Muv-Luv Alternative The end of the idle


【風雲編】


〜 PHASE 8 :散り行くは桜か……あるいは…… 〜






―― 西暦一九九九年 三月三十日 帝都・篁家菩提寺 ――



 山門を抜け、石畳の上を渡る。
 降りしきる桜吹雪が舞い散る様に眼を細めながら、巌谷は通い慣れた足取りで目的地へと歩いていった。

「よう、久しぶり」

 周囲を囲むモノよりも、一際大きく、広く造られた墓所へと足を踏み入れた男は、旧知の親友にするように気さくな声を掛ける。

 無論、返る応えはない。
 今、この場に居るのは彼一人。
 そして、そんな巌谷の前に在るのは、冷たい光を放つ墓石のみである。

 そんな中、懐旧の念を浮かべた巌谷の視線が軽く巡らされる。
 季節柄、雑草の一つ二つは有っても不思議ではなかったが、白い玉砂利の海にも、石畳の際にも、その手の物は無かった。
 定期的に、それもかなり短いサイクルで、誰かが手入れしている事を示すソレ等を確認した男は微かな笑みを浮かべる。

「相変わらず律儀な事だ。
 この辺は、やっぱり貴様に似たんだろうな」

 月命日には必ず、そして忙しない軍務の傍らでも、時間があれば墓参を欠かさぬ生真面目な愛娘の姿を思い描き、心に一抹の羨望と痛みを覚えながら、彼はその場に腰を下ろした。
 綺麗に掃除された小松石の墓を前に、手持ちの花を添え、持参の杯に酒を満たし供える。

「まあ駆けつけ三杯ってヤツだ。
 今では滅多に手に入らなくなった大吟醸だぞ」

 そう悪戯っぽく言ってから、自身の杯にも秘蔵の酒を注ぐ。
 わずかに琥珀に色づいた液体から、馥郁たる匂いが立ち上った。
 そのまま杯を掲げ、乾杯の仕草をしてみせた巌谷は、口を付けかけ、不意に動きを止める。

 杯を満たす銘酒に、一片の薄赤い花びらが浮かんでいた。

「桜か……」

 寺を囲むように植えられた桜の木から、降りしきる桜吹雪の一片だろう。
 ユラユラと頼りなく揺れながら、杯の中でたゆたっていた。

 それをボンヤリと見ながら、巌谷はふと子供の頃に聞いた逸話を思い出す。

 ――咲き誇る桜の木の下には、人の亡骸が埋まっている。
 ――その血を吸い上げ、本来は白い筈の花びらが薄赤く染まるのだ。

 死者に贈られる葬列の花。
 野に伏し朽ち逝く骸へと、自然が手向ける弔いの花。

 そんな桜の一面を思い出した男の瞳に、憂いと嘆きが浮かび、胸中で苦い呟きが零れる。

 ――ならば、今年の桜は一際赤く、これまに無いほど鮮やかに咲き誇る事だろう、と。

 この数ヶ月、国中で流された膨大な血を思い出し、巌谷は辛そうに口元を歪ませる。

 富貴卑賤を問わず、多くの者が喪われ、多くの者が傷を負った――その身に、その心に。

 唐突に帝国へと襲い掛かった非情な試練。
 そしてそれは、彼が親友から託された愛娘すらも、例外とはしてくれなかったのだ。

「スマン……篁………済まん……スマン……」

 詫びの言葉が、巌谷の喉から、連なり零れ落ちた。

 己自身の無力と無能さを嘆く男は、その苦しみから逃れる様に手にした杯をあおる。
 喉を焼くアルコールの刺激を感じながら、男の心は、過ぎ去りし日々へ、未だ幸せであったであろう刻へと、ゆっくりと回帰していった。



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―― 西暦一九九一年 三月二十九日 帝都・枢木邸 ――



 ホワイトボードに軽く図を描き、説明を終える。
 ただ一人の聴衆へと振り返った少年は、良く通る声で問い掛けた。

「以上が、本作戦の骨子である。
 なにか質問は?」

 指揮官然とした物言いに気圧されつつも、恐る恐る小さな手が上がる。

「あの叔父様は、父様が来ると思ったら、絶対に来ないと思うのですが?」

 露骨なまでに接触を避ける巌谷の事を思い出し、表情を曇らせながらもそう告げる唯依に、ルルーシュは不敵なまでの笑みを以って答える。

「その辺りは問題ない。
 来ると思ったら来ない。
 ならば、絶対に来ないと思い込ませれば、簡単に釣れる筈だ」
「………」

 言葉遊びにも聞こえる返答に、紫の瞳が不安に揺れた。
 そんな妹の動揺を、目敏く見抜いた少年は、安心させるような柔らかな笑みを浮かべると力強く胸を張る。

「案ずるな。
 オレの計算に間違いは無い」

 どこまでも自信に満ちた物言いに、唯依の憂いもゆっくりと解けて行く。
 ある意味、彼に絶対に近い信頼を寄せる少女は、背に届く黒髪を揺らしながら深々と頭を下げた。

「……はい、よろしくお願いします」

 少年の秀麗な容貌に、苦笑めいた色が浮かんだ。
 他人行儀なと思いつつ、顔には出さず頷いて見せる。

「ああ、任すが良い。
 まあ多少拗れた程度なら、本音をぶつけ合う場を用意してやれば済む話だ」

 そう告げながら、彼は、ふと自身の前世を省みる。
 もしも、決定的な破局へと至る前に、親友と本音をぶつけ合っていたならば、と。

 ルルーシュの首が、一つ振られた。
 未練がましい己の弱さを振り払うが如く。

 そんな兄の姿を、気遣わしそうに唯依は見上げた。

 自身の知らぬナニか。
 兄と慕う人の抱くそれを垣間見たいとの欲求が、この時、彼女の中に芽生えるが、今はまだその願いは叶う事はなかった。
 否、もし何かの間違いで叶ってしまったとしても、未だ未熟な少女では、その秘密の重さに押し潰されて終わった筈だ。

 遠い未来、少女が、いや、一人の女性として成長した篁唯依が、この時の事を思い出し、そう感じた様に。

 微かにズレかけた場の空気。
 それを強制的に巻き戻すように少年が告げる。

「それでは今より、『桜花作戦(オペレーションチェリーブロッサム)』を開始する!」

 それが、希代の謀略家による才能の無駄遣いとしか思えぬ幕間劇の開始を告げる一声だった。



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―― 西暦一九九一年 三月二十日 地球・L5宙域 ――



 地球と月のラグランジュ・ポイントの一つL5。

 ホンの一月前までは、ただ茫洋たる空間が広がるのみだったこの場所に、今や我が物顔で君臨する巨大な物体があった。

 最大長八十kmに達する巨大な岩塊。
 
 太ったサツマイモを連想させる形状のソレ――便宜上、『MFU』と名付けられた小惑星上の一角に設けられたベースにて、やや疲れた表情をした二人組が、徹夜明けのコーヒー片手に雑談を交わしていた。

「ふぅ……ヤレヤレ。
 ようやくカタが着いたねぇ」
「当初の計画通り、何とか収められたな……」

『『死ぬかと思った』』

 などという内心を互いに隠しながら、揃って渇いた笑い声を上げる。
 こちらの圧倒的勝利を全世界に印象付ける為にも、断じてスケジュールの遅延など認められない状況で、最善を尽くした両者は、やや煤けた風情で会話を重ねた。

 話題は、言わずと知れた事。
 とてもとても諦めの悪い敵対者達の悪足掻きっぷりであった。

 当初は、目論見通りとほくそ笑み、或いは嘲笑を浮かべていた赤い国々の重鎮達も、つつが無く進んでいく軌道変更作業に、その笑い顔が強張るのを止める事は出来なかった。 そして、自陣営の科学者・技術者達が冷や汗を流しつつ、昼夜兼行で取り纏めた改訂報告を目にした瞬間、彼らの中からは余裕の二文字が完全に消し飛んでしまったのである。

「なんて言うか、随分としつこかったみたいだけど?」

 こちらに直接手出しできぬ分、地上では相当に姦しかったようである。
 経済的圧力に、政治的圧力、更には細胞(セル)達を使っての社会的圧力等々。
 数えるだけでも嫌気がさしそうな妨害を仕掛けてきたらしい。
 ソレ等全てを、逸らし、かわし、或いは逆手にとって叩き潰した果てに今があるのだった。
 こちらも珍しく疲れた様子を見せた主君から聞いた事の顛末を思い浮かべながら、忠義一徹の青年は不愉快そうに吐き捨てた。

「連中に潔さなどというのを求める方が間違っている。
 まあ、結局全ては、ルルーシュ様の想定の範囲内に収まった訳だがな」

 条約破り、横紙破りは日常茶飯事、呼吸するように嘘を吐き、陰謀を巡らす相手に憤る悪友を、苦笑いしながら見ていたロイドが宥めるように口を挟んだ。

「今回の一件を主導した連中にしてみれば、死活問題だからねぇ」

 あの国々では、失態は即失脚へと繋がりかねない。
 非寛容の代名詞とも言えそうな国情を告げるロイドに、わずかに溜飲が下がった様子でジェレミアが唱和した。

「ソ連の方はシベリア送り、共産中華は内陸行きといったところだそうだ」

 現状から見て、事実上の死刑宣告。
 化物(BETA)共に食われてしまえと言わんばかりの扱いを、ロイドが冷笑を浮かべながら皮肉る。

「うわぁ〜完全に捨石だね。
 ……連中を切ったって事は、ウチと仲直りする気になったのかな?」
「一部には、そういった動きも有ったそうだがな」

 フンッとばかりに鼻を鳴らす。
 手袋を叩き付けたのはこちらだが、喧嘩を買ったのは向こうだ。
 自分達の都合のみで、関係修復が叶う等と思っていたなら甘いというほか無い。

