Fate/BattleRoyal
40部分:第三十六幕


長らくお待たせいたしました…!
第三十六幕


 神威達がアインツベルンの森で謎の刺客と交戦していた頃…冬木市警察署の小部屋では…。
「単刀直入に言う。その『聖杯戦争』ってえのを今すぐ中止しろ!」
正義が袴田の胸倉を掴んで凄んでいた。それに対し袴田は相も変わらず安っぽい笑顔を満面に浮かべた上、右腕を子供のように上げて簡潔に返答した。
「はーい!無理でーす!」
すると、当然ながら途端に正義の雷が落ちた。
「無理たぁ何だ!?無理たぁ!!俺ら公僕に断りも入れねえで、この街で殺し合いたあ舐めてんのか!!ああッ!?」
その横では彼のサーヴァントであるモードレッドがマスターの令呪通り甲冑の姿ながら、その面貌を露にし長い金髪をポニーテールに纏め翠緑の瞳を諦観に染めて嘆息を付き、美沙は頭を抱え、晴男はオロオロしている。一方で美沙のサーヴァントであるギャラハッドはこの状況にも拘らず美沙にお強請りしたベイクドチーズケーキのワンホールをモキュモキュと頬張り晴男のサーヴァントであるパーシヴァルを苦笑させていた。そして、袴田の横にもう一人、灰色のスーツに身を包んだ、緑色のセミロングを後ろで軽く纏め翡翠色の瞳を持ちそれなりに整った顔立ちをした男性が控えていた。
「いや、だって考えても見て下さいよ。サーヴァントを従えた、これだけの参加者を形式的な権限しか持たない我々が御せると正気でお思いですか?魔術師としては素人同然の貴方々にしたって英霊(サーヴァント)の強大さは既にご存知の通りでしょう」
袴田は正論を以て諭すが、正義は治まらない。
「それをどうにかすんのが“監督者”じゃねえのかよ!!「もう止せ、マスター」…ッ!」
モードレッドは見かねて口を開いた。
「だから初めに言っただろう。人間の監督者は所詮形式上の権限しか持ってはいないとな」
それに袴田は満面の笑顔を輝かせ「いやー、面目ないです〜」と頭を掻いて文字通り形だけの謝罪をする。それが正義の怒りへ更に油を注ぐ。
「だったらテメエは、なんで態々俺達の前に現れたわけだ?ああッ!」
「いやだな〜。それは何度も説明したじゃないですか〜」

そう何故この場でこのような始末になっているかを一先ず簡潔に説明しておく。この戦争では正義達のように素養はあっても魔術を知らない参加者がどういう訳か沢山いる。故に監督者を務める教会としては彼らを放置して神秘の秘匿が脅かされる事があってはならないと可能な限り、そのような参加者を見つけ戦争や魔術師に関するルールの指導を行っている。殊に今は死徒の違反者達を討伐せねばならない事もある。なるべくマスターの協力は多いほうがいい。
上記のような理由で袴田も正義らの下を訪ねたわけだが……。

