初めて其の街、その建物を見た時小さいと呟いたものだ。ソフィア、人口12万を数えるブルガリア首府。100万都市東京は別としても御国の地方都市でも10万を超える街並みはいくつかある。さらには外国資本の参入によってその100万都市へと膨れ上がろうとしているいくつかを目の当たりにすれば尚更だ。其の建物、バッテンベルグ宮殿も欧州地方都市によくある城館、支那の都城どころか欧州の名だたる城郭都市の宮殿とも比較できぬ程の小ささだ。
 首を振る、だからこそこの国(ブルガリア)は御国に牙を剥いたのだ。座したままで国土を国民を、そして未来をも奪われることに恐怖し凶行に及んだとも言えるのだ。


 「我々はまだ負けてはいない。続々と民衆が武器を取っている。ただ貴公等はこの宮殿を人質に取っているだけに過ぎない。我々が倒れるならば民衆は黙って返す筈もない事など解っておられるのですかな?」

 「二日後には南から一個師団、その翌日には東からさらに一個師団が到着しますな。三日間で民衆が蜂起できる訳もないでしょう? 貴方々はどちらにせよ負ける戦を無駄に長引かせ民衆を苦しめている事に変わりは無い。新聞社は政府が何をやっているか反撃の兵力は何処かと紙面で弾劾しておりますぞ。怨嗟の矛先はまずブルガリア政府が被ることになる。」


 戯言をと切って捨てようとする閣僚に紙面を突き付ける。勿論本物、ブルガリアの新聞社を接収するだけなら反発を買おう? だが彼等に仕事を与えたのなら?? このブルガリア以外の戦況を大きく流し、欧州中の情報をブルガリアに拡散させる。事実に付随してそれを歪める情報を差し込み、如何に三国同盟がそして当事者のブルガリア政府が間違った戦争をしているか誘導するのだ。紙面を睨みつけている閣僚の顔がみるみる青ざめる。そう彼等はこの三日間外界と隔絶され、我々の良いように情報をブルガリア市民に発信させられているのだ。たかが3日、されど3日、たった日刊と夕方に配られる号外だけでブルガリア市民の政府評が変わりつつある。

 「失策をしたのは政府!」

 「市民を負け戦に駆り立てたのは政府!!」

 独立した勢いだけでは国は立ち行かない。国粋主義に捉われず、理性の維持と組織だった動きが出来る知識階級が居なければ簡単に民衆は政府をスケープゴートにする。それを力ずくで排除するとしてもブルガリア正規軍は東・ブルガリア-トルコ国境で大混乱、自警団と言う名の民兵組織は独自の指揮権を持つものは全て北・ブルガリア-ルーマニア国境に張り付いている。彼等はこれを返してソフィアに向かわせる事が出来ない。そう! そんな事をすれば今もルーマニアを阿鼻叫喚の地獄にしているロシア難民が雪崩れ込んでくるのだ。そうすれば儂等を退けても今度は国が滅びる。ブルガリアの乾坤一擲のイスタンブール攻略作戦、それは戦力の空白地帯をそれも首府ソフィアに作ると言う犠牲あってこそ成り立った作戦だったのだ。本来、作戦音痴である儂には見破る事も出来なかっただろう。だが橙子の、シナノの力を持ってすれば今の人類の軍事的欺瞞等たちどころに看破出来る。


