イリヤの空、UFOの夏
あるいはちょっとしたトラブル

作者:出之



 3.

 日本海上自衛軍第2潜水隊群第2潜水隊所属、通常動力型潜水艦「こうりゅう」。
 第7艦隊に生じた異変を世界で最初に察知したのは、演習を兼ねてこれに触接していた海上自衛軍のこの可潜艦だった。

 現在、第7艦隊が根拠地とするグアム海軍基地。間近に迫った母港に向け一路南下を続けていた艦隊が突如、転針した。
 おお、すげぇ。聴音手が思わず声を上げる全艦一斉回頭。ワルツを踊るが如し優美な艦隊運動は同時に、高い錬度の発露でもある。
 この変事をどうするべきか。短い討議を経て速報が決断される。「こうりゅう」から発射された信号弾は必要距離分航走、発射元から十分距離を取り浮上、頭上に向け極、短い信号を発信、太平洋の頭上に浮いている、国内事情的にはなるべく忘れていて貰いたい「情報(偵察)通信衛星」がそれを受信、すかさず日本本土は横須賀の潜水艦隊司令部に投げ落とす。
「第7艦隊転針ス」情報は国防省、市谷に飛んだ。しかしそこまで。

「それはつまり、我が国の安全保障にどの様な影響を与える事態なのかね」
 事務次官が怪訝な表情で述べる。統合幕僚長は苦い顔で応じるしかない。
「いえ、現時点に於いては、何ら影響を被るものではありません」
 次官はあからさまに呆れた表情を浮かべる。
「であれば。何が問題だというのかね」
 呆れたいのは統幕長の方だ。彼は言いたい。”あの”第7艦隊が母港への寄港を目前に一斉回頭してのけた。伊達や酔狂ではない、間違いなく”何か”があるのだ。
 それは、何だ。
「第7艦隊の動静を軽視するべきではありません。水面下で、何らかの事態が進行している可能性は、極めて高いものがあります。今は、情報収集に努めるべきです」
 どうしようもない無力感を背に統幕長は言い募ったが、当然、切り返される。
「何らかの、ね。別に偵察機を飛ばしても構わんが、貴重な血税だ。どこへ何を調べに行かせるつもりだ?」
 それが判れば苦労はない。
 多年に渡り営々と築かれてきた彼の国との関係を断ち切ったのは、もちろん軍人ではなく国民とその選良による選択だった。
「半島、大陸、或いは北方。何か不穏な兆候でも」
 言い被せてくる次官に対し、統幕長は返す言葉がない。全くその通りだからだ。
「現時点では、何らの兆候も存在しません」
 現時点、では。
 しかしアメリカは行動を開始している。
 何かが、足りていない。それは何だ。統幕長は自問を繰り返すが手持ちの材料をどう組み合わせてもそれらしい解が得られない。かといって手持ちの情報が足りていないとも思えない。奇妙だ。パズルは完成している。しかしどこかが欠けているはずなのだ。
「大臣には私から伝えておく」
 興味を失った顔で次官が結んだ。


 第7艦隊。
 ”地球の半分”をその活動範囲とし、40〜50隻の艦艇により構成される。アメリカ海軍内でも最大規模を誇り、単一の艦隊戦力としても地上、史上最強と呼んでよい。
 艦隊、と称されるがその実態は基地航空戦力をも隷下に持つ複合戦闘部隊であり、基幹戦力をなすフォード級原子力空母「アメリカ」が搭載する90機の航空戦力を合わせその数300に達する他、強襲上陸作戦を可能とする両用部隊戦力を併せ持つ。平時に1万5千の兵員を擁し、戦時動員では水兵海兵その数5万に膨れ上がる。正直、その戦力は並みの中小国の全戦力を軽く凌駕し、必要であればこれと対等以上に渡り合える能力を有する。 1艦隊で1国を降す。第7艦隊は合衆国の力の象徴の一つでもあろう。