「そもそも討伐ってのはどういう意味だ?まさか…殺せってか!?」
正義の凄みに対し袴田は笑顔のまま言い切る。
「それ以外に何があると?」
それは当然、正義の琴線に触れるには十分だった。
「ふっざけんじゃねえっ!!!奴らは刑務所から脱走した囚人だぞ!当然、元の刑務所に戻すに決まってんだろ!!」
「え〜?でも、それじゃあ元の木阿弥に…」
「だとぉ…ッ!?」
袴田の言葉に正義は唸るが、不意に袴田の隣に控えていた男性が嘴を入れた。
「どうか落ち着いて頂きたい。貴方の意見は尤もですが、袴田殿の意見も然りですよ」
「なにぃ!?…と言うか、さっきからコイツと一緒にいるが誰だ、あんた?」
正義は彼にも怒声を上げながら尋ねると男性は柔らかい物腰で自己紹介した。
「失礼。私は魔術協会で講師を務めるアージェス・ガイレと申します。此度は私も成り行きで参戦した所を教会に頼まれ貴方々への指導官として参りました。以後、お見知りおきを。さて、死徒…俗に言う吸血鬼ですが、サーヴァントにこそ及ばないものの、彼らは今や人外の存在です。表の司法の手に余るという程の…。身体能力は常人を遥かに超える上、何より人の血を吸わねば生きてはいけない。言うなれば、血に飢えた肉食獣なのです。そのような者達を人外も魔導も知らぬ表の者が手に負える道理はない。殊に今彼らはサーヴァントを使役しているのですよ」
「ぐぅ…!」
正義はその言葉に二の句が告げなかった。彼とて刑務所の惨状は目にしている。それが只事ではない事は彼も容易に想像できる。だが…!
「そんな問題じゃねえ…!俺はな、刑事として人命を守る義務があんだよ!犯罪者や脱獄囚だろうと、それは変わらねえッ!!」
「いや、ですから彼らはもう人じゃないんですってば」
袴田がにこやかに突っ込むと正義は鋭い眼で射抜く。それを見かねた美沙は正義の肩に手を置いて言った。
「正義さん、落ち着いて。これじゃあ話が進まないじゃないですか」
その言葉に正義は不服ながら口を噤んだ。そして、美沙は袴田やアージェスに訪ねた。
「本当にその…殺す以外の選択肢はないんですか?彼らをその…元の人間に戻す方法は…」
「…未だ嘗てありませんね」
アージェスは沈痛な声で即答する。
「だから…殺せってか?手に負えねえから、助ける方法がねえから…!」
正義が怒りを滾らせた声で詰め寄る。それにアージェスは顔を苦悩に歪めながら口を開く。
「…概ね、そうだと受け取って下さって構いません。事実、彼らを人に戻す方法はなく、またあった所で常人を超えた力を得た囚人達が大人しく司法に身を委ねる可能性も極めて低い…。何より今守るべきは彼らではなく、その彼らに脅かされている無辜の市民ではありませんか?」
「…ッ!!」
この上もない正論に正義は歯噛みしながらも口を閉ざした。アージェスは次にこう切り出した。
「ともかく…出来うる限りの事をしましょう。私としても魔術師の事情に一般の人々を巻き込んだ挙句にその人命を蹂躙するなど到底許容できる事ではありませんから」
正義は暫く黙考し暫くして再び口を開いた。
「…分かった。協力を頼む。けど、連中の中には好き好んでそうなったわけじゃない奴だっているはずだ!それに近々恩赦が出て釈放されるはずだった受刑者だっていたんだ…。投降を呼びかけて応じる奴がいるなら無闇に殺す事は許さねえ…!」
アージェスは暫く黙考した末に肯いた。
「…いいでしょう」
「ちょっと、ちょっと、アージェス殿!?」
袴田が少し慌てた様子で詰問するが、アージェスは袴田を横目で見て言う。
「ええ、貴方々聖堂教会は元より我々魔術協会とて黙ってはいないでしょうね…。ですが、彼の言う事も然りです。中には無理矢理に死徒にされ止むに止まれず行動を共にしたという者もいるには、いるでしょうから。それに幸いと言っては不謹慎ですが、彼らは屍鬼(グール)ではなく完全な死徒です。意思疎通が不可能と言うわけでもない…。強ち試す価値がないというわけではないでしょう」
「いや、だからですねぇ、連中は人の血を喰らい続けねば生命活動すらままならない存在ですよ?元より交渉の余地なんて…」
袴田が頭を抱えてぼやくが、正義はあっけらかんに言う。
「それがどうした?だったらお前らが責任を取って血液パックでも調達して来て支給すればいいだけだろうが」
「いや、だからね…。そんな次元の問題じゃ「あははははははははッ!」って!?アージェス殿、なんですか、突然!?」
アージェスはツボに嵌ったのか笑い声を上げていた。
「いや、申し訳ない…。生まれてこの方、ここまで真っ直ぐ過ぎる方は初めて見た物で…」
「悪いか…?」
正義はムッとしたように問うが、アージェスは首を振って、にこやかに言った。
「いいえ、寧ろ私としては好感が持てますよ。改めて宜しくお願いします」
と握手を求めて正義もそれに応えた。
「ああ、こちらこそ改めて頼む」
「それで貴公のサーヴァントは?」
不意にモードレッドが尋ねるとアージェスは少し意味深な笑みを浮かべて答えた。
「ああ、ちゃんと私の隣にいるよ。おい、出てこいよランサー。朋友達との幾星霜ぶりの再会じゃないか?」
「「「はっ?」」」
その言葉にモードレッド、ギャラハッド、パーシヴァルは一斉に呆けた声を出した。それと同時にアージェスの隣に見事な金髪のストレートロングを後ろで纏め紫の双眸を持った端正な顔立ちと大柄な体躯に白銀の全身甲冑(フルプレート)を纏い、その上からボロボロになった漆黒の外套を羽織った騎士が実体化した。腰には漆黒の双剣がクロスするように帯刀されており背には全身を紅い布で包まれた槍を背負っている。
その姿を視認した三人の騎士は何れもその顔貌を驚愕の二文字で歪めていた。
「き、貴公は…っ!?」
「なんと…!あ、貴方は…!」
「ベイリン…久しぶり」
「ベ、ベイリンって円卓の騎士成立以前にアーサー王に仕えた騎士で当時最強を誇り二本の剣を振るって戦った事で『双剣の騎士』の二つ名を持っち、『蛮人ベイリン』とも呼ばれた騎士か!?」
正義はまたも現れたアーサー王伝説の騎士に興奮した声を出す。
「…先輩、本当に好きだな〜」
「ええ…本当に」
晴男は苦笑し美沙は呆れたような声を出す。
一方、当のサーヴァント・ランサーことサー・ベイリンは淡い笑みを浮かべて答える。
「ああ…如何にも私がその“ベイリン”だ。そして、ギャラハッドにパーシヴァル…それにモードレッドも久しぶりだな」
「ええ、ベイリン卿も良き御仁を主とされて何よりです」
「うん…良い事」
パーシヴァルとギャラハッドも嘗ての先輩騎士に懐かしげな笑みを浮かべる一方でモードレッドは一人憮然とした表情を浮かべて距離を取っていた。それに気づいたベイリンは彼に声をかけた。
「それにしてもモードレッド、君もこの上もなく熱い御仁を主としたものだな…」
その言葉にモードレッドは漸く言葉を返す。
「ああ…貴公も見ての通り無駄に暑苦しい上、現実をこの上もなく度外視している困ったお方だよ」
その言葉に正義はムッとするが、ベイリンは微笑んで言った。
「それにしては“満更でもない”と言う顔をしているじゃないか」
「ム…ッ!」
モードレッドがブスとするとベイリンは肩をすかして面白うそうに笑う。
「まあ、君も俺と同様にくじ運が良くて何よりだ。何はともあれ、また宜しく頼むよ」