 「だからと言ってこんな要求など前代未聞だ! 国家を民族の尊厳すら踏み躙り、我が国を滅ぼす意図があると断言せざるを得ない!!」


 其の閣僚が最後に怒鳴る。


 「無条件降伏など受け入れるわけにはいかない!!!」


 それに反論する楓の論陣を耳で聞き流す。そう、無条件降伏等論外だ。国家の自己消滅を宣言するに等しい。“第二次世界大戦”で御国が亜米利加合衆国率いる連合国からそれを突き付けられた情報に接した時、無様な負け戦であろうとも腸が煮えくり返り、此方の国にも見当違いな遺恨を持ってしまったものだ。
 しかし、勝った方からすればこれは如何に早く戦争を終わらせるか? という命題もある。下手に国家が消滅してしまったら後に残るのは残された者の際限なき恐怖と怨嗟、戦争を終わると言いながら国土中で戦闘が続き誰も彼も疲れ果て何も得ないまま制御できない憎悪だけが何世代も残る。
 “20世紀末”から起こったゲリラやテロリズムを手段とした非対称戦争はこの典型だ。だからこそ無条件降伏という『事実だけ』が必要なのだ。『お前達の国は負けたのだ』という国民を納得させる方便が必要で、敗戦国を一時的に接収し状況を整理する。
 御国の敗戦では御上の身柄と国体の維持が確保された上での亜米利加合衆国主導の国家再建が強制された。つまり無条件降伏とは条件降伏から講和への国家間関係の再構築への第一段階にしか過ぎぬ。儂等虎騎亜総督府が望むのは只一つ、現状維持と軍事同盟の解消――即ちセルビア-ブルガリア-ギリシャ三国同盟の解体――だけだ。
 賠償金? 要求しても払える筈も無く、ブルガリア政府は其の負担を自らの国民に押し付け虎騎亜への憎悪を煽るだけだ! 領土? これ以上日本人以外を増やして虎騎亜が立ちゆくか! 利権? 確かにあって困るものではないが、正当な対価で買った方が後腐れが無い。ブルガリアが“あの時の御国”なら虎騎亜は亜米利加合衆国だ。下手に宣伝して欧州諸国の不信とブルガリア国民の怒りを買うなら、今の借金まみれのブルガリア政府に金を貸し付け差し押されの要領で吐き出させる。ブルガリア国民の反発を買うなら借金のカタに借り受けるでも良い。そうすればブルガリア国民にも負けた後を示す事が出来る。『戦争に勝つは易し、終わらせるのは難し。』
 通訳を介し論戦が続くこと既に1時間、開いて閣僚の何人かは折れたと見た。休憩を挟んで個別に協議し各個撃破していく。そう考えた時、儂の左目が緊急事態を告げた。不審に思い左目を眇め視線から窓を呼び出し状況を開帳する。其れを見た時


 「橙子ッ!」


 思わず口から悲鳴が漏れた。向こうも此方も儂の舌打ちを間違えた様だがそれどころでは無い! 少し前から山本君達を率いて孫が闘いを始めたのは知っている。相手がまさかアレとは思わなかったが敵としては同格、全ては橙子次第。だがこれは……これでは渤海の再現ではないか! いやそれよりも悪い!! あの時は孫を模写した複製に過ぎなかった。それでさえあの惨事だ。今度は本人そのものが!!!
 儂の要請を受けこの広間の外――二階の窓の外、即ち空中に光学隠蔽状態で存在する唖奴の端末が情報を集め始める。さまざまな情報が駆け巡り孫の直後に発した言葉が心に突き刺さった。――安堵する、唖奴(シナノ)はこの情報を儂に開示し続ける事に。儂とて最早霧の一員に過ぎないだろうが部外者には秘すべき事柄の筈だ――

「忘れさせない」


 その孫の怒りと悲しみ、そして決意の言葉が何を示したのか端末と儂の思考が同じ結論を出した時、儂の眦から雫が零れ落ちた。ヒトが霧を支える。転移した霧の艦艇【シナノ】のルーツとその【終わった筈の悲運】が不可能を回天させようとしているのだと。こうしてはいられぬ。孫は、橙子は己の運命を選んだ。儂の示唆以上の運命、150年のあがきを始めたのだと!
 すっくと立つ、足音荒く会議机を回り込み相対する彼、ブルガリア王国国主・フェルディナンド一世陛下の前に立つ。端末に要請し儂の脳味噌の言語野と喉の声帯の間に端末の強制誘導を割り込ませ、高速翻訳体制に。慌てる彼の国の廷臣共を差し置いて机に荒く拳を落とす。