 それを証明する一言を、ロイドがサラリと口にした。

「あの方に潰された?」
「………『不幸な事故』に遭ったそうだ。
 そういった連中は、この先邪魔にしかならんしな」

 主の意向を知るジェレミアは、皮肉気に口元を歪めつつ返答した。
 妙なところで和解をなどと言い出されては、全体の計画に差し障る為、さり気なく強硬派に情報をリークした結果が、それだった。

 連中にして見れば、青天の霹靂だっただろう。
 和解を申し出られたこちらが、そのまま強硬派に情報を流すなどと言う事態は。

 そしてもし、全体を俯瞰できた者が居たなら、きっと戦慄した筈である。
 彼らの主君の意図を悟って。

「あ〜あぁ、ご愁傷様だねぇ。
 ……まあ首尾良くBETAを追い出した後、人間同士で冷戦のやり直しって訳にもいかないかぁ」
「東西融和など所詮は方便よ。
 東と西、何れかが崩壊しなければならないなら相手を崩す――ただ、それだけの事だ」「まっ、異論は無いけどね」

 ルルーシュの意思を知る二人の男達。
 一方は、皮肉気な笑いと共に、もう一方は、ひどく冷淡な口調で意見を交わす。

 彼らの主の意向――BETA大戦の過程において、東側陣営を磨り潰し消滅させる――を了解している両者にとって、それは確定事項にも等しいものだった。
 他者が言うなら狂人の妄想扱いされても不思議は無いところだが、彼らの主君は、やると決めたらどんな手段を使っても実行する徹底した成果主義者である以上、必ず目的が達成される事を疑う事自体ありえない。
 ことに米国の様に、『自国の楯として利用しつつ消耗させる』等という都合の良い考えなど持たぬ分、より辛辣な、より悪辣な手段をも取り得るのだ。

 ほぼフリーハンド状態で、権謀術策に邁進する主君を脳裏に思い描いたジェレミアは、ディスプレイに映し出される『MFU』を見ながら低い声で呟く。

「あの方の計画が完遂されるなら、十五年以内に地上からBETA共の駆逐は完了する。
 だが、それまでにユーラシアの地は、再生不能なダメージを受けるだろう。
 それを癒し、再建する力は、その時の人類には残っていない筈だ」

 一国――正確には二国だが――を滅ぼすと決めた理由が、それであった。

 ルルーシュの立てたタイムテーブルに従うなら、人類がBETAに対し本格的な反攻に転じられるだけの戦力を整えられるのは、一九九〇年代末から二〇〇〇年代初頭にかけてとなっている。
 だが、その対価として、ユーラシアは切り捨てねばならない存在だった。
 そして首尾良く事が成就した暁に、大陸再建を叫び、暴れ出すであろう彼の国々も又、その時までに消えていて貰わなければならない。

 そんな非情の計算を、ロイドは静かに肯定した。

「常任理事国の立場を楯に、ユーラシア再建計画なんぞブチ上げられては、堪ったもんじゃないしねぇ」

 限られたリソースを割り振るなら、より効率的であるべきと言外に告げた。

 そもそも外圧が無くなった途端に内紛を起こすなど馬鹿馬鹿しい限りで、事前にその要因を取り除くのは理に叶っている。
 ましてや人類が半減しつつある今、大陸は生存領域として当面必要ではなかった。

 ――と、そこまでは論理的考察の結果なのだが、そこで素直に終わらないのが、この男らしいといえばらしい。

「まぁ、環境汚染自体も、今後酷くなる一方だろうしねぇ。
 いっその事、一度人類を全て宇宙に上げてから、徹底的なテラフォーミングをした方が、効率的って言えば効率的なんだけどね」

 どこか突き抜けたその意見には、流石のジェレミアも渋面を浮かべて呻き声を上げる。

「無茶を言うな無茶を……」
「ボクに言わせれば、地球に居座ったまま建て直しを図る方が、よっぽど無茶だと言うだけの話さぁ」

 正直、地球の再建にどこまでリソースを割けるかを、ロイドは疑問視していた。
 地球を奪還しても月が、そして火星が残っている。
 場合によっては、更に以遠の外惑星系にまで手を出す必要さえも有り得るのだ。

『さてさて、その辺りをどうクリアする気なのかな?』

 自身の主である少年の思惑を計るロイドの口元が、ひどく楽しそうに綻んだ。



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―― 西暦一九九一年 三月二十二日 ロンドン ――



 若くして英国貴族の重鎮と成りおおせたヴィクター・ヴィヴィアン・ブリタニア公は、その日ひどくご機嫌だった。
 朝からソワソワしっぱなしで、お気に入りのティーセットを一つダメにしてしまっても、その笑みが消える事は無く、終始ニコニコしたまま、今この場――枢木工業・ロンドン支社の会議室――に座ったのである。

 そして色の薄い金髪を背に流した年齢不詳の青年(?)は、にこやかな笑顔を崩す事無く上機嫌の原因へと声を掛けた。

「やあ、ルルーシュ。
 久しぶりだね」
『ご無沙汰しております。伯父上』

 画面越しに挨拶を口にする甥――最愛の弟の忘れ形見の姿に目を細めながら、V.V.は鷹揚に頷いた。

「元気そうで何よりだよ。
 また少し、背が伸びたみたいだね」
『成長期ですから………』
「ウンウン、良い事だよ。
 君が健やかに育っていると知れば、天国のシャルルも、きっと喜んでくれるだろうね」
 親馬鹿というべきか、兄馬鹿というべきか――
 どうにも区分けし難い反応に、ルルーシュの容貌にも微妙な色が浮かんだ。

『はぁ……』

 何というかやり難い。
 かつての世界のV.V.を彷彿とさせる相手の容姿も、それに拍車を掛けていた。

 そんな少年の胸中を知ってか知らずか、思わしくない反応に伯父の方が不満気な表情を見せる。

「気の無い返事だなぁ……まあ良いか。
 で、この前の件だけど、問題なく上手く行ったようだね」

 唇をやや尖らせつつ、不満を表明するが、軽く肩を竦めて気を取り直すと、先日、協力を仰いだ一件について水を向けてきた。
 借りのある身としては、これに気の無い返事を返すのが憚られたのか、しごく真面目な表情を作ったルルーシュは淀み無く応じる。

『はい、改めて、お力添えに感謝します。
 この件に関しての返礼は、後ほど必ず』
「ああ気にしなくても良いんだよ。
 英国(ウチ)としても、東側の連中に安保理で大きな顔をされても困るしね」

 後日の返済を誓う甥っ子に、V.V.は、いとも気軽そうに手を振って見せた。
 次いで、その表情に、やや黒めの笑みを貼り付けつつ、至極朗らかな調子で本音を口にする。

「連中が、如何に間抜けなのかを、満天下に示せたんだから万々歳さ」

 連中の失点は、自身の加点――等という単純な話でもないが、失点である事は変わりない。
 政治的に対立する事の多い側が、自分で墓穴を掘ってくれた事を喜ぶのを、躊躇うつもりは無い風情に、ルルーシュは浮かびかけた苦笑を必死で噛み殺した。
 どこか自身と相通ずるモノを感じつつ、それでも猫を被って見せる。

『しかし、そういう訳には………』

 V.V.の笑みから毒気が抜けた。
 細められた眼差しが、面白そうにキラキラと輝いている。

「ふぅん……律儀だね。
 そういった処は、やっぱりシャルルに似たのかな?」
『さぁ……』

 含み笑いと共に返された問いに、ルルーシュも今度は本気で困惑する。
 この世界の父の記憶など無い身としては、答えようの無い質問だ。
 一瞬、脳裏にロールバッハヘアのイメージが浮かぶが、アレとは別物と自身に言い聞かせ、意識の中から削除する。

 一方、そんな甥の混乱を他所に、何かを思いついたのかV.V.はブツブツと何かを呟き出した。

「ふむ………やっぱりボクと、お揃いのVが良いよねぇ」
『伯父上?』

 何やら不穏な雰囲気を放ち始めた伯父の姿に、ルルーシュの表情にも戸惑いの色が浮かぶ。
 だが、自分の世界に入り込んでしまったのか、それに全く反応することなくV.V.は、自問自答を繰り返していた。

「ヴァリウス、ヴィンス、ヴィッカー、ヴァレンタイン……ヴァーナル、ああ、ヴァーノンとかヴァージルも良いねぇ?」
『はっ?』
「『は』じゃないよ。
 君のミドルネームの事さ―――どれが良いかな?」

 疑問符で終わった呟きに、思わず困惑の声が漏れ、それを耳聡く聞き取ったV.V.がにこやかな顔で問いを重ねてくる。
 ルルーシュにとっては、脈絡も意味も全く不明の問いを、だ。

 どうにもこうにも、やり難い相手に、疲れた吐息が漏れる。

『………話が見えないのですが』
「我が家では、ミドルネームは後見人につけて貰うのが慣わしでね。
 君にブリタニア公爵家を継いで貰う為にも、その辺りはキチンとしておきたいんだよ」

