自分の耳が信じられませんでした。

 いえ、信じたくはありませんでした。

 それは確かに待ち望んでいた「あの人」の情報であったというのに。

 私たちが最も望まない最悪の展開だったから。

 動揺と混乱、悲しみと焦り。

 未だかつてないほどに心を乱しながら、それでも私は考えなければいけません。

 なぜなら、私は艦長であり、「あの人」の家族なのだから。

 もう、ただ泣き喚くだけの少女ではありません。いいえ、あってはいけないと。再びナデシコに乗るあの日、私は他でもない「あの人」たちにそう誓ったのだから。

 結果として「あの人」たちは生きていてくれましたが、その思いは変わりません。

 心に帳をおろしましょう……思考は冷静に、事実を受け入れ、今取りえる最高の選択を。

 まずは、大至急本部に戻り迅速な情報の確認と対応策を検討

 しかるのち出撃し、これを奪還。ついで拘束、そして説得。

 頭の中で次々とくみ上げられるプランを冷水代わりに頭を冷やします。

 気づけば、ずいぶん動揺したのでしょう。喉がカラカラに乾いていました。

 背後のテーブルに置かれた紅茶と、ソレを振舞ってくれた二人を意識に呼び戻します。

 初対面なうえに随分怪しい人たちではありましたが、今はその存在が素直にありがたい……

 なにせ、水気をなくした喉はその一杯を無性に求めていましたから。


 機動戦艦ナデシコ 「IMITATION HEAVEN」
 〜第三話「囚われの王子さま、旅立ちの妖精」〜





「っぐ!」

 暗く無機質な部屋にくぐもったうめき声が響く。
 部屋の入口に立つ、赤とカーキ色の軍服の一団は、あるものは冷ややかに、あるものは憤怒に、そしてあるものは嘲笑をその顔に貼り付けて、声の主を眺めていた。
 声の主は一人の青年だった。歳は若い……と思うが、外見からそのおおよそを図り知ることが非常に難しい。
 なぜなら、青年は真っ黒だった。
 それは比喩でもなんでもなく、青年が身につけている物は全て黒一色に統一されていた。そのせいで青年の様相は、そのインパクトを除いて非常にあいまいなものになっている。
 顔を覆うバイザー、体を覆うマント、コレだけでも体のほとんどを覆い隠してしまっていて年齢や素性が分りにくいというのに、さらにその下には、体にぴったりと合うコレまた黒のボディスーツを着用している。
 明らかに「やりすぎ」な格好だが、青年の醸し出す雰囲気には返ってソレがよく合っていた。すなわち、暗殺者や特殊工作員といった類の人間と、青年の持つ雰囲気は酷似していた。

 その青年が、冷たい床に打ち捨てられたように転がっている。
 両手両足は拘束され、口には自殺防止のためのギャグボールまでかまされる徹底した拘束。
 よく見れば、青年の顔には多くの生傷があり、バイザーはひび割れ、ボディスーツやマントにも所々痛みや汚れが目立つ。ついさっきまで、青年は入口に立つ一団からの暴行を受けていたのだ。
 良識的なものが見れば、その一方的な仕打ちに非難の声を上げたかもしれない。
 しかしある側面、入口に立つ軍服の一団側から見れば、むしろこの程度で済ましたことに対して感謝の言葉をもらってもいいくらいだった。
 なぜなら、目の前でうずくまる青年はこれまでに何百という自分たちの同士を手にかけ、あまつさえ彼らの大願を破滅へと導いた大罪人だからだ。
 『思い出すだけで忌々しい』と彼らは顔をゆがめる。
 そもそも、そこまで憎い相手をわざわざ生かしているのは、現在の彼らの暫定的なトップが青年には利用価値があると言っているからだ。
 その人物はもともと研究畑の人間だったが、さきの戦い―――世に言う「火星の後継者の叛乱」において、指導者クサカベ=ハルキ元木連中将の片腕として働いていたという優秀な人物だった。
 そして、その優秀さゆえ、多大に歪んだ部分も持ち合わせていた。

 倫理を無視した人体実験。

 欲望を追求した非道な研究。

 人を人とも思わぬゴミ同然の廃棄処理。

 それはまともな人間のやることではない……ゆえに、彼はマッドサイエンティストと呼ばれた。
 自らの知識欲を満たす。そのためならいかなる犠牲も踏みにじる。踏みにじるという自覚も無しに……
 その男が、青年―――テンカワ=アキトに利用価値があるという。どういう意味での発言なのか?想像するのは容易く、そしておぞましい。
 確かなことは、それが恥辱と汚辱を極めた倫理を陵辱する非人道的なものである、ということだけ……
 怨敵の未来に強者特有の優越感から来る哀れみと、それ以上の愉快を感じて、一団はアキトを見つめる。あざける。つばを吐く。

 やがてそれにも飽きたのか、やかましく扉を閉めて彼らは去っていった。あとには身動きできないアキトが一人残される。
 部屋には照明がついておらず、先ほどまでの入り口から差し込む光がなくなった今、部屋は完全な真っ暗闇と化していた。自らの手すら見えないその闇の中で、アキトの体がうっすらと光を放つ。
 過去に火星の後継者によって捕らえられたときに打ち込まれた複数の正体不明のナノマシンが放つ光だった。それらはアキトの感情が昂ぶったとき、その振幅にあわせて光を放つ。
 「まるで漫画だ」と、かつて彼が大事に思っていた少女にも告げた、新型ナノマシンの人体投与実験の副作用だった―――
 ナノマシンたちが放つ光は徐々にその強さと加速度を増していく。それは、アキトの怒りの印だった。
(チクショウチクショウチクショウチクショウ!チクショウ!!)
 声にならぬ悔しさが、心の中で暴れまわる。
 
 ほんの数分前、半壊した愛機から引きずり出された格納庫でアキトは件のマッドサイエンティストと引き合わされた。その顔を見たとき、拘束されていることも忘れて、アキトはその男に飛び掛った―――いや、飛び掛ろうとした。
 五感補助の八割を失ったアキトの身体は、その激情とは裏腹にひどく緩慢で、アキトはすぐに格納庫の固い床に組み伏せられた。それでも、視線だけでも殺すと言わんばかりの勢いで睨みつける。
 その視線を浴びるマッドサイエンティスト―――ヤマサキは『おお〜、怖い怖い』と、明らかにふざけた調子で怯えて見せた後、アキトに言い放った。

『今度はちゃんと家族仲良く「埋めて」あげるよ』と。

 その言葉を聴いたとき、アキトの心には一瞬の空白が生まれた。

 イマコイツハナニヲイッタ?

 カゾク?ダレノコトダ?

 キマッテイル―――ジブンノカゾクトヨベルノハ、アノフタリ……

 それに思い至った瞬間、アキトの身体は上からのしかかる重圧すら押しのけて跳ねた。ナノマシンが放つ燐光は瞬間的に最高速まで達し、拘束された腕に変わって、直接、己が牙で食い千切ろうと疾駆する。
 目も耳も封じられ、敵の正確な位置すら分からないはずなのに……ただ怒りと憎しみだけでそれを察知し、噛み付こうとする様は、まさに「獣」だった。
 しかし、その牙がヤマサキの喉、頚動脈を噛み切る寸前、アキトはヤマサキの隣に控えていた兵士に銃床で弾き飛ばされた。
 呻き、崩れ落ちるアキト。殴られた衝撃でバイザーがひび割れ、ただでさえ怪しかった視界がさらにぼやける。
 再度立ち上がろうとするが、二度目はなかった。先ほど跳ね飛ばした拘束の兵士は怒り心頭で、倒れたアキトを蹴りつけどつきまわす。
 一人がそれを始めれば、その場にいた者の中でも、特にアキトに恨みを持つ者もそれに加わり、様相は一気に集団リンチへと発展した。
 『あんまりやり過ぎて壊さないようにね』そんな言葉をその場の兵士に投げかけ、ヤマサキは笑顔で退場して言った。リンチはその後、加害者側が一応の満足をするまで続けられ、その後アキトは監獄代わりの独房にぶち込まれた。

 悔しさの中、アキトは考える。
 敵の狙いは恐らく、自分を囮にユリカとルリをおびき出すこと。
 アキトが囚われていると知れば、あの二人は必ず助けに来る―――かつてのアキトがそうだったように、それは確信を持って言える事実だ。
 敵はてぐすね引いて、それを待ち受けるだろう。「アレ」の存在もある……ラピスがうまく逃げ延びてくれていれば、その存在はアカツキたちからルリとユリカにも伝わるだろうが、それでも状況が輪をかけて最悪であることは変わらない。
 切り札は、敵のほうが多い。
 そして、自分もその切り札の一枚であるということがアキトを苛立たせる。
 敵の狙いも彼女たちの行動も予想がつくのに、囚われの身では何もできない―――