こうして他陣営も死徒の討伐に向けて戦力を増強していた頃…。







冬木市、新都のショッピングモール『ヴェルデ』の電子機器売り場…。

「おっほー!これは我らの伝説を基にしたゲームかね!?」
現代相応の服装(学校の制服のようなブレザー)を纏ったマーリンはPCゲームのソフトを手に取って感歎の声を出した。どうやら彼や円卓の騎士達を題材にしたシュミレーションゲームらしい…。それを奏は嘆息をついて見ている。
(まったく、こいつときた日には…。生活物資の補給じゃなかったのかよ)
己のサーヴァントの勝手気儘な行動に奏は諦観の視線で見ながらつい昨日の事、アインツベルンの森における戦闘後の事を回想した…。






あの死徒との死闘の後、彼らは新たに得た味方を伴って間桐邸に帰還し彼らにも事情を話して協力して貰う事になったのだが、その際に幾つか一悶着があった事を簡潔に記しておく…。


「桜ちゃん…ッ!?」
まず、咲耶は桜と会った瞬間にその悠然とした顔を愕然とさせた。無理もない、彼女が知る姿とは別人の様に一変していたのだから…。
「…これが間桐の魔術だよ」
雁夜は重苦しい表情を浮かべて事情を話した。臓硯がどう言う目的で桜を引取りどのような所業を為したかを…。それを聞いた咲耶はこの上もなくおぞましい笑みを浮かべて…。
「あらあら…。私にとっても娘同然の子にそんな外道をするだなんて…!いい度胸ですね。それで、その蟲屑は何処に?」
凄まじい魔力と殺気を迸らせながら問う彼女に雁夜は冷や汗を掻いて説明する。
「お、落ち着いてくれ、咲耶さん。臓硯はとっくに始末を着けた…。これで間桐の魔術が他者に害を為す事はもうない。遅すぎたかも知れないけれど…!」
雁夜は桜を見て拳を血が出る程に握り締める。すると、彼女は少し落胆したように眼を瞑って言った。
「そうですか…。けれど些か残念です。もしまだ生きているのなら、この世に生まれてきた事を死ぬ程に後悔せねばならないような苦痛を与えて()ろうと思いましたのに…!!けれど時臣さんも時臣さんですね。大切な娘の養子先の事をロクに調べもしないばかりか、最早娘ではないから関係ないだなんて…!もう去勢しちゃいましょうか…」
その言葉に雁夜は元より奏らも本能で悪寒を感じ身震いする。
「あ、相も変わらず怖すぎる……ッ!!」
奏は顔を蒼白にしてガタガタと震えている。
「いやはや…私もこれ程のプレッシャーは未だ嘗て体験した事がないよ」
「確かに…」
マーリンも普段は涼しげな顔を引き攣らせランスロットも総毛立った表情をしている。
「あはは…この人、あんた達の師匠(せんせい)といい勝負じゃない?」
レグナは苦笑してルナ、シルヴィア、鷲蘭、ルクレティアに同意を求める。すると、四人とも明らかに青ざめた顔でにべもなく首を縦に肯いた。
「むぅ…恐ろしいご婦人だな…」
ディルムッドはその魔貌を青ざめて思わず呟く。それにクー・フーリンはにべもなく言った。
「そうか?オレとしちゃ結構好みだぜ」
「儂は別段興味はないが、確かに女傑と言うべきよの…」
李書文も感歎の声を上げる。一方、フィンはこの上もなく怯えた顔で言った。
「私は…恐ろしいとしか言えぬ…!この有無を言わさぬ冷気…ルナを彷彿と(ガシッ!)ひぃッ!!?」
「へえ…そう思ってたわけ?良い度胸じゃない」
いつの間に後ろへ回ったのかルナはフィンの首根っこを掴んで笑顔のまま凄んでいた。それに対しフィンはシドロモドロな口調で弁明する。
「い、いや、ルナ!ここ、これは言葉の綾と言うもので「お黙り…ッ!!」ひぃぃぃぃぃぃッ!!?」
「さあ、こっちへ来なさい。その認識を木っ端微塵にするまで去勢してやっからさあー」
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
そうしてフィンはルナによって有無も言わさぬ勢いで居間から奥へと引きづられていった…。
「ふぃ、フィン…」
ディルムッドは何とも言えない微妙な顔で呟きクー・フーリンはどこか呆れるような声を出す。
「なんか情けねえな…。それでもオレとタメを張る“アイルランドの老獪王”かよ…」
「シルヴィア…あの人も凄く怖いね…」
ジャンヌも身体を震わせ怯えた眼でその様を見て呟くとシルヴィアも頷いて言う。
「ああ…先生の弟子の中では彼女が一番その気質を受け継いでいるからな……」
「ま、まあ、こうして桜ちゃんも完全に無事とは行かずとも救う事はできた。今はそれで良しとしようじゃないか、咲耶君」
ここで祐世が咲耶を宥めんと嘴を入れ、それに彼のサーヴァントであるエルキドゥも便乗する。
「そうだよ。少なくとも現時点では、これで桜ちゃんを脅かす物はなくなったんだし」
「咲耶様…僭越を承知で申しますが、拙者も同意にて…」
半蔵も主を宥める。すると、桜も咲耶の袖を引っ張ってオズオズと言った。
「咲耶お姉ちゃん…わたしは大丈夫だから…」
その言葉に咲耶も桜の頭を撫でて渋々と言った表情で言った。
「ええ…確かにそうですね。私とした事が些か熱くなり過ぎました…」
それに雁夜達は一先ずホッと息を付いた事は言うまでもない。

