Muv-Luv Alternative The end of the idle


【風雲編】


〜 PHASE 10 :新たなる刃の煌き 〜






―― 西暦一九九二年 二月十二日 中国・湖北省 ――



 昨年末、重慶防衛を断念した日本帝国・大陸派遣軍は、一旦、長江流域の都市・武漢まで重慶派遣部隊を下げると共に、派遣軍本営もまた武漢に移し、ここに腰を据えて思いも寄らぬ損害を蒙った派遣軍自体の再編に勤しんでいた。

 重慶撤退直後、本土からの命令に従い、統一中華の反発を受けながらも、大陸各地に援軍として派遣されていた各支隊の再集結を強行した大陸派遣軍首脳部は、武漢へと集まってくる部隊が増える毎に、目の当たりにする消耗の酷さに眉をひそめる事となる。

 ―――慣れぬ地、慣れぬ気候、そして先の大戦の残り火からか、明らかに隔意を見せる現地の者達。
 ―――更には、前線での主導権を現地軍である統一中華側に握られたが故の危険な軍務の数々。

 満足な補給も受けられぬまま、そんな日々を必死で生き抜いた結果が、わずか一年にも満たぬ時間で、帝国の精鋭達を敗残兵三歩手前まで追い込んでいたのだった。

 この事実を受けて、『統一中華、頼むに足らず』との印象を強くした派遣軍首脳部は、本国の国防省を通じて国連に対し、大陸における独立した指揮権の確立を要請。
 併せて、統一中華に頼らぬ独自の補給路を、長江という大水脈を使って整備しつつ、来るべき時に備えて物資と兵力の蓄積を開始したのである。

 無論、この様な帝国の行動に対し、統一中華――というか共産中華は、声を荒げて大反発を起こし、遂には帝国が、ドサクサ紛れに大陸への侵略を企てているとまで叫び出すのだが、これは現状を鑑み、余りにも荒唐無稽過ぎるとして一笑にふされただけだった。
 逆に大陸からの撤兵すら匂わせる帝国の強硬姿勢が、大陸失陥を危惧する国連軍サイドの危機感を煽り、結果として帝国は、ある程度の自由裁量を獲得し、武漢を中心とした防衛戦を主任務として当るという事で決着がつく。

 以後は、重慶を囲む山岳地帯を越え溢れ出して来るBETAの群れに対し、水際での防衛戦を展開しつつ、持久戦へと移行した派遣軍は、補給を運んだ帰りの空船に避難民と傷病兵を満載して後送しながら被害の低減に日々腐心していた。

 武漢の西およそ三百キロ、山岳地帯の出口の一つ三峡に面するここ宜昌も、そんな戦線を支える拠点の一つである。
 この都市と武漢を結ぶ長江水系を利用して、部隊と物資のローテーションを回しながら、派遣軍はこの地に築いたBETAに対する防波堤を維持していた。

 重慶防衛戦に比べれば、明らかに好転した後方支援の充実により、未だその備えは崩れる兆しを見せず、派遣軍兵士達の士気も徐々に回復しつつあるこの戦場に、見慣れぬ機影が姿を見せたのは今年の一月半ば頃。
 重慶防衛戦でも、時折見かけられたその機体は、以後、数日置きに護衛と思しき中隊規模の陽炎(F-15J)と共に現れると、派遣軍に混じってBETAを狩り、また一定期間戦場から姿を消すのだ。

 何らかの特殊任務を帯びていると思しきその部隊に関する噂が、陣中に蔓延するのには、そう時を要する事は無かったが、上から降りてきた緘口令により、あからさまに詮索する者も居ない。
 そんなどこか触れ難い空気の中、今日もその機体――試四号機(TSF-X04)を駆る巌谷榮二は、護衛部隊と共に対BETA戦の実戦データを積み重ねていた。





「まだ、少し動きがぎこちないと言うか、硬いと言うか……」

 自身の機体の調子を呟きつつ、巌谷の腕が動く。
 下段から放たれた七十四式近接戦用長刀による斬撃が、振り上げられた要撃級の前腕衝角を切り飛ばし、そのまま振り下ろされる返しの一撃が、白いサソリを思わせる巨体を真っ二つに切り裂いた。
 吹き上がる赤黒い体液の中、ドゥッと地響きを立てて倒れた要撃級の死骸を飛び越えながら、巌谷の視線が忙しなく巡らされる。

 周囲に満ちる異形の群れ、また群れ。

 その中に埋没する事を拒むかの様に、長刀を振り回すダークグレーの巨人達の姿を認め、巌谷はホッと安堵の吐息を漏らす。

 幸いにも、未だ直率部隊のマーカーに欠けはなかった。
 常よりも大規模な襲撃、恐らくは大隊規模から連隊規模の間程度と思われる数を相手にしては、上出来と言うべきだが……

『このまま防衛戦に協力し続けるべきか?』

 巌谷の胸中に逡巡が宿る。

 帝国にとって、絶対に失う訳には行かぬこの試四号機(TSF-X04)
 防衛戦に参加しているのも、実戦におけるデータを収集する事こそが主目的であり、それ以外の全ては、場合によっては切り捨てねばならぬモノ。

 そんな非情の決断を下すべき立場にある巌谷にしてみれば、この偶発的な拠点防衛戦は実に際どいモノと言えたのだ。
 敵戦力は常よりも多く、対して防衛側の戦力はこれまでの戦闘により、想定以上に落ち込んでいる。
 今日明日中には、増援が到着するという際どいタイミングで行われたこの襲撃は、不本意ながら派遣軍側の虚を突く形になっていた。

 ――左手に構えた突撃砲が轟音を奏で、群がりくる戦車級の頭上に散弾の雨を降らす。

 ミンチとなって飛び散る醜悪な亡骸を、冷徹に見据えながら、巌谷は胸中で独りごちた。

『………拙いな。
 今、俺達が抜ければ、陥ちるかもしれん』

 死守すべき試四号機(TSF-X04)にすら、戦車級が群がり来るという事実。
 戦局が確実にBETAの側に傾きつつあるのを、肌で感じ取った巌谷は、苦い物を噛み潰すような表情を浮かべた。
 彼が率いる一個中隊十二機の陽炎は、書類上は二個大隊、実働一個大隊半程度の現在の守備隊にしてみれば戦場を左右する巨大な戦力なのである。

 さりとて、彼のみが試四号機(TSF-X04)と共に退くというのも出来ない相談だ。
 何をどういったところで、ここが異国の地である事に変わりは無い。
 この地を踏んで以来、試四号機(TSF-X04)の機密を狙い、幾度と無く繰り返された騒動の数々は、彼に楽観を許す事はなかった。

 ――どうすべきか?

 任務と情の間で揺れ動く巌谷の耳に、思いも寄らぬ大規模侵攻に動揺を隠せぬCPオフィサーの必死の声が届く。

『CPよりヴァンキッシュ1へ。
 間も無く増援が到着します。
 それまで持ち堪えてください!』

 巌谷の双眸が、わずかに開く。
 自身が聞いていた話との食い違いに、思わず問い返す声が出た。

「増援?
 到着は、今日の夕方じゃなかったのか?」
『我が軍の部隊ではありません。
 長沙に入った米……国連軍の部隊です!』

 返された答えに、巌谷の顔にも理解の色が広がる。
 一週間ほど前、国連軍太平洋方面総軍の看板を掲げ、近隣の長沙に在外米軍の部隊が到着し布陣した旨は、彼の耳にも届いていたのだ。

 宜昌からの距離は、武漢とさほど差は無いが、展開中の部隊が第一報を受けて、そのまま急行したのだとすれば、この早さも分からぬ事も無い。

 オープンチャンネルで告げられたのか、守備隊の各機からも歓声が上がった。
 崩れかけていた士気が持ち直す中、巌谷も非情の決断を下さずに済んだ事にホッと胸を撫で下ろす。

 ―――だが

「って――チッ!」

 それが、歴戦と言っていい彼に隙を産む。
 舞い上がった砂塵と瓦礫に紛れ、足元に近づいていた戦車級が、一斉に襲い掛かってきたのだ。
 そのうち殆どは、かわし、或いは長刀で斬り飛ばしたが、生き残った一匹が、しぶとく背に張り付く。

『拙い!』

 戦車級に取り付かれ、内心焦る巌谷。
 伝え聞く枢木の新型アップデートシステムには、機体に張り付いた戦車級すら排除する対戦車級装備があるそうだが、それはまだ帝国には回ってきていなかった。
 帝国企業の製品が、国外に先に出回るという笑えない捩れ。
 それを解消できなかったツケが、今、ここに来て大きく彼の足を掬おうとしていた。

 胸中で臍を噛みつつ、直率部隊の救援も間に合わないと見た巌谷は瞬時に決断を下す。
 装甲越しにガサゴソと試四号機(TSF-X04)の背を這い上がる忌々しい化け物に呪いの言葉を呟きながら、ベイルアウトのスイッチに手を掛けた。

 この貴重な機体を失うのは断腸の思いだが、それ以上に蓄積された実戦データの保護を彼は優先したのである。
 最悪、機体そのものの再建は可能だが、折角、集めたデータを持ち帰らずに済ますわけには行かなかったのだ。

 巌谷の奥歯が軋む。
 一瞬の躊躇の後、スイッチに掛けられた指に力が篭り――掛けて止まった。
 否、止められた。

 横合いから掛けられた砲火の嵐が止めたのである。
 機体に張り付いた戦車級を示す赤いマーカーは、砲声と共に消失していた。

「何だッ!?」
『き、来ました。
 援軍が来ました!』
『こちらは、国連軍太平洋方面総軍所属第102実験装甲騎兵大隊。
 ただ今より、貴軍の援護に入る』

 思わぬ展開に目を白黒させる巌谷を他所に、歓喜に満ちたCPの声が響き、それを抑えるかのような冷静極まりない男の声が重なった。

 戦場を示すマップに、急速に接近しつつある友軍機を示す青いマーカーの大群が映る。
 その数は、実に二百近く、全て戦術機なら二個連隊近い大軍であった。

 本来なら手放しで喜ぶべきところ。
 だが、巌谷の眉は、不審げにひそめられた。

 戦塵たなびく戦場の視界は悪い。
 だがそれでも、それほどの大軍を見落とす筈も無いのに、その眼に映る機影はなく、ただ彼の鼓膜を震わすナニ(・・)かの駆動音が響くだけだ。

「援軍は……どこだ?」

 思わず零れた呟きは、彼だけのものではなかったろう。
 この時、この場で死闘を繰り広げていた衛士達の全てが、同じ思いを抱いた筈だ。

 そして、そんな彼らの疑問に答えるかのように戦場を覆う砂塵の中から、『彼等』は姿を現した。

 砂煙を突き破り、無数の人影が飛び出してくる。
 大半の衛士が、機械化歩兵と誤認する中、巌谷だけは目敏く気付いた。
 大型強化外骨格であるESよりも更に大きく、形状も全く異なっている。
 何より、それの原型とされる機体に乗った経験も大きかった。

「……もしやアレが、ナイトメアフレームか?」

 思わず、そう独白する巌谷の横手をすり抜ける様に、UNブルーに塗装された十数機の機影――バルディ(Mk-1)一個小隊が素晴らしいスピードで駆け抜けていく。

 そのまま乱戦状態にあった戦場に対応すべく速やかに散開したKMF達は、最小戦闘単位である四機連携を維持しつつ、戦場を徘徊する戦車級へと襲い掛かった。

 手にした12.7ミリ機関銃、或いは36ミリ機関砲が絶え間なく火を噴き、次々に戦車級を血祭りに上げていく。
 だが、恐怖というものを知らぬ気に、穴だらけになって倒れた同類の死骸を越えて、別の戦車級がバルディ(Mk-1)の分隊へ逆襲に転じた。
 腕を高々と掲げ、胴体についてる『口』をしきりに開閉させながら分隊を構成する一機へと襲い掛かる。
 だが、振り下ろされる真紅の腕を、ランドスピナーの機動でかわしたバルディ(Mk-1)は、更に追い縋る赤い蜘蛛を連想させる異形から、優速の利を生かして着かず離れずの距離を取りつつ、空いている左腕を背に伸ばした。
 伸ばされた手が、背から伸びる長柄を握った瞬間、爆発ボルトで打ち出されたゴツイ斧が機体の頭上へと跳ね上げられる。
 その勢いを殺さぬまま弧を描きながら振り下ろされた半月斧が、迫り来る戦車級の頭上へと叩き込まれ、その異形を文字通り叩き割った。
 痙攣し、死に行く戦車級を置き去りに、青い機体が再び走り出す。
 崩れたフォーメーションを、素早く再建した分隊は、すかさず次の獲物へと殺到していった。

