イリヤの空、UFOの夏
あるいはちょっとしたトラブル

作者:出之



 1.

 電話。この世に発明されると同時に比類無き利便を評価され、瞬く間に人間社会に浸透普及し文明そのものをも強力に牽引したこの利器は、しかし一方、受信者の環境に強引に割り込み発信者への従属を強制する、情報的な暴力装置の側面を持つ。

 今、この場でもそれは変わらない。

 ホワイトハウス、地階3号室。通称、マップ・ルーム。
 その更に奥にある公式には存在しない一室に合衆国の政治中枢、その殆ど総てが今、集結している。
 地階であるので当然窓はなく、であるのに光量は足りておらず妙に薄暗い。
 さほどの広さを持たないこの部屋に集まった全員がちっぽけな電話と、自分達を導く最高指揮官の挙動、その発令を注視し待ち受けている。
 大統領を筆頭に副大統領、国務長官、国防長官、統合参謀本部議長に、隷下の各委員である陸軍参謀総長、海軍作戦部長、空軍参謀総長、海兵隊総司令官そして各級補佐官。

 執拗に鳴り続けているその色は青に近いグレイ。型は、古い。
 かつて、”これ”と同じ姿形をしたしかし赤く塗られたモノが、この国と彼の国を直通回線で結んでいた。ホット・ラインと呼ばれるものだった。 

 前任者は彼に言った。この電話が鳴るとき、世界の破滅の5秒前だと思い給え。
 直ぐに、直ぐに取らなくてはいけない。
 告げられる言葉、その総てを無条件に受け容れなければいけない。
 天上に繋がるホット・ラインなのだと。
 幸いにして、私は”これ”に呼び出されることなく今ここを立ち去れるのだが、と。

 閣下。

 普段は決して表に姿を見せない、どころか存在そのものが極秘である特別問題専門担当補佐官が、どこまでも平静な声で呼び掛けてくる。
 言外に強く、電話をお取り下さい、という要請を滲ませて。

 それが例えばどのように些細なものであれ補佐官が最高指揮官に、否、この世で彼、ザ・プレジデントに、助言ではない何かを「命じる」ことが可能であるものは存在しない。
 もし在るとしたならそれは、それこそ神そのものくらいであろう。

 飽くことなく電話は鳴り続けている。

 閣下。

 今度の呼び掛けは先ほどより少し強く、また僅かに調子も上がっている。

 ああ。

 彼はうめいた。

 かつて、朝鮮半島で、キューバで、ベトナムで、中東で。
 世界を左右する決断を下し続け結果、人類を破滅の淵から救い上げてきた名君たち。
 彼らはどのような思いでそれを成し遂げていたのか。
 私がそれに続くことは、可能なのだろうか。
 5秒はとうに過ぎ去っている。
 世界は既に滅んでしまったのだろうか。
 無慈悲に鳴り止まないそれを、彼はようやく黙らせた。

 空雑音。

「ハローハロー! ミスタープレジデント、御機嫌如何かな?。

 実は少し相談があるんだ。いやキミの力を以ってすれば大したコトじゃない、まぁちょっとしたトラブルというやつでね、どうだろう、助けては貰えないかな」

 耳に飛び込んで来たのは見事なクィーンズ・イングリッシュ。

「はい」

 と大統領は応えた。直ぐにもう1回、さらに続けて。

 イエス、イエス、イエス、イエス。あたかも聖者を称えるが如くに、大統領は何度でも繰り返した。それは異様とも言える光景だった。
 この誇り高き男がここまで従順に、これだけの回数のイエスを連発するのを参集した誰もが、はじめて眼にしていた。

 唐突にそれが途絶えた。遂に一度のノーも、イエス、バットもなく会話は終了したようだった。それを”会話”と呼べるのであればだが。

 茫然自失の態で、彼が宙を見上げていたのは短い時間だった。

 常に変わらぬ強靭な意志を瞳に甦らせ、彼は一堂に振り返った。

「東シナ海の状況はどうかね」

 大統領の突然の質問に、国家安全保障問題担当補佐官が素早く回答する。

「最新情報によれば平常にあるといえます。
 現時点に於いては、当該海域にて如何なる脅威もその兆候も確認されておりません。
 私の立場から申し上げますに、陸海空、総てのレイヤーに於いて極めてクリーンな状態にあることを、保障するものであります」

