―6月15日 居酒屋―


 小野塚小町と綾崎優也の座っている席にはすでに何本もの空になったビンが置かれていた。新しく追加されたそれが届けられ、小町はそれを片手にコップに氷を追加しながらお酒を注ぐ。
 いつの間にか無言になり、数秒おきにグイッとお酒を口に流し込むという行為を繰り返している。目の前に座っている優也は何杯か同じようにお酒を飲みながらボゥーっと何かを考えているような行為を繰り返していた。
 今日も仕事を終えたのは確かであるが、また魂をひとつ現世に戻してしまった。
その魂の持ち主は不意に起きてしまった事故でこちらに来てしまっていた。
 若い男性の魂で、彼はまだ結婚して数年たったばかりの幸せを得ていた人物だった。数ヵ月後であるがその辺りに待望の第一子も生まれるということも決まっていたそうだ。
 だが仕事先で突然現れた妖怪に襲われてしまい、逃げるも最後には致命傷ギリギリの傷を負い、そのまま治療の甲斐もなく亡くなってしまったらしい。
 魂は生前の男性の形をしていたが、彼は涙していた。酷い後悔の念をその背に背負ってきていた。それを見た小町は純粋に胸を痛めた。
 その彼の魂を絡め取るような鎖が魂の方から現世の方へと繋がっていた。彼のことを引き止めているのは何も後悔の念だけではないのだ。まだ生きている者たち、特に彼の妻である女性の重いだろう。同じ女として、その気持ちは痛いほど分かった。
 そこで肩に担いでいる大きな鎌を使って断ち切るべきなのだろう。普通ならば問答無用で船に乗せて引きずってでも連れて行くべきなのだ。しかし小野塚小町は死神でありながら、死神らしくなかった。
 その彼の魂に対して小町は指を三途の川とは逆側を指し示した。
 男性は指差された方向を見つめ、そして振り返って小町のことを見る。
 くるりと背を向けて彼女は早く行ってやんな、と背中を押すように言う。
 その言葉を聞き、男性は大きく頭を下げ、小町にお礼を言った。そんな大層なことをしたつもりはないのだが、と苦笑いを浮かべた。
 頭を上げた男性は小町に背を向け、駆け足で走っていった。すぐにでも息を吹き返すだろう、と思う。
 またやっちまったねえ――男性の姿が完全に遠くに行ってしまい、見えなくなった。大きな鎌を肩で担ぎながら三途の川に停められている自身の渡し舟のところに戻る。
 その後少ししてから彼女の上司である四季映姫・ヤマザナドゥがいかにも怒っていますという表情を浮かべてやって来た。その理由はむやみに人の寿命を伸ばしたことに対する注意だった。何度注意してもしばらくすればまた同じことをしてしまう小町に対して映姫も頭を悩ませていた。

『ヒトはいつか必ず死ぬ定めなのです。それをあなたの独断でむやみに伸ばすことは決して善行とは言えませんよ。分かっているのですか、小町?』

 何度も聞かされた彼女からの忠告。
 ――分かっていますよ、四季様……。
 表情にやや影を落としたまま、小町は手に取ったコップには言っているお酒を口に運ぶ。少しだけ気分が沈んでいたからか、先ほどよりもお酒がまずく感じた。
 ――死神のあたいにそんな権利、あるはずがないってことも、それをするべきではないということも……。
 長い年月同じように上司からそのような言葉が向けられてきた。その度に笑って誤魔化してきた。でも誤魔化している時の裏ではこれで良かったのだと自分に言い聞かせていた。理不尽に死んでしまった者が、少しくらい幸せを感受しても良いだろうに、と。
 ――頭では分かっているんです……でも。
 理屈だけで済ましたくないことだってあるのだ。例えそれが小町自身の我侭で、善意の押し付けのようなものであっても。

「ああ、しんみりとしたことを考えるもんじゃないね……」

 愁いを帯びた笑みを浮かべ、手に持ったコップを揺らす。カランという氷とコップがぶつかり、透き通った音が耳に響く。
 そして前のほうに座っている優也の方を向いて、

「なあ、優也。お前さん、何か面白い話――って、寝ちまってるようだね」

 何か会話が弾むような話は内科と尋ねてみたが、テーブルに突っ伏して眠っている優也の姿があった。やや顔が赤いのはお酒を飲んだためであろう。まだ立った崇拝しか飲んでいないというのにこの状態とは、よほど耐性がないのか、飲み慣れていないのかのどちらかだろうと思った。
 見た目通りまだまだ青二才の少年。
 この世界にはないペルソナという力をその身に宿していると聞いているが、この世界の実力者と比べると実力も経験もはるかに劣る。
 だが小町は思う。
人間はふとした時にありえないほどの何かをして見せるということを。その身に宿す可能性という無限の力を。
 目の前で寝息を立てている少年にもそれが宿っているのだろうと思うとこの先どのように成長していくのだろうかと不思議と楽しみに感じていた。
 だがそんな暖かみある思いを感じていた彼女に、まるで頭から冷水をかけたような何かがあった。
笑みを浮かべていた表情を真剣なものへと一変させる。
無意識の内に壁に立て掛けておいた大鎌に手を触れさせていた。
 ――まさか……まずいね、この感覚はっ!?
 冷たい何かが首筋を撫でるような、そんな背筋が凍るような感覚を覚える。その雰囲気は広がるようにして存在しているようだ。

「おーい、こっち酒の追加――」
「お、おいどうし――」

 徳利を摘みながらお酒の追加を言うやや年を取った男性が突然音もなくその場に突っ伏した。隣に座っていた男性がどうしたのかと肩を揺さぶるもまったく反応を見せない。
 するとそうしている男性もまたまるで魂を抜き取られたかのようにばたりとその場に倒れた。彼ら二人だけじゃない、いたるところでばたばたと人が倒れ始めた。
 ただ事ではないと思った小町はテーブルに突っ伏している優也のことを慌てて起こすことにする。
 耳元で叫ぶ。うるさいというように眉間にしわを寄せる。反応はそれだけ。早く起こさなければと焦る小町はさらに声をかけながら肩を大きく揺さぶる。


 数分してようやくうっすらと目を開けた優也。

「ようやく起きたかい。ならお前さんも早く倒れた人たちを運ぶのを手伝って!」
「な、何が一体どうなって……」

 バンと気合を入れるように優也の肩を強めに叩く。
 まだ少しだけ酔いの残っている状態であるが、周りの雰囲気が異様なものであるのを小町ほどではないが感じとっていた。
 優也の視界にバタバタと倒れている先ほどまで楽しそうにお酒を飲んでいた男性たちの姿が映った。
 居酒屋の入り口の扉を開けている小町の姿を見て、急いで倒れた者たちの所へと近寄る。まだ息はしているようであるがまったく意識がない状態だ。医療についてはまったく専門外であり、知識もないためにどうしようもない。純粋な怪我であればペルソナの魔法で回復させられるが、彼らには目立った外傷というものは見られない。ならば一体何が原因なのだろうか。
 するとどこからかガチャンという陶器が割れるような音が響いて来た。
 何が起きたのかと、慌ててその方向に視線を向ける。
視線を向けた先には、この居酒屋で働いている女性店員が倒れていたのだ。どうやら何本もの徳利をお盆に乗せて運んでいた途中に倒れたようだ。彼女の倒れ付した周りには粉々に砕け散った徳利と一面に広がっているお酒があった。透明なお酒が徐々に赤を含み始めた。どうしたのだろうかと近寄ってみる。すると彼女は運悪く破片で腕を切ってしまったようで、その切った腕の傷口から赤い血を流れさせていた。
 調理場の方でも誰かが倒れる音が聞こえる。

「これはまずいね……多分人里全域に広がっているよ」

 外からもなにやら騒がしい声が聞こえて来る。外をのぞきこんでいた小町が中に戻ってくるや否や、そう言って来た。
 一体これはどういう状態なのか。
 健康そのものである者たちでさえも突然に気を失ってしまっている。何故だか分からないが、このままでは非常にまずいのではないかと思った。

「そう、こりゃ完全にまずい状況だよ。何せこの人里全域を包み込むようにしてあるのは死そのものだからね」
「死、そのもの……?」

 どういうことだと首を傾げ、尋ねる。

「それも一番たちの悪いやり口だよ。何せ徐々に弱らせている」

 そう表情を顰めながら言う。
 やはり死と常に隣り合わせの神であるから死に対しての感覚というのは鋭いのだろう。
 彼女の言葉を聞きながら、倒れている女性店員を見る。
 見る限りでは大きな変化は分からないが、少しずつであるが顔色が悪くなっているのは分かる。これが彼女のいう、たちの悪いやり口というものなのだろうか。
 なら一体何のためにこんなことを。
そしてこれをしているものは一体何者なのか。

「完全に異変だね。それも普通ならありえない規模だよ。こりゃ四季様も動かざるを得ないだろうね」
「確か、閻魔だったな」
「そう。本当は生者の世界に余計な干渉はするべきじゃないんだけど、今回ばかりはそうも言ってられないからね。多分もう気付いて動き出してるんじゃないかね」

 そう話をしながら怪我を負った女性店員に対して治療を施すために後ろから抱きかかえるようにして、足音に陣を発動させる。
ペルソナを召喚する時に現れる魔法陣のようなものだ。青白い光が迸り、そこに一体のペルソナが現れた。
 金色の長い髪を持ち、緑色のスカートドレスを身に纏い、背中からは透明な羽を持った女性だ。恋愛のアルカナに属する“ティターニア”だ。
妖精の女王と呼ばれているということもあり、美しい姿をしている。
彼女がスカートドレスを摘み、ひらりと舞ってみせる。すると彼女からキラキラと輝く光が放たれ、それが女性の負っていた傷口に降りかかる。
みるみるその傷口が塞がって行くのが見て取れる。
中級単体回復魔法である“ディアラマ”と回復魔法の硬貨を増幅させるスキルである“神々の加護”によって回復量が目に見えて大きかった。
 役目を終えた彼女は優也たちに対して一礼し、姿を霞のように消した。