一方、咲耶と共に新たに加わったメルディ・ルシオンのサーヴァントである玉藻の前が、晴明をこの上もなく睨んでいた。普段はにこやかな顔を露骨に嫌そうに歪めて。まあ、彼女の逸話を鑑みればそれも道理だろう。なにせ彼女を告発し死に追いやった陰陽師は他ならぬ、この晴明なのだから。尤も晴明の方は逆に彼女を興味深そうに眺めていた。
「ほう…。これはまた久しい顔ですね。いつぞやは悪いことをしました…」
と、晴明は意外にも殊勝な声音で詫びるも玉藻は胡散臭そうに顔を歪めて言った。
「何を白々しい…!そ、それ以上、寄らないでくれますか!私、あの時の事許しちゃいないんですから!!」
すると、晴明は男と思えぬ艶やかな唇をクスリと綻ばせて言った。
「…と言われましても。そもそも都の守護を仰せつかった身の上…いくら悪意が無くとも都に忍び込んだ以上は…」
その嫌味な切り口でいて優雅な仕草に玉藻はこの上もない嫌悪を感じ笑顔を引き攣らせて言い返す。
「…貴方の話を聞いていると、どうにも腹が立って来るのは何故でしょうかねえ…!!!てっ言うか、相も変わらずですね!その切れ長目の超絶美系!テメエ、絶対に日本人の骨格してねえだろっです!!おまけに性格最悪、外見最高、魂は性根まで根の国色の陰陽師が…!皆、テメエの外面に騙されてやがるに違いねえです!!」
「おやおや、これはまた随分と余りな言い様で…」
「ケッ!事実だろうが…」
晴明が優雅に聞き流す横から道満が忌々し気な声で玉藻に同意し三人のマスターは揃って頭を抱えた。そんなやり取りの後、今後の行動の話し合いが行われた。その内容は主に逃げられた死徒の討伐は元より明らかな異常を内包している疑いを持つ聖杯の破壊について…。
「いっその事さ、その“大聖杯”ってのをぶっ壊しちゃえばいいんじゃないの?」
シャルリアがそう提案したが、マーリンや晴明は首を縦には振らなかった。
「それは些か短絡的に過ぎますね。“藪をつついて蛇を出す”という事も十二分に有り得ます。アンリマユの件にしても推論の域を出ませんし…。それに前回の戦争は脱落した英霊の魂の受け皿となる『小聖杯』が砕けた事で終わったと聞きます。その点から言っても小聖杯の破壊を基本とした方が現実的でしょう」
晴明がそう述べマーリンも肯いてこう続ける。
「何より『大聖杯』を解体しようにも、それを容易くさせる御三家とも思えないからね。恐らく相応の監視は張り巡らせてあるだろう。迂闊に下手を打てば全参加者を一斉に敵に回しかねん。まあ今、それはさて置いてだね」
「さて置くのかよ…」
奏のツッコミが入るが、マーリンは流して言った。
「明日は生活物資の補給をしようじゃないか」
『はい?』
先程の話とは何の脈絡もない話題へと話が飛び一同は一斉に呆けた声を出した。だが、当のマーリンは気にせずスルーしてのたまい続ける。
「いや、人数もかなり増えたし物もますます入用になるだろう。丁度良いから買い出しに行こうと言っているのさ」