 一方、思いも寄らぬ援軍に、呆気に取られていた帝国軍も、素早く我に返った巌谷を筆頭に反撃へと転ずる。
 各機の突撃砲が火を噴き、大型種を次々に捕らえた。
 先ほどまで押されていた事がまるで嘘の様に、目覚しい勢いで要撃級や突撃級を狩っていく帝国の戦術機達。

 戦況が完全に逆転した事を、そしてその要因が何であるかを悟った巌谷は、試四号機(TSF-X04)を前線より後退させた。
 既にして、戦線は自身が居なくても問題ない事は分かっている。
 ならば、今後の為にも、戦況を覆した存在――バルディ(Mk-1)達の真価を見定めておくべきと考えたからだ。
 そのまま奇襲を受け難く、見晴らしの良い場所まで退いた巌谷は、CPからの情報サポートを受けつつ、戦場全体の趨勢を鋭い眼差しで見据える。

 ―――際限なく広がり全てを飲み込み食い尽くそうとしていた赤い津波が、青い防波堤に押し留められていた。

 未だ千を超える数を有する筈の戦車級達が、二百足らずバルディ(Mk-1)達に完全に押さえ込まれているのが見て取れる。

 半月斧を振り回し、戦車級、闘士級の区別無く当るを幸いに叩き割っていく部隊も居れば、銃口を揃えて機関砲の雨を降らせている部隊も居た。
 中でも凶悪なのは、突撃槍の穂先を揃えランドスピナーの速度にモノを言わせて戦車級の群れへと突っ込んでいく連中だろう。
 ヒットした瞬間、先割れした穂先が、多方向に向けて強引に肉を引き裂き抉るのだ。
 結果、突き抜けた側の肉が爆発的に飛び散り、周囲に赤い花を咲かせる。
 体に大穴を空けられ絶命した死骸を、大地を噛むランドスピナーがグシャリと引き潰していった。

「凄まじいな……」

 容赦の欠片も無い蹂躙戦に、巌谷の額にも温い汗が滲む。
 多彩な戦法を行使しているのは、より有効な戦術を編み出す為の試行錯誤によるものだろうが、正直、あれだけ出来れば充分ではとも思った。
 事実、小型種による奇襲を気にする必要が殆ど無くなった帝国の戦術機達が、枷を外された様に大型種を狩りとっていく姿を見ると、更にその念が強くなる。

「……人類の新たなる刃、か」

 思わず零れた呟きは、戦術機開発に携わってきたが故の寂寥感だろうか?
 忌まわしき異星起源種に対抗し得る唯一の剣――戦術歩行戦闘機。
 それが、唯一で無くなってしまった事に、微かな寂しさと反発を覚えた巌谷は、そんな自身の心の機微に太い眉を顰めた。

「何を考えてるんだ……俺は」

 そう言って頭を振り、自身の内に生じた卑小な思いを振り払った。
 重要視すべきは、人類の勝利であり、その手段ではない、と己に言い聞かせながら。

 そうやって巌谷が、自身の中に生じた陰りと争っている間も、戦闘は途絶える事無く続いていた。
 全体的に優勢とはいえ、やはりBETAのしぶとさと、その物量は侮り難い。

 複数の闘士級に纏わり付かれ、動きが鈍った一機のバルディ(Mk-1)に戦車級が襲い掛かり、機関砲もろとも右腕を食い千切った。
 更に胴体をも噛み千切ろうと開かれた『口』に、僚機が放った突撃槍の一撃が吸い込まれる様に突き込まれる。
 戦車級の背中が内から爆ぜ、同時に最後の力で噛み締められた強靭な歯が、突撃槍を噛み砕いた。

 頭を噛み砕かれた機体の背から、コクピットが射ち出され後方の陣地へと飛んでいく。
 脚を食い千切られて擱座する機体が、倒れる勢いを利用して、自機の脚を咥えた戦車級の背に深々と槍を突き立てた。

 熾烈な戦闘が、随所で繰り返される。
 だが、それでも天秤の傾きは、時間の経過と共に人類の側へと傾いていった。
 倒れ伏す影は、圧倒的に赤い異形が勝り、大地をその体液と共に赤黒く染めていく。
 手傷を負いつつも勝利を掴んだ青い機影の凱歌が、次々に上がっていった。

 やがて戦場の戦車級を、ほぼ狩り尽したUNブルーの機体達は、今度は大物――要撃級へと襲い掛かる。
 先ほど戦車級の半身を抉り、ミンチに変えた物騒な槍を構えた十数機の機影が、地上走行で百キロ近くまで加速するや、そのまま跳躍ユニットを噴かして、自身の数十倍はあろう巨躯へ次々と突っ込んでいった。
 振り上げられた前腕衝角を、小回りの利く機体が巧みにかわし、同時にスラッシュハーケンを胴体に撃ち込む。
 要撃級の巨体に食い込んだハーケンを支点に、強引に機体のベクトルを変えるや、加速を殆ど殺す事無く左腕関節部へと槍を突き立てた。
 スーパーカーボン製の穂先が関節を砕き、貫通した先で肉が鳳仙花の様に弾け飛ぶ。
 関節の半ばまで切り裂かれ、組織を豆腐の様にグズグズにされた左腕が、自重に耐え切れず地に落ちた。
 先陣が強引にこじ開けた防御の隙間から、後続の機体が貪欲に食いついていく。
 勢いにまかせ、次々に突き立てられる槍が、化け物の肉を穿ち、切り裂き、抉っていった。

「……まるでスズメバチの群れだな」

 全身に風穴を開けられ、己の体液で赤黒く染まりながら崩れ落ちる要撃級の惨状に、巌谷はゴクリと唾を飲む。
 獰猛極まりない蜂の群れを連想させる一団は、置き土産とばかりに手にした得物を今一度、力任せに叩き込んだ。
 飛び散る体液が赤黒い飛沫となり、要撃級の巨体が一度だけ痙攣し、弛緩する。

「終わったな……」

 どこか気が抜けた口調で呟く巌谷を他所に、次の獲物はと言わんばかりに、青い機影が一斉に骸から飛び立って行った。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 二月二十一日 アラスカ・ユーコン基地 ――



「ふぅ………」

 男の口元から、少し疲れた溜息が漏れた。
 傍らに置かれたカップに手を延ばした篁は、やや温くなりすぎたコーヒーを啜ると、眉間に指を当て、疲れた眼を解す。

 開発衛士と主査の二足草鞋は、思った以上の消耗を強いていた。
 自身が、もう若くは無いと否応無く理解させられるソレに、篁の頬に苦笑が浮かぶ。

 だが、疲労困憊しつつも、その眼に宿る意志は未だ衰えを見せてはいなかった。
 いや、以前よりも更に強く、そして希望を宿している。
 疲れた体を押して書き上げたレポートを見る彼の双眸には、ひどく満足気な色が浮かんでいた。

 強化改修により大幅なスペックアップが為された蜃気楼(TSF-X03)であるが、未だプラットフォームとしての限界を感じさせてはいない。
 これは、ハイネマンの齎した卓越した先進技術の功績が大であると共に、機体本来が持つ潜在能力(ポテンシャル)が、篁らの想像以上であったという事でもある。
 帝国の技術者達の血と汗の結晶、それが確かに実を結んでいたという事実に、篁も心強い物を感じていた。

 ――とはいえである。

『だが、まだだ。
 まだ足りない……その為にも、ここで歩みを止める訳にはいかんのだ』

 予想以上の成果を得ながら、否、だからこそ更に欲が出る。
 また、ハイネマンによれば、現在MD社が開発中の強化モジュールを実装すれば機体容積の増加と、それによる更なる高性能化すら可能との見立てが為されていた。
 そうとなれば、より高みを目指し、この蜃気楼(TSF-X03)をこそ、帝国の次代を担う機体と為すべく心に誓う彼にとって、我が身の疲労など何程の事でもない。
 いや、むしろ本望ですらあった。

 そんな想いを抱きつつ、帝都のお偉方を翻意させるべく渾身の力を込めて書き上げたレポートを、鬼気迫る眼差しで見直す彼に声を掛けてくる勇者が一人。

「ちょっといいかい、マサタダ?」

 篁の動きが、ピタリと止まった。
 二呼吸の間を置き、振り返った彼の視界に仕立てのいい上品なスーツが映る。
 本計画の技術顧問を務めるフランク・ハイネマンが、片手に厚手の書類を抱えつつ、作り物めいた笑みを浮かべて立っていた。

「……別に構わないが?」

 昔と違い、どこか壁を感じさせる相手に、こちらも儀礼的な笑みを返しつつ、居住いを正しながら答える。
 そうやって精神的な防壁を巡らせる彼の態度に、ハイネマンの口元が微かに歪んだ。

「ふむ………いやなに、面白い物が手に入ったのでね。
 キミにも見て貰おうと思ったんだよ」

 一転、何事も無かったかのように言いながら、手にした書類を差し出してくる。
 任務に水を差され、微かに眉をしかめた篁だったが、表題を眼にした瞬間、その眉間に浮かんだ皺が淡雪の如く消えてなくなった。
 差し出されたのは、大陸戦線に実戦投入されたKMF『バルディ(Mk-1)』の戦果報告レポートだったのである。

「……バルディ(Mk-1)の戦果報告……か?」

 内心の興味を押し殺しつつ、平静を装いタイトルを読む。
 そんな彼に向けて、わずかに笑みを深くしたハイネマンは、どこか楽しげに答えを返した。

「ああ、御国の隣、統一中華による大陸東方戦線に投入された実験大隊からの最新レポートだ」

 そう言いながら、レポートを篁に押し付けると、一転、皮肉気な笑みを浮かべて愚痴る。

「しかし、あの国も煩わしい事だね。
 米軍が国内に立ち入る事を、面子から騒ぎ立て邪魔するとは。
 お陰で国連軍色への塗り替えで、余計な手間が掛かったよ」

 そう言うと、処置無しと言わんばかりに、大仰に肩を竦め手を広げてみせた。
 呆れと嘲りが半々に入り混じったそれ等をBGMに、篁の眼は活字を追い、その手はかなり早いペースでページをめくっていく。
 惹き込まれる様に、レポートにのめり込んでいくその様を、大袈裟なジェスチャーを止めたハイネマンが、面白そうに眺めている事にも気付く事無く………

 ……やがて

「……これ程とは……」

 最後まで読み終えた篁は、感嘆とも、呆れとも取れる呟きを漏らす。
 十数年に及ぶ戦訓――先人達が血で贖った知識の蓄積が有ろうとも、実戦投入されたばかりの新機軸の兵器が挙げた戦果としては、驚異的の一言に尽きた。
 戦術機ですら実戦投入直後の――まだ戦術理論のせの字も無い――頃は、欠陥兵器呼ばわりされた事を考えれば、異常とすら言えるだろう。

『余りにも完成度が高過ぎる』

 篁の胸中に、ナイトメアフレームへの微かな疑念が過ぎる。
 アレは、本当に『新兵器』なのか―――と。

 一方、そんな篁の心情を知ってか知らずか、否、恐らくは分かった上で、作り笑いを浮かべたハイネマンが彼を持ち上げてきた。

「それもこれも、マサタダの的確なレポートのお陰だよ。
 最終調整に随分と役立ったと、アスプルンド博士も感謝していたからね」

 空疎な賞賛に、篁は思わず苦笑いを浮かべる。
 なんらかの指摘事項や改善案を出した訳でも無いのに、どうやら驚異的な完成度の理由の一つに自身がされているらしい事を悟ったからだ。

 生真面目な彼にしてみれば、自身の功績でない事を以って称揚されるなど、真っ平御免という気分が強かったが、喉元まで上がってきた否定の言葉を辛うじて押し返す。

「……光栄な事だ」

 代わって出た偽りの謙遜に、ハイネマンも満足気に頷く。
 篁は、多過ぎた借りを一つ減らし、代わりに自身の良心に一つ重しを載せられた事を感じ、一瞬だけ眉をひそめた。

 そんな彼の葛藤を他所に、興が乗ったハイネマンは饒舌に語り続ける。

「この調子で戦果を上げていってくれれば、追加発注も相当期待できる。
 本社の方も、今は大騒ぎになっているそうだよ」

 そう言って珍しくホクホク顔を見せる男に、篁の胸中に意趣返しも兼ねた悪戯心が湧き起こったのは、ある種必然であったろう。

「結構な事だな。
 ……しかし良いのか。
 本業である戦術機の方に影響があるのではないか?」
「いや、それは無いな。
 元々、戦術機の補助戦力としての位置付けにある兵器だからね」

