夜陰だからこそ気がつく。部下の兵装長――といっても全長10間超の水雷艇では部下は8名しかいない。実質の副艇長だ。彼は常に夜目を鍛えている。『陸式が使い始めた赤外線投光機(ヴァインパイア・システム)とやらじゃ小舟にゃ重くてかないませんわ。』そう言って橙子御嬢さんの改装の勧めを断り、代わり渡された遮光眼鏡なるものを手放さない。其の彼がテッサロニキより巡航で征京へ帰途に就く途中、海岸で見咎めたのだ。


 「南雲艇長、大物です。左舷160度距離8000、島影の縁にいます。よくもまぁ此処まで近づけたものだ。」


 己の双眼鏡で目(方向)を合わせる……全く見えん。先ずは彼の眼を信用する。


 「艦形解るか?」


 同士討ちなど目も当てられん。只でさえ欧州領海軍は小所帯の身だ。


 「大物と言いましたぜ艇長、【イェロギオフ・アヴェロフ】です!」


 思わず目を剥く。敵ギリシャ海軍の最有力艦じゃないか! どうして此処まで接近を許した? 千早艦長率いる欧州領海軍の哨戒網は凄まじい限りだ。未だこのテルマイコス湾に侵入しようとした敵性軍艦、商船とも全てが拿捕か撃沈の憂き目を見ているのだから。以前哨戒で不躾ながら千早艦長にコツを聞こうとしたら『反則技だからな』と苦笑いをしておられた。昨今列強海軍が海軍基地に鳴り物入りで建設している電探基地の様なものが三笠に積んであるのかもしれない。もっと単純に橙子御嬢さんが関わっているのなら反則技と言ったのも納得できる。人に言えた事ではないからだ。
 橙子御嬢さんの手は海軍にまで届くと言う。【ハツセ】乗り組みとなって以来、以前の愛艇、40年式8型軽水雷艇【PT8】ではお客扱いになってしまったが皆変わらず良くしてくれる。だから皆、私を艇長と呼ぶ。本来今の副艇長が艇長なのにその点全く譲ろうとしない。困ったものだが私が腕と度胸を買われて海軍秘密部隊に行ったのではないか? と噂が立てば私が古巣に戻ってきたのだから艇長の押し付けは当然、と考えているのかもしれない。

 そしてそれは正しい。

 橙子御嬢さんの話では霧と言う存在と我等人類は150年後、矛を交える関係になるらしい。ただ、私はそんなことには興味は無い。己の人生、己の海軍魂の行きつく場所まで走り続ける事が私の望みだ。他の世界の私以上に、私が私である為に。


 「御嬢さん、後ろの卵に篭ってもらえますか? これより我が隊は敵装甲巡洋艦を襲撃します。」

 「無理はなさらないでくださいね?」

 「今季訓練の実践と思い任務精励の所存。」


 ここで武運拙く戦死とは悔しい話だが、其の時は己がそれだけの武才しかないということ。とてもではないがハツセの操舵を務められるものではない。

 アレは特別だ。

 150年後、海上をのろのろと動くだけの艦艇が海中を海上を自在に駆け回り、敵艦どころか敵国そのものを消し飛ばしてしまうような兵器を多数投射する。其の投射する必殺の兵器すら相手から迎撃されあるいはクラインフィールドで無効化される。そんな想像を絶する戦場に私が迎え入れられるのならば、私は一流という限界のさらに先を目指さねばならない。

 それだけの力を任される以上、それを使いこなせる技と心を持たねばならない!

 橙子御嬢さんが自作の卵に乗り込みハッチを閉じる。せいぜい子供一人入る容積、部下達も御嬢様専用の最新救命桴位にしか思っていないだろう。まさかあれが海上を浮遊し、この水雷艇以上の速力で疾走するとは思わない筈だ。卵の正面、六角形の映像板に人の顔を戯画化(ディフォルメ)したものが浮かび上がる。少しだけ含み笑い。
 水雷艇の後部デッキから海上に滑り降り、卵が水面に浮いて遠ざかっていく。私は御嬢さんがいる時では絶対に見せない表情が浮かべ、その事に気づいた部下達も笑みを浮かべる。『鬼と言うより鯱の笑みですな。』右隣を並走する同型艇の艇長から前に言われた言葉だ。


