Muv-Luv Alternative The end of the idle


【断章】


〜 西暦一九九五年二月 魔女 〜






―― 西暦一九九四年 十一月某日 帝都・某ホテル ――



 周囲から漂って来る華やいだ雰囲気に身を浸しながら、神宮寺まりもは鏡の中の自分を見る。

 髪型――ヨシ!
 服装――ヨシ!
 化粧――ヨシ!

 全て問題なく完璧だった。
 これから結婚式に臨む身としては。

 そうやって最終チェックを終えたまりもは、ドアを開けて廊下へ、そしてその先に続くホールへと向かう。
 一歩進む毎にざわめきが大きくなり、今の不穏な世相には似つかわしくない明るい空気が強くなる中、彼女の肩を不意に誰かが叩いた。
 思わず振り返った彼女の視界に、ここ数年で見慣れた男の顔が映り込む。

「よっ!」
「新井……」

 彼女同様に正装―紋付き袴―を身に着けたかつての部下にして同期でもあった男は、以前と同じ快活な口調で声を掛けて来ると、動揺し、口籠ったまりもへとジロジロと不躾な視線を向けてくる。
 思わず頬が熱を持つのを感じながら、薄く塗った化粧がソレを隠してくれる事を念ずる彼女の耳に、からかうような声が届いた。

「似合ってるな。馬子にも衣装ってヤツか」
「まったく貴様というヤツは……」

 そう言ってニヤリと笑う相手に、まりもの相好も無意識に崩れた。
 互いの間の空気が緩む中、少しだけ真面目な顔に戻った男は、真正面から彼女を見下ろす。
 向けられる視線の真摯さに、思わず鼓動が高鳴るのを必死で抑える彼女の耳朶に男の声が届いた。

「まっ、俺にとっても一世一代の晴れ舞台ってやつだ。よろしく頼むぜ、隊長殿!」
「……ああ、分かっている。
 誰にも文句の言い様が無い祝辞をしてやろう」

 ――声の震えは隠せただろうか?

 それだけが、まりもは気になったが、新井の表情を見る限りそれは杞憂だったのだろう。
 静かに頷く彼女に、安堵の色を浮かべた新井は、もう一度軽く肩を叩くと、その脇を通り過ぎていく。

「じゃ、オレはアイツのところに行って来るわ」
「ああ、後でな」

 花嫁の下へと去りゆくその背、擬似生体故か僅かに脚を引き摺る姿に、微かな胸の痛みと後悔を覚えながら、まりもは彼に聞こえぬ様に小さく溜息を吐いた。





「ふぅ……」

 微かに酒の臭いが吐息に混じり、神宮寺まりもは顔を顰めた。
 未だ十代の乙女にあるまじき醜態とは感じつつも、やるせない気分を隠す為、つい過ごしてしまったのは失敗だったのだろう。

 アルコールに火照る肌を冷ます為、夜風に吹かれながら歩いてきたが、流石に少しクラクラしてきた彼女は、目についた公園の古びたベンチに腰掛けながら、独り淋しく月を仰いだ。

 冬の切り裂く様な冷たい風が、頬に当たって心地よい。
 そのままボ〜っとしていると、新井との思い出が思い起こされてきた。

 いがみ合いながらも、意地を張り合い過ごした訓練生時代。
 そして自分にとっての初陣であり、新井にとっては最初で最後の実戦となった大陸での戦い。

 BETAの奇襲を受け、大混乱となった部隊の中、辛うじて生き残ったのは僥倖以外のなにものでもなかったのだろう。
 いや、あの時、新井に助けられなければ、重光線級のレーザーを喰らい蒸発していた筈だった我が身。

「はぁ……」

 思わず溜息が零れた。
 自分を庇った事で、新井の撃震・改は半壊。
 新井自身も右足を喪い、衛士生命を断たれた。

 当人は、見舞った自分にむかい、これで堂々と退役出来ると笑って見せたが、陰で悔し涙を流していたのは知っている。
 あの時、もう少し冷静に事態に対処出来ていれば、あんな事にはならなかったのではと、今でも思う事が多かった。

 ……とはいえだ。

「……未練よね」

 そう、所詮は未練でしかない。
 そして欲を言い出せばキリが無いと言う事を、その後も戦場で過ごしてきたまりもは、肌で実感していた。

 あの時も、場合によっては最悪の結果となった事も有り得たのだ。

 ――もしあの時、新井の反応がコンマ以下でも遅れていたなら?
 ――もしあの時、新井の機体がアップデートシステムを装備し、飛躍的に反応速度が向上した撃震・改でなかったなら?

 恐らく機体ごと新井は蒸発していただろうと、後々、技官の一人から聞かされて怖気を震った事を思い出す。

 それを思えば、不幸中の幸いとはいえ、新井は生命は取り止め、そしてこれからは市井の人として生きていけるのだから……愛する伴侶と共に。

「……はふぅ……」

 また溜息が零れた。
 やはり、想いを寄せた男の結婚式で、元上官として祝辞を読むのは、事前の想像以上に堪えたようである。

 帰ったらヤケ酒でも飲もうかと、心の中で思案しながらヨロヨロと立ち上がる彼女。

 そんな彼女のひび割れたハートを、グサッと抉る非情な声が夜の公園に響く。

「ハイハイ、そこで黄昏ているフラれ女子その壱!」

 一瞬で頭に血が昇った。
 羞恥と憤怒で真っ赤になったまりもの美貌が、間髪入れずにふざけた声の発生源へと向けられ――

「――って、夕呼!?」

 ――引き攣った。見事なまでに。

 そのままヒキリと固まった彼女の前に、豊満なプロポーションも露わなピッチリとした服の上から白衣をまとったきつめの美貌の主がやってきた。

 彼女の親友にして悪友。
 そして今は、その天才的な頭脳を認められ、帝都大に席を置いている筈の香月夕呼を前にして、呆気にとられるまりも。
 そんな彼女に向けて、ニヤリとばかりに見慣れた笑みが向けられた。

「ハァ〜イ、久しぶりね。まりも」

 以前と変わらぬ声と姿。
 一瞬、夕呼に劣らぬ豊かな胸の中に懐かしさが溢れ、そして次の瞬間、怒りがそれ等を焼き尽くした。

「貴女……フラれ女子ってっ!」
「事実じゃない。違うとでも?」
「グッ!」

 思わず食ってかかる彼女と、それをサラリといなす夕呼。
 事実であるだけに言い返せなかった。
 正確には振られるどころか、告白すらしていなかったのだが、それを言ったところで、更にからかわれるだけだろう。

 思わず悔しさに歯軋りするまりもだったが、そんな彼女に対し、明らかに何か企んでいる事を隠す素振りも見せないニヤリ笑いが向けられた。

「まぁ、恋に破れ失意のドン底に落ちた可哀想な親友に、失恋の痛手を忘れられるような良い仕事を持ってきてあげたわよ」

 なんて優しいんでしょう私――とたわわに実った胸をそらして高笑いする親友を、戸惑った様子でまりもは見る。

「仕事って……私は……」

 今の自分は、痩せても枯れても帝国軍人である。
 幾ら親友とはいえ、民間の仕事を手伝う訳には……等と躊躇するまりもの面前で、香月夕呼は、一転、冷徹とすら言える冴えた笑みを浮かべてみせた。

