彼の戦車の元へたどり着いた瞬間、それは起こった。


 朕深ク帝都ノ惨状ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル軍兵乃至爾臣民ニ告ク……


 馬鹿な……あの木戸が暴走し陛下を陥れたのか!? この騒擾はあくまで陛下抜き、陛下が混ざれば御国は官軍賊軍で双方を裁かねばならなくなる。そんな事をすれば今度こそ御国が二つに割れる。あくまで儂等のやらかした全ては臣下同士の勝手な権力闘争にすぎぬ。故に両成敗、叛乱軍は捕縛され儂は捕縛の前にトラキアへ逃れて召還命令を拒否し続け部下の叛乱で押し込めという筋書きだ。勿論その頃にはバルカン戦争は終結している。御国は国を誤らせる叛乱兵と強大な権力を持ちすぎた儂を同時に処分できると言う最良の結末となる。そんな儂の焦燥等関係無い様、明治宮正殿より玉音放送は流れ続ける。
 御上の声がはっきりと聞こえる。これで何処が重篤の御身か?と疑う程、怒りと悲しみを毅然として言葉に出し我等を諭す。
 既に欧米列強の力なくして御国は存在できない事。御国同士で相争えばそれは諸外国の嘲笑を買い、独立すら危うくなる事。列強の論理【帝国主義】に立ち向かうのではなく、それを踏み台として新たな国づくりを行う事こそ御国を未来へと進ませる軸となること。己の誇りなど単なる自己満足に過ぎず、力のみで全てを変えようとするなど傲慢の極みであること。最後に、


……堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス



 その言葉は知っている。橙子の上役のデーターベースでも録音が残っている程有名な言葉だ。二重の意味で慙愧(ざんき)に堪えない。殿下が史実にて語り、儂が今世で語らせたくなかった玉音を祖父である御上に語らせてしまった事。そして今の言葉の端々から御上の命が消えつつある灯火の最後の煌めきであると感じたからだ。
 銃火も、砲声も、声すら消えていた。兵の中には跪き啜り泣く者もいる。日本語の良く解らぬ筈の米兵すら何か感じる物があったのだろう。只一様、宮の方を向きに沈黙している。もしかしたら御上は儂の…………詮無き事だ。殿下が問われた言葉『死ぬつもりなのか。』、御上は儂の命数を察し最後だけはという温情かもしれぬ。しかし、儂は申し渡された。


 
『名もなき溝に身を埋め、息絶えたとしても国に尽くせ』



 そして儂は誓った。


 
此方(トラキア)彼方(おくに)、永遠たるモノを築き上げる』



 故に逃げぬ。命尽きるまで闘い抜く。飛び降りてきた長身の若者――ダグラス少佐――がコアユニットの分身の一つと共に戦車からこちらに歩いて来た。敬礼を交わし彼が感極まった声で言う。


 「閣下、終わりましたね。成程“史実の私”の判断は正しかったようです。もしあの時、史実の私がエンペラーの一族に危害を加えたならば最終的には我が祖国は滅んでいたかもしれません。ここまでの民が此処にいた。それだけで我が祖国とペリー提督はこの国を開くという名誉ある役割を神に課されたのかと思いました。」


 思索に傾きがちな彼らしい言葉、しかし苦笑が漏れ出しそうだ。おどけた声で否定する。


 「甘ったれた内向きの国民が慌てただけに過ぎんよ。日本人と言う物はそこまで大した民ではないな。で……どうする? 今の君の境遇からすれば儂と共に御国より逃げた方が良いのではないか?」


 彼は笑い軍服の剥げた部分――階級章があった部分だ――をトントンと指で叩く。


 「実は閣下も良く“知っている”であろうアイク(ドワイト・アイゼンハワー)中尉を置いてきぼりにしてしまいました。彼だけでは本国の査問官達が納得しないでしょう? 最高責任者が責を被るのは当然ですから。しかし、部下を連れて行って頂きたいのです。トラキア……いえバルカン戦争にて閣下が行うであろう『新しい戦争』を彼らの目に焼き付けて欲しいのです。おそらく“第一次世界大戦”が無いこの世界、彼等にそれを知る機会は無くなってしまうと私は考えます。」


