「皆の者!余を乱す逆賊共を討ち果たす!私に続けぇ!!」


律の叫び声に、鬨の声が呼応する。
先導する律に続き、兵士たちが大地を揺らし、津波のように攻めかかる。


「副官様ー?進軍しないのですかー?」

「あぁ、羅々か……」


陣幕を出ようとしない俺を、不思議に思った羅々が話しかけてくる。
当然と言えば当然か。


「やっぱり、おかしいよね?」

「そーですねー。大将が先陣切ってるのにー、副将がこんなとこで油売ってるってー、おかしーですねー」

「ま、普通そうだわな」


自嘲の意味も込めて、苦笑しながら返答する。
やや辛辣だった羅々の言葉は、逆に心地が良かった気さえした。


「ま、俺も後から出はするよ?」

「?なんでー、今じゃないんですかー?」

「……霞からの返事を待ってるんだよ」


そう、ここに残った理由はただ一つ。
後から来る本隊に送った、伝令の帰りを待っている、それだけだ。

擁護するわけじゃないけど、これは律からの提案。
副将と言っても、まだ戦闘経験皆無の俺に、この雑用仕事を任せてきた。
律なりに、俺のことを気遣ってくれたらしい。
……それでも、伝令が戻ってくれば、俺も戦場に向かわなければ──


「副官様ー?顔が真っ青ですよー?」

「……否定はしない。それより羅々、1つお願があるんだけど……?」

「何ですかー?」

「……恥を忍んで言うけど──」


一瞬だけ、言葉に間をおく。
小さく深呼吸してから、続きを口にした。


「俺が逃げ出さないように、ちゃんと見張ってて?」

「はいー?」

「確かに言ったから、頼んだよ?」


色々と聞きたいことがあったみたいで、羅々はその後も何かしら声をかけてきた。
でも、俺にはそれを聞きとるだけの余裕は無くて、ずっと空を仰いでた。
小さな雲が漂うだけの青空が、やけにゾッとするように感じられた。





それから、大体30分くらい経ったかな?
伝令が戻ってきて、俺の前で膝をつく。


「賈駆様より伝言!華雄様の部隊は、本隊の到着まで、極力迎撃に当たるようにとのこと!」

「あー、うん。それさ、当の本人に言ってあげてよ?」

「……御冗談でしょ?」

「ですよねー?まったく……」


もう、耳に入ってくる音の種類は、数えられるほどしかない。
猛り唸る、兵士の怒声。
武器同士がぶつかり合う金属音。
そして、命が消える時の断末魔。

多分、目の前の伝令や、横にいる羅々にも気付かれているとは思う。
俺の身体が震えて、顔色が真っ青になってることくらい……


「……じゃあさ、申し訳ないけど、もう一回伝令を頼まれて?」

「御意に」


ずっと背を向けていた戦場に、真正面に向き直る。
砂煙に混ざって、血飛沫が飛ぶのさえ見える。
その光景を目に焼き付けて、深呼吸してから、言葉を口にする。


「その命令が届くのがちょっと遅かったから、律──華雄はもう出陣してる。これ以上無謀な進軍しないように、俺も出るから」

「それで、宜しいので?」

「うん。あと、“文句は受け付けるけど、やるだけやったつもり”とも言っておいて?」

「御意!」


伝令兵が、一礼した後、再び走り去っていく。
それを見届けてから、陣幕の中に置いてある柳葉刀を取りに向かう。


「……そういえばー、副官様ー?」

「ん、何?」

「もしかしなくても、私と2人で戦場の真っ只中に行く気ですかー?」

「その方が、俺が逃げ出した時に、すぐに見つけられるだろ?」


思いっ切り目を開けて、ビックリした、って言うのを表現してきた。
……面白いな、この表情。

ま、正直に言えば、これは俺に対しての言い訳。
今更逃げだしたいとか、そんなこと言えないし、出来もしない。
虚勢を張ってでも、この場は出陣しておかないといけない。


「(……それが、恩返しになるのかは別としても、な)」

「……副官様ー?」

「行こうか、律が暴走する前に」


足取りを無理やりに早める。
今にも震えと吐き気で倒れそうな身体に、自分でも信じられないくらい鞭を打って……











「逆賊共!この私に、傷一つ付けられんのか!」

「調子に乗るなぁ、この女がぁ!」

「喧しい!」


ズバッ──


「ぎゃああああ!!」

「話にならん!貴様ら、それで本気──」

「律!」


駆けつけた時、律の顔や服の一部、そして得物の斧は、鮮やかな赤で染まっていた。
律の足元には、まさに今し方、絶命させた“人だった”ものが転がっている。
胃から込み上げてくるものを必死に抑えて、律と面と向き合う。


「もうすぐ本隊が来る!これ以上進軍して、兵力を浪費しないでって、賈駆からの伝令!」

「黙れ!この程度の輩共、私にかかれば造作もない!」


伝言の一部を変えてはいるけど、兵力の消耗を避けたいって言う、賈駆の意志は伝えた。
でも予想通り、律はそれに従おうとしない。


「でも!こっちも少なからず被害は出てる!退けとは言わないけど、もう少し──」

「くどい!何度も言わせ──背後だ、直詭!」

「──っ!」


背後から、鬼気迫りながら、刀を振りあげる男がいた。
その姿を見た瞬間から、やけに自分の周囲だけ、時間の流れが遅くなったように感じる。
同時に、周囲から音と言う音が消えていった。