 彼は軽く頷いて応じ、続けた。

「大変結構だ。では私から諸君らに一つ尋ねたい事がある。
 当該海域を我が軍が掌握することは可能なのか」

 安保補佐官はその言葉にびくりと体を震わせる。

「どのような状態をお望みでしょうか、閣下」

 統合参謀本部議長が代わりに進み出た。

「私は、我が軍による東シナ海の完全なる掌握を望み、これを君に命じようと思う」

 本部議長は難しい顔をする。

「状況に、特に、使用可能な戦力に拠ります」

「それも総て任せる。私は軍事に疎いものでね」

 微かな笑いすら浮かべながら、大統領は命じる。

「総て、でありますか」

 本部議長は更に難しい顔を示したが。

「そう、総てと言えば、総てだ。この件に関し、君が指揮下に持つ通常戦力総ての使用を、大統領の権限に於いて無制限に許可する」

 何か、晴れやかな顔と共に、大統領は宣した。

「は、それであれば。しかし、任務達成にあたり、障害が発生した際の対処については如何でしょうか」

 本部議長は続けた。

「核戦力を除く、如何なる方法、手段を用いても宜しい。
 速やかに排除し給え。私がその全責任を負おう」

「了解致しました、閣下」

 ぴしりと敬礼を決めながら、統合参謀本部議長は内心、安堵の吐息を漏らした。
 彼のような立場にある人間は、ほらあれを潜れそれを渡れとコースを示された後で、でも右手は使ってはならん、過剰だからな、左足指もだ、とワケの判らない理由と共にあちこちを縛り上げられた挙句、さあ行って来い制限時間は3分だ、朗報を期待している、という無責任な言葉でもって、走者レーンに向かって蹴り出される様な事態がまま、ある。ここまでクリアなコンディションが約束されるのであれば、特に部下へ気兼ねすることもない、現時点で彼が心配することは無さそうだった。

 大統領の口から次々に発せられる、およそ有り得ない数々の言葉その総ては、ただ、彼の脇を掠め過ぎ行くだけだった。国家安全保障問題担当補佐官は、自身の内に沸き起こる、怒り、恐怖、哀しみ、それ以外の自分でも判らない感情に、ただ震えているだけだった。

 東シナ海の状況は、はい平常です。
 それ以上、彼に向かって掛けられる言葉は無かった。
 意見を、もし意見を求められるのであれば。言いたいことは山ほど、否、一言でいい。

「論外です、今一度お考え直し願います、閣下」

 全員が、彼を振り返った。

「今、何か仰いましたか。ロックフィールド国家安全保障問題担当補佐官殿」

 笑うような形に唇を動かし、特別問題専門担当補佐官が、あくまで平静で平板な声で、事実を確認しようとする。

「なんでもありません、独り言です」

 口元に手を当てがい、顔面蒼白、こめかみには薄っすらと汗さえ滲ませながら、彼は小声で一堂に詫びた。

「現段階では以上、かな」

 大統領は何度か頷き、ああそうだドミニク、と快活な声を上げた。

「今後とも連絡を密に頼む、特別問題専門担当補佐官」

 彼女は見るものにより天使の微笑みにも、悪魔の哄笑にも取れる不思議な表情を浮かべると、無言で優雅に一度だけ頷いてみせる。


 
 日本は関東区、新宿市、歌舞伎町界隈。六本木や渋谷などに並び、
 関東区内でも無国籍化著しい街区の一つである。 

 彼、江嶋孝憲(えじま・たかのり)はその外れに、自ら好んで住み付いていた。
 昔に比べ家賃も随分と下がっていたし、風俗区画が発する艶に加え街角に漂う、猥雑な空気が住人としては何とも愉快でステキな所なのだと。

