそれを恐れた。だからこそ幕府に攘夷を要求し率先して外国船に攻撃を仕掛けた。幕府が否が応でも攘夷を言わざるを得なくなり、そして自らが儲け続けることができるように。
 どうせ欧米の本国は海の彼方、幕府に抗議するくらいだろう? 国内問題だけ見た安易な決断は破滅的な結果となって返って来た。

 四ヶ国連合艦隊

 どうにもならない程の技術差からくる英米仏蘭の精鋭艦隊が下関に襲い掛かり、砲台を完膚無きまでに破壊した。続いて陸戦も戦争と呼べぬほどに一方的に押しまくられ事実上の降伏で幕を閉じたのだ。幕府の第一次長州征伐などその儀式の一つにすぎない。長州藩が攘夷を投げ捨てて倒幕に走った理由がコレだ。
 ではなぜ明治維新の折りに政府の実権を握った薩長が攘夷を忘れたかのように貿易に精出すようになったのか? 日本の実権を握ったから貿易の儲けも我等の物、攘夷する意味が無いじゃないか!
 英大使の入れ智慧でそれを今度は逆用しようと考えたのだ。列強全て敵に回して我々は生き残れますか? 列強が貿易を止めただけで我々は即破産、夜逃げもできずに一国丸ごと身売りです。絶対に勝ち目はありません、国が滅びるだけです。
 現実はやや違うがリスクを過大視する国民性にはさぞ効くだろう。そして代価は大きいが大騒ぎするモノではない。乃木さんの身柄、彼を売れと言う言葉か? と大山さんは怒り出したが話を聞くとそうではないらしい。
 乃木大将と橙子嬢の力は強すぎる。このまま日本に置けば、列強は清帝国という金蔵の隣に巨大な爆薬を置き続けることになると危惧したらしい。だから彼らを切り離す、せめて彼らの目が届く位置に。しかも彼らの“火薬庫”の隣に置いて相殺させようという腹積もりらしい。

 バルカン半島マケドニア地方

 いったい何処か? と地球儀で調べた程だ。屯田兵ごと遠島の刑(しまながし)といった方が早いだろう。だが、ホーフブルグ講和条約はこれにありったけの名誉と言う名の重みを付けていた。『そんなところを誰が欲しいか!』と怒鳴る国民をも狂喜させる理由の数々、欧州の仲間入り、初めて欧州に領土を持った東洋国家、欧州始まりの地に日本人が旗を立てた…………
 同情するが乃木さんも文句が言えまい。台湾総督に御国最強師団の師団長、第三軍司令官としての功績の数々、そして今度は大日本帝国欧州領総督だ。誰もが羨む歴任ぶり、陛下の覚えもめでたく重臣中の重臣として国民は認識するだろう。これから逃れるには腹を切るしかない。
 桂総理が低く笑った。彼は保身の才強い御仁だが成すべき事は死んでも成すという硬骨の男だ。『嬢ちゃんの史実』において三度目の内閣が数十日で潰れたのは初めから組閣など不可能な状態に追い込まれていたからこそ、たかが満州軍総参謀長がこんな事を言えばこの年でも殴り合いが起こりかねないが、我等二人ともあの下関の無惨な戦場で逃げ回り助かった身だ。


 「耳が痛いな。だがいい機会だ、もはや薩長藩閥等この国には要らん。どうせならこの国の鼻抓み者になる連中、全て出ていった方がよかろう。……とりあえずは我等と言ったところだな?」


 総理の付け足した言葉で周りから乾いた笑いが洩れる。そう、桂総理も長州の出だ。いやこの日露戦争を指導し、幕閣にて戦った者の大半が旧薩摩藩と旧長州藩……即ち薩長の出と言った方が良い。もはや維新は去り志士も武士も一緒くたに過去のものになろうとしている。御国は世界に認められた、それを手弁当に次の地で維新を起こすのも悪くない。権力に未練が無ければ我等にはそれくらいの気概がある。