「──……ぁ」


自分がその時、何て口走ったかも聞こえない。
右手に持っている筈の刀からも、その重量は消えていた。
いや、持っている感覚さえも、無くなったと言った方が妥当かな。

眼に映る光景には、色が無くなっている。
ただ、白と黒だけの世界で、淡々と事が起こっただけにしか、俺には認識できなかった。


「……き……直詭!」

「……っ、俺は──」


律が俺を呼ぶ声で、周囲の情景は元に戻った。
何があって、自分が何をしたのか、よく分からない……
でも、何故だか律の表情は明るい。


「ふっ……なかなかどうして、直詭も武人としての資質は持っていたと言うことか」

「……何が、どうなって……?」


眼に映っていた映像が再生されたのは、俺の足元に横たわる“それ”を視界に入れた瞬間だった。


「あ、あぁあ……あ──」


“それ”は、“人だった”もの。
仰向けに倒れている“それ”は、右のわき腹から斜め一直線に、頭を斬り裂かれたまま、ピクリとも動かない。
今ようやく、俺は認識した。
人を、ヒトを……


「……コロ、シタ……?」


認識して、初めて右手に感触が伝わってくる。
人を斬り裂いた時の、肉と骨の感触が……


「直詭?」

「副官様ー?」


俺の異変は、見ればすぐに分かるだろう。
何せ、立っているのが困難な位、全身が震えている。


「……貴様、名は?」

「は、はいー?」

「名乗れと言っている!」

「は、はいー!そ、曹性ですー!」

「……曹性、直詭を陣へと連れ戻せ。早急に、だ」

「ぎょ、御意ですー!!」


震えた身体が、律によって馬の上に投げられたことは実感した。
その俺の後ろに跨って、馬を走らせる羅々の気配も分かる。
ただ、陣へと連れて行かれる道中、消して止まない金属音と悲鳴が、俺を抉るような気分になって仕方がなかった。











「あ、賈駆様ー」

「曹性、だったよね。戦況はどうなってるの?」

「えっとー、華雄将軍が今、先陣切って戦ってますー。その勢いのおかげでー、敵が攻めあぐねてますねー」

「……あれ?白石はどうしたの?確か、律の抑え役を頼んだ筈だけど……?」

「あー、そのー、副官様はー、ですねー……」

「何?言いにくいことでも、ちゃんと言ってくれる?」

「はいー……副官様は今ー、衛生兵のところにー……」

「……っ!直詭、怪我した?」

「あー、いえー……そーゆーわけでもー……」

「……詳しい説明は良いわ。呂布、心配なら行ってきていいわよ」

「……………(コクッ)」











「……っげ、か……っは……!」


……朝食はそんなに取ったつもりは無い。
でも、胃の中から込み上げてくるものに、終わりがあるようにも感じられない。
口の中に、酸味がこびり付いて、尚のこと不快感が増す。

衛生兵が大量に置いて行った水筒の一つを取って、口の中を漱ぐ。
それで若干はすっきりするけど、まだ肩で息してるな、俺……


「(……こうなるって、予想はしてたんだけどなぁ……)」


人が死んだり殺される場面を見て、気分が良いと言う人はいないだろう。
実際、俺も今こうして嘔吐してるくらいだ。
……でも、俺の現状の原因は、「“その場面”に俺自身が加担した」のが大きい。

見ず知らずの、一度も言葉を交わしたことのない人を、俺は殺した。
殺した場面ははっきり覚えていない。
でも、手に残ってる“殺した感触”は、纏わりついて離れようとしてくれない。


「……直詭?」

「え……恋?」


声のする方に顔を向ければ、紅い髪の少女が心配そうな面持ちで、陣幕の入り口に立っていた。
今更だけど、俺は簡素なベッドみたいなものに腰掛けてる。
そのすぐそばに、結構深く掘られた穴があいてる。
理由は……まぁ、察してくれると嬉しい。

そして、俺の向いている方向は、入って来た恋に背を向ける形になってる。
言わずもがな、振り向いた俺の顔色を見て、恋が駆け寄って来た。


「直詭、それ……?」

「あ、ゴメン……見たくないもの、見せちゃったな」


掘り返されて盛られた土を、穴の中に蹴落とす。
耳障りな音が聞こえて、それ以外に音は無かった。


「……俺、さ?人を殺した経験なんて無いんだよ。だから、こんなに気分が悪くなるなんて、想像もつかなかった……」

「……………」

「……ハハ、まだ震えてるや。情けないよな、俺って……?」

「……!(フルフル!)」


今まで見たことがないくらいの、恋の強い否定。
そのすぐ後、何を思ったかは分からない。
俺の横に座って、強く俺のことを抱きしめた。


「ちょ、恋──」

「情けなく……ない」

「え?」

「間違って……ない」


女の子のそれらしい、柔らかい腕。
そこには力強さももちろんあった。
でも、それ以上に、優しい心地よさが伝わって来た。


「……………」

「……………(コクッ)」


少し顔を上げて、恋の目を見る。
小さく無言で、俺の意を察してくれたのか、頷いてくれた。
今の俺には、何一つ言ってくれないことが、何よりも嬉しかった。


「……あのさ、恋?」

「……………?」

「我儘言うようで悪いんだけど──」


もう、震えは止まっていた。
吐き気も失せていた。
恋がくれる温もりが、心に染み渡っていく。


「……もう少しだけ、このまま──」

「……………(コクッ)」


優しくて、どこか強さを感じる、そんな笑顔だった。



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