 もう彼と会う事は無いだろう。それでも猶、儂等は歩き続ける。道は別たれた、そういった感触と共に気楽な物腰で玉音放送の内容を聞きに来る米軍新米少尉の相手をしながら儂は覚悟を決めた。





―――――――――――――――――――――――――――――






 赤茶けた大地、その中にポツリポツリとある白い小さな点の集合体、その中で俺は悪戦苦闘中だ。通訳でなんとか解った台詞だけでも……


 「昔から此処が儂等の土地だったんだ! ここを捨てて何処に逃げろと言うんだ!!」

 「トラキア総督は俺達を守ってくれる筈じゃないのか!? なにが親衛隊だ。この穀潰し野郎が!!」

 「まだ娘が近くの農場に働きに出ているんです。今村から離れたら離れ離れになってしまう!!」


 口々に喚く村民に激したのか兵士の一人が銃を向けて威嚇しようとし其のまま割って入った伍長にぶん殴られる。伍長も苦渋に満ちた顔で村民たちに頭を下げて回る。たった三十数人の小村ですらこれだ。ここが交通の要衝で中隊長自ら説得しなければならないとはいえ枝道にある農場やもっと大きな村に行った部下達は大丈夫なのか? それに更に後方で機動炊飯小隊を駆使して炊き出しを指揮する富永少尉は?? 悩みは尽きない。


 「石鎚中隊長殿、ちと良いですか?」

 「鍵島特務、悪い報告だけ言ってくれ。良い報告など見つかるはずはないからな。」


 気配だけで解るくらいに彼と俺の間は近くなりつつある。正直有難い。先任の考えや行動が理解できるようになれば新米の俺でも一人前に近づきつつあると言う証左だからだ。少し気配が柔らかくなる。


 「中隊長殿、締めるのは良いですがそれじゃ張りつめた糸のようにちょっとしたことでプチン! ですぜ。大丈夫、良い報告です。」


 振り向くとなんと鍵島特務の隣に2人も外国人がいた。一人が欧州の修道学校生がそのまま機械屋の服装をしているといった感じの黒髪灰色の瞳の男。その隣がその彼の弟子といった風情の赤褐色と薄い緑の瞳の青年だ。

 「フリッツ・トートです。」

 「エトムント・ガウスです。」

 両方の挨拶に俺もドイツ語で返す。彼らには幼児が喋る程度の文法と嘲られないか不安になる。それだけで白人と言うのは他人種を差別する動機にするのだ。彼等の眼鏡に叶うのは自分達の言葉で話せる者のみ。差別の種類すらこの線で言葉のみに皮肉か無慈悲な行動によって行われると言う事だ。


 「トラキア13国境警備中隊長代理、石鎚橙洋です。貴殿等も急いでください。敵軍が迫って来ています。」

 「其の事なのですが……」

 トート氏が弟子のガウス氏に地図を開かせ私に見せた。この村の後方の峠道らしいな? しかしこの線といくつかの形をした軍用記号は……まさか、


 「トラキア兵站部での試作野戦陣地の配置図です。ちょうど試験運用中に戦争がはじまりまして閣下の役に立てていただけたらと思いました。」


 思わず絶句してしまう。これは野戦陣地というよりも一種の堡塁じゃないか。ここに大隊規模の部隊を展開すれば其の三倍連隊規模の敵を足止めできるぞ。驚いて地図を凝視する俺に声がかかった。


 「期待しないでください。」


 彼の隣で今の言葉を出したガウス氏が申し訳ないような顔をする。


 「地図で見れば大層な物に見えますがあくまで試作で作ったものなのでコンクリートの部分は只の土塁、鉄筋や鉄骨部分は木材で代用しているに過ぎません。砲兵が加農砲(カノーネ)どころか榴弾砲(ハウザー)を持ちこんできても粉々にされてしまいます。」

 「じゃ小銃や機関銃程度なら何とかなると言う意味なんだな?」


 「はい」   俺の質問にガウス氏が目を向けた相手、トート氏が答える。


 「十分だ。御協力感謝する!」


 きっちり敬礼をする。見た感じドイツ帝国の技術者のようだ。トラキアにおいてあいつが金任せに欧州中の技術者を掻き集めているのは知っている。彼らの祖国に金を握らせて有無を言わさず連行しているとの話も聞いた。不甲斐ない欧州領、金に目が眩んだ彼等の祖国、それを理由に強権を連発している養祖父(アイツ)。何を怒りたいのか解らなくなるが、今彼等が必要な事、そしてあいつが正しい事位俺にも解る。