 何より……殺したいほど憎い相手に利用され、世界を敵にしてでも守りたかった者たちを危険にさらす事と、それを阻止する術を持たない『弱い自分』への不甲斐なさが、アキトを攻め抜き、焦がしていた。
 噛み締めた唇から血が流れ出ることにすら気づけぬまま、アキトはただ冷たい床を、見えない目で見据えていた。


×××


 連合宇宙軍本部ビルの最上階に近い一室。
 厳重な警備と監視装置に守られた一角にある総司令室では、数名の男女が深刻な表情で会議テーブルを囲んでいた。
 U字型のテーブルの上座、総指揮の位置に連合宇宙軍のトップであるミスマル=コウイチロウ、その脇に参謀のムネタケ=ヨシサダ、アキヤマ=ゲンパチロウが控え、U字の右側にはルリとユリカを初めとした「ナデシコ」の主だった面々が。
 そして左側には、この会議室で一際異彩を放つビジネススーツ姿の一団がついていた。

 ネルガルコーポレーション。
 スーツ姿の一団が所属する組織……企業の名。

 それは、ナデシコを生んだ者たち。
 かつての戦争で、ナデシコ単艦による火星到達という偉業を成し遂げ、さらにその後の戦局に大きく貢献した。いわば、戦争の影の功労者にして黒幕その一。
 戦後はそのお株の多くをクリムゾングループに奪われ衰退の道を歩んでいたが、それでも彼らはネルガル―――アジア最大、最強の大企業だった。
 そのネルガルの中でも重役中の重役たちがこの会議室でルリたちと同じ卓についている。
 ルリやユリカからすれば、それは馴染みの深い面子だった。
 会計監査およびネルガルシークレットサービス主席のプロスペクター(偽名)。同じくシークレットサービスの重鎮であるゴート=ホーリー。会長の右腕、副会長エリナ=キンジョウ=ウォン。そして、ネルガルのトップ、現会長アカツキ=ナガレ。
 肩書きだけ見れば、雲上どころか影の中の人間ばかりだが、ルリやユリカたちにはそんなことは関係なかった。なぜなら、彼らもまた、アキトと同じように共にナデシコで戦った仲間であり戦友だからだ。
 今、彼らがここにいるのも半分はそれが理由であり、残りの半分は、彼らこそが、復讐人となったテンカワ=アキトを支援してきた者たちだからだった。

 そして、火星の後継者によるアキト捕縛の報をコウイチロウに伝えたのも他でもない彼らだった。
 全員が着席したところで代表であるアカツキが話を切り出す。

「本当は軽妙なトークの二、三も披露したいんだけどね。正直それどころじゃないし、それ以上に隣のお姉さんがピリピリしてて怖いんで、スパッと結論から言おう。―――テンカワ君が火星の後継者に捕まった。これは聞いてるよね?」

 ルリが真剣な顔で頷く。
「はい。だからこそ私たちは大急ぎで戻ってきたんですから」

「ああ、例のハッキング犯だっけ?なんか妙な連中だったらしいねぇ。格好とかイロイロと。そういえば彼ら―――わかってる。わかってるからそんな怖い目で見つめないでくれないかなエリナ君」
 脱線しかけたアカツキを睨むエリナ。その目は心臓の弱い人なら卒倒しかねないほど恐ろしくつりあがっていた。
 古の蛇女すら真っ青な怒気のこもった視線に当てられ、アカツキは焦ったように話題を戻す。

「―――あー、コホン。で、まあ、みんな疑問に思っていると思うんだけど、なんでボソンジャンプできるはずのテンカワ君がむざむざ敵に捕まってしまったか?―――この理由が、まあ、僕らがここにきた理由でもあるわけなんだね」
 言外に「大変な理由」だと示すアカツキ。

 それはルリたちも気になっていた。
 考えてみればコレはおかしな話なのだ。ボソンジャンプできるはずのアキトが捕まったということもそうだが、それならそれで、なぜネルガルは単独で動かないのか?

 火星の後継者がその全貌を隠していたとき、それでもネルガルはその尻尾の一端をつかみ、それに対して独力で対抗していた。
 その結果が、アキトと彼に付き従うマシンチャイルド・ラピスであり、ブラックサレナとユーチャリスであり、そしてナデシコCだった。
 衰えたといっても最先端のさらに先を行く世界屈指の大企業。
 財力、兵力はそれこそ縮小中の宇宙軍はおろか、統合軍すら手玉に取り、ときには出し抜く。それだけの力があるなら、情報提供などせず、自分たちの力だけで始末をつければいいのだ。それだけの実力と実績があるはずなのだから。
 だが現実には、ネルガルは、たかが一兵のために自らの懐をさらしている。
 「火星の後継者は世界の敵!だから、公的機関に通報するのは市民の義務」では話が通じない。なにせ捕まったという一兵もまた、世界にとっては「犯罪者」なのだ。それを伝えることは自らが犯罪に加担していたことを証明するのと同義。
 自らが犯罪者をそのうちに囲い、あまつさえそれが敵対組織に捉えられたから力を貸して欲しいなど、おおよそ尋常な話ではない。

 ―――ならば、そこには理由がある。
 自らが犯罪に加担していた事を暴露してまで、ここに来なければいけなかったほどの理由が……
 息を呑む一同。
 コウイチロウも結果のみを語られ、その過程までは知らされていなかった。みなと同じように真剣なまなざしでアカツキを見つめる。
 全員の視線を受けアカツキは再度口を開き―――

「それじゃあ説『説明しましょう』」

 ―――切る前に、目の前に現れた大型の通信画面とそこから発せられた女性の声に、思いっきり発言を食われた。

「「イネスさん!?」」

「おひさしぶりね。二人とも」

 画面に映る白衣の女性―――元ナデシコ医療班ならびに科学班担当の説明好き、イネス=フレサンジュ博士がにこやかに挨拶した。
 そしてすぐさまその表情を真剣なものに改めると、「イネス君、僕のセリフを取らないでもらえるかな」というアカツキの言葉を完全無視して話を始めた。哀れ、元大関スケコマシ。

「まず、アキトくんが何故捕まったのか?これを説明するにはまず、この映像を見てもらわなければならないわ」

 言って、今までイネスが映っていた画面が小さくフェードアウトして画面の隅による。変わりに、あいた大部分のスペースに、今度は戦場と思しき、大小様々な光芒が瞬く宇宙空間の映像が映った。どうやら、船外カメラの映像らしい。話の流れから察するに、これはアキトの―――アキトについているマシンチャイルド・ラピスの乗艦である「ユーチャリス」が捉えた映像なのだろう。
 画面には多数の機動兵器と戦艦を相手に、その狭間を飛び交う漆黒の影がハッキリと映っていた。それは間違いなくアキトの「ブラックサレナ」だった。

「これはほんの数時間前。月近くであった火星の後継者残党軍との戦闘映像よ。見てわかるとおり、戦っているのはアキト君。彼らが月にある研究施設を襲撃するという情報を掴んだから、迎撃に出てもらったわけね」

 イネスが説明する間にも映像は進む。ユーチャリスからは無人機とグラビティブラストが放たれ。アキトはそれが効率よく機能するように敵をかく乱し、ユーチャリスに接近しようとする敵機動兵器と戦闘を繰り返している。
 大魔法を唱える妖精とそれを守る騎士といったところか、戦力的には厳しい条件のはずなのに、見た限りでは苦戦している様子などまったく見られない。
 軍サイドの皆に疑問の表情が浮かぶ。

「善戦……してますよね?」
「っていうか、ムード的にはもう楽勝だな……敵軍の大部分がもう逃げ腰だぞ」

 映像の中、最初の数合を打ち合った後、敵の大部分はアキトと一定の距離を取り、そこから散発的に攻撃を仕掛けてくるだけになっていた。

「そうね。あなたはどう見る?ミスマル=ユリカ」
 イネスはユリカに戦局に対する見解を尋ねた。
 真剣な面持ちで映像を見つめるユリカは、自らの考えを述べる。
「そうですね。たしかに状況はアキトに傾いています。でも……」

「でも?」

「なんていうか……敵の動きがおかしいです……なんだか手抜きをしている人がいっぱいいるっていうか……ううん、前衛と後衛で明らかに戦闘に対する温度差があるっていうか……」