 投げかけられた懸念の皮を被った皮肉。
 それをサラリと流したハイネマンは、眼鏡を直しつつ言い添える。
 軍の方にも、その気は無い様です――と。

 篁は内心で、思わず羨望の吐息を漏らす。
 これがもし自国の軍――帝国軍や斯衛軍であったなら、果たして同じ判断を下せたかと、一瞬、思ってしまったからだ。

 自国の軍が最初に実戦投入した新兵器が、予想以上の戦果を上げたとあれば、余計な拘りが生まれ、結果、自軍の行くべき道すら誤らせるのでは?
 瑞鶴の勝利以来、篁らの胸中に巣食った思いが、そんな危惧を抱かせる。

 正直、黎明期のファントム(F-4)調達に絡む一件――欧州への供給を優先し、帝国を後回しにした事から、米国を敵視、あるいは軽視する風潮が拭い難く存在するが、少なくとも米軍の持つ合理性を重んじる精神的風土は、帝国が学ぶべきものであると篁は思う。
 感情に囚われて最善を選べない――帝国の根っこの部分にある危うさを、篁は危機感と共に感じていた。

 そんな彼の懸念を裏打ちするかの様に、ハイネマンが苦笑混じりに告げる。

「――けど、残念な事に御国の方は、余り興味を示して貰えなかったそうだよ」

 篁の眉間に皺が寄る。
 対して男の口元が、かすかに釣り上がった。

「『あのような急造兵器は、帝国には不要』――だそうだ」

 残念そうに振舞いつつ肩を竦めるハイネマンに、篁は溜息を漏らす。

 ある程度は、予想のついていた事である。
 その分、落胆の念は薄いが、やはりという思いが胸の内を吹き抜けた。

 そうやって寒々しい思いを抱いた彼に対し、チクリと皮肉の棘が打ち込まれる。

「まぁ、枢木の方からも、当分放置しておくようにとの助言を貰っているしね。  当面、こちら側でのお付き合いは無い事になるだろうね」
「……そうか……残念だ」

 苦い物を噛み潰す様な呟きが、篁の喉から零れ落ち、アラスカの冷たい空気の中へ消えていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 二月二十五日 神戸 ――



 古くから海外へと開かれた異国情緒の薫る港町・神戸。
 その街に相応しい瀟洒なホテルの一角に、どうにも似つかわしくない果し合いめいた張り詰めた空気が満ちていた。

 趣味の良い内装の室内で対峙するのは、一人の少年と二人の壮年。
 更に付け加えると、両者の間を取り持った偉丈夫が一人に、少年のお付きと思しき男女が一組―――そして壁際には古狸が一匹。

 帝国最強の令名も高い紅蓮醍三郎の橋渡しで、ようやく邂逅の時を得た両者――枢木ルルーシュと榊・彩峰ら両氏が、趣のある卓を挟んで静かに対峙していた。

 胃の痛くなるような沈黙の下、無音のまま続く鍔迫り合い。
 およそ小一時間ほども続いた不毛な時間に飽いたのか、年少の側が皮肉気な笑みを浮かべると、ゆっくりとした口調で舌戦の口火を切った。

「お初にお目に掛かる………とでも言うべきですかな?」
「定型の挨拶なら結構―――と、お返しさせて頂きましょう」

 わずかに硬さの残る応えが返り、少年の笑みが深くなる。
 調べられる事は調べ尽くし、それでも尚読み切れぬ相手の手の内を互いに探りながら、言葉を以って刃を交わすルルーシュと榊。
 ヤル気満々過ぎる両者のやり取りに、げんなりとした口調で紅蓮が割って入る。

「狐と狸の化かし合いも結構だが、それでは我等の様な無骨者がついては行けん。 少しは弁えよ、ルルーシュ」
「ふむ……無骨者……ですか?」

 紫の双眸が、意味有り気に壁際の古狸こと鎧衣左近を見た。
 息子同然の少年が言わんとする事を悟った紅蓮は、困ったように顔を顰めると、溜息混じりに弁解する。

「コレは気にするな。
 狸の置物か何かと思っておけ」
「……これはこれは……流石に、ソレは無いのでは?」
「警戒されるから来るなと言うたに、勝手に着いて来たお主が悪い」

 疲れた声で放たれる紅蓮の叱責に、鎧衣は黙って肩を竦める。
 もっとも、内面を隠した男の表情を見る限り、恐縮の意が欠片も無い事だけは良く分かったが、そこまで紅蓮も咎める事は無かった。

 何故なら、コレは、ココで終わるべき他愛のない幕間劇。
 張り詰めた場の空気を緩める為のささやかな寸劇。

 暗黙の了解の下、行われた筈のソレ等――ある意味、日本人らしい空気を読んだ行動でしかなかったからだ。

 だがルルーシュは、醒めた目付きと声音で、醸し出されかけた緩んだ空気を否定する。

「……下手な漫才を見るだけなら、その筋へ行けば済む話でありましょう」
「「「「――っ!?」」」」

 少年の脚に力が篭り、腰掛けていた椅子が減った重みに微かに軋んだ。

「申し訳ないが、私もそれ程、暇のある身という訳でなし。
 閣下のたっての頼みと言う事で時間を作りましたが、これ以上続けるなら……」

 失礼させて頂く――と声に頼らず告げる少年に、榊が慌てて頭を下げる。

「大変申し訳ない。
 不快にさせてしまった事を謝罪させて頂きたい。
 貴方が多忙な身である事は、重々承知しているが、いま少し時間を割いては貰えまいか?」

 想定外な反応に、半ば本気で冷や汗をかきつつ為された丁重な謝罪と申し出に、ルルーシュは上がりかけた腰を再び下ろす。
 紫の双眸が、睥睨するようにゆっくりと場を見渡した。

「紅蓮閣下と食えない狸殿は、まあ置いておくとして………」

 一旦、言葉を切った少年の視線が、一際鋭さを増した。
 不可視の矢と化したソレが、正面に座す政軍のエキスパート達を容赦なく射抜く。
 息苦しくなる程の覇気に、滲む汗を拭う事すら忘れ、榊らが息を呑む中、少年の美貌に楽しげな笑みが浮かんだ。

「次期首相との呼び声も高い榊大臣と、その懐刀と目される本土防衛軍の彩峰少将閣下―――話を聞く価値は充分にあると思っております」
「……感謝する」

 一同の肩から力が抜けた。
 だが、安堵の吐息を漏らすには、些か早計過ぎたらしい。
 少年の口元が、再び悪戯っぽく釣り上がった。

「……とはいえ、話題の見当が付かぬ訳でもなし、出来れば単刀直入にお願いしたい」

 続けざまに放たれた変化球に、榊らは思わず顔を見合わせた。
 容赦の無い切込みに困惑と逡巡が場に満ちる。
 そんな中、最も早く意を決する事に成功した彩峰が、躊躇いつつも口を開いた。

「……ならば、訊かせて頂きたい。
 貴方の本心を……帝国を、否、世界を何処へ導こうとしているのかを」

 望んだ通りの真っ直ぐな問いが、彩峰から放たれた。
 ほう、とばかりに相手を見直すルルーシュと共に、その身から放たれる覇気が更に強くなる。
 常人なら、それだけで中てられてしまいそうな威圧感を受けつつも、辛うじて体勢を立て直した榊が彩峰の問いを受け継いだ。

「昨今の枢木の、いや貴方の動きは、一私企業の範疇を完全に越えている。
 もはや帝国も、世界も、貴方という存在を無視する事など出来ないだろう」

 そこで一度口を閉ざした榊は、手前に置かれたコーヒーに手を伸ばす。
 既に温くなったソレを啜り、ひどく渇いた喉を湿らせると、息を整え決定的な一言を口にした。

「だからこそ今この時、この場にて、その存念を問い質したい」
「そしてそれが、帝国に仇為す事ならば―――斬るとでも?」

 後に続くべき言葉を、ルルーシュが補う。
 互いの視線が空中で衝突し、激しく火花を散らした。

 相対する二人の論客は、互いに引く素振りを見せない。
 そうやって無言の刃を交わす両者の間に、再び三人目が割って入った。

「………事と次第によっては、それも已む無し―――そういう事だ」

 斯衛の将として、帝国の藩屏として、紅蓮が告げる。
 必要とあらば、かつての誓いを果たすと。

 ここに来て遂に旗幟を鮮明にした紅蓮に、ルルーシュが不敵な笑みを向ける。

「ふむ、なる程……しかし、斬れますか?」

 心情的な理由ではなく、物理的な理由で――と問い掛ける彼に、紅蓮の眼差しにも力が篭る。
 背後に控えるジェレミアと咲世子らが、無意識の内に身構える程だった。

 三者共に、その力未だ紅蓮に及ばず。
 だが、それも真っ正直に相対すればの話だ。
 逃げに徹されれば、間違いなく逃げ切れる。
 その程度には、彼我の力量差が埋まっている事を、紅蓮自身が誰よりも良く分かっていた。

 分厚い唇から深い吐息が漏れる。
 唸りにも似たソレと共に、男の眼光が鋭さを増した。

「斬る!………例え、刺し違えてでもだ」

 ただ一刀。
 それ以外は何も考えない。
 その後の事など知った事ではない。

 文字通りの捨て身の覚悟で臨むと告げる豪傑に、ルルーシュの表情にも一瞬だけ動揺の小波が走った。

 そこまでされれば、逃げ切れる保証はない。
 その事を痛いほど理解していた少年は、ここに来て微かな逡巡を覚えた。
 躊躇いが、彼の聡明さに僅かな影を生み、怜悧極まりない思考を迷わせる。

「……となると、何も喋らぬ方が、この場においては得策という事ではないかな?」
「いや、ソレは無い!
 もしそうなら、最初から会おうという気になる筈も無い」

 ある種の逃げ、揺さぶりを掛けるつもりで、無意識に一歩退いてしまった彼の胸元目掛け、今度は榊が切り込んで来る。
 紅蓮の捨て身の踏み込み、それによって空いた隙を奇貨とし、決して逃さぬとばかりにだ。

「貴方には、貴方なりの思惑が有って、紅蓮少将の求めに応じた。
 ならば、何も話す事無く、この場を終わらせるという選択は有り得ない」

 ここが勝負の分かれ目と断ずる声に、彩峰も又、唱和した。

「それを踏まえて、今一度尋ねたい。
 枢木ルルーシュ殿、貴方は何を考え、何を求めているのか?」

 再度、重ねられた問いに、少年の顔も微かに険しさを増す。
 予想以上に連携の取れた相手に、自身がやや劣勢に置かれた事を、彼は冷静に認識していたが、その程度で押し切られる程、彼も柔ではなかった。
 ルルーシュは、その紫の双眸を静かに閉ざす。

 わずかに傾いた流れが、その一事だけで澱んだ。
 場の主導権を握りかけながら、スルリと手の内から掏り取られた榊らが、微かに顔を強張らせるが、既に遅い。

 再び訪れた沈黙の時。
 だがそれが、長々と続く事はなかった。
 ゆっくりと開かれた少年の眼差しが、一同を再び射抜く。

 ――より深く、より強く。

 全てを睥睨する王者の視線で、全てを見下しながら、告げる。

「……答えても良い。
 だが何事にも、対価という物は必要だ」

 絶対の真理を語るかの如く告げる言葉に、対峙する面々に緊張が走った。
 精神的に身構えた――即ち、自身から一歩退く形となった者達に、この場を統べる王の決定が宣告される。

「先ずは、我が問いに答えよ。
 それを以って対価と為そう」

 抗う事も、拒む事も、偽る事も認めない。
 ただ真実のみを答えよと、命ずる声で下問する。

「……現在(いま)の帝国の在り方、そして世界の有り様、貴公らは、それ等をどう考える?」



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 三月三日 帝都・枢木邸 ――



 雛祭り――古くは桃花節とも呼ばれた節句であり、本来は水辺で穢れを祓う慣習でもあった。

 その名残を示す邪気祓いの桃の花が飾られた雛壇。
 戦況を配慮してやや控えめな飾りながら、朱の檀に並ぶ華やか人形に、唯依も年頃の女の子らしく眼を細めていると、その背後から声が掛けられる。

