目を開けば、そこに広がるのは一面の水面。
空は暗く、見渡しも悪い。
それらは全て、彼女の記憶には無いものであった。
「……あれ?どこここ?」
当然ではあるが、氷の妖精、チルノはこの状況を全く理解出来なかった。
彼女の住み家は湖ではある。だが百年を超える長い時を生きた彼女が、
自分の庭同然の湖で迷う事など無いはずである。
その上、仲間の妖精の姿も見えない。チルノの心の中に浮かんだ疑惑は、
回した視界に入ったものによって、遂に確信へと変わる。
「……何あれ」
その先に在ったのは、色の無い濃霧に包まれた神殿のようなものだった。
当然、チルノの記憶に存在するものではない。
妖怪か何かの仕業だろうか、とチルノは考えるが、やがて無駄な考えだと切り捨てると、
その神殿に向かって身体を進める。彼女は単純な性格ではあるが、無駄に迷わない精神が功を奏したようだ。

神殿を進むチルノ。
中の様子は、中世の欧州を連想させるもの、高度な文明だとは言い難い。
付近に西洋の妖怪の住み家があるとはいえ、幻想郷は東洋の影響を強く受けている。
未知の物を前にして、好奇心はチルノの足を前に動かした。
その先で、チルノは人影を見つける。そこから彼女は迷わなかった。
「ねー、ちょっと聞きたいんだけどさ……」
彼女は人を恐れる事は無かった。それは彼女の力ゆえでもあろうが、
多くはその朗らかな性格から、敵を作りづらいからだろう。
笑顔のまま、その男の背中に話しかけた。

だが、振り向いた目が合って、チルノは寒気のようなものを感じる。
ほぼ同時に、男の手に握られた直剣がチルノに降り下ろされた。
「わっ!いきなりなんなのさ……!」
後ろに飛び退いてそれを避けると、チルノはもう一度男の顔を見据える。その目に理性は感じられなかった、
明るい彼女ではあるが、彼女も低級とはいえ、魔の者である。ある程度の非常さは持ち合わせていた。
大きく呼吸を吸うと、氷の剣を錬成し、それを右手に握る。
そして体勢を整えると、チルノは敵意へと相対する。その目に、何時もの朗らかさは無かった。
「来なよ、人間」
言葉に誘われたように、直後、男は大きく剣を振りかぶってチルノへ飛びかかる。
対するチルノは左手を振るう。しかしその手は男には全く届いていない。大きな隙を見せたチルノの体に、
男の刃は――届かなかった。
いつの間にやら、地面から伸びた氷が、男の足を縛り付けていたのだ。
その身体に掛けられた力は、慣性の法則に従ってそのまま男の身体を倒し、
今度はチルノが、うつ伏せに倒れた男の背中目掛けて飛びかかる。
彼女に対し、身体を止めるものなど無く。
その勢いのまま、氷の刃がその背中を貫いた。
引き抜く必要も無いと、チルノは剣から手を放す。
男の小さな呻き声が消えるのを聞いて、チルノはまた歩み始めた。

神殿を抜け、野外へと出るチルノ。
そばに転がっている、まだ新しい人間の死体を見つけた。
(……さっきの奴とおんなじだ)
その装備品から、先程の自分を襲ったものと同類だ、と考えた。
さらに耳に響いた人間の断末魔を聞いて、チルノはハッと顔を上げる。
声は決して遠い所では無い。これらは、自分以外の奴等の敵……
ともすれば、味方とも言える存在が近くにいる事を示していた。
背中の羽を広げると、 チルノは断末魔の上がった方向へと飛んだ。