「確かに」とルリが会話に混じった。
「兵力の割りに積極的に距離をつめてきませんね。接近戦の得意なアキトさんを警戒しているといわれればそれまでですが、それでも前衛と後衛がこんなに極端に離れていてはサポートどころじゃありません。戦う気が無いか……あるいは」

「「―――何かを狙っている」」
 二人の声が重なる。それを聞いて、イネスは出来の良い生徒を見るような顔で頷いた後、映像を進める。
「そう、そのとおりよ二人とも。やはり流石ね、コレを見てちょうだい」
 映像のなかでは、十射目に入ったグラビティブラストが旧時代の無人艦であるヤンマ級を掃討し、機動兵器戦闘も収束を見つつあった。遠巻きの敵第二陣(後退し様子を見ていた一団)は反転し逃走の構えを見せている。結局何事もなく戦闘が終了するかと見えた―――次の瞬間

 画面は、眩いばかりの光で包まれた。


×××


「え?」

 映像はそこで途切れた。あまりに唐突な幕切れにネルガル陣営を除く、その場の全員が言葉をなくす。
 今の光は何なのか?アキトはこの後どうなったのか?疑問が募る中、その答えは思わぬ方向から上げられた。

「い、今の光は……まさか!」
「アキヤマ君?」

 元木連の参謀、アキヤマ=ゲンパチロウが目に見えてうろたえていた。
 その見た目に反して冷静な戦略家でも彼は、先の戦争のさなかでも、その冷静さと豪胆さで数多の兵を引っ張ってきた。その彼が、誰もがはじめて見るほど激しく狼狽している。そんな姿を見るのは、木連時代からの部下であるサブロウタですら無かったことだろう。ゲンパチロウは現在の上司であるコウイチロウの声にもこたえず、ゲンパチロウは何も映らなくなった画面を驚愕の表情と瞳で見つめていた。

「―――フレサンジュ博士、今の光は……やはり、そうなのか?」
 『信じられない』と、イネスにたずねるアキヤマ。その答えは簡潔だった。

「ええ、そうよ。やはり、あなたにはわかるのね」
「そうか……奴等め、よりにもよってなんてものを……!」

 拳を振るわせるアキヤマ、二人の会話の意味が分からないハーリーが結局のところあの光は何なのかと先を促す。
 アキヤマは肩を震わせながら、搾り出すように怒気のこもった声でその問いに答えた。

「あれは……『核』だ。核の光だ」

「「「「核!!?」」」」
 全員の驚愕が一つに重なる。それは予想の遥か上を行く答えだった。しかし、それ以上の衝撃を受けた者が中にいた。
「ありえないっ!」
「「「「!?」」」」
 全員がアキヤマの答えに驚く中、サブロウタがいきなり立ち上がった。あまりの勢いに椅子が倒れ、やかましい音が響くがサブロウタの顔に、それを気にする余裕は無い。焦りと疑いと怒りがない交ぜになったような複雑な表情でサブロウタは続けた。

「火星の後継者には、元木連の連中が多くいるはずだ!その連中が、よりにもよって憎んでいるはずの核兵器を使うだなんて、ありえねぇっ!」

 それはむしろ、使っていないでくれと願うような気持ちだったのかもしれない。しかしイネスの冷静な一言がそれを否定する。
「でも現実に彼らは核を使っている」

「っく」

「木連の……いいえ、元火星の住民の悲惨な歴史は知っているわ。当時の政府の愚かな判断もね。それを知るあなたとアキヤマ中将だからこそ、コレを信じたくないというのは分かるけど、でも現実に、彼らは自らに振り下ろされた剣を同じかそれ以上に愚かな考えで振り下ろしているの。受け入れなさい。」

「―――チクショウどもめ」
 怒りが収まらないといった様子のサブロウタは、それでも自分が倒した椅子をなおして再び席に就いた。

「あの、イネスさん」
 それを見て、今度はユリカが、この場での核心ともいえる話題を切り出す。

「それでアキトは?アキトはどうなったんです?アキトは―――無事なんですか」
 その質問に場はまたも緊張に包まれる。映像の中のイネスは少し肩の力を抜いたかと思うと

「安心なさい。おそらくは五体満足のはずよ」
 と答えた。

「おそらく?」

「ええ」

「ココからは推測が混じるのだけど」とイネスは続ける。

「核攻撃を受け、アキト君のサレナと彼をサポートする戦艦ユーチャリスは甚大な被害を受けたわ。具体的にはユーチャリスに関してはほぼ大破。コントロールブロックとエンジンブロックが助かったのが、不幸中の幸いね。そのユーチャリスが最後に受け取ったサレナのダメージリポートによると、サレナも半壊といっていい状況だったようね」

「「「「「……」」」」」

「しかし何より甚大な被害はシステム面。ルリちゃん、あなたは知っているわね?アキト君が五感をなくしていることを」

「―――ええ、そう、聞かされました」
 墓地での、あの諦めに似た笑顔が思い出される。知らずキュッと拳を握りしめるルリ。
 イネスの説明は続く。

「そんな状態のアキト君が戦うために、ユーチャリスには彼の五感をサポートする「ラピス」という少女が乗っていたわ。装備も、それに沿ったものがつまれていた。しかし、敵の核がそれらを破壊した」

「…………」

 イネスの表情は段々と険しさを増していく。
「システムの根幹であるユーチャリスを破壊され、処理されなかった情報はバックファイアとしてアキト君の脳を襲ったでしょう。恐らく、意識を保つだけで精一杯だったはずよ。補助されていた感覚を奪われ、さらに朦朧とする意識で、それでもアキト君は戦ったわ」

「なぜ、断言できるんですか?」
 尋ねるルリ。

「―――ラピスが生きているからよ」
 再びウィンドウが開き、中にはネルガルの所有と思しきどこかのドックと、見る影も無く破損したユーチャリス……そして、治療ポッドの中で治療を受ける桃色の髪の少女の姿が映し出された。見た限り、その身体には無数の小さい傷があるものの、一応五体満足ではあるようだ。

「ラピスだけでも逃がそうとしたんでしょうね。ユーチャリスはいきなりドックにジャンプしてきた。そしてそこにはアキト君の姿が無かった……ユーチャリスがジャンプするまでの時間を稼ぐために、戦ったんだと思うわ」

「なんで、一緒に……いいえ、その後で、自分だけ跳んでこなかったんです……っ」
「ルリちゃん……」
 ルリの言葉に苦渋が混じる。ユリカがそれを気遣わしげに見つめる。

「ジャンプには高度な精神集中を要するわ。いかにアキト君といえど、先に述べた状況の中ではラピスを跳ばす一回が限界だったんでしょうね―――むしろ、一回でも、それも自分ではなく遠隔操作で対象を跳ばすなんて……流石というべきかしら」
 苦笑するイネス。その言葉は能力云々よりも「アキト君らしい」ということを語りたいように聞こえた。

「―――それでも、自分が助からなかったら……それはバカ、です」
「そうかもしれないわね」

「まあ、そういうわけで、事態は僕らの手で押さえるには少々厄介な段階に突入しつつあるってことなんだよ」
 と、ここで今までお株を奪われっぱなしだったアカツキが会話に復帰する。

「旧時代の兵器とはいえ、核は人類最強最大の禁忌だ。一発でも地球に落とされれば大混乱になる。直撃なんてもってのほか。ミサイル防衛網は二十二世紀初期にはほぼ完成していて、今は再建されたビッグバリアもある―――とはいえ、衛星軌道で爆発しても地球は大規模なブラックアウトに苛まれるし、「核を所有して、あまつさえそれを撃ってくるやつらがいる」だなんてホント冗談にもならない」
 そう言って肩をすくめるアカツキ。その言葉をイネスが引き継いだ。

「最悪、アキト君の救出を諦めなければいけない事態になるかもしれない」

「そんなっ!」
 立ち上がりかけるルリをユリカがとめる。その瞳はまっすぐに目の前のイネスたちを見据えていた。

「アキトが……私みたいに利用されるかもしれないから、ですか?」
「!!」

「そうよ。有人ジャンプだけじゃない、ボソン砲だって、アキト君という『A級ジャンパー』がいれば無視できない脅威になる可能性があるわ」
 かつての戦争にはミサイルに誘導用の小型ポットだけをつけてジャンプさせ強襲するという「有人ミサイル作戦」。小型のチューリップで一〇〇キロ以内の目標内部に直接爆発物を転送するボソン砲という兵器があった。どちらも現在では協定によって使用を制限されている。だが、相手がそれを守る保証は無い。そしてアキトがいれば、そのデータを利用して更なる脅威へとそれらを強化する恐れもある。
 状況はルリたちが思う以上に悪かった。

