“その日”の始まりは、いつも以上に静かなだけだった。
異変を探せと言われれば、ただその静寂な様だけ……
日が西から昇ることも、天が裂けるようなことも、天地が覆るようなこともなく──
──ただただ、静かに一日が始まっただけだった。


「……………よしっ」

「どこへ行く気だ、一刀?」

「えっ?な、直詭……」


とある世界のとある国のとある建物の中。
一室からこっそりと抜け出そうとした青年に、左目に眼帯をした青年が声をかける。
どうも見られたくなかったようで、一刀と呼ばれた青年は強張った笑顔を直詭と呼んだ青年に向けた。


「いや、その……ちょっとトイレに──」

「その言い訳は一昨日聞いた」

「……じゃなかった!小腹がすいたから厨房に──」

「その言い訳は昨日聞いた」

「えっと、えと……」


どうも手詰まりらしい。
部屋を抜け出す理由が思い浮かばないようで、一刀の表情から笑顔は消えていた。


「サボるのはいい加減にしろって、何度も言ってるだろ?」

「い、いやいや!サボるわけじゃないって!ちょっとした息抜きだって!」

「その息抜きに何時間もかけるような奴を部屋から出せるか。そういう風に言われてるんだから観念しろ」

「そ、そこを何とか……」

「何とかしてもいいぞ?愛紗と華琳のダブルパンチ喰らう覚悟があるならな」

「うぅ……」


直詭の出した、愛紗と華琳という名前に負けたようで、一刀はおずおずと部屋に戻っていく。
その後に続いて、直詭も部屋へと入っていく。
部屋の中にある机の上には、書簡や竹簡が山のように積み重なってあった。
確かに、これだけの量を一度に持ってこられたなら逃げ出したい気持ちも分からなくはないが……


「サボりのツケは自分で払うんだな」

「直詭ぃ、手伝ってくれるとか、そういう優しさはないのか?」

「無いな」


助け船をすっぱりと断って、直詭は机の近くの上のベッドに腰を下ろす。
そしてそのまま、ベッドの下をのぞき込んで、何冊かの本を取り出した。
ただ、その表情には非常に呆れの色が浮かんでいた。
逆に一刀は、冷や汗をかきながら固まっていた。


「またこんなもん隠してるのか……」

「い、いや、その……」

「まぁ?俺も健全な男子だから買うなとは言わないけど、三日前くらいに蓮華に叱られてなかったか?」

「それは、その……」


溜息を吐きながらも、その本を元にあった場所へと戻す。
そして一刀に、机に向かえと目で仰ぎ、直詭自身は手に持っていた本へと目を移し始めた。


「そう言えば直詭、なんで部屋の前にいたんだ?」

「今日は華琳から、お前の見張りを頼まれてたからな」

「……信用ないなぁ」

「普段の行動が全てを語ってくれるぞ?」

「それは言いっこなしで」

「言うに決まってるだろ」


辛辣な直詭の言葉にも、一刀はある程度の笑顔で答える。
“相変わらずだな”と内心、直詭は呆れつつも感心していた。
そんな心中を知られまいと、視線は本の文字を追っている。
一刀も観念したようで、目の前の仕事の山へと手を伸ばし始めた。


「でも、今日は静かでいいな」

「それは言えてるな。嵐の前の静けさ、ってことはないと願いたいが?」

「ハハハ。直詭は心配しすぎだって」

「癖なんだから仕方ないだろ?」


平穏な時間の中にあっても、いらぬ心配をする。
そんな心配性の友人を、一刀は羨ましくも思っていた。
自分とは違うやり方で、でも確実にこの世界で生き抜いてきた友人だ。
自分にない部分を、一刀は素直に尊敬している。


「……………ん?」

「どうかしたか一刀?」

「いや、何か外から聞こえた気がするんだけど……」

「外から?」


友人の普段とは違う口調に、直詭は不審に思う。
その言葉が嫌に気になって、二人して窓を開く。
そこに広がっているのは、普段から見慣れている中庭の風景。
……そして──