「実際にこの目で見るのは初めてだけれど、凄い力なんだね」
「そんなことよりも、倒れた人たちをどうにかしないと……」

 突然現れて、そして消えてしまったことに軽く驚きながら、小町がそう声をかけてきた。以前は浄玻璃の鏡を使い、その様子を見ていたために初めてというわけではなかった。実際に間近で見るのはこれが初めてであるが。
 彼女の反応はどうでも良いというように、優也は話を変えるように言う。

「そうだったね、外でも同じようなことが起きているようだから、どこも一杯だろうね」

 確かにそうだと興味深そうにしていた表情を真剣なものへと変える。
 先ほど外を覗き込んでいた時にも人里の住人たちがバタバタと走り回っていたり倒れていたりと騒ぎが起きていたので診療所に連れて行っても仕方がないと思う。それに高齢者や、子ども、女性の中でも特に妊婦など弱い立場の存在は最初にこの死の影響を受けてしまう。
 ――……今回ばかりはあたいも久しぶりに頭に来たよ……。
 少しだけ視線を足元に落とし、ギリッと唇を噛む。
 肩に担がれている大鎌を握り締める手の力が強まる。
 少しだけ頭を上げ、視線を優也に向けながら言う。

「母屋の方から布団を運んできてくれないかい? 運び出すよりも、ここで安静にさせたほうが良い……とはいえ、元凶を何とかしないと後数時間もすればみんなお陀仏だよ」
「くっ……分かった」

 少しだけ怒気を孕んだ様な声色だった。
 しかし優也は彼らの命にタイムリミットがあるということに気を取られていたために、彼女の今の心情をその声色から汲み取ることはできなかった。
 僅かであるが優也も歯噛みし、表情を曇らせる。
 しかし何もしないわけにはいかない。まずは小町に言われた通り、倒れてしまった人たちを寝かせるのに必要な布団を用意するべく、居酒屋の母屋の方へと向かうことにした。


 ―6月15日 満月 居酒屋―


 優也と小町がいる居酒屋には迷いの竹林の中に存在している永遠亭からやって来ていた薬師である八意永琳と彼女の弟子である鈴仙・優曇華院・イナバの姿がある。
 彼女たちが布団に寝かせられている人々の診察をひとりひとりこなして行く。
 その様子を後ろの方から覗き込む形で優也と小町の他に彼女たちと一緒にやって来た上白河慧音、藤原妹紅、そして地獄からわざわざ足を運んできたという四季映姫・ヤマザナドゥがいた。
 誰もが神妙な表情を浮かべてその様子を見守っている。
 最後の患者の診察が終わったようで、永琳は聴診器を耳から外し、首に引っ掛けるようにする。
 小さくため息をつく。
 それを見て慧音がそっと尋ねる。

「八意殿……彼らの方は?」
「ここまで見てきた全員と同じよ。目立った外傷は皆無……徐々に衰弱しているのを見るとこれ以上は私の手には負えないわ。精々栄養剤を投与してギリギリまで衰弱するのを遅らせるのが関の山、ね」
「そう、か……」

 永淋の口からは今の慧音にとっては残酷すぎる言葉しか出てこなかった。痛む胸に手を当てて、悲痛な表情を浮かべている。
 大きな鞄の中からいくつもの点滴を取り出し、それを眠っている彼らに投与するために鈴仙と共に作業を始める。
 医療に関してはこの場にいる者はまったく知識がないために手伝えることはこれ以上なく、何より一刻も早く元凶を倒し、この異変を解決しなければいけなかった。
 オホンっと小さく咳払いをするのが聞こえた――閻魔である映姫だった。
 永琳と鈴仙以外の者たちの視線が彼女に注がれる。
 閉じられていた瞳をゆっくりと開ける。

「やはり今回の異変……犯人は彼女で間違いなさそうですね」
「四季様、博麗の巫女たちはすでに動いているんですか?」

 すでに彼女の言葉からして犯人に目星はつけているようだ。
 小町も確信しているようで、幻想郷における異変解決の専門家である博麗の巫女の博麗霊夢は動いているのかを尋ねる。
 小町の言葉に対して映姫はコクリと首肯する。

「博麗の巫女の他にいつものように白黒魔法使い、そして守矢の巫女がすでに向かっています。彼女たちに任せておけば大丈夫でしょう」

 彼女たちをそれほどに信頼しているのか、映姫は非常に落ち着き払っている。
 やはりベルベットルームにおけるイゴールの占いが当たった。
 優也としては倒れることもなくいられているので、自分も向かうべきなのだろうと思っていた。それに異変を解決することがもとの世界に戻るための何かのきっかけになるかもしれないからというのも理由のひとつだ。
 それに人里というのはとても狭い集団である。
そのためお互いのことを知らないというのはあまりなかった。
もちろん優也のことは外の世界から来た外来人だということがすでに新聞などで知られている。それでも二ヶ月前の話、すでに優也はこの人里に住むひとりの住人だと認識が変わっていた。
この場にいない住人の中にもたくさんの知り合いがいる。八百屋や肉屋、魚屋など食料関係でお世話になっている者たち。慣れない農作業をしなければ行けないということで、色々と作業法を教えてくれた者たち。寺子屋で一緒に勉強をする子どもたちだ。
 そんな人たちが苦しんでいるというのに、今時分は何もできずにいるというのはとても悔しいことであり、今すぐにでもその異変先に向かいたい気持ちだった。
 優也自身このような思いを抱くようになるとは、今までそのようなことがなかったのでむずがゆさを感じていた。
 ギュッと拳を握り締めることでその決意を表す。
 そんな優也の気持ちを察してなのか、視線を向け、映姫が言う。

「あなたはこのまま人里に残りなさい」
「なっ……!?」

 映姫は悔悟棒を優也に対して突きつけながら、そう言った。
 思わずそう声を上げてしまう。
 けっして異変の解決に向かおうとしていたことに気付かれたのに驚いたからではなく、この場に残れという彼女の言葉に疑問を抱いたからだ。
 綾崎優也は二ヶ月ほど前に八雲紫によって幻想入りさせられてしまっただけの外来人である。数ヶ月幻想郷で過ごしているだけのただの一般人に過ぎない。
以前の紅魔館での異変を解決するのに一躍買ったというのは事実であるが、その時は偶々そこに居合わせただけで、もともと異変を解決するべき者が異変に気づけなかっただけだ。その時は運良く解決することができたが、幻想郷を上から見る者からすれば今を含めて異変に関わろうというのはただのでしゃばった行為に過ぎず、邪魔でしかなかった。
 映姫としてはもし優也がペルソナという力があるから大丈夫だと言ったのならば、彼女自身の能力――「白黒はっきりつける程度の能力」――を使ってでもこの場に縛りおいて置くつもりだった。その考えはただ力を得て、それを自身の実力なのだと驕っているだけの愚か者の思考でしかないからだ。
 優也と映姫の視線がぶつかる。
 そんな二人の様子を見ている他の者たちは何をいうわけでもなく、静観を決め込んでいる。
 映姫として優也を今回の異変の解決に向かわせたくない理由がもうひとつあった。それは。

「申し上げにくいのですが……私はまだあなたのことを容疑者のひとりとして考えているのです」
「っ!?」
「なっ!? ちょっと待ってください、閻魔殿!」
「どういう意味だ? 優也が何かをしたって言うのか?」

 はっきりとそう言い、彼女の瞳はこちらのことを覗き込むように向けられている。
 彼女の言葉にただ衝撃を受けるばかりで、それに対する肯定の言葉も反論の言葉も言うことができない。優也の代わりに反論の言葉を向けてきたのは慧音と妹紅の二人だった。まさか二人がそう言ってくれるとは思わなかったので、きょとんと二人のことを見つめるだけしかできない。
 優也の視線に気づいた二人は横目で見つめ返し、コクリとただ黙って頷いた。
 分かっている――そう言ってくれている気がした。
 二人のおかげで多少動揺は落ち着いてきた。だがこの世界でひとりの容疑者にされるということは、指名手配されたようなものであるから決して嬉しくはない。
 今の話を聞いていた者たちの視線はただ一箇所、四季映姫・ヤマザナドゥに向けられる。
 視線を一身に浴びる彼女は小さくため息をつく。

「私は何も綾崎さんを犯人にしたいわけではありません」

 ただひとり悪役にされている状況の映姫であるが、それでも冷静さを失わずにそう言葉を続ける。
どういう意味なのだろうか――誰もがそう考える。
 なにやらポケットから取り出す。彼女の手に合ったのは何やら透き通った小さな球体がいくつも連なってできているブレスレットがあった。
それは一体なんだろうか――みんなの視線がそれに集中する。

「綾崎さんは八雲紫のきまぐれでこの世界に連れて来られてしまった外来人、いわば被害者。しかし彼がこの世界に来たと同日から人里における妖怪の、今はシャドウでしたね。シャドウの活動が活発化したというのが集められた情報から分かっています」
「それはつまり、彼が何かしらの影響を与えている……そう言いたいのかしら、閻魔様は?」

 全員分の点滴を施し終えた永琳がこちらに視線を向けながら言う。
 いつ以来になるのかもう忘れてしまったが、久しぶりに走り回ったために額にうっすらと汗が滲んでいた。
 それを袖口で拭う。