 「ブルガリア国王、フェリディナンド一世陛下。貴方と貴方の国は今岐路に差し掛かっているとお考えください。一時の屈辱に耐え国を生きながらえさせるか、安易な名誉に溺れて国滅ぼすか。私・乃木希典は生かすと言ったなら必ず生かす漢と自負しております。其れが個人だろうと国だろうと! そして潰すと決めたなら容赦致しませぬ。日露の戦で儂はロシア帝国を潰しました。陛下の一言でそれがブルガリアにも降りかかる……そう考えて頂きたい!!」


 真っ青になって楓他、我が虎騎亜の交渉団も駆け寄ってくる。そう無茶苦茶だ! 王族が国の全てを支配する時代は終わり国王は民のよりどころ、国の指針を示す存在になりつつある。そんな時代権威しか残っておらぬ王族、しかも国王にこんな恫喝を行うのは外交そのものを破綻させる愚策でしかない。

 
だが段階こそが重要だ!


 無条件降伏したという事実こそが重要なのだ。そこからブルガリア王国はやり直してもらう。其の為の一世一代の大芝居、それにこれで御国は儂を切り捨てる事が出来る。御上の意を無視して国から逃げ出し、今度は欧州の王族を恫喝して膝下に組み敷く。御上崩御の服喪中とはいえ無礼千万の大逆の徒を罰するに躊躇はある筈も無し。


 「ここで、この場で! 陛下には無条件降伏をするか否か決めて頂きましょう。」


 思わず思いついた言葉に心の中で己を嘲る。儂と橙子の威の前に己の武器に裏切られのたうち回った山下君。彼の未来を奪った儂が今度は彼の言葉も、偉業までも奪うか……。


 (ダー)か!(ニェット)か!!」


 最早ブルガリアの閣僚も廷臣も、我が虎騎亜の官吏たちも身じろぎもしない。フェルディナンド陛下も蛇に射すくめられた蛙の様な有様だ。本来『狡猾』の異名で名の知れた陛下もこんな蛮人の如き無礼と意思の暴力に晒された事はないのだろう。御上なら儂の無礼など体ごと投げ飛ばして叱咤されるのであろうがな。もう一度部屋中に響くように吼える。


 (ダー)か!(ニェット)か!!」

 「…………(ダー)

 「感謝いたします、陛下。」


 その言葉とともに会議場を後にする。やるべき事は多い。しかも向こうは状況が最悪、何も出来るわけで無く高野君達に縋るよりないが儂は儂の出来る事をする。それが道を分けたる者の責務。



 西暦1913年4月29日 ブルガリア王国無条件降伏





―――――――――――――――――――――――――――――





 双方が同一内容が書かれた書類を交換し精査、己のサインを書き加える。其れを交換し握手、それと同時に新聞記者が映像機(カメラ)をフラッシュを焚きその映像を世界に配信するために現像屋に回す。昨今は映写機(シネマカメラ)も登場し会見現場に新聞屋が持ち込む機械装置は増える一方だ。
 今後、私の様に手帳片手で対象に質問し生の情報を聞き出す記者は消えていくだろう。あの映写機で映された映像が映画館でニュースとして放映される。もう映像だけでなく音も蓄音機で再生されるご時世だ。聞きたい事を対象から市民が平和な都市で簡単に聞き出す事が出来る。そう、対象たる為政者の思うままに歪められた『真実』とやらを『事実』として聞かされるのだ。

 これは報道する側、される側にとって堕落でしかない。

 思わずペンを持つ拳を握りしめる。許し難い、機械文明に浸かりそれを楽しむのは結構だが溺れて為政者の言うがままの『事実』を垂れ流して何が記者か!
 其のまま歓談の席となった会場で目標に歩み寄る。憲兵が制止しようとするが記者章と取材許可証を突き付け黙らせる。ゲネラーレ・ノギのサインが入った許可証だ。軍警察は元より日本憲兵も黙るしかない。不審に思ったのかそれでも憲兵将校が従兵をつけてきた。たどたどしいイタリア語で『憲兵候補生、ザブロー・アイザワであります!』と元気に返事する。なり立て憲兵か、実にあしらい易い。