 「それだけないら良いのですが、」  西園寺という一人の元老が手を上げる。

 「庶民の間に不穏な噂が飛び交っております。この戦に負けたのは我が軍が弱かったわけでは無い。我々を後ろから匕首で刺した輩がいる……と。」


 私も含めて皆、目を剥いた。どうやったらそんな論理が出てくるのか理解ができない。誰がどういった思惑で言ったのかと問いただすと。その男は自信がなさそうに言いだした。


 「なんでも議員同士の言い争いを仲裁した者の話では片方が『逆賊の分際で議場に上るか!』と片方を面罵したそうで、」

 「「「逆賊ぅ!?」」」


 彼も私もこの中のいる御歴々も逆賊がどういう存在かすぐに解かった。奥州列藩同盟、会津藩、庄内藩を中核として幕府側についた諸藩と官軍の間で起きた戊辰戦争……30年も昔の話だぞ!?


 「馬鹿な! いったい何時の話だと思っている? とっくに彼らは罪を償い政府はもとより陛下もそれを御認めになっている。今さらそんな御託を政治の道具にするつもりか!!」


 怒りのあまり椅子の肘掛けを拳で殴りつけ、立ち上がったのは伊藤公だ。危地には弱いが弁舌と調整能力に優れ長年政府を引っ張ってきた元老の一人、先立った諸先輩方から国を憂う日本人同士が相撃つ悲惨な戦は我々もよく聞いたものだ。今の連中はそんなかけがえのない苦い理まで政治の道具にするのか。


 「丁度良い、素奴等も巻き込むべし。士族が北海道に追いやられた今、土着の庶民同士をそんな下らぬ争いに巻き込むわけにはいかぬ。優先的に屯田の詔勅をバラまけ! 責任は儂がとる。」


 山県候が据わった目で周りを睨みつける。思えば維新の志士に拘り、昨今の自由民権だの議会政治だのと全く相いれない言動を吐き続けた問題政治家の筆頭だ。愛国者だが理解されない、その典型的な人物。


 「面白いではないか! 敵対した薩長土肥と奥州列藩、官と賊と呼ばれた2者が今度はその掌を握り新たな国を興す。我等は創業者よ! ぬくぬくと炬燵(こたつ)に入って人生を過ごすなど似合わぬ!!」


 彼の吠える声に何人かが同調する。年を取り60台70台になっても覇気を失わない維新の志士達がそこにいた。しかし我等にやれることには限りがある。今から年寄りが欧州に渡っても役立たずで終わるだろう? ならば征く者共にありたけの力と道筋を与えよう。
 各自解散した後、私と大山さん 山県候に総理の4人だけが残った。


「どうします? なんとか道筋はつけられそうですが肝心の乃木さんがあれでは……」


 私の言葉に込められた憂慮は浅くない。何があったかは彼や伊地知から聞いた。観戦武官のマッカーサー少尉を一時拘束したのも妥当な判断だ。もっとも、何処ですり替わったのか軟禁場所にいたのは父親のアーサー総督でその理由が『本国の恋人会いたさに嵌められた。』いけしゃあしゃあと宣まうのには怒りを通り越して呆れた程だが。
 そんなことより彼の憔悴ぶりは尋常ではない。たかが孫娘との大喧嘩でなら仲裁の入りようもあるが彼女が人類滅亡の撃鉄を起こしたとの言葉には絶句するしかない。


 「詳しく聞くか?」


 乃木さんの暗く淀んだ眼とその問いに私は遠慮を願うしかなかった。


 「別に死んではおらんのだろう? どうせ神輿以上にあれには期待しておらん。丁度良いというものだ。」


 山県候の言葉、またこれだ……期待を込めて抜擢した者でも平気で使い捨てる。この御仁は本当に好きになれない。


 「しかしあの娘は拍子抜けだったな。少しは骨のある輩と思うたが失望したわ。」


 彼の鋭い舌鋒は容赦が無い。悪意でもあるかのように胸に突き刺さる。


 「山県候、いくらなんでも御国の功労者にそれは……」


 総理が言葉を遮ろうとする。少なくとも彼女はこの戦で比べること無き大功を為した、それを貶める必要ではないのではないか? と言う彼を眼で黙らせ辛辣な言葉を吐く。


 「失望は失望だ! 彼女の識見、行動力、乃木が役立たずになったと聞いて我が家で後ろ盾になってやろうと思った矢先、この体たらくではな。所詮自覚もなしに神智を振りまわすだけの餓鬼に過ぎなかったわけだ。この山県の眼もずいぶんと曇ったものだわ。」