「そう疑っています。私だけじゃありません、あの日博麗神社における宴会に参加した各所の者たちの意見も得て出された総合的な答えです。それは綾崎優也の監視、というものです」
「監視、ならその手にあるのは、優也がどこにいるのかをいつでも分かるようにするためのものってわけ?」
「そうです。この球体は特殊な石で作られたものです。監視するのは彼を連れてきた八雲紫にお願いしています。彼女の妖力も込められていますのでどこにいるのかを認知することができるようになっています」

 そう言って彼女の掌に乗せられているそのブレスレットを手渡してきた。これを受け取ることを拒否することはできない。優也はそれを黙って手に取り、左腕にそのブレスレットを通した。何か異質なものが左手首にあるというのが感じられる。それほど気になるわけではないが、やはり小さな違和感がある。
 慣れるしかない――しかし優也の立場がまた危うくなったのまた事実。
この世界には望んで来たわけじゃないと言い訳にはしたくないが、勝手に連れてこられた身でありながら、いきなり容疑者扱いで、さらに監視がつけられるなどと少し理不尽さを感じる。
 少し外の空気を吸いたいと思った。
 断りを入れ、外に出る。
外に出るのと同時に一陣の風が吹いた。
その一陣の風が頬を撫でる。しかしとても冷たく、今の季節には似合わない風だった。
 その風を受けても決して気持ちよいとは思えず、むしろ不快感しかしなかった。やはりまだ異変の元凶を倒すことができていないのだろう。
 異変を解決する専門家が向かったとのことなので大丈夫だろうとは思う。
 不意に雲が流れ、その隙間から月明かりが降り注いできた。
 ゆっくりと視線を夜天に浮かんでいる月に向ける。そこには大きな瞳のような満月が地上を見下ろしていた。


 ―6月15日 冥界―


 巨大なひとつ目のような丸い月が空多角から冥界の大地を見下ろし、その月明かりを視線として向けていた。
 今宵は満月、夜ということもあったが、明かりは十分だった。
 空を飛ぶ三つの影。
 それぞれが人間だということを月明かりが教えてくれている。
 博麗の巫女――博麗霊夢。その親友で、魔法の森に住む、自称普通の魔法使い――霧雨魔理沙。妖怪の山の頂に神社を構え、そして自身も現人神である巫女――東風谷早苗。その三人が今空を移動し、冥界の白玉楼へと向かっていた。
 彼女たちがこのようにして普通は生者が立ち入るべきではない世界である冥界を移動しているのは人里に壊滅的なダメージを与えている異変を解決するためであった。
 霊夢と早苗はそれぞれ巫女として周りに漂うただならぬ雰囲気を感じ取り、それぞれの勘を頼りに異変解決に乗り出していた。
 この二人の間に魔理沙がいるのは、丁度博麗神社に来ていたところで霊夢が異変解決に出かけるということだったので、自分も付いて行くと言い出したためだった。
 いつものことなので霊夢は魔理沙が付いてくることに対して、何をとやかく言うつもりはなかった。たとえ彼女に対して付いてくるなといったところで素直に聞くようなものではないとすでに理解していたからということもある。
 いつものように魔法使いらしく箒にまたがり二人の少し前を進行している。
 魔理沙の後ろから大幣をそれぞれもった紅白の巫女服の霊夢とこれまた青白の巫女服の早苗が空を飛んでいる。
 早苗は冥界自体にいったことがないために二人の道案内が必要だった。
 二人もそう頻繁に死者の世界に足を踏み入れるなどという愚行は犯さない。そんなことをしていたら地獄から閻魔がやってきて説教されるのが目に見えていたからだ。
 冥界に近づくに連れて彼女たちは周りの大きな変貌した様子に気付いていた。
 季節は夏である。しかし冥界の中に入って異変を起こした人物である彼女が住む白玉楼という屋敷に近づくに連れて、周りの木々が桜色の花びらを満開にさせているのが目に付いたのだ。
 ――桜……? どうしてこんな季節に……?
 確か二年ほど前に起きた冬が終わらず春が来ないという異変が起きた時、この辺りに同じように桜が満開になっていたというのを思い出す。
 だがあの時は彼女の従者である魂魄妖夢が幻想郷中から春度を集めて回っていたからだ。しかし今回はそのような動きは見られておらず、桜が咲くという季節も二ヶ月ほど遅い。美しさは相変わらずであるが、やはりその季節だからこそ楽しめるのだと思う。これもやはり異変による影響なのだろうか。
 魔法使いの魔理沙には大雑把にしか分からないかもしれないが、巫女である二人には肌に当たるこの異様な雰囲気に気付いていた。
 相手を徐々に蝕んでいく呪いのようなもの。
(霊夢さん……やはり気付いていますか?)
(当たり前でしょう? これに気付けないようじゃ、巫女なんてやってないわよ……)
 霊夢の隣に近づいてきた早苗が耳元で囁く。ジト目で彼女に視線を向けながら霊夢はそう呟き返す。
 呪いや浄化というものは彼女たちの専売特許だ。それを逆手に取られてやられてしまうほどがあったら笑いものである。
 ですよね――苦笑いを浮かべて早苗が言う。
 まったく――そう少しだけ呆れながらも、視線を前の方に向ける。二人よりも少しだけ先に行っている魔理沙が止まる様子はまだない。もう少しで着きそうだろうとは思っているのだが、何故だか嫌な予感が先ほどから頭を過ぎっていた。
 ハァ……こうも勘が鋭いっていうのも考えものよね――霊夢は胸中でため息をつく。
 博麗の巫女は総じて勘が鋭いというのがひとつの特徴だ。勘が鋭いというのは可能性を示唆するというよりも、ひとつの未来を言い当てるようなものだった。世界の記憶からそれを小出しにしていく。それが博麗の巫女は無意識の内に行っているのだ。
それは運命を操ることができるレミリアの能力よりも上位に位置するものだった。何せ彼女がいう言葉が現実に起こることなのだから。異変解決を確実にこなすことが出来ているのはこの能力の恩恵が大きかった。能力がなかったのなら手当たり次第に勝負を仕掛けて無理やりにはかせるというのが今代の巫女、博麗霊夢だった。

「っ!? ちょっとストップだ!」
「「っ!?」」

 突然前方を飛んでいた魔理沙が急ブレーキをかけて止まった。
 彼女の声を聞いて二人も慌ててブレーキをかけ、空中に佇む。一体何があったのかと霊夢が尋ねる。
 尋ねられた魔理沙はただ前方を見つめているだけで、黙ったままだ。

「魔理沙さん……?」

 そんな様子の魔理沙に対して、早苗がどうしたのかと後ろからそっと尋ねる。
 二人から尋ねられて、魔理沙はそれに答えるように腰からぶら下げている魔法具のひとつであるミニ八卦炉と幻想郷における異変解決に使用されるものであるスペルカードが構えられた。
 いきなり何故戦闘の構えを取るのか、二人には理解が追いつかない。
 だが突然魔理沙が叫ぶ。

「二人とも避けろ!」

 一体何が来るというのか。だがそれぞれの程度は違えど巫女の勘というものが危険だと、二人の首根っこを引っ張るようにする。その場から慌てて避難する。すると今二人が佇んでいたところに対して上空から強烈な稲妻が降り注いだのだ。回避され、目標を失った稲妻はそのまままっすぐ地上へと落ちていき、冥界の大地を穿つ。
 地響きとともに、地鳴りが発生する。
 上空にいるために地響きを感じることはないが、音とともに空気が揺れているのは感じ取ることができた。
 慌てて前方に対して目を凝らし、視線を向ける。
 そこには白玉楼に向かうために上る必要がある長い石段の始まりが見えた。そしてその石段を上るのを遮るようにして佇んでいる者たちがいた。
 ――あれって人なんでしょうか……。
 早苗は違和感を覚えながらそこにいる何かに視線を向け続ける。
 紫の仮面のようなものを被り、黒い騎士甲冑を身に纏って、その手には得物である長槍を構えている。そして移動手段のためなのか、その騎士甲冑と同じように漆黒の一角の馬に跨っている。
 その騎士のような格好をした者たちが三人、否三体と言った方が良いのだろうか。こちらにいる三人に向かって視線を投げかけていた。その中の一体が上空に向けて長槍の先端を向けていた。もしかするとそれが起こした稲妻だったのかもしれない。
 前に二体、後ろに一体という陣形を取っている。
 その後ろにいる一体が同じように長槍を空に突き出すようにして振り上げる。

『……“マハラクカジャ”』

 甲高くなく馬の鳴き声とともに、地の底から聞こえてくるような低い声でそう言った。すると自らを含めた三体の身体を薄紫色の光が包み込んだ。
 一体何をしたのか。
 相手は一体何者なのだろうか。
 疑問に思うことはたくさんあるが、今やるべきことはただひとつ。目の前にいる三体を倒して白玉楼へと向かうことだった。

「いつも通りちゃちゃっと終わらせるわよ!」
「よし、来た! 先陣は切らせてもらうぜ!」

 その手の中に数枚のアミュレットを構えている霊夢が言う。気合十分の彼女がアミュレットを放とうとした。しかしそれを遮るかのように魔理沙が前に出て邪魔をする。
 霊夢が後ろでなにやら文句を言っているが、魔理沙はそんなのは関係ないとミニ八卦炉を構えて、スペルを宣言する。

「ぶっ飛べ! 恋符「マスタースパーク」!」

 構えられた八卦炉から虹色に輝く極太の砲撃が放たれた。
 それに対して回避行動をとるのが遅れた一体の敵。衝撃波によって地面をめくり上げながら迫る。そして瞬く間にそれもろとも地面を飲み込んだ。
 地面に着弾し、爆発が起きる。
 パチンと指を鳴らし、決まったことを喜ぶ魔理沙。地面に着弾したことで土が噴きあがったために煙幕となっている。そのために回避した残りの二体の敵の姿も見えなくなっていた。

