虎の章/第31’話『消えていくモノ』


思考が停止する時ってのは色々ある。
目に映ったものが理解の範疇を超えていた時とかがその殆どを占めると思う。
他には、そうだな……
……無意識に理解したくないと判断した時、とかかな……


「……………」

「……ア、アレ……?」


目の前に立っているのは間違いなく羅々だ。
左手に弓を持って、少しだけ汗をかいていて、それで……
その首を……一本の矢が貫いていた……


「っ!?羅々!」


急速に運転を再開した思考が体を突き動かす。
半ば無意識だ。
そのまま羅々に駆け寄ると、俺の腕の中で力が抜け落ちていった。


「……ぁ、ぅ……ぇあ……」

「喋るな!っく、こういう時は──」


矢を引き抜くべきか?
いや、傷口を開けば一気に出血する。
周りの兵たちにも動揺が走ってる。
……くそっ!


「(……この状態じゃ指揮なんて無理だ……!)」


目の前の状況で、俺もパニック状態だ!
それに、この場にいる全員の心理状態から考えても、羅々を放置することは無理……
どうする……どうする?!


「み、御遣い様!」

「何だ?!」

「か、華雄様の部隊が……!」

「チッ……!全員、洛陽に帰還しろ!」

「へ?」

「聞こえなかったのか?!これ以上戦線を維持するのは最早不可能だ!すぐに洛陽に戻って、月さんたちの護衛に尽力しろ!」

「み、御遣い様はどうされるので?!」

「……今は構うな……行け!」


怒鳴り散らす俺なんてめったに見せない。
兵たちの動揺が大きくなったことなんてお構いなしだ。
今はただ、指示に従ってもらうことしか考えてない。


「し、しかし!御遣い様を残して──」

「いいから行け!月さんの身に何かあってみろ?その時はお前たちを俺が殺す!」

「っ?!わ、分かりました!」


一人の兵の指示の元、他の兵たちも引き上げていく。
俺に一声かけながらっていうのは今はどうでもよかった。
やがて、羅々を抱き抱えたままの俺だけ取り残された。
下の方から聞こえる金属音や悲鳴がやけに小さくなった気がした。


「……ぁ、ぅぐ!」

「お、おい羅々?何を──」


俺が問いかける前に、羅々は自ら矢を引き抜いていた。


「っ!?」


傷口から鮮血が噴き出す。
俺の顔や服をその血が汚したことに気がつかない。
それほどに……羅々は、なぜだか、笑顔だった……


「ぇ、えへへ〜……失敗ー、しちゃいましたー……」

「……ま、待ってろ?今すぐ衛生兵を呼ぶから!」

「いーですよー……こんな傷じゃー、どの道助かりませんよー」


……言葉が詰まる。
何て声をかけてやればいいかが分からない。
何もしてやれない自分の無力さが恨めしい。


「……やっとー、ですねぇー……」

「え?」

「こんな時なのにー、御遣い様に抱かれてるってー、嬉しくてー……今はただー、私だけがー……御遣い様をー、独り占めですぅー……」

「……バカ野郎」


こんなに近くにいるってのに……
こんなに強く見つめているのに……
今にも羅々が消えてしまいそうで怖い……
怖くて怖くて……声が震えて……


「御遣い、さまぁー……」

「……こんな時くらい名前で呼べよ」

「いーんですかー……?」

「……あぁ」

「じゃ、じゃぁー……ナオキ、さまぁ……」


羅々が俺の首に腕を回してくる。
……したいようにさせる。
今から羅々が何をしようと、俺はそれを受け入れる。
たとえ……一緒に死んでほしいといわれても……俺は──


「私はー……ナオキ様が好きでしたぁ……」

「あぁ」

「や、優しいところもぉ……厳しいところもー……でも一番はー……弱い部分を見せてくれるところがぁ……一番好きでしたぁ」

「あぁ」

「こんな……ゴホッ!……こんな私なのにぃ、ナオキ様はぁ、いつだってー……」

「……もういい。喋るな」


嘘だ……
まだまだ俺は羅々の声が言葉が聞きたい。
もっと喋って欲しい。
今まで言えなかったようなことまで全部、全部聞きたい……


「……ぁ、アレぇ……?ナオキ様ぁ、私何だかー……眠くなってきてー……」

「寝付くまでこうやっててやるよ」

「それもいぃんですけどぉ……我が儘、言って、いぃですかぁ?」

「好きなこと言いな」

「じゃー……キスしてほしいですー……」

「どこにしてほしい?」

「やっぱりぃ、口にー……」


羅々がそっと目を閉じる。
胡坐をかいて、その膝の上に羅々を乗せる。
そして、出来る限り優しく、口を口で塞いでやる。


「ぁむ……ちゅ、はむ……」

「ん……ぇろ、ちゅ……」


少し汗で湿った唇はしょっぱくて……
でも、女の子らしい柔らかさと甘さがあって……
まだどこか火照っていて……


「これでぇ……よくー、寝れそーですぅ」

「そっか」

「寝ちゃってー、いぃですかぁ……?」

「あぁ」

「……ナオキ様ー」

「……何だ?」

「私ぃ……こんなにぃ……幸せですよぉ……?」

「……あぁ」

「おやすみ、なさ──」

「……おやすみ」


俺の首に回っていた羅々の腕から力が抜けて……
重力に従順に落ちていった。


「羅々……?」


もう返事はない。
閉じた目が開くこともない。
分かってる……そんなことは分かってる……


「……………」


拳を握りしめる。
血が滲むほど、痛みでおかしくなりそうなほど、強く強く握りしめる。

……ここへ来た理由は何だった?
羅々を俺が守るためじゃなかったか?
なのに……この結果はどうだ?