 「やるぞ、三笠以来の大物喰いだ!」

 「「「承知!!」」」

 「通信員、両翼の400と402に連絡、2分後ア-11の操典通りにやれ。陣形変更」


 両翼に展開する同型水雷艇【伊号400、402水雷艇】が波を立てぬ様動き始める。まだ向こうは気づいていない。気づいていないふりかもしれないので油断はしない。


 「機関内圧上昇、問題ナシ!」

 「30年式【酸素魚雷】安全装置外せ。繋留ピン確認!」


 艇長席から身を乗り出し舳先へ這いずって行く。艇長自ら危険へ突っ込む等言語道断だが、どの道水雷艇では一発喰らえば粉微塵だ。それなら海面と航跡、そして敵の見える舳先が良い。いつもの事と副艇長が空いた席に座る。内心は『突貫精神は死んでも変わらんだろうな』と思ってくれている筈だ。それで丁度いい。
 そこまでして私は私であり続けようとすると決めたのだから。あの艦(ハツセ)の操舵席で。


 「20秒前……10秒前……じかーん!


 轟音と共に後部の水冷ガソリンエンジン三基が猛る。水平に滑っていた艇が上向きに傾ぎ加速を始める。速くは無い! たかが40ノットだ!! あの世界の艦艇の半分にも劣る速力。あの甲冑モドキの中で五感に飛び込む圧倒的な畏怖とは比べ物にならない。たとえそれが紛い物だとしてもアレに比べれば、コレはそよ風の中散歩する如き代物だ。叫ぶ、


 
「401吶喊!」





―――――――――――――――――――――――――――――






 私は顔色の悪いブルガリア士官――しかも指揮命令系統こそ違えど上官だ――に話しかける。


 「ですが大佐殿、あなたのヘマで部下のブルガリア人400人が死んだのは事実でしょう? 確かに閣下だけが悪いんじゃない。そもそも大佐殿の上、あの驕慢な師団長殿の愚策が無ければ貴方もこんなことにはならなかった筈ですなぁ。」


 強張る彼の顔を伺いながら私論を語らせてもらう。さしずめ私はメフィストテレスの如くだが己の脳味噌(オツム)にそんな智慧は無い。ただし兵士代表である以上、兵士達のイザコザや悩みをロシア-ジャパン戦争の時より聞き続けた。なんでもかんでも怒鳴れば兵士が従うと思ったら大間違い。兵士の身になって考えてやり、無理でも兵士の為に努力して見せる。そうやって村から身一つで徴兵された人間の心を掴み、軍に属する兵士に変えていくんだ。逆に言えば経験さえあれば上官ですら親身になって付き合う事で心を掴む事が出来ると言う事。


 「しかし、あの師団長殿はどうですかねぇ? 今頃己の失策を糊塗する為に犠牲の羊を求めているでしょう。甚大な損害を被った部隊とその責任者たる大佐殿など格好の獲物、ブルガリアがこの戦勝ったとしても大佐殿はあらぬ罪を着せられて放逐される。最悪軍法会議でしょうな。」

 「ブジョンヌイ大尉! 我が軍は其処まで腐ってはいない!! 陛下に……」


 言い訳にも聞こえるその声を押しつぶす。馬鹿だな、400人殺して罪なしで済むなら傭兵はどんな汚い手でも使うさ。手段を選ばないから傭兵なんだぜ。


 「では、何故大佐殿がこんな僻地にいるのです? ブルガリア軍の狙いは東です。誰がどう見てもね。戦争を終わらせるにはそれしかない。おっと失礼、今の話我が司令官殿に内緒にして下さいよ? 軍機なモノですから。」


 軽い冗談の後一気に畳み掛ける。


 「大佐殿含めここに展開して“いた”ブルガリア陸軍ロドピ集団は完全な囮です。其の囮が無駄に兵力を消耗した。知らぬ存ぜぬは通りませんよ。だから愚策を行った師団長殿は大佐殿を犠牲の羊に捧げる。己の失敗を明らかにしないだけの為にね。」


 「そんな、そんな馬鹿な話があるか……命令! 命令だったのだぞ。」


 反論が尻すぼみになっていく大佐殿に助け船を出す。


 「一番良いのは大佐殿が有能であるのに師団長殿が無策に力押しを強要した……そうなのでしょう? 正面攻撃で無く、浸透攻撃を提案したのは大佐殿と聞きました。しかし師団長は“堡塁の日本帝国軍を火力で拘束しようとしなかった”だから失敗した。」