 「我輩はデイリーメール記者のベニート・ムッソリーニと言う。ここじゃ突撃記者の異名で君達から睨まれる筆頭だよ。新米君、揉んでやるから気張りたまえ!」

 「ハッ!」

 彼を従え歓談している輪の一つに近づく。今回の片側の主役、降伏側である。グスタフ・エミール・フォン・マンネルハイム『将軍』、片方は勝利側であるノギファミリーの一員、ヤススケ・ノギか?


 「お初にお目にかかります。デイリーメール記者、ベニート・ムソリーニ! 双方の勇戦敢闘に神の恩寵あらん事を!! そして『オツカレサマ』でした!!!」


 いつもの調子で話しかける。最後の日本語は間違っていないだろうか? 東洋言語は欧州人に極めて異質だ。二人は微笑んでグラスに水を注ぎ私に手渡す。三人で軽くグラスを重ねそれぞれの母国語を響かせる。同じ意味だと思いたい。


 平和に乾杯(パーチェプリンディジ)!」





◆◇◆◇◆






 「ほぅ! エミール将軍とノギ中佐はホーテン以来の再会と言う訳ですか。敵味方に分かれた漢達が別の戦場で再び相見えた。叙事詩で三度目は共に轡を並べて戦う仲となりそうですな!!」


 私の煽てに彼等は苦笑する。言葉こそたどたどしいが三人が三人とも日本帝国の多国語対応単語帳片手で会話する為に意思疎通はできる。


 「とうとう奉天で付けられたノギの息子を返上するには至りませんでした。エミール将軍には最後の最後まで翻弄されっ放しでしたよ。我々は数で押し切ったに過ぎません。」

 「奉天ではノギ中佐に地獄の釜に投げ込まれそうになり、今度は策と言う策を全て喰い破られた。戦場で練った窮余の策など日本軍には通用しない。私は再びそれを思い知らされました。」

 「甥が悔しがっていましたよ。半ば貴方の策を読んでいながら信じがたい奇策で覆された。乃木の息子をもう一人作り出したのに何を言われます。エミール将軍、貴方こそ真の戦術家だ。」


 驚かざるを得ない。前に取材した一個中隊で連隊を撃退して見せた英雄、その彼とエミール将軍が相見え戦火を交わした。エミール将軍はゲネラーレ・ノギ、ノギ中佐、そしてあの英雄(トーヨー)とロシア-ジャパン戦争と今回の大戦にて赫々たる戦功をあげた一族と戦い続けた事になるのだ。私が取材した彼、トーヨー・イスズチが英雄ならエミール将軍は伝説の英雄に相応しい。少しばかりの雑談で話を紛わせ本音に切り込む。彼らなら思い描ける筈だ。日本人が欧州戦国時代と呼ぶこの戦争を終わらせる術、そう今ここで起きているバルカン大戦を終わらせる術を。


 「燦然たる星のように輝く英雄達を前にしては……!」


 言い終えないうちに悪寒がよぎった。なんだこれは? と思考が頭をよぎる前に私の直感が最大限の音量で警告を打ち鳴らす。祖国で新聞記者をやれば北じゃカモッラ、南じゃマフィアと犯罪組織を敵に回す。私の場合は前者だった。良くしてくれた上司を目の前で刺殺された怒りはまだくすぶっている。 エミール将軍の脇から突き出されてくるナイフ、それを持つ手に自然に腕が伸び袖を掴む。そのまま日本帝国の宿営地で見た格闘技――ジュードーと言ったか?――の技の様にそのナイフを腕ごと私の肩上に導き空を切らせる。反対の手は相手の胸倉を抑え、相手を投げ……飛ばせず揉み合いに。その後に悲鳴、怒号、狂騒が一気に襲い掛かってきた。