「安心しなさい。
 あんたには、今日から国連軍に出向して貰う。
 そしてあたしの仕事――『オルタネイティヴ第四計画』に参加して貰う事になってるのよ」

 凄みすら感じさせる夕呼の言葉に、まりもの美貌が顰められる。
 いきなり人の進路を決めつけてくれるのは、相変わらずと言えたが、それ以上に聞き慣れない単語に不審を抱いた彼女の唇から、思わずソレが零れ落ちた。

「オルタネイティヴ……計画?」

 未だ帝国軍の一下級士官でしかなかった彼女の耳には届いた事の無い国連の極秘計画。
 当然、熾烈な争いの末に日本帝国が招致に成功した事など露ほども知らなかった彼女の前で、ALW総責任者に抜擢された若き鬼才は凄艶な笑みを浮かべて言い放った。

「そっ、あたしの地球(にわ)を荒らす異星起源種共(BETA)を叩き潰す為の計画よ」

 不敵なまでの自信に満ちた微笑み。
 後に横浜の魔女と呼ばれる事になる女傑のソレを、まりもは呆けた様に、ただ見つめるだけだった。



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―― 西暦一九九五年 二月四日 帝都・総理公邸 ――



 ソ連による第三計画(ALV)の破綻に伴い、急遽、繰り上げに近い形で行われた第四計画(ALW)招致合戦の終幕。
 対立候補たるカナダやオーストラリアを相手に国を挙げての積極的な招致活動を行った結果、なんとか日本案を第四計画へと決定させた現日本帝国総理・榊是親は、安堵の溜息を漏らして早々、今度は深い憂慮の頭痛に悩まされていた。

 無事、招致に成功したALW。
 その計画総責任者に抜擢された若き天才・香月夕呼から突き付けられた最初の要求。

 簡素かつ高圧的な文面を読み返す度に、榊の眉間に縦皺が寄っていく。

 ――ロイド・アスプルンド及びセシル・クルーミーのALWへの招聘と同時に第四計画直轄戦力として編成される予定のA−01連隊向けに『ランスロット・ゼロ』及び関連技術の接収要求。

 もはや国内では、触るな危険(アンタッチャブル)の代名詞と成りつつある枢木に真っ向から喧嘩を売る内容に、彼は思わず眩暈すら覚えていたのだった。

「……まったく……何を考えているのだ?」

 苦い呟きが榊の口から零れ落ちていった。

 帝国政府が管轄する範囲なら、どうにでもなる。
 帝国軍関連でも、なんとかなっただろう。
 事実、昨年ロールアウトされたばかりの最新鋭機である94式戦術歩行戦闘機『不知火』をA−01連隊向けに回す根回しも既に済んでいた。

 そして、例え斯衛軍であっても、関係各所に彼が頭を下げれば、どうにかなったと思う。

 ……だが、枢木(あそこ)だけは、日本帝国首相である彼にとっても鬼門に近かった。
 有り体に言えば、非好意的中立関係を辛うじて保っているに過ぎない相手でしかないのである。

 そんな相手に対し、掌中の珠を強奪しようとする様な真似を仕掛ければどうなるのかは、火を見るより明らかだった。

「……今の時点で、枢木(あそこ)とは手を切れん」

 そんな事をすれば、連中はあっさりと日本を去るだろう。
 戦術機開発から完全に締め出された時点で、『アヴァロン・ゼロ』や海外への生産・開発拠点移転を加速させており、資本についても法に触れぬギリギリのラインで国外に脱出させ続けている事も分かっていた。
 もし万が一、ここで決定的な対立を産めば、日本帝国は金の卵を産む鶏を、みすみす外国――恐らくは米国か英国にくれてやる醜態を晒す事になるだろう。

「……そんな事になったら、経産相と財務相に絞め殺されるな」

 苦い溜息と共に、そう愚痴を零す。

 前線国家間際との陰口も聞こえる中、退き上げようとする海外組をなんとか日本に押し留め様と四苦八苦している経産省と、国防体制整備の為、急速に悪化する財政に徹夜を重ねてなんとか対応している財務省。

 そんな彼等に対し、海外勤務の比重が増えたとはいえ巨大な雇用の受け皿であり、そして巨額な納税者でもある枢木と手を切りますなどと言えば、怒り狂って詰め寄って来るのは確実だった。
 来るべき時に備えて、挙国一致体制を作り上げねばならない現状で、政府内部での対立など起したくも無いし、彼としても政治的にも、経済的にも、現時点での枢木離反は防がねばならないと思っている。
 となれば……

「何とか、この要求を引っ込めさせるしかないか……」

 また一つ溜息が零れた。
 何度か面談した事のある彼の人物は、天才故か、かなりアクの強い人物である事は重々承知している。
 その人物の要求を真っ向から拒むとなれば、臍を曲げるに違いなく、場合によっては第四計画から降りると言い出しかねなかった。

『さてどうやって納得させるべきか?』

 胸中でそう呟きながら、彼は第一秘書を呼び出すと、ALW計画総責任者との会談のアポイントメントを取るよう指示を出したのだった。



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―― 西暦一九九五年 二月七日 式根島・宇宙港 ――



『――本日のアヴァロン・ゼロ行き第二便は、11:20に出航予定です。
 登場予定者は速やかに搭乗手続きを済ませた後、出航一時間前には、指定の『揺り籠(クレイドル)』に着座して下さい』

 人波でごった返す式根島宇宙港に、柔らかい声でアナウンスが響く。

 『アヴァロン・ゼロ』への異動を命ぜられた社員とその家族、そして運良く安住の地への切符を手に入れた難民達は、三々五々に搭乗カウンターに向かっては、所定の手続きを済ませた後、思い思いに散っていった。

 ある者は、地上の見納めとばかりに近隣の砂浜まで出向いて風や波と戯れ、またある者は、興味深げに宇宙港内の施設を見学し、或いは事前に支給されたカードを使い、レストランで久々のご馳走に家族揃って舌鼓を打つ。
 そうやって久しぶりに落ちついた時間を満喫した移住者達は、やがて時間が来ると、折角掴んだ幸運を逃がさぬ様にと、急かされる事も無く自身の意思で指定された『揺り籠(クレイドル)』の元へと向かっていった。

 『揺り籠(クレイドル)』――救命カプセルも兼ねたソレは、幾つかのサイズが用意されてはいたが、使用者に対しある程度の余裕を以って指定されている為、その内部は、それなりに広い。
 これまで難民キャンプや、粗末な仮住まいの硬いベッドしか経験した事の無かった子供達は、『揺り籠(クレイドル)』内部に敷き詰められたクッションの柔らかさにはしゃいでは、親達に咎められると、少しだけ不満そうな顔をしつつも大人しく横たわり、それを確認した親達は、事前にレクチャーされていた通り、キチンと『揺り籠(クレイドル)』の前面ハッチをロックすると、今度は自身の『揺り籠(クレイドル)』の中へとその身を横たえ、同じくハッチを閉めた。

 光量が落とされた『揺り籠(クレイドル)』内は、一瞬、棺桶に入っている様な気分になりはしたものの寝心地そのものは良好で、疲れた体をしっかりと受け止めてくれる
 内部に微かに香る精神を安定させる匂いと、睡眠へと誘う音と光が、彼等の意識を弛緩させゆっくりと眠りの園へと導いていった。
 やがて使用者が、深い眠りへと落ちた事を脳波で確認した『揺り籠(クレイドル)』は、人工冬眠モードへと移行。
 使用者の代謝を極限まで落とし、そこで安定させる事で、片道一週間の宇宙の旅への準備を終えたのだった。