そして今に至るのだが…。

「言っとくけど俺は買わないからな」
ハイになっているマーリンに対し奏は空かさず釘を刺した。途端にマーリンは不満そうに白い目を向ける。
「やれやれ…君案外と吝嗇だね」
「今日来たのは生活物資の補給だろう?だったら、ゲームソフトは関係ないだろうが。そもそもお前がこの間勝手に買ったパソコンだけでも唯でさえ大量出血なんだよ」
奏はサーヴァントの不平をスルーして淡々と言う。マーリンはソフトを棚に置いて不承不承と言った顔と仕草でボヤいた。
「分かったよ、マスター…。ただねえ、脱線をしているのは何も私だけじゃないと思うがねえ」
「は?どう言う意味だよ」
マーリンの言葉に奏が顔を顰めて問うとマーリンは人差し指で向こうにあるビデオテープのコーナーを指差した。そこには同盟を組んだ、ルクレティアが沢山のビデオテープの箱を山のように購入している姿だった。その後ろではマーリン同様、現代相応に黒のハイネックをにジーパンに身を包んだディルムッドが塔の如く積み上げられたビデオテープの箱を抱えていた。その顔貌はこの上もなく困惑している。
「あいつらも何やってんだ?てか何のビデオを…」
奏は呆れ顔になりながらも簡易的な視覚強化の魔術を使い彼らが購入しているビデオ郡の銘柄を見てみると…『鬼婆』『怪談』『犬神の悪霊』『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』…etc.
「……」
奏は言葉もなく何とも言えない顔で呆ける。それに対し彼のサーヴァントは“それ見た事か”と言うしたり顔で続けて言う。
「言っておくが、私や彼女だけじゃない。レグナにシャルリアと言った女性陣は挙って自分の趣味がある階に入り浸りになっているよ。彼女達のサーヴァントも恐らくそれに付きっ切りになってるだろう、お気の毒に…。これは当分終わりそうもないね」
その言葉に奏はゲンナリとした表情を浮かべる。そんな彼の肩をメルディがポンと叩いた。
「まあ女性の性だと思って諦めるしかないよ。心配しなくても食料とか必要な物は僕が買い出しておくから…」
そう言う彼の両手には明らかに食料ではなく洋服店の紙袋がそれぞれ三つで占められていた…。それで奏は大凡の事情を悟り憐憫と同情の眼を彼に思わず向けてしまう。
「え?靴やサンダルも欲しい?うん、ちょっと待ってて。じゃあ奏君、また後で」
メルディは突如そう言うとそこで別れた。恐らく霊体化している彼のサーヴァントがまたオネダリをしたのだろう…。因みに玉藻は人前で実体化するには些か以上に面倒が起きるので霊体化して付いて来ている。
一方で雁夜や祐世、咲耶、敏和、ディアンは留守を守り、ボルドフは部下と共に諜報活動を行っている。そして残る買い出し班は女性陣の殆どが担当する事となり、言い出しっぺのマーリンとそのマスターである奏や料理人という職業柄、食料を担当するメルディも随伴する事になったのだが…。
「みんな何やってんだか…」
奏は嘆息をつき歩を下りのエスカレーターへと進めた。
「おや、どこに行くんだいマスター?」
「外の空気を吸ってくる。何だかんだで買い出すものは皆が買ってくれるだろうし…」
そう言って奏はエスカレーターを下っていく。マーリンもそれに続いた。



二人はヴェルデを出た後、その付近にある大通りのベンチに腰掛けた。
「はあー、落ち着く〜」
奏は両腕を広げるようにベンチの背に凭れさせた。その隣に座り缶の紅茶を飲むマーリンは主の姿に対し徐に口を開く。
「ふむ…。君は一人きりの方が落ち着くのかい?もしかして大人数と行動するのは意外と苦手とか?」
その問いに対し奏は憮然として答えた。
「別にそんなんじゃねえよ。どっかの引き籠もりじゃあるまいし…。まあ…ガキの頃は色々あってヤサグレテいたから咲耶姉や雁夜さんとか一部分の連中以外は殆ど誰も近寄らなかったからな。正直、今の状況は慣れてない」
「ほおほお…盗んだバイクで走り出したのかい?」
マーリンが茶目っ気溢れる問いをすると奏は直死の魔眼である双眸をギラつかせて凄んだ。
「殺すぞ…!てっ言うか、だからどこで覚えてきたんだよ、そのフレーズ…」
次に奏はまた大きく嘆息を付き、これからの事を思った。