 「そ! そうだ。私はそう抗弁したのだ。しかし師団長は、アイツは弾が無いの一点張り。抗命罪までちらつかせて出撃させたのだ!!」


 馬鹿が。そもそも火力が足りなかったのはお前達連隊全部だろうが。マンネルハイム大佐殿は『浸透攻撃をやるのと出来るのでは係数的なハードルが存在する。』と言っている。其の要素の一つが歩兵火力だ。ゲネラル・ノギは旅順で笑いが止まらなかっただろう? 良く訓練された軍、国の名の元平気で命を投げ出す兵士、機関銃やラケータをはじめとする新型武器に有り余るほどの弾薬、止めは要塞に対し使い捨てになりかねない兵士を守る戦車や飛行機だ。ここまで兵士の士気と鉄火の量があれば浸透攻撃は堅固な要塞すら貫けるのだ。旅順のステッセル将軍がどんな足掻こうともゲネラルは軍靴で砂の城を踏み潰す感覚で旅順を陥としたに違いない。それが出来るだけの軍力があってこそ浸透攻撃は意味をなす。場末の中小国が使っていい戦術では無いのさ。猫撫で声で囁く。


 「奴ら日本帝国軍はロドピ山脈内部に拠点を築いています。しかも其処此処に軍需物資を貯め込んでいる。まだ進撃路こそ明らかではありませんがもし彼等が踏破困難な山脈を突破したらどうなります?」

 「私に潜入破壊工作を行えと?」

 「違いますな。破壊工作なのは正しいのですが潜入ではなく要撃ということになります。」


 地図を見せ場所をトントンと叩く。あぁ、私もこれを見たとき驚愕した。

 我々、いやバルカン同盟軍は最初からゲネラル・ノギの踊らされていた!!

 まさか国境線を越え、ブルガリア内部にまで日本軍の拠点、それも【燃料貯蔵庫】があったとは。通常の歩兵師団に燃料は要らない。列強の自動車化歩兵師団と戦車部隊で必要なものなのだ。つまりゲネラルはここまで自動車で進撃する事を想定している。そしてゲネラルは其の主力を全てセイキョウに留めている。彼の親衛隊たる機械化部隊、戦車部隊のほぼすべてを!
 既にマンネルハイム閣下には早馬を飛ばしてある。無い物ねだりだがこういう時こそ日本帝国軍の電信機が欲しい。ヨシップ少年も良く働いた。セイキョウの外郭軍事基地に潜入し、ゲネラルの親衛隊の編制を知る事が出来たのだ。子供ゆえの偉業だが日本人が脇が甘いのもあろう。本人は不満たらたらで『もうあんたらには協力しない。魔女の弟子に祟り殺されそうだ!』と言っているが彼の持ち帰った情報で私は自身の顔が蒼白になったのを自覚できた程なのだ。『マンネルハイム閣下は正しかった。』だから即座に少年を後方送りのついでに連絡役の一人として閣下の元に送り返したのだ。


 「何故今まで気づかなかった。これでは首府ソフィアの目と鼻の先に敵拠点がある様なものではないか!! すぐ軍本部に…………」


 呻く彼の言葉でさらに甘言を乗せる。


 「いいんですかい? あの師団長殿も私の可能性を否定しましたよ。このザマの埋め合わせも考えずにね。ヤツのせいで死んだブルガリア人兵士は2000人以上、ヤツを排除せねばブルガリアは愚将を軍のトップに据える事になる。もし大佐殿が師団長殿が否定した拠点を独断で潰したらどうなります。今軍本部が見ている有能と無能はひっくり返る事になりますぜ。なんならセルビア軍経由で証拠をあげてもいい。ウチの司令官殿は勝つためには貪欲になれる御仁です。しかもセルビア参謀総長殿のお気に入り、うやむやにされても埋め合わせで大佐殿の失態は軍そのものが握りつぶしてくれます。大佐殿も今回の戦でめでたく将軍閣下と言う訳です。」

 彼の眼が貪欲に釣り上がったのを見て私は成功を確信した。





◆◇◆◇◆






 「マンネルハイム大佐殿もあのゲネラル・ノギもいったい何手前を読むんですか?」

 馬狂(わたし)が言っても説得力は無いが大佐殿は最低一年前から、ゲネラルは数年前から読んでいただろうな。」


 呆れ返るハルグンド君に答えを返す。適当な感想だがそうは思わないとやっていられない。其のハルグンド君だって大したものだ。要撃破壊工作、こんな事をすればゲネラル・ノギは警戒し、作戦を変更するかもしれない。そう『我々バルカン連合軍はお前の策を見切っているぞ』と。そう思わせることも狙いだ。ノギではなくても配下の誰かが虎の子の親衛隊を分散させるよう進言するかもしれない。相手に戦力分散を強要する。戦争は虚々実々の駆け引きだ。