「「「「「「…………」」」」」」
 沈黙が会議室を包む。誰もが予想を超える惨状に言葉を発することができないでいた。
 しかし、このまま黙っていても事態は好転しない。むしろ悪くなる一方であることは誰にも理解できていた。
 宇宙軍総司令としてコウイチロウが口を開く。

「―――話は理解した。とにかくやつらを見過ごす訳にはいかん。至急、居場所を特定し策を練る。ムネタケ中将」

「―――は」

「大至急、対策部署を設置してくれたまえ。ただし事が事だ、人員は信頼できるものを最小限。情報の漏洩はなんとしても阻止するように」

「了解しました」

 続けて未だショックが抜けない様子のゲンパチロウにも声をかける。
「アキヤマ君」

「……はい」
 ゲンパチロウの返事にはいつものキレがなく、代わりに深刻そうな響きが混じる。
「出撃準備を。いつでも出れるようにしておいてくれ」

「了解です」
 だがそれでも、自らの責務と事の重大さに押され会議室を出るゲンパチロウ。
 それを見送ったルリたちはコウイチロウに向き直る。

「司令、私たちは宇宙に上がって情報の収集を―――」

「ルリ君たちには本部での待機を命じる」

「!そんな!なんでですかっ!?僕たちなら敵を探すのも、無力化するのも簡単なのに!」

「おちつけっ、ハーリー!」

「でもっ!サブロウタさん!」

「―――司令は、私たちを……いえ、私を疑っているんですか?」

「え?」
 呆気にとられた表情でルリを見つめるハーリー。その言葉の意味に思い至ったのか、今度は轟然とコウイチロウに反論した。

「そんなのありえません!艦長が火星の後継者に味方するなんて、そんなのっ!」

「ハーリー君、ちがうよ」
 激昂するハーリーをユリカが落ち着いた声音で諭す。
「何が違うんですか!」

「お父様はルリちゃんや私が勝手に出て行かないか心配してるの」

「……え?」
 振り返るハーリー、コウイチロウは苦い表情で少年と自分の娘たちをみつめていた。

「―――前にも言ったね……私は君のことを「家族として、部下として信頼している」と。君の力は私もよ〜っく分かっている。しかしだからこそ、心配なのだよ。敵は核を使うような連中だ。次は何をしてくるか分からない……それに、事は君だけの問題ではない」

「……」

「出撃すれば、君だけではない多くの人間がそれに付き合うことになる。マキビ少尉の様子を見れば、それは明らかだ。家族として、司令として、その可能性を見過ごすことはできない」

「―――私が、その可能性を犯すと?」

「ないとは言い切れないだろう?こんな顔でも人の親だ。ルリ君の気持ちも理解しているつもりだよ……」

 コウイチロウも本当はルリやユリカがそんな無謀なことはしないと信頼している。しかしそれと同時に不安も感じているのだ。居場所を特定した二人が、黙って出て行ってしまうのではないかと。あの優しい青年だったアキトですら、ユリカを助けるために復讐鬼となった事実がその不安に拍車をかける。
 親だからこそ、家族だからこそ、愛するからこそ、二人の気持ちもアキトの気持ちも、コウイチロウは理解できる。だからこそ、万全の確信を持つことができない。
 本当ならコウイチロウも、ルリやユリカたちと一緒に飛び出したいのだ。しかしそれは、自らの責務を放棄することになる。いずれなくなる組織とはいえ、総司令の椅子にかけられた責は軽くも安くもない。そしてその椅子にかけて、コウイチロウは部下の命を守らなければいけないのだ。
 コレまでの人生で培った忍耐の在庫を使い尽くすつもりで、コウイチロウは耐えていた。

「……」
 そしてそれが分かるからこそルリも黙らざるを得ない。しかし、現状が切迫している以上、何もしないことにも耐えられるわけがない。

「―――わかりました。ではせめてハーリー君に調査をさせてください。私ほどではありませんが、彼の情報操作能力は信頼できます」
 せめてもの譲歩を引き出す。コウイチロウもこれには納得した。

「では、ルリ君は別名あるまで自室で待機を―――おお、忘れるところだった。そのまえに例の不審船の二人を来賓室まで案内しておいてくれたまえ」

「―――はい。では、失礼します―――」
 席を立ち、敬礼すると、ツインテールにした長い髪を翻して出口へ向かう。

「あっ、艦長!」

「ハーリー君。私の代わりにお勤め、立派に果たしてくださいね。サブロウタさんもフォローをお願いします」

「了解っス」
 退室する傍ら、視界の隅でユリカに指示を出すコウイチロウが見えた。自分は謹慎、ユリカは作業。このあたりは信頼の差か……いや、あるいはソレゆえか。

 冷静を装っていても、年若い自分はまだ、ユリカほどには感情をコントロールできないと思われたのかもしれない。
 それはある意味間違ってない。本当なら今すぐにでも探しに行きたいとルリは思っている。
 しかしコウイチロウも言ったとおり、ルリが動けば一緒に動く命は一つではない。ハーリーやサブロウタは何も言わずに勝手についてくるだろう。ルリちゃんが行くなら私も!とユリカだってついてくるかもしれない。そうなれば、ルリの身勝手で大勢の命を懸けることになる。それが艦長の権利だと言えばそれまでだが、それだけではただの自惚れだ。
 艦長は、自らの双肩に全クルーの命運を背負う。
 無謀な作戦から部下を守るのも艦長の責任なのだから。

 だから最悪、行くならば自分ひとり。幸いにもナデシコはワンマンオペレーションを前提とした最新鋭の実験艦であり、完全単独航行も不可能ではない。サブロウタとハーリーがいないことで、機動兵器戦闘の近接防御力と艦内システムの補助がなくなるが、それでも、ナデシコC最大の要となる自分がいれば戦闘行動は十分とは言えないまでも可能だ。
 だが現実には、ソレが可能だとしても、到底認められたものではない。そんなのはただの子供のわがままであり、それに艦一隻をあてるほど、今の宇宙軍に余裕は無い。
 大体、自分ひとりではナデシコに乗り込むことすらできないだろう。コウイチロウだって警戒はしてるはずだ。「電子の妖精」などと二つ名を持っていたとしても、現実には自分は一六歳の少女でしかない。港に控える警備を独力で振り切ることは不可能だ。

 「手詰まり」何もできないことへの焦りで心がざわめく。こうしてる間にもアキトの身はどんどん危険になっていく。下手すれば殺されているかもしれない……

(……いけない)
 負の思考が加速しすぎている。
 アキトと再開してからこっち、情緒が少し不安定になっている。ふとしたことで、不吉な空想が頭をよぎるようになってしまっている。

(……まるで、二年前の私みたい……)
 思い出されるのは二年前、アキトとユリカを失ったばかりのころの自分の醜態の記憶。あのころの絶望と、そのとき陥っていた思考の螺旋を、ルリはよく憶えていた。今の自分はそこまでではないにしろ、似たような精神状態に陥りつつある……

(今は考えても仕方がない)  頭を振って馬鹿な考えを振り払う。
 今はとにかく、一刻も早くハーリーが敵の情報を掴んでくれるのを待つしかない。そうすれば、制圧戦には自分も参加せずにはいられないはずだ……
 
 気を取り直して、件の二人が待つ部屋に向かう。
 部屋の前には歩哨が一人立ち、中の二人を警戒していた。
 こちらの姿を認めた歩哨が敬礼し、こちらもそれに返す。
「おつかれさまですっ!」
「はい、ご苦労様です」

 コウイチロウから二人を別室に誘導するよう命令されたことを告げると、歩哨は頷いてドアのスリットにカードを差し込む。が、やたらと動作が硬くカードが差込口にガチガチとぶつかっている。
「…………」

 見れば手元もプルプル震えて表情も硬い。緊張しているのだろうか。
 階級章をみれば刻まれた線は少ないし、年も若い……初任務の新兵と言ったところだろう、とルリは当たりをつけた。
 が、実際には、ファンである「電子の妖精」ホシノ=ルリ中佐に会えたことが緊張の主な原因だったりする……
 悪戦苦闘の末、やっとカードをスリットに差込みドアを開けると、妙に力の入った警戒姿勢で部屋の中でくつろぐ二人(一人はもう一人の肩を揉んでいたりしたが)に睨みを聞かせる。

