虎の章/第61’話『殺意を前にして』


「アニキ、食わねぇの?」

「………………」

「雪蓮様……アニキ、どうしちゃったんすかね?」

「さぁね?でも、直詭の事だから何か重要なことで悩んでるのよ、きっと」

「ん〜……今何か悩むことなんてあるっすか?」

「それは直詭じゃないと分からないわね」


于吉の元を後にして、李緒の行き付けの店での食事。
この店は俺も何度も来たことがある。
だからいつもと同じメニューを頼んだ。

……けど、味を理解できる状態じゃない。
頭の中を占めているのは于吉の示したあの文章。
折角の料理が冷めてしまうことすら気にもならない。
それほどまでに鮮烈で凶悪だった。


「なーおーき!」

「………………」

「……コレはダメね、私の声も聞こえないくらいだもの」

「アニキ、二口くらいしか食ってねぇのに……」

「私たちはとっくに食べ終わっちゃったものね」

「……どうするっすか?」

「そうね……もう少しだけ待ってあげましょ?直詭がこれだけ悩むってことは、きっと私たちに関することだと思うの」

「オレたちに関することっすか?」

「えぇ。だって直詭って、基本的に他人の事を優先するでしょ?」

「そうっすね。ってことは、さっきの占いで何かあったんすかね?」

「その可能性が高いわね。どうやったかは知らないけど、占いって言う名目で何かを伝えてきたって考えるのが自然じゃないかしら」

「伝える?何か書いてあったんすか?」

「少なくとも私は知らない文字だったわ。けど、直詭のいた天界では使われていた文字かも知れないでしょ?」

「……となると、あの占い師とアニキには、その文字が読めて──んん?でも、読めてたんなら、何であの占い師はその中身を話さなかったんすかね?」

「可能性としては二つ……大凡の内容が分かるだけで文字を理解しているわけでは無いか、もしくは──」

「……もしくは?」

「──わざと話さなかったか、ね」


周りが見えないくらい、周囲の声も聞こえないくらい、今の自分が考え込んでるのは理解してる。
雪蓮と李緒からすればあからさまにおかしいってのは分かる。
けど、俺の本能が考察を止めようとしない。
その原因はすぐに心当たりが付いた。

あの占い師──于吉……
三国志演義を読んでれば、その名前が意味することを想像することは容易い。
そもそもあの砂を動かす占いも、考えてみればおかしいことだらけ。

俺に関しては“過去”を見たくせに、雪蓮の場合は“未来”を見た。
俺も雪蓮も別にリクエストはしてない。
于吉が勝手に読み取ったような形だ。
いや、どんなトリックを使ったかは分からないけど、敢えてあの文章を俺に見せてきた可能性がある。
俺たちが占って貰うって言ってから、あの盆や砂を用意してたからな。
それまでの他の客には別の占いをしてたんだろう。


「……………」

「……えいっ♪」

「うぐっ?!……え?」

「ほら直詭、そろそろ屋敷に戻るわよ」

「……………あ、あぁ……分かった」

「けどアニキ、全然食ってねぇけど大丈夫?」

「へ?……あー、そう言えば……」

「もうとっくに冷え切っちゃってるわよ?食べるなら待ってあげるけど」

「……冷めたのは俺の責任だし、コレを廃棄してもらうのは勿体ねぇ」


この店で頼むのは決まって麻婆豆腐。
他の店と比べると甘みが強めだ。
顔なじみってこともあって、店主のおばちゃんが態々スープまでつけてくれた。
それを残すのはあんまりな話……


「悪いけど、食べ終わるまで待ってくれるか?」

「えぇ、構わないわよ」

「じゃあオレ、桃まんでも食おっかな」

「あ、李緒だけズルいわよ?」

「けど雪蓮様、さっきは『太るから私は食べない』とか言ってませんでした?」

「直詭を待ってる間に、さっき食べた分はとっくに消化してるわよ。そんな訳で、私も食べる〜♪」

「……そんなに待たせたんだな。じゃあ、今日は俺が奢るよ」

「え、アニキいいの?」

「直詭ってば太っ腹〜♪」

「あんまり食い過ぎてくれるなよ?」











屋敷に戻った後、それぞれ部屋に向かった。
蓮華たちが出立する前に、冥琳から片付けるように頼まれてる書簡がいくつかあるからだ。
けど、今の俺にはそれを処理できるだけの余裕がない。
自然と足が向うのは──