 「たぶんこれと同じ補給基地はロドピ山脈沿いにいくつも建設されていると思います。アメリカ人がこの山脈の水源を漁っていましたからね。それを表向きに、いえ、もしかしたらそれが本命で耕作地を潤す用水路建設其の物が欺瞞だったのかもしれません。」


 ハルグンド君の想定はまだ確定情報ですらない。それでもあの補給基地の所在が知れた時、私は配下の騎兵全てにロドピ山脈中の捜索を命じた。それと同時に最悪の事態に備えて彼の考えを聞き実行したわけだ。
 先程の焚きつけた大佐殿はどうでもいい。彼は中隊規模の兵を率いて補給所を襲い見事に返り討ちにあうだろう。その事実を持ってブルガリア軍に警告を促す。それでも不十分だがバルカン同盟軍の一国が単独脱落するより遥かにましだ。戦線膠着……だけでもしてもらわないとマンネルハイム閣下にせよプトニック参謀総長にせよ戦争を終わらせる事が出来なくなるのだ。ハルグンド君もマンネルハイム閣下も偶然とはいえ同じ事を私に言った。


 「この戦争、長引けばバルカン同盟の崩壊、三国の経済破綻で終わります。時間的な余裕は一年無い。」


 長引けば利益を得るのは列強諸国なのは目に見えている。さしあたってはオーストリア=ハンガリーとイタリア辺りか。日本人は苦しくなっても後がある。本土は健在で世界を動かせる資源(カネ)もある。この戦争、負けなければいくらでも取り返せる力を持っているのだ。対するバルカン同盟は羨望と嫉妬を理由に戦争を仕掛けた。『10年後は負ける。今なら勝てる』と言う論理で。今彼等が負ければ三国は亡国確定だ。だから今私は彼等を勝たせなければならない。傭兵の役目は雇い主を勝たせる事でもあるのだから。


 「ハルグンド君、明日には連隊全員に独断でブルガリア撤収をしてもらう。そう、命令書に書かせてあるからな。マンネルハイム大佐殿に帰隊報告を行う折にある進言を行うつもりだ。君には其の補足説明をしてもらいたい。」

 「ハ! しかし親方、何をするつもりですか?」

 「獣の数字を使う。いや大佐殿ならもう使うことを決めているかも知れんがな。」

 「666を……ですか!?」

 ハルグンド君の顔が歪んだのは当たり前だ。有効であるのは解っていてもあの兵器は人が人としてやってはいけない事だ。確実な死を強要する聖なる父の教えにすら反する行為。片手で顔を覆いそれから離した。己の顔を鉄仮面で覆うように。


 「(地獄の軍団には天の裁定など通用しない。地獄には地獄を持って相対すべし。)」


 我等もリュイシュン要塞の敗将(アナトリィ・M・ステッセリ)の顰に倣うとしましょうか? マンネルハイム大佐殿。






―――――――――――――――――――――――――――――






 「きたきたきた! 古いだけが取り柄の自称民主制国家の山賊どもが!!」

 「この大将(しょうい)、先程メイジャーから怒られて帰ってきたと思ったらこうだ! こりゃトーチカ役だけじゃ終わりそうもないぜ。エンジンアイドリングのまま、主砲副砲榴弾装填しとけ。即応弾全部榴弾だ! 急げよ。」

 「アィ、サー! で少尉殿? メイジャーから司令部出入り禁止でも喰らったんで?」

 「そんなわけあるか! メイジャー・トーヨーは話せばわかる奴だったぜ。頭が固いのはエリート故だが腰は大層軽いしなにより現場(じっせん)を知っている。『死なない程度に暴れろ』だとよ!!」

 馬鹿野郎(ファック・ユー)! パットン!! メイジャーの命令を無茶苦茶に解釈しやがって。機を熟すまで無茶な行動は控えろって意味だ!!!」


 隣のM3から通信機越しにオマーの怒鳴り声が割り込んできたところで車内は大爆笑の嵐。これでいい、オレの部下達だって初の実戦だ。ジャパンのジャーナリストが大見出しをつけてニュースにした桜田門外戦車戦(タンクバトル・オブ・チェリーブロッサムゲート)あれは単なる内乱鎮圧であって戦争じゃ無ェ。だが、あの時の叛乱兵共の肝の潰し方は無かった。本来戦車が単独で殴りこむのは愚の骨頂だ。戦車はいうなれば巨人(ゴリアテ)に過ぎん。ジャパンの格言に『巨人は剛力であるが機知無く愚鈍である(おおおとこそうみにちえがまわりかね)』と言うものがあるらしい。戦車とはいわば巨人なのだ。力はあっても俊敏ではない。その証拠にこの展望窓、この僅かな隙間から車内戦車兵全員が外を伺わなくてはならない。正直これで戦闘をやるのは無理だ。オレだけでなくジェネラル・ノギも同感だったのだろう。明らかに後付けで車体後部の電話機と内部が繋がり歩兵が電話で車内に報告するよう造られているんだ。そう周りが良く見えぬ戦車だけで敵陣に突入するのは愚の骨頂! しかし実戦はオレの固定観念を突き崩した。