 部屋の中の二人はこちらの入室に気づくと、歩哨の青年の警戒などまったく気にせずに話しかけてきた。

「おつかれさまで〜す」
「おつかれさまです」

「……どうも」
 微笑む二人、軽い軟禁状態だというのに明るいことだ。
 背後に立つコクヨウに軽い手振りで「もういいよ」と示した後、ナイトはルリに向き直って尋ねた。
「なんか大変なことがあったみたいですけど、大丈夫でした?」

「すみませんが、答えられません」
 対外的にも対内的にも、語れない事情が多すぎる。ルリの答えは簡潔で微妙にそっけない。

 しかし、それは理解のうちだったのかナイトは話題を変える。
「ああ〜、まあ、当然ですよね。じゃあ、俺たちの話を聞いてもらうのは可能ですか?」

「すみません。それも少し待ってもらうことになりそうです」

「―――そうですか」
 そこで軽く考え込む様子のナイト。顔立ちが端正なだけにその振る舞いは実に絵になる。横にメイドがいる、というのも一つの要素だろう。
 彼らの話はアキト捕縛の知らせを受けたことでうやむやになり、結局あの場は彼らの艦を曳航して引き上げるのみとなっていた。その際にも特に抵抗はなく、むしろ協力的に、彼らは艦の航行システムの一部を開放してこちらに制御を任せてくれた。
 彼らの素性や目的など、興味深い事柄は多いが今はソレを聞いている余裕はない。

「来客用の宿泊施設に案内します。ついてきてください」

「……思ってたよりいい待遇ですね。了解ですよっと」

 そう言って立ち上がるナイト、コクヨウもそれに続く。
 ナイトとコクヨウ、さらに二人を警戒した歩哨を加えた四人が通路を歩く。位置的には先頭にルリ、その後にナイト、その斜め後ろに控えるようにしてコクヨウが続き、全員を見渡せる位置に歩哨の青年がつく。歩哨の青年は二人の一挙手一投足を見逃さないとばかりに目を見張っている。
 まあたしかに新米でもベテランでも、こんな規格外の格好をした二人組みは警戒しないほうが不自然だろう。回りの視線が結構な勢いで刺さってくる。

(これは普通に恥ずかしいですね……)
 やや早足で残りの行程を急ぐ。二人を案内する来賓室は本部内の別棟に設けられた施設で、軍の来客や高官の宿泊施設として利用されている。これでも二人は立派に犯罪者なので、本来ならそんな対応はしないでもいいのだが、(ナイトが『おもってたより』と言ったのはこのあたりが原因)コウイチロウが配慮してくれたのだ。まあ、基地内の部屋はどれもID集中ロックなので、どこでも簡単な軟禁室になるから問題は無かったりする。

「なにか用がある場合は備え付けの外線でお願いします。後分かってると思いますが、外出は許可できませんので、あしからず」
「了解ですっ―――だってさ、コクヨウ。やっぱ自前で料理は無理だって」
「残念です……」
 ああ、作りたかったんですね。やっぱりメイドだなぁ、そういえば紅茶は美味しかったけど―――なんて思っても部屋にキッチンはないし外に出すわけには行かないので
「すみませんが、我慢してください」
 というしかない。
 コクヨウも分かっているので「はい」と素直に頷いた。

 さて説明も終わったし部屋に戻って今後の策を検討しなければ……とルリはきびすを返す。

「あ、そうだ」

 ふいに、背後から思い出したとでも言いたげな明朗な声が響いた。
 まだ聞きたいことがあったのかと疑問に思い視線を戻す。

「なんですか?」

「―――助けに行くなら協力しますよ」
「っ!」
 返ってきた言葉は予想の遥か斜め上を行った。何故ナイトがそんなことを言い出す?通信を聞かれていたのか?だとしたら、どこまで聞かれた?一体この二人はどこまで知っている?ルリたちにとっては違っても、世界にとってのアキトは現在、A級戦犯。この二人はそこまで知っているのか。
 意識の中で警戒レベルが跳ね上がる。だが内心の動揺を表情にはせず、冷静に目の前の青年を見据える。
 警戒されているのを察知したのか、ナイトは肩の力を抜いて軽く微笑んだ。

「俺、耳いいんですよ。だからあのときの通信も聞こえてたんですよね。大変なんでしょ?いろいろと」

「…………」
 ルリは答えない。それでもかまわず、ナイトはしゃべり続ける。

「俺たちはあなたの助けになりたいんです。裏なんて無い、これは俺たちの素直な気持ちです」

「……信用、できるとでも?」

「―――いや、そりゃまあ難しいでしょうけどね……」
 言葉に詰まるナイト。うつむき頬をかく仕草は本当に悩んでいるように見える。
 そんな主に代わって今度はコクヨウが口を開いた。

「ルリ様。ルリ様のご懸念はもっともな事だと、私も思います。素性も分からない者をどうして信用できるのかと―――ですが、その理由はいずれ必ずご説明します。納得してはいただけないかもしれませんが……」
 胸の前で手を組み軽くうつむくコクヨウ。
「……ですが、今は……今だけでもっ、ナイト様の誠意を信じていただけませんでしょうかっ。私たちは本当に、あなたとあの方をお助けしたいのです」

「……どうしてですか?」

「はい」

「どうして、そこまで必死なんですか」
 わけが分からないとルリはわずかに顔をしかめる。

 理由が聞けないのはこちらの都合だし、戦争犯罪者であるアキトをなるべく穏便に助けたいというのもこちらの都合だ。
 彼らは他人で、ソレを気にかける理由などこれっぽっちもない。
 なのに彼らはわざわざ核心を避ける。歩哨の青年がいる場でアキトの名を出さないし、こちらの事情も追求しない。ただ「協力したい」と申し出るだけ……

 コレでも人を見る目はあるつもりだ。相手が本気かどうかはすぐ分かる。
 そしてこの二人は、少なくとも本気で自分たちとアキトのことを心配している。
 信用できない人間ではない……と思う。だが、だからこそ分からない。

「あなたたちには関係の無いことのはずです。どうしてそこまで無心に……それもあなた達のほうから頼むんです」
 ソレではまるでヒーローだ。頼まれてもいないのに駆けつけて悪人を倒す正義の味方……ゲキガンガーにあこがれていたころのあの人と同じお人よしだ。
 ルリの問いに、ナイトは誇らしげに胸を張って答えた。

「―――困っている人を助けるのに理由は要らない。できる事があるならするべきだ。大好きな人にそう教わったんですよ」

 それはかつて、ナデシコでも聞いたセリフ……悩みながらも真っ直ぐ生きていた青年が口にした言葉と同じだった。
 心が揺れる。信じてもいいんじゃないかと悪魔がささやきかける。懐かしい空気を纏ったこの青年なら、アキトを助けてくれるんじゃないかと思ってしまう。
 ルリは自らの思考が拙い方向に誘導されていることを自覚していた。
 自分は感情論だけで、一度は納得した結論を覆そうとしている。それは「艦長」としての責務に反する。自分は……待機しているべきだ。理性はそう呼びかける。

 だが同時に思う。じゃあ、「家族」として「ルリ」としての自分はどう思っているのかと……
 それが例え、コウイチロウやハーリーを裏切る行為だとしても……私は……

 うつむいてしまうルリ。心臓をむしる様に胸を抱いて苦悩している。
 艦長として、家族として、何もできない現状、見えない惨状……心の天秤は次々と載せられる重石に翻弄され揺り動く。
 感情と理性の狭間でゆれるその様子は、しっかりしているといってもやはりまだ若い、十六歳の女の子だった。
 悩むルリにナイトは言葉を投げかける。
「―――それに……」

「……それに?」

「……まんざら、無関係ってわけじゃないんで。なっ」
「はい。あの方は『大切な人』ですから」

 ―――それが止めだったのかもしれない。
 ヒマワリのような笑顔で呟かれたその言葉は紛れもなく純粋で、拮抗を保っていた心の天秤は、ほんの一瞬でも底に触れてしまった―――そうして触れた皿からは思いがこぼれ出し、激流となってもはやとめる事はできない。

 古の伝承にいわく。『悪魔は甘言を持って人を惑わす』と。

 これがそうかといわれれば、まさしくそうだったのだろう。彼らはルリの心の弱みを見事に穿った。だが、悪魔とは違い、そこには計算も理論もなかった。あったのはただ感情だけ、純粋な笑顔と『助けたい』という願い。
 これが理詰めの説得だったなら、ルリも納得はしなかっただろう。冷たい論理は冷静な思考を加速させ、『艦長』としてのルリを際立たせる。
 心からの説得だったからこそ、『家族』としてのルリが動いた。