この先…どうなっちまうんだろうな。この間は死徒の集団を辛うじて退けられたけど、何人かは逃げちまうし…まだ何も終わっちゃいない。

「なんか、まだまだ前途多難って奴が続きそうだな……」
奏が思わず声に出して呟くと隣でマーリンも肯いて答える。
「うむ…。何せ、この戦争はまだ始まったばかりだ。それは確実に避けては通れないだろうね…。それに逃亡した死徒に関してもそうだが、それ以前にそれ以上の何かがこの街で起ころうとしている気配を感ずる」
「それ以上の何かって?」
奏は何の気もなくオウム返しに問うとマーリンから返ってきた答えは極めてあっけらかんとした物だった。
「それが…分からん。なにせ私の予言の力も聖杯によって大きく制限が掛かっているからね、言わば単なる直感さ」
「なんだよ、そりゃ……ッ!?」
呆れて肩を空かそうとした瞬間、奏は背後に殺気を感じ身を強ばらせると同時にベンチから飛び退いた。それはマーリンも同様で先程の緩やかな物腰から一変して俊敏な動きでマスターの前に出る。
そして、二人が背後を見ると…そこには漆黒を基調にした長袖のワンピースを纏い黒髪のストレートロングを左右に小さく分けて結った少女が鮮やかな紅紫の双眸を妖しく光らせて奏達を見ていた。肌は驚く程に白く顔立ちもあどけないが、整っており中々…いや相当に人目を引くであろう美貌を持っていた。普段は異性にすら無頓着な奏も一瞬、見惚れてしまったが、それはすぐに戦慄へと変わる。何故なら彼女の眼は…!
「ま、魔眼か…!?」
奏は同じく魔眼である己の双眸を警戒に染めて呟くと少女はあどけなく首を傾げて問う。
「分かるの?」
「…まあ、俺も似た様な眼を持ってるからな…。それよりお前は誰だ?お前もマスターなのか?」
奏が畳み掛けるように問うと少女は肯いて答える。
「私は栖鳳院(せいほういん)華音(かのん)……。お察しの通り聖杯戦争に参加するマスターの一人よ」
その言葉に奏はより警戒心を強めて問いを続ける。
「そうか…で、何の用だ?知ってるだろうが、今は死徒以外とは休戦中だ。それとも、そんなのは関係ないって手合いか」
すると、華音は首を横に振る。
「勘違いしないで。あなた達と戦う意思はない…ただ、教えて貰いたいだけ」
「何をかね?」
マーリンが怪訝な声で問うと彼女は無表情のまま…それでいて魔眼の双眸を暗いで滾らせて彼らが思ってもみなかった答えを返した。
「『魔術師殺し』……衛宮切嗣。そいつの戦い方と武装を詳しく教えて」
「衛宮切嗣…?なんでお前がそいつの事を気にする?」
奏が怪訝な声で問うと華音とは別の声が答えた。
「私達の家族の仇だからですよ」
華音の後ろから抜き出るようにもう一人少女が現れた。深い緑髪のロングヘアーを優雅に靡かせ白銀の双眸をもった端正な顔立ちに清潔そうな両腕を出したセーターに程よい長さのスカートを着用した一見清楚なお嬢様風の外見だったが、奏は長年の勘でこの少女に極めて剣呑な空気と油断ならない性分を読み取っていた。おまけに…。
「こっちも魔眼持ちかよ…」
奏が半ば歯ぎしりするように呟くと少女はクスと笑った。
「そう言うあなたもでしょう?“直死の魔眼”でしたっけ?」
その極めて白々しい声音と仕草に奏は一層警戒を強めた。恐らく事前に調べた上で接触して来たに違いない。そんな彼に少女は相も変わらずお嬢様全とした笑みを満面に浮かべながら言った。
「そんなに警戒しないで下さいよ。あなたも言ったように今は休戦中じゃないですか」
そんな笑みを浮かべた所で奏は到底素直に信じられなかった。何せ長年の勘ばかりか、生来の直感が如実に警鐘を告げている。目の前の少女は隙を見せた途端に何の躊躇もなく寝首をかく人種だと…!
そんな心の機微を知ってか知らずか彼女はまたも蠱惑的な笑みを漏らしウインクして悪戯っぽく言った。
「う〜ん。中々にガードが固いタイプですね、あんた。まあ用心深い方がこちらも信用できますけど」
奏はもう一度嘆息をついて口を開く。
「…取り敢えず詳しい事を聞かせてくれるか?それとあんたは?」
「ああ、そういやあ私は自己紹介がまだでしたね。私は圓城(えんじょう)支那薇(しなら)って言います。それでそちらさんは?」
恐らくは名前など疾うに調べが付いているだろうに…。余りに白々しさに奏は半目で睨みながら答える。
「…鳴宮奏」
「ふ〜ん?なんか女の子みたいな名前ですね」
「ほっとけ」
「…支那薇、話を混ぜ返さないで。全然前に進まない」
おちょくる支那薇を華音が諌め支那薇は軽い手振りで「ええ、そうですね」と頷き咳払いし今度は真剣な顔になって言う。
「けど、こんな所で話すのも何ですねえ。場所移りません?」
それには奏も頷いた。この様な所で話す話題ではない。
「それじゃあ近くのカラオケにでも入りません?ほら、こちらのサーヴァントも紹介したいですし」
支那薇がそう提案すると奏は嘆息を付いた。
「どちらの拠点も指定しないって事は、そっちも完全にこっちを信用していないようだな…」
「ええ…なにせ、これはバトルロワイヤル。用心に用心を重ねたってバチは当たらないでしょう。それはあんた達だって同じ。なんなら、あんた達が適当に店を選んでくれていいですよ?で、どうするんです?私達の頼みを聞いてくれるのか、それとも…」
支那薇はこの上もなく艶やかでいて獰猛さを感じさせる笑みを浮かべて返事を求める。
奏は念話でマーリンに意見を請う。
(マーリン…どうする?この二人…特に“支那薇”って奴は十中八九キナ臭い上に油断ができない相手だぞ)
それに対しマーリンも考え込むように顎に手を当てながら同じく念話で返した。
(ふむ、確かにねえ…。だが、今はあらゆる意味でひと組でも多くのマスターとサーヴァントの協力が必要だ。上手くすれば、戦力を増強させる好機とも取れるがね)
(そりゃそうだが…。じゃあお前はこの二人を加えた場合のリスクをどう考える?)
(……泥沼?)
(シャレにならねえ……)
などと二人が脳内で半ば漫才を始めて答え倦ねていた時、別の声が代わって答えた。
「へえ…中々、面白そうな話しをしてるじゃない」
その声に奏とマーリンは元より華音と支那薇もその声の主を省みると、そこにはシャルリアが腰に右手を当てながら仁王立ちしていた。その隣には、現代相応に白いコートにマフラーと言う服装に身を包んだ、彼女のサーヴァントであるセイバーことアリーが顔をポリポリと掻いて嘆息を付いていた。