 椅子の背に寄り掛かり傲然と大鉈のような言葉を振るう彼に反感を覚える。ええ! 貴方の言った言葉に間違いはありませんよ。しかし相手は10かそこらの子供です。まだ己の眼の見渡す限りにしか世界が存在していない幼い娘に何を期待しているんです!!
 場が険悪な雰囲気になりかけたのを察したのか大山さんが話を逸らす。彼とて断腸の思いだろう。乃木を島流しにすると聞いて激昂し、一度はハルピンまで攻め上がって列強に御国の威を知らしめるとまで意気めいたのだ。


 「じゃっどん、乃木どんを赴任させねば御国が危地に晒させる。腹でも切られたら取り返しがつかん。児玉どん、監視の兵は十分じゃっとか?」

「いえ、監視は一応程度です。」


 私の言葉に大山さんが慌てて口を開きかけるが話を続けた。


 「乃木さんが腹を切ることができればやってます……それすら“させてもらえない”のです、彼は。」


 そう、脚気予防(・・・・)に著しい功績のあった軍医長の森林太郎少将がその有様を見て即座に匙を投げてしまった程に……言葉の残りを聞いた時、残る3人は凍りつくように口を噤んだ。




―――――――――――――――――――――――――――――






 我は既に何十万回となく自らの行動とその確率を再計算している。オーナイン(10の9乗分の1)という無きに等しい確率だったはずだ。量子レベルにまで計算されて構築されたVZ07Ωは1年のみ、それも小麦のみに限定した変異劣勢種型侵食遺伝子に過ぎない。当然暴走も考え400通りもの既定自滅プログラムも存在する。しかしそのうちの300以上ものプログラムが無効化され、しかも対象範囲と効果時間を拡大して増殖し続けているのだ。
 強制的に焼き払うことも考えた。しかし想定計算に入ったとたん対象グリッドが消去され初期化されてしまうのだ。そして毎度のように入る警告文、我の知らない何かが我の中に存在し妨害しているのだ。想定の一つとして存在するのは『失われた勅命』(アドミラリティ・コード)
 前回の軍事拠点に絞った攻撃なら兎も角、人類の生存に直接影響を与える攻撃は控えろということか? なら何故VZ07Ωの使用を許した??
 現在の状況でVZ07Ωの最終自滅プログラムが発動するのは4年後、その間のシュミレートを考えるならば最悪でも200万人の餓死者で済むことになる。かろうじて人類文明に影響を与えずに済むという予測なのだろうか?

――今考えれば我とその謎の存在は判断を誤っていたとしか言いようが無い。人の欲望と浅ましさが危機など問題にしないように荒れ狂い、人類文明を大きく歪めるのは歴史上何度でもあることと認識すべきだったのだ。そう彼ら人類の言葉、『歴史は繰り返す』の言葉どおりに。――





◆◇◆◇◆





 2000万を超える食糧難民は手近なドイツ、オーストリア・ハンガリー、ルーマニア国境に雪崩れ込んだ。良く考えればおかしい話だろう? 1年だけの凶作だけではそこまで酷い状況にはならない。2年続いたとしても穀物輸出を制限し国民全てが耐乏生活に甘んじれば乗り越えられる筈だったのだ。
 しかし5年という莫迦げた規模の連続凶作、そして人と呼ぶものは一度愚かな選択をすると際限なく愚行に走るのは歴史の示すとおりである。
 ウクライナは欧州随一の穀倉地帯、その地が大凶作ということで欧州人の誰もが穀物買い付けに走ったのだ。自分の生活を守るためならまだしも金儲けと考える者も多かった。結果穀物価格は高騰、儲けに目が眩んだロシア貴族、地主は農民の食い扶持まで軍隊を用いて取り上げ輸出したのだ。当然食えなくなった農民が激発、日露戦争の“敗戦”も相まって帝政は倒れたのだ。そしてこの凶作を止める力が議会政治にも共産党にもないことをロシア民衆が悟った時、

共産化した……いや、飢えた2000万人の赤い津波が欧州に雪崩れ込んだのだ!