 第7艦隊旗艦「カスケード」。
 かつて旗艦といえばそのままに主戦力であり、艦隊の最強戦力を兼務する存在だったが「カスケード」には武装といえば少数の近接防御システムくらいで他に特段兵装はない、否、林立する通信アンテナこそがこの艦が持つ最大最強の武器だ。これは艦種が”指揮艦”であることだけを意味するものではない。「カスケード」が担うC3I、指揮統制通信そして乗組む5百名に近い兵と呼ぶよりむしろスタッフが扱う情報、これらが整然と運用されることではじめて第7艦隊という巨大戦闘集団は戦力として機能する。

 その戦力の更に中核に位置するのが一人の男。司令官、アレクサンダー・ラムソン海軍中将。個人としての彼は、ようやく授かった一粒種相手に向け貴重な自由時間を削り通信回線越しに飽くなき”いないないばぁ”を捧げるような情愛溢れるパパだが、指揮官としては闘将、勇猛かつ冷厳な鋼の男の一人である。
 しかし今彼は、一抹の不安を胸に宿している。外から見てそうと知られるような線の細い男では当然ないが。
 与えられた命を素直に受け、その達成のみに尽力する。良き兵とされるものの姿だ。だが彼のような立場にあるもの即ち、一国の国防大臣に比肩する戦力を率い、権限を有しその責務を負うもの、そう単純ではいられない。与えられた命の背景にあるものを含め佳く理解に勤めその変化を予見し、場合により臨機に対処する。これが将たるものの勤めだ。
 それが、今回は見えてこない。
 白紙委任に近い命令そのものは明白で遂行に関して疑念の余地は、ない。艦隊直上にエアカバーを設け後、各機各艦それぞれ空海海中に隙無く眼を凝らし耳を澄まさせていればそれで宜しい。
 何の為にだ。
 つまり。自分の更に頭上高く極秘を冠した何かが舞っているというのか。海軍中将如きでは触れ得ない何かが。
 想像も付かない、な。
 彼はそこで思考を打ち切る。知り得ないものをあれこれ根拠無く憶測するのは第7艦隊司令たる自身の職務ではない。自分の仕事はもっと実際的なものに限られる。
 ラムソンは制帽を手に取り、目深に被り直す。
 アメリカ、発艦を開始、の声が上がる。ラムソンは軽く頷いて応諾を示す。