◆◇◆◇◆






 数分後、私達は個室に導かれた。扉の外に兵士、中には熟練の憲兵士官が居る。何処の取り調べ室だ! と文句の一つも言ってやりたいが我等の安全のためと外の様子も聞かせてくれない。『流石イタリア誌上を賑わせる戦場記者、大した胆力と実力だ。私も鼻が高い!』トーヨー“大尉”を取材した時に目付役になった憲兵大尉が煽ててきたが表面は兎も角内心では唾の一つもぶつけてやりたくなる。お前らの仕事だろう! あの新米君は譴責された上に扉の前で罰代わりの門番を受け持っているようだ。


 「済まなかったな、私のせいでとんだ災難を受ける事になってしまったようだ。それにベニート君、君は命の恩人だ。感謝してもし足りない。」

 「どういう事です?」


 乃木中佐の質問に彼は経緯を話し始める。私も相伴させてもらうことにした。虎騎亜憲兵隊に取り押さえられ最後までエミール将軍に罵声を浴びせていた青年将校、エミール将軍の部下だったらしい。彼の過酷な命令についていけず現場解任されたらしいが、それでは単なる逆恨みではないのか?


 「解らないでもない。貧乏国が日本帝国に相対して戦おうとするならば生半可な覚悟では出来ない。だから私は戦場で勝つためにありとあらゆる汚い手を使った。それが我等の限界で、それしか手がないと言う事を部下に解らせてね。しかし人間は人間だ、どうしてもついてこれない者がいた。それが彼だっただけだ。」


 寂しそうに笑う。確かに今回の戦争、いやロシア-ジャパン戦争より戦争はその様相を根本から変えた。ロマン主義は成立せず今や効率と功利に主眼を置いた経済活動になっている。話に聞いたストラスブール戦線、街が瓦礫の山になり利益を生む物が無くなっても独仏両軍は撤退も転進もせず1メートルをめぐって殺し合いを繰り返していると言う。ベルギーとネーデルラントのフランデルン戦争は住民まで巻き込み欧州のホーテンだとか……こんな殺し合いはやはり戦争ではない。この狂った殺し合いは早く終わらせるべきだと今更ながら強く感じた。


 「閣下、閣下を助けた礼を我輩が要求するのもアレですが一つ記事を書かせてもらいませんか? この戦争は間違っている。バルカンだけではなく欧州で起こっている戦争全てを我輩は間違っていると考えます。欧州中がこれ以上無益な血を流すべきではない。故にその発端であろうこのバルカン大戦についてお聞きしたい。戦は潮目(シオメ)が見えましたか?」


 最後に単語帳で日本語の意味を知ったエミール将軍の顔が強張るのを待って笑みを作る。当然だ、こんな爆弾を誰が話すものか。此処にいるのは実戦指揮官のみ、彼等では戦争を終わらせる事は出来ない。だが彼らの意見が上層部に伝わり其の意思を捻じ曲げる事はある。私が戦場を歩き回り兵士達から取材した感触では『長くは持たない』というものだった。捕虜になり敗北感に駆られた三国同盟の兵士達、彼らなら解らんでもない。『戦争はもうこりごり』と言う意見だ。ただ勝っている筈の日本帝国軍、こちらも『困った事になった』『我々は何処まで戦えば良いのか』そんな疑問が渦巻いている。彼ら日本帝国の陸軍は総勢9個師団20万程度、これ全てを欧州に持ち込んでもバルカン半島を征服などできはしない。しかも彼等の本国は内乱が起こったと来た。遠征した兵士も気が気ではあるまい。
 だからこそこう一言続ける。


 「勿論、私見で構いません。我輩としては双方の士官が見たこの戦争を書きたいだけですのでね。名前も伏せさせていただきますし一論で締めさせて頂きます。今度ヘマやったらデイリーメールからもクビですから下手な事は書けません。」