「何やってんのよ、この馬鹿!」
「アデッ!」

 逆にこちらにとっても戦局が不利になってしまったことを諌める。注意された魔理沙は叩かれた辺りを涙目になりながらさすっている。

「残りは二体……一体どこから」

 緊張を解くことなく、険しい表情を浮かべる早苗は指の間にスペルカードを構えながら、少しずつ晴れていく土煙の立ち込めている地上に視線を向け続ける。
 その時だった。ゾワリとした不快感を感じ、咄嗟に身体に緊張が走る。それと同時に煙を貫くようにして飛び出してきたボロボロの騎士甲冑を纏った一体の敵――「地獄の騎士」が現れたのだ。
 十八番の「マスタースパーク」を受けながらまだ立っていられるのかと、驚きに目を見開く魔理沙。それのせいで動きが一瞬だけ止まる。

「っ!? 何してるの魔理沙、早く回避行動を――」
「えっ? し、しまっ――」

 動きを止めている魔理沙を見て、慌てて動き出していた霊夢が叫ぶ。その声を聞いて、はっとする魔理沙。目前まで迫る地獄の騎士。右手の構えられた長槍の切っ先が不気味に輝き、そして無慈悲にも魔理沙に向けてそれが突き出された。
 ザンッ――突き出された長槍が魔理沙の右肩を掠める。数滴の鮮血とともに黒い服の切れ端が舞う。バランスを崩した魔理沙は何とか立て直そうとする。

『……“ジオダイン”』

 それをさせまいと、後方に控えている一体が長槍を魔理沙に向ける。すると上空から彼女目掛けて白い稲妻が降り注いできた。
 バランスが整わない状態でさらに咄嗟に向けるミニ八卦炉。込められる魔力が少ないために、それほど威力は望めない。だがまともに受けるのは危険だと判断し、魔理沙は再びスペルを宣言した。

「くっ! こ、このおぉ! 魔砲「ファイナルスパーク」!」

 先ほどよりも威力の高いスペルを宣言する。だが魔力の収束が終わっていなかったためにそれほど期待したほどの威力は出なかった。何とか相手の稲妻と正面からぶつかり合い、相殺することに成功する。だがその衝撃波によって魔理沙は無理な体勢で攻撃を放っていたために箒から投げ出され、地上に向かって真っ逆さまに落ちていく。

「ま、魔理沙っ!」

 衝撃波によって彼女が飛行の再に必要となるはずの箒が木っ端微塵になる。ぱらぱらと雨のように木屑と藁が地上に降り注ぐ。
 霊夢が落ちていく魔理沙に手を伸ばし、叫ぶ。
 衝撃をまともに浴びたためか、ところどこと服が引き裂かれているのが見える。落ちて良く彼女を見て、ふと疑問とともに嫌な予感が頭を過ぎった。
 魔理沙が空を飛べるのは彼女の能力である「主に魔法を使う程度の能力」と彼女の知人が作り上げたその箒があるからだ。端から見れば魔法使いらしさを見せるために格好や使うものなどにこだわりを持っているとも考えられるが、彼女とはそれなりの付き合いであるため、そうではないのだと霊夢には分かっていた。
 彼女は自力では空を飛ぶことができないのだ。能力を後天的に得たためなのか、基本的に何かを媒介にしなければ魔法を扱うことができない。
 普段なら何かしら喚いたりして何とかしようとするだろうが、気を失っているためか無防備な姿をさらして地上に落ちていく。
 ――いけない!
 助けに行こうと飛び出そうとするがすでに霊夢が佇んでいる場所から魔理沙のところに行くには距離がありすぎた。幻想郷最速の早さをもつ天狗の少女や、彼女に次ぐ速さを持つ魔理沙並の速度があれば何とかなったかもしれない。
 もう少し早く動き出していれば結界を張ることもできた。だが僅かに遅かった。自分の動き出しの遅さに内心舌打ちを零す。
 絶体絶命――そう思われた時に突然霊夢の髪を撫でる風が一陣吹いた。冥界に来る間にも何度か感じていたあの冷たい風ではなく、暖かなそれ。そのかぜが優しく気を失い転落し続ける魔理沙のことを受け止め、包み込むようにしてゆっくりと風船のようにフワリフワリとして地上に降りていく。

「ま、間に合いましたか……?」
「今の……あんたなの、早苗?」

 魔理沙のほうに向けて手を翳し、少し肩で息をしている早苗が尋ねる。目を丸くして彼女のことを見つめ、思わず尋ね返してしまう。
 現人神であり、風祝(かぜはふり)でもある彼女だからこそできたことだった。風の神を祀る役割を担っているからこそ、風は早苗にとっては自由に操ることのできる天然の武器だった。だが酷く集中力が必要なようで、咄嗟のこともあってか少し息を乱している。
 地面に降りた魔理沙の様子が見える。急いで二人は地上へと降りる。
 うつ伏せで倒れている魔理沙の姿がある。
急いで二人は彼女の元に駆け寄る。
抱き起こしてみると、目立った傷は肩をあの長槍が掠めたものくらいで、あとは衝撃波によって着ている服を多少切り裂かれているだけに留まっていた。気を失っているだけで、直に目を覚ますだろうと判断する。ホッとして二人は小さく安堵の息を吐く。
 抱き起こしていた彼女の身体をそっと地面に横たえる。そしてゆっくりと立ち上がる二人はそれぞれの手に大幣を構え、そしてスペルカードを手にして振り返る。そこには先ほど魔理沙が合いうちに持ち込んだ“地獄の騎士”と同じ存在が二体、まだ健在の状態でそこにいた。
(相手は雷使いよ。あとはあの魔法みたいなものね。そっちの知識はないから分からないけど、魔理沙のあれを受けてギリギリ戦えたってことは体力があるのか、耐久性が高いのか……)
(私は神奈子様の加護がありますので多少は耐えられますが、霊夢さんの方は……?)
 彼女の能力である「奇跡を起こす程度の能力」。それによって彼女は自身が祀っているに柱の神奈子と諏訪子の姿を外の世界でも認識することができ、この世界においても彼女たちからの加護を得ることができていた。
 信仰力が未だに少ないために全盛期ほどの力を持たない二柱。当然彼女たちから得られるかごというのも微々たる物である。それでも早苗にとってはどんな強力な防具にも勝るものであった。
 彼女の心の支えにもなっている。
 対する同じく巫女である霊夢の場合は、特定の神が博麗神社に存在していないために早苗のような神からの加護を得られていない。
 しかし彼女よりも数多くの、そう八百万の神を降ろすことができた。
 それができるのは博麗神社自体が空っぽの器のような状態だから。その神社を象徴する巫女もまたそれと同じ。だから八百万の神を降ろすことができた。とはいえまともに訓練をしたのは以前月に向かうとなった前の半月程度であるが。
 それ以降、気が向いたらという程度である。
(まあ、当たらなければどうということはないわ――さっさと終わらせて、魔理沙たたき起こして異変解決するわよ!)
 ――魔理沙さん、起きていても、眠っていてもとばっちりを受けますね……。
 霊夢にたたき起こされている魔理沙に苦笑いを向けている早苗。頭に衝撃を受けたためか、魔理沙は頭部を押さえながらむくりと上半身だけを起こした。意識がはっきりしてきたところで怪我を負っていた右肩を手で押さえる。彼女の表情には少しだけ痛みで歪んだ笑みが浮かび上がっている。

「痛っ! 油断したぜ……」

 相手は完全に弾幕ごっこのルールを無視した戦闘をしてきた。魔理沙としてはそのルールに乗っ取ったつもりだったために油断があった。
 ルール無視の戦闘は野良妖怪との戦闘で慣れている。
 霊夢と早苗もこれがルールに乗っ取らない、ただ純粋な戦闘なのだと理解し始めていた。
ごそごそと何かを取り出している魔理沙。白い布のようなものを取り出し、それを傷口にまき始める。どうやら包帯のようなもので、腰からぶら下がっている袋には色々なものが入っている。おそらく彼女の実験によって生み出されたマジックアイテムの数々なのだろう、と二人は思う。
ひとつの小さな小瓶を取り出し、それを一気に口に含んだ。止血剤か何かだろうか。少しずつ白い包帯に広まっていた赤い血がそれ以上広がることはなく、止まった。

「へっへー、こういうこともあろうかと作っておいて正解だったぜ」
「あんたのキノコ実験もたまには役に立つのね」
「たまにとは酷いんだぜ、霊夢」

 空になった小瓶を片手に誇らしげにしている。
 それのもとの原料がキノコだなんて誰が思うだろうか。
 そのことを長い付き合いで知っているから霊夢は驚くことはない。それでも一応褒めておこうと、魔理沙に対して適当に賛辞を送る。
 彼女にとっては余計な一言が込められていることに対して、失敬だなというように頬を掻く。
 静かな空間を切り裂くようにして複数の稲妻が彼女たちに向かって頭上から降り注いできた。咄嗟に地面を蹴り、三人は散開する。さらに赤い衝撃波が地面を隆起させながらこちらに迫ってくる。

『……“マハジオダイン”』
『……“ヒートウェイブ“』

 地獄の門に立つような者の声。彼らが跨っている馬が上げる甲高い鳴き声。再び巻き上げられる土煙の奥から現れる彼らはまさに地獄への案内人のようだった。
 そんなおぞましい姿の者たちよりだったら、彼岸の死神に連れて行かれる方が何百倍もマシだと思う。もちろんまだ死にたくはないが。
 手にしたアミュレットを放つ。それを見て馬に鞭を打って動き出す地獄の騎士。そんな彼らを追尾するように虚空を切ったそれらが向きを変えて再び彼らに向かって飛んで行く。一体の騎士にアミュレットが着弾しようとする。