 そして準備を終えた『揺り籠(クレイドル)』は、順々にベルトコンベアに載せられ、シャトルへと運びこまれていく。
 ベルト上を整然と運ばれていく様は、悪い言い方をすれば荷物扱いであったが、一回の搭乗人数を可能な限り増やし、且つ、移動に要する燃料と酸素をギリギリまで減らすには必要な事として、搭乗者達にも事前に同意を受けていた。

 ……但し、それが表向きの理由である事は、極一部の関係者にしか知られていない事でもあったのだが。

 ベルトの上を整然と流れていく『揺り籠(クレイドル)』。
 だが極稀に、その流れから外れていく物があるのだ。

 本来のルートを外れ全く別の場所へと運ばれていく『揺り籠(クレイドル)』。
 時に一つであり、時に複数でもあるソレ等が、『アヴァロン・ゼロ』に辿り着く事はない。

 時には虚偽申告を理由に公式に放逐し、時には秘かにリストを改竄し闇から闇へと葬り去る――そんな生命の選別を静かに行う複数の眼が、此処には存在していたのだった。

 流れゆく『揺り籠(クレイドル)』を、巨大なゴーグル越しにジッと見つめる数多の少女達。
 複数のラインを複数人で監視している娘達の手が動く度に、外れていく『揺り籠(クレイドル)』が現れる。

 そんな少女達を、少し離れた位置から心配そうに眺めている一人の中年女性。
 若い頃は、それなりに美しかったであろうふくよかな顔に、心配の二文字を貼り付けながら、少女達の仕事を見守っていた彼女へと不意に声が掛けられる。

「順調な様だねぇ〜」
「アスプルンド博士?」

 白衣を翻しながら『移民管理センター』内へと入って来たロイドは、いつもと変わらぬ惚けた口調で、センター長であるロシア人女性へと話しかけながら、その隣に立った。
 そのままコンソールに着き、スパイや不正移民を正確に弾いていく銀髪のオペレーター達とその中に混じる悪友の義娘(マオ)を興味深げに眺めながら、傍らの女性センター長へと問い掛ける。

「なにか不自由している事とかはあるかなぁ?」
「いえ、今のところ特には。
 子供達の状態も安定していますし、頂いたリミッターのお陰で、周囲からも余り白い目で見られる事はないようです」

 ここでの暮らしについて尋ねると、恐縮した様子でそう返す相手に、ロイドは、さほど興味もなさそうな口調で切り返す。

「ああ、アレね。
 どちらかというと、そちらの研究成果にちょっと手を加えただけなんだけどね」

 だから余り大したことじゃないとばかりに告げる相手に、センター長は大きく頭を振って否定の言葉を口にする。

「悔しいですが、私達の物よりも数段進化していますよ。
 ほぼ完璧に、あの娘達の能力を封じてくれるので、余計なトラブルを起こさずに済んでいますし」

 それもまた事実。
 人工ESP発現体の育成と能力の制御に血道を上げていた筈の彼等のソレを大きく上回る成果に、計画に関わっていた者としての敗北感を少しだけ感じつつ、そう告げる相手に、ロイドは気の無い様子で頷くだけだ。

 ここまで興味を示さないのも、種を明かせば付け加えた改良自体が、大本はロイドの物では無かったからである。
 かつての仮面の英雄(ゼロ)ことルルーシュが、ギアス響団を殲滅した際、接収し封印した様々な研究資料。
 ことに人の精神や魂に関し、禁忌というモノを無視して蓄積されたソレ等から得られた情報や技術を元にした物が大半である。
 故に、彼にしてみれば嫌々やった仕事といったイメージが強く、感謝されようが、称揚されようが、ちっとも嬉しくないというのが本音だった。

 その為、これ以上、気に入らぬ話題を続ける事を嫌ったロイドは、話の流れを断ち切る様に、センター長の前に置かれた端末に指を走らせる。

「ふ〜ん……」

 手元の機器を操作し、本日の成果をザッと流し見た青年。
 まあまあと言える戦果に、誰に言うともなくポロリと零す。

「今の所は、第一便分も合わせて八人かぁ」
「ええ、大体いつも通りですね。
 内七名二家族が虚偽申告者、残りが情報関係者の様です」

 ほぼ普段通りと告げる女性。
 それを受け、軽く視線を向けたロイドは、溜息混じりに呟いた。

「一応、採用時には身元調査もさせてるんだけどねぇ」

 難民とはいえ、枢木の社員として雇用される筈の者達。
 特に、今後の活動の中心となるであろう『アヴァロン・ゼロ』への受け入れに際しては、それなりの調査も行っているのだが、やはりある程度の確率で胡乱な連中が紛れ込むのを避けるのは難しいと零すロイドに、センター長のフォローが入る。

「現状、どうしても戸籍管理は不十分ですし、仕方の無い事だと思いますが?」
「まあねぇ……とはいえ、間違っても他人の戸籍を騙ったり、奪ったりしたのを受け入れる訳にもいかないからねぇ」

 採用担当の連中にも、もうちょっと頑張って貰わないと困るんだよねぇ――と愚痴るロイドに、センター長も表情を引き締めて頷いた。

 今はまだ許容範囲内だが、これが増加傾向となれば子供達の負担も無視出来なくなる。
 とはいえ、彼女等にとっての安住の地でもある『アヴァロン・ゼロ』に、危険分子を紛れ込ませない為にも、このチェックは必須である以上、止める訳にもいかなかった。

 人の思考を『画』として、感情を『色』として認識する異能の少女達。
 彼女達が、誰憚ることなく生きていくには、強者である枢木の庇護が必須。

 かつて、管理官として自分自身の心を騙し、次々に使い潰されていく娘達を、歯を食い縛って見送る事しか出来なかった彼女が、内通という罪を犯してまで娘達を逃がしたのも、枢木の保護下に入り普通の娘となった実例(マオ)を知ったから。

 ――ここでなら、人並の人生を送らせてやる事も出来る。

 そう思えばこそ、アヴァロンの門番として、その異能を使わせるという矛盾に悩みつつも、協力するという選択も取れた。

 幸いと言うべきか、枢木のトップである日英ハーフの少年は、娘達にも好意的である。
 以前、こっそり娘達に確認した際、『優しい色』だったと口を揃えて答えてくれた事に、ホッと胸を撫で下ろしたものだ。
 少なくとも、この地であれば、娘達も人間として扱われ、そして生きていく事が出来るのだ、と。

 実際、彼女はもとより娘達の扱いも、極めて穏当かつまともであった。
 過剰な能力の行使は厳として戒められ、三ケ月置きのペースで門番としての仕事が割り振られる以外の時間は、主に実社会への適応を目的とした再教育に充てられている。
 能力を封ずるリミッターも支給され、普段の生活の中で、他者の悪意や嫌悪に傷つく子も無く、またそれ故に周りから忌避される事も少なくなっていた。

 そして、そんな現状を裏打ちするかのように、ロイドが首をゴキゴキと回しつつボソリと告げる。

「まあ、これが終わったら次の便は午後になるしね。
 お昼は、しっかり休んで貰ってから、もうちょっと頑張ってくれるかな?」
「……いまどき九時〜十七時勤務なんて珍しい程ですけどね」

 そう応じつつも、クスリと笑みが零れた。
 配下の技術者達には連続の徹夜を平然と命ずる技術部門の統括者も、子供達に無理を強いる事は無い。
 ある意味、甘過ぎる程に甘いのだが、当の本人はヘラリと笑って茶化すだけだった。