「どうかしら?」
「……とっても綺麗です」

 どこかウットリとした口調で答えを返す。
 キラキラと輝く眼差しは、檀の一番上、内裏雛から動かなかった。
 その対成す男雛と女雛を、何に擬えているか丸分かりな反応に、声を掛けた当人であるこの家の主も、微笑ましげに笑みを浮かべる。

「こうしていると戦争をしてるなんて思えないわねぇ」
「はい……」

 珍しくシミジミとした声音で呟く真理亜に、唯依は微かな逡巡と共に小さく同意する。

 日々、寒さが遠のきつつあるこの季節。
 木々の葉も萌え始め、あと一月もすれば鮮やかな緑が満ちる明るい兆しを感じさせていた。

 だが、今この時も、海を隔てた大陸で血みどろの戦いを続ける者達が居る。
 知識として知っているソレ等が、まるで遠くの世界の出来事でもあるかのような穏やかな時に身を委ねながら、生真面目な少女は、その事に少しだけ罪悪感を覚えていた。

 そんな少女の有り様を好ましく思いつつも、色々と背負い込み易いその性格を懸念する美女は、唯依の葛藤に気付かぬ振りを演じながら、場の空気を入れ替えるべく軽い調子で話を続ける。

「まぁ会社の実権も全てルルーシュに押し付けたし、このまま楽隠居ってのも手よね」

 どうにも似合わないセリフに、少し自省が掛かり始めていた唯依の眼が丸くなった。
 驚きの余り、可愛らしい唇から、思わず本音が漏れる。

「叔母様……似合いませんよ」
「似合わないかしら?
 こう、縁側で日向ぼっこしながら、唯依ちゃんをあやして過ごす―――っていうのも結構、様になってると思うのよね」

 そう言いながら、唯依を膝の上に抱き上げる。
 太股に感じる重みが、少女の成長を告げ、真理亜の笑みに少しだけ複雑な色を着けた。
 一方、ぬいぐるみよろしく抱き上げられた側はと言うと………

「唯依は、もうその様な歳ではありません!」

 頬膨らませて怒っていた。
 但し、拘束されている訳でも無いのに、膝から降りる気配が微塵も無い辺り、本音が見え透いてはいたが――

 そんな少女の反応には、真理亜も苦笑いを浮かべるだけだ。
 笑い声を噛み殺しつつ、少女の顔を立ててやる。

「ゴメン、ゴメン………
 じゃあ孫を……そうルルーシュが早めに息子か娘を作ってくれるのを期待するしかないかしらね」
「そ、それは早すぎます!」

 唯依の頬が、一転、林檎の様に真っ赤に染まる。
 対して、薄く紅を引いた唇が、少女の頭上で妖しく釣り上がった。

 何を想像したのか丸分かりな反応に、美女の中に生来巣食う悪戯好きな虫が激しく疼いたのである。
 それは同時に、無駄にある演技力が、ここぞとばかりに発揮される瞬間でもあった。

「んん〜〜何でかしらねぇ?
 あの子も、もう十三歳だし、あと五年もすれば結婚出来るわよ」

 シレッとした態度と声で、首を傾げてみせる。
 一瞬、首を捻った唯依の顔が、告げられた言葉の意味を悟り、蒼く染まった。

 それを見て、吹き出しそうになるのを必死で堪えつつ、皮一枚で真面目くさった表情を取り繕った彼女の演技が続く。

「まぁねぇ……口では色々言ってるのも多いけど、裏で仲良くしましょう――って手合いも少なくないし、そういうのって大概、お見合いもセットになってるのよね」

 これは事実である。
 武士は食わねど高楊枝――などと言うように、帝国において特殊な立ち位置にある武家は、痩せ我慢をしてでも、それなりの体面を保たねばならないのだが、自身の家の家計は、自身の才覚で切り盛りせねばならぬ以上、一代でも不出来な当主を戴けば、それだけで経済的に行き詰る事など珍しくも無い訳だ。

 代々、変わり者であるが有能な人物を輩出してきた枢木や、地味ながら誠実かつ堅実な当主が続いた篁の様に、経済的に恵まれている家の方が、武家全体から見れば少数派なのである。

 そして、そんな家からすれば、現在の枢木は垂涎の的という事だ。
 いや、それ以外の家から見ても、その価値は、さほど変わるまい。

 ――世界的企業のオーナーとしての膨大な富。
 ――『赤』には及ばぬものの『山吹』という由緒ある家柄。
 ――そして、狙われる当人自身、若輩ながらもその才気は世界に知れ渡る傑物。

 婚姻により縁を結ぶには、掛け値なしの超優良物件である。

 また枢木自身の立場――武家社会での孤立も、見方を変えるならメリットと言えなくもなかった。
 武家社会内での立場の改善の為、枢木から請われてとの言い訳も立つだろう。
 受ける援助は、その為の対価と考えれば、自身の矜持も傷付かない筈だ。

 そういった事情から、実は何気に持ち込まれる縁談の数も、増えつつあったのである。

 ………等と真面目な表情のまま――裏では爆笑しつつ――告げる真理亜の前で、唯依の顔色は更に悪くなっていく。

「選り取り見取りではあるのよねぇ。
 ウチから見ても、相応にメリットのある家もあるし」
「……そ、そんな……」

 わずかな嘘を交えた揺さぶりに、ワナワナと小刻みに震えながら呟く少女。
 血の気の引いた顔は、白蝋の如く白く、紫の双眸は驚愕と怯えの色で染まっていく。

 そんな彼女の惨状に、流石にやり過ぎたと思ったのか、一転、悪戯っぽい笑みを浮かべると、今度は唯依へと水を向けた。

「あら、あららぁ〜〜。
 どうしたの唯依ちゃん、可愛いお顔が真っ青よ」
「な、何でもありません………」

 動揺し切った声が返る。
 力無く伏せられた顔から覗く長い睫毛が、忙しなく揺れていた。
 年齢不詳の美女の頬が、悪いと思いつつ微かに緩む。

「ふぅ〜ん……そう?
 ―――まあ、そういう事だから、最短だと六年で孫が抱けるわね」
「だ、駄目です!」

 投げつけられた挑発に、過敏なまでの反応が返った。
 それがどうにも面白くて、ついつい弄ってしまうのは、真理亜の悪い癖だろう。

 可愛いからこそイジメてみたい――どこか稚気の多い彼女は、その欲求の赴くままに、自重の欠片も抱く事無く、更に更に罠を絞り上げていった。

「あらぁ〜、何が駄目なの?」
「ダメです!
 ダメなんです!
 とにかく絶対に駄目ですっ!!」

 必死の表情で、否定の言葉を連呼する唯依。
 もはや道理も常識もなく、ただただ必死に叫ぶ様に、真理亜はその胸中で会心の笑みを浮かべた。

 この困った性格の女傑に抗するには、少女は余りにも幼く、経験も足りな過ぎる。
 そうやって、いい様に翻弄される唯依に向けて、トドメの一言が与えられた。

「う〜ん……とは言ってもねぇ。
 家を残す事を考えると、やはり妻を貰って子を成して貰わないとね」

 唯依の抗弁がピタリッと止んだ。
 武家にとって、最も重視すべき事柄を引き合いに出され、良くも悪くも生真面目過ぎる少女の舌が、その慕情を裏切り、痺れた様に動きを鈍らせる。

 家を残すというのは、武家にとっての最重要課題だ。
 それを理由とされてしまえば、抗弁するのは難しい。

 だがそれでも、狂奔の熱に浮かされ濁った思考の中、切なる願いが微かな希望を見出した。

「そ……そ、それだったら……その……」

 千々に乱れる思考が、それでも必死に引っ張り出した解決案。
 だがそれが、形になるよりも早く、決定的な一言に唯依の心身が一瞬にして凍りついた。

「う〜ん、困ったわねぇ。
 唯依ちゃんを、ルルーシュのお嫁さんに貰うわけにはいかないし……」
「なっ!」

 人型肌色の像と化して強張る少女。
 対して、言葉の爆弾を投げ込んだ当人はと言えば、いとも平静――と装っただけ――な姿勢を崩す事無く、不思議そうに問いを投げてくる。

「うん?
 あらだって、唯依ちゃんは篁の家を継ぐんでしょ?
 だったらお嫁さんには行けないじゃない。
 お婿さんを取って、家を継ぐ事になるんだから……でしょ?」

 少女の中で、何かにヒビが入った。
 絶対と信じていた未来が、閉ざされていくのを呆然と見送る事しか出来ない唯依の双眸に、ジワリと光る物が滲む。

「あ……え?……あ……」
「あ〜〜……残念だわ。
 どちらかに兄弟が居れば良かったんだけど……仕方ないわねぇ……」

 蒼白を通り越し、紙の様な白い顔のまま、眼に一杯の涙を溜める唯依。
 グチャグチャになった頭の中で、ただグルグルと兄との思い出だけが巡っていく。

 笑った顔、怒った顔、喜んだ顔――それら全てが愛おしく、そして同時に別の誰かのモノになる恐怖を彼女に味あわせた。
 心臓が締め付けられるように痛く、苦しさの余り、視界がフッと暗くなる。

 どこか遠のいてく感覚の中――

「……ぷっ!」

 ――堪えきれないとばかりに吹き出す声が、彼女の意識を強引に引き戻した。

「……ふふふっ……あははははっ!」

 暖められた明るい室内に、やや品格に欠ける美女の笑いが木霊する。
 対して、絶望の淵からいきなり引っ張り挙げられ、理解が全く追いつかない唯依は、眼を丸くしたまま呆然と呟いた。

「お、叔母様?」
「フフ……ふ……く……ご、ごめんごめん。
 ………冗談よ、冗談……ぜ〜んぶ嘘!
 ルルーシュのお嫁さんは、唯依ちゃん以外に居ないわよ」

 ――沈黙、認識、そして理解。

 その三工程を経て、ようやく言葉の意味が頭に入った瞬間、少女の脳が、血が、沸騰した。

「叔母様ぁっ!!」

 唯依の整った顔が、羞恥と憤怒、そして歓喜の赤に染まる。
 だが次の瞬間、跡取り問題を思い出すや、一転して、元の木阿弥に戻った。

 無論、からかわれた事には腹が立つ。 煮え繰り返るほどに……
 だが、告げられた話の大半は、まごう事無き事実でもあった。

 ――婿を取り子を成す事。

 それは篁の次期当主として、逃れる事叶わぬ責務だ。
 どれ程願っても、恋焦がれても、兄と添い遂げる事は叶わない。
 その事実を認識してしまった唯依の喉から、搾り出すような呟きが漏れた。

「……ですが、篁の御家が……」

 血を吐くような絶望の発露。
 掠れ、苦り切ったソレを、あっけらかんとした声が、事も無げに否定する。

「あら、悩むような事じゃないでしょ?」
「えっ!?」
「単純な事よ。
 唯依ちゃんが、二人ほど子を産めば良いだけの話でしょ?」

 なにが問題なのと言わんばかりに、シレッと告げる真理亜。
 振り回され続け、いい加減、脳がいい感じで茹っていた唯依は、思わず鸚鵡返しに問い返した。

「ふ、二人ですか!?」
「そう、ルルーシュの子を唯依ちゃんが、二人産めば問題は解決するのよ」
「ゆ、唯依が……に…に、兄様の……その……お子を?」

 唯依は、思わぬアイディアに慌てふためくばかり。

 兄様の子を産む?
 誰が? 自分が?
 しかも二人も?