 対して、当の本人はと言えば、満面の笑顔。
 嬉しくて楽しくて堪らないといった様子で返された答えに、少年は思わず頭を抱えた。
 言いたい事は理解出来たが、悩みの種は減らない。
 いや、むしろ増えてしまった現状に、それでも少年は一応の抵抗を試みた。

『……また、そのお話ですか……伯父上も、まだお若いのですから、結婚して子をもうければ良いのでは?』
「地位と財産目当ての女に興味は無いね。
 それにボクは、シャルルの息子である君に譲りたいんだ」

 年齢不相応な少年染みた仕草で、プイッとそっぽを向く。
 怒るわけにもいかず、苦悶の表情で眉間に二指を当てるルルーシュ。
 そんな甥っ子の反応を楽しみつつ、V.V.は胸中でそっと独白する。

 ―――その為に、あの男にも隠居して貰ったんだから。

 不貞腐れた顔をしつつ、腹の中で黒い事を考える。
 周囲の讒言に惑わされ、最愛の弟をブリタニア家から追放した父親の事を、彼は決して許す気などなかった。
 弟が、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を果たし、北の海で散ったあの日から、彼にとっての家族とは、いま目の前に居る弟の忘れ形見だけ。
 そう割り切っている男は、甥に向けるにこやかな笑顔の下で、父親を冷たく嘲笑う。

 ―――まあ、せいぜい田舎暮らしを満喫して下さい。アナタには、それがお似合いだ。
 父に味方した連中、或いは、ルルーシュをブリタニア家に迎え入れる事に反対した親族。
 その悉くが、今では己の浅慮を後悔しているだろう―――地獄の底のそのまた底で。
 もはや、彼を迎え入れるのに何の障害もない。
 後は………

『……ご厚意は、ありがたいのですが、オレにもオレなりの立場があるのですが?』

 ……思わず溜息が零れた。

「……聞いているよルルーシュ。
 帝国では、随分な扱いを受けているそうじゃないか?」
『…………』
「今回の一件も、本来なら帝国の大使が動くべき話だ。
 それを、ワザワザこちらに話を持ってきたという事だけでも、大まかな内情が仄見えるというものさ」

 ―――そんな国に義理立てする必要が何処にあるのさ?

 言外に痛いところを突いてくる相手に、ルルーシュも渋い表情を浮かべた。
 だが、それでも反論がすぐさま出るのは、彼自身が未だ帝国に愛着を持っていたからだろう。
 例えソレが、ごく一部の人々に対するものであったとしてもだ。

『確かに、色々と問題の多い国である事は認めます。
 ……ですが、生まれ育った地である以上、それなりに愛着も、しがらみもあるのですよ』

 男の肩が、大きく落ちた。

 伝聞以上に正確な情報を把握していた彼にしてみれば、帝国内における甥っ子の扱いは到底許容できるものでない。
 あんな国には、もはや一秒たりとも置いてはおけない――というのが、偽らざる本音だ。
 とはいえ、無理強いもしたくない。
 自身の意思を押し付けようとした挙句、醜態をさらした父親の轍を踏むのは御免こうむるというのも確かだった。

 もう一度、溜息が漏れる。

「………仕方ないね。
 今回は、ここまでにしておこうか?」

 自分が、あっさり折れた事に意外そうな表情を浮かべる甥に、V.V.は、わずかに頬を緩めた。
 怜悧さが崩れた奥のその顔は、やはり何処か彼の弟を思い起こさせる。

『はい、それでは伯父上』
「うん、またね」

 これ幸いと逃げを打つルルーシュを、苦笑しながら手を振って見送る。
 徐々に暗くなっていく画面を、残念そうに眺めていた男は、やがて気を取り直すと、これからの事に思いを馳せた。

 結局、何をどうした処で、決裂の時を先延ばしにしているだけに過ぎない事は、彼の目から見れば明らかで。
 いずれ可愛い弟の忘れ形見が、あの国を去る事になるのは確実だった。

 ならば自分は、ただ待てば良い。
 その日が来るのを。

「ルルーシュ・(ヴィ)・ブリタニア――ああ、楽しみだ。 ねぇ、シャルル」

 小さな呟きと共に、男は静かに笑う。
 いずれ来るその日を思って。



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―― 西暦一九九一年 三月二十五日 帝都・技術廠 ――



 技術廠内の執務室で、『瑞鶴の英雄』こと篁中佐は、独り物思いに耽っていた。
 昨年末に喧嘩別れした親友の事が、時折、脳裏を過ぎるが、それを強引に無視するように眼前のディスプレイに集中する。
 展開されているデータは、現在、技術廠内でも最高機密に属する物。
 光菱、富嶽、河崎の三社共同開発により推し進められている次期主力戦術機(TSF−X)の先行試作機――三社で取り纏めた基本設計をベースに、各社が独自の特色や提案を盛り込んで試作した戦術機達の資料を、険しい眼差しで見つめながら、篁はボソリと独りごちた。

「やはり、これが落ちたか……」

 複数の試作機中、とある機体のところで、その眼がピタリと留まっていた。
 先日行われた選定会議にて、要求仕様未達を理由にハネられた機体である。

 性能的に見ても試作機中最下位の機体は、スペック重視に偏りつつある現状では、選から漏れて当然とも言えたが………

「……度し難いことだ。
 スペック重視も分からん訳ではないが、先が見えぬにも程がある」

 ……篁の眼から見れば、これこそが最もバランスの取れた機体と言えたのだ。

 現在の帝国の技術水準からみて、至極妥当と思われる範囲の技術の集大成。
 示された整備性や操縦性も良好で、稼働時間も要求仕様内に収まっていた。
 ただ惜しむらくは、主機出力の向上・消費電力の省力化ができぬまま稼動時間の延長に舵を切った為、機動力と運動性の面では他の試作機と比較するとワン・ランク落ちる点がある。
 関連分野の技術においては、未だ米国の後塵を拝している帝国にとって、今後、克服すべき課題であるのは確かな事だった。

 とはいえ、総合的に見るなら、現在の帝国の身の丈に合った戦術機であるという篁の評価は揺らがない。
 特に最も評価しているのは、将来の技術革新も見越して確保されている機体そのものの拡張性だった。
 そしてそれこそが、タイト過ぎる設計が行われた他の試作機に対して、性能的に劣る機体になってしまっている理由であるというのが、なんとも皮肉な事ではある。

 結局、今後十数年の運用を見越し、将来的な改修まで視野に入れた篁の意見は、選定会議で通る事は無く、彼が推した機体――次期主力戦術機(TSF−X03)試作三号――は、見事なまでの不評を博し、開発対象から外される破目になった。
 以後、国内と国外で行われる評価からも外され、失敗例の資料としてのみ価値を認められた不遇な機体は、生まれ故郷の工場でひっそりとモスボール化される運命を与えられた―――筈だった。

 不憫な鬼子を見つめる篁の視線が、わずかに鋭さを増す。

「開発メーカーには悪いが、私にとってはチャンスでもある。
 これに手を入れる事が出来れば、或いは……」

 海外――端的に言うなら米国に改修話を持ちかけ、向こうの先進技術を更に吸収すると共に、失敗作を見せ付ける事でこちらの技術水準をワザと低く認識させる。

 そんな御題目の下、自身が目を着けた機体に米国の先進技術を導入し、強化改修する案を、彼は模索していたのだった。
 幸いというべきか、先の大戦以来、燻り続ける潜在的な反米感情からか、相手をペテンに掛けるという彼の提案に対する反応は悪くない。
 何よりも、改修の対象となる機体が、彼ら自身が失格の烙印を押した出来損ないであるという事も、一同の精神的ハードルを下げる事に一役買っていた。
 米国のお手並み拝見的な上から目線の空気が、上層部に充満しつつある事に複雑な感情を抱きつつも、自身の腹案を現実化すべく篁は思案を進める。

「コンペは出来ん。
 ……かと言って、妙な相手を選ぶ訳にもいかん」

 国内の政治情勢、特に最近逼塞を余儀なくされている国粋主義的な一派は、米国と組むと聞いただけで、アレルギー的反応を起こし暴発しかねない。
 大々的にコンペを開き、参加企業を募るなど到底できない相談だった。
 となれば、こちらから相手を選定した上で、話を持ちかけるしかないのだが、これも又、中々に難しい。
 はっきり言ってしまうなら、旨みが少な過ぎるのだ。

 ――他国の次期主力機開発に請われて参入する。

 対外的な聞こえは良いし、自社の技術力を誇示する宣伝材料ともなり得る。
 だが反面、自社技術の流出に繋がる以上、それに見合う対価が提示されない限り、利に聡い米国企業が首を縦に振るはずも無かった。
 そして、あくまでも耀光計画のオマケ的な計画としてしか成立しない以上、見合う対価に値するものを用意するのは困難を極める。

 平たく言えば、金が無い――その一言に尽きるのだ。

 本来なら、この時点で彼の腹案は挫折せざるを得ない。
 政府や軍を口八丁手八丁で丸め込んでも、肝心の対価が用意できなければ鼻も引っ掛けてもらえないのだから……

 だが彼には、まだ切るべき札があった。

 彼の標的の最右翼、米国戦術機開発の雄であるMD社へと繋がる太いパイプの心当たりが二つ……

「あまり迷惑は、掛けたくないのだがな……」

 躊躇いの色が、篁の面を過ぎる。
 正直、借りばかりが増えていく現状は、律儀者で通っている生真面目な彼にとって、面目なさばかりが募るのみだ。
 とはいえ、現状、他に妙手がある訳でもなく、もう一方の札は個人的な事情から非常に切り難い。
 真剣に国の未来を憂う彼にしてみれば、不本意ながら彼に頼らざるを得ないというのが実情であった。