「……くそったれが……!」


自分に向けての罵声……
それ以外に何も聞こえないほど辺りは静かだった。


「何が怖いだ……何が守るだ!結局……俺は無力なだけじゃないか!羅々も、律も、霞も恋も音々音も……何一つ守れない無力な──」

「その頸貰った!」

「っ?!」


意識の外から、凶刃が迫ってきた。
それに気づくのが遅れた。


「あぐっ?!」


何とか立ち上がって後ろへと飛び退く。
ただ、羅々の身体を抱えたままでは、完全に回避は出来なかった。
一瞬にして左目から光が消えて、激痛が襲い掛かってくる。


「うぐっ……!」

「チィッ、外したか!」


敵兵……いつの間に……?
……いや、羅々に意識を取られ過ぎていただけだ。
律の部隊が敗走したって言うなら、門内に侵入されてもおかしくない。


「思春殿!」

「思春!」


……ここで追い討ちってか?
今し方俺の目を奪ったやつの後ろに、もう二人の敵兵が現れる。
……ん?
片方、知った顔だな。


「えっと……そっちの方」

「私ですか?……あれ?確か豫洲で……」

「あぁ。周泰だっけ?一応は久しぶりと言っておくよ」

「明命、知っているのか?」

「あ、はい。白石直詭さんと仰って……」


周泰ってことは、残りの二人も孫策の部下だろう。
一人は髪をお団子にして褌がチラッと見えるような服を着た、俺の目を切った女性。
もう一人はボサボサの金髪でボーイッシュな服とズボンを着ている女の子。
……一応は名前でも聞いておくか。


「んで?残りの二人の名前は?」

「逆賊に名乗るななど無い」

「いや、聞かせてもらう。これから討ち取る相手の名前を知らないんじゃ、名乗りを上げられないだろ」


羅々の身体を横たえ、抜刀する。
……不思議と左目の痛みが引いた。
理由は分からない。
ただ、この状況だとありがたい。


「……まぁいいだろう。私は甘寧だ」

「オレは凌統。これからお前を殺す女の名前だ、覚えておけ!」

「よく覚えておく……」


……大きく息を吐き出す。
痛みも理性もどこかへと消えていった。
今は、この場に犇めく狂気に身を委ねる。


「鈴の音と共に死ね!」

「……断る」


甘寧が突貫してくる。
逆手に持った幅広の刀が、的確に俺の左首筋を狙ってきた。
威力よりも速度の方が恐ろしい。
……ただ──


「生憎、一緒に死んでほしいとは言われなかったんでな」

「っ?!」


体を屈めて刃を避ける。
そのまま甘寧の懐まで一気に潜り、刃を突き立てる。


「思春殿!」


……金属音が鳴り響く。
俺の刃を周泰の刃が止めた。
ただ、そこで向うの行動が全て終わったわけじゃない。


「せいやぁぁぁぁぁああああ!!」


二人を飛び越えるように跳躍した凌統が、長棍を振り下ろしてくる。
避けそこなえば頭蓋骨が砕けるだろうな……
だから──


「何っ?!」


そのまま甘寧に突進する。
凌統の攻撃を避けようとしていた周泰も巻き込む。
武器を振り下ろした先に味方がいるため、凌統も攻撃を躊躇する。
その隙を見逃す手はない!


「ふっ!」

「はぅっ?!」


まずは俺の斜め前にいた周泰の鳩尾に拳の一突き。
そちらに意識が傾いた瞬間に、甘寧の顎を蹴り上げる。


「あがっ?!」

「思春!明命!」

「仕上げだ!」


まだ完全に着地しきっていない凌統に刃を振るう。
二刀まとめて横に薙ぐ。
完全に踏ん張れない凌統はそのまま威力に負けて横に飛ぶ。


「痛っ!」


城壁の壁に背中を打ち付けたらしい。
見た感じ、すぐに動けそうなのは、周泰と凌統だろう。
甘寧の方は、意識はあるけど焦点が合ってない感じに見える。
だから、周泰と凌統に向けて刀を突きつける。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


自分の息が荒いのがよく分かる。
ただ、思考も体の動きもいつも以上に早い。
3人もまとめて相手にするなんて経験はほぼ皆無……
なのに、俺の身体は的確に動いてくれる。


「……強い……!」

「くっ……!」

「……………」


周泰は甘寧を庇うように俺に刀を向けて来る。
凌統も、何とか体を起こして長棍を向けてきた。
片方の目しか使えなくても、今は殺気や感覚が鋭敏に働いてくれる。


「はい、そこまで!」


不意に、俺の後ろから声がした。
聞いたことのない声……
そこからは殺気が微塵も感じられない。


「……誰だ?」


周泰たちから意識を逸らさないまま、背後の人物に話しかける。


「私?私は孫策。あなた強いのね」

「……孫策、だと?」


首だけ後ろに廻してその姿を目に収める。
桃色の長髪を揺らして、真っ赤な服に身を包んでいる。
右手に持っている長剣は、どこか赤く光っていた。


「雪蓮様、なぜここに?!」

「あなたたちの帰りが遅いから見に来たのよ。大丈夫?」

「こいつは危険です雪蓮様!オレたちに任せて、お引きください!」

「ダメよ。あなたたちじゃ相手にならないわ。特に──」


孫策が俺を見てニヤリと微笑む。
俺もそれを見て、孫策の方へと向き直る。


「死なない覚悟を決めてる相手は、ね」












後書き


書いてみたかっただけのオレっ娘w
……すいません。
何か羅々の死亡回避を望む声があったようですけど、回避せずに進めてしまいました。
直詭にはこれを乗り越えて、精神面でも成長してほしいので……
……回避する方向を考えてなかったのもありますが、ご期待に沿えず申し訳ないです。

では次話で



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