 大きいからこそ畏怖される。見た目だけで愚鈍と断じる奴は少ない。

 彼等叛乱軍は自分達より大きい戦車が力任せに体当たりを繰り返し、彼等の戦車を戦場から追い出してしまったことに恐怖したのだ。戦車同士の戦に彼等叛乱軍の兵士が混乱するどころか四分五裂に壊乱していくことにオレ自身が戸惑った程に。そう、彼等が対戦車戦闘の訓練を積み。しかも対戦車兵器を持ちこんで居たにも関わらずだ! そこでオレが導いた結論

 相手に戦車を恐怖させる要素さえ策として講じるならば戦車のスピードとショックを持って戦場を決定的に変化させうるのではないか?

 勿論、感情に左右される敵指揮官ばかりではない。兵士にだって個人的な勇者は必ずいる。だがあの大陸人(ライミー)のように歩兵連隊の前にずらずら戦車を数十輌横隊に並べて行進なんていう馬上試合戦争(メディーバル)めいた陣形は必要ない訳だ。ならば、


 「(機動力の高い戦車を中心に移動可能な野戦重砲……自走砲と言うべきか? 頑強な拠点を破壊する装甲と直射火力に優れた突撃戦車、それに戦車の護衛や厄介な隠蔽陣地を攻撃する為に歩兵? そうか! 歩兵を乗せる専門の戦車が欲しいな。それらを組み合わせ一日100マイルを踏破出来る補給部隊と機動司令部。戦術単位最大の師団でなくていい旅団、いや混成(ごちゃまぜ)連隊でもいい。其れがあれば。数カ月の準備を経て行われる国家同士の最大の決戦『会戦』をひっくり返す新戦術が生み出せないか?)」

 …………見えてきた。一応指揮官用の車両だから展望窓もある。そこの狭いスリットから見るのも大して変わらないのでそっと天蓋窓を開き付属している三角鏡からい手を除く。うん本当にジェネラルは良く考えているな。砲塔の装甲天窓が前に向かって開く事で小銃弾を防げる楯兼、覗き窓として活用できる。
 其処から見た光景、なんだアレは? 何か妙に低い塊がこっちに向かってノロノロと這ってくる。鉄製の兜に車輪が付き、それを兵士が自らの肩で押しながら匍匐前進してくる?  思わず笑みが出た。いくら頭は油断大敵と思っても失笑するしかない。これがギリシャ軍……いや三流国家の現実なのだと。
 戦車部隊の存在は列強各国で盛んに喧伝されている。新聞の写真として使われるのは己の国が持つ戦車ばかりだ。鋼鉄の猛獣、これに目を留めない読者等いないだろう。だが戦車は列強各国ですら百輌調達したら軍官僚が頭を抱える程高価だ。列強でもないギリシャが戦車と同じ事を歩兵にさせようとするとこうなる訳なのか。
 哀れだ、哀れすぎる! よくもバルカン同盟の連中はこんな国家(トラキア)に喧嘩を売ったものだ。こんな移動要塞(バケモノ)を平気でオレ達と言う外国人傭兵に与えてしまう馬鹿げた存在に。だからオレ達は奴等に喧嘩を売った代償を払わせせる。それが恐らくジェネラル・ノギの本音なのだろうな。


 「奴等が相手にしているのはアキレウスの戦車(トロイアス・トラゴーイディ)であることを認識させてやろう。」

 「?」

 「何、あんな時代錯誤なもので攻めてきた奴らにスピードとショックを味あわせてやれ! そういうことさ。」

 「アキレウスってたしか足の腱切られて負けた英雄じゃないですか? 勘弁ですぜ!」

 「奴等が腱を狙えないくらい素早く動き回ればいいんだよ!!」


 そう言ってオレは命ずる、「射撃開始!」(オープン・ファイアリング)
 側面の75mm野砲の轟音を聞きながらオレはトロイア城塞を駆け回る英雄の雄叫びを聞いた気がした。