同時刻、深山町にある一軒の武家屋敷の居室では…。


「…ボールス、貴方までも私の想いを納得してくれないのか!?私は…貴方達をあのような結末を辿らせたくないから…!!」
アルトリアは悲嘆を込めた顔で嘗て自らの元を去った騎士の一人を見た。傍ではアイリスフィールとベディヴィエールが労わるようにアルトリアを見る。その隣でアイリスフィールのサーヴァントとして招かれた教経は黙して瓢箪の酒を呷っている。一方、ボールスは、その後ろに重傷を負い手当をされ布団で寝かされている自身のマスターである舞弥を背にして嘗て刃向かった主君に銀の短髪をポリポリと掻きながら答える。
「王様…あんたを裏切った挙句に殺しかけた俺っちが言うのもなんですけどー、俺はあの結末やテメエの最後を別に悔いてはいないっすよ」
「な、何故だ!?」
アルトリアがムキになって問い返すとボールスは息を吐いて何の淀みもなく答える。
「そりゃ最初から最後まで俺っち自身が選んできた人生だからでっしょ?どうしてそれを今更悔やまなきゃなんないんすか?第一、取り返しが付かないのが人生って物でっしょ?その結末が納得できないからって…そんな理由で王様は俺達の絆を無くすってのは…流石にないっしょ?」
「……ッ!」
思わず絶句するアルトリアにベディヴィエールも言う。
「ボールス殿の申される通りです。王よ、どうか…!」
「……そ、それでも私は……」
嘗ての臣下である二人にアルトリアは拳を握り締めたまま俯いていた。それをアイリスフィールは痛ましそうに見て嘆息をついた。一方で彼女のサーヴァントである教経は憮然とした顔で居間を後にする。それにアイリスフィールは怪訝な顔で追いかけ声をかける。
「どうしたの、アーチャー?」
すると教経は極めて不機嫌そうな表情を隠しもせずに言った。
「気に食わねえ…。お前の良人にしても騎士王の願いにしてもな」
その言葉にアイリスフィールはまたも嘆息をつく。
昨日のアインツベルン城に置ける戦闘後、自分と舞弥は召喚したサーヴァントに連れられ切嗣が仮の拠点として用意したこの武家屋敷に落ち着き、それから間もなく負傷した切嗣を背負ったアルトリアや藤二達が合流して来たのだが、その時の切嗣はどこか放心した状態だった。理由を訪ねても切嗣は元より藤二やガルフィス、サーヴァント達も何とも言えない顔で黙るばかりだった。そして、当然ながら彼らは自分と舞弥がサーヴァントを得た事に驚きを隠せなかった。殊にアルトリアとベディヴィエールの驚きが他を凌いでいた事は語るまでもない。だが、それ以上に昨日は重傷を負った切嗣と舞弥の手当が優先され結果、アルトリアとボールスの衝突が今になって勃発したのだった。

「ふん、ボールス卿の言うことも尤もだな。仮にも英雄として…それも王として人を率いた奴がやり直しだあ?テメエについて来た郎党共の気持ちも無視して?はっ!清盛の叔父上の爪の垢でも煎じて呑めってんだ!」
そのアルトリアの願いを教経は侮蔑と共に斬って捨てた。
「アーチャー、そんな言い方…。彼女だってきっと彼女なりに「言っとくが、あんたもあんただ」!?」
教経の矛先は突如としてマスターであるアイリスフィールへと向いた。
「良人の願いを毛程も疑う事なく信じ込んでるようだが、あんた…正気で『世界の恒久平和』なんて実現すると思ってんのか?」
それに対しアイリスフィールはムキになって反論する。
「な、何を言うの!?それを実現させるのが聖杯よ!無色透明な魔力の塊…万能が能う奇跡の願望機……!だからこそ切嗣だってそれに賭けて見る気になったんじゃない」
だが、彼女のサーヴァントは頷かず更に言った。
「へっ!実際に見た事もねえ上に効能すらロクに分かっちゃいない代物に世界の命運を乗っけようってか?随分とお粗末な計画だぜ」
「あ、あなただって、その見た事もないモノに願いがあって召喚に応じたんでしょう!?それを棚に上げて彼やセイバーを侮辱しようと言うの!」
だが、マスターの反論を教経は一笑を以て附した。
「はっ!生憎だが、俺は聖杯に請う御大層な願いなんぞ端っから持っちゃいねえよ。俺は今一度己が武を振るう機会が欲しかっただ。そして、この聖杯戦争は正しくそれに打って付けの場だ。何せ古今東西を問わぬ豪傑どもが百人以上も参戦してんだからな、だから乗ってやっただけさ。まあ尤もあんたの良人が俺の望むような戦いを許してくれるとも思わんがな」
その言葉にアイリスフィールはギクッと身を強ばらせた。そう…効率と合理性を追求し何より教経が語ったような英雄としての在り方を激しく軽蔑する彼がそれを許す事は確かにないだろう…。教経もそれを自身のマスターの空気から読んだのか忌々し気に舌打ちをする。
「ああ、仔細は知らんが、あんたの良人が俺達の様な人種を毛嫌いしてるってのは初対面で十二分に分かったさ。それに加えてサーヴァントをとことん魔術礼装や駒としか見ちゃいないって事もな…!」
その言葉にアイリスフィールは更に気不味そうな顔で俯いた。そう自分や舞弥がサーヴァントを召喚した事を知った切嗣は彼らには目もくれず自分を通して彼らの真名やスキル、宝具の詳細を聞いた。あからさまに彼らと会話をする気はないと言わんばかりに…。
「ごめんなさい…。彼は、この戦争を勝ち抜く事に集中するだけで精一杯だから…」
マスターの謝罪に対し教経は皮肉げな笑みを浮かべて返す。
「テメエの願望で頭が一杯になってるの間違いだろ?まあ、俺に武を振るう機会をくれるなら何でもいい。一応は付き合ってやるさ。だが、あんたの良人の妄想が世界にとって最良になるかどうかはまた別の話の上に十中八九怪しいもんだがな」
そう吐き捨てて平家の弓武将は霊体化してしまった。それを見やるアイリスフィールは顔を苦渋に歪めて大きく息をついた。