「あら直詭」

「え、雪蓮?」

「武器庫に何か用事?」

「いや、えっと……そう言う雪蓮は?」

「私?私は得物を取りに来たの」

「得物を?」

「えぇ。いつでも使えるように部屋に置いておこうと思ってね」

「いつでもって……別にどこからか刺客が来るわけじゃねぇだろ?」

「さぁ、どうかしら」

「……………」

「……それで、直詭は?」

「……俺も、雪蓮と同じで、得物を……」

「ふふっ、私には要らないとか言っておいて、自分は用意するの?それっておかしくない?」

「……………だな。どうも、今の俺は少しおかしくて……」

「別におかしくはないわよ?」

「え?」


俺の心中を察してくれてるのか、雪蓮は穏やかな笑みを向けてくれている。


「冥琳からの仕事を直詭がサボるなんて、普通に考えて有り得ない。仕事よりも優先すべき何かがあって、武器庫まで足を運んだんでしょ?」

「……あぁ」

「直詭が何かを考えてるのは、さっきのお店ですぐに分かったわ。だから、私も用心しようって思ったの」

「それで得物を……」

「母様から譲り受けた剣は、今は蓮華が持ってるからね。その代りにはなるけれど、私が宝剣を譲り受ける前まで使っていたものなの」

「それは信頼できるな」

「でしょ?」


二人で武器庫に入って、各々得物を手にする。
鞘から少し抜いて、刃に映ってる自分の目を確認……
……やっぱり、不安や怯えが宿ってる目をしてる。
仮に雪蓮じゃなくても、今の俺の心中を察するのは易いだろう。


「じゃあ直詭、私の部屋に来てくれる?」

「分かった」


雪蓮の言葉に即答していた。
そのことに、お互い少し驚いた風で……
……でも、すぐに頷き合って歩を進める。
李緒は兎も角、女官たちともすれ違うことは無かったから、部屋に到着するのはあっという間だった。


「……直詭、その怖い顔やめたら?」

「本能的に気が抜ける案件じゃねぇんだよ……」

「それは……私の命に関わること?」

「……気付いてたのか?」

「何となくね。こんなに早く、親衛隊長の役目を果たしてくれることになるとまでは思ってなかったけど」

「……果たせればいいけどな」

「あら、自信ないの?」

「白状すれば、な」


雪蓮はベッドに、俺は椅子に腰かけて話を始める。
正直、目を見て話をできる心境じゃない。
……けど、話さないといけない。
どんな風に話しても、きっと雪蓮は聞いてくれる。
俺がそう信頼してる様に、雪蓮も俺のことを信頼してくれてる。
なら、きちんと話さないと──


「……ねぇ直詭?」

「ん?」

「順序立てて説明してもらってもいいのだけど、私が気になることから質問しても良いかしら?」

「……そうだな。そっちの方が、俺も話し易いかもしれない」

「じゃあ早速……あの占いで使われた砂が示した文字、アレは直詭の知ってる文字だったのよね?」

「あぁ」

「と言うことは、何が書かれていたか……直詭は理解してる。そう捉えて問題ない?」

「問題ない。雪蓮を占うって形で示された文字は、単刀直入な殺意の表明……」

「……どういう事が書いてあったの?」

「そのまま読み解けば……『私はあなたを殺します』だ」

「……へぇ?」


にんまりと笑ってみせる雪蓮。
気にも留めてないんだろう。
俺も普通だったら適当に流すような案件……
……けど──


「随分と余裕だな」

「あら、素敵な恋文だと思うけど?」

「……いつもだったら、俺もそう思うかもな」

「じゃあ……“今”そう思えないのはどうして?」

「俺の世界でな、とある有名な逸話があって、それのせいだ」


孫策と于吉──
三国志演義を読んだことがあるなら、この組み合わせの凶悪性は理解できると思う。
そう……その辺の奴が殺意表明したって、別に俺もそこまで深刻に考えない。
……今回は、相手の名前が問題だ。