「あれは……?」

「何だ……?」


──絶望の始まり。











時間も場所もまるで違う世界。
日本のそれと酷似しているが、違う世界であるというべきか……


「おい小十郎」


右の目に眼帯をした人物が、畑仕事に勤しむ人物に声をかける。
声をかけられるまで気が付かなかったようで、小十郎と呼ばれたその人物は仰々しく頭を下げた。


「政宗様、いかがなされましたか?」

「いや?何だか妙な空気だったから、外に出て気を変えようと思っただけだ」

「政宗様も、そう感じておられましたか」


強面の表情を崩さない小十郎は、畑の土を無作為に掬い上げる。
一見しただけでは何の変哲もないが、毎日のように触っているその土に、小十郎は何かしらの違和感を感じているようだ。
政宗も、その表情から小十郎の心意を読み取った。


「嵐でも来るか?」

「ただの嵐、というわけではないやもしれません」


互いに深刻な表情を崩さない。
それも致し方ないこと。
政宗は、ここ奥州を治める一国の主。
国の窮地が近づいているとあれば、じっとしていられない。
たとえそれが天災という形であっても、動かずにはいられないのである。


「小十郎、お前は城下を当たれ」

「政宗様は?」

「川の様子を見てくる。異変があれば早馬や草を使え」

「御意」


この時代で言う“草”とは、一言で言えば忍者の類。
他国に比べれば数は少ないものの、練度の高い忍びを従えている。
小十郎の返事を聞いて、すぐさま政宗は川へと馬を走らせた。



「水嵩に問題はなさそうだな」


氾濫する気配は微塵も見られない。
穏やかな流れは、感じている不穏な空気を嘲笑うかのよう。
にも拘らず、政宗の表情は優れない。


「チッ……!嫌な空気だ、静かすぎる……」


鳥の囀りも、風の騒めきも聞こえない。
こういう、やたらと静かな時は何かが起こる前触れと言われている。
いや、たとえそういう謂れがなかったとしても、政宗は動いただろう。
それ程に、“何か”を感じているのだ。


「空は澄んでるって言うのに、何だこれは……?」


天を仰ぐ。
涼やかな大地を照らす陽光が眩しい。
雲も穏やかに流れており──


「……What?」


いや、雲の動きがおかしい。
曇天の色合いともまるで異なる紫の雲が、徐々に上空で渦を巻く。
嫌な気配の出処は、間違いなく“そこ”だ。


「ありゃ、何だ……?」


目に見て取れる異変を、政宗はただただ凝視した。
いや、目が離せなかったといった方が妥当である。
不気味で面妖で、言葉に言い表せない魅力に惹かれて、息をしていることすら忘れるほど。
徐々に大きくなる渦を、澄んだ左目で眺めていた。

だが、眺めている時間は、突如終わりを迎える──


「うぉぁ!!?」


渦が急激に大きくなったかと思うと、そこから妖しい光がすさまじい勢いで舞い降りてきた。
その光が大地を包み、経験したこともない揺れが辺りを襲う。
政宗も堪えようと踏ん張るが、体そのものを揺さぶられたかのような感覚に襲われ、やがては意識が途絶えてしまう。

大地の揺れは、政宗が気を失っても収まることはなかった。
嫌というほど揺れに揺れ、やがて、周囲から光も消え失せた……



「……っ痛、何が──っ?!」


意識を取り戻した政宗の目に映っていたのは、先程まで見ていた景色ではなかった。


「何だよ、こりゃぁ……?!」


自身の目の前にあったはずの川が消え失せ、乾燥した大地が続いている。
無理矢理に大地と大地とをつなぎ合わせたようで、その繋ぎ目には赤々と熱を持った岩石が露出している。
あともう数歩手前にいたのであれば、その岩石に触れていたかもしれない。
政宗のいた位置は、それほどの際であった。


「小十郎……小十郎は──っ?!」


頭を過ったのは、小十郎の安否。
向かったであろう方角を振り返って、政宗は再び驚愕する。
自身の城や城下町が映るはずだったその場所は、硫黄の臭いの漂う暑苦しい土地と化していた。
まるで、かつて訪れたことのある薩摩の土地が、態々土地ごと目の前に来たように……

困惑……
それ以外の思考が働かない。
だが突如として、政宗の思考に介入するものがあった。


「っ!!」


腰に携えていた刀を抜き、介入者へと向ける。
その介入者は、これまでに経験したことがないほどの大軍勢だった。
ただ、その軍勢を構成している人間の姿さえ見なければ、政宗も一瞬たじろぐ程度で済んだだろう。
驚愕し、体が硬直しきってしまったのは、“ただの人間”が目の前に一人としていなかったからだ。