「……まあ、未来の義父を手助けすると思って、骨を折って貰おうか」

 内心の屈託をボヤきに変えて呟いた。
 次の瞬間、男の顔に何とも言えない複雑な色が浮かぶ。

 何とはなしに、娘を売る親の気分を味わった子煩悩な父親は、恐らくは嬉々として売られていくであろう愛娘の姿を連想し、苦笑い混じりの溜息を漏らしたのだった。



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―― 西暦一九九一年 三月二十八日 大阪 ――



 それがクセなのか、或いは単なる演技なのか、コツコツとソファーの袖を指先で叩きつつ提示された資料に目を通していた中年の白人男性は、おもむろに面を上げた。

「……ふむ、お話の件は理解しました。
 ですが正直、我が社にとっては、利が薄いように感じますな」

 穏やかでありながら、何故か引っ掛かるモノを感じさせる口調。
 フレームレスの眼鏡の下で笑う眼も、どこか作り物めいて見える。

 そんな印象を他者に抱かせる男、マクダネル・ドグラム社技術顧問を務めるフランク・ハイネマンは、口元に笑みを湛えつつも、辛辣なセリフを口にした。

 言外に、自社が関わるメリットが無い――そう断言する相手に、対峙するルルーシュの目線は変わらない。
 こちらも本心を読ませぬビジネスライクな笑みを貼り付けたまま、相手の主張に反論した。

「短期的には、確かにそうだろう。
 だが計画が成功すれば、貴社が帝国の次期主力戦術機調達に深く関わる事も不可能ではあるまい」

 開発過程で枢要な箇所に自社技術を組み込めば、正式採用の暁には相応の利益が見込める事を指摘する。
 また、ここで帝国の戦術機開発に食い込むことが出来れば、次の次にも関わる事が出来ない訳でもないと、美味しい餌を眼前で振って見せた。

 しかし――

「この国には、『取らぬ狸の皮算用』という諺がありましたな?」

 薄い冷笑を浮かべて、ハイネマンはルルーシュの誘いを否定した。

 ソフト面ではRTOSシリーズ、ハード面ではファントム・アップデートシステムに輻射波動装甲と様々な画期的新技術を世に送り出し、海外では戦術機関連装備メーカーとしてはNo.1とまで噂される程の高評価を受けている枢木自体が、自国の戦術機開発に全く食い込めていない現状を見れば、それだけで参入障壁の高さが分かる。
 枢木と業務提携をしているMD社の人間として、その辺りを熟知しているハイネマンは、そう易々と垂らされた釣り針に食いつく愚は犯さなかった。

 チラリとこちらを見る眼に、そんな意図を読み取った少年は、憮然とした表情で切り返す。

「『損して得取れ』というのもある」

 目先の小さな損失に囚われず、将来の大きな利を掴めという格言を打ち返しながら、ジッと相手を見据える。
 作り笑いを浮かべていたハイネマンの目から色が消えた。

 そのまま暫し、睨みあう両者を、技術部門のトップとして同席していたロイドが、面白そうに眺めている。

「………仕方ありませんな。
 ビジネスパートナーである貴社に、そこまで言われては、いささか断り難い」

 先に折れたのはハイネマンだった。
 だが、あくまでも計画自体の利を認めたのではなく、提携相手である枢木の顔を立てる為との姿勢は崩さない。
 実際問題として、ハイネマンの主張は正しかった事も、彼の姿勢に一定の正当性を持たせていた。
 予算の制限が厳しく、利益が余り見込めない以上、利潤追求を目的とする企業にしてみれば関わりたくないというのは仕方の無いところである。

 そんな世知辛い事情を勘案しつつも、ルルーシュは無表情を維持したまま確認した。

「それでは?」
「私の一存では、即答しかねる案件です。
 ですが、本社に持ち帰り、取締役会に掛ける事は、お約束しましょう」

 微妙な返答に、ルルーシュもわずかに眉を顰めた。
 どこか含むものを感じさせる物言いに、まだ先がある事を理解しつつ、この場は頷いておく。

「ふん……止むを得んか。
 良い返事を期待させて頂こう」

 不機嫌さを見せる彼に対し、作り笑いを復活させたハイネマンは、どこか楽しげに答えを返す。

「そうですな。
 私個人としては、米軍とは異なるドクトリンに基づいて建造されたという第三世代機には、少なからず興味があります」

 ルルーシュの片眉が、ピクリと動いた。
 場の傍観者と化していたロイドの目が、わずかに細まる。

 相手の言葉の中に、珍しく本音を聞き取ったからだ。

 そんな両者の反応に気付いているのかいないのか?

 グラナン社が、トムキャット(F-14)の設計図を、ソ連に流す際に一枚噛んだとも言われる黒い噂の男は、饒舌に語り続ける。

「ですので、本音を言うなら、それに触れる機会を逃したくは無いのですよ」

 そう話を結んだ相手に対し、何らかのイメージを掴んだのか、ルルーシュの相貌に苦虫を噛み潰したような表情が浮かんだ。
 一瞬、動いた視線が、己の隣でコーヒーを啜っているロイドへとチラリと向けられる。 平静を装うその米神に、一筋の汗が流れているのを目敏く見取った少年は、自覚があるのかと内心で納得しつつ、応えを返した。

「成る程、流石は『戦術機開発の鬼』……という事か」
「私ごときが、その様な評を受けるに値するかは甚だ疑問ではありますが、好奇心というものは技術者にとって必須のものでしょう。
 ―――そうは思いませんかな? ロイド・アスプルンド博士」

 男の異名を口に出して牽制に掛かるルルーシュ。
 それに対し、涼しい顔をした相手は、傍観者と化していたロイドに水を向け壇上へと引き摺りあげた。
 ロイドの片頬が、かすかに釣り上がる。

「ふぅ〜ん……随分と懐かしい呼ばれ方だねぇ」
「そうでしょうか?
 この世界では、かなり有名な呼び方ですがね」
「二十になるかならぬかの身で、ECTSF計画の主任に抜擢されながら、それを蹴って行方を晦ました変わり者―――って辺りかなぁ?」

 軽いジャブとばかりに舌戦を繰り返す二人の天災、否、天才達。
 どうにもこうにも傍迷惑そうな両者を、両目で当分に眺めていたルルーシュに向けて、必殺のストレートが打ち放たれる。

「さて……ですが、貴方の残された論文、そして造られた物――メアフレームなどは、私にとっては注目の的なのですよ」

 どこか粘性を感じさせる笑みが、ハイネマンの顔に浮かんだ。
 相手の意図を正確に読み取ったルルーシュは、そう来るかと、内心で舌打ちする。

「つまり、それがそちらの条件か?」

 利の見込めない無い計画に手を出す対価。
 言外にそれを求める相手に対し、冷ややかな眼差しが注がれるが、どうやらその程度で凹む程、繊細な神経は持ち合わせていなかったようである。

「ええ、ですが用が有るのは今のメアフレームではなく、アレの本来の形の方にですがね」
「……本来の形……ねぇ……」

 抜け抜けと言い放つ相手に、ロイドが口元を歪める。
 珍しく好戦的な雰囲気を撒き散らす青年に対し、要求を突きつけた側は、次のカードを切って見せた。

「腹の探りあいは止めておくべきだと思いますよ?
 見る者が見れば、アレが本来は兵器として造られた物である事は、一目瞭然でしょう」
 民生用としては高過ぎる機体強度や設計余裕、その他機構にも、別の物を充てた方がより安く済む物もある。
 その辺りが、人や場所を選ばずという高い汎用性と耐久性及び信頼性に繋がっているのも事実だが、兵器開発者としての視点から見れば、自ずと別の物も見えてくるという事だ。

 そんな事実を指摘して見せたハイネマンは、傍らに置いておいた鞄から一通の書類を取り出し、テーブルの上へと置く。
 表題をチラリと一瞥したルルーシュの双眸が、鋭さを増してハイネマンを射抜いた。

 AMF――アーマードメアフレーム――開発計画と表題された資料を、互いの間に挟んだまま対峙する二者。
 不機嫌そうに引き結ばれた少年の口から、弄うような口調で言葉の弾丸が撃ち放たれる。

「良いのかな?
 貴社が回復した戦術機の市場を、荒らす事になっても」
「既存の市場とは競合しない新分野を開拓すれば済む話ですよ」
「ほぅ………」

 挑発的な一言を、自信たっぷりに切り返す。
 そんな男の態度に、ルルーシュらの目にも興味の色が滲んだ。
 ソレを見たハイネマンの口が、更に滑らかさを増す。

「現在の米軍は、G元素を用いた新兵器の実用化が間近に迫った事により、ドクトリンの変更とソレに伴う装備の更新を推し進めています」
「その為のラプター(F-22)だろ?
 まあ、その後の事も見据えてではあるのだろうがな」

 米軍が推進するG兵器主体のドクトリン変更に対し、制式採用が決まったラプター(F-22)が、対人類戦も視野に入れている事をさり気なく当て擦る。
 これにはハイネマンも苦笑するしかなかった。
 まあ、当人にすれば直接自身が関わっていない分、余り拘りも無かった様ではあるが……