「それともう一つあります。」


 鍵島の続けた言葉に俺も思わず顔がほころんだ。彼等が連れてきた人足、軍属として扱われている。つまり戦場に投入する事こそ論外だが。避難民の警護や道案内をかって出る事が出来るのだ。部隊から態々人を割いて戦力を分けるという愚行を考えなくて良い。しかも土木機械も持ち込んでいたようで貨物自動車も数台ある。女子供老人といった弱者を足に鞭打って歩かせなくても良いのだ。鍵島に命令する。


 「先任、こちらからも兵員輸送車の予備ガソリンを出してやれ。一往復どころか何往復もしなければ全員が避難できないだろうからな。」

 「良いんですかい?」


 鍵島の一応の確認、確かに許可は必要だが戦時、しかも危急の際だ。事後承諾、なるようになれ。


 「帰りの分だけあれば十分だ。ガス欠になったら星野に拾ってもらうさ。」

 「剛毅な方ですね。噂で聞きました。ジェネラルの御孫様が最前線で指揮官をしていると。」


 トート氏の言葉に昔なら不機嫌になって毒吐きもするが御国の軍人、しかも俺は欧州への尖兵たる欧州領軍の士官だ。世慣れたフリをするのも大人の定め。特に外国人に醜態を見せるなかれ。好きな訳じゃないが俺の軽率さで軍が非難されるなどあってはならない。


 「姉貴が養孫になってるだけさ。俺は気楽な一人者だよ。」

 「そう髪を掻き揚げて見せるところなんて本当に選良ですよ閣下。まるで祖国の軍人貴族(ユンカー)のようだ。」


 四人して笑いと苦笑いを交えていると。激しい排気音と共に自動騎車が止まった。飛び落ちてきた同僚、たしか先の先辺りの村で偵察活動に出ていた上井中尉だ。何しろウチの中隊そのものが食中毒で本来の士官が全滅。オレを含め皆代理だの代行だの付いている。流石に兵も下士官も面倒がって部隊内では全部削除と相成ったわけだが。上井中尉の顔色が悪い。


 「中隊長殿、報告します。北部40キロメートル、タプロフ村落の状況、う……ほ、報告…………奴等、人間じゃねぇッ!!!」


 そのまま蹲り吐瀉物をぶちまける彼を介抱しながら事実を聞き。俺達は色を失った。本当にこれは戦争なのか!?





―――――――――――――――――――――――――――――






 「さて兵士、下士官諸君。君達が戦時における国際法を順守しなかったのは明らかだ。心配ない、それについては説明と教育を怠った我等士官達にも責任がある。我々も軍法を以って処断されるのは致し方が無いだろう。しかし! 私達士官は言った筈だ。士官の命令無くして進撃を遅滞させるな! と。こんな村如きに拘泥し略奪をした挙句、進撃を遅滞させた!! 」


 大佐殿からプレゼントとして渡された日本帝国製の自動拳銃をぶら下げている。全く新たなる相棒の初仕事がコレとはな。


 「たかが民家からモノを拝借しただけですぜ。目くじらを立てれ、」


 思ったより軽い音を立て抗弁の口を開いた兵士の眉間に穴を空く。そいつは着弾の反作用で後ろに倒れ、長く掘った溝の中に落ちる。


 「横暴だ! 傭兵士官如きが!!」

 「それでも士官であることに変わりは無い。」


 また一発、今度は喉に当たり血飛沫と共に兵士の一人が後ろの溝に落ちる。


 「「「手前ぇ!!!」」」」


 後ろ手に縛られ足轡をかまされた兵士が立ち上がろうとするが私と共に並ぶ兵士達が次々と発砲、たちまち長く掘った溝は軍紀違反者の屍で埋め尽くされた。顎を杓い部下に命令。こう言った物はなるべく冷厳に締めるべき。それでも最後私の言葉には沈痛な感情が篭ってしまった。