 ドイツ帝国は即座に軍の部分動員を行い、力ずくで難民の排除にかかる。数年にわたる地獄絵図は国民を守るためとはいえ躍進著しかった筈のドイツ経済を苦境に追い込むに十分だった。それでもドイツ帝国は幸運だったのだろう。列強上位の国力がそれを可能にしていたのだから。
 オーストリア・ハンガリー、そしてルーマニアはそうはいかなかった。南ガリツィア(ポーランド南部)とスロヴェニアを放棄してカルパチア山脈沿いに国境を下げ。諸外国の援助でかろうじて持ちこたえたオーストリア・ハンガリー、バルカン最大の穀倉地帯故、ドイツに侵入した食糧難民に匹敵する数に押し潰され、国家が丸ごと無政府状態になってしまったルーマニア。
 しかし惨禍を受けたのはこの三国だけではない。人類愛の為に難民を受け入れる国家も少なくなかったのだ。それでもどの国も十万単位の難民を受け入れる余地は無い。それが列強であってもである。
 列強がとった手段、それは移民。ロシア難民をまとめて船に押し込め、列強が絞っても絞っても尽きぬ富を生み出す豊かな大地、中華大陸に投げ捨てるように送り込んだのだ。当然難民にはまともな後ろ盾は無い。力を持って現地の人々から土地を金を穀物を奪い、生き残るしかなかった。そして追い詰められた人間の性としてだけでなく、厳しい自然環境を生き抜いてきたロシア人はその点躊躇も容赦もなかったのである。


 日露戦争後、欧州には黄禍論という言葉が飛び交った。大日本帝国をタタールやオスマンの脅威の再来と声高に叫ぶ人々がいたのだ。しかし現実は…………
 その後70年にもわたって続く有色人種への白禍の始まりでしかなかったのは皮肉としか言いようが無い。







あとがきと言う名の作品ツッコミ対談






 「どもっ、とーこですっ!……アレ?原文より清書の方が一節増えてない、作者??」


 あー乃木伯父さんの節ね、戦闘描写が2章でほとんどないのと乃木一族なのに出番が4章まで全くないというのも何なので2章と3章に一節ずつ入れることに決定した。なんだかんだで2代目トラキア総督だしね。


 「橙洋じゃないの?一応年表で2部開始時点で30前半だけど。」


 おーい?政治家として30前半なんてガキもいいところだよ。さすがに某国のように60代70代になっても一線にいるのは老害な気がしないわけでもないけど。いまどきの若手政治家と一緒にしちゃダメ。実際乃木おじさんも40代半ばだけど官僚の傀儡の気が高そうだしね。さて今回の突っ込み所だけど日比谷をここまで大きくできるかという点だね?


 「そーそー。一応“陛下の軍隊”にそこまで盾つく馬鹿はいないと思うし何故ここまで騒ぎが大きくなった?て点よ。設定見たけど死亡60名重軽症者1400名逮捕者3000名以上ってどこの天安門国家とおもっちゃった。」


 うんチャーチル閣下含めた情報操作の影響が大きいね。日露の戦争がいつのまにか日本対列強全部の戦いになっている。そして列強から「お前負け」と一方的に通告されたようなもんだ。国民からすれば勝手に列強が介入してきて問答無用で負けと宣言された上、政府が唯唯諾諾と受け入れちゃったから怒って当然だよ。今までの苦労は何だったんだ!の大合唱だね。