◆◇◆◇◆






 「決壊寸前の堤防と言うべきでしょうか? 本間大尉、」

 「しかし浸透を許したのは警戒陣地と第一次防御区画のみ。しかもそれらには防御部隊突破を前提としてマトモな兵を置いてありません。イスラム教徒兵は頑迷ですからな。勝手に聖地礼拝を始めるわ此方が肉食い始めると人間扱いしないわ新井中尉が頭抱えておりましたよ。少佐殿、マケドニアのムスリムもそうだったんですか?」


 俺の横で溜息をついている本間雅晴大尉がぼやく。過剰と過少ばかりが目立つ俺の集成大隊。そこに爺様が参謀として送り込んできたのが彼だ。本来陸軍大学に合格し、今年から向学の筈なのにこの戦争。いきなりアイツの引き抜きを喰らったらしい。先程、浦上閣下に呼ばれていなければあの暴走男(パットン)と談判に及んでいたのは彼だった筈なんだけどな。当然向こうが年上だからこっちは一応上官と言う事に留めて敬語を使ってる。帝国陸軍、階級だけがモノを言う組織じゃない。寧ろ何年度卒業、何年奉職の方が強い場合もある。


 「それほど酷いものではありませんでした。それにこの辺りの住人であるトルコ系イスラム教徒は戒律にそれほど厳格ではないと聞いています。世俗派というそうですよ。隠れてなら酒も飲みますし礼拝をサボることもあるそうです。志願兵と言う事で真剣になる余り、神の尖兵として恥ずべき行動等とんでもない……とでも思っているかもしれませんね。例えば…………。」

 「ふむふむ、イスラム教にもウチの国の宗門のような派閥があるわけですか。スンニ、シーア? 成程成程!」


 流石陸大入れる秀才だ。俺が姉貴から聞いたちょっとした雑談を一字一句理解しようとしている。トラキアにつれてこられた時も大喜びだったらしい。田中閣下曰く『本間君は黴臭い青山の学舎(りくだい)よりトラキアの山野(じっせん)の方が性に合っている。』――そう思っていると事態が急変したのか司令部に入る情報が俄然増える。


 「市ヶ谷城門前バス停、第5小隊後退、敵中隊規模前進しつつあり。」

 「こちら巣鴨、お堀沿い敵戦車3及び随伴歩兵発見なれども友軍戦車が全てを撃破。が、未だ敵の掃討に至らず。野郎共、影にいるクズ共とっとと排除しろ! 次来るぞ!!」


 我に返った本間が通信士に命じる。勿論此処は帝都では無い。市ヶ谷だの巣鴨だのはテッサロニキ市を帝都に例えた暗号符牒だ。


 「ムスリム中隊所属各員は池袋城門まで後退、武器は持ち帰るか破壊せよ。第6小隊及びアメリカ戦車隊は日暮里方面へ後退、第4小隊と合流せよ。」


 あらかじめ指定された命令を伝えた後、振り返る本間の顔が険しい。当然だ、大5小隊が後退したと言う事は担当する前線を持ちこたえられなくなったと言う事、他が厳しいのに最後まで抵抗していた凸角堡か崩れたのなら最悪前線全てが崩壊しかねない。其れをさせず整然と次の陣地へ後退させるのが司令部と言う組織だ。本間大尉はこれを予測しており予定通りに崩れかけた部隊を後退させた。が……、

 「石鎚少佐殿、これは不味いです。思ったより押されている。二次防衛線と機動防御隊に戦闘下令を。セルビア軍とも対峙している巣鴨側が孤立しかねません。」

 「敵との対面図を。」


 素早く本間大尉が机の上の塹壕線地図に印を入れていく。予想される敵の把握図も含めてだ、俺の脳味噌の中、陸戦操典――陸戦の教科書みたいなものだ――から敵の現状と行動を予測する。…………敵も無理押しをしてないか? 此方の二次線にトーチカがある事はギリシャ軍も知っている筈。ボックス陣地である池袋城門に攻め入るには敵兵が足りない。既に戦闘開始から奴らはこの戦線だけで一個大隊もの兵士を磨り潰しているんだ。地図の高低差を調べる。勿論等高線なんて書いていないから塹壕線に沿って探すしかないが。


 「こことここが丘、ここは窪地になっています。そこは水が出てしまっていて放棄したところです。」

 「有難う。」


 素直に感謝する。陸大行くだけあって研究熱心と言う事か。もし俺もこの戦に生き残れば箔付けと言う名のもとで強制入学だろう。頭を振って余分な考えを追い出し、地図の一点を指さす。」