 「埋めておくように。後村民の遺体も丁重に葬って上げてくれ。」


 部下の下士官に処刑の後始末だけ頼むのも気が引けるが今から大佐に報告せねばならない。私の責任でもある。軍隊と言うものは筋肉馬鹿では勤まらない。軍法、戦闘規定、戦術教範…………士官下士官、いや兵すらも入隊したと同時に猛勉強に晒される。軍隊においては頭が悪いは死と同義語だからだ。だが列強国民では無く、そもそも初等教育すらまともに受けていない彼等にそれは無理だと考え『まず上官の命令に従う事、上官だけが絶対と考える事』それだけを叩きこんだのだ。しかしそれすら彼らには解らなかった。『上官の目を盗めば何をしても構わない。』そう解釈し、結末はこの惨状だ。
 500人も入れば精一杯の小さな町。其処此処でまだ煙がくすぶっている。先行した第一大隊が街を占拠した後略奪に走ったのだ。しかも……ちらりと放り投げられている2メートル余りの鉄串を見やる。【本物】を凝視したらとても精神が持ちそうにもない。それに刺し貫かれていたモノは略奪に抵抗した住民達だったからだ。


 「(400年前とは違うんだぞ!! 誰が串刺し公(ツペシュ)をやれと言った!!!)」


 前から大佐が小走りで近づいて来た。敬礼する。


 「ヤルマル・シースラヴォ憲兵大尉、任務完了いたしました。」

 「御苦労、本当に済まなかったな。ペテルブルグ大学(アカデミー)出の君をこんな見苦しい任務に駆り出してしまった。」

 「半分は自分の責任です。実戦と平時の違いを悔やむばかりです。」


 上官にして傭兵部隊指揮官、エミール(ゲオルグ)大佐と共に私は街の中心に向かって歩いていく。先程から私や部下が考えていた事を口に出してみた。


 「たった30人の処刑で済ませるだけで良いのですか? 私達が率いてきた第2大隊の中には奴等が巻き上げた金品を召し上げろと言う兵も多いです。」


 即座に答えが帰ってくる。つまりまだまだ私は勉強不足という事か。大佐は熟考して命令を下す事が多いから考える必要もない事案、または既に用意してあった答えとも取れる。閣下は静かに口を開いた。


 「それで済むと思うかね? 略奪した第一大隊も我等と共に来た第二大隊も本質は同じさ。隙あらば略奪の恩恵に預かろうとする筈だ……たとえ友軍であってもね。」

 「だから第一大隊の士官を全て国軍憲兵隊に拘束させ、送り返したわけですか。」


 自ら率いるセルビア軍を信用しない。大佐がこの国の国民なら私刑にかけられかねないが大佐も私も傭兵だ。しかもセルビア軍を教導しろとの命令。だからこんな無茶が通る。私を向いたまま閣下は人の悪い顔を作ってみせ、言い放った。


 「これは試しだ。国軍憲兵隊が温情を見せるならプトニック参謀長は構わず憲兵隊ごと殺して良いと内諾を得ている。篩にかけるのは前線で戦う兵士だけではないのだよ? そのための過剰なまでの護送兵だ。司令部での即決裁判の後、犯罪者共が罪を償う意思があるのならば師団本部で懲罰部隊を編成し最前線に投入する。」


 そこまでは命令で決まっている。さらに大佐は一歩踏み込んで苛烈な言葉をぶつけてきた。言うは簡単、しかし今の欧州人に絶対に出来ない――列強は愚か欧州中小国ですらだ――これこそロシア人の言う地獄の戦線を生き抜いてきた宿将の至言とも言うべきものを言い放つ。


 「殺すのも殺されるのも同じ人間だと言う現実さえ解れば、敵国同士だろうとキリストとイスラムの間柄だろうとも敵を減らし、味方を増やすことを考えるだろうさ。それが出来ない馬鹿は使い捨てだ。」


 思わず赤面する。私は確かに大学出だがここまで人間の心理を軍隊に利用する指揮官など聞いた事が無い。役に立たない兵隊を戦争、しかも実戦で使い物になる兵隊に変えてしまうのだ。あのロシア-ジャパン戦争で生き残り、しかもフランス外人部隊ではありえない程の高待遇。私も閣下のような一廉の人物になりたいものだ。閣下から頂いた拳銃は其の期待の表れだと思う。欧州でも簡単に手に入らない逸品、日本帝国の最先端工廠が製造する武器、【42年式38型自動拳銃】(ワルサーP38)思わず讃嘆の言葉が出る。