人間の姿はしている者がほとんどだ。
だが、その肌色は血が通っているかさえ疑うような灰色。
目の色は異国の人間に稀に見る青や緑だが、人間の瞳はしていない。
そういった異形の類が、自分と同じように剣や槍を構えて軍を成している。
異様であり、畏怖さえ感じた。











──強者よ、我に抗え──


頭蓋に直接響くような、不気味な声が世界を包んだ。
日本における戦国の世界と、中国における三国の世界は、突如として終焉を迎えた。
それも、絶対的な絶望という形で……

人智を遥かに超える、世界と世界の融合という事象。
それらをすぐさまに受け入れられる人間がどれだけいるだろうか……
ましてや、人の形をした異形の類と戦わなければならない状況下で、人の理解などどれほど及ぶのだろうか……

ある者は友と……
ある者は師と……
ある者は敵と……
再び見えられるかどうかすら分からない。
そんな世界に放り出されて、人は果てしなく無力だった。



人間の単位で言えば、一か月ほど過ぎただろうか。
漸く各地で起こる戦の規模は収束してきた。
結果だけ見れば、人間側の惨敗としか言えない。
消息の知れないものの数を数えることすら馬鹿馬鹿しいほどに、惨敗を喫したのだ。

異形の類を侵略者と定義するなら、彼ら侵略者は手を休めようとしなかった。
人間から勝利をもぎ取った後も攻撃をやめようとはしない。
言い換えれば残党狩り……
それらに捕らわれたものも数知れず、捕らわれた者がどうなったかは知る由もない。

そしてここにもまた一人……
侵略者の魔の手から逃れようと身をひそめる人物がいた。


「おい、いるか?」

「いや、見当たらない。他を当たるか」

「こっちの方へと逃げてきたと思ったんだがな……」


人語でやりとりをする侵略者たち。
ただ、どこかその言葉もしゃがれていたりするなど、人間の発する声ではない。
その声が完全に消え失せた後、近くの木の上から一人の人物がひらりと飛び降りた。

やや低い背丈だが、自分以上の長さのある得物を片手で持った少女。
赤い髪を揺らし、見て分かるほどに大きなため息を吐く。
顔色を伺うまでもなく、少女は疲労していた。


「……やっと、行ったのだ」


独特の口調にも、疲労の色が濃く見える。
身を隠していた気に背を預け、一時ばかりの休息を味わう。


「……愛紗、どこにいるのだ?鈴々も、もう限界に近いのだ……」


自身を鈴々と名乗る少女は、天を仰ぎながら、誰に言うわけでもなく口を動かす。
ただそれでも、見た目とは裏腹に武人でいるようだ。
周囲への警戒は怠っていない。
近くから気配がすれば、すぐに身構えられるよう、得物からは片時も手を放そうとしない。


「むっ……!?」


突如、先程自分がいた場所から物音がした。
即ち、木の上である。
鈴々は勢いよく立ち上がり、得物を振りかぶる


「誰がいるのだ!?」


振りかぶった得物を一閃。
ゆっくりとした動きから一気に勢いをつけ、木はものすごい音を立てて倒れた。
それと同時に、一人の人物が倒れた木の上へと降り立った。
どうやら、木が切り倒される直前に飛び上り、そのまま着地したようだ。


「ちょっと待った。俺は怪しい人間じゃないって」


茶髪に迷彩柄の衣装をまとった人物は、両手をあげて戦意のないことを示す。
気が立っている鈴々は、それでも得物を向けたまま。
このままでは話が進まないと把握したその人物は、頬をかきながら口を開く。