「なにせ我らが上司は、その辺りには五月蠅いんでねぇ。
 小さな女の子を酷使したりすると、途端に雷が落ちちゃうからさぁ」

 そう言って肩を竦めておどけてみせるロイドに、センター長の相好も崩れる。
 そして彼女は、自身の選択が間違ってはいなかったのだとの思いを新たにするのだった。



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―― 西暦一九九五年 二月八日 帝都・帝国大学応用量子物理研究棟内第四計画仮本部 ――



 国連主導の極秘計画本部(仮)としては、やや趣に欠ける殺風景な応接室内にて、年齢の離れた男女が向かい合い、否、睨み合っていた。

 一方は険しい表情を隠す事無く、もう一方は整った容貌に薄い笑みを浮かべたまま、これだけは同じ鋭い視線を相手に合わせたまま微動だにしない。
 互いの前に置かれたカップからは、既に湯気も香りも失せ、ただ黒いだけの液体が半分ほど満たされているだけ。

 そうやって互いに斬り込む機を探りつつ不毛な対峙を続ける両者であったが、流石に痺れを切らしたのか男――日本帝国内閣総理大臣・榊 是親は、低く重々しい口調で尋ねる。

「……こちらとしても最大限の誠意を見せているつもりなのだがな」

 そう言いつつ持参した書類を指先で叩きつつ、オルタネイティヴ第四計画総責任者・香月夕呼へとプレッシャーを掛ける。

 ―― 一体、何が不満なのか?

 言外に、そう尋ねる榊に対し、夕呼は冷たい笑いを浮かべて見せた。

「そうでしょうか?
 オルタネイティヴ計画に必要な機材・人材は、計画担当国である日本帝国が最高のモノを用意してくれるお約束だったのでは?」

 微かな嘲りすら含んだ声音と共に、細い指先が動き、机の上の書類――日本帝国から第四計画に対して提供される予定の機材リストを、榊の方へと押しやった。
 明確に日本帝国の対応が不満であるとの意思を示す所作に、榊の眉がヒクリと動く。

 低く重い声が、殺風景な応接室内に陰々と響いた。

「だから我が国でも実戦配備されて間もない世界初の第三世代戦術機である『不知火』を提供する準備も整っていると言っている」

 その言葉と共に、再び夕呼の側へと押し返されたリスト。
 ソレをつまらなそうに一瞥した美女は、ルージュが引かれた唇を皮肉気に釣り上げた。

「世界初の第三世代戦術機……大いに結構。
 でも、この国における最高の戦術機(・・・・・・)ではないですわよね?」

 そう言いながら手元のスイッチを操作すると、壁面のモニターに光が灯り、一体の『戦術機』を映し出す。

「むぅ……」

 帝都近郊の戦術機訓練場に立つ純白の機体。
 榊自身も何度となく見直した映像が、音声抜きで再生されていく中、口元に冷笑を浮かべた魔女の声が響く。

「『ランスロット・ゼロ』……現時点に於いて世界最強と目される戦術機。
 斯衛軍が血道をあげて開発中の次期主力戦術機はもとより、あの米国が開発中の戦域支配戦術機『ラプター』をすら凌ぐのではと巷で噂になっていますわ」
「………」

 榊の表情が更に渋くなった。
 彼自身、事前に想定していた対応ではあったが、やはり突かれると痛い。
 現実問題として、第四計画に提供する予定の不知火自身が、この映像の中で夕呼御所望の『ランスロット・ゼロ』に敗れているのだ。
 しかも衛士は、斯衛軍最強を謳われる紅蓮醍三郎中将。
 言い逃れのしようが無い程、機体の優劣がはっきりと分かる映像資料を前にしては、官僚達が知恵を絞って造り上げたリストの説得力も大きく霞んでしまうのは確実だった。

 結果、榊は自身の劣勢を認識せざるを得ず、そして逆に夕呼は、ここぞとばかりに斬り込んで来る。

「この『ランスロット・ゼロ』を開発したのは日本のメーカーの筈。
 ならば、日本帝国に於ける最高の戦術機(・・・・・・・・・・・・・・)とは、この『ランスロット・ゼロ』を指すのではありませんか?」

 約束が違うと匂わせつつ、リストの撤回を暗に求める。
 無論、それだけが目的ではないだろう事は、榊にも分かっていた。

 元々、無理難題である事は、彼女自身も理解している筈。
 ほぼ実現不可能な要求を突き付けてくるのには、別に目的とする物があるのか、或いは全く別の理由があると踏んでいた榊は、渋い表情を崩す事無く、慎重に夕呼の本音を読み解こうと探り針を投げ込んでみる。

「……あの機体の開発に、帝国は一切関わっておらん。
 何より開発元自体、技術検証用の試作機であり、販売の予定は無いと明言している以上、調達する事自体困難――いや、不可能に近い」

 そもそも、あの機体については、帝国側も全くと言っていい程、実状を把握出来てはいない。
 恐らくは、各種の画期的な新技術を幾つも投入されたであろう兵器でありながら、その為の開発費用には、国費が一銭たりとも使われていない為だ。

 本来の兵器開発とは、国家の強い後押しがあってこそ成功するもの。
 それなのに、軍も政府も、一円の予算も、一片の情報提供も、ささやかね便宜すら図っていない中、あの様な化け物染みた機体を、単独で産み出した枢木は、明らかに異常であると分かっていても、金を出していない手前、口を出す事も憚られていた。

 無論、国家権力を強権的に振るう事を躊躇しないなら、その障壁を乗り越える事も叶うだろう。
 だがそれは、日本帝国対枢木の全面戦争の引き金を引く行為でもあった。
 現時点に於いて、そこまで踏み切る事を躊躇う意見は政府内にも少なくなく、帝国軍内でも意見が分かれているのが実状である。

 また試作機であるとの明言がされているのも、一応の歯止めとなっていた。
 実際に、あの模擬戦以降も『ランスロット・ゼロ』に用いられていたと思しき新技術が市場にお披露目される事は無く、一部ではコストパフォーマンスが余りにも悪過ぎる為、製品化が難しいのではとの推測も流れている程である。

 ――たった一度の模擬戦でのみ使われた機体。
 ――製品化の目処も立っていないと思しき新技術。

 正直に言ってしまえば、量産が前提な筈の制式兵器として大きな問題と言える諸条件。
 ソレ等を盾として、更に反論を繰り広げ、夕呼の反応を見定めようとする。

「その様な機体を、激しい損耗が予想されるA−01連隊に導入するなど愚考というもの。
 既に、大陸戦線での実戦証明(コンバットプルーフ)も終わりつつある『不知火』を使うのが常道というものだが?」

 喪われても補充もままならない兵器。
 いや、通常の運用に必要な部品の調達にすら苦労する様な機体を、まっとうな軍人なら使いたがりはしないだろう。
 不知火とのハイ・ロー・ミックスで使うという案も一応はあるのだろうが、残念ながら両機の性能が隔絶し過ぎている為、連携を取る事すら苦労する筈との彩峰少将の見立てを根拠に、その可能性も否定するが、そんな榊の説得を彼の天才は鼻先でせせら嗤って否定し返した。

「『常道』?
 そんな当たり前の事をしていて、計画が成功するとでも?」

 ――『常道』などという安易な選択を積み重ねた果てに、絶望的な未来を引っ繰り返す事など出来はしないのだ、と。

 そう言外に告げる女傑は、その双眸に冷たい光を宿したまま、再び尊大なまでの口調と態度で、当然とばかりに要求を繰り返す。

「私は第四計画総責任者として、当初の約束通り日本帝国に於ける最高の設備・人材を要求します。
 その為にも、帝国最強の戦術機『ランスロット・ゼロ』の調達と、その運用に完璧を期す為の人材として開発者であるロイド・アスプルンド博士及びセシル・クルーミー女史の招聘を帝国政府に対して求めます」

 ――ご異論は?