 「時に大佐、この拳銃は良いものですね。反動が弱いのに十分な威力がある。手にしっくりと収まりながら護身には十分な弾数もある。昨今では兵士が使う武器に優劣は無いと聞かされてきましたがこんなものを山のように装備するトラキア親衛隊と直接対決しなくてよいと聞き、ほっとしていますよ。」

「さて? それはどうかな。」


 無精髭の伸びた頬を齧りながら大佐は答えた。


 「トラキア親衛隊はきっと出てくる。トルコに宣戦布告した如き詐術が通用するとは思えん。そして彼の軍……いや日本帝国軍が武器の優劣だけでロシアに勝利したと考えるべきではないよ。大日本帝国の恐ろしさ、それは国民たる日本人が本来バラバラな筈の意思をひとつに集約してしまうことにある。私が最後に戦った奉天、あの時も指揮官が士気崩壊寸前の部隊を短期で纏めあげ反撃し、危うく私も冥界の門に投げ込まれる寸前になった。」


 南の方――日本帝国欧州領トラキア――を見て閣下は呟く。


 「其処にいるのかな? 【ノギの息子】」




―――――――――――――――――――――――――――――






 「ふぅむ……出まかせとは言えど言ってはみる物だな。」

 「親方……昨日の話は出任せだったのですか?」

 「全くもってその通り。」


 隣のハルグンド君が頭を抱えるのを尻目に埃まみれの望遠鏡を除く。私も驚いたものだが此方が向こうを望遠鏡で見ていると同時に望遠鏡がお天道様の光を受けて光を反射しこっちが覗いているのが向こうから丸わかりというのはかなりあるらしい。望遠鏡の硝子を埃まみれにして反射を防ぎ、しかも空が曇った一瞬を狙って状況を確認する。
 望遠鏡をしまい腹這いから仰向けになって手と足だけでずるずると斜面を這い数メートル先の窪地まで移動した。ハルグンド軍曹も同じくだ。


 トラキア親衛隊(イェニチェリ・ガディード)……既に展開しているとは。」


 戦慄と共に彼が言葉を吐いた。そうだろうな。閣下の目論見では南マケドニア――恐らくその中心地テッサロニキ市――まで彼等が出て来る事は無かろうと言っていたのだ。それが北マケドニアの首府スコピエよりさらに北に日本帝国欧州軍が居る。大いに当てが外れたと言っていい。


 「さて軍曹、君ならどうする?」

 「迂回します。」


 言下の答えに鼻を鳴らす。戦い方は水際立っている癖に絶対に無駄な戦いはしない。軍曹じゃなくて直接指揮を行える傭兵士官の方が性に合っているのに、若輩の一言でフランス人査察官から下士官待遇にされちまってる。10代の子倅じゃ致し方が無いがそれならフランス士官学校にでも放り込んでからこっちにこさせるべきだろう? 
 不満な顔をしたのに慌てたのか彼は必至で頭を回転中だ。
 それでいい、親方如きが戦術語るなんて柄じゃ無いしな。大佐殿は定石として確定している事柄にも全て可能性を考え、選択肢を設けている。定石を定石をしてしか用いれなくなった奴はドイツ傭兵の言らしいが『無能な働き者』にしかなれないという。正直、私も馬以外は全くの無能と自負している。だから解らん事はそこで頭を捏ね繰り回しているハルグンド軍曹の様な『有能な働き者』を使う『無能な怠け者』でいるわけだ。


 「詐術の類なのですが、奴等の避難民に紛れ込んではどうでしょう?」

 「ほぅ? 私達はどう見ても軍人にしか見えない。麓の我等が恋人(うま)もどう見ても軍馬だ。一発でパレるぞ??」


 否定的な問いを投げかけたのは更に考えさせる為だ。優秀な彼ならもう考えているだろうがロシア帝国でもさらに北に位置する極北の原野、フィンランドが彼の故地。そこから傭兵として志願し、軍務の合間を縫って英語の国際政治論を読みふける。私などよりよほど優秀な軍人になるだろう。だから彼に優先的に経験を積ませるのだ。
 同僚から親方のお気に入りと罵倒されることもあるようだが、そういった連中は気づくこともあるまい。何時の間にか彼が傭兵士官となり、連中を顎で扱き使うようになるまで。