 「恐らくギリシャ軍の狙いはここだろう。池袋を狙うには絶好の砲兵観測所を作れると思うが大尉の意見を聞きたい。」

 「厄介です。ボックス陣地をあの速射野砲で制圧されてしまうと早稲田まで下がらなければなりません。大きく陣地を獲られますな。それに拠点が此処だけになれば我々本隊が孤立します。」

 「相対している敵兵力はどのくらいだろう?」

 「歩兵一個大隊弱、何度も浸透している事から直射砲兵がいるでしょう。機関銃や戦車もあと少し位ならあるかもしれません。」

 増強大隊相手と考えるべきだ。質では比べ物に並んだろうが数では同格、機動予備である戦車を使わざるを得ないか。圧迫された序盤でこの有様……確かに俺達の後ろには大隊規模の後詰めがいるし一斉後退でも構わない。しかし、そうすれば此処を弱点と見抜かれ敵兵が此処に殺到してくるかも知れん。――どこもかしこも弱点だらけなのがテッサロニキ守備隊の現状なんだがどこもかしこも強固で予備兵力を送り込んでも突破出来そうもない――敵にそう認識させるためにも現有兵力で押し返す必要がある。


 「上野の星野を動かしてくれ。特に6と7小隊を乗せる半軌装車を中心に。この丘に圧力を掛け、砲兵観測所を置かせない。」

 「日露の望台制圧の様にはいかないと考えます。連携訓練等やっておりませんし……。」


 当然、寄せ集めの味噌っ滓に出来る事じゃない。だが、敵が勝手にそう思うのであればやるべきだ。敵に無駄足を食わせてやる。


 「だから圧力だ。こちらがあけすけに逆撃狙っているなら敵も制圧兵力を増やす為に周囲から兵力を抽出し準備期間を置く。その分池袋と巣鴨への圧力が減り、時間が稼げる。」

 「減らない場合は?」

 「其の時は浦上閣下に増援嘆願でもするさ。オレ如きの名誉が泥にまみれても部隊全員で生きて帰る方がずっといい。」

 微笑んだ彼が言った。向こうは褒め言葉だが俺にはチクリと刺す針そのものなんだがな。


 「流石総督閣下の血です。日露の戦でも難攻不落の旅順相手に如何に兵士を死なせずに済むか。そればかり乃木総督閣下は考えておいでだったそうです。」

 「爺様の事はあまり話して欲しくないな。偉い人物だろうが俺にとっては壁みたいなもんだ。腐る度に星野にどやされる。」

 「これは失礼しました。でも良いのではないですか? 延々荒漠たる陸軍と言う組織で、壁が無くて何を目標にすべきなのか不安な私より少佐殿は目に見える目標があるのですから。」


 ハッとした。そういう考え方もあるのか。出世栄達とは関係なしに自らがなりたいものが軍にあるのか? それに悩んでしまう本間大尉の方が俺より辛いとも言えるのか。誰も爺様――アイツ――を真似できない。しかし俺だけは尻を叩かれながら爺様の背を見る事が許されている。他人から見れば贅沢な不満かもしれない。


 「さて、問題は車輛を集めた後だ。星野が合流し戦車と輸送車両も揃う。目の前でそれを見たあの暴走男が何をやろうとするか俺には手を取る様に解るんだが。」


 本間大尉も吹きだす。


 「まさか進撃するなと言う訳にも行きませんからな。あの性格では真逆に突っ走るでしょう。」

 「真逆ならあの丘を獲ってこいと言うべきなのかな?」

 「それこそ大喜びで突撃しかねませんよ。」


 二人でニヤニヤ笑みを噛み殺した後。オレは命令を下す。そう敵がまだ砲兵観測所を前進させないならまだ手はある。今の砲兵観測所を迂回襲撃し擾乱する。観測員が機材もろとも踏み潰されればせっかく丘を占領しても目的は果たせない。


 「星野大尉に命令、終結後、アメリカ戦車隊を前衛に東十条に存在すると思われる敵砲兵観測所を叩け。パットン少尉がヘマやったら皆で一発ずつ鉄拳浴びせてもよし、以上!」


 あの威勢の良い少尉の嬉々とした罵詈雑言と、悲鳴を上げて追従する同僚の様子が目に浮かぶ気がする。



―――――――――――――――――――――――――――――





 「距離7500、敵速7(ノット)、増速しつつあり!」

 「アヴェロフ発砲! ダメか、不意打ちは無理だ。強襲します!!」

 「400、402追従展開中! 南雲中尉、投下判断任せます!!」

 「距離4000で投下する。砲と機銃はそれまでダンマリのままにしろ。奴らの砲術、腕はそれほどでもない。」


 猛然と波飛沫が掛る船首の後ろで部下が怒鳴っている。この咽頭マイクというのは便利なものだな。耳の集音機と合わせて普段声が届かないところでも声を聞きこれを届ける事が出来る。だが、こんなもの……何程の事も無い。