「これは手厳しい――まあ、アチラの事は、今は良いでしょう。
 基本的に他の国家とは異なり、米軍における戦術機の位置付けは、あらゆる局面・状況に対応できる汎用兵器から、G兵器使用後の掃討戦主体の兵器へとウェイトが変わりつつある訳です」
「成る程、掃討戦をメインとするなら、メアフレームの欠点である稼働時間の短さも、さほど気にならないという訳か?」

 謎解きをするようなハイネマンの物言いに、ルルーシュも合点がいったとばかりに頷いた。

 戦術機と異なり、バッテリーのみを動力とするメアフレームの泣き所である稼働時間の短さ。
 兵器としては大きな問題点だが、ハイネマンの言う通り、用途が限定されるならば、その問題もクリアできる。
 バッテリー切れが近づいたなら、後ろに下げるか、その場で交換するかすれば良い――G兵器で粗方始末した後の掃討戦ならば、その程度の余裕は充分にある筈だ。

 自身の意図を、誤る事無く理解され、ハイネマンは満足気に頷きながら続きを口にする。

「戦車級以下の小型種相手に、戦術機を用いるのは少々オーバーキル気味でしょう。
 そうかと言って、現状の強化外骨格では、闘士級相手なら兎も角、戦車級を相手取るには正直力不足ですからな」

 元々、戦車級以下の小型種相手に戦術機を用いる事のコストパフォーマンスの悪さは、以前より指摘されていた。
 さりとて、強化外骨格では闘士級ならともかく、戦車級を相手取るには少々分が悪い。
 強化外骨格と戦術機の中間、言わば対小型種BETA専用の兵種というものが、これまで存在していなかったのは、不思議と言えば不思議ではあった程だ。
 まあ、そこまでの余裕が、どこの国にも無かったと言ってしまえばそれまでであるが、なまじ戦術機の使い勝手が良い分、その辺りの負担もそちらに回していた結果が、戦術機殺しの異名を戦車級に与えたとも言える。

 そして今、その中間を埋める兵種のベースとして、MD社は枢木のメアフレームに目を付けたという訳だ。

 更に付け加えるなら……

「それにハイヴ内には、戦術機では入り込めない細い横坑(ドリフト)も無数にあるでしょう。
 そこを掃討するのが強化外骨格だけでは、やや心許ないというのもありますな」

 そこまで言い切ったハイネマンは、手前に置かれたコーヒーを飲み、軽く喉を潤すとルルーシュの反応を伺う素振りを見せた。
 対して、そんな相手の態度を、チラリと一瞥したルルーシュは、ハイネマンの主張から導き出せるMD社の想定する運用法を例えを用いて確認する。

「つまり戦術機を戦車に擬えるなら、それを護衛する戦車随伴歩兵的な兵器として売り込みたいという訳か?」
「う〜ん……でも、それじゃ米軍以外には売り込めないんじゃないのかなぁ?」

 米軍とは違い、他国家の基本的な運用は、戦闘の最初から最後に到るまで戦術機投入を前提として組まれている。
 そう言った運用法の場合、稼働時間の短さがネックとなって、戦術機と組ませるには、かえって使い難い兵器にしかならないのではないかと、ロイドが指摘するのに対し、ハイネマンは自信ありげに否定した。

「他の国家には、拠点防衛用兵器としてセールスするつもりです。
 陣地、或いは要塞内の防衛用としてなら、充分な成果が見込めるでしょう」

 そこで一旦、言葉を切ると、今度は、やや苦笑い気味に現状を指摘する。

「実際の処、前線国家ではヘビーメアフレームに簡易装甲を施し、戦術機の代用品として拠点防衛に用いている例も多々ありますからな」
「流石だな。 既にリサーチ済みという訳か」

 荒らす荒らさない以前に、もはや戦術機市場にも多少の影響は出ていると、間接的に指摘する声に、結果として荒らしている側になったルルーシュ達も、苦笑混じりでそれに応じた。
 特に枢木の側に非のある話という訳でもない。
 だが、ここを突かれては面倒とばかりに、ルルーシュは疑問を投げかけた。

「だが、それなら貴社だけで、事を進めることも出来そうだが?」
「まあ無理ではありませんな。
 既存のメアフレームを改修する位なら、我が社でも充分対応可能でしょう。
 ………ですが、我々が求めているのは、その先――作り手のみが知る筈の本来あるべき姿なのですよ」

 ルルーシュの問いに、薄い笑みを浮かべながらハイネマンは応じる。
 隠している手札の公開を求める相手に対し、少年は平然と嘯いてみせた。

「それを我々が知っていると?」
「知らぬ筈がありませんな」

 狐と狸の化かし合い――そんな言葉を連想したロイドの横で、ルルーシュは差し出されたAMF開発計画書を開き、ザッと斜め読みする。
 対してハイネマンはと言えば、そんなルルーシュの様子から、その心情を見極めるかのようにジッと少年の動静を注視していた。

 パサリと冊子を閉じる音が鳴り、下へと向けられていた少年の視線が上がる。

「……条件的には悪くない」

 共同開発によるライセンスの共有。
 販売地域を区分けする事による住み分け等々。

 いずれも、ほぼ対等の条件が記載されていた。
 また、二、三年もすれば、特許やら著作権やらの概念が曖昧過ぎる連中が、利潤を求めて首を突っ込んでくる事も想定されており、そちらに対する対策面での協力までもキッチリと列記されている。

 正直に言えば、美味しい話であり、又、そこまでやっても充分利益を得れるとMD社側が判断しているとも言えた。

 その辺りについて、充分な自信があったのだろう。
 ルルーシュが水を向けると、ハイネマンは満面の笑みと共に尋ねてきた。

「では、お受けいただけますかな?」
「追加で二つ呑んで貰えるならな」

 付けられた注文に、一瞬だけハイネマンの眉が動いた。
 追加条件が二つという処に、かすかに引っ掛かりを感じつつ、想定していた一つ目と共に確認する。

「一つは、日本機改修への協力として、もう一つは?」
「なに大した事ではない」

 そう言って、計画書の表題に線を引き、一部を書き直す。
 流麗な達筆で書き直された表題を、ハイネマンは興味深そうに声に出して読み下した。
「『Knight Mear Frame』――騎士の馬たる機体……成る程、これが本来の名前ですか?」
「さてな……単に今、思いついただけかもしれんぞ」

 質問をはぐらかす答えに、少しだけ不快そうな表情を見せるが、次の瞬間、何も無かったかのように取り繕うと、事務的に応えを返す。

「……まぁよろしいでしょう。
 これが、貴社の追加条件という事でしたら、我が社の側に異存はありません」

 そこからは、もはやビジネスでしかなかった。
 妙な張り合い、騙し合いもなく、淡々と話が進んでいく。

「では、正式な契約は、後日改めて」
「承知しました。
 帝国との交渉が済み次第、ご連絡させていただきます」

 追加条件の履行を以って、契約締結の契機とする事を伝えるとハイネマンは席を立ち右手を差し出した。
 同じく立ったルルーシュの手が、それに添えられると、両者は形式的な握手を交わす。

「それでは」
「ああ、双方にとって良い結果となる事を期待させて頂く」

 最後に、そう言葉を交し合うと、再び、作られた笑みを浮かべた男は、背を向け立ち去っていった。

 その背を見送ったルルーシュは、再び、ソファにその身を委ねた。
 軽く吐息をつき、体内に篭った毒気を吐き出す。
 そのまま軽く目を閉じた少年は、目の前で軽く手を組みつつ、如何にもさり気ない口調で言葉の矢を放った。

「さて、ロイド。
 ………話を聞かせて貰おうか?」

 コソコソと逃げそうとしていたロイドの足が、ルルーシュの放った矢に縫い止められる。
 ドアまで、あと数歩といった位置で固まった青年は、微妙に強張った表情で、こちら側へと振り返った。

「いやぁ〜……遊び心が、過ぎちゃいましたかねぇ」

 と、自身の失態――メアフレームに兵器としての名残を、ワザと残しておいた事を謝罪した。
 とはいえ、とても謝っている様には見えぬ語調と態度に、ルルーシュは疲れた溜息を吐く。

「まったく……まあ良い。
 多少、イレギュラーではあるが、致命的という程の物でもない」
「よろしいんですかぁ?」

 やや意外といった顔つきで、アッサリと許しを出した主を覗き込む青年。
 ジロリとばかりに、その顔を一瞥したルルーシュは、やや投げやりといった表情と声で、判断理由を説明し出す。

「問題ない。
 提携するのは、あくまでもメアフレームの改修のみだ。
 既存技術の派生系に留まる範囲でなら、有用とも言えるだろう」

 確かに、ハイネマンの言うところの戦車随伴歩兵に当たる兵種は、対BETA戦においても有用だろう。
 ライトメアフレームを基礎として開発するなら、殆どの人間が問題なく乗れる筈である為、衛士適性が無かったが為に今まで歩兵戦力として使うしかなかった兵士達を、新たな機甲戦力として活用する事も可能となるのだ。
 数を揃えるという戦争における重要なファクターが、これまでは高価な戦術機とそれを操り得る稀少な衛士という組み合わせがネックとなって阻害されていた問題も、今後はある程度は改善される見込みが出てきた訳である。