 「むしろ軍人と、もっと詳しく言えば敗残兵に見せかけるのです。スコビエ総督が雇った国境の傭兵、まともに戦わず逃げ出してきた屑と。敗残兵なら馬は要らないと考えます。」

 「奴等が督戦隊であった場合は?」

 私にとってはこの辺りの質問が限界だ。大佐殿の様にはいかないものだ。次回は大佐殿の副官と言う事で学ばせる事にしよう。次回があればだが……そう思っている事を知らず彼は質問に答える。


 「悲鳴を上げて前線に追い立てられるフリをすればいいかと。しかし、その可能性は低いと考えます。ここはマケドニアであってトラキアではない。トラキア総督にスコピエの国境警備隊を指揮する権限は無いと考えます。ですので、これ幸いと『避難民を警護してテッサロニキまで行け』と追い払おうとするでしょう。」


 成程ねぇ。大佐も言うが『大日本帝国軍の最大にして最悪の欠点は中級指揮官の独自性の欠如と過剰な独断行動にある。』そう言ってたな。初めは私も首を傾げたが『要するに過少か過剰のどちらかしか選択できない程頭が固いと言う事さ。』確かに奉天での戦もそうだった。教範通りの闘いを繰り返す馬鹿だけと思っていたら教範も糞も無い蛮勇の極みを見せつけられた。彼の想定でなるべく楽をするように私は考える。今のハルグンド軍曹のやり方じゃ正規軍には出来ても傭兵達が納得するとは思えない。親方として兵に楽をさせるのが私の務めだ。


 「ではハルグンド軍曹、君の提案は敗残兵として下の部隊に近づき、避難民に紛れて飯を食う……これでいいか?」

 「なぜそうなるんですか!!!」


 怒るなって。ただこう言った騎兵での敵中浸透突破は物資が命だ。下に停車しているトラキア親衛隊の連中が持っているトラック――おそらく煮炊きをしている――から考えればあの中には十分な食料があるはずだ。


 「腹が一杯になったら避難民どもを焚きつけて騒ぎを起こし、トラックを頂くとしよう。なにしろこれからトラキアまで潜り込まなきゃならん。大佐はたっぷり金を持たせてくれたがこれは情報収集用だ。ならば彼等のメシを頂いた方が理にかなっている。」


 あきれ果てて軍曹が首を振る。


 「傭兵じゃなくて山賊の手口ですよそれは。」

 「似たようなもんさ。さて、人選を決めようか。」


 下で暢気に飯を配っている日本兵共を眺める。昔の戦争じゃ奴等何キロもの先から此方に感づいていたのにな。平和が兵士を腐らせるのはどこも同じか、いや私達ロシア人、戦争が終わってもまだ戦争をやっている方が余程腐っているのか? 違うな……腐るも腐らないも無い。負けた奴が死ぬ、それが戦争だ。
 二人して途中までは腰を屈めて。そして素早く遮蔽を縫って連隊の集結地へ向かう。





―――――――――――――――――――――――――――――






 「気になるかね? 総督閣下と御国の行く末が?」


 何時までも輸送船の甲板上、日本の方角ばかり見ている私に伊地知閣下が声を掛けられた。慌てて姿勢を正し敬礼する。日露の時と違い閣下も今や大日本帝国陸軍大将、しかも風雲急告げるトラキアへ向かう遣欧軍総司令官だ。私など箔付けという位置づけなのだろう。まだ甥っ子の橙洋の方がマシかもしれない。何かと親父に反発し問題を起こす不良生徒だが、初陣が祖国防衛戦争ともなれば若者なら意気軒昂と発つのが常識だ。正義の戦争……それを実感できる彼等の立場が羨ましくすら覚える。


 「はい将軍閣下、立見閣下の御葬儀より急遽二型大艇でこちらに合流となりましたが、もし父上が懸念されている事が真実ならば御国は内と外、双方から攻撃を受けている事になります。これを憂慮せずして何をしろと思うのです。」