(まったく……たいした悪魔です……)

 心は決まってしまった。信じてくれた人を裏切ることになるが、自分の心もやはり裏切れない。せめて最後の責任を果たしてから出て行こう。帰ってきた時は怒られることは間違いないが、それでも結果が伴えばみんな最後は笑ってくれるはずだ。だから今回のことは―――

「『遅れてきた反抗期』ということにしておきますか」

「は?」

 呟くルリ。その背後で会話の流れについていけてなかった歩哨の新米兵士が疑問の声を上げる。

「あいにく十五才でも試験違反者でもないですが、まあ、たまにはいいでしょう」

「あ、あの?中佐殿?」
 疑問視を増やす歩哨の青年。どうやら二〇世紀のカルチャーには疎いらしい。知っているほうがおかしいとも言えるが、この場合はコレで好都合。ルリの目の前の二人組みはその意味が分かっているようで、ニヤニヤニコニコと笑みを深めている。
 ルリもそれを察した上で話を進める。

「わかりました。申し出を受けます」

「そうこなくっちゃ。今すぐ出撃ですか?」

「できればそうしたいですが、諸事情イロイロありまして、現在ナデシコを含む宇宙軍艦艇は全て出航を見合わせています」

「え、そうなんですか!?」
 意外だっ、とでも言いたげなナイト。コクヨウも頬に手を当ててまぁ……といった風だ。

「はい。ですので、まずはナデシコを確保します。私一人では無理でしたが、まあ三人もいれば何とかなるでしょう」

 艦のシステムならルリのハッキングで何とでもなる。怖いのは緊急装置を用いて白兵要員が制圧に乗り出してくることだが、他に人がいるならそれを防ぐ手立てはいくらでもある。
 しかしそうか……よく考えてみたら、この二人は核攻撃のことも待機命令のことも知らないのか……自分が助けに行くことはもう決定だが、この二人はもう少し考えてもらったほうがいいかもしれない。最悪、ナデシコ奪取を手伝ってくれれば後は一人でもできる。
 そう思って二人に現状を話そうとすると、二人は互いに目配せをして、いきなり視界からコクヨウが消えた。

「な!?」

 次いで響いたのは後ろに控えていた歩哨の青年の声。振り返ると、青年は銃を取り落とし、間接を極められ、床に引き倒されていた。突然の事態に唖然としながらも、必死に拘束を振りほどこうとするが、それを抑えるコクヨウの腕は、その細腕のどこにそれだけの力があるのかと疑いたくなるほどにビクともしない。

「失礼します」

 と詫びて、コクヨウは襟元からワイヤーを取り出すと、それで手早く青年の手足を縛り。とどめに首筋に手刀を入れて黙らせてしまった。
 この間わずか十五秒……思わず「お上手ですね」と声をかけるも「メイドのたしなみです」と返されてしまう。
 メイド自体珍しいのに、それが美人で清楚でお茶が美味しくて、あまつさえ戦艦の艦長で捕縛術にも長けているとはどこのB級アニメかと思ってしまう。メイド服はいつから超人のコスチュームになったのか。
 ともかく、歩哨の青年を無力化したコクヨウは再びナイトの隣に戻り、ナイトは表情を少し改めた真剣な顔でルリに現状を確認する。

「俺たちは救出部隊の末席に……ってつもりだったんですけど、話を聞く限りずいぶんと厄介そうですね」

「はい、ですから無理しないでもいいですよ。ただナデシコを奪うお手伝いを少ししてくれるだけで結構です」

「いや、ますますほっとけないですよ。最後まできっちり付き合います」
「はい、お任せください。ルリ様」

「ありがとうございます……」
 余りにもあっさりきっぱりとした返答にルリは面食らった。もう少し迷うと思っていたのだが、そんな様子は微塵もない。むしろ燃えてきたー!と息巻いている。

「そうと決まれば善は急げ!ルリさん、ナデシコよりももっといい物がありますよっ」

「もっと……いい物?」

「はい。私たちの艦―――疾時雨ときしぐれです」

古の伝承にいわく『悪魔は甘言を持って人を惑わす。されど、その力は強大なり』と。


×××



 一方のナデシコC艦内では複雑な表情のハーリーがウィンドウボールの中で情報収集をしていた。
 その心の内分けは、自分たち(ルリ)が無用(でもなかった)な疑いを受けて実質的に謹慎命令を受けたことが二割。もはや無敵といっていいはずの自分たちが出撃できないことが三割。そして、ルリが『あの男』を気にしていることとか、それに関する情報収集をしていることとか、あえて自分にそれを任せたルリに対してとか、まあ、そういった可愛い男の嫉妬が残りの半分だったりする。
 ハーリーにとって、アキトはいろんな意味で『敵』だった。
 そりゃあ、その存在を知らなかったわけではない。艦長の席にはルリとアキトとユリカが一緒に写った写真が飾ってあるし、過去の話を聞いたときにもその名前が出てきたこともある。戦争中も後も、兄的あるいは父的な存在だったと知ってはいた。
 だがそれはあくまで過去の話。故人である以上それはもはや何もできないのだから、それに縛られ続けず、新たな道を歩いていきましょう!できれば自分と!

 そんな風にハーリーは考えていた。

 それがここに来てまさかの大どんでん返し、急転直下といってもいい超展開だ。
 前のバッターが打ったファールフライが地球を一周してきてフェアラインに乗ったようなありえない展開だ。  おかげでホームラン確実……とまでは行かないが、まあ、一塁一塁しっかり行こうと思っていた自分のもくろみは一気に崩れ落ちた。

(あんなのただ黒いだけじゃないかっ、艦長が呼びかけても全然答えないし、そもそも結婚してるしっ!)

 少年の愚痴は続く。

 だがそれでも作業には淀みがなく。世界をめぐる物資の流れや、通信電波、レーダー網などを駆使して敵の居場所を探っていく。ルリに信頼されるその腕前は確かなもので、これなら三日とかからずに敵の位置を割り出すだろう。
 しかしだからといってルリの気持ちがこちらに傾くわけではなく、むしろお礼そっちのけで出撃命令を下されるかもしれないと、少年は少しブルーになった。

「はぁ……なにやってるんだろう、僕……艦長も、なんであんなのがいいのかなぁ……」

「んなの、考えてもしかたねぇだろ。女心は複雑なんだよ」

「サブロウタさん……」

 ブリッジに副長のサブロウタが入ってくる。手にはジュースの缶が二本、差し入れとして持ってきてくれたらしい。ウィンドウボールの端に腰を下ろし、ジュースを投げ入れる。

「どうも」

「おう」

 そう言って自分の缶のプルタブをあけ缶を傾ける。一気に三分の一ほどを流し込んだ後で「調子はどうだ」と進捗状況を尋ねた。

「ええ、まあ、悪くはないです」
 言って、現在までに怪しいと思われるポイントを表示していく。結構な数だが、それをこれから絞っていくのだ。

「この調子ならまあ、明後日までには見つかりますよ」

「そっか、まあ、なるべく急いでくれよな。艦長もそうだけど、俺も気になってんだよ」

「分かってますけどね……はぁ……」

「なんだよ、まだ悩んでんのか?」
 仕方のないやつだなぁ、とサブロウタは続ける。

「だって、あんなですよ!?黒いですよ?無口ですよ?既婚者ですよ!?おまけに犯罪者でもあるんですよ!?どこがいいって言うんですかっ」
 憤慨するハーリー、まあ確かに前二つはともかく後ろ二つはかなり見過ごせない要素ではある。

「そんなこと言ってるから、いつまでたってもわからないんだよ。恋愛ってのは上辺のスペックやステータスだけでやるもんじゃないんだからよ」

「それでも限度ってものがありますっ!」

「だから、その限度を超えるのが恋愛だってのに……」
 やれやれまだお子様だな、と呆れるサブロウタ。だが対する自分は数多くの恋を経験する駄目な大人であることは言うまでもない。最近はマジになっている相手もいるらしいが……