 混乱しきり、壊れた信号の様に顔を赤く、青くする少女。
 そんな彼女を面白そうに眺めていた真理亜であったが、いい加減、終わらせる気になったのか、その耳元で囁く様に告げた。

 ……まるで悪魔が誘惑するかの如く、優しく、甘く、抗い難い蜜の言葉を、狼狽し切った少女の耳朶へ、そして魂へと吹き込んでいく。

「……そうよ。
 それで一方に、枢木の家を、もう一人に篁の家を継がせれば済むだけの話」
「あ……」

 少女の美貌に、ようやく理解の色が浮かんだ。
 同時に、歓喜の色が、輝かんばかりの笑顔を彩る。

 期待に満ち満ちた紫の瞳が真理亜を見上げ、彼女は優しげな笑みと共に頷いてみせた。

「なんだったら上の子の方を、篁の跡取りにするとしておけば、騒がしいのも黙るでしょ。
 まあ、子が成人するまでの間は、篁の当主とウチのお嫁さんの二足草鞋になるけど……問題ないわよね?」
「は、はいっ!!」

 上気した頬で、力一杯頷く。
 舞い上がり切った表情で、ぽぉぉ〜と未来を夢想しては、真っ赤になってイヤンイヤンと身悶える唯依。

 そんな少女を、人の悪いイジメっ子の顔で観察していた美女は、最後の悪戯を仕掛けてくる。

「でもまあ、こればかりは天からの授かり物でもあるし、万一の場合を考えて、ルルーシュには、お妾さんの一人や二人も持っておいて貰えば、一人しか子が出来なかった場合も問題無いわよね?」

 唯依の体に、ビクリッと小波が走った。
 真っ白になった意識の中、必然的に無意識の反応が引き起こされる。

「だ、駄目です!
 ルル兄様の御子は、皆、唯依が産みます。
 二人でも、四人でも、八人でも産んでみせますっ!」

 言い切った瞬間、唯依は、肩を震わせ笑う真理亜を認識する。
 と同時に、自身が何を口走ったかをも意識し、瞬間的に沸騰した。

 武家の息女としての恥じらいも、常識も、遥か彼方に蹴飛ばしてしまった自分。

 そんな自身の醜態と妬きもち焼きな一面に、真っ赤になって硬直するしかない彼女の耳元に、再び黒い尻尾を生やした美女の睦言めいた囁きが注ぎ込まれる。

「まあ頑張って頂戴。
 後、その為にも、女を磨く努力を忘れちゃ駄目よ?」
「……は…はい……」

 恥ずかしさの余り消え入りそうになった少女の声に、心底、愉快そうな美女の笑い声が重なった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 三月十一日 湖南省・長沙郊外 ――



 ここ長沙では、一ヶ月に及ぶ実戦での運用試験を終えた国連軍(在外米軍)第102実験装甲騎兵大隊が、明日に控えた撤収に向けてその準備に勤しんでいた。

 参戦より早くも一月。
 大隊機百四十四機に予備中隊一個を加えた計二百機中、二十三機の損失を代償として、およそ三千を超えるBETAを狩った実験大隊の面々の面差しは明るい。

 スコアから見るキルレシオは約一対十五。
 単純な換算は難しいが、これは米軍が購入を決めた五百機を全機投入した場合、旅団級のBETA群にも充分対抗可能であると言えなくもなかった。

 純粋な機体価格のみを考慮するなら、およそ戦術機二個中隊(二十四機)分のコストで、それだけの戦果が見込める事になる。
 KMF導入を決めた軍高官の一部は、この予想外の戦績に鼻高々で、追加発注と正規KMF部隊創設の検討に入ったとの噂が現地にまで漏れ聞こえて来る程だった。

 また、部隊を構成する隊員の中には、衛士適性検査ではねられ涙を呑んだ者も少なくなく、そんな彼らにして見れば変わりつつある現状は好ましく満足の意を示す者も多い。

 ――人を選ばず、場所を選ばず、時を選ばず

 兵器としては理想的とも言える自分達の愛機を見上げながら、ある者は嬉々として、又ある者は喜びを噛み締めながら黙々と撤収準備を推し進めていく。
 やがて大まかな機材の収納も完了し、後は明日を待つだけとなった隊内で、誰が言うでも無く、三々五々にKMFハンガーへと集まってきた面々は、自身の相棒の戦塵を掃いワックスを掛け始めた。
 徐々に人が増え、次第に喧騒が満ちる中、誰かが何処かで声を上げる。

「……見ろよ、コイツの瑕。
 あの要撃級の皺くちゃ顔に、デッカイ風穴を開けてやった時のモンだ」

 肩の装甲を磨きながら見つけた僅かな凹みを、頼もしそうに撫でながら、下士官の一人が呟くと、脇で脚部の汚れを落としていた別の兵が、右足に走る数条の擦過傷を指して応じる。

「なに言いやがる。
 それを言うなら、こっちは突撃級のカマを掘ってやった時の名誉の戦傷だぞ!」

 疾走してくる突撃級の脇を、小柄な機体の利を生かして、恐怖を噛み殺しながらすり抜けた瞬間を思い出し、感慨深そうに男が笑う。

 そうなると、いずれも度胸自慢、腕自慢の下士官が主体の連中だ。
 周囲からも人が集まってくるや、各々が、自分と愛機の武勲を自慢げに語り出す。

 たった一機で、数十体の小型種を狩った兵が居れば、敵陣深く切り込み光線級を串刺しにした猛者も居た。
 愛機よりも遥かに巨大な大型種を、抜群の連携で十体以上も狩り取った武勲を誇る小隊もあった。

 それぞれが死と隣り合わせの戦場において、輝かしい軍功を挙げた自身と愛機を誇る中、兵士の一人が傍らに立つ自身の機体を見上げながら感慨深そうに呟く。

「ホンと良く働いてくれたぜ。
 最初は、こんなちっぽけな機体で、大丈夫かと思ったもんだがな」
「まあな……急造兵器とか、人型の棺桶とか、好き放題言われてたっけ」

 正直なところ、大陸の地を踏んだ当初が、誰もが恐怖と不満をその身の内に抱いていたのだ。
 良い噂を聞かぬ怪しげな新兵器に乗って、化け物(BETA)と戦えと言われた側にしてみれば無理からぬ事。
 事前の訓練により、それなりに使える機体と納得はしていても、実戦と訓練とは完全に別物だ。
 特に今回の部隊は、強化外骨格に乗り慣れた機械化歩兵から人員を引き抜いて編成された古参兵の集団である分、新しい兵器に対する拒否感は少なからぬモノがあったのである。

 ――とはいえ、だ。

 それも今は昔の話。
 幾多の実戦を乗り越え、KMFへの信頼を深くした彼らにとって、傷だらけになって佇む小さな巨人達は、自身の生命を預けるに足る掛替えのない相棒となっていた。

「もう戦術機乗り共に、馬鹿になんかさせないさ!」

 かつて抱いた劣等感。
 その象徴たる相手への競争意識と、大事な相棒を見下された事への憤りを込めて吼える男に別の兵士が唱和する。

「おうさ!
 なにせコッチは、薄っぺらい紙装甲の強化外骨格でBETA共と殺り合ってたんだ。
 衛士適性が無いってだけで、根性や度胸ならアイツ等なんぞ目じゃないんだからな」
「全くだ。
 ナイトメアフレーム……マクダエルと枢木だったか?
 本当に大したモンを造ってくれたぜ」

 笑いが弾けた。
 同意する声が、ハンガー内のあちこちで湧き起こる。
 喧しい程の喧騒が、大きな波紋となって一同の中で広がっていくのを、もはや誰も止められそうになかった。

 燻っていた、否、体質故に燻らざるを得なかった面々は、その思いを吐き出し、昇華させてくれる存在を見出して多いに盛り上がる。
 蜂の巣でも突いたような騒ぎっぷりが、猛烈な勢いで広がって行き―――

「何を騒いでいるか!」
「だ、大隊長殿!?」
「け、敬礼!」

 ―――止まった。いや、止められた。

 慌てふためきながらも敬礼を返す部下達を、ザッと一瞥した第102実験装甲騎兵大隊・大隊長は、厳しい顔を崩す事無く答礼を返す。
 発散されるピリピリとした雰囲気の中、ダラダラと冷や汗をかく面々の内、中隊を預かる士官を見出した大隊長は、やや憮然とした表情で、彼に騒ぎの原因を尋ねた。

「それで、何をはしゃいでいたんだ?」
「ハッ!
 我等の戦友の武勲を、讃えていた処であります」

 ピッチリと姿勢を正しながらも、上擦る声で答えた。
 士官と脇に立つバルディ(Mk-1)を交互に眺めた大隊長は、表情を崩さぬままボソリと呟く。

「ほぅ……そうか」

 何かを思案するような色が、男の顔に浮かぶ。
 胃が痛くなるような沈黙の中、隊長の頬が僅かに釣り上がった。

「まぁ破目を外さぬ程度なら良かろう。
 予定通り明日には撤収を開始する――疲れを残すような無様はさらすなよ」
「「「サー、イエッサー!」」」

 弾かれた様に敬礼が返された。
 それを確認した隊長は、客人らしき東洋人と共に背を向け、その場を立ち去っていく。
 その後ろ姿を、ホッと胸を撫で下ろしながら見送る面々の内で、バツ悪そうに視線が交わされ、やがて再び、安堵の笑い声が零れ落ちた。



「ソーリー、巌谷少佐。
 見苦しいところを、お見せした」

 背後のハンガーから聞こえる穏やかな笑いを耳にしながら、脇を歩く客人へと謝罪する。
 通常なら見逃すのだが、流石に、声高に戦術機と衛士の悪口を言っているのを見逃すには、少々同伴者が拙かったのだ。

 巌谷の名声については、彼もそれなりに聞き知っている。
 自国の戦術機開発に携わる様な人物なら、戦術機に対する相応の思い入れとプライドが有って当然だ。
 そして、その様な人物の耳に届く形で、戦術機を悪し様に扱き下ろす言動をされては、当人としても面白くはないだろう、と。

 そんな彼の配慮を悟り、巌谷も早々に首を振って否定した。

「いや、お気になさらないで頂きたい。
 彼らの挙げた戦果を考えれば、あの程度は当然でしょう」

 リップサービスではない本心からの言葉だった。
 実際に、危地を助けられた形となる巌谷にしてみれば、当然との反応だったが、言葉に込められた真摯さを汲み取ったのか、大隊長の側もホッと肩の力を抜く。

「そう言って貰えると助かる。
 ……正直、初めは皆不安がっていた」

 安堵混じりの溜息と共に、男の口から本音の欠片がポロリと落ちた。
 やはり彼自身としても不安だったのだ。

「海の物とも山の物ともつかぬ代物で、化物(BETA)の相手をしなくてはならなかった訳だしな」

 事に責任ある立場としては。

 なにせ、在外米軍の主力は、難民からの徴募兵だ。
 永住権や市民権を餌に集めた態の良い使い捨て部隊と言えなくも無く、本国に居る真正の米国市民による米軍と比べれば、やはり扱いは一段劣る。
 彼自身も、軍功を上げ市民権を得はしたものの元は欧州難民の出だ。
 軍内部における格差と言うか、冷遇と言うべきかの扱いは、嫌と言うほどに理解している。
 当然、新兵器の実験部隊などと言うお題目には、当初は眉に唾をつけて居たものだった。

 もっとも……

「……もっとも、今となっては、そんな事を思っている不心得者は、我が隊には居らんがね」

 ……それも当初だけの話ではあるが。

 彼と彼の部下達に配された新兵器は、良い意味で期待を裏切ってくれたのだから。
 無論、未だ軍の内外で、色々と言われているのは承知している。
 だがそれでも、彼も、彼の部下達も、自信と誇りを持って語るだろう。

「貴国の企業―――枢木工業は、実に良い仕事をしてくれたよ」

 ――オレ達の相棒(パートナー)こそが、最高だと。

 そうやって静かな自信と共に語られる賞賛に、巌谷は何とも言えない複雑な表情を浮かべる事しか出来なかった。
 自国内における枢木の複雑な立場と不当な扱いを知る分、彼の抱く悩みは深い。

 そんな彼の懊悩を、敏感に読み取ったのか、視線を前に向けた大隊長は、さり気なく話題をズラした。

「そう言えば、貴国では採用しないのかね?」
「今のところまだ、俎上には上がっていないようです」

 何度か見た実戦での活躍。
 挙げられた多くの戦果。

 無視し難いソレ等を、報告書にまとめて本国へ送ってはあるが、未だ梨の礫だ。
 漏れ聞くところ彼以外の前線指揮官からも、似たような報告、そしてKMF導入の上申が上げられてはいる様だが、それでも今のところ状況に変化は見られない。