『……“テトラカーン”』

 追尾するアミュレットを、その手に握られている長槍で薙ぎ払った。お札でできているそれが木っ端微塵になる。紙吹雪となって冥界を舞う。アミュレットを迎撃したその騎士がその手にある長槍の切っ先を、逃げているもう一体の騎士に向けて何かを詠唱した。すると追尾するアミュレットを動き回って回避しているその騎士の周りに光が発生し、包み込んだ。

「動きを、止めた……?」

 光の鎧を纏った騎士が突然に逃げるのをやめたのを見て、霊夢は訝しげにそれを見つめた。見たこともない魔法のようなものを扱う敵。隣に立つ魔理沙や彼女の知り合いにいる紅魔館のあらゆる魔法を扱う魔女や魔理沙と同じく魔法の守に住む人形遣いに特化した魔法使いが使う魔法とはまったく種類が違うように見えた。
 それが一体何なのかまでは分からないが、数枚のアミュレットがその騎士に着弾する寸前でいくつかのそれを操作し、騎士から離すようにした。

「どうしたんですか、霊夢さん?」
「いいから黙っててちょうだい……」

 攻撃の数を減らしたことに対して早苗が疑問を漏らす。彼女の疑問に対してただそれだけ答えると、すぐに視線を相手とそれに向かっていくアミュレットに向け直す。
 いくつかのアミュレットが騎士の鎧に着弾した――と思われた。
 突然にその光の鎧に跳ね返されたかのようにそれらに向きが今度はこちらに向けられ、迫ってきた。
 やっぱりね――とポツリと零した霊夢は、離すようにして待機させていた残りのアミュレットを使い、跳ね返ってきたそれらを相殺する。
 爆発し、煙が発生する。
 煙を切り裂くようにして、二体の騎士がそこに佇むように現れる。
 騎士が纏っていた光の鎧は効果を失ったためか、色を失って再び漆黒のそれへと変わっていた。

「弾幕を跳ね返した?」

 魔理沙が少し緊張のこもった声で呟く。
 今の魔法がもし自分の渾身の一撃をも跳ね返すものだとしたらどうなるだろうか。それを考えるとブルッと体が震えた。

「あの光の鎧に対しては通常弾幕は使えませんね。なら、スペルカードは?」

 思案しつつ、早苗は一枚のスペルカードを構え、スペルを宣言した。

「これで試します……開海「モーゼの奇跡」!」

 嘗てモーゼが民とともに脱出するために海を割ったと同じように、早苗を中心に突然現れた海が割れる。そして地獄の騎士たちの左右をはさむ形になり、次の瞬間には一瞬にして追っ手を静めた逸話と同じく騎士たちを飲み込んでいった。光の鎧を再び纏っていた騎士たちであったが早苗の攻撃を跳ね返すことは叶わず、まともに受けることになる。
 地獄の騎士たちが発動させていたのは物理反射魔法である“テトラカーン”だ。
 基本的に弾幕は貫通、または打撃属性に含まれるためにペルソナ魔法によって対処することは可能だった。
しかし今の早苗のスペルカード――開海「モーゼの奇跡」――は属性魔法に当てはめると水撃属性だ。そのために耐性そのものも持っていないこともあってか騎士たちに確実にダメージが通っていた。水が最初からなかったかのように引きながら消えて行く。残った地獄の騎士たちは濡れた地面に這い蹲るような形で現れる。

「スペルカードは普通に通用するわね」
「でもまだあのへんてこな魔法は持続してるぜ? まあ、あいつらもそろそろ限界のようだからな、一気に決めるぜ!」

 早苗のスペルカードのおかげで先ほど自分が放ったアミュレットを跳ね返した魔法が持続している間でも相手に自分たちのスペルカードによる攻撃は通用することが分かる。
 気合十分に魔理沙は再びミニ八卦炉を構えながら言う。先ほど痛い目にあったばかりだというのに、反省をするばかりか逆にやる気に満ちている。
 そんな彼女に呆れつつも霊夢も同じようにスペルカードを構える。今回の異変の元凶がいる場所はもう目の前なのだから、これ以上面倒なことに付き合う気はなかった。一気に潰すために霊力を込め、集中する。
 相手も三人が攻撃する姿勢を見せているのに対し、体力が残り少ないためかふらつきながらも起き上がる。騎士も、それを乗せる馬も動きが鈍い。
今なら確実に倒せる――そう思った。
 抗うようにして一体の騎士が長槍を振るう。攻撃のためではなく魔法を発動させるためだった。薄い紫色の光が二体を包み込む。先ほどの魔理沙の渾身の一撃に耐えて見せた魔法だ。おそらく身体強化か何かなのだろうと、魔法使いである魔理沙は考察する。
 ギロリと仮面から覗く空洞のような双眸が三人のことを睨みつける。
彼女たちは異変を解決する傍らで何度も自分たちよりも強い妖怪や神、人外を敵に戦い抜いてきた。
だがそんな彼女たちからは向けられたこともない、何か物凄く冷たく、それでいて決して視線を背けられない何かを、その双眸から発せられる視線に感じられた。
 その一体の地獄の騎士が最後の攻撃のためなのか槍を横に倒し、集中するような構えを取る。その瞬間淡い光が包み込んだ。その瞬間騎士の霊力にも似た力が増幅されたのが感じられた。
(ち、力が増幅しました!? それも倍以上もなんて……)
(強化魔法みたいなもんだろう? それにこれ以上は待ってられないんだぜ)
(一気に行くわよ!)
 敵が反撃の動きを見せたので構えに力が入る。
 ある程度相手が何をしたのかを理解しているため、気にすることはないのではと、それほど警戒を見せていない。
 問答無用というように力づくで突破しようとする構えを見せる。
 それぞれ三人がスペルカードの宣言をする。

「押し通るわよ! 神霊「夢想封印」!」

 色鮮やかな複数の光弾が現れる。それらが縦横無尽に飛び交い、騎士たちの周りを飛んで隙を窺う。そして攻撃態勢に入ろうとした一体に対してその攻撃を集中させた。
 激しく動き回っていた光弾が急ブレーキをかけたかのように動きを止め、一体目掛けて四方八方から狙い撃ちをするように迫る。そんな光弾から守るかのように防御に徹していた一体が身を挺して守るために攻撃態勢に入ろうとしていた一体の前に立ち、盾となる。

「無駄よ!」

 無慈悲なまでに光弾が次々と地獄の騎士に向けられる。驟雨の中に立つかのようにその攻撃からは逃れることはできない。槍を一閃し、少しでも足掻こうとする様子が見られた。だがそれも徒労に終わる。その得物を光弾が着弾し、粉々に砕いた。苦痛のために跨っている馬が悲鳴を上げる。光に包まれた騎士がその中から腕を伸ばす――が。

「これで、終わりよ!」

 光弾の後ろにさらに配置されていた無数の色鮮やかに輝くそれ。絶望したのか、その伸ばした手から力が抜けていく。そしてその言葉通り、光の塊が限界にまで膨れ上がった風船のような状態となり、一気に爆ぜた。
 眩い虹色の光が闇色に染めていた空に光を齎す。
 地面を滑るように走る衝撃波。凄まじい威力の爆発が土煙を周りに吹き荒れさせる。双方がそれに吹き飛ばされないようにと足を踏ん張らせて、その場に立ち続ける。
 爆音が小さくなり、衝撃波も収まる。土煙は風に流されるように漂う。
 不意に敵が動いた。
 砕け散りそうな長槍を構え空へと突き立てる。
 槍が空を穿つように向けられ、雷鳴が轟く。
漆黒の空に雷光が走り、そして。
 敵の唸り声のような魔法宣言と同時に空から彼女たちの頭上に落ちるようにして強烈な白雷が降り注いできた。先ほどの攻撃の非ではない規模の攻撃だ。威力、範囲、数ともに増加しているために回避するのは難しい。並みのスペルではゴリ押しされてしまうかもしれない。
 攻撃を受け止めたり、迎撃したりするにも相当骨が折れそうだ。万が一のことがあったら全員が感電して動けなくなる可能性だってあった。そうなると助けが望めない以上やられてしまうことも予想外というわけではなかった。
 しかしそれを可能にできる者がいた――彼女は日本の古き二柱の神々からの加護を受けている巫女であり、彼女自身も現人神として存在している。そして彼女の持つ能力――「奇跡を起こす程度の能力」――は古き二柱の神々を存在させることだけではなく、彼女自身に降りかかる災厄からも守る形で発揮される。
 風祝である彼女にとって風とは味方であり、武器であり、彼女自身でもある。
 風を纏えば鎧となり、風を持てば適を切り裂き、穿つ武器となり、風を自身の前に翳せば盾となる。
 そんな風と奇跡を持つ彼女にできること、それは。

「私が受け止めます……だから魔理沙さんはトドメの方を!」
「っ!? 分かったぜ!」

 早苗の声にただ了解したと答える魔理沙。
 箒を失った以上移動式の大砲のようには動けないが、その分固定砲台として安定した威力で確実に相手を沈められる。
 魔理沙の了解の声を聞いた早苗は頭上から三人に降り注ぐ雷に対して両手を掲げるようにして向け、叫ぶ。