「ま、がんばれやっ」
 そう言ってガシガシと頭をなでる。
「ちょ、ちょっと、揺らさないでくださいよっ。あっ!」

ピッ
 振り払おうとした手がウィンドウの一部に触れ、タッチ入力形式をとっていた仮想上のパネルから入力音が響く。すると……

――――――ずどどどどどどどどど

 突如として振動がブリッジを襲い、低い振動音が響いた。ブリッジ正面から見える軍港の一部からは火の手が上がり、基地内に警報音が響く。

「「…………」」
 思わず顔を見合わせる二人。

 爆発音は連続して続き、一際大きくそれが響いたと思ったら入道雲かと見間違うくらい派手な黒煙があがった。
 誰がどう見ても大惨事だ。

 ちょっと冷や汗を掻いたサブロウタが恐る恐るハーリーに尋ねる。
「……ハ、ハーリー君……ドジった?」

「そ、そんなわけないじゃないですかっ!?」

『タカスギ君!』
 と、そこに突如として開くウィンドウと暑苦しい顔。

「俺じゃありませんっ!ハーリーです!」
 反射的に押し付けるサブロウタ。

「ちょっと!僕でもないですよ!」

『何を言っているのかねっ?それでころではないっ!非常事態だ!』
 コウイチロウの声は明らかに焦っていた。ただ事ではない空気にサブロウタはギアを切り替える。
「何があったんですかっ?まさか、やつらが!?」

『いや!……そ、……はな―――君……が……、、てき……が!』
「!?ハーリー!」
「なに―――これ!基地内に通信障害……?ジャミング!?」
「なんだと!?」




「どうなっている!?」

「わかりませんっ!爆発と同時にいきなり通信がっ」

「っく」
 一方、司令部は大混乱に陥っていた。突如軍港から爆発反応を感知したと思ったら大部分のシステムが突然停止したのだ。そのせいで基地内部では各地でシステムトラブルが発生し、さっきからエマージェンシーコールが鳴りっ放しだ。
 通信回線までが不調をきたし、ただでさえ生き残っている回線が少ないところにアクセスが集中したせいで、オペレーターは大混乱、通信回線はパンク寸前になっている。
 喧騒が支配する司令室で、下士官の一人が必死の形相でパネルを操作するオペレーターの一人に原因を尋ねた。

「爆発箇所は!?」
「―――Dブロック……地下格納庫内……!、拘留中の未確認戦艦です!」

「……っ、あの艦か!」

「緊急回線より伝達、原因と思われる艦が地上に出ますっ!」

 基地内のカメラが爆発箇所を捉え、その様子がモニターに表示される。
 もうもうと立ち上る黒煙の中、突如その黒い柱を貫くようにして一隻の艦が飛翔する。
 艦というには余りにも逸脱したその形状、マリンブルーに染め抜かれた船体は、イルカのような滑らかな流線を描き、その優美さの中に確かな力強さを抱く。下部に取り付けられた槍状の長大なユニットを、まるで本物の槍のように高々と空に掲げ、未確認戦艦「疾時雨ときしぐれ」はその内部に己が主たちを収めぬまま大空へと飛び上がった。




「遠隔操作?」

「はい。疾時雨は私の身体の一部といっても過言ではありません。例えどこにいようと、私が呼べば駆けつけます」

「―――つまり、拘束は無意味だったということですか」
 コクヨウは微笑むだけで答えなかった。だが、現実に地下ドックに拘留したはずの艦があっさりとその拘束を突破してきている以上、やはり無意味だったのだろう。確かに、これほどの力ならば、心強いかもしれない。
 しかし―――

「目立ちすぎじゃないですか?」
 突然あの艦が動き出したら当然この二人が最重要容疑者だ。すぐにでもこの部屋に警備の人間が飛んでくるはず。いくら艦が強力でも、その乗員が捕まってはお話にならない。
 そう思って、もう一人のあの船の乗員であるナイトのほうを見ると、彼はなにやらおかしな格好で固まっていた。

「?」

 目を閉じて、軽く上体を落とし、足は肩幅より少し広めに開いて、両手は左腰で何かを掴むかのような半開きの状態で固定されている。それはまるで、そこにない刀をイメージのみで補完しているかのような奇妙な姿勢だった。
 こんなときにイメージトレーニングですか?思わず突っ込もうかとも思ったが、ナイトの表情は真剣だった。先ほどまでの晴れやかな笑顔はどこへやら、精悍に引き締まったその表情からは集中していることが分かる。
 
 ―――気がつけば、その顔や手に刻まれた文様がうっすらと光を放ち、加速度的にその表面を奔っている。ルリはその光景に見覚えがあった。
 それは、高いレベルでIFSと同調したときに発生するナノマシンの発光現象……

(まさか―――)
 傍らのコクヨウは遠距離で艦艇を操る。ならばその片割れであるナイトにも同じ力があってもおかしくはない。

(俺はこの艦の副長でパイロットのロード=ナイト)
 自己紹介のときに語られた言葉が思い出される。そう、彼は自分は「パイロット」だと言った。で、あるならば、彼が操るものは当然―――

「―――ッシっ!」
 鋭い呼気と共に右手が振りぬかれる、と同時に目の前の壁に光が走る。ナイトは振りぬいた右手に左手を合流させると、今度はそれを正面に打ち下ろし、最後にそこで左手を放して右腰に持っていきそこから真横になぎ払った。
 都合三度の空想上の斬撃はしかし、確かな現実の結果として目の前の壁に刻まれた。来賓室の壁は綺麗な三角形型を描いてずれ落ち、その外には一機の純白の機動兵器が、その両手に二振りの日本刀型のブレードを携えてホバリングしていた。

「機動兵器の遠隔操作ですか……」

「疲れるんで、あんまりやりたくないんですけどね。ま、非常事態ですから。さ、早く」
 そう言って背中を向けた機動兵器に飛び乗るナイト。すぐさま首筋にあったハッチが開き、そこから内部へと飛び込む。主を体内へ収め、本来の形式を取り戻した機動兵器のモノアイが一瞬強い光を放つ。
 続いてコクヨウが機動兵器の肩口に飛び移る。翻るスカートも優雅に、無駄のない動作で着地したコクヨウは、導くようにルリのほうに手を伸ばした。

「ルリ様。おはやくっ」
 その言葉に従い手を伸ばそうとすると、その手から電子音が響いた。コミュニケの呼び出し音だ。表示はミスマル=コウイチロウ……早々に嗅ぎ付けられたかとルリは顔をしかめる。
 実際にはコウイチロウは基地を蝕むシステムトラブルを解決するためにルリに呼び出しをかけたのだが、ルリはコクヨウが艦の脱出と同時に基地のシステムをハッキングしていることを知らなかったし、タイミングもタイミングだったので、開かれたウィンドウの中でコウイチロウが『ルリ君、今どこかね!?』と聞くのに対し『ごめんなさい』と速攻で頭を下げたのだった。

『何のことかね?』とはコウイチロウ。

「私、やっぱり行きます」
 コウイチロウの目をしっかりと見て、ルリは自分の決意を言葉にする。

『なっ!?ルリ君!?まさかこの事態は君が!』驚愕の瞳で孫同然の部下を見る。
「直接ではありませんが……」とルリは緩やかに首を振った後、「しかし、ただで済むことだとは思っていません。責任は取ります。降格なり除隊なりの適正な審判をお願いします」
 コウイチロウの顔を正面から見据え、そう言い切った。
 コミュニケのスイッチに手を伸ばす。
『ま、待ちたまえルリ君っ!』
 それを見て慌てて止めるコウイチロウ。しかし

「ごめんなさい。最初で最後の反抗期だと思ってください……行ってきます―――おじいちゃん」
 そう言ってルリはコミュニケの電源を切った。

「―――行きましょう」

『了解』

 半開きのハッチに腰掛けるようにして機動兵器の首筋につかまるルリとコクヨウ。移動の風圧で二人を吹き飛ばさないように細心の注意を払いながら、ナイトは機体を操作する。
 ナイトの意思を受けて機体の両手が二人を守るように掲げられ、機体は速度と高度を上げていく。

 疾時雨は未だ、黒煙の立ち上るドッグの真上で停船していた。対空砲火をディストーションフィールドで弾き、その飛来角から計算された発射地点の防御火器をシステム面から制圧していく。

 火線を避けて後部甲板に降り立ったナイトはそこでルリとコクヨウを降ろした。

『俺はこのまま発進までの時間を稼ぐ、細かいことは任せた!』
「御意っ……ルリ様は私と一緒にブリッジへ!」
「はい」
 艦内へと走るルリとコクヨウ。それを見届けてから、ナイトは機体を浮かせて離艦する。
 機体の腰にマウントされた長大な刀を抜いて正眼に構え、次の瞬間、それを猛烈な勢いで振り下ろした。

 その途端、振り下ろした刀の側面からギャイイイイイと耳障りな音を鳴らして、刀に弾かれた光弾が遥か後方へとすっ飛んでいった。
 続けて二度、三度と刀を振るたび、擦過音と共に高速で飛来する弾丸がその弾道をそらされてあらぬ方向へと流れていく。
 大口径のレールガンによる遠距離射撃だった。
 直撃すれば、機動兵器程度のディストーションフィールドでは太刀打ちできないほどの火力を秘めたそれを、ナイトは一振りの刀のみで防ぎきった。
 尋常な手並みではない。

 ナイトは自らの乗機に刀を正眼に構えさせたまま広域で通信回線を開く。

『サブロウタさんですか!』
 呼びかける声に返事はない。しかし―――

「っく」
 ギャイイイン!