 冷徹な視線に乗せて、そう尋ねてくる相手に、榊は更に渋さを増した表情と声で応じるのみ。

「アスプルンド博士も、クルーミー女史も、帝国の人間ではない。
 彼等はあくまでも枢木との雇用関係上、帝国内に居住しているに過ぎないのだ。
 そんな彼等に対し、帝国政府が徴兵紛いの真似など出来よう筈も無い」

 外国籍者であるが故に帝国政府の管轄外。

 苦しい言い訳ではあるが、間違ってはいない。
 少なくとも、彼等を日本政府が徴兵などすれば、これ幸いとばかりに英国が非難の声を上げるだろう。
 いま現在、問題となっていないのは、彼等が彼等の意思で帝国内に居るからであり、それを破れば、その頭脳と技術を喉から手が出る程に欲しているであろう英国は、嬉々として本国に連れ帰ろうとする筈だ。

 故に、第四計画サイドの要求は実現不可能である――そう押し返そうとする榊を、更に温度の低下した声音が迎え撃つ。

「『オルタネイティヴ計画』は、国連主導の極秘計画です。
 帝国政府にその権限が無いと言うなら、彼等の国籍国に要請して、第四計画スタッフに招聘して貰えばよろしいのでは?」

 帝国に法的権限が無いというなら、英国にやらせろ――と。

 そう事も無げに言いのける美女に、榊の眉間の皺が深くなる。

 あくまで自身の要求を満たす事を求める相手に、本気で不可能事を実行させるつもりなのかと疑うが、その双眸に宿る光には増長も狂気も見て取れなかった。
 どこまでも冷たい理性の光を、じっと見据えながら、その奥にある真意へと近づく為に、男はもう一歩だけ踏み込んでみせる。

「……正直に言えば、帝国政府としては枢木とこれ以上の関係悪化を望んでおらんのだよ。
 ここで枢木の技術部門の総責任者と副責任者を掻っ攫い、更に掌中の珠とでも言うべき『ランスロット・ゼロ』を強奪するような真似をすれば、両者の関係は完全に破綻する」
 忌憚の無い本音。
 帝国政府には、現時点で枢木と全面戦争に突入する意思は無い。
 迫り来る異星起源種(BETA)の猛威に備えなければならない今の帝国には、人も物も金も幾らあっても足りない以上、それらの重要な源泉の一つである枢木と事を構えるなど愚行以外の何物でも無かった。

 そもそも第四計画自体、榊の本心としては半信半疑が良いところであり、その本来の目的は第四計画担当国という立場を活用し、国連軍を国防の壁として使い回す事にこそある。

 もっとも、それ故にこそ、今この時点で眼前の天才美人科学者と袂を分かつ事も出来なかった。
 彼女の恩師である霧山教授に事前に打診した結果からも、第四計画総責任者の立場に着けるのは、今のところ彼女以外には居ないのだから……

 机に手を着いた榊の頭が、ゆっくりと下がっていく。

「これ以外の要望については、可能な限り呑もう……だから、察して欲しい」

 この要求を呑めない代わりに、他の要求を――そう懇願するが、返されるのは冷笑混じりの否定のみ。

「何と言われても、要求を引っ込めるつもりはありませんわ」
「香月博士!」

 榊の声が流石に荒くなった。
 こちらの譲歩を無造作に蹴り飛ばし続ける眼前の美女に、半ば本気で怒りを覚えつつ、一方でその心底を計りかねている事に困惑する。

 与えられた権力の大きさに酔っているというなら、明らかに危険な兆候だ。
 だがそう言った馬鹿者に特有な雰囲気は、まるで感じられない。

 思った以上に厄介な相手に、面倒な玩具(第四計画)を渡してしまったのかもと、胸中で後悔し始めた榊の鼓膜を冷たい言葉の槍が抉った。

「第四計画を遂行する為には、考えられる限り最高の環境が必要なのです。
 それを計画遂行以外の理由で妥協するなど、一考の価値も無い事と確信しております」

 鋭さを増した榊の視線が、夕呼のソレと衝突し、両者の間で不可視の火花が激しく散った。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九五年 二月九日 帝都・枢木邸 ――



 昨日、帝都内の某所で行われた極秘会談の顛末。
 咲世子から提出された報告書をザッと斜め読みして、会談内容を確認していたルルーシュの頬が皮肉気に歪んだ。

「『ランスロット・ゼロ』の接収とロイド達の招聘要求は撤回されずか……随分と人気者になったものだな」
「羨ましいですかぁ?」
「ロイドさん!」

 向けられた水に応ずるようにロイドがヘラリと笑い、間髪入れずにセシルの突っ込みが入った。

 相変わらず仲の良い事だと、胸中で苦笑しつつ、少年は報告書に添付されていた写真を指先で弄びながら、再び皮肉をまぶした笑みを浮かべる。

「そうだな……写真で見る限り、求愛相手は中々の美女だ。
 男なら羨ましがるヤツも多かろうよ……まあ、オレは遠慮しておくがな」

 正直、趣味ではないしな――などと何気にヒドイ事を、言葉には出さすに付け加えながら笑う主に、道化を演じる臣下も軽薄な笑いを浮かべて応じる。

「噂を聞く限り、かなり難儀な性格みたいですからねぇ」

 直接の接点は無いが、同じ帝都内に住む有名人。
 そう良くも悪くも有名人であった『天才』の逸話は、世間から距離を置いている形のロイド達の耳にも少なからず届いていた。

 まあ遠くで逸話を聞いている分には面白いが、近くに寄って関係を持つのは是非とも遠慮したい――といった類いのモノが大半ではあったが……

 そんな厄介事の急接近にも、何処吹く風といった風情のロイドを前にし、セシルは苦虫を噛み潰す。

「……分かっているなら、真面目に考えて下さい! ホントにもう……」

 正直、あまり関わりたくは無いのだ。彼女としては。

 ――トラブルメーカーは一人で沢山。

 そう内心で呟く苦労人の秀才が、理知的な美貌に苦渋の色を浮かべるのを、生温かい目で観察していたルルーシュは、苦笑いを噛み殺しつつ呟きを漏らす。

「『オルタネイティヴ第四計画』か……妙な縁というべきかな?」
「ルルーシュ様が、第三計画に嫌がらせして潰しちゃいましたからね」

 確かに妙な縁と言えるのかもしれない。

 『第三計画への嫌がらせ』こと『第三の子等』を含めた計画の成果の強奪は、当初の予定に含まれていたモノでは無かった。
 単に商売を邪魔された事への意趣返しと、ひょんな偶然から腹心が拾って来た少女の存在から思い付いた程度のモノでしかない。

 だが――

「そうだな。お陰で当初の見積もりより早く、第四計画が立ち上がった訳だ。
 そしてその第四計画総責任者殿が、計画開始早々、オレ達に喧嘩を売って来る……因縁というヤツかもしれんな」

 ――だが、彼がそう決断し動いた結果が、今の状況を産んだのだと考えれば、彼の計画と自分達の間には、妙な縁があると言えば言えるのかもしれなかった。

 そこまで考えたところで、改めてルルーシュは思索の網を広げていく。

 国連主導の極秘計画である『オルタネイティヴ計画』――これまで彼等とは無関係であったが、超法規的権限すら与えられているソレと正面切って敵対するのは面倒ではあった。
 現在の枢木レベルの組織から、強引に機体や技術情報を収奪していくのは、流石に困難であろうが、やってやれない訳でもない。
 国家権力と言うものを極度に恐れている訳ではないが、さりとて甘く見るつもりも彼には無かった。
 一旦、箍が外れてしまえば、『無理を通せば道理が引っ込む』を地で行くケースも歴史上珍しくも無いのだから。