 更に歪んだ巌谷の顔に、話題の振り方を間違えた事を悟った相手は、軽く咳払いをして言い訳混じりに話の穂を継いだ。

「フム、そうか。
 ………老婆心ながら忠告しておくが、早い者勝ちだぞ」
「……それはどういう事でしょう?」

 聞き逃し難い一言に、巌谷の目線が鋭くなる。
 対して、ようやく来た手応えに、男の反応も微妙に良くなり、手にした情報を気前良く開示してくれた。

「我が軍も、今回の戦果を見て、追加の発注が本決まりになったそうだ。
 それと南亜連合軍(SAUF)も採用を決めて、臨時予算の調達を始めているらしい」

 相手の言わんとしているところを悟り、巌谷の表情が渋くなった。
 米軍は元より、如何に枢木との縁が深いとはいえ、南亜連合軍(SAUF)の動きも彼の想定より早い。

 このままでは……

「……ノロノロしていると、こちらに回ってくるのが遅くなるという事ですか」
ファントム(F−4)の二の舞は踏みたくあるまい?
 我が軍としても、極東における最重要同盟国から、余計な恨みは買いたくないのでな」
 想定される懸念を口にする巌谷に、相手は軽く肩を竦めて肯定を返す。
 初期のファントム(F−4)導入に絡むゴタゴタは、今でも帝国軍、特に装備調達に関わる者にとっては、トラウマものの出来事だ。
 あの一件があったからこそ、ここまで国産に拘る風潮が強くなったとも言える。

 その愚を再び、それも悪い意味で拡大再生産する気かと遠まわしに忠告してくれる相手に、巌谷は穴があったら入りたい気分を味わった。
 同時に、赤面しかかる顔を、意志の力で抑え込み、礼を失さぬ限界ギリギリで辛うじて感謝の言葉を口にする。

「ご忠告、感謝します。
 ですが、その為には………」
「分かっている。
 その為に許可を出したんだ―――フム、着いたぞ少佐」

 何とも言い難い響きの声に、胸中の苦悶を察したのか、言葉少なく応じた大隊長は、巌谷を人気の絶えた仮設ハンガーの一角へと導き入れた。
 促されるままに、扉を潜った男は、ガランとしたハンガーの一角に、ただ一つだけ残された孤影を食い入る様に注視する。

 米軍機カラーである灰色塗装のままの機体。
 予備機としてこの地に持ち込まれながら、遂に実戦を経る事無く終わった不運な一機のバルディ(Mk-1)を見上げながら、巌谷は夢に見た恋人に出会ったような晴れやかな笑みを浮かべた。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 三月十三日 帝都・枢木邸 ――



 連れ立って屋敷の縁側を渡る二つの人影。
 その内の一つ、この家の次期当主たる少年、枢木ルルーシュは庭の一角で咲き誇る桃の花に眼をやりながら、感慨深そうな口調で呟いた。

「唯依も、今日で八歳か……
 出会ってから五年、思えば早いものだな」

 時の流れを感じながら、無意識に伸びた手が、三歩後を続いていた唯依の頭へと置かれた。
 良く手入れされたサラサラの黒髪を、愛おしそうに撫でながら、出会ってからの日々を振り返る。

 そんな少年に対し、頭に置かれた手の平を意識し、複雑な表情を浮かべた少女は、小さな声で主張した。

「まだ八歳です。
 ………まだ、八年もありますし」

 最後は消え入るように小さくなった語尾。
 流石に、これは聞き逃した少年は、わずかに困った表情を浮かべながらも、少女だけに向ける優しい声で尋ねる。

「うん?……いま、最後になんと言ったのだ?」

 唯依の白い頬に、薄い朱が散った。
 思わず漏れた本音が、彼女の羞恥を煽ったのである。
 素直過ぎる少女の動揺は、そのままストレートに態度へと現れた。

「な、なんでもありませんっ!
 そもそも聞き耳を立てるなど無作法です兄様!」

 裏返った声で誤魔化す。
 内心ドキドキしつつ、気分を害さないか、気付かれないかと怯えながら。

 とはいえ、それは杞憂でしかなかった。
 妹に激甘な彼が、たかがその程度の事で、唯依の事を厭う筈も無い。
 それどころか、勝手に自己完結したまま、自身の非として詫びを口にした。

「そ、そうか……済まなかった。
 どうやらオレの配慮が足りなかったようだ」

 あまりに素直に、アッサリと、逆に謝られた唯依の方が、一瞬、反応に困りフリーズする程に自然である。
 やはり筋金入りのシスコン、妹至上主義は、死んでも治らぬ彼の業病である事を、如実に示しつつ、頭を下げるルルーシュに、唯依はどう答えればよいのか分からず途方に暮れた。

 期せずして、互いの間にギクシャクした空気が産まれる。
 それを解消できぬまま歩みを進める血の繋がりの無い兄妹は、渡り廊下を渡って離れへと移った。
 閉ざされた障子の前で立ち止まったルルーシュは、そこで身を逸らして道を明けると唯依に中へ入る事を促す。

「ほら、唯依」
「あ……はい……」

 兄に促され、オズオズと伸ばされた小さな手が、音も無く障子を滑らせる。
 刹那、クラッカーの音と共に舞った紙吹雪が、彼らの視界を塞いだ。

「ハッピバースデイ!」
「お誕生日おめでとう」
「いやぁ〜目出度いねぇ………まあ、端的に言うと歳を食ったって事なんだけどね」
「ロイドっ!」

 一瞬、眼を瞬かせた唯依の視界には、丸い卓の中央にはケーキが鎮座し、その周囲を色とりどりのご馳走が囲んでいる光景が映る。
 既に卓に着いていた数名の男女達が、個性豊かな祝いの言葉を贈り、それらはゆっくりと彼女の中へと染み渡っていった。

 呆気に取られ固まった唯依の背中を、優しく触れた手が押す。
 思わず振り返った少女の眼には、穏やかな微笑みを浮かべた兄の姿が映った。

 伝わる無言の意図。
 スゥッと驚きが治まっていくのを感じ、それと共に気を取り直した唯依は、礼儀正しく頭を垂れた。

「ありがとうございます、皆様方。
 本日は、お忙しい中、唯依の為に時間を作って頂き、本当にありがとうございます」

 凜とした口調を保ちつつも、隠し切れぬ嬉しさが唯依の声を彩る。
 そんな微笑ましい少女の姿に、一際大きい拍手が鳴り響き、宴の開始は告げられた。

 ケーキに載せられた八本の蝋燭を、小さな唇を尖らせた唯依が吹き消し、ジェレミアの威勢の良い乾杯の音頭と共に、互いのグラスが澄んだ音を鳴らす。
 円卓の上を占領する戦時下を思わせないご馳走に、目を輝かせながらも、内心で少なからぬ罪悪感に囚われる唯依。
 そんな少女の変化を、目敏く見抜いた者が居た。

「どうした唯依?」
「あっ?………いえ、その……」

 逡巡しながら料理と自身の間を行き来する視線に、ルルーシュの頬に淡い苦笑が浮かぶ。
 この父親譲りの生真面目な少女の胸中が、彼には手に取るように理解出来たのだ。

 ―――何とも、真面目過ぎることだ。

 心の中で、そう小さく呟いた少年は、気遣いの過ぎる可愛い妹分をたしなめる。

「大陸で死線を彷徨う帝国軍将兵を他所に、このような贅沢は許されないとでも思ったのだろ?」
「うっ!………あ、その……」
「図星だな」
「………………」
「まぁ確かに戦場では、こんな物は食べられない。
 食糧事情が悪化しつつある昨今、合成食料であれ、適当に調理した物を口に出来れば御の字だろう」
「では、やはりこの様な贅沢は………その……」

 折角の心尽くしにケチをつける様な気がして、唯依は言葉を濁す。
 そんな少女に向かい、少年は苦笑混じりに答えた。

「唯依、考え違いをするなよ。
 ここは戦場ではなく、未だ後方国家である日本、しかもその帝都だ」

 ――いつまでそうかは、分からんがな。

 と続けてから口を閉ざしたルルーシュは、ジッと唯依を見据える。
 紅潮した頬と微かに尖る唇が、内心の不満を表しているのが良く伝わって来た。

 篁の家は、同じ位階の『山吹』の中でも、経済的には裕福な部類に入るが、これは歴代の当主が利殖の才に恵まれていたという訳ではない
 代々、武家として質実剛健を旨とし、質素倹約を怠らなかったからだ。
 言葉にすれば簡単だが、時の流れの中、多くの同輩が贅沢に溺れ、経済的に没落して行った事を考えれば、ある種、筋金入りのストイックな血族とも言える。
 そして、そんな篁の血を継ぐ少女も、やはりどこか堅苦しく禁欲的であり、如何に敬愛し、且つ、恋する相手の言葉とはいえ、こればかりは容易には受け入れられない様だった。
 キッと上げられた視線が、臆する事無くルルーシュを射抜く。

「しかしそれでは、大陸で戦っている方々に顔向け出来ませんっ!」

 珍しく強い口調で反論してくる妹分に、ルルーシュは僅かに目を細めた。

 ――それもまた良し、か。

 胸中で小さく呟くと、ルルーシュは正面から唯依と向き合った。

 疑問を呈し、自らの意志を示す。
 可愛い妹分の成長を示すそれは、彼にとっては愛でて伸ばすべき物だ。
 萌え出る可能性の芽を潰さぬ様に注意しながら、ルルーシュは、言葉を選んで唯依と正対する。

「だからと言って、本土の人間が粗衣粗食に甘んじれば、彼らが報われると言う訳でもあるまい?
 そもそも、こう言っては口はばったい所だが、我が家の経済状態を考えれば、これでも充分控えめだぞ」
「その様な事を、申し上げているのではありません!
 ただ唯依は……その……あの………」

 正論過ぎる正論に、言葉に詰まる唯依。
 そんな彼女の脳裏には、厳つい顔に不器用そうな笑みを浮かべた男が浮かんだ。
 自身の胸中に生じた息苦しさを押さえつけるかの様に、胸に手を当てた唯依に向かって、冷静極まりない声が的確な追い討ちを掛ける。

「巌谷少佐の事が、気に掛かるか?」
「――っ!?」

 驚きに、紫の双眸が大きく見開かれた。
 幾度となく自身の心情を正確に射抜かれた唯依は、兄は読心でも使えるのかと本気で疑うが、無論、そんな筈も無い。
 ただ単に、顔に出易いだけだ。
 そんな分かり易い妹の素直さに、顔には出さずに苦笑を噛み殺しながら、ルルーシュは自身の考えをゆっくりと口にする。

「巌谷少佐も、唯依が貧相な服を着て、育ち盛りなのに質素な食事で我慢するのを喜びはしないだろ」
「……そ、それはそうですが……」

 否定できない。
 親馬鹿と言うか、叔父馬鹿と言おうか。
 とにかく唯依を溺愛する巌谷が、そんな事を認める筈もない事は、彼女にも良く分かっていた。

 ――分かっていたが、それでも、何かが違うような気がする。

 そんな思いに囚われかけた少女に、ルルーシュは更に言葉を重ねて見せた。

「それに、経済は循環させてこそ意味がある。
 いくら巨万の富があろうが、土蔵に積んで置くだけでは、減らない代わりに増えもしないのだからな」

 唯依の思いは、その生来の優しさから来る心情的な物だ。
 それを価値ある物と認めつつも、ルルーシュは敢えて別の視点で物を言う。

 ――これは無意味な浪費ではなく、正当な消費であると。

 唯依の形良い眉が、苦しげに寄った。
 ルルーシュの言わんとしている事を、理屈としては半ば理解しつつも、心情的に納得出来ない。

 そんな風情で眉を顰める妹分に、苦笑混じりの解説が告げられた。

「Aが作った嗜好品を、金持ちのBが買う。
 そして高額の代金を得たAが、今度は得た金を使い別の者から物を買う―――
 ―――単純に言えばそれまでだが、そうやって資金を回していく事で、経済も回り成長し続けていくのだよ」

 貧乏人の使う百円と、金持ちの使う百万円は、数学的な比率としては同じでも、経済的に見れば大きく異なる。
 ある程度の資産を持つ者にとって、それに見合った消費は、浪費ではなく義務でもあるのだと。

 そう解説する兄の言葉に、唯依の幼い美貌も僅かに険を減らす。
 だが、やはり物心ついた頃から教えられてきた質素倹約の精神が、完全な理解を阻んでいる様だった。

 節約も、倹約も、そして他者への気づかいも美徳ではある。
 だが、それもケース・バイ・ケースであると、ルルーシュは認識していた。
 しかし、今の時点で、そこまでの理解を唯依に求めるのは難しいと判断した少年は、落とし所となるべき言葉を口にする。