 「心配ないよ。総督閣下もいれば御嬢さんもいる。」


 閣下も輸送船の手摺に腕を掛け私が先ほどまで見ていた方向を眺め始めた。思わず姪っ子の名前が出た拍子に溜まっていた懊悩を口にしてしまう。


 「なればこそです! 橙子があの奉天会戦で何をしたか!! あの子は感情を激すと周りが見えなくなる。その結果が一国亡滅となれば今回のクーデター騒ぎであの子がどんな騒動を起こすか見当がつきません。」

 「クーデター騒ぎか……はは……君も叛乱兵が只の道化で在る事位解っているではないか、乃木保典君?」

 「閣下!!!」


 閣下もあの鉄嶺の事件の被害者でもあるのに何を悠長な! あの子の御蔭で軍内部の事情聴取の筆頭格とされ、一時は昇進どころか軍から追い払われかけたと言うのに。しかし、伊地知閣下は静かな目をして私に語りかけてきた。


 「君が御嬢さんを畏れ、危険視する気持ちは解る。しかしな、それは半分以上私達元第三軍司令部の皆が負うべきものなのだ。御嬢さんの力に目が眩み、己が万能無敵で在ると錯覚した。…………その源が父親思いの優しい娘で在る事も忘れてな。責任の取りようが無いロシア帝国滅亡と言う事実を負い続けねばならないのは我等も同じなのだよ。」


 上空高く舞う海鳥に視線を向けた後、閣下は瞑目し言葉を続ける。


 「この軍の出征の折、御嬢さんは文で見送りにこれぬと(したた)めてきたよ。なんでも友達と伊豆熱海まで物見遊山に行くとな。」

 「そ……それは失礼しました。」


出征は12月始め、山県閣下の孫娘さんや四月一日(わたぬき)漁業の船元の娘さんと小旅行に出た時の事だ。何人もの女学生達の間を駆け回る小柄な姪っ子を思い出す。


 「いやいや、その侘びの手作り菓子(スカルチェッラ)でうちの餓鬼共が奪い合いの大喧嘩してな……オホン! なんでも其の菓子も友達と一緒に作ったそうだ。御嬢さんはかつての日露戦争のように父親や総督閣下の陰で我儘を言っていた小娘とは違う。己が何か知り、それでも友を作り守り守られることで自我を確立しようとしている。総督閣下の言ならば軸が形作られようとしているのだ。傍には総督閣下もいるし心配する事は無い。心配なのは寧ろ君のほうだ。」


 話が妙な方向に振られてきた訝しげに尋ねてみる。


 「私は立場を弁えているつもりではありますが何か至らない点があったのでしょうか?」


 欧州派遣軍無任所参謀――もう少し細かい名称だがそういうこと。次期トラキア総督としての箔付けと各国武官への挨拶回りが私の任務だ。当然実戦等もっての外、戦闘参加し戦死どころか戦傷したとしても御国の権威に傷が付くと陸軍中央は考えているのだ。なら何故私を戦地に送り出したのか答えは簡単。政治的効果というモノだ。不本意なれどもその通りに振舞っていたのに何か間違いをしでかしたのか?


 「いや君の働きには正直譴責どころか感謝すらしているくらいだ。問題はこれからだよ。向こうの先鋒将軍の名前が解った。恐らく彼なら我々がトラキアに辿りつく頃には海岸線近くまで迫ってきているだろうな。名は……。」

 正直長らく忘れていた名前だった。一瞬誰の事かと思った程だ。しかし次の言葉が彼の正体を暴く。あの戦場で未熟者という単語を言い放った男。顔色が変わったのを閣下も見て取ったのだろう。意地悪く閣下が訪ねてきた。


 「戦場で名乗られて直接相対する衝動に耐えられるかね? 【乃木の息子】君。」




◆◇◆◇◆






 世界より開かれて早40年、坂の上の青い天は未だ見えず。何れも誰しも、それを阻む白き霧に覆われた断崖に悲嘆する。其れでも尚、空に輝く一朶の白い雲を目に焼き付けんと断崖に手を掛ける人々がいる。150年の時を経ても語られる事無き物語、その事実を以って…………

再構成(リコンストラクト)が始まる。





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