『さて、どうすべきか?』

 そう内心で呟く彼の胸中を知ってか知らずか、お気楽さを漂わせたロイドの声が室内に響く。

「日本帝国としては、現時点でウチと喧嘩をするつもりはないみたいですけどねぇ〜」
「より正確に言うなら、榊首相の周囲はという但し書きが付くがな」

 一部訂正しつつ、肯定する少年。
 ロイドの眼に冷たい笑いが浮かんで消えた。

「諦めの悪い人達が、まだ居るみたいですからね」

 そう言ってまたヘラヘラと嗤う。

 一昨年の模擬戦以来、俄かに慌ただしくなった周囲の状況にうんざりしているロイドにしてみれば、そんな連中の浅ましさは嘲笑の対象にしかならないのだろう。
 主に軍の一部と城内省が組んで、未だに諦め悪く『ランスロット・ゼロ』関連技術の収奪を目論んでいる事を当て擦りつつ嗤う臣下に、主たる少年も苦笑を隠す事は無かった。

 枢木との関係改善を目指す榊が主導する現政権内で、彼等の声が大きくなる事は無い。
 だがその蠢動が収まる事も、また無かった。

 今回の一件は、そんな連中にしてみれば天与の好機と映るだろう。
 枢木が秘匿していると目される各種の先進技術を、騒ぎのどさくさに紛れて掠め取ろうと騒動を大きくしようと動く輩が出てくる恐れも多分にあった。

 薄汚い手を敢えて突っ込ませ、返す刀で腕だけでなく本体そのものをバッサリやるという選択肢もあるのだが、そこまでやっても暫くすれば、また復活して来るのだから性質が悪い。

『まあ、お灸を据える意味で、適当に叩いておく程度で良かろう』

 どうやったところで根絶は難しい相手であるし、そもそも本来の問題の原因でも無い以上、無駄な労力を割くのも馬鹿馬鹿しい限り。
 伸びて来た手足を斬り払って、少し大人しくさせる位で構わんだろうと割り切ると、意識を本題へと戻す。

「とりあえず第四計画の本音が、何処にあるのかを探るのが先決だろうな」

 相手の思惑が読めねば手の打ちようも無い。
 まずは一手、試しに打ってみようと考えたルルーシュの視線が、とある一点へと注がれた。

「ロイド」
「……はぁ〜…仕方ないですねぇ」

 注がれる視線の意味を誤る事無く汲み取った青年は、ヤレヤレといった風情を崩す事無く、軽く肩を竦めてセシルへと頷いて見せる。

「……分かりました。
 近日中にロイドさん(・・・・・)と香月女史との面談をセッティングします」

 とてもイイ笑顔で、打てば響く様に答えるセシル。
 『ロイドさん』の所を敢えて強調した事に、当の本人が渋い顔をして見せるが、さりげなく視線を逸らし無視してのける辺りは付き合いの長さ故だろう。
 そうして明らかに不満の色を滲ませるロイドへと、有無を言わさぬダメ押しが圧し掛かった。

「任せた。
 ――ロイド、逃げるなよ」

 反論も逃走も認めない――言外に滲む主君の意思に、青年は一つだけ溜息を漏らすと、黙って両手を上げるのだった。



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―― 西暦一九九五年 二月十一日 帝都・帝国大学応用量子物理研究棟内第四計画仮本部 ――



「――っていう事でぇ、ワザワザこんな所に来る破目になっちゃったんだよね〜〜」

 そう惚けた口調で事の経緯をまとめると、一方的な独演会を終えた彼は、出された珈琲を啜り、遠慮の欠片もなく不味そうに顔を顰めた。
 対面のソファに座る美女の眼が更に冷たさを増すが、そんな事は何処吹く風と言わんばかりの態度を崩す事も無い。
 美女こと香月夕呼の背後に立つまりもは、その図太さに呆れと感心混じりの吐息を漏らした。

 ルージュの引かれた唇から、凍てついた声が漏れる。

「……それはご愁傷様」
「うん、全くだよ。
 ボクには色々と研究する事もあるのに、こんな下らないお使い(・・・・・・・)を押し付けるんだからねぇ」
「…………」

 嫌味と皮肉の混じった返しが、更に皮肉を増量して打ち返された。
 室内の温度が急速に低下していく錯覚に、微かに背筋を震わせる常識人を他所に、傍迷惑なだけの二人組――魔女と道化の応酬が続く。

「ホントにさぁ〜〜、迷惑な話だよねぇ。
 自分で引き受けておきながら、一人じゃにっちもさっち行かなくなって、結局、後から無理矢理人を引き抜いて、なんとか辻褄合わせをしようとするなんてさ」
「…………」

 微かな歯軋りが漏れた。

 威嚇とも本心とも判断のつきかねるピリピリとした空気を発散し始めた夕呼を、後ろに立つまりもはポーカーフェイスを保ったまま注視しながら、火に油どころかガソリンを注ぎ続ける来客を諦観混じりに批評する。

『……天才って、みんなこういう性格破綻者ばっかりなのかしら?』

 噂に聞く『ランスロット・ゼロ』の開発者に抱いていたイメージが、ガラガラと崩れていくのを感じながら胸中で嘆息する苦労人系美人。
 この胃と肌に悪い時間が、早く終わって欲しいと心底から願う彼女の思いとは裏腹に、興が乗ったロイドは、本日最大の爆弾を投下してくれる。

「……で、どの辺で詰まってるのさ?
 まあ今言った通り忙しい身だけど、折角ここまで来たんだから帰る前にアドバイス位はしてあげるよ」
「―――っ!?」

 明らかに夕呼を学者として格下に見た発言に、まりもの整った面差しから一気に血の気が退いていった。
 親友のプライドの高さを誰よりも熟知していた彼女は、もはや相手が越えてはならぬ一線を越えたものと理解し、そして戦慄する。

 報復とソレに対する報復、そして両者の全面衝突の予感が、反射的に制止の声を放たせようとするが、それよりも早く夕呼の側が口火を切った。

「……フン……つまり、それがアンタ達の回答って訳?」

 憤怒の色も恫喝の響きも感じられぬ平坦な声。
 それが逆に恐ろしく、まりもの喉と唇を凍りつかせる中、彼女達の対面に座る道化めいた言動を取る青年科学者がヘラリと嗤った。

「そう言う事になるかな?」

 これまでと変わらぬヘラヘラとした軽薄な笑顔。
 だが、眼鏡の下の双眸だけは、全く笑っていなかった。

 どこか得物を狙う蛇を連想させるソレに、まりもの警戒心が急上昇する中、ふんぞり返る様に背もたれに背を預けた夕呼は、行儀悪く脚を組んで相手を睨みつける。

「『オルタネイティヴ計画』に与えられた権限を承知の上で言ってるのかしら?
 必要とあらばアンタ達のところを、有無を言わさず叩き潰す事だって出来るのよ」

 国連主導の極秘計画であるALWには、国連加盟国全てが従わねばならない超法規権限も与えられていた。
 無論、その発動には相応の手順が定められてはいるものの必要に応じ、各国の法の枠をも乗り越える事すら許されている。