「風よ、奇跡の力にて我らを守りたまえ……大奇跡「八坂の神風」!」

 吹き荒れる風。
しかしそれは三人を襲うのではなく守るようにして大きなドーム状に展開される。風によってできた結界のような幕に空から降り注いだ白雷が穿たんとする。耳を劈くような音とともに、目を開けていられないような閃光が迸る。
 光がゆっくりと引いていく。視界が徐々にそれとともにはっきりしてきた。雷を呼んだ地獄の騎士はすでに膝をつき、彼を支える馬は力なく横たわっている。得物である槍も切っ先から半ばにかけて完全に砕け散っているようでもはや鈍器としての役割しか果たせそうにない。それでも空洞の双眸から彼女たちに対して冷たい視線を投げかけ続ける。
 そんな騎士に対して真っ直ぐに腕を伸ばし、翳すようにしてミニ八卦炉を構える魔理沙。動くことはない敵に対して攻撃を外す気はサラサラない。すでに砲口には魔力が収束されきっており、いつでも発射可能な状態だった。

「これで終わりだぜ、恋符「マスタースパーク」!」

 虹色の砲撃が放たれる。
真っ直ぐに動けない地獄の騎士に向かっていく。地面を抉りとるようにして走るその砲撃。闇夜を切り裂く一線の光の軌跡が描かれる。
敵を飲み込まんとして迫ったそれが問答無用に騎士のことを巻き込んでいく。全身に浴びせられる魔力によってその身体が削り取られていく。
そして限界に達した時、黒い靄となって騎士とその愛馬は消滅した。
だが瞬く虹色の光の前ではその一瞬の靄というのは誰の目にも止まることはなかった。
 三人の攻撃による余波や地獄の騎士たちによる乱れ打たれる雷よって、冥界にある白玉楼に続く石段近くの土地がまるで嵐が過ぎ去ったかのようなそんな状態になっていた。
 しかし幻想郷においてこのようなことになるのはめずらしいことではなかった。弾幕ごっこをすれば外れた弾幕は地面を穿ち、木々を倒す。もちろん人里でそんなことをしたら守護者たる慧音の石頭が撃ち落されてしまうが。

「それじゃあ、さっさと行くわよ」
「そうですね、こうしている間にも人里の皆さんの命が掛かっていますからね……」
「まあいつも通りでいいんじゃないか? 下手に構えるよりはマシなんだぜ」

 周りの状態などには目も暮れずに、そう呟く霊夢。
 周りを一瞥した早苗であるが、この状態を何とかするよりも、今もまだ幻想郷中に漂っているこの死に誘う空気に当てられて命の危機に瀕している人里の人たちが大勢いる。その中には守矢神社を熱心に信仰してくれている人たちもいる。もちろん信仰をしてくれる人たちだけではない。人々に対して救いの手を差し伸べる、それが神の役割ではないか。神を祭るものであると同時に、現人神でもある早苗にはこの異変を必ず解決しなければいけないという理由があった。
 もちろん同じ巫女である霊夢も同じだ。
 さらにこの幻想郷の秩序を守る役割を担っているために、人妖がともに生活しているこの世界のバランスを崩しかねないこの異変を見過ごすわけにはいかなかった。
 魔理沙には二人のような背負うべき役割というものはない。
 ただ今までは好奇心旺盛な彼女の性格から、その異変が面白そうだからという理由で頭を突っ込んできた。今回も異変が起きたということを聞いてはじめはそんなつもりでいた。しかしその異変がどんなものであり、どんな影響を生んでいるのかを聞いた後はとても気楽な気持ちでいられなかった。
 ――早くしないと、いけないんだ……。
 二人の視線が外れているところで魔理沙はきゅっと唇を一文字にして、握り締めた拳に力を込める。胸の中では様々な思いが渦巻いてぐちゃぐちゃになっていた。

「よし、行こうぜ!」
「そうね、時間を食ってる暇、なかったわね」
「そうと決まれば後は一気に白玉楼に――」

 やや俯き加減であった魔理沙であるが、バッと視線を先に向け、威勢よく声を上げる。
 それを聞いて視線を別方向に向けていた二人が彼女の方を向いた。
彼女の言葉に同意するように二人は頷き、乗り込もうとする。
 飛び出そうとしたところで、三人は足を止めざるを得なかった。視線の先にある石段。そこには先ほどまで何もなかったはず。
 しかしいつの間にか三人の行く手を阻むかのようにしてその石段の前に座り込み、道を阻んでいる存在がいた。
 三人はそれらを迎撃するためにスペルカードを取り出し、宣言した。


 ―6月15日 人里 居酒屋――


 どれくらいの時間が経っただろうか。
 一時間か、二時間か。はたまた一時間も経っていないかもしれない。
 居酒屋の中で黙ってカウンター席に座り、手元にあるお冷を飲みながらただ異変を解決しに向かっている三人の少女たちのことを思うしかできない。
 今も座敷の方にはずらりと布団が並べられており、点滴のチューブが伸ばされ、針がそれぞれの腕に刺され、一滴一滴、まるでこの世界にはない時計の秒針のように時を刻んでいた。
 そこに寝かせられている人たちの顔色ははっきり言って最悪である。誰もが青白い顔をしており、今は迷いの竹林の奥に存在している永遠亭と呼ばれる診療所に住む薬師の八意永琳が作った栄養剤のおかげでギリギリ衰弱の進行を遅らせ、延命に成功している状態である。
 今回の異変はタイムリミットがあった。
 異変を起こしたと思われる人物。冥界にある白玉楼に住まう亡霊の姫――西行寺幽々子。
 彼女が今回の異変を起こした首謀者であろうと彼女のことを知る、特に地獄組の二人は根拠がないにも関わらず、確信を含んだように言った。
 それを疑うこともなく、他の幻想郷のものは頷いて、納得した。
 優也が幽々子と会ったのは以前の異変である紅魔館の件での宴会の時だ。
 第一印象は純粋に彼女の手元にある大皿に山のように乗せられている料理をまるで掃除機、ブラックホールのように飲み込んでいくのを見て、よく食べる女性だと思った。
 雰囲気は掴みどころのなく、ふわふわと浮いているような感じだった。
 どことなく真剣に取り込んでいるのかと思わせるようなものであるが、あの話し合いの中でその雰囲気を一変させるシーンもあったために、やはり只者ではないのだと思っていた。
 それに彼女は人間ではない。正確には人間だったというべきであろうか。
 彼女が人間だったのはもう何百年も前の話。有名な家系の一人娘であったらしい彼女。その容姿の美しさはあの頃と変わらない。何せ彼女は亡霊なのだから。
 そして彼女の持つ能力だ。
 この世界の住人だということもあり、彼女にも能力があった。それが何かしらの過去と関わっているようであるが、詳しいことは聞いたことがない。聞こうとも思もっていない。
 「死を操る程度の能力」――それが彼女の持つ能力だという。
 その名の通り、命あるものに対して死を与えるものであるようで、人里の住人たちがこうして衰弱しに向かっているのも彼女の能力によるものだと思われている。
 一瞬にして命を奪うことも死であり、このように徐々に衰弱していくのも死である。まるで命の散るさまを見て楽しんでいるように思えた。奪うことだけを考えるのならこんな回りくどいことをする必要もないからだ。
 さらにここに居る者たちの中で疑問になっていたのは彼女の従者である少女の消息についてだった。
 確かによくできた従者であるが、主がこのようなことをすると言えば黙って従うような従者ではないはずだと思われていた。
 いつもは真っ直ぐすぎるきらいがあるが、それでも主のことを第一に考えている少女だ。主である幽々子がこんなことをすれば彼女が冥界にも、さらには幻想郷にも存在することができなくなることだって考えられるはずだ。
 そう考えられるのなら真っ先に止めようとするはずだ。
しかしまさかであるが返り討ちに遭ってしまったのではないかとも考えられた。彼女自身半霊半人――つまり半分は幽々子同様に幽霊であるが、もう半分は人間なのだ。その部分には彼女の能力が通用してしまう。
 ――……ふぅ。
 心の中でため息をつく。
 閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥからこの場に待機していろと言われてからずっとこのように悶々と々ことを考えている。
 いい加減考えるのにも飽きてきた。
 少し話題展開が欲しいくらいであるが、この状況下、そんなことをとても口にはできなかった。
 居酒屋の中に居る優也以外の者たちの雰囲気もあまり良くはない。知らないうちにか映姫の姿が消えていた。閻魔であるから地獄の方で仕事があるのだろうと思う。小町の姿もないので彼女も付いて行ったのだろうかと思う。
 不意に椅子が動く音がした。
 同じくカウンター席に座っていた妹紅が立ち上がり出口の方に歩を進めた。