 コレが返事だとばかりに弾丸が飛んでくる。それを弾きながらナイトは声を張り上げる。

『お願いしますっ!黙って行かせてください!』

『―――っんなわけに行くかぁっ!!』
 叫び声と共に、サブロウタの駆るスーパーエステバリスが上方から突っ込んでくる。遠距離からの射撃では埒が明かないと判断したのか、その手には近接戦闘向けのフィールドランサーとライフルが握られている。
 これに対して、ナイトは変わらず刀だけを構えさせて、サブロウタのエステに正対した。
 ライフルが火を噴き、五発一発の割合で含まれる曳光弾の輝きが迫る。
 それを紙一重でかわし、時には刀で弾いて距離をつめる。

『っく、この!どんな化け物だよテメエ!』

 その様に、サブロウタは戦慄を感じていた。先ほどもそうだが、この相手は異常だ。飛来する弾丸を『刀で弾く』というのもそうだが、なによりこんな至近距離で銃撃を避けるというのが普通ではない。
 しかも機体ごと弾道を迂回するのではなく、首の傾き、腕の開き、身体の捻りという最小限の機動だけで弾丸をいなしている。それはすなわちフィールドを張っていないということでもある。信じられない命知らずだ。

『「目」がいいだけですよっ!』
 そういうが、目がいいだけでレールガンの弾道に剣線を合わせられるわけがない。たとえ弾道を予測しそこに刀を置こうとも、そんなもの、レールガンの圧倒的速度がもたらす破壊力の前では何の防御にもなりはしない。それをあえて弾くには、とてつもない精度と正確さで位置とタイミングを合わせて力を受け流すしかない。こいつはそれを初弾から数えて四回もこなしているのだ。
これを―――

『化け物じゃなかったら、なんて言えってんだ!』
 今もフルオートで弾をばら撒くライフルの射撃をものともせず、ナイトは突っ込んでくる。見た感じ武装は刀のみのようだが、接近されれば確実に勝ち目がないであろう事は肌で感じている。だがかと言って―――

(あたらねぇ!)

 遠距離攻撃ではまったく当たる気がしない。
 飛び交う弾丸の雨を掻い潜るその姿は、ある種の舞踏の如く優美で、これが敵でなければ、さぞ頼もしく、また純粋な賞賛を持って喜べただろう。だが、今はそれが憎い。
 警告音が鳴り、ライフルの残弾数が残りわずかになったことを告げる。どのみち、それをつぎ込んだとしても、目の前の機体を落とせる気がしない。
 ならばと、サブロウタは策を練る。

(目がいい!反応がいい!度胸もいい!それならっ)

 サブロウタは、銃撃をやめ銃口を上げた。好機と見たナイトがその距離を一気につめて斬り込む。その刹那

『食らいやがれっ!』

 突如炸裂した光があたりを包み込む。機動兵器用に開発されたチャフ・グレネードだった。閃光とスモークにより視界を奪われたのか、振り下ろされた刀が空を切り、動きが止まる。

「左腕のロックを解除!ワイヤーリリース!」
 その隙に距離を取り直し、エステの左腕をワイヤーを残してパージする。

(うまく引っかかってくれよ……)
 そして、それを思いっきり投げた。
 ロックを解除された左腕は慣性の法則にしたがってあらぬ方向に飛び、ワイヤーを垂れ流す。それが十分な長さになったとき、サブロウタはエステを一気に旋回させた。

「いっけえええ!」
 遠心力によってワイヤーが引かれ、その先についた左腕が轟と横殴りの風を伴ってうなる。
 それは、即席のフレイルだった。
 もちろん、銃弾を交わす相手にこんなものが通じるとは思っていない。狙うのは―――

 スモークの中、ナイトは静かに神経を研ぎ澄ましていた。先の閃光でカメラが不具合を起こしたのか、視界がぼやけて安定しない。致命傷ではないが、回復には時間を要する。恐らく次はこのスモークにまぎれて襲ってくる気なのだろう。レーダーをかく乱する物質が含まれているらしく、レーダーも機能しない。
 だが、それはサブロウタも同じはずだ。
 一時的とはいえ、目の機能が低下している現状では、下手に飛び出して撃たれるのもよろしくない。遠距離攻撃に対して圧倒的有利といっても限度はあるのだ。機体の動作限界を超える距離から撃たれれば流石に避けられないし「コート」ももたないかもしれない。ならば
「正面から打ち破る……」
 さあ、どうくる。身構えるナイト。その視界に影が映る。剣閃が走った―――


 左腕が切り裂かれた事を示すダメージ表示が、同時にワイヤー長などから逆算した敵機動兵器の位置を教えてくれる。そのタイミングに刹那遅れて、サブロウタのエステはナイトに斬りかかった。
 閃光・スモーク・囮の左腕、三段掛りのフェイントの後の突撃がサブロウタの本命だった。

「反応のよさが命取りだっ!」

 フィールドランサーが纏う力場によって弾かれるスモーク。その先には、背を向け、刀を振りぬいた状態の機動兵器。サブロウタは勝利を確信した。
 フィールドランサーが無防備な背中を貫く。

 ―――その瞬間、横から伸びた「何か」にその先端が弾かれた。

「なっ!」
 逸らされる槍の穂先。
 まさかの事態に驚愕の声を漏らすが、それも驚く暇があればこそ。
 一息で姿勢の前後を入れ替えたナイトの機体は、隙だらけのサブロウタのエステの両腕を肩から切り落とし、さらに背部ユニットに強烈な蹴りを見舞って海へと叩き落した。

「くそおおおおっ!!」
 警告音が響くコクピットの中でサブロウタが絶叫する。
 海面へと激突する寸前、サブロウタは何が自らの繰り出した一撃を弾いたのかに気がついた。そして同時に動揺した。
 それは『鞘』だった。
 背面から襲い繰る敵の初撃を鞘で弾き、その後すかさず抜刀して敵の隙を討つ……

 木連流剣術・返し技の極意の一つ―――「焔返し」と呼ばれる技だったはず……

(なぜ!)
 それを使えるのか?そんな疑問を抱いたまま、エステは海面に激突し、すさまじい衝撃がコクピットを襲う。
 サブロウタは意識を失った。

 後には刃についた血を払うように一度刀を翻し、納刀するナイトの機動兵器が残された。

「ふぅぅ……」
 安堵から息を吐くナイト。そこにコクヨウから通信が入る。
『お疲れ様でした。ナイト様。潜航準備が整いましたので疾時雨にお戻りください』
「了解」
 一度、サブロウタが落ちた海面のほうを振り返るナイト。
 ……メインフレームには傷をつけていないし、そもそも宇宙での戦戦を想定したエステバリスの機密性は秀逸だ。恐らくは大丈夫だろう。
 心の中で迷惑をかけた全ての人に詫びて、ナイトは疾時雨へときびすを返した。



「お父様!ルリちゃんは!?」

「今はあの艦の中だ。安心なさい、すぐに取り押さえる」

「あの人達が……」

「そ、総司令!」

「!どうしたっ!!」

「ふ、艦が!」

「何!?」

 蒼空を泳ぐように速度を上げる疾時雨。その表面に紫電が奔り、マリンブルーの船体が一瞬だけ輝いたかと思うと、次の瞬間には、その姿はもはやどこにも無かった。

「ば、馬鹿な……」
 驚きに目を見張るコウイチロウ。ありえない事象を目撃した他の者たちも、一様に沈黙して己の目を疑っている。
 その中で、唯一ユリカだけが、どこか納得した面持ちでポツリと呟いた。
「そっか……ルリちゃん、行くんだね―――うん、私も負けないよ」


 後に、地下発電施設の事故と発表されたこの事件は、奇跡か?はたまた故意なのか?一人の死者も出すことなく終結した。
 その際、未確認の戦艦らしき艦艇が目撃されたとの報告もあるが、以降……それらしき艦は地球はおろか、火星や木星でも目撃されることは無かった……






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