 夕呼の言い分は、そういった意味に於いて完全に事実であり、如何に日本帝国内で隆盛を誇る枢木であれ、一旦、ALWの名の下に強権が発動されれば抗う事など出来はしない筈なのだ。

 ……筈なのだが……

「……有無を言わさずにねぇ……」

 ロイドの片頬が吊り上り、苦笑の形を形作る。
 背後に立つまりもから、夕呼の肩がホンの少しだけ揺れたのが見えた。

 冷笑を含んだ声音が、殺風景な応接室に冷たく響く。

「一つだけ忠告しておくとさ、ボクの上司に向かって、今と同じ事を言わない方が賢明だよぉ」
「…………」

 脅しとしては威圧に掛ける声と表情。
 だが抗し難いナニかを含んだソレに、反発が生じる事は無かった。
 天上天下唯我独尊な筈のまりもの親友ですら、わずかに目を細めただけで、その言動に耳を澄ます中、無機質さが増した青年の声が美女二人の耳朶を再度震わせる。

「あの方は最初から有無なんて言わないよ。
 キミがオルタネイティブ権限を振りかざすより先に処理するだけさ」

 如何なる伝家の宝刀を持とうと、それを振るうべき人間が居なくなってしまえば、何の意味も無い。

 政治的にか、社会的にか、或いは物理的にかはいざ知らず、宝刀を振り上げるよりも早く持ち主を処分するだけと断言する青年。
 それはこれまでの枢木の行動――特に敵対者に対する物によって裏打ちされている事実でもあった。

 急速に喉が渇いていく感覚が、まりもを襲う。
 同時に、今、自分達がどんな立場で、何処に居るのかを思い出した瞬間、彼女の背を一筋の冷や汗が流れ落ちていった。

 国連主導の極秘計画仮本部などといったところで、此処は元をただせばただの学び舎に過ぎない。
 セキュリティはあっても元々は大学の研究成果を守る為の物に手を加えた程度、本格的な侵攻を阻み得る軍事施設などではないのだ。

 ……もし、もしであるが、今日の会談の結果を眼前の青年から聞いた枢木の主が、彼女達の排除を決断したなら?

 そこまで想像したところで、まりもの額に脂汗が滲んだ。
 それを押し隠す様にキツさを増した視線の先で、元凶たるロイドは何の気負いも見せる事無くヒョイとばかりに席を立つ。

「まあ、なんとなく今回の目的は分かった様な気がするからいいけどさ……あんまり火遊びばっかりしてると火傷する前に焼け死ぬよ」

 ――警告か、それとも忠告か。

 いずれとも取れる一言を告げると、着て来たコートに袖を通した青年は、最後とばかりに彼女等を一瞥する。

「さて、もう用も済んだので帰るよ。
 ……それとも引き留めてみるかい?」

 ――ご自慢のオルタネイティブ権限とやらで?

 言語化されなかった末尾が、まりもの耳には聞こえた様な気がした。
 反射的に視線が親友へと移るが、こちらはこちらでふんぞり返ったまま微動だにする事は無く、ただ声のみが彼女の耳に届く。

「……まりも、アスプルンド博士をお送りして。門まで確実にね」
「ハッ!」

 その一言が、彼女の動きを保証する。
 先導する様に先にドアへと向かい、扉を開いた彼女の横を、軽く手を振りながらロイドが通り過ぎ、次いで彼女も戸口を潜った。

 自動的に閉まる背後のドア。
 それが閉じ切る瞬間、彼女の耳に小さな舌打ちが届いた。



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―― 西暦一九九五年 二月十一日 帝都・枢木邸 ――



「う〜〜ん……う〜〜ぅぅ……」

 サラサラの黒髪を揺らしながら、篁唯依は恋する乙女には似つかわしくない呻き声を上げていた。

 目前にデンと置かれた将棋盤の上で、追い詰められつつある自分の駒と追い詰めつつある対局相手の駒を、必死に睨みながら活路を探す唯依。
 艶やかな髪に縁取られたその頭部内では、幾つもの手が浮かんでは消え、消えては浮かび、そして……

「……参りました」

 全て消え去った。

 活路が全て閉ざされている事を、ようやく読み解いた少女は自身の負けを認め投了する。
 何気に負けず嫌いの性格故か、悔しそうに膝の上に置かれた手を震わせる唯依。
 そんな少女へと柔らかな声音で対局者たるルルーシュは問い掛ける。

「後何手だ?」
「……五手です」

 一拍遅れて返された答えに、少年は静かに頷き、妹分兼許嫁の上達を認めた。

「そう落ち込むな。
 詰んでいる事が分かる様になっただけでも立派なモノだ」

 実際の所、彼女の年代で、これ以上読める人間が居るとすれば、プロ棋士予備軍と言っても差し支えない筈である。
 あくまでも娯楽としてやるだけなら、充分過ぎる実力と言えるのだが、当の本人は満足出来なかったらしい。

「ルルーシュ様、もう一局!」

 そう言って、キッと口元を引き結び、ルルーシュを見上げる瞳には、今度こそはと念ずる気迫が満ち満ちていた。
 そういった唯依の有り様は、彼にとっても好ましく感じられ、惹かれる様に頷こうとした所で、不意にその意識が少女から逸れる。

「咲世子か?」

 唯依の頭越し、閉ざされた襖の向こうが、まるで見えているかのように誰何の声を上げたルルーシュ。
 対照的に弾かれる様な勢いで振り返った少女の耳朶を、落ちついた女性の声が振るわせる。

「お休み中、失礼致します。
 ロイド様が戻られました」

 常と変らぬ控え目な声が、探りの一手が戻った事を告げると、彼の中で意識が切り替わった。
 一瞬、惜しいと思いつつ、それでも採るべき態度をルルーシュは選択する。

「分かった。直ぐに行く」

 その一言を契機に、襖の向こう側から気配が遠ざかっていく。
 それを確認した少年は、私不機嫌ですと全身で主張している少女へと意識を戻した。

「すまんな」
「……うぅぅぅ……」

 プクッと白い頬を膨らませる様に、思わず笑みが零れるが、それはかえって少女の反発を煽るだけだった。
 子供扱いされている事を、キッチリと感じ取った背伸びしたい年頃の少女は、内心の不満を押し殺し、大人な態度を演じて見せる。

「どうぞ、お気になさらずに。
 大切なお仕事を済ませて下さい」

 そう殊勝な事を言いつつも、言葉の端々に滲む不満の色は隠せていない。
 頭隠して尻隠さずなその言動に、再び零れそうになった笑みを噛み殺したルルーシュは、一度だけ唯依の頭――では無く肩を叩いた。

「許せ、唯依」

 そう一言言い残し席を立つ少年。
 去りゆくその背を見送りながら、キチンとお辞儀をしていた少女の唇から、その本心がポロリと零れ落ちる。

「……ルル兄様の馬鹿、ロイドさんのお邪魔虫」

 閉ざされた襖を、恨みがましい目で睨む少女。
 その柔らかそうな頬は、風船の様にぷっくりと膨らんでいたのだった。





「どうだった?」

 ソファに座って後、開口一番の主君の問いに、ロイドはヘラリと笑って応じる。

「……まあ、背伸びしている子供は可愛いもんですよ」
「子供か?」
「ええ、とっても頭の良い女の子。
 でもあのままいけば、潰れちゃうんじゃないですかね?」
「ほう……」