「実際には夭折したらしいんだけど、孫策は于吉に呪い殺されたって言う話がある」

「さっきの占い師もそう名乗ったの?」

「あぁ」

「ふ〜ん、成程ねぇ」


相変わらず笑みを崩さない雪蓮。
まるで……自分は殺されないって自信でもあるみたいだ。


「……俺としては、看過できない案件でさ」

「直詭にしては珍しいわね」

「そうか?」

「えぇ。歴史を知っていても、今直詭がいるこの世界とは別物……だから知っていても口に出すことはしない。普段はそういう風にしてるじゃない?」

「……俺、そこまで話したことあるか?」

「元いた世界の話は偶にしてくれるでしょ?でも、誰かが死ぬとか、どういう戦が起こるかとか、そう言った話は一切してなかった」

「まぁ……確かにそういう風にしてたけど……見抜かれてたってなると恥ずかしいな」

「そう?私としては嬉しいんだけど?」

「嬉しい?何がだ?」

「私たちと真正面から向き合ってくれてることがよ。直詭にとって過去の傑物なら、それなりの先入観とかあってもおかしくないのに、私たちの事を一人の人間として見てくれてる」

「……それが普通じゃねぇの?」

「そんなにハッキリ言えちゃうの?かっこいいわね♪」

「茶化してんじゃねぇよ……」

「董卓の所にいた時からそうだったんでしょ?じゃなきゃ、虎牢関で戦が起きることを知っていて、その回避策を献策しないのはおかしいわよ」

「……そこは違ぇんだよ」

「へ?」


月さんに仕えていた時の事、今でもはっきり覚えてる。
数々の逸話から、董卓と言う人物に対しては、“稀代の極悪人”という先入観があった。
けど、月さんと向き合って、この世界の董卓はそうではないと証明してもらった。
だから……──


「俺は……逃げたんだ。目を向けようとしなかった」

「……と言うと?」

「反董卓連合が結成されることは、歴史の流れから知ってた。けど、その人となりとかを見て、戦が起きなければいいって……そんな淡い願望に縋って、現実を直視しようとしなかっただけだ……」

「……ねぇ直詭」

「……何だ?」

「“もしも”って言葉を現実にできるとして──もしも過去に戻れたら、董卓の為に歴史の流れを話すの?」

「……分からねぇ……けど──」

「……けど?」

「これも願望の話になるけど……違う形になるように動きたい。俺は月さんの事──」


……そこまで言いかけて、口を閉ざした。
片目を失ったとは言え、洛陽に戻って月さんを護らなかったという事実がある。
戻れる状況じゃなかったかもしれないけど、それをしようと思考を働かせなかった。
そんな俺が、今更──


「……昔語りもいいけど、今の事に話題を戻していいか?」

「えぇ」


心中を察してくれたのか、雪蓮の表情は穏やか。
お蔭で救われる気分だ。


「──……それにしても」

「ん?」

「何だか静かすぎない?給仕の足音も聞こえないし……」

「言われて見りゃ確かに……」

「……何?嵐の前の静けさとでも言うのかしら?」

「対処できる程度の嵐ならいいんだけどな」

「ふふっ、大丈夫よ」

「何がだよ?」

「だって、直詭がいてくれるから」

「……………」

「私の事、護ってくれるんでしょ?」

「……あぁ、必ず」


二人とも表情が綻んで──


『失礼いたします』


──絶望が自然な足取りでやってきた。










後書き

遅くなってすいません。
言い訳はやめときます。
コレが私の力量です。
……もっと精進しますw



ではまた次話で



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