 【ハツセの操舵席】

 己の考えた事を目の動きだけで電子頭脳が瞬時に判断、実行に移す。なにより驚くのが電子頭脳自体が人間と同じように考え、判断するのだ。私の癖すら見切って操舵の修正を行い、しかも私に的確な助言を行う。機械如きが生意気を! と憤ったが実際、理と実験でぐうの音が出ないまでに叩きのめされた。呆れて機械が全てやれば良いではないかとぼやけば、橙子御嬢さんに『それは人が人である事を捨てる事』と強い口調で窘められた。もしかしたら橙子御嬢さんのいう南雲忠一“中将”にも言えるのかもしれない。独断だけで決める事も、部下(きかい)任せで何もしないのも私が未来でやらかしたと言う悪行そのもの。だから、

 船首にへばりつき最前列で敵を読む。

 私がこの水雷艇【伊401】の感覚器官(センサー)と自己判断型人工電子頭脳(コンピューター)になるのだ。ハツセと違い、この水雷艇では水深も敵速も砲撃の精度も数値として示されない。なら私が数値化するまで!
 シュミレーションでのハツセの映像画面、敵と己の位置を自動計測に頼るのではなく相手の大きさと風景の要素から自己暗算する。戦術上空図からいくらでも読みとれる水深を海面の濃さと動きだけで深さを察知する。

 「今から20秒後、左当て舵、3秒で取り舵、5秒で主舵一杯」

 「了解!」

 先頭を疾駆する401が水圧に激しく揺さぶられ体が振り回される。不気味な音が一度鳴ったのは外版が耐えきれず吹っ飛んだか? 激しく艇が転舵され敵艦が左舷前方から急激に正面に迫ってくる。頃合いか? いや2秒待て!

 「距離4000!」     同時に叫ぶ。

 「魚雷発射初め!」

 …………400と402は無理だな。片舷の2本しか発射していない。曲芸の様な転舵を繰り返し、敵艦のどてっ腹に全魚雷4門を発射できる正面を向けたのは私の艇だけか。電子情報なら全ての艇が水際立った機動で三隻合計12本の魚雷を撃ちこめたのにな。無い物強請りは済まい。
 再び不気味な音と共に体が浮く。見たのはつかまっていた手摺が溶接した部分より千切れた間抜けな姿。しまっ……
 時間を引き延ばしたように私の身体が艇から海上へと離れていく。




◆◇◆◇◆




 「バカですかっ!」

 「申し訳ありません。今度は両手両足で手摺にしがみつく事にします。」

 「そういう意味でも無いですっ!!」


 橙子御嬢さんの盛大な罵声を聞きながら生存の安堵に一息ついている。40ノットもの速力を出している水雷艇から海面に転落すれば海水ですらコンクリートと同等に機能する。私の身体は木っ端微塵になっていただろう。最初からそのつもりだったろうが橙子御嬢さんが救命筏で後方からついてきていたのだ。なにしろ重力制御、此方以上の速力を出すのは勿論、重力場を展開して私を怪我ひとつ救出するのも別け無き作業だったのだろう。


 「解ってますか! いくら装甲巡沈めても貴方が死んだら何にもならないじゃないですか。」


 狭い卵の中で唾を飛ばして彼女が喚くが、その中に私にとって聞き捨てならない単語が混ざっていた。


 「沈んだんですか? たった8本の投下魚雷で??」


 ハツセの自己プログラム型誘導魚雷ではない。真っすぐしか進まぬ魚雷など4000メートルからの距離では命中率10%程度、1発当たるかどうかの確率の筈だ。不承不承かつ不機嫌に御嬢さんが頷く。


 「発射魚雷8本中2本が命中、残してきたプロープの映像では装甲巡洋艦【イェロギオフ・アヴェロフ】は炎と海水でのたうちまわっていますよ。ついでに言えば命中魚雷は双方とも伊401のものです! さらについでに言えば雷撃を敢行した3艇とも無事です!! 何処ぞの誰かさんが転落したせいで大騒ぎですけど!!!


 笑いたくなった。一生分の幸運を使い果たした気分だ。80トンの水雷艇が7000トンの装甲巡洋艦を撃沈? 日露戦争以来じゃないか! 感情に表したら殴られそうなので私は神妙な顔を作り、心のなかで耳に栓をして小鬼の癇癪を聞き続けることにした。



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