 そんなこんなでの帰り道。江嶋はほんの気紛れで1本、奥の道を歩いている。
 歩き慣れた帰り道のはずが、異国の裏通りを移動しているような気分になる。
 目新しいから、に留まらない。日本の風土が諸外国文化に食い荒らされ、或いは強かに従える。激突し、融合し、調和の末に立ち表れる奇観、おもわずはっとさせられる美観、苦笑以上の評価が難しい醜観すら。
 見飽きない、心躍る。それが道一つ外れただけで、騙し絵の様に思いがけない図版を描き出す。その光景自体が、変化が、堪らなく面白い。別に急ぎの道ではない。はたと気が付くと随分な遠回りになっていた。
 さすがに調子くれ過ぎだな。独りバツが悪く少し白けもし、今度は直線的に帰宅しようと試みる。A点とB点の間は望みもしない空白地帯。
 やみくもに足早に、最短的にジグザグ歩くうちに。
 当然のごとく、迷った。おいおい地元だぞこれでも。

 9月のまだまだ暑いあつい太陽の下なんともつまらない汗を流しながら拭いながら
 道を探す。今えーと1時過ぎで太陽があっち、南があっちなら帰り道はこっち。
 折れる。行き止まる。とほうにくれる。
 地区表示、番地を見る。読めない。塗り潰された上から見た事も無いキゴウが殴り書きされている。タガログか。アジア原語かアフリカか。
 道を尋ねる。通じない、こっちも聞き取れない。
 ようやく思い当たってケータイナビを起動する。道が読めない。
 データでは通れるハズの路地が違法建築で閉ざされている。

 あやしい自販機からよく冷えてはいるが気持ち悪く甘い、あやしい飲み物を口にしながら交差点に突っ立ち空を眺める。
 視界の半分には洗濯物が翻っている。涼を求めて二口飲んだが堪え切れずに、溢れ返った空き缶入れに向けてそのまま放り投げた。
 自販機を見る。再チャレンジの気力は湧かない。

 30分ほどを空費して帰路を示す手掛かりはなく。
 状況は悪化した、気が、する。気分ではなく確実に悪化していた。
 帰宅問題とは別の方向で。人の声が、気配がない。
 何かが始まろうとしている街角で置いてけぼりにされた。
 何が。見当も付かない。

 歌舞伎町の、例えば中心地区であれば「どんぱち」は別に珍しくもない。
 風俗街の周辺には大昔からヤクザや暴力団や各国の同類やらが、利権を巡り群雄割拠、常日頃から終わりの見え無い対立と衝突を飽くなき執念で続けている。しかしこんな、なんにもないところで抗争する根拠は考えられない。国家や行政から見放されているだけに、
 彼らは或る意味表社会の企業よりなお経済的だ。

 では、何だ。何が起ころうとしている。

 弾けるような乾いた音が連続して響いた。

 ちんぴらが持ち付けないチャカをガク引きするとそんな音がするだろう。
 それより音が近いことに江嶋は震えた。すぐ隣ではないが、近い。
 叫び声が上がり悲鳴が続いた。抗争か、抗争なのか?!。
 江嶋も叫び出したかった。なぜなんだこんな、なんにもないところで。
 責任者出て来い是非、納得のいく回答を希望する!。

 落ち着け。自分に命じながら江嶋は耳を澄ます。

 抗争現場の反対側に向かって、取り敢えず避難しよう。
 帰宅は一時中止。こっちか、と見当を付けて角を曲がった江嶋の目の前を
 何かがふっとんでいった。血を吹き出し振りまき、肉片と内臓をバラ撒きながら。

「わっ?!」

 江嶋は頬に飛んできて張り付いたモノを反射的に払い落とす。
 ぴちゃりと路面に落ちたのは耳のカケラ。無駄に秀でた自身の動態視力を呪う暇もない。
 足元のそれを見つめ喉元にせり上がるモノを覚えながら、江嶋は必死に頭を巡らせる。

 これ、ただの抗争じゃないぞ。

 顔を上げた視界に飛び込んできた映像が江嶋の理性を烈しく叩き揺さぶる。
 弾け飛び、掛ける。

 路上にぶちまけられた赤。

 その上に投げ出されたまだ湯気を立てている臓物。

 引きちげられて転がる眼を剥いた生首。

 死体、死体、重傷者、死体。

 悪夢の類の白昼夢、幻実の境界。

 それをいつ、どこで、踏み越えたのか。
 ふ、と。
 頭上から影が差した。江嶋が見上げた視線の先に体長2メートル以上の巨人が立ち塞がっている。

 周りに散乱していた死が、その鋭利な刃先が今、自分に指向している。
 奇妙に平静な思いで江嶋はそれを受け止めた。
 体内でアドレナリンが沸騰でもしたのか、自分のどこにそんな身体能力が隠されていたというのか。