「ねえ、ちょっといい?」
繰り返すようだが、チルノという少女は、
人当たりが良く、朗らかで、言うなれば「誰とも仲良くなれる」性格である。
それは、相手が人間でも、妖精でも、妖怪でも……はたまた「神」と呼ばれる存在だったとしても、
それは変わらなかった。
[……何者だ]
その声は――女声と男声の混じった、奇妙な声だったが――紛れも無く人の言葉を話してはいた。
だが、そこに居たのは明らかな「異形」だった。
それは、おおよそ中世の世界観からは大きく逸脱していた。
輝く青い光の刃を振り回し。
全身にあらゆる武装を施されている、悪魔のようなシルエットをした、鋼鉄の装甲を持つ、機械人形。
だが、それでもチルノのその態度が変わることは無かった。
[狂人の次は羽の生えた化物か。先程から理解不能な事項が多すぎる]
チルノの倍はあるであろう体躯で、それはチルノを見下ろした。
「ああ……あんたはちゃんと話せるんだ。ってか、化物じゃないし!妖精だもん!」
しかし、その姿に物怖じしないチルノもチルノである。
この鉄の巨人の複眼に捉えられても、動揺の1つも見せていない。
そればかりか、心外であった言葉に反論するほどである。
[妖精だと?……お伽話の世界にでも、潜り込んだとでも言うのか]
「ふぇ」
その言葉に、チルノは僅かな違和感を抱く。
これは、もしかしてーー。
そう考えれば、チルノから場違いな彼の姿形も理解できる。
その答えを聞くことに、チルノは当然、遠慮などしなかった。
「ねえ……もしかしてあんたも……ここ、知らないの?」
ストレートに聞いた言葉から、少しの空白が生まれる。
機械人形の彼に、口は無かった。彼に答える気があるのか、そこから伺うことは出来なかったが。
チルノがそんな思考に達するよりも早く、返答は返って来た。彼の、女声と男声の混じった声であった。
[……その言葉から推察するに、お前も、か]
その言葉を聞いて、チルノは一気にため息をついた。
それもそうである。迷子になってしまったから、現地の者に道を尋ねようと思えば、
人間はこちらを見るなり襲い掛かってくる上、ようやく話の通じる者に会えたと思えば、
結局はただ見た目が厳ついだけで、迷子が二人に増えただけなのだ。
「はぁ……どうしよ……」
空を見上げれば、色のない濃霧に覆われている夜空が見えた。
それを追うように、隣の迷子二号も頭を空へと向ける。
[……あの濃霧は物体を通さないようだ。何度か突破を試みたが……]
その結果は、彼がここにいること自体がその答えだろう。
チルノはもう一度大きなため息をついた。そして一呼吸つくと、小さく「よし」と口にする。
「あたいチルノ。あんたの名前は?」
繰り返すようだが、チルノは単純な性格である。故に、具体的な突破方法が見つからないとしても、
彼女は足をとりあえず動かす性格なのだ。
大変ぶっきらぼうではあるが、とりあえず自己紹介から、ということなのだろう。
[……この状況だ。協力した方が良いか。私は……]
そこまで発して、彼は言葉に詰まるような動作を見せる。
勿論、外見に表れている訳ではないので、単純なチルノにそれは分からなかったが。
[セラフ、とでも呼べ、チルノ]
「セラフ……うん!よろしくね、セラフ!」
確認するように口にだしてから、チルノは満面の笑みで手を差し出す。
だが、セラフと名乗った彼はそれを無視するように脇をすり抜けると、付近の、突き刺さっている青い剣に近づいた。
「あ、ちょっと!!」
[先程触れた際に妙な反応があった。恐らく何かの仕掛けと考えられるが]
握手の催促を無視された事に声を荒げるチルノを、セラフはさらに無視すると、青い剣についての考察を述べる。
度重なる不遜な扱いに、チルノは子供のように頬を膨らませると、黙ったまま、青い剣に手を触れた。
それに反応してか、青い剣から光が溢れ始める。
[正気か?どういうつもりだ……!]
この世界での初めての「仲間」が焦っているような様子を見て、チルノはまた笑顔になる。
光に包まれていく中で、自分の手の上に、セラフのものであろう、人の手を模した鉄が重ねられる。
(……手、おっきいなー……)
そんな下らないことを考えている内に、チルノの精神もまた光に包まれていった。

次に意識が覚醒した時、彼らはまた見覚えのない場所にいる事に気づく。
互いに互いの存在を確認すると、先に歩みだしたのはセラフの方だった。
「あ、ちょっと!まってよ!!」
急ぐチルノの心中は、明るいものではない。
どうにもチルノは、彼に対していい感情を抱く事はできなさそうだった。

このたった何回かの押し問答で、チルノはどうにも彼とは仲良くなれそうにない、と思っていた。
あまりにも無愛想で、他人を案じる言葉の1つも吐きはしない。絶対友達居ない、とも思っていた。
見た目も怖いし、中身も怖いじゃ絶対そうだ。心の中でそう吐き続けていた。