切嗣はこの戦争が始まってから、どうにもどこか多分に無理をしているように見える…。アルトリアらサーヴァントを必要以上に無視し蔑ろにするなどアイリスフィールから見ても戦略上非効率的な行為としか思えない。何より聖杯戦争に置いて当然ながら主戦力を担当するのは彼らサーヴァントなのだ。如何に切嗣が不意討ちの為の餌としか見ていないにしても、それは正しく彼らサーヴァントと言う特大の餌があってこそ成立するものだ。如何に令呪の縛りがあるからと言って彼らが翻意を抱かないわけでは決してない。寧ろ、こちらが彼らを無視し蔑ろにすると言うなら彼らだって自分たちを無視し蔑ろにする事だって有り得るのではないか?当然その度に令呪を使っていたら切りがない。だが、それにも拘わらず切嗣は焦るように目的へと突き進もうとしている。そして、その焦燥は昨夜自分が小聖杯の機能を果たせていない事を告げた事で一層深まった気がする。それも分からなくはないのだが……。
「やっぱり…このままって訳には行かないわよね」
アイリスフィールはキッと唇を真一文字に結んで意を決したように切嗣が休んでいる部屋へと向かった。
(幾ら馴れ合う必要はないからって今の状況は余りに酷過ぎるわ…。これ以上セイバー達との意思疎通をお粗末にしていたら昨日のような爆発だって何度も起きるかも知れない…。これからもそんな事で百組以上の魔術師と英霊を相手に勝ち抜けるはずもない!切嗣にも少しは譲歩して貰わないと…!)
アイリスフィールは決意を胸に切嗣が休んでいる部屋に赴き勢い良く障子の戸を開けるが、その瞬間に絶句した。
「やあ…アイリ、おはよう」
切嗣が布団から起き上がりながら銃火器の整備をしていたのだ。アイリスフィールは途端に血相を変えて夫の元に駆け寄る。
「切嗣っ!何をしているの!?まだ骨が繋がっただけで動ける状態じゃないのに…!!」
「……いつまでも寝ている訳には行かない。君に内蔵された小聖杯が機能していない事が判明した以上その要因を一刻も早く突き止めないと。いや、そうでなくたって未だにセイバーの傷の呪いも解けず強敵や難敵が今も健在で蠢いているって言うのに…!」
だが、アイリスフィールも譲らない。
「だからって…まだまともに歩けない身体で何ができると言うの!?そんな状態で戦うなんて無謀よ!!お願いだから安静に「僕は…!!」…ッ!?」
切嗣は妻の言葉を遮り呻くように迸った。
「僕は…もしかしたら負けるかも知れない…ッ!!あのマーリンのマスター…言峰綺礼以上のバケモノだッ!奴の魔眼と身体能力の前には僕の起源弾も通用しない!そして、奴のサーヴァント…マーリン・アンブロジウスも僕の行動と戦略を完全に読み切っていた…!その上、他のマスターやサーヴァントも厄介な連中がゴロゴロいる…。そんな奴らと戦うなんて…僕は怖くてしょうがないッ!!!できるのなら…今すぐにでも君やイリヤを連れて逃げ出してしまいたい…!!」
すっかり弱りきった夫の姿を見たアイリスフィールは改めて思い知らされていた。やはり自分やイリヤと過ごした時間が夫を後戻りできない程に壊してしまった(かえてしまった)のだと…!今の切嗣は殺人機械とまで呼ばれた『魔術師殺し』では最早ない。それを必死に虚勢で演じきろうとしている弱い人間でしかない。
(この人は既に限界まで追い詰められているんだわ。他の余分な事を省みる余裕がない程に…。なら私がすべき事は―――)
アイリスフィールは切嗣をギュッと抱きしめて子供をあやすように言った。
「大丈夫よ、切嗣…。あなたは決して独りじゃない。私がいるし舞弥さんや藤二さん、ガルフィスさんだっている。あなたを独りで戦わせはしないわ。小聖杯の機能を果たせてはいない私だけれど、こうしてサーヴァントも得た事であなたの力になる事もできる。だから…今は休みましょう」
やはりこの人を一人にはできない。アイリスフィールは改めてそう決意した。確かに教経の言わんとする事も分からなくはないのだが、それでも自分は彼の妻なのだ。なら自分がすべき事はその夫に寄り添う事ではないのか?それ以外に何が必要だと言うのだろう?少なくとも今の自分にそれ以外にすべき事がどうしても思いつかなかった…。



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