 最後に冗談


 「雇われ記者は辛いものです。」


 「…………では私見ながら一言。」


 少し物想い――たぶん出すべき話を頭の中で整理していたのだろう――エミール将軍が口を開く。私は見えざるペンを持ち魂に彼の真実を映しだそうとする。


 「ブルガリア首府・ソフィアが陥落しました。東に向かった主力軍は遊兵と化し、がら空きの首府を日本帝国欧州軍が占拠しております。停戦ならまだしも事実上の降伏でしょうね。つまりバルカン同盟そのものは其の意義を失い、瓦解したと言う事です。ならばセルビア政府の戦争目的は一つ、『負けない戦争にする』……そういうことです。」


 ノギ中佐も口を開く。


 「我々は欧州列強によって訳も解らず欧州を故郷とした日本人です。何のために此処にいるのか。どうして此処に居なければいけないのか……此処を故郷とした日本人達は一度ならずとも考えた筈です。存在の可否という人の根本的な疑問と学者は言いますがもっと単純でいいのです。『我々は此処にいて良いのだと』『それを証明するために闘い続けるのだと』今回はそれが単なる【戦争】に過ぎなかった。なら存在の証明が一つでも達成されるのであれば無駄な争いは避けるべきです。そして…………」


 彼は静かに首を曲げた。戸板で遮られていなければ其処からは遥かな水面、エーゲ海が見えるのかもしれない。そして彼は残りを言葉として口にする。まるで戦争、そうこの戦争とは別のナニカが終わった様な声音で…………

――その言葉を私はこの後忘れる事は出来なくなった、何故ならそれは先程前テッサロニキ市の南、エーゲ海に現出した神々の戦いを示していたのではなかったのだろうか? と、――


 「人類の戦いは始まったばかりです。このような争いを何度繰り返せば人は真実を目の当たりにできるのか。そして人類はそれに耐えられるのか…………」


 彼は瞑目して呟いた。

 橙子(トーコ)



―――――――――――――――――――――――――――――






 海中を多数の誘導魚雷が飛び交い。それを凌ぐ迎撃弾頭が乱舞する。慌てて逃げ出した御国の海軍、其の最後尾の駆逐艦がたかが流れ弾で爆沈する。モタモタしていたギリシャ海軍はそれ以上の惨劇だ。戦闘海域から逃れられたのは数隻。殆どの艦艇が我等とアーチャーフィッシュが自棄糞に放つ兵器で御陀仏になっている。知った事か! もはや悠長に海戦ごっこをしている暇は無い。世界を賭けた容赦無き潰し合いに彼等は不要!!


 「敵誘導噴進弾全弾迎撃完了、フン、そういう事か! 日海軍と希海軍(ジャパン-ギリシャ)の海戦、その探査機器とは只の欺瞞、奴が予め播いていたのは全て独立武器庫艦(アーセナルユニット)と言う訳か!!」

 「ヒュー、次来るぞ! 包囲75、距離9500、弾数16。」

 「御嬢さん、ヒューの後部魚雷発射管、管制権限(コントロール)を此方に回して下さい。音響欺瞞魚雷装填(スナップショット)で!」

 「どうするつもりです?」

 「こっちから出向いて潰します! 安芸を殺った手口と同じ。これだけの弾頭全てが囮、奴は時間を稼いでいるに違いありません!!」

 「ナグモ、それじゃ逆だ! 先に本体を!!」

 「いや冷静に慣れ二人共。奴・アーチャーフィッシュが時間を稼いでも得る物は何もない。無駄弾を使っているだけだ。ならばこのばら撒く弾頭の全ては我々を誘導、いや誤導する目くらましだ。」