彼の強さを見るまでは。

「おおー……!!」
勿論チルノも、先程狂人の兵士を軽く屠った程の強さである。人間如きに負けはしない。
だが、セラフの強さはそんな彼女すらも驚かせるほどのものであった。
狂人の持つ武器など、鋼鉄の装甲は軽々と弾き返し、
彼の青い光の刃は、重い鎧を着込んでいる兵士さえも一刀の下に両断してしまった。
[……どうした]
流石に無愛想の彼も、突然目を輝かせだしたチルノの様子を訝しむ。
「何よ!めっちゃ強いじゃない!!」
そして、まるでチルノは自分の事のように喜びだした。
まあこれも、単純であるチルノ故の行動であるのだが、理解できないセラフは、再び無視する事を選択した。
「もう!待ってよ……!」
そして先程のように追いかけようとした時、チルノは自分達を狙う射手の存在に気づく。
振り向くとほぼ同時に、クロスボウからボルトが放たれた。
「えい!」
射線を塞ぐように、チルノが氷を発生させる。
小さいクロスボウのボルトではぶ厚い氷を破壊することは出来ず、射手は再びクロスボウへと手を伸ばした。
だが、それすらも叶わなかった。セラフの蒼い光が、射手の狂人をクロスボウごと引き裂いたのだ。
セラフの振り向いた先では、満足顔のチルノと視線があった。

[……それなりの力はあるようだな]
「それなり、じゃないわよ!これからもっと見せたげる!」

そして、彼らの目の前に、道を塞ぐようにして霧が広がる。
二人に目立つ外傷は無い。当然であった。この二人では、狂人が何匹集まった所で無駄であろう。
「これって……?」
[触れてみる他無いか]
合図は無しに、二人は同時に霧へと手を触れる。
そこには抵抗は無く、そのまま彼らは霧をくぐるように抜けた。

その先には、巨大な「異形」があった。
3つの目。背中の小さな羽、それに見合わぬ肥大した胴体。手に持つ大斧。
それらが絶妙な醜さを醸し出し、それを「異形」たらしめていた。
[ようやく化物らしい化物か]
「へえ……面白くなってきたじゃない!」
そのような恐ろしい異形と対しても、彼らの言葉には余裕が見えた。
だが、明確な敵意を持つそれの得物は大斧。当たれば、彼らであっても危険だろう。
故に、二人の考えは、言わずとも一致した。

セラフの、右腕から伸びる光の刃が、一層激しく輝いた。
チルノの、左腕に集まる冷気がの光が、一層激しく輝いた。

そして異形が、彼らを葬る為の一歩を踏み出した時、それは炸裂した。

右腕から放たれた光の奔流が、異形の腹部を蒸発させる。
左腕から放たれた冷気の光線が、異形の腹部を切り裂いていく。

光が収まる頃には、既に異形は地に突っ伏していた。
そして自らが光の粒子となって四散し、やがて、消えた。
「弱っ……」
[他愛もないな]
口々に余裕を吐き出す二人。光とともに現れた蒼い剣に先に気づいたのは、チルノの方だった。

「行くしかないよね!」
その声は、上機嫌なものであった。恐ろしい異形に出会った後であるのに、何とも肝が座っている。
あるいは、異形を恐れるのは人間故であるからか。生憎、彼らはどちらとも……互いには正反対であれど、人間とは程遠かった。
[……悪くは無いか]
そうつぶやくように言った言葉は、チルノの耳には届いたか。
二人は先程と同じように蒼い剣に手を触れると、その意識を何処かへと送り出した。


人には、油断大敵、という言葉がある。
本来、彼らは油断など出来るはずのない状況だった筈だ。
知りもしない異世界に飛ばされ、異形の者と戦うなど。
だが、彼らはその強さ故に、知らなかった。

「世界とは、悲劇なのか?」
人がそう言う程の、絶望を。

意識を取り戻した二人が認識できたのは。
先程の異形とは比べ物にならない、……巨大な体躯と、それに見合った翼を持った龍と。
その巨大な、あまりにも巨大な拳が、自分達を狙っていた事だけだった。
それ以外は何も許されなかった。
巨大な拳が、鋼の翼を、氷の翼を砕く。鋼鉄の装甲を粉砕し、華奢な体を圧し折る。
凄まじい一撃は、二人の体を限界まで破壊し。
大きく吹き飛ばされた二人は、もう起き上がる事は無かった。

動かなくなった二人の残骸から、光の塊のようなものが浮き上がる。
巨大な龍はそれを手のひらの中に収めると、一息の下に握りつぶしてしまった。

この事を、二人は知らない。この出来事も、これから起こる悲劇も。
ただ、一言で表すのならば、こうだ。

ここからが、本当のデモンズソウルだ。



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