「タバコ吸ってくる……」

 そう一言言い残してガラガラとドアを開け、外に出て行った。ぴしゃりと音がしてドアが閉められる。
 心配そうに視線を項垂れている慧音の方に一瞬だけ向けたのが見えた。
 この居酒屋には最後に来た慧音。それまで各箇所を見て回ったようであるが、その度に彼女の見る光景はその胸をガラスの破片で突き刺すようなものだった。
 笑っていた八百屋の旦那も、いつも明るく井戸端会議をしている女性も、畑で取れた野菜を届けてくれる老男性も、いつも寺子屋にやって来てくれる子供たちも皆等しく倒れていた。慧音の呼びかけにも答えることなく、無慈悲に命を削り取られ続けていた。
 彼女はそんな彼らの姿を見て、苦しむ様子もなく死に向かっていく彼らに対して何もできないことに自らを責めているのかもしれない。
 そんな彼女に対して優也は声をかけてやることはできない。
 こんな時どんな言葉を選べばよいのか、それが分からなかった。
 妹紅がタバコを吸うためということでここを出て行ったのは、優也と々ことを考えていたからかもしれない。
 慧音と長い付き合いである彼女であってもこんな時、どんな言葉をかけてやればよいのか迷うのだ、まだ経った数ヶ月という相柄でしかない優也が何を言うこともできなかった。
 優也はまだ大切な人を失ったことはない。それが家族であれ、親類であれ、友だちであれ人間だけではない。飼っていた動物の死など、飼育したことがないので分からない。
 死という言葉を知っていても、それが一体どんなものなのかは分からなかった。理解もできない。
 人の出生には諸説あるが、知恵の実を食べた人間はその瞬間より楽園から追放され、旅人となった。数多なる苦難を乗り越え、人はひとつの世界を築き上げた。それが今の外の世界であり、幻想郷ができるまでのこの土地もそれの一部だ。
 旅人となった人はその目で世界を見て、数多の旅路を巡り、未来に淡い希望を抱いた。
しかし罪には罰を。
 そんな旅人となった人が行き着く先が絶対の死であるというのを誰が知るだろうか。知恵を得るために永遠を放棄した人の罪に対して与えられた罰は絶対の終焉である死だった。
 そんな死へと多くの人たちが今向かおうとしている。
 そんなことをさせてはいけない――分かってはいるが、今の優也にはできることはない。今異変の解決に向かっているのはこの世界における異変解決のスペシャリストだ。新参者でしかない優也よりも専門家の方が確実性はあるし、信頼性もある。
 閻魔である映姫は言った。
 曰く、彼女は紅き月が昇ったとき、血吸いの鬼を退けたと。
 曰く、彼女は死霊が集まる場所にて、桜の木下で舞う亡霊を退けたと。
 曰く、永遠の月が昇ったとき、永遠と須臾の姫を退けたと。
 曰く、古の地より舞い戻ったとき、戦を司り、湖と八坂の権化の神を退けたと。
 曰く、地上より追い払われた者たちの住まう地下の世界にて、心を読む覚を退けたと。
 実力も実績も申し分ない彼女なら大丈夫だと。そしてそんな彼女と共に向かった者たちもこの世界における実力者だとか。
種族間にある実力の差というものを埋めるためのスペルカードルール。それがある限り人間はそう簡単に異種族に対して負けることはない。
 そう今回の異変が今までどおりの異変ならば。
 一抹の不安があった。優也がこの世界に来てから起き始めたという小さな異変。そして紅魔館での異変。今回の異変もやはり自分の存在と関係しているのだろうかと邪推してしまう。だが映姫の言葉がどうしてもそうさせてしまう。
すると突然ガラリとドアが開けられた音がした。
その方向に視線を向けてみる。そこに立っていたのは映姫と一緒に姿を消していた死神の小野塚小町だった。小さくため息を漏らしている様子を見る限り少し疲れているようだった。

「四季様も人使いが荒いよ……」

 急ぎで戻るためだったのか、小町の能力――距離を操る程度の能力――を使ったようだ。ここから地獄までの距離がどれほどなのかは分からないが、それなりの距離はあるようだ。それに大急ぎだったということもあり、それなりの疲労は当然にあった。
 ぱちりと片目を開けて、しばらく離れていた居酒屋の中の様子を見る。
 相変わらず倒れてしまった者たちが起き上がる様子は見られず、一方通行で顔色が悪くなっていくばかりだった。
 このままこれだけの人数の魂が彼岸に来たのなら地獄は大忙しになるだろう。基本的渡し舟はひとりが限度であるから小町の仕事量も増えるのは必至だった。
 そんなことにならないようにするために異変解決に動いている者たちがいる。実際に小町もスペルカードルールで戦い、敗れたひとりだ。
 実力は折り紙付きだ。すぐさま疑うようなことはしない。だがこれだけの異変、今までのような暇つぶしで起こされるようなものとは逸脱しすぎていた。
 ――何も起こらないでほしいけどね……。
 あまり厄介ごとには関わりたくはないと思う小町。疲れきった身体を休めたいと思い、優也の隣の席に腰を下ろす。
 適当に台所の方からお酒の入った一升瓶とコップを持ってきた。勝手にもって来ていいのかと思うが、この際だ、あとで話はするとにやりと笑みを浮かべる小町。
それをチラリと見た慧音であるが、今は注意する気も起きないようだ。また視線を落とし、手を組んで額を支えるようにして考え込む。

「相当重傷のようだね……」
「さっきからずっとだ。適当な言葉も思いつかない」

 片手で頬杖をつきながらチラリと横目で慧音に視線を向けながら言う。
 どうしたものかとため息をつく優也。
彼の気持ちも分からなくもないと小町も小さくため息をつきながら目を伏せる。中に入る時にタバコの白い煙が上がっているのを見た。そっと覗き込んだそこにはまるで苛立ちを消そうとしているように何本ものタバコをふかしている妹紅の姿があった。彼女の足元には何本もの短くなったタバコの吸殻が捨てられていた。
慧音とは長い付き合いだ。彼女が小さい頃から知っているといっても過言ではない。まあ出会ったのは彼女が大人の姿の時なのだが。
 付き合いが長い分お互いのことはよく知っていた。
 それにも関わらず彼女は何も声をかけてやることができなかった。そんな不甲斐なさに対して苛立ちを感じているのだろうと思った。
 そっとしておこうかね――そう思った小町は声をかけることはせず、居酒屋の中へと入ったというわけだった。
 中に入ったは入ったで、同じような雰囲気が漂っていた。それ以上に重苦しいものだった。
未だに死へと誘う何かが漂っている。
いくら腕のたつ薬師の栄養剤だからといってそれがなくなってしまえば、あとは死へと一方通行だ。人里中の人間が倒れたのだ。在庫などもはやないに等しかった。
チラリと見た栄養剤のパックにある液体の量はもはや半分も切っていた。最初の方に診察の方に言った方ではもはや切れ掛かっているかもしれない。そうなれば栄養剤からの延命処置を得られない者たちはどうなるだろうか。
単純なこと――死あるのみだ。
潤いを求めるために口に酒を運ぶ。渇いていた口の仲や喉を潤してくれるがそれをおいしいとは思えなかった。常日頃から死と隣りあわせでいる小町であるが、それを居心地のいいものとは思ってはいない。
死神としての役割を果たすためにそこにいるだけで、普段の彼女は生者のいるこの現世にいる方が、居心地がよかった。死神よりもはるかに短い寿命しか持たず、儚い存在である人間。そんな彼らと酒を飲み交わし、話をすることが彼女にとっては幸せだった。
この異変により多くの命が奪われてしまったらもうそんな彼らと楽しむことができなくなる。個人的な理由であるが、今回の異変、彼女は許容することなどできなかった。
 からになったコップをテーブルに置く。
 カランという氷の音がやけに酷く、そして重く響いた。いつもは耳障りのいい音であるそれも、今は余計なものにしか感じられなかった。

「なあ……」
「……ん? どうしたんだい?」

 唐突に声が聞こえた。隣に座る優也からのものだった。
 小町の方を水に、真っ直ぐ調理場の方に視線を向けている優也が言う。

「死って……なんなんだろうな」
「へぇ……どうしたんだい? 突然そんなことを聞いてきて」

 いきなり尋ねられたのは死についてだった。
 死――万物一切の終着点。終わりであり、始まりまりでもある通過点。
 魂は不滅であり、何度も姿を変えて輪廻を繰り返す。いまだ嘗て完全に輪廻の輪から外れたもの(、、、、、、、、、、、)がいるものがいるとは聞いたことがない。

「俺には家族がいる。まだ健全だ。年のいった親類もいるけどまだ誰の死にも立ち会ったことがない……だが今回の異変、今もこうして誰かが死にいくのを間近に見ている。でも俺自身はそうなっていないから本当の意味で死について感じることはできないけれど……」

 淡々と語る。
 死を間近にしてようやく知ることができる人間と、間近に感じている死神との違いだ。人は死を知らないからこそ知りたがる。だからこそ他人を傷つけたり、挙句の果てには自分の身体をも傷つけたがる。

「あたいとしては一時の別れかね……ヒトには縁ってあるだろう? 死してなお途切れぬ絆って奴さ。だから例え死に別れてもまた出会う、別の形でね」
「一時の、別れ……」

 実際にそのような場面を何度も見てきた小町だから言えることだった。
 小町の言葉を繰り返す。
 なら今の家族、友達といった周りにいる者たちとは何かしらの縁をもっているのだろうかと考える。

「当然そこには悲しみや後悔がある。でもヒトは転生、生まれ変わるのさ」
「……」

 まだ家族や親類の死を前にしたことがないために、もしそうなったのならどんな感情を抱くだろうかは想像できない。
 だがこれだけは分かる――死んでほしくないと。
親しき者が、大切な者が死ぬのは嫌だと。

「命の答え……それが分からないから転生を繰り返す。あんただってそうしてきたんだろうさ。生前がどんな姿だったのかは知らないけどね」

 ヒトが繰り返し繰り返される輪廻の旅路の果てに求める命の答え。それを見出すために綾崎優也という人間としてこの世に生を受けた。
 倒れてしまった人里の者たちも同じだ。
何かしらの答えを求め、今日を、明日を生きる。
 だが旅路を巡る――生きることを無慈悲に奪い、死を与えることは果たして許されることだろうか。否許されるはずはない。
 様々な葛藤が優也の中に現れては消えていく。
 彼女たちに任せておけばいい――果たしてそうなのか?
 自分は所詮部外者――異変が解決されるのを、彼らの死を前にして指を咥えて待っているだけでよいのか?
 彼女たちのような異変解決の功績はほとんどない――人を助けるために実力は関係あるのか?
 何をするべきなのか、今自分が何をしたいのか。
 また川に流れる木の葉のように、その流れる方向などを川の流れに身を任せるだけでよいのか。
それは一番楽で、一番傷つかない、今まで通りの綾崎優也の選択の仕方だ。
 だが後悔しないのか、それですべてが終わった後に現実を受け入れられるのか。
 ベルベットルームでのイゴールによる占いにもあった決断を必要とされるとのこととは、きっとこのことなのだと分かる。
 どうする――その疑問が脳裏に浮かんだ時、すでに優也には答えが出ていた。

