新しい物事を始めようとすると、何かしらの壁にぶつかるっていうことはよくある。
今まさに、俺もその“壁”にぶつかっている真っ最中だった。


「(漢文か……)」


そう、文字だ。
学園で学んだ範疇を、遥かに凌駕したレベルの物が、普通に置いてある。
星羅さんの屋敷の書庫にあった物を適当に取って開いて、即座に元に戻した位だ。

でも、いつ元の世界に戻れるか、全く予想できない。
こっちの文学や文化を学んでおく必要はある。
そういうわけで声をかけたのは──


「どうしたでありますか?」

「あー……ちょっと相談が……」


まぁ、陳宮以外には考えつかなかった。
星羅さんでもよかったんだけど、正直な話、あの人のマイペースっぷりに疲れそうだったから、遠慮させてもらった。
恋は……そっちの方面は苦手そうだっていう、俺の勝手な解釈でパスした。


「成程。白石殿のいた場所とは違う文字だというわけでありますか」

「正確に言うと、この文字を知らないっていうわけじゃないんだ。ただ、日常で使う機会は無かったから、読み方とか書き方がいまいち分からない」

「承知したであります。ただ、ねねも付きっ切りで教えるわけにはいかないであります……」


そりゃそうだろうな。
星羅さんが、この辺一帯の太守と言う役職を担ってる。
陳宮もその手伝いとかで、政務処理をしてるって聞いてたし、忙しくないわけはないか。


「うむむ……どうしたものでありますか……」

「そうだな……一番良いのは、俺が自分で覚えるのが良いんだろうけど……」

「なら、話は早いのであります。白石殿、これからねねに付き合っていただけるでありますか?」

「え?そりゃ、問題無いけど……」


何を思いついたんだろう?
俺の返事を聞いて、あっという間にどっかに行っちゃうし……
……って、俺はどうするのか、まったく聞いてないんですが!?


「ちょ、ちょっと待って!」


慌てて陳宮を追いかける。
すぐに追いついたけど、その場所は陳宮の部屋の前だった。


「どうしたでありますか?」

「いや……何をどうするか、せめて教えてくれない?」

「あ、失敬したであります……」


随分と慌ててたみたいだな。
謝って来た時、ちょっと赤面してた。


「これから、書店に向かうであります」

「書店?この屋敷の書庫にも、結構な数の書物はあった気がするんだけど……?」


この屋敷は、一個人の物としては、相当大きなものだし、書庫の大きさもそれなりだった。
俺も、本の類は読むのが好きだから、利用させてもらうつもりで行って、結果こうなってるんだけどね?
でも、内容云々は全く分からないけど、相当な数はあった筈だ。


「何を買うの?」

「文字の入門書のようなものであります」


あぁ、成程。
確かに、俺もそこそこの年齢とは言っても、この世界じゃ、文字の読み書きもできない幼子と同レベルだもんな。


「……でも、俺はお金持ってないよ?」

「心配無いであります!そこは、ねねが立て替えておくでありますよ」

「え、いいの?」

「勿論であります。こうして、ねねを頼ってくれた白石殿に、せめてものお礼のつもりなのであります」


……お礼?
いや、お礼をするなら、寧ろ俺の方じゃないか?
相談にも乗ってくれて、しかも本まで買ってくれるって言うし……

でも、反論しても聞かないんだろうな……
俺が呆然としてたら、あっという間に財布持ってきたし。


「では、行くであります」

「あ、ちょっと待ってくれる?」


俺が制止をかけると、陳宮は首を傾げた。


「何か忘れ物でも……?」

「いや、一応だけど、星羅さんに声かけてくるよ」

「え?あ、でも、今星羅殿は──」

「大丈夫。一声かけたら、すぐに行くから、屋敷の入り口で待ってて」

「あ、白石殿──」


呼び止められたけど、無断で外出するのは性に合わない。
仮にも、屋根と食事を提供してもらってる相手だ。
そういう礼儀は欠かさないよう、昔から心掛けてる。
陳宮の言葉を待たずに、俺はもう足を進めてた。





えっと、星羅さんの部屋は──
……ん、何か聞こえたか、今?
悲鳴って言うか、奇声って言うか……
星羅さんの部屋からみたいだな……


「(……何だろう。俺の勘が、この扉を開けるなって警笛を鳴らしてる。勘に従うべきか?)」


でも、無断外出って言うのも気が引ける。
とりあえず、俺はその扉に手をかけ──


「……直詭?」

「ん?」


声をかけてきたのは、恋だった。
今まで寝てたのか、髪の毛には寝癖が残ってる。


「寝てたの?」

「……………(コクッ)」


もうお昼過ぎてますよ、恋さん?
そもそも、そんなに寝てていいの?