 最も、ハイネマンを含めたMD社の目論見としては、対BETA戦終了後の対人類戦、それも恐らくは市街戦あるいは山岳戦等における新兵器としての需要の方を見込んでもいる筈だ。
 元々、本来のKMF自体が、戦車に換わる陸戦兵器として開発され、多大な実績を上げてきた経緯からみても、その辺りを狙っていても不思議はない。

 そこまで告げると、ルルーシュはやや不満気に美貌を歪めた。

「まぁ、予定外に高くついたのは口惜しいがな」

 それだけが、やや不本意であるとグチる主君に向けて、ロイドが屈託の無い様子で笑いかける。

「あっはぁ〜……残念でしたぁ〜〜ですよねぇ」
「少しは反省しろっ!」

 応接室の中に、ルルーシュの怒声が鳴り響いた。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 三月二十八日 神奈川・河崎重工 ――



「コイツか……」

 戦術機ガントリーに固定されたダークグレーの機体――自身が担当する事になる次期主力戦術機(TSF−X04)試作四号を見上げながら、巌谷は誰にとも無く呟いた。

「……遠目には陽炎(F-15J)に見えそうだな」
「配色を合わせてみました。
 我が国の最高機密の塊りですからね。
 下手に目立って、情報を盗まれたり、機体を奪取されでもしたら一大事ですよ」

 機体のカラーリングから来る率直な印象を語った彼に、後ろに付いて来ていた工場長から物騒なフォローが入る。
 なんとも剣呑な話に、わずかに眉をしかめながら振り返った巌谷は、厳つい顔に真剣な色を浮かべた相手に問い直す。

「そんな事が有り得るのか?
 我が軍は、国連の要請を受けて、援軍として大陸に渡るんだぞ」

 と言いつつも、そんな事も有り得るかと胸中で呟く彼に、渋い顔つきになった工場長が応じた。

「私も現地に行った訳ではありませんが、兎に角、モラルが低いそうです。
 補給物資の荷抜き、横領は当たり前といった感じだそうで、前線はかなり酷い状況だとか」
「本当なのか?」
「ええ、何でも本土防衛軍の彩峰少将が、参謀本部に働きかけて、軍の情報部を大々的に動員し、現地の状況を詳細に調べさせた結果、判明したそうです」

 無責任な風評や偏見ではなく、間違いの無い出所からの正確な情報であると断言する相手に、巌谷も精悍な顔に嫌悪の色を浮かべた。
 自分達の国の、否、人類の存亡すら掛かった戦いにおいて、そんな真似をする輩が公然と跋扈している現状に怒りにも似た思いを覚える。

「……そうか……それ程、酷いのか。
 当初の予定より、護衛部隊が増強されたのも、その所為か……」

 吐き出す言葉は低く、苦い。
 そんな巌谷の心情が伝わったのか、工場長も憮然とした様子で、巌谷に同調した。

「多分、そうでしょうな。
 この機体も、対外的には陽炎の改修試作機という振れ込みになると聞いています」

 そこまでしなければ万が一の事態を避けられない。
 そんな大陸の実情に、巌谷は正直、頭を抱えたくなった。
 その脳裏に、一瞬だけ、大陸への遠征に反対し続けている親友の顔が浮かび、条件反射的に、それを掻き消そうとする心の動きが、彼の口を不用意に開かせる。

「となると、コイツ(TSF-X04)専用の消耗品等の補給は、特別便でも仕立てる必要がありそうだな。
 現地での補給は、物流を管理している統一中華に委託されていると聞いていたが、とてもじゃないが任せられんだろう」

 友軍――の筈の統一中華、実質は共産中華に対する批判とも取れる発言であったが、工場長自身そう思っていたのか、咎める事無く巌谷の提案に頷いた。

「上の方も、そう判断しているそうです。
 一応、三社共同で軍の方にも働きかけるとか」

 苦労に苦労を重ね、ようやく形になった物を、恥知らずな鼠賊共に盗まれては堪らない。
 恐らくは、耀光計画に関わる者全ての総意とも言える本音の発露だった。
 無論、それは巌谷とって同じ事である。
 もし、愛機(TSF-X04)に、汚れた手を伸ばす輩を見かけようものなら、問答無用で射殺しても不思議ではなかった。

 それ程までに、計画に携わる者達にとっては、初の純国産戦術機であるTSF-Xへの思い入れは深くて重いのである。

 そんな双方の気持ちを集約するかのように、巌谷は力強く頷くと、自身もTSF-Xを護る為に尽力する事を告げた。

「分かった。
 俺の方からも上申しておこう。
 何かのタシにはなるだろう」
「助かります。
 巌谷少佐の口添えがあれば、かなり違うでしょうから」

 巌谷の提案に、破顔し、喜びを露にする。
 あまりの喜びっぷりに逆に巌谷の方が、面映さを通り越し、腰が引ける程だった。

「あまり買い被らんでくれ、その辺りの情報が、まだ降りてきていない程度の立場な訳だしな」

 何とも居たたまれない思いをしつつ、本音を白状する。
 これまでは上との折衝を全て親友に頼っていた分、情報に疎くなっていた自身を反省しながら――

 対して、工場長はと言えば、大仰な身振りで巌谷の自虐を否定した。

「そんな事はありません!
 巌谷少佐が、イーグル(F-15C)を破ってくれたからこそ、コイツが産まれたんです」
 拳を握り締め力説する。
 彼のみならず、耀光計画に携わった者達に共通するその思いを、眩しそうに、そしてどこか後ろめたそうにしながらも、巌谷は受け止めた。
 それが自身に課せられた義務であり、責任であると言い聞かせながら。

「……ああ、そうだな。
 なら、産みの親の一人として、子供に恥じぬ働きをするか」

 そう呟きながら、TSF-X04の脚部にそっと触れた。
 産まれたての赤子をあやすように、静かに、優しく。

 そんな巌谷の仕草に、工場長は満足そうな笑みを浮かべた。

「是非、そうして下さい。
 きっとコイツも喜びますよ!」

 そう言いながら工場長の視線が動く。
 まるで忘れていた何かを思い出した様に。

 釣られる様に動いた巌谷の視線に、もう一機の戦術機が映った。
 太く男らしい眉が、怪訝そうに寄る。

「アレは……TSF-X04?
 ……いや、微妙に感じが違う様な……」

 開発衛士として帝国で運用されているあらゆる戦術機に接してきた経験が、両者の間にある微妙な差異を敏感に見取った。
 脇に立つ工場長の眼差しが、何とも言い様の無い複雑な色を浮かべる。

「……前回の選定会議ではねられた試作三号(TSF-X03)です」

 産声を上げる事すら許されず、葬り去られる我が子を嘆く色が声に混じる。
 彼にして見れば、TSF-X03もTSF-X04も、共に手塩に掛けた可愛い子供の様な物であり、その一方が陽の目を見る事無く消えて行くのは、何とも口惜しい限りだったのだ。

 そんな男の心情を敏感に読み取りりつつも、巌谷は敢えてそれに触れる。
 どこか心に引っ掛かるものを感じた彼は、非礼を承知で問い質した。

「モスボール化じゃないな?」

 失敗作と断じられたとはいえ、そこは高価な戦術機。
 廃棄されるよりは、後々の為の資料としてモスボール化され保存されるのが常だ。
 廃棄時に技術情報が流出しない為の措置でもあるが、現在、進められている作業はどう見てもソレには当たらない。

 そんな巌谷の疑問に、工場長は渋面になりながらも答えて来た。

「その予定だったのですが、上からストップが掛かりまして……」

 どうにも歯切れが悪かった。
 膨らむ疑問に、巌谷自身、有り得ないと思いつつも、もう一つの可能性の方を問う。

「廃棄するのか?」
「さあ……ただ、整備を万全にした上で、いつでも動かせるようにとだけ」

 言葉を濁す工場長を前にし、これ以上、問い詰める事も憚られると感じた巌谷は、再び視線を元に戻す。
 その先には、装甲を剥がされ、水平に近い位置で固定された戦術機ガントリーに寝かされた鋼の機体が、物言う事無く静かに横たわっていた。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 四月七日 帝都・校外 ――



 抜けるような青空の下、静々と舞い散る花びらが降り積もる。
 降り注ぐ陽の光の中、降りしきる桜吹雪が、白く、赤く輝いていた。

「……綺麗……」
「見事なものですなぁ」
「……フム、悪くないねぇ」

 舞い散る桜の見事さに、外国の産である三名も感嘆の呟きを漏らした。
 微かに香る桜の匂いに眼を細めつつ、その絶景を堪能する。

 そんな彼らを他所に、テキパキといった風情で宴会の場を見繕っていた咲世子は、程よい広さと枝ぶりの良い木に囲まれた場所を目敏く見つける、自身の主をその場へと誘った。

「この辺りで、よろしいのでは?」

 控えめな声に促され、ルルーシュも周囲を見回した。
 ほぼ満開の桜の木々に囲まれたその場は、絶える事無く降り注ぐ花びらに覆われ、薄赤い絨毯を敷き詰めたようにも見える。
 周囲から香る馥郁たる匂いに誘われ、柔らかい笑みを浮かべた少年は、手を引いていた唯依が、眼を輝かせながら桜の花が降りしきる様に見惚れているのを確認すると、小さく一つ頷いた。