「道先案内人は必要かい?」

 小町が大きな鎌を肩によいしょと担ぎ直しながら、こちらに横目で視線を向けながらそう言う。
 笑みを浮かべる彼女から頼りがいのある雰囲気が感じられた。
 タイムリミットは残り少ない。彼女の力を借りることができるのなら異変の首謀者のいる所へと一瞬で聞けるだろう。

「頼めるか……?」
「意見は合致してるからね、断るつもりはないよ」

 優也の問いに対して、ウインクひとつを添えて言う――任せておけと。
 ゆっくりと立ち上がる。力なく項垂れていた慧音が二人に気付く。一体どこにいくつもりだと弱弱しい声で尋ねてきた。
 そんな彼女に対して、居酒屋の出入り口のドアの取っ手に手を添えて、優也は振り返らずに。

「異変を起こした首謀者のいるところに……行ってくる」
「なっ!? ちょっと待て! 君は閻魔殿からここに残るように言われて――」
「何もしないで待っていることもできる……でもそれだと今までと同じ俺だ。何も変わっていない、流される俺でしかないんだ」

 優也の言葉に鈍器で殴られたような衝撃を受けたかのように弾かれるようにして慧音が慌てて立ち上がり、叫ぶ。勢い余ってか椅子が倒れけたたましい音を立てたがこのときばかりはそのことを気にしていられる場合でも、状況でもなかった。
 確かに彼女の言う通り閻魔である映姫から待っているように言われている――だがそれでは何も変わらない。今までと同じでしかない。
 ここで選択しなければいけなかった。そして優也はそれを選び取った――前に進むということを。
 優也はこの目で前に進もうとし、確かに一歩を踏み出した少女の事を見た。
 そんな彼女の背中を押したのは彼女の家族であり、優也だ。
 彼女を見て羨ましいと思った。そんな風に一歩を恐れながらも、震えながらも踏み出すことができた彼女のことを。
 だからだろうか、自分も前に進もうと思ったのは。
 身を委ねる()だけではいけないのだ。自ら選び取り、一歩を踏み出す(一を始める) こともしなければいけない。それが命の答えを見つけるための旅路の一歩でもあるから。

「もう何もしないでいるの()は嫌なんだ……」

 一瞬にしてフラッシュバックする今までの生活。
 この世界に来てからの今日までの生活とは比べることもできないくらいの差があった――色があるかないかだ。色をつけてくれたのはたくさんの人たち。そんな人たちを守りたいと思うのは当然のことだった。

「……行ってくる」

 後ろから声が聞こえるが、それには答えることはなく。優也は小町とともに居酒屋の外へと出るのだった。


 ―6月15日 人里 居酒屋 外―


 がらりと横にスライドする形で居酒屋のドアが開けられる。
 外でタバコを吸い尽くしていた妹紅は居酒屋には慰労かどうかとその周りをうろうろしていたのだが、そこに先ほど中に入ったばかりの子街と一緒に優也が出てきたのでどうしたのだろうかと思いながら近づいた。
 近づいてくる妹紅の足音に気付き、二人は彼女の方に視線を向けた。
 近づいた彼女はどうしたのだと尋ねる。その顔にはまだ心配の色が濃くある。居酒屋の中で落ち込んでいる慧音のことを心配しているのだろうというのが分かる。

「異変を解決させに行ってくる」
「はぁ……?」

 優也がそう答える。
 彼の答えに対して妹紅はどういうことだというようにそう呟く。

「いきなりどうしたんだよ? 閻魔には待ってろと言われただろう?」
「それは――今までのように、流されるだけの俺は嫌だって思ったから。死にそうな人をただ眺めてるだけなんて、できないから……」

 当然のように尋ねてくる。
 それについては慧音に話した通り、これは我侭であるが異変の首謀者がいるところに向かうことを選択したのだと話す。
 命の答えを求める旅路――それを聞いて妹紅の表情が少しだけ沈痛なものに変わる。
 不老不死にとって旅路とはもはや終わったも同然のものだった。全ての終着点たる死を何度も経験している妹紅にとっての命の答え――それはもう彼女の手の中にあった。
 黙りこむ。
 映姫の命令に背くことは普通、許されない。
 彼女の部下である小町だってそれは理解している。理解していても、彼女自身の思いは優也と同じく、倒れてしまっている人里の住人たちを助けたいというものだった。
 例え彼らの死が今日だと決まっているものだったとしても、彼女はあえてそれに反することをしようと思っていた。また起こられるのは覚悟している。それが死神のやることではないことも理解している。
 だがこれだけは譲れない。理不尽に命が刈られるのを許容できるほど、彼女はまだ冷酷な性格はしていなかった。

「あんたはどうするんだい? このまま残るんだっていうなら先生さんのこと、お願いしたいね」

 小町が肩に担いでいた大きな鎌を担ぎ直しながら言う。
 強制するような含みはない。
 確かに不老不死――死なない程度の能力――である彼女が来てくれれば今回の異変の首謀者に対してはこちらが有利に展開を運ぶことができる、と小町は思っていた。
 問われた妹紅は少しばかり考え込むように口を閉じる。
 慧音のことが心配だ。
ここで誰かが死んだとなれば彼女はさらに酷くショックを受けることになる。人里に来ていた永琳は、今はいない。二人がいなくなってしまえば彼女を見ていられる者は妹紅だけになる。
 二人と共に向かい、戦力となることもできる。小町の実力が高いのは知っている、だが優也の方はまだ彼女にとっては未知数だ。その分だけ期待も多いが不安も多くなる。
 彼女が異変解決のために向かう理由もある。
彼女が人里とは決して関係をも絶っていないというわけではないからだ。
彼女が蓬莱人という蓬莱の薬を飲んで不老不死という人道を外れた存在だというのに普通に接してきてくれる人たちのことを知っている。自分よりも遥かに年上である彼女に対して容姿からかまるで孫娘のように接してくれる人たちのことを知っている。生意気であるが、彼女のことを先生と読んでくれる子どもたちのことを知っている。
 そんな人の温もりを与えてくれる彼らを助けたいと思う気持ちも強い。
 すると閉まっていたはずのドアが再び音を立てて開いた。三人の視線がその方に向けられる。そこに立っていたのはカウンター席に座り込み、ずっと落ち込み、頭を抱えていたはずの慧音だった。
 もう大丈夫なのかと思ったが、彼女の表情を見て、無理をしているのが丸分かりだった。
 それでも里の守護者、慌てふためくなどの醜態を晒すようなことはしない。

「私のことは、気にすることはない……お前も行って来い、妹紅」
「慧音、でも……」

 無理をしているのは見え見えだ。
 だからこそそんなことを言われてもおいそれと「うん、分かった」などと即答できるはずなかった。
 手を伸ばし、数歩歩いて彼女に近づこうとした妹紅に対してゆっくりと首を横に振る。
 心配はいらない、そう言うように。
 彼女のそれを見て足を止める。伸ばしていた手が、ゆっくりと下に降ろされる。

「私もできることをする……里の守護者が何もしないわけには行かないからな」

 空元気を見せる。
 これが今彼女にできる精一杯の強がりだった。こうでもしなければどうにかなってしまいそうだったから。
 だが今何をしなければいけないのかも大切であるが、今自分が何をしたいのか。それを選び取った優也の姿が彼女の目に映る。
 あのまま何もせずに落ち込んでいることだってできた。
 だがそれをしていて人里の人々は目を覚ますのだろうか。僅かでも命が繋がるというのだろうか。
 できることなどほとんどないに等しかった。だが彼女にもできることはあった。
それは――祈ることだ。
きっと皆は救われると。またいつも通りの活気ある人里の生活が戻ってくると信じることだった。
ひとりひとりに声をかけようと思った。声は耳に届かなくとも、きっと心に、魂には届くはずだと思ったから。
だから慧音は言う。自分は大丈夫だと。

「本当に、大丈夫なのか……慧音?」
「わたしも自分がしたいことをするつもりさ。だからも妹紅も自分のするべきこと、したいことをしてくれ。それを今私が止める権利はないから」
「……」

 妹紅が心配するように尋ねてくる。
 笑みを浮かべ、平気だということを伝える。
 自分の気持ちを包み隠さずに言葉にする。今自分がしたいことをするだけだ、と。
 だから彼女にも決めて欲しかった。
 また少し考えるように視線を足もとに落とす。そして数秒してその落としていた視線を上に上げ、口を開く。

「私も行く。あいつにとって私は天敵のようなものだからね」

 覚悟が決まれば後は進むだけだった。
 にやりと自分の境遇を逆手にとって見せる。
少し表情を顰めるものが二人いたが、すぐにその表情を消す。

「なら、決まりだね」

 一歩前に出ながら小町が言う。
 彼女の能力を使い、一気に異変の首謀者である西行寺幽々子の元へと行く算段を立てる。彼女の隣に優也と妹紅が進み出る。
 二人の肩にそっと手を置く小町。そしてゆっくりと瞳を閉じて集中する。能力の扱いにはもはや慣れたものであるが、複数人となればまた集中力がそれなりに必要だ。何十キロという距離を僅か一歩に縮めてみせる。それを可能にするのが小町の能力だった。

「それじゃあ、行くよ!」

 声高らかに言う。
 黙って頷く二人。
 目を開け、不敵な笑みを浮かべる小町。そして三人が同時に足を踏み出した瞬間――慧音の目の前から三人の姿が消えていた。



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