「……………」

「ん?あ、あぁ……今から陳宮と出かけるから、星羅さんに一声かけようと──」

「……………(フルフル)」


え、何、どうしたの?
俺の腕つかんで、絶対に止めるべきだって、首を思いっ切り横に振って来た。
……ここまで来ると、怖い半面、ちょっと見てみたい。


「……………」


……いや、止めよう。
恋の目がマジだ。
この目は、本気で開けてはいけないっていう目だ。
少なからず、俺に不幸が降りかかるっていう前触れだ。


「……じゃあ恋、星羅さんに言伝頼まれてくれる?」

「……………(コクッ)」


一緒に行くって誘ってみてもいいけど、まだ眠そうだしな。
無理に連れていくのもかわいそうだろう。

……やたらと耳障りな奇声は、まだ止みそうにないな。
星羅さん、あんた本気で何してんの?











街に出て、書店にはすぐに着いた。
目的地に一直線だったっていうのもあるけど、案外人通りが少なかったって言うのも大きい。


「意外と、人通りは多く無いんだ」

「仕方ないであります。ここ豫州は、最近になって漸く、ここまでの発展を遂げたばかりであります」


言うなれば、まだ発展途上って言うわけか……
しかも、黄巾とかの賊も蔓延ってるらしいし、都とかでもない限り、そんなに人の数自体は多く無いのかもな。


「さ、入るでありますよ」

「それはいいけど、入門書ってどんな感じの物?」

「見ればすぐに分かるであります」


陳宮に続いて、書店の中へと入る。
そこで驚かされたのは、“書店”と言っても、俺の想像していたそれとは違ったことだ。

まぁ、この時代なら、紙の希少性はそこそこ高いからな。
フランチェスカの近くにあった小さな書店と比べても、“本”って呼べるようなものは少ない。
せいぜいが巻物(?)だったり、中には竹製の物まであった。


「(印刷技術とかも、この時代なら皆無に近いしな……)」


適当に手に取って見てみると、本一冊あたりも相当分厚い。
相当、書いてある量が多いんだろうな……


「ちなみにこの本、陳宮ならどのくらいの時間で読める?」

「それでありますか?その程度なら、昼食の合間に読んでも、食べ終わるくらいには読み終えるであります」


……この分厚さで?
って言うことは、文字の大きさとかも考慮すると、俺のいた時代に換算すれば、半分……いやもっと薄くなるってことか。
これは、入門書も相当分厚くなるのを覚悟すべきだな……


「白石殿、こっちであります」

「はいはい」


促されるがまま、陳宮のいる方へと向かう。
既に何冊か選んでいたみたいで、手の中には10冊程の本が抱えてあった。


「とりあえず、この中から選んでほしいのであります」

「選ぶって……まず、俺は読めないって──」

「大丈夫であります」


言いながら、俺にその本を手渡してくる。
受け取りつつ、ページを適当に開いてみた。
……あれ、これって──


「絵本?」

「まぁ、その類でありますね」

「あれ?入門書って言ってなかった?」

「文字だけで解するよりも、最初は挿絵があった方が分かりやすいのであります」


へぇー……そこまで考えてくれてたとは……
流石に、可愛いキャラクターとかは無いけど、大半が絵で埋め尽くされてるこの類なら、読むのにそう苦労はしなさそうだ。

一応、漢文とか漢詩の基礎は、学園で習ったこともある。
勿論この絵本には白文しか無いけど、時間をかければ読めないこともない。

本当は全部買ってもらって、全部熟読したいって言う願望もあった。
でも、買ってもらう以上、そんな我儘は言うつもりはない。
挿絵から判断して、ジャンルがそれぞれ違う3冊を選んで、陳宮に手渡す。


「この3冊で良いのでありますか?」

「うん、今回はその3冊で」

「今回?」


あ、言い方がまずかったかな?


「いや、別にまた買ってくれってせがんでるわけじゃないよ?ただ、星羅さんの書庫の中にも、何冊か読みやすいものはあるでしょ?今度はそっちから選んでほしいってだけ」


何度も書店に付き合ってもらうのも悪いしな。
元々俺はどっちかって言うと、誰かに勉強を頼るっていうのは好かない。
でも、勉強をする以前の段階だから、こうやって頼るしかないんだけどね。

それに、3冊もあれば、多少なりとも読み方は分かるだろうし、それを元に、少しずつスキルアップしていけばいい。
既にこの段階でも、俺は十分すぎるほど、陳宮には感謝してるんだから。


「……白石殿、ねねに遠慮しているでありますか?」

「そんなこと無いよ?もしそう感じたなら、そういう性格なだけ」

「ですが……」


やや不満気だな……
どうしたものか……


「じゃあ、陳宮。もう一つ、我儘を聞いてもらっていいかな?」

「はい!何でも言うであります」


随分と嬉しそうな笑顔。
そんなに人に頼られるのが嬉しいんだろうか?