 それならば奴の動きが鈍いのも納得できる。霧の巡洋潜水艦伊400級の最大速力は90ノット、緊急なら110ノットに達する。アーセナルユニットの援護射撃の中とはいえ、高々60ノットで後退して何の意味があろう?――世界中の海軍軍人がこれを聞けば呆けて頭を抱える事必定なんだが――恐らく奴は周囲に配したアクティブデコイに演算を喰われているのだ。単なるアクティブデコイなら大したことは無い。実際ハツセでの演習でも散々使ったし前部魚雷発射管分6隻を同時展開しても御嬢さんの演算能力の6%にも満たない。だが、


 「奴の支挫じりは全部のアクティブデコイに本体と同じ能力を付加したからだ。馬鹿め! 全部が同能力ならば全て本物とでも言うつもりか!!」


 そうだ、南雲の言う通り全てのアクティブデコイに本体と同じ戦闘能力や機動能力を付加したら大変な事になる。コンソールを動かし其の状況を想定、演算率318パーセント。動くだけで艦体が自己崩壊する馬鹿げた事態になる。妥当な条件を加えて再計算、演算率88パーセントで本体とアクティブデコイ5隻の機動能力50パーセント、戦闘能力ゼロ、本体のクラインフィールド有、これ位だろう? 攻撃にはアーセナルユニットを使い、防御では全てのアクティブデコイを楯にする。海軍戦術としては悪いものではないが致命的な間違いの筆頭だ。機能をその都度切り替えるのは結構だがそれは艦艇というコンセプトから完全に逸脱した愚策でしかない。六対一は数の論理からすれば理想、しかし機能不全の六隻であると見破ればこれほど与し易い敵はいない。


 「南雲、独立武器庫艦(アーセナルユニット)の最も厚い場所を蹂躙しながら奴に近づけ。恐らく奴はこの海域に多数のユニットを配置し我々が消耗するのを待っている。我々がそこから弾幕の薄い海域へ逃げた時こそが奴の罠が発動する筈だ。ヒュー、迎撃続けられるか?」

 「こっちは大丈夫だが音響撹乱魚雷(スナップショット)は残弾8だぞ。奴が浸食魚雷を使う時に備えて4発は残しておきたい。」

 「上等ですヒュー大尉。高野艦長、次弾は全てをアクティブデコイにしてください。そいつらを別方向に逃がして奴を迷わせます。」

 「一艦は随伴させてくれ南雲、そいつを楯にする。」


 手早く我々の作戦行動が纏められていく中で橙子御嬢さんが質問してきた。


 「伊400級は大海戦時でも総旗艦(ナガト)直属の情報収集艦でした。直ぐ見破られるのでは?」


 言葉に頷く、だからこそだ。


 「相手は電子頭脳です。私の様にモナコで一点賭けなんてしませんよ。つまり1割でも2割でも弾は割いてくる。その分、ヒューは楽が出来る。」


 了解と答える隣でヒューが人の悪い笑みを浮かべる。


 「其の挙句、モグリの賭場を潰して三人してコルシカマフィア(ユニオン・コルス)に追い回されたんですからね!」

 「それに比べてば分の良い賭けさ、この勝負はな!!」

 「「違いない!!!」」

 御嬢さんが渋い顔、迎えに来てくれとの要請に慌てて来れば我等当人達は銃撃戦の真っただ中だ。ハツセの主砲を向けて御退散願ったが、夜間とはいえモナコは突如海中から現れた現れた『三笠』に大騒ぎ。もちろん三笠は他の場所にいたから『地中海の怪物』とブン屋に書き立てられた程だ。我々は御嬢さんから頭に手刀(チョップ)を落とされ、その御嬢さんは乃木総督閣下から拳固を落とされた。この艦に来てからの数少ない安穏な思い出。