「ああ良いだろう。
 ジェレミア、頼む」
「はっ!
 一同、掛かれ」
「「「イエス・マイロード!」」」

 ジェレミアの号令一下、坂井以下キャメロットの面々が抱えてきた荷を開き、宴の準備を開始した。
 小石が取り除かれ、厚手の敷物が敷かれると、その上に持参の重箱が広げられていく。
 やがてそれぞれの席も定まり、座の中央に置かれた樽酒の菰が次々に解かれ、勢い良く振り下ろされた木槌が、樽の蓋を真っ二つにして割り開いた。
 プンッと香る芳醇な匂いが、桜の花の香りと競い合うように、ゆっくりと周囲へと広がっていく。

 それを契機に、宴会の幕が上がった。
 互いの任務の成功を喜び、桜の花を愛でる。
 枢木家主催の花見の始まりだった。

「どうぞ、まずは一献」
「……戴こう」
「……頂戴する」

 憮然とした表情で、差し出された盃を受け取る二人の男。
 互いの間に開く隙間を埋める様に、ニコニコ顔の唯依が、ちょこんっと座り、さり気なく父親達の手を両の手で握っていた。

 女の髪は、象をも繋ぐとも言うが、愛娘の手は、仲違いしている父親達を縛り付ける効果もあったらしい。
 不承不承といった風情でありながらも、どちらも唯依の手を振り解く事はなかった。

 ……まあ、かなり不自然な体勢で、互いに視線を反らしてはいたが。

 そんな親馬鹿コンビの様を、あれでは首が痛いだろうにと内心で苦笑しつつ眺めながら、ルルーシュは主催者としての挨拶を口にする。

「本日は、お忙しい中ご足労いただき、誠にありがとうございます」
「「………」」

 双方、無言のまま睨みつけてくる。
 互いに互いの出席を、露とも知らされていなかった両者にしてみれば、騙されたとの思いが強いのだろう。
 まあ、巌谷あたりは、唯依が来るという事で、本来は篁の出席を疑うべきであったが、仲違いしているとはいえ、なまじ同じ職場に居る事が反って仇となった。
 本来の篁のスケジュールでは、今日は大阪へ出張している筈だったのである。
 だからこそ、折角の花見で唯依が寂しがるからとの口車に、いともあっさりと乗せられたのだった。

 対して、篁の場合は更に簡単である。
 単に直前になって、先方との面談がキャンセルになっただけだった。
 それを告げに来た少年に、言葉巧みに誘導された結果、今この場にて妙な姿勢を自発的にする破目になった訳である。

 某赤の武家の才媛曰く『詐欺師の如く上手い口』の面目躍如といったところであった。
 そうやって、困った父親達を、アッサリとペテンにかけて見せた少年は、睨みつける視線の圧力を泰然自若といった風情で受け流し、霧散させながら、まるで悪びれた様子も見せぬまま堂々と告げる。

「花見の席は、無礼講が常。
 日頃のわだかまりは忘れ、心ゆくまでお楽しみ戴きたい」

 そう言い置くと、パチンと指を鳴らした。

 それが合図だったのだろう。
 屈強なキャメロットの衛士が、一斗樽を抱えてきて、彼らの傍らにゆっくりと降ろした。
 既に蓋の割られた樽には、二本の柄杓が差し込まれており、芳醇な香りを周囲へと広げていく。

 少年の顔に、怜悧さを含んだ笑みが浮かんだ。

「西洋の風習で、薔薇の花の下で話した事は、如何なる事であれ口を閉ざすという暗黙の了解があるとか」

 そこで言葉を切ったルルーシュは、降り注ぐ桜吹雪を見上げながら、クスリと笑って見せた。
 誰もが見惚れるようなその笑みに、唯依の頬が赤くなり、父親達の頬が微かにヒクつく。
 そんな一同の反応を、サラリと流したルルーシュは、掲げた手の平に落ちる花びらを見ながら言葉を繋いだ。

「……ならば、桜の花の下で、秘めたるモノを全て吐き出すというのも、よろしいかと」
 そのままザッと周囲を見回すと、軽く胸に手を当て請け負ってみせる。

「ここは枢木の私有地。
 余人が紛れ込む恐れはありません」

 周囲の警備は万全。
 そう胸を張る少年に、渋い表情を浮かべた篁は、言葉少なく問い質す。

「……唯依の差し金かね?」

 ビクッと唯依の肩が震えた。

 咎められている訳ではないと分かっていても、少女にとっては心臓によろしくなかったらしい。
 そんな妹分の姿に、微かに視線の鋭さを増したルルーシュは、速やかに次なる一手を打った。

「さて、どうでしょうか?
 ……とはいえ、疑われて片身の狭い思いをさせるというのも忍びない」

 そう言って少年は、クスリと笑った。
 白く繊細な手が、可愛くて可愛くて仕方の無い妹分へ助け舟として差し出される。

「おいで唯依。
 オレと向こうに行っておく事にしよう」

 余りにも自然な仕草で差し伸べられた手に、思わず唯依は手を取ってしまう。
 そのままスルリと、父親達の間から引き抜かれた唯依は、いともアッサリとルルーシュの腕の中に納まっていった。

「あ……え?……に、兄様っ!?」

 一瞬の自失。
 それに続き、己自身が、所謂お姫様抱っこで抱きかかえられている事を自覚した瞬間、動揺も露に、白い頬に朱が走る。
 思わず身じろいでしまった少女の眼と見下ろす少年の眼が、バッチリと重なった。

「ムッ?
 嫌だったか?」
「……い、イヤじゃないです」

 掛けられた問いに、どもりつつも答える唯依。
 だが、そこまでが限界だったのか、真っ赤になった顔を、ルルーシュの胸に寄せ隠す。
 サラサラと流れる濡羽烏の髪から覗く紅潮した耳翼と頬が、頭隠して尻隠さずを地で行っている様に、少年は、フッと相好を崩した。

「では、ごゆるりと」

 舞い散る桜の花びらの中、そう一言告げて去っていく背を、呆気に取られた態で篁と巌谷は見送る。
 何というべきか、口を挟む間を与えぬ流れに、毒気を抜かれた気分になった両者は、一瞬だけ、同意を求めるように眼を合わすが、次の瞬間、気恥ずかし気に顔を反らした。

 気がつけば、周りからわずかに距離が出来ている。
 皆が皆、こちらに背を向け浮かれ騒ぐ様に、完全に嵌められた事を男達は理解した。

「………」
「………」

 気まずそうに口を閉ざしたまま、居心地悪い空気の中で、無言のままチビチビと酒を啜る。
 正直、味などサッパリ分からなかったが、それでも呑み続ければやがて尽きるのは当然だった。

「むっ?」

 空になった盃に、巌谷が顔をしかめるが、その目の前にヌッと柄杓が突き出される。
 驚いて振り向けば、仏頂面した篁が無言のまま柄杓を差し出していた。

「………」

 巌谷の盃が心持ち上がり、そこになみなみと酒が注ぎ込まれた。
 互いの視線が合わさる。
 一瞬、その間で見えぬ火花が散った。

 篁が自分の盃に口を付け、そのまま一気に中身を飲み干す。
 向けられた視線が挑発的な色を映し、巌谷のこめかみがヒクッと動いた。
 負けじとばかりに手にした盃を空にすると、再び、柄杓を樽に突っ込み自分の盃を満たすや、そのまま一気に流し込み、お返しとばかりにニヤリと笑う。
 今度は、篁の片頬が微かにヒクついた。

 そこからは、最早、意地の張り合いである。
 最初は盃で、最後は面倒になったのか、柄杓からそのままグイグイと呑んでいく。

 やがて、瞬く間に減っていく樽の中身が、半分を切った辺りで、篁の手が不意に止まった。
 怪訝そうに巌谷も手を止める。
 微かに、篁の肩が震えていた。
 呑み過ぎかと、声を掛けるべきかどうかを巌谷が躊躇した瞬間、

「ははははっはははははっ!」

 長い付き合いの巌谷も、聞いた事の無いような大笑いが、篁の喉から迸った。
 思わぬ事態に、眼を丸くする巌谷の前で、心底、可笑しそうに笑い転げる。

「た……篁?」

 謹厳実直が服を着て歩いている様な親友の奇態に、動揺を隠し切れない声が巌谷の口からこぼれ落ちた。
 そのまま涙を流しながら笑う姿に、案ずる色が濃くなるのを、上げられた手が制する。
「……全く、何をやっているんだか。
 いい歳した大人が、娘に気遣われるとは情けない」

 俯いたまま零れた呟きは、自嘲と苦笑、そして僅かばかりの喜びを含んでいたように巌谷には聞き取れた。
 そして、その意味を解した巌谷の顔にも、知らずして苦笑が浮かぶ。

「そうは思わないか、巌谷?」

 上げられた親友の顔は、どこか吹っ切れた様な色が見えた。
 それに触発される様に、巌谷の中のわだかまりもゆっくりと解けて行く。
 そうなってしまえば、後に残るのは気恥ずかしさだけだ。
 我と我が身を笑い飛ばしたくなるような衝動に襲われた巌谷は、友の狂態の意味を悟りつつも、同じ真似はできぬとばかりに、仏頂面のまま鼻の頭を恥ずかしげに掻く。

「………まあな。
 大分、格好悪いところを、見せちまったとは思うぞ」
「ああ、父親の面目丸潰れだ」

 苦笑混じりの告白に、同じ想いを載せた同意が重ねられた。
 ここ数ヶ月の子供の喧嘩じみた諍いを思い起こした両者は、愛娘の中での自分達の株の下がりっぷりを想像しながら、揃って溜息を吐く。