「その、さ……街の案内を、ね」

「街の?どうしてでありますか?」

「いやぁ、街に出るのに、毎回誰かを誘おうとしても、都合が合わない時もあるだろ?そういった時、どうしても一人で外出しなきゃならない」

「成程。その際に、道に迷わず、目的の場所に速やかに迎えるよう、街の詳細を知っておきたいというわけでありますね」


ま、実際の所、即興で思いついただけなんだけど……
どうにも、陳宮が“自分を頼ってほしい”って雰囲気を出してたから、自然と口を衝いて出た感じかな。
それに、街の情報はある程度知っておいても、別に損にはならないしな。


「では、行くでありますよ、白石殿!」

「ちょ、ちょっと待ってって!」


意気揚々と、俺の腕をつかんで引っ張っていく。
歩く速度もその足取りも、なんだか本当に楽しそうだったから……
戸惑いながらも、俺は陳宮の導きに身を委ねることにした。











街中歩き回れば、そりゃ時間の経つのも早い。
屋敷に戻る頃には、すっかり辺りは暗くなって、人通りも昼間以上に少なくなっていた。

屋敷での夕食を済ませて、俺は部屋で横になっていた。
枕元には、買ってもらった絵本が3冊。
徐に手にとって、最初のページを開いた。
まさに、そのタイミングを見計らったかのようだった。


「白石殿、いるでありますか?」

「ん?いるよ」


扉の向こうからの声は、昼間ずっと一緒にいた声。
俺からの返答を聞いて、その声は扉を開いた。


「どうしたの、陳宮?」

「あー、その、でありますな……」


話し辛い内容なのか?
どうも、陳宮にしては珍しく、口籠った様子だ。


「こ、これを……白石殿に、ですな……」

「それは?」


小さな箱を手渡される。
開けていいかと目で尋ねると、小さく頷いてくれたので、丁寧にその箱を開ける。
中に入っていたのは、筆やら硯やら、言うところの筆記具と言う奴だ。


「ね、ねねのお古でありますが、使えないことも無いので、白石殿に譲るであります」

「え?いいの?」


お古とは言うけど、明らかに硯の方は買ったばっかりの新品にしか見えない。
筆の方はまぁ、随分使い込んだ様子が分かる。


「使ってほしいので、あります」

「……有り難く、使わせてもらうよ」


微笑みかけると、陳宮も笑顔で返してくれた。


「でも、陳宮に助けられてばっかりだな、今日は……」

「そんなに気負う必要はないのであります。それと──」


少し、言葉に間をおいた。
俺が首を傾げると、ちょっとだけ頬を赤く染めながら、陳宮が口を開いた。


「──ね、音々音、であります……」

「……へ?」

「で、ですから!ねねも、真名で呼んでほしいのであります!」


声を大にして、さっき以上に顔を赤くして、そう訴えてきた。


「でも、真名って……」

「確かに、大切なものではあるのです。ですが、ねねだけ呼んでもらえてないと、壁を作られてるようで、嫌なのであります!」


……壁、か……
それは、不味かったな……

確かに、恋も陳宮も星羅さんも、俺は別に接し方は変えてない。
でも、そんな中で自分だけ真名で呼ばれないっていうのは、ある種の差別だとかに当たるのか……
──無自覚だった俺の責任だな、これは……


「ですから、その……──」

「ゴメン。ちゃんと謝るから、許してよ……音々音」

「……………っ!」


……ヤバいな、絶対俺も赤面してる……
でも、こういう時は目を逸らしちゃいけない。
顔が赤くなってるのを自覚しながら、真っ直ぐ音々音の目を見つめる。


「……白石、殿?」

「その……前に断ったのは、その時言ったように、“誰かに言われたから何かをする”って言うのが、俺は受け付けられなかったから。でも、今は音々音の本当の気持ちから、真名を呼んでほしいって言ってくれた」


音々音の顔が真っ赤になった。
あぁ、勢い任せで言った部分もあったんだろう……
そりゃ恥ずかしいわな。


「だから、その……真名で呼ばせてもらうよ」

「……あ、有難う、なのであります」


消えそうなくらい、小さな声だった。
もう、音々音の表情は分からない。
お互いに顔を俯けてしまったから。





暫くの沈黙の時間を一緒に過ごして、音々音は部屋に帰っていった。
俺の「おやすみ」っていう声に、嬉しそうに微笑みで返してくれた後に。




後書き

なんだか最近、書くペースが安定してて、個人的にちょっと嬉しかったりしている毎日。
今回は、まぁ、2828な回になりました。

ただ、原作やってて思ったんですけど、特に魏ルートの冒頭で、一刀が誤って真名を呼んでしまった場面。
その直後に星が鬼気迫りながら突っかかっていったくらい、真名って大事なものなんでしょ?
だったら、今回ほどまでとはいかなくても、それなりに真名を許す場面も設けてほしかったです。

え?本音はって?
もっと原作で、2828シーンを見たかっただけですが、何か?
まぁ、武将の数も相当ですから、仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。



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