 江嶋は背後に倒れ込みながら、紙一重、音を立てて過ぎる斬撃を交わしている。
 立ち上がり掛けた江嶋の、鼻の先で影が交錯し轟音を発して弾ける。
 仰け反り、反射的に目を閉じてしまう。
 ちらり、と江嶋は薄目を開ける。生きていた。無傷で。

「だいじょうぶ?」

 江嶋は声に振り返る。
 また場違いな、思わず呻き声が漏れる。
 江嶋の顎くらいの背丈の、銀髪の少女がそこにいた。

「立てる?」

 差し出された少女の手をそれでも江嶋は素直に握り返した。

 地獄に舞い降りた救世の天使、と呼ぶに彼女は現実の質感が強すぎた。

 立ち上がった拍子に、2、3歩よろめく。
 少女が何かを叫ぶ。江嶋の視界が突然振り回された。くるり、少女とその位置を変える。
 そして少女が吹き飛ぶ。閉ざされたシャッターに叩きつけられ路面に転がり落ちる。

 身長が2メートル以上。なぜかカウボーイ・ハットを頭に乗せている。
 目深に被ったその影に表情は判然としない。
 ただ、眼だけがぎらぎらと光を放っている。
 少し離れていても酷い、鼻が壊れそうな腐臭がする。もちろん外見もずたぼろで、衣服の残骸を身に巻き付けた姿はやはり、ホームレス以外の適当な表現が浮かばない。

 大ホームレスが江嶋の目の前にいる。江嶋は声を上げる間もない。
 悪夢のようだが、やはりこれは紛れもない現実だ。

 江嶋のすぐ前を凄まじい風圧が掠め過ぎる。
 ボクサーのような鮮やかなスウェーで体がそれを回避していた。
 これも火事場のなんとやらなのか?。

「逃げて! 」

 声を上げながら大ホームレスへ跳び付き組み合う戦闘少女。
 見ている前で彼女の体が舞う。
 背中から路面に投げ落とされた。口から危険なものが吹き出る。
 江嶋は必死に眼を動かし。少女がさっき取り落としたそれを見つけた。全身で跳び付く。

「これか?! 」

 叫びながら少女に向かってそれ、銃かもしれない何かを力一杯、放り投げた。
 ビンゴ!でも、グッジョブ!でも、ありがとう!でもなく。

「このばか! 」

 罵倒されたような記憶が、江嶋にはある。或いは別の言葉だったかもしれない。
 記憶が定かではない。
 空中で受け止め少女はそのまま撃った、ように見えた。

 音も光もない銃撃はしかし、まるで至近距離から
 ソードオフ・ショットガンの連射を浴びたかのように標的をばらばらに吹き飛ばす。
 すげ。
 同時に江嶋の眼は別の意識で光景を捉えている。
 血飛沫、は上がっていない。黄緑や空色の液体が宙にきらきらと舞っている。
 その大ホームレスが倒れると、無音の世界が戻って来ていた。

 おわった、のか。

 気付いて、呆然と江嶋はつぶやく。助かった、という思いと共に。
 江嶋の足がすくんだ。それから小刻みに激しく震え出した。

「な、なんだよ、いまごろになって」

 その場に転がった。立っていられない。
 珍しく洗濯モノの無い空が見える。
 路上に転がり周りを見回しているその視界に、
 棒のような姿勢でゆっくりと倒れ込んでいく人影が飛び込んできた。

「あ、おい? 」

 江嶋は力のない声を出した。
 まだ立ち上がれない。腕がすれスラックスが破れるのを構わず、江嶋は少女の元へ這い寄る。「大丈夫か、おい、生きてるか?! 」
 少女の耳元で怒鳴るがぴくりとも反応を返さない。