 ファーサイド・ムーン
 地球から見ての月の”裏側”。
 月の裏側といえば定番は”うちゅうじんの、UFOの秘密基地”だが残念ながら現実には存在しない。
 代わりに実在するのが地球人の手になる宇宙基地だった。東西冷戦の絶頂時人類の明日を賭けて、両陣営はここ人外の果ての地で和解の握手を交わしたのだ。その後は周知の通り東側が左前になって冷戦は終結するのだが、そうした事情から現在の運営はほぼ米一国に引き継がれている。運営といっても基地からすれば、平常稼動に限れば殆ど自活の態勢が確立されているのでいうほどのものではないが。
 基地の本体は月面地下にその身を潜ませる。存在の秘匿と同時に、大気層を持たない月表面は何らかの構造物を常設するには危険に過ぎる環境だからだ。
 そして「ブラウン・コロリョフ・ベース」という偉大ではあるが座りの悪いこの名を冠された基地は今、突然の発令を受け全力稼動状態にある。基地が保有する唯一の戦力といえる戦闘艦、全2隻の即時出撃を命じられての喧騒だった。
 戦闘艦。戦艦でも巡航艦でも駆逐艦でももちろん空母でもないこの呼称は、宇宙戦艦の名乗りを上げたいのはやまやまだがそれこそ駆逐艦も巡航艦も随伴しない現在の戦力整備状況ではあまりにおこがましい、と関係者が自重したのかどうかは判らない。
 しかし、主兵装として単装レーザ艦体上下に2基、副兵装として核弾頭ミサイル2発(次発なし)、とあっては全長150mの図体ながら相応しいは「宇宙戦闘機」、”艦”を名乗るにも僭越であるかもしれない。
 搭乗員も艦長と副長の2名のみ。早い話が前席のガナーと後席のパイだ。
 でもって、主にサイズの関係から「それ行け」と言われてもスクランブル・テイクオフなどできようはずもない。まあその戦闘機のホット・スクランブルも発進待機あればこそでコールド・スタートから5分で飛び立てるものではないのだが。こっちを同期あれの動作確認、のチェックリストを頑張って切り詰めて、それでも3時間は掛かる。加えて宇宙という環境は、うわ変事! となっても胴着も不時着水も、一時浅瀬に乗り上げての座礁避難も許されない危険でめんどうな場所であるので事前点検にも自然、熱が入るというものだ。
 しかし奇怪な発令だった。
 1秒でも早く発進し、地球まで降りて来い。
 命令はこれで終わっている。地球まで降りて来いは別に構わない。しかしその後、どこで何をするべきなのか。命令は何も伝えていない。問い合わせにも回答がない。
「解せぬ。戦闘艦2隻を投入して何をさせるつもりだ」
 基地司令のゲオルグ・スターン少将は発進前点検の進捗を横目に呻く。
「状況が流動的である、ということで解釈するしかありませんかね」
 副官が苦笑を浮かべながら意見するが余り身はない。
「流動的でも構わん。最新情報が伝えられて然るべきだろう」
 それは、そうだ。
 月の裏側という立地に加え、公式にはもちろん非公式にも存在を許されない基地の性格から、ブラコロベースは情報的にも地球から隔絶されている。月から地球に向かって出所不明の怪電波が発信されたと世間を騒がし痛くて堪らないハラを探られるようでは目も当てられない。与えられた情報を享受するしかない立場にある。その情報経路を絞られると手も足も出ない。
 地球に存在する宇宙戦力とのみ比較してみるとその存在は絶大なものがある。戦闘艦2隻でもって地球軌道上を制圧、制宙権、のようなものを確保することは十分に可能だ。軌道上に遊弋している精々自爆してその爆散破片で相手も道連れにするか又はようやくセンサを焼き切る程度の微弱な攻撃くらいしか能のないキラー衛星も、地上から打ち上げられる攻撃も2艦の敵ではない。余裕を以ってその総てを殲滅できよう。
 そのような攻撃が必要な事態が地球で発生、生起しつつあるというのか。或いはWW3が?核の応酬が地上で始まるとでもいうのか?!。ばかな。
 約2時間半後。困惑と焦燥に基地が沈む中、2艦は相次いで発進した。

 思えばおかしい。寝入ってしまったカナンがもたれ掛かる体を周期的な揺れに任せながら、江嶋は頭を捻る。
 先の襲撃の件だ。
 なぜ奴は、(おれと)彼女を仕留め損なったのか。
 奴は、拳銃で武装したちんぴらどもをあっさり死体の山に変えてみせた。
 ”戦闘服”を装着したカナンでも、苦闘していた。
 あのとき、完全に奇襲され、二人とも素手だった。
 瞬殺されなかった方が、おかしい。
 まず、奴はあまりにも動きが鈍重だった。
 屋内だったからか? いや。
 あの後、部屋を自在に破壊していたじゃないか。屋内は理由にならない。
 思うように動けなかった、のか。
 つまり、と江嶋は考える。あれはカナンが討ち漏らした、”死にかけ”だったのか、と。それなら一連の不自然も、奴のぎこちない動作も理解出来る。
 であるなら、と江嶋は続ける。あれが、最後であった可能性は高い。いやむしろ、偶発的な攻撃であった可能性が。ならもう”安全”なのかと問えば、それは大いに疑問、としかいえない。少なくとも新宿に戻る気だけはしない。まあよし戻れても大家と不動産屋から苦情と事情説明で吊し上げを喰うだけ、だが。
 音が揺れが止まる。おっと終点だ。ねぼけ眼のカナンの手を引き、降りる。
 JR、八王子駅前。
 何で八王子なんだハンパだな、国外がムリでもせめて関東から出ようよ自分、という声がする。
 一方、なに隣町でだめならそれがハワイでも南極でも変わらん気がする根拠レス、という意見がある。
 江嶋は後者の意見を採用した。実際、今すぐ海外に逃げる体力はないし。
 それに、そう。確たる根拠はないが幾つかの状況証拠がそれを示している。
 そんな気がする。
 取り敢えず、と江嶋はカナンを見下ろし、その視線に気付いたカナンは微笑み返し。
 今夜の宿、だな。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.