「政変とか起こってもおかしくなさそうだけど?」


だからこそ日露戦直後で戦時体制のまま民衆反乱を起こさせたのさ。民衆に武力を使いやすい状況を作ってあえて暴発させ根こそぎ潰す。日露直後までは薩長藩閥が政権牛耳っていたから天皇の黙認すら取り付ければ民衆を一方的に暴徒に指定して武力鎮圧できる法的根拠が成り立つ。そしてその責任者達を閑職かトラキア送りにして政府議会官僚全員が口を拭うわけだ。後の時代に非難しようにも大半は墓の中か欧州領で手の打ちようが無い。そして日本人は死者と外人には関わりたがらない。フェリながら性格悪いと思ったなw


 「性格が悪いというか捻ているのは事実だしね〜。でもさーここまで酷い状況にするわけ?もう欧州史ムチャクチャ(泣)」


 これでも優しい方だったけどね。特にオーストリア・ハンガリー2重帝国、本来のシュミレートではこの国も流民がハンガリー、北トランシルヴァニア、まで入りこんで財政破綻と移民と現地民のバトルロイヤルで国家崩壊していた。たぶん政府、皇帝も必至で列強各国を説得し援助を引き出したと思うよ。王室外交に限るなら流石欧州の名門、味方はかなりある。そして欧州はロシアとオーストリアの2択なら確実にオーストリアを取るしね。ルーマニアについては致し方が無い。これはシュミレーション以前に崩壊が確定してた。南部ワラキア地方だけでもと考えたけどロシア流民600万じゃね…少なくともドナウ以北はリアル北斗(蒼天版)になっていると思う。それに海には逃げられない。何のために橙子が港湾都市と船、潰しまくったと思う?


 「おぃおぃ……1話のアレはそっちも含んでいたのかい(呆)でも設定によればシベリア鉄道乗継で100万のロシア人が満州に逃れているよね?それと欧州から船で大陸に島流しにされた100万のロシア人、いきなり大陸で独立国家立ち上げれそうな気もするけど列強の植民地支配を揺るがせるんじゃないのかな?」


 その点についてはアメリカが満州に引き取ることになるね。満州じゃアメリカの植民地化するにも何もかもが足りない、手近な日本は使えない。ならば米本土からの100万人の移民それにロシア流民200〜300万人を加えて現住の2000万弱を支配した方がいい。欧米資本家>米移民>ロシア人>満州・朝鮮人他の支配階層が出来上がる。満州バナナ共和国の誕生だね。


 「本気で中華を分割する気満々ね作者?」


 というよりアメリカの世界進出の余地がもう中華大陸にしかないからね。さすがに列強に戦争吹っ掛けるのは気が引けるし。相手は人間じゃないから問題ないよ?


 「マテやこら! また不穏な言動をポンポンと(恐)」


 あのさぁ? このころの欧米列強のアジア人観なんてこんなものだよ。史実では日露戦争で“一応”日本が勝ったからこそ日本人だけでなくアジア人全ての評価が少しばかり上がったけど。今度は問答無用で負け宣告されたからね。しかも大陸全土から追い出される既成事実が付いている。日本人含めてアジア人全てがアフリカ人と同じく人間扱いされない時代はまだ続くんだ。だからこその白禍なのさ。1970年代までアジアもアフリカも僅かな独立国を除いて列強支配の植民地のままだろうね。しかもWW1は潰れたから欧州は散財せずに植民地支配に全力を傾けられる。流石に効率が悪くなれば植民地支配は終わるけど今度は植民地自体が列強のバナナ共和国として搾取される運命になるだろうね。現代の有色人種からすれば絶望郷(ディストピア)のような有様になる。そして1990年位には日本を含めた数カ国の有色人種国家はアジアアフリカ各国からこう言った罵声を浴びせられるわけだ。『裏切り者』ってね。……どうした?


 「(ピクピクピク)」


 毒強すぎた?否定はしないけどWW1とWW2が無ければ20世紀後半はこんな有様になる可能性すらあったんだよ。そして今回霧と橙子がその御膳立てをしてしまった。150年後の世界がどうなるか作者としても楽しみではあるんだけどね。


 「……Sメ……」


 ?どうしたとーこ?


 「私らの世界どうしてくれんのよ――!!Sなのも大概にしろ――!!!」


 (轟音と悲鳴が交錯)



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