 サイレンが聞こえた。

 まだ遠いが関係がないとは思えない。いや近付いてくる、江嶋の錯覚かもしれないが。
 まずい、と江嶋は思う。いろいろな意味でまずい。
 少女を見る。動かない、その気配がない。江嶋は立つ、立ち上がろうとする。
 またひっくり返った。情けない、涙が出る。それはいいどうする。
 足を力任せに叩いた、痺れるほどに。再び足に力を込める、江嶋はなんとか立ち上がる。
 少女を見る。顔が血で汚れている。綺麗にしてやりたいがそのヒマはなさそうだ。
 抱きかかえ上げようとして抱きこぼしかけ、江嶋は少女の体を慌てて支える。
 意想外のその重さに驚く。くそ。江嶋は少女の”服装”を睨み付ける。
 つまりこの”戦闘服”か。しかし脱がしている時間もない。
 悲鳴に近い気合を吐きながら、江嶋は少女を無理やり抱え上げ、肩で支えた。
 重さが食い込む、フラつく。何かを呪いたくなる。
 クラブのダンベルでもここまで重くはない。
 歩き出す。歩きでどうする、江嶋は自身をムチ打つ。走りだす。実際は早歩きくらいか。
 いきおい伏目がちな江嶋の視界に、それが現れる。
 いつの間にか放り出していた、上着。跪き、少女を抱え降ろす。
 びちゃびちゃっ。いやな音を立て路面に流れ落ちる赤い液体。
 江嶋は上着に駆け寄り駆け戻りカモフラージュと、なけなしの止血効果を期待して手にしたそれを少女の頭に巻きつける。
 力なく立ち上がり、少女を見下ろす。江嶋の全身から汗が吹き流れ落ち、未だ十分に天高く輝く光熱源は、更に彼を平然と焼き払う。
 少女を見据え、身を屈め。
 再び抱きあげる。かかえ上げる。再び肩で支える。ふん、と鼻を鳴らし。
 立ち上げる。
 視界が奇妙に歪む。再び江嶋は、白昼の悪夢に踏み入ったような感覚に弄ばれる。
 ばかやろう! 。
 機械のような大音声と共に突然大声で怒鳴り付けられた。
 江嶋は思わずその場にへたりこむ。機械のような、
 ではなくそれは自動車のクラクション、だった。
 それなりに車が流れる通りまで、来ていた。

 あぁ。

 江嶋の口から嘆声が漏れた。あと一息だ。
 待つ。来ない。あるいは乗車中。
 キャラバンと遭遇した砂漠の行き倒れまんま、の反応だった。
 待望のタクシーに飛び上がり、両手を振って無理やりその足を止める。
 どう見てもワケありの全身傷だらけの若い江嶋と、等身大のオタク臭漂う奇妙な人形の組み合わせに黒人運ちゃんの顔は曇る。
 江嶋はもちろんその気配を予測し、運ちゃんにさっと大一枚を素早く無言で突き出した。
 ぱっと運ちゃんの顔が快晴に。
 機嫌の直った運ちゃん相手に第二の難関。
 江嶋が行き先を告げると再び運ちゃんの顔にそのくらい歩けよと曇りマーク。
 二枚目を追加で再びこれを吹き払う。
 タクシーから降り立った江嶋の前に最後の関門が聳える。
 このマンションにはエレベーターが、ない。そのぶん当然、安いが。
 これ以上人目を引くようなことは避けたかった。

 最後の死力を尽くし、江嶋は5階分の階段を一気に駆け上がる。
 自室に転がり込んだ時点で、居間に横たえた少女の脇に自分も倒れてしまいたかったがそうもいかなかった。
 まず、クーラーを付ける。この焦熱に置いておいたら化膿を手伝うようなものだ。
 湯を沸かしながら家探しをすると、全く記憶にない随分と立派な救急医療セットが出てきた。
 少女の頭に巻き付けた上着を丁寧に剥がしていく。
 傷口を湯で洗い、次いで消毒しているとき、彼女は僅かに顔を歪め、小さく声を漏らした。
 反応があるなら大丈夫か。江嶋は冷静に手当てを進める。
 軟膏を摺り込んだガーゼを患部に当て、包帯を巻いて終了。
 今度こその最後の力を振り絞り、寝室のベッドに少女を横たえる。
 義務は果たされた。口にしたところで江嶋の意識は途切れる。






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