「無論、不要な贅沢は慎むべきだ。
 だが行き過ぎた倹約に走れば、経済は衰えて行き、最終的には国力を落とす結果となる。
 ―――つまり、要は何事もバランスが大事という話、過ぎたるは及ばざるが如しという事だな」

 そう言って優しく笑う兄の前で、唯依は、未だ釈然としない表情ながらも、黙って首を縦に振った。
 未だ完全な理解には至らぬが、兄の言わんとするところは朧げに分かったような気がする。
 何より、大好きな兄が、これ以上の言い合いを避けようとしている事は、ヒシヒシと伝わってきており、そしてそれは、彼女にとっても同じ事だった。

 だが、何処かに残る不満が、少なからず顔に出ていたのだろう。
 微かに苦笑しながら、ルルーシュはオマケを一つ付けてくれた。

「ふふっ……まあ難しく考え過ぎぬ事だ。
 オレは、唯依の誕生日を祝いたいと思うが、それは迷惑か?」

 用意されたご馳走の数々も、その思いの表れ。
 そう言われてしまえば、唯依も、これ以上不機嫌な顔をしているのは難しい。

 そうやって何とも複雑な表情を浮かべた少女を、背後から延びた二の腕が抱え上げる。

「お、叔母様!?」
「まぁ難しい話は、ルルーシュがしてくれたから良いとして、私からも一言」

 思わぬ闖入者に、眼を丸くして驚く唯依の耳元で、ひどく楽しげな声が響き。

「えっ?」
「食べれる時にキチンと食べないと、いつまで経っても『大きく』ならないわよ」

 次いで、微妙なイントネーションの『忠告』と共に、さり気なく真理亜の手が動く。
 刹那、唯依の両頬が熟れ切ったトマトの様に真っ赤に染まった。
 未だ平べったい胸と、肉付きの薄い尻の上を、モミモミと這い回るその仕草から、彼女の言わんとする所は明白過ぎる程に明白である。

 ―――柔らかな光に満ちた室内に、羞恥と憤怒に塗れた少女の怒声が轟き渡った。





■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 三月十五日 ワシントン ――



 名実共に世界の中心たるアメリカ合衆国。

 この巨大な国を統べる白い家の住人達は、現在、その家の主人を務める初老の男性の下に集っていた。
 この場で交わされる話は、文字通り世界の趨勢すら左右する。
 そんな大それた場で、今、一つの兵器が話題に上っていた。

「……ふん……それでは、我が国が保有するG元素を、G弾へ転用する作業は、つつがなく進んでいるという事で良いのかね?」

 ボーニング社主導で開発が進められていた五次元効果爆弾――G弾実用化成功を受け、進められる討議の中、資料を眺めつつ、担当官の説明を聞き終えた現大統領は、念押しする様に問い質した。

 核をも凌ぐ超兵器。
 対BETA戦のみならず、その後の世界の行方すらも決めるであろうソレに対する一同の関心は非常に高い。
 ことにその副作用――恒常的な重力異常とそれに伴う植生の恒久的な全滅――が、未だ彼ら自身ですら正確に把握出来ていない現状においては、デメリットよりもメリットへ意識が向くのは仕方の無い事とも言えた。
 故に、質問を投げられた側も、誇らしげに胸を張りつつ、問いに応じる。

「ハッ、全て当初の予定通りに進んでおります」

 安堵と満足が入り混じった空気が場に満ちた。
 順風万帆な現状に、大統領もまた満足そうに頷いてみせる。

「そうか。
 軍の方はどうかね?」
「ハッ、報告させて頂きます」

 水を向けられた軍部から、高級将校の一人が席を立ち、手にした報告書を読み上げる。

「現在、我が軍の装備については、G弾使用後の掃討戦を主体とした編成に移行中であります。
 ただ、ラプター(F−22)の配備については、G弾に予算を取られた関係上、当初計画より遅れが見込まれております。
 ですのでDRTSF計画により繋ぎとなる機種を選定し、ラプター(F−22)配備までの繋ぎとして対応する事になろうかと……」

 語尾が僅かに濁ったのは、理由があるとはいえ、計画に遅延が見えるからだろう。

 こちらはややマイナス。
 そう脳裏で査定する者が多い中、発表者とは別の軍高官が口を開く。

「……まあ仕方ないのでは?
 所詮、戦術機など斜陽兵器です。
 多少の配備遅延程度は、問題とは言えますまい」

 戦術機擁護派が聞けば、眼を剥きそうな発言。
 良く見ると、チラホラと不快気な表情を見せる者も居た。
 だが、大局的な状況を見るなら、決して誤りとも言えない。

 G弾の完成により、米軍は、そのドクトリンを大きく変更しつつあり、戦術機の肩身が狭くなるのは必然とも言えた。
 それを肯定するかの様に、大統領もまた、やや歯切れ悪くなりつつも、発言そのものは認める。

「……そうだな。
 G弾があれば、当面は充分だろう」

 因みに、本会議ではKMFの事は、最後の最後まで俎上にも上らなかった。
 G弾主体の戦略に切り替えた政治家・官僚にとって、いかにコストパフォーマンスの高い新型機動兵器とはいえ、その優先順位は決して高くはない。
 あくまでも軍の一部、現場レベルで対応していく事としてしか捉えらえてはいなかったのだ。

 その後、細かな質疑応答が繰り返され、G弾及び戦術機に対する今後の方針に変更がない事が確認される。
 やがて軍関係の報告が終わると、今度は情報部門へと話の焦点が移っていった。

 そして……

「―――特に気にするべきは、やはり中ソの動きかと。
 連中は、我が国がG元素を独占している事に対し、相当焦っております」
「相変わらずあちこちで、アサバスカから回収したG元素を、国連に委託させるべく動いている様です」

 ……情報と外交、似て非なる両分野の閣僚から、同じ根っこを持つ報告が為されると、会議は俄かに騒がしさを増した。

「フン、元々連中が下手な欲をかかなければ、今の窮状は無かった筈だ。
 それを棚に上げて、よくも好き勝手な事を言えたものだ」

 陸軍の高官が、身勝手な主張を繰り返す両国の態度を憎々しげに皮肉った。
 すると人の悪い笑みを浮かべた国務省の官僚が、意味有り気に告げる。

「その辺りは、各国も分かっているようです。
 いや、思い出したと言うべきですかな?」
「例の世界放送か?
 まあ、正直アレは助かったな。
 我が国としては、直接、突き難かった一件だったからな」

 一同の脳裏に、一年前の出来事が浮かんだ。

 政治的なしがらみから、政府としては切れなかったカード。
 それを思い切り良く切られた当時の事を思い出すと同時に、慌てふためく中ソ両国の姿をも思い出し、一同の溜飲がやや下がる。

 あれから一年。
 だが、一度切られたカードは、その後も深く静かに影響を広めていたらしい。
 ざわめきの中、皮肉気に頬を吊り上げた官僚が、その後の事へと言及した。

「はい、あの放送により、中ソに対する忌避感が、各国で大きくなっている模様です」

 そう言って各自の端末へと情報を送る。
 示されたデータを、しげしげと見ていた大統領は、興味深そうに笑いつつ、それでも〆るべき所は〆て来た。

「東側の他の国も、それとなく距離を置き始めているようだな。
 我々にとっては結構な事だが、諸君は昼寝していて良いのかね?」
「彼の国々の弱体化は、我が国を始めとする西側諸国にとっては益となる。
 ………だが、どれほど良く効く栄養剤であれ、使い過ぎは好ましくないな」

 同意する声が、随所で湧き上がる。
 アラスカの租借を認めたのも、彼の国を自国の楯として利用し尽す為だ。

 ある程度、衰えるのは良い。
 だが、対BETA戦が終了するまでは、滅んで貰っても困るのだ。

 そんな冷酷な打算の結果を、問われた側――情報部門を取り仕切る高官は、当然の如く肯定してみせる。

「現在、情勢を分析しつつ、今後の情報戦略について再検討中です。
 理想的なのは、対BETA戦終了間際でのリタイアとし、今後の戦略を再構築していきます」
「大変結構、それが叶うなら戦後の懸案事項が一つ減る事になる」

 告げられた回答は満足の行くものだった。
 大統領を始めとし、一同が納得したように頷く中、それでも軍の一部が懸念を表明する。

「とはいえ、連中も起死回生を狙ってくるでしょう。
 ……例えば、どこかのハイヴに侵入して、G元素を掠め取るとか?」
「そう上手く行けばいいがな。
 ――ああ、そういう意味でも、例の作戦を強行したいのかな?」
「その可能性はあります」

 突拍子も無い、だが、あの国なら有り得ないとは言えない意見に、一座の者が顔を顰めた。
 大国の面子を掛けて執着する『愚行の極み』。
 そういった評価を下していた面々も、思わぬ盲点を突かれたのか、微かに眉を寄せてその可能性を考慮するが、やはり無謀との判断は覆らなかった。

 代わって、どこか痛ましそうな表情を浮かべた政治家の一人が、憮然とした口調で呟く。

「超能力少女、あるいは少年か……何にせよ哀れな事だ」

 虎穴にいらずんば虎子を得ず――等と、偉そうに言っているらしいが、自身と周囲の生命が掛かっていないからこそ言えるセリフだろう。
 少年兵・少女兵という存在を厭う軍高官の一人が、不愉快そうに吐き捨てる。

「充分な戦力があっても命懸け。
 ましてや、今の情勢では、それを望むべくも無い。
 まさに愚行の代表例として戦史に刻まれる事でしょう」

 国益を求めて権謀術策を為しながら、人として非道に憤る。
 覇権を求めつつも、正義を掲げるこの国らしいある種の矛盾。

 それら全てを許容しながら、背もたれに背を預けた大統領は、不意に思い出した様に呟いた。

「南亜細亜連合か……予想外の奇手ではあったが、思った以上に効いた様だな」
「確かに……ですが、こちらの予想以上に、連中の鼻息が荒い様で」
「しかし、ユーラシアにBETAを封じ込めるという意味では、我が国の戦略にも沿います」

 中ソがジョーカーを引く直接の原因へと注意が移り、同時に異なる二つの意見が挙げられた。
 デメリットとメリット双方を、それぞれの脳内で計算する面々。
 だが、極東における自国の勢力圏であるフィリピンは、明確に外されているので、それ程、気にはしていない者が圧倒的に多く、そして最高責任者にしてもそれは同じだった。
 となれば、答えは自ずと決まる。

「少しくらいの増長は、大目に見るべきだな。
 それによって、我が国の若者達が戦場に出ずに済むなら、許容すべき範囲だろう」

 南亜連合(SAU)の存在が、BETAのユーラシアの封じ込めで一定の効果が見込める以上、今後も後押しをしていく方が益がある。
 彼らにとって自国民の血を流さずに済む事の方が、些細な利権よりもよほど価値があった。
 そう判断された以上、インテリジェンス側にも、前回に準じた協力を行うよう指示が下されるのは必然。
 そこまで先読みした高官が、さり気なく水を向ける。

「それでは、閣下?」
「ああ、今後も情報面で協力してやれ。
 今の段階で、連合に空中分解を起こされても困る」

 逆に言えば、自国の利となるなら、空中分解させるとの意を含めつつ、当面は協力していく事を宣言する。
 そしてそれは、ソ連による最後の足掻きとも言える『スワラージ作戦』の成否を定める決定でもあった。

「となりますと、『スワラージ作戦』は………」
「失敗確実。
 そういう事だろう?」
「そうなりますな」

 短い問答が交わされる。
 確定された事象を、ただ確認するだけの行為だ。
 既にして、彼らの中では終わった事になる『スワラージ作戦』。
 その犠牲となるでろう者達に、思いを馳せる程度には、彼らの大統領は感傷的であり、そして善人でもあった。

「では、せめて祈ろう。
 無謀な試みにより潰えるであろう幼き生命達の為に」

 偽りの無い真摯な呼びかけと共に、短くも真面目な祈りの時が、暫し過ぎていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 三月三十一日 L5宙域 『MFU』 ――



 彼が、見下ろすその場には、忙しなく立ち働く多くの人影があった。

「第三ポートからの搬入作業が遅れているぞ!
 他のポートに空きは無いのか?」
「B9エリアの掘削作業が遅延している?
 ……分かった。増員を送るから、遅延状況の詳細をコッチに上げてくれ」