「……どうしても行くんだな?」

 一瞬の沈黙を破り、篁が口火を切った。

「ああ、それが必要だという考えに変わりは無い」
「そうか………」

 変わらぬ友の答えに、篁はどこか諦めた様子で頷いた。
 既にして、正規の計画として動き出している以上、一個人の翻意程度で止まる筈も無い。
 その程度の事は、彼にも当然分かっていた。
 尋ねたのは、わずかな未練と、彼の中で踏ん切りをつける為だけに過ぎない。

 だからこそ……

「なら約束しろ。
 必ず帰って来ると。
 ……そうだな、帰って来たら、また花見をしよう」

 せめて心残りと為らぬ様、笑って見送る事を選ぶ。
 そんな親友の心情が分かったのか、巌谷はニヤリと男臭い笑みを浮かべた。

「桜の季節に帰って来るとは限らんぞ?」
「星見でも、月見でも、なんだったら雪見でも構わんさ」

 ――春の花、夏の星、秋の月、冬の雪――春夏秋冬、いつでも良い。

 言外に、そう告げる親友に、巌谷も笑って同意した。

「ああ、そうだな。
 ならその時は、同じ面子を集めてパァ〜ッとやるか!」

 どうせなら派手にと、気勢を上げる巌谷に篁も苦笑混じりに頷いた。
 親友を屈託無く見送る機会を与えてくれた事を、愛娘達に感謝しながら。

「約束だぞ」
「ああ、男と男の約束だ」

 そう言って互いの酒器――柄杓を打ち合わせる。
 コンと少し間抜けた音が鳴り、親友達は、誓いと共に酒を呑み干したのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九九年 三月三十日 帝都・篁家墓所 ――



「……俺は、ちゃんと帰って来たんだぞ。
 なのに貴様は……嘘吐きが、真面目が取り得の貴様が、約束を破ってどうする?」

 友の墓の前で独り杯を傾ける巌谷は、かつての桜の宴で交わした約束を思い出しながら、寂しげに呟いた。

「皆、いっちまったよ。
 あの日、桜の木の下に集まった連中の殆どが……」

 ある者は親友同様に冥府へと去り、またある者は宇宙(そら)の彼方へと消えた。

 この地に残ったのは、否、取り残されたのは、己自身と身体ではなく心に大きな傷を負った唯依のみ。
 少女の心に穿たれた傷は未だ癒える事無く、今この時も見えぬ血を流し続けているのだろう。
 彼の愛娘が、寝食を忘れて任務に励むのも、わずかな暇すらも何かに充てて、個としての時間を持とうとしないのも、全ては消えぬ痛みから逃れる為だ。

 溜息が零れた。
 深く深く……

 自分はいい。
 決して長いとは言えぬ人生だったが、それなりに面白く生きてきたつもりだ。
 唯一の心残りと言えば、愛娘である唯依が嫁に行く姿を見届けていない事くらいだろう。

 もし明日、祖国に殉ずる事になろうと悔いは無かった。
 いや、無かった筈だった………

「すまん、篁……スマン……唯依ちゃん……」

 親友から託された愛娘を、守り切れなかった事を嘆く。
 己自身の抜け作ぶりを、巌谷は心底呪った。

 この償いを為すまでは、死んでも死に切れない。
 それが、今の彼の偽らざる心境だった。

 再び、杯をあおる。
 身体は酔えても、心が酔えなかった。
 アルコールで鈍る思考の中、忌まわしいあの日の出来事が走馬灯の様に蘇る。

 絶望的と言われた過日の帝都防衛戦。

 護って護り切れた試し無しとまで言われるこの難地は、本来なら、当の昔に喪われている筈だった。
 粛々と迫り来るBETAの大海嘯に飲み込まれ、千年の王都の全ては無へ帰する運命にあったのである。

 その運命を、兇悪とすらいえる力で、強引に引っ繰り返した最強(アヴァロン)の騎士達は、自らが護った者達の薄汚い背信に怒り、呪いの言葉を吐き捨てながら、血塗れの主を護って天空へと去った。
 あの時、ジェレミアから叩きつけられた憎悪と憤怒の雄叫びは、今も巌谷の耳の奥底にこびり付いている。

「……ふぅ……」

 酒臭い溜息が、巌谷の口から零れた。

 ――愛情の反対は、憎悪ではなく無関心である。

 その格言を証明するかの如く、あの日、彼らは完全に帝国を見限り、以後、その全てを無視する事で裏切りの報復と為したのだ。
 今となっては、ただ遥かな空の高みより、卑劣な帝国(裏切者)が、その身を化け物共に食い荒らされのたうつ様を冷ややかに見下ろすのみ。

 苦渋に満ちた表情で、巌谷は血を吐くような呟きを漏らした。

「オレが……甘かった………」

 本来なら、この場で腹掻っ捌いて詫びねばならぬ己の不明に男は涙する。
 幾度と無く警告を受けていながら、身内に対する欲目から見過ごし、取り返しのつかない結果を招いたこの身が呪わしかった。
 悔やんでも悔やみ切れない後悔に身を浸し、それでも何も出来ない己の無力さに歯噛みする。

 だが、そんな男の悲痛な嘆きを他所に、この後、事態は更に加速していくのだ。

 変わった世界、変わった歴史の中で、これだけは変える事、能わず。
 何処かで誰かがそう決めてでもいる様に、一つの大作戦が発起されようとしていた。

 ――明けの明星が墜ちる時が、刻一刻と迫りつつあったのである。










―― 西暦一九九一年 五月 ――

 日本帝国議会・国防小委員会は、帝国軍技術廠より出された次期主力戦術機(TSF−X03)試作三号の米国企業による改修案を承認。
 但し、米国の先進技術の吸収と自国技術水準の欺瞞工作を兼ねたこの案は、現在の国情及び政治・外交情勢を鑑み、極秘計画としてのみ発足を認められる。

 計画責任者には発案者でもある技術廠の篁中佐を据え、極秘計画故にコンペ等を行う事無く、篁が私的に渡りを着けた米国戦術機メーカーの雄マクダネル・ドグラム社が主幹企業として当てられた。
 特筆すべきは、日本企業が本格的に参加する事を見合わせた為、日本製戦術機を米国企業が独自に改修するという特異な形態となった事である。
 この辺り、計画の発案者であり、推進者でもある篁中佐の強引な手法に、日本側企業が反発した為とも言われているが、明確な記録が殆ど残っていない為、真実は闇の中であった。

 ともあれ、正式な認可を得た事で計画自体は急速に動き出し、政治的な理由から国内での改修が困難であった為、同年七月よりアラスカの国連軍ユーコン基地にて改修作業がスタート、翌年末までのタイトなスケジュールでの計画が始まるが、結局、本計画が完遂される事は無かった。
 最終的に計画自体は頓挫し、残された筈のデータ・機材・そして機体そのものさえもが何処かへと失われた結果、計画の存在自体も機密保持期間が過ぎ資料公開が行われるまでの間、完全に無かった事として葬られたのである。
 この件は、帝国内の国粋主義者による暴走、或いは、日本戦術機奪取を目論んだ他国――米国、または土地柄からソ連――の陰謀説が唱えられたが、どちらも証拠・証言の類は無く推測の域に留まり続けた為、やがてごく僅かな関係者の記憶からも立ち消えたのだった。

 尚、余談ではあるが、同基地が開発拠点として選ばれたのは、米国領でありながらソ連が租借中という複雑な土地柄と国連軍基地という中立環境による政治的なグレーゾーンであった事が上げられている。
 いずれの勢力も、公には手を出し難いとされるその特徴は、後年、反オルタネイティヴ派による先進戦術機技術開発(プロミネンス計画)計画のテストサイトとして、同基地が選択された理由の一つであるとも言われている。






どうもねむり猫Mk3です。

さて、今回のお話は時間が結構飛び捲くってますので、各章の冒頭に年代に注目!
あとは注意事項として、微妙にビター風味。
苦いのはちょっとと言う方は、お年玉SS『胡蝶の夢』と
セットでお読み頂くとよろしいかも

まあ、色々と意見も出るかも知れませんが、こんな感じで流れていきますよ。
という事で。

しかし、書いていてダメージがデカイ!
ここはリカバリーの為にも、ストロベリーでエロ甘なのを一発!
……と一念発起して書きました、お年玉SS。
反省はしている、しかし後悔はしない

さて、本文中の創作ネタ、TSF-X03について少々。
これ自体は、完全に本作独自設定ですが、元ネタというかヒントになったものはあります。
TE小説版第1巻にて、ユーコン基地の機密区画に保管されている不知火(?)をユウヤとヴィンセントは見せられています。
この不知火らしき戦術機、何故か装甲が外され、更に米国製機器が組み込まれているという怪しげな代物。
しかも降り積もった埃の具合から、一年や二年では済まない期間放置されていたとヴィンセントが判断しています。

つまり、TE原作中でもXFJ計画以前に、誰かの手に拠って日本製戦術機に米国の技術を導入しようとした形跡が残されていたと言う訳です。

まあ、これがネタ元ですね。
そこから話を膨らませてTSF-X03ネタを考え出したという事です。

しかし、原作5巻のラブコメ全開状態を見ると、こういった伏線っぽいのは回収されずに終わるんでしょうね。

などとグチりつつ、今回はこれにて。

それでは次へどうぞ。





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