「まずは自己紹介した方がいい?俺は猿飛佐助。お嬢ちゃんの名前は?」

「……張飛、なのだ」

「そっかそっか。んで張飛ちゃん、俺は別に戦うつもりとかはないし、武器を下げてもらっていい?」

「……………」


佐助の言葉をすべて信じたわけではない。
ただ、戦意を感じないのも事実。
気を立たせ続けるのも疲れると把握し、鈴々は得物を下ろす。


「ありがと」

「……それで、お前は何者なのだ?」

「おいおい、名乗ったんだから名前で呼んでくれていいんだよ?」

「見るからに怪しい奴に気は許せないのだ。あと、鈴々を子ども扱いするななのだ!」

「そりゃ悪かったよ……ん?張飛って名前じゃないの?」

「にゃ?鈴々は張飛なのだ」


どうも会話が通じない。
ただ、このままだと堂々巡りになると佐助は直感した。


「ま、詳しいことは今はいいや。それで、張飛ちゃんに頼みがあるんだけど」

「何なのだ?」

「この先で、誰かが襲われてるみたいでね。それがどうも、俺の知り合いみたいなのよ」

「助けるのに手を貸してほしいのだ?」

「そういう事♪見た感じ、腕は立つみたいだし?」


自分が立っている木を見ながら、佐助は笑顔で話す。
全く敵意が感じられないことに安心したようで、鈴々もやや表情が綻んだ。


「手伝うのはいいのだ。でも鈴々、お腹空いてるからあんまり力でないのだ」

「少ないけど、饅頭ならあるよ?食べる?」

「食べるのだ〜」


差し出された饅頭に、何の警戒もなくかぶりつく。
程よい甘みが、疲れた体に染み渡る。
元来、食いしん坊の鈴々にはまるで足りない量であるが、それでも至福に感じた。
自然と、表情に明るさが戻ってくる。


「美味しかったのだ」

「そりゃよかった。んじゃ、行ってみる?」

「どんと来いなのだ!」

「おお、頼もしいね♪んじゃ、行きますか」


鈴々と佐助、二人は並んで走り出す。
まだ、目指すべきものが何かをよくは理解していない。
走り出した先に何があるかなんてわからない。
それでも、絶望に向かっているという表情は一切見られない。
これから始まるであろう戦いに向けて、意気揚々と走っていく。











“あの日”は、世界の絶望の日。
希望なんて微塵も見えない、闇の始まり。
そしてこれからも、その闇は大きく深く広がっていく。

だが、希望の光を求めて走り出した者もいる。
時を超え場所を超え世界そのものを超えて、手を取り合って走り出す。
たとえ目の前が闇に閉ざされていたとしても……
たとえ一筋の光さえ見えないとしても……
己の手で希望をつかもうと、もがき抗い戦う。

しかし、人の感情とは複雑である。
己の願望を叶えたいと切に願う者……
不可思議な力に魅せられた者……
一時の迷いに道を誤る者……
それらは人が人であるが故、起こりうる出来事。



ある者は、感情に任せて──


「そこを退かねば、この趙子龍の槍の錆としてくれる」

「うるせぇ!野郎どもの命、そう簡単に見捨てられるか!」

「理由は異なれど、駒を無意味に消耗はしたくはない」

「ふむ、どうも私の弓に射抜かれたいらしいな……」



ある者は、魅入られて──


「なんでや?!なぁ風、なんでウチの敵に回るんや?!」

「霞ちゃんには、分からないことなのですよ〜」

「そうですね。私も“あの方”とは違う“あの者”のことをご理解いただけるとは、到底思えません」

「若いモンには、ちと分かり辛いことじゃろうて」



ある者は、どこか救いを求めて──


「それがしは退けぬのだ!歯向かうなら、この槍にかけて……!」

「……ゴメン、ねね」

「私を遮るな。そこを退け」

「はぅあ〜……ご一緒する方を間違えたかもしれません……」



物語は始まったばかり。
混沌に混沌を重ねた、終着点の見えない物語が。

逃げることなど許されない。
立ち向かえ、猛将たちよ……
その先に松彼の者を目指して……
戦いの果てにのみ、未来はある。










後書き


どうも、ガチャピンαです。
まずは九周年おめでとうございます。
拙い作品ですが、ここまでご一緒できたことは素直に嬉しく思います。

今作ですが、実は九曜の紋が完結した後、書いてみようかなぁ……とか考えてるネタです。
書いてみたいネタはまだほかにもあるんですが、それはまた追々書いてみたいと思います。
まずは、九曜の紋完結を目指して……
出来れば、2014年中には完成させたいんですけど、ペースが安定しないんで何とも言えません。
ま、今作を読んでくださって、読者様の興味に触れられれば幸いです。

後、他にも書いてみたいネタがあると書きましたが、それは次回の記念作品に取っておきます。
何分まだネタとして作っている最中でして……

では、最後になりますが、今後もシルフェニア様にはお世話になります。
私も拙い作品ですが、盛り上げさせていただくつもりです。
今後ともよろしくお願いいたします。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


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