 「ようし見つけた。アーセナルユニット5確認。撃ったと同時にスナップショットを喰らわせてやる!」

 「艦首1番2番アクティブデコイ射出、進路70。続いて艦尾1番スナップショット射出。」

 「艦首3から6、泡沫噴進型超高速魚雷(スーパーキャビテーション)に換装、1番2番浸食魚雷装填!」

 「艦尾アクティブデコイ装填します。浮上しますか?」


 一瞬迷ったが頭を振る。まだ早い。外の連中に見せてどうなるものでもないが、海上と海中では霧であっても位置を特定される危険は段違いになる。


 「やめておきます。先ずは本物を炙り出し、そしてクラインフィールドを飽和させましょう。そうすればハツセの荷電粒子砲や通常弾頭でもダメージを与えられる。」

 向こうは強化されたとはいえ巡洋潜水艦に過ぎない。魚雷兵装は脅威だが艦砲となると貧弱の一言だ。14糎アクティブターレットやレーザー発振機(カノン)如きではハツセの装甲は破れない。コクリと御嬢さんが頷き管制に戻る。次々と艦首と艦尾から各種魚雷が飛び出し次の魚雷が装填される。


 「アーセナルユニット此方をロックオン! 弾数40来ます!!」


 アーセナルユニットは一基8発の各種魚雷を装填している。ユニット本体がまともに動けないから全弾射出が基本だ。


 「アクティブデコイ展帳、1番スナップショット前方進出、艦尾2番スナップショット発射!」

 「弾数20確認……少ないな。いや! タナトリウム反応あり、浸食魚雷です!!」

 少しでも長く擾乱するつもりか。2段構え双方に浸食弾頭を混ぜ此方のスナップショットを使わて此方の索敵能力――即ち目――を少しでも長く潰させる。スナップショットの利点は航走中の魚雷に負荷を掛け自爆させる事が出来るがその強烈な負荷が敵味方のセンサー系を潰してしまう。再起動まで数秒とはいえ目が見えないと言う事は頂けない。


 「2番迂回路設定。」

 「スナップショット敵魚雷群と接触します。3…2…1 」


 一斉に我々の耳当てが聴音停止(ミュート)される。アレを聞けば鼓膜破裂どころか脳障害が起こる音波の爆弾だ。重力子で防護されているこの艦橋でも甲高い音がする程なのだ。即座に叫ぶ。


 「艦首魚雷自己判断(スマート)モードで全弾射出、次弾も同様で装填!」

 「VLS全弾アスロック射出! 浸食弾頭搭載タイプもだ!!」

 「下げ舵15、急速潜行。速力70、沈降200(メートル)で舵戻せ。」

 「全て了解。」

 我々の命令を一斉に御嬢さんが理解しハツセの全機構に伝達、正しく人機一体とはこのことだな。スナップショットが敵アーセナルユニットの魚雷群を潰し。此方の魚雷が間髪入れずその間隙からアクティブデコイを配した敵に襲い掛かる。さらには直上から浸食弾頭搭載を含め多数のアスロックが降り注ぐ。アーチャーフィッシュが苦し紛れにスナップショットで潰そうにも半数以上のアクティブデコイは吹き飛ぶだろう。そうすれば奴は丸裸だ!


 「艦首再度全弾発射、止めを刺すぞ!」

 「「「了解!」」」


 何回かの爆発音、ディスプレイから敵の塊、そう6隻あったアクティブデコイと本物の内4つが消えている。残った二隻が迎撃弾――そりゃ鈍いわけだ。攻撃も迎撃能力も持たせれば機能不全になるは明らか――を撃ち返してくるがそれは2番のスナップショットが黙らせる。再び甲高い音が響きヒューが報告……とは違う戸惑った声を上げる。


 「全艦反応消失!? クラインフィールド反応無し??……そんな馬鹿な!!


 クラインフィールドどころか防御も無しだと!? 私の頭が疑惑から恐怖に変わりそれを言う前に南雲が絶叫する。


 「艦底直下タナトリウム反応!!!」

 「クラインフィール……」


 直後、ハツセ本体とは別にしてまで防御が強化された艦橋が激しく振り回され全ての電源が吹き飛んだ。



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