 夏前には正式に恒久型コロニー『アヴァロン・ゼロ』として、発表が行われる事になっている為、現在、アヴァロン関連スタッフ一同、眼の回りそうな忙しさの中に居た

 管制室の一段高い司令塔から、それらを見下ろしていたルルーシュは、黙って踵を返す。
 そのまま歩き出した少年に付き従う一組の男女。
 そんな彼らに向けて、ルルーシュは背中越しに声を掛ける。

「大分、盛況な様だな」
「ええ、何せ夏までには、一通りの形を作っておかなきゃならないですからねぇ」
「現在は、どの部門も連日大騒ぎです」

 苦笑いと共に呟きに応じるロイドとセシル。
 ルルーシュの口元にも苦笑が浮かぶ。

「……そうか、皆には苦労を掛ける。
 事が成就した暁には、何らかの労いが必要だな」
「ぜひ休暇を!
 ………あっ?」

 本能の叫びがセシルの唇を割って迸った。
 次の瞬間、自身の失態を自覚した理知的な美貌が羞恥に染まり、脇を歩くロイドの面に人の悪いニヤニヤ笑いが浮かぶ
 前を行く少年は、微苦笑を浮かべたまま彼女の希望に答えた。

「特別手当つきで考慮しよう―――それで良いなセシル?」
「……ハ、ハイ」

 腹を抱えて声もなく身を捩るロイドを横目で睨みつつ、セシルが恐縮一杯と言った風情で応じる。
 だが、穴があったら入りたい気分になりつつも、確約された休暇に彼女は少しだけ胸を躍らせる―――もっとも、その休暇とやらも、溜まりに溜まった自身とロイドの身の回りの整理で費やされる事になるとは、この時の彼女が知る由も無かったのだが。

 そのまま他愛無い雑談を交わしながら歩き続けた一行は、やがて用意されていた連絡艇へと辿り着く。
 わずか十人程度が乗り込める小さな船に乗り込むと、一番慣れているロイドが艇長兼操縦士として操縦席へと着いた。

「じゃあ行きますよぉ?」
「ああ、頼む」
「イエス・ユア・マジェスティ」

 どこか笑いを含んだロイドの返答と共に、ゆっくりと浮上した連絡艇は、そのまま人工重力のくびきから逃れ、スヴァルトアールヴヘイムの船外へと飛び出していく。
 強化ガラス越しに広がるは漆黒の宇宙―――ではなく灯された無数の人工灯に照らし出され、呼吸可能な空気で満たされた巨大な球状空間だった。

 半径は凡そ2キロ弱、完全な真球を形作る壁面は岩石で構成されているが、その表面は微細なヤスリで磨き上げたかのように滑らかだ。
 公式にはMFU内で偶然発見された内部空間を加工した開発拠点との触れ込みだが、相応の知識の持ち主がキチンと調べれば、それが真っ赤な嘘である事が丸分かりである。

 明らかに人の手により穿たれた人工空間、それも既存の技術では有り得ない手法を用いてだ。
 疑って下さいと言わんばかりの怪しさが、この場に枢木関係者以外が立ち入れぬ理由でもある。
 いずれ開発作業が進み、壁面が強化コンクリートで覆いつくされ、アヴァロンの主宇宙港として各種施設が建設完了すれば開放される予定ではあるが、今はまだ壁面のあちこちに作られた発着場(ポート)とそれに付随する集積所が散在するだけであり、壁面を覆う強化コンクリートも全体の二割程度で、外部の者に公開するのはまだ二年は先の話だ。

 そんな球状空間を、軽やかに飛翔する連絡艇は、あちこちの壁面で作業に従事する人型(メアフレーム)を横目に、外へと通ずる連絡艇用小型エアロックへと辿り着く。
 連絡艇の背後で強固な隔壁の閉ざされる重々しい音が鳴り、同時に空気が抜ける少し間抜けた音が響くが、やがてそれも消えていった。
 次いで、完全に真空になったエアロックの前面――進行方向の隔壁が、次々に開放され進路が開かれる。
 前方にポッカリと空いた薄暗い隧道に、進路を示すマーカーが灯り、安全が確保された事を告げる管制からの指示が、ロイドのヘッドフォンへと届く。
 微かにシートに押し付けられる感触が乗員を襲った。
 再び、ゆっくりと加速を開始した連絡艇は、管制からの自動制御を受けつつ、全長1キロを越える細長い通路を滑る様に進み、やがてそれも終わりを告げる。

「出ますよぉ〜」

 飄々としたロイドの一声と共に、周囲の状況が一変した。

 ――漆黒の空間と、そこにポツリポツリと散りばめられた小さな光。

 そこへと躍り出た連絡艇は、そのまま眼下に見える巨大な岩石の塊り――『MFU』の岩肌に沿って飛翔する。
 瞬く事も無い、どこか違和感を抱かせる星空の下、数分程度の旅をこなした連絡艇は、『MFU』表面に多数設けられた掘削現場の内の一箇所、地球からは常に陰となるべく計算されている目的地へと降りていった。

「到着で〜す」

 相変わらず緊張感の欠片も無い声。
 どこか疲れた表情で溜息を吐くセシルを横目に、ルルーシュはシートから身を起こすと、そのまま連絡艇のハッチを開き、タラップを降りて行った。

 無機質な人工の光に照らされた周囲をザッと見回す。
 エアロック内ゆえ物が無く、どこかガランとした印象を抱かせるその場に佇む少年の背に、セシルが声を掛けた。

「ルルーシュ様、こちらです」

 振り返れば、人間用の隔壁扉の前で、こちらを手招きする彼女が見えた。
 いつの間にやらチャッカリと移動していたロイドの姿も、その脇に在るのを見てルルーシュの口元が微かに綻ぶ。

 隔壁が開かれ先導するセシルの後に続いて、扉をくぐるルルーシュ。
 そんな彼らを出迎えたのは、殺風景な通路とそこかしこに設置されている防諜・防衛システムの大群だった。

「なんとも凄まじいな」
「まぁ、この先にある物を考えますとねぇ」
「この程度は仕方ないかと」

 厳重という言葉すら生温い警戒に、思わず零れた主君の呟きに、歩みを止めぬまま科学者コンビが異句同音に応じる。
 そんな彼らの反応に、ルルーシュも薄い苦笑を浮かべて同意した。

 確かに此処に保管されている物の価値を考えれば、これでも生温いのだ。
 彼らが然るべき立場と権力を得る前に秘密が漏れれば、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど多くの者達が、何としても奪い取ろうと蠢くだろう。

 武力に拠って、或いは権力を振りかざすと言うならまだマシだ。
 一番性質が悪いのは、その手の輩が全く信奉してもいなければ、遵守してもいないお題目――『人類の為に』――を、掲げて迫られる事である。
 ルルーシュの今後の予定表(タイムスケジュール)を鑑みれば、現時点で、そのお題目を正面から無視するのは得策ではなく、その場合、何らかの譲歩を強いられる恐れがあった。

 それを避ける最善手は、とにかく情報を漏らさぬ事――その一手に限る。

 そう言った意味において、秘匿に全力を挙げる彼らの態度は正しかった。
 わざわざ連絡艇で行き来するしかないようにしているのも、極力、情報の流出を防ぐ為なのだから……

 そうやって思索を巡らす間にも、一行の歩は進み、やがて一つの扉の前へと辿り着く。
 下手な装甲よりも頑丈そうな扉の脇にある生体認証システムに、ロイドとセシルが互いの手の平を同時に当てた。
 掌紋と生命反応を読み取った認証システムが、扉に掛けられていた強固なロックを解除する。

「どうぞ、ルルーシュ様」

 脇に退き、一礼するセシルが主君の入室を促す。
 生真面目そうなその仕草に苦笑を浮かべながら、一つ頷いたルルーシュは促されるままに室内へと踏み入り、林立するシリンダー、いや、より正確に言うならその中を満たす薄赤い液体を見上げて満足そうに頷いた。

 背後から、珍しく真面目さを宿した青年の説明が聞こえて来る。

「複数の試掘結果から想定される『サクラダイト』の推定埋蔵量は、ほぼ当初の予想通りでぇす」

 ホクホク顔で告げるロイドの声に、セシルの補足が続いた。

「これだけの量を確保出来るなら、科学・産業分野におけるパラダイムシフトを引き起こす事すら叶うでしょう」

 ――彼の世界において世界最大のサクラダイト鉱脈を有した富士、そしてそれに匹敵する埋蔵量を有すると謳われた第弐富士(MtFuji-U)

 文字通り世界を変える原動力足りえる存在(ソレ)は、今、彼の手の中にある。

 本格的反攻の準備、そして世界を創り変える手立てが、着々と整いつつある事に、ルルーシュの頬にも不敵な笑みが浮かんだ。










―― 西暦一九九二年 五月 ――

 第三計画(ALV)担当国であるソ連は、自国が推進する計画の成果を示すべく、インド領・ボパールハイヴ攻略作戦――作戦名『スワラージ作戦』を発動させる。
 当初計画より二月以上早い作戦開始は、国連内で勢いを増し続ける第四計画移行派への牽制も兼ねてはいたが、それ以上に、無理矢理削り出した戦力を異郷の地に置き続ける負担が、ソ連とその同盟国とでも言うべき共産中華にとっては重荷となっていたのだ。

 対して、無理矢理としか言い様の無いやり口で、自国を作戦地域とされた当のインドはと言えば、当初は港湾施設及び作戦基地用地の使用のみ許可し、後は静観の構えを取っていたものの自他共に認める捨石部隊――使い捨て前提の被支配民族や囚人が大半を占めるスワラージ作戦部隊の軍律の低さから頻発する兵士による凶悪犯罪に閉口し、一転、強硬姿勢へと転じる。

 南亜連合にまで要請を出し、短時日で必要な兵力を整えたインド軍は、使用許可を出した港とスワラージ作戦基地群及びそれ等を結ぶ道路・河川沿いに戦力を展開。
 そこから外れようとした中ソ兵を、一切の例外なく拘束、抵抗した場合は問答無用で射殺するという徹底した態度へと出た。
 当然、この強硬姿勢に対し、中ソ両国から猛烈な抗議が起きたが、これまで彼らが犯した犯罪行為――戦争犯罪ではない純然たる刑事犯罪――を、証拠と証人を揃えて突きつけられ押し黙る破目になる。

 とはいえ、その程度で自軍の非を認め、謝罪や賠償に応じる程しおらしい筈も無く、国連での協議を有耶無耶にして凌いだ両国は、早速、当面の対処へと走った。
 これ以上の無意味な戦力消費とその補填は、両国にとっても問題が有り過ぎた為、実に彼ららしいやり方で解決を図る。

 数日後、半ば呆れた様子で封鎖線を維持する南亜連合軍(SAUF)を他所に、その封鎖線の更に内側に築かれたもう一つの封鎖線――中ソ両国の督戦部隊により形成された壁の中を窮屈そうに移動するスワラージ作戦参加部隊の姿があったのだった。

 この時の状況――スワラージ作戦の顛末までを含め――を、当時、南亜連合軍(SAUF)封鎖部隊の指揮官の一人として事態の収拾に当たったパウル・ラダビノッドは、こう言い残している。

『刑務所から連れて来られた傍迷惑な押し売りが、強盗紛いに土足で家の中に上がりこんで大騒ぎした挙句、招かれざる客に喧嘩を売って犬死した』

 参加兵力未帰還率九割超。
 軍事用語における全滅(兵力損失六十%超)ではなく、字義通りの意味での全滅へと到る戦い。
 対BETA戦においても屈指とされる悲惨な結末と、それを強行させた挙句、自国にも多大な迷惑を掛けてくれた中ソ両国指導部に対する皮肉と批判を込めた一言―――それが、『スワラージ作戦』の全てを的確に物語っていた。






どうもねむり猫Mk3です。

やれやれ、ようやくKMFも実戦配備。
エイブラムスと被るとの指摘がありましたので、Mk-1にしておきました。
これも米・英基準表記なので大丈夫でしょう。

そしてようやく手にしたサクラダイト。
長かった。
何も考えず、お手軽に富士山に埋まってますにすれば簡単だったんでしょうけどね。

しかし、マブラヴ世界の富士山からサクラダイトが採れるなら、きっとジャパニュウム鉱石も採れる筈などとお馬鹿な事を考えてしまうものですから。

まあ、これで本当の意味でサクラダイトが利用できますし、まあいいですかね。

それでは次回もよろしくお願いします。





押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.