 彼の天才女性科学者の余人を挟まぬ直接の人物評に、ルルーシュは興味深げに相槌を打つ。

 ――曰く、傲岸不遜。
 ――曰く、傲慢無礼。
 ――曰く、唯我独尊。

 耳に届くソレ等とは、やや趣の異なる腹心の評価に、若干興味を惹かれた彼は目線で先を促すと、饗された紅茶を美味そうに飲み干し、喉の渇きを癒したロイドは、再び思うところを口にする。

「一人で多くの物を抱え込んじゃうタイプ。
 そう言った意味では、ルルーシュ様に少し似てますけどね」
「……そうか」

 ロイドの言わんとしている事は、彼にも伝わった。
 一人で全てを抱え込み、全てを動かそうとして最終的には失敗した黒の騎士団時代の仮面の英雄(ゼロ)

 つまりはそういう事なのだろう。
 なまじ人とは隔絶した才能に恵まれたが故に、己の限界を越えた荷物まで背負いこんで破滅する――ロイドから見た香月夕呼とは、そういったタイプの人間だったのだと。

 そしてそれはつまり――

「逆に言えば、適切なサポートが出来る人間が、傍に居ればなんとかなると言う事か?」

 ――そういう事でもある訳で、問われたロイドも肯定するように頷いた。

「……とはいえ、噂通りかなりアクの強い子でしたからね。
 傍に居るだけでも一苦労でしょう……ボクなら願い下げかな?」

 と、苦笑混じりに補足する。

 少なくとも、三日も一緒に居れば、間違いなく大喧嘩になるだろう。
 アレはアレで、ラクシャータとは別の意味で相性が悪いと本能的に悟った青年は、アッサリと今後も関わると言う選択肢を切り捨てていた。
 適切な補佐役が見つかれば、そして最後までその関係が壊れなければ、或いは歴史に名を遺す事も可能だろう才能の持ち主だったが、所詮、それは自分の役割ではないと。

「全ては運次第か……」
「ええ……まあ、運が良ければそうなるし、悪ければ……なるようになるんじゃないですかねぇ」

 そう言ってまたヘラヘラと笑う臣下を、困ったヤツだと言わんばかりの表情で眺めながら、少年は脳内で思考を押し進めていく。そして……

「……どうやら、彼女とは距離を取った方が無難だな」
「へぇ〜……どうしてですか?」

 ――近くに居れば面白い事があるかもしれませんよ?

 全身でそう主張しながら笑う青年に、ルルーシュは苦笑混じりに答えを返す。

「栄光と破滅、どちらに転ぶかは分からんが、いずれにせよ大きなうねりを産むだろう相手だ。
 こちらの計画に妙な影響が出ても敵わんからな」

 既に彼ら自身も独自の思惑で動いている以上、外部からのイレギュラーによる影響は可能な限り排除しておきたい。
 そういった意味において、失敗するにせよ、成功するにせよ、巨大な波紋を産むであろう相手の傍に居て、思わぬ余波など喰らっては堪ったものではなかったのだ。

 故に彼は決断する。

「……彼女が成功するなら、それはそれで良し」

 自分達の出番が無くなるかも知れないが、それは別に構わない。
 ルルーシュにとって、世界を救うという行為は、未来という『結果』を掴む為の『手段』でしかないのだ。
 よってソレが、彼自身の手により遂行されねばならない理由はなく、彼の天才が独自に成し遂げると言うなら、それはそれで問題は無い。

「失敗したなら失敗したで、その時はその時、こちらに出番が回って来るだけの事に過ぎん」

 むしろ失敗した時の為にも、彼女から、ある程度の距離を取っておき失敗に巻き込まれない事が肝要。
 そう結論付けた主に、ロイドは残念そうに笑う。

「……まあ、仕方ないですかね。
 遠目に見て、楽しむ事にするしかないかなぁ」

 などと悪趣味な事を嘯く青年を呆れた様に睨みながら、少年は念のために釘を刺しておく。

「ロイド、ほどほどにしておけよ」
「はぁ〜い、わっかりましたぁ〜」

 相変わらずの道化た返答。
 だが、きっちりと承諾の意を含んだソレに、ルルーシュは無言で頷いたのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九五年 三月某日 帝都・帝国大学応用量子物理研究棟内第四計画仮本部 ――



 己のオフィスで帝国政府から送られて来た書類を、つまらなそうに斜め読みしていた夕呼は、一通り目を通し終わると、ソレ等を脇に控えていたまりもへと押し付けた。

「帝国政府から通達よ。
 近日中に帝国軍横浜白稜基地を第四計画本部として国連軍に解放。
 併せてA−01連隊隊員養成の為の訓練校を同基地内に設置……だってさ」

 予定が現実となった事を、淡々と告げる夕呼の声を聞きつつ、渡された書類をキッチリと隅から隅まで目を通していくまりも。
 そんな親友の変わらぬ生真面目さに、微かな苦笑を浮かべた美女は、ニヤリとばかりに朱の唇を釣り上げる。

「……良かったわね、まりも。
 これで無為徒食の日々が、ようやく終わるわよ。
 ひよっ子達を、きっちりと扱き上げてやりなさい――貴女のウエストの為にも」
「――っ!?」

 密やかに友人が気にし始めていた点を、サラッと当て擦すると、邪悪な笑みを浮かべながら、ややキツそうに見えるタイトなスカートをニヤニヤと眺めて見せる。

 まりもの頬に朱が差したが、ここで反論すれば更に意地悪なツッコミが入る事を経験則から学んでいた彼女は、聴こえなかった振りをして、強引に話題の転換を図った。

「結局、納入される機体は『不知火(94式)』に納まったわ。
 ……まったく、なんであんな大騒ぎを起こすのよ貴女は?」

 瞬時に、一月前の騒動をネタに逆撃を放つ彼女であったが、それもまた、悪友の想定の範囲内であったらしい。

「あら心外ね?
 親友の可愛い教え子達の為に、最高の機体を用意してあげようとしたのに」

 微塵の揺らぎも感じさせぬ美貌と声が、鼠を弄る猫の様に、まりものささやかな反撃を封じ込めた。
 ああ言えば、こう言うを地で行く夕呼の切り返しの早さに、白い喉元を疲れた溜息が通り過ぎていく。

 脳裏を過るここ一月の苦労の数々。
 担当者を招集しての警備体制の見直し、各所に手を回しての戦力の増強。
 彼女のウェストが少しばかり、そう本当に少しばかり増量してしまったのも、ソレ等の差配に忙殺され、デスクワークばかりやっていた所為なのだから……

「……夕呼だって、始めから無理だって事は分かってたんでしょう?
 なのにあんな無茶を言って、政府や軍、枢木にまで喧嘩を売る様な真似をしたのは何故?」

 ……だから、そんな憤りを少しばかり込めた問いが、思わず零れてしまったのも仕方の無い事だった。

 軍人としては褒められた事ではないが、彼女――香月夕呼の友人としての意識が発した問いに派手な美貌が微かに歪む。

 僅かに逸れた視線。
 気の無い口調で、投げやりに答えが返される。

「……政府や軍が何処まで譲歩するかを見ておきたかった……じゃダメかしら?」
「夕呼……」

 明らかに嘘と分かる答えに、まりもの表情が僅かに翳った。
 一瞬、互いの間に生じた沈黙が、小さな舌打ちによって打ち消され、彼女の親友は仕方ないとばかりに肩を竦めて見せると、今度は真顔で彼女へと向き直る。

「……あたしは、この国を掌握するわ。
 その為の障害は排除する……誰であろうが、何であろうがね」

 これから彼女が推し進める第四計画は、見る者によっては雲を掴む様な夢想と貶され、或いは史上最大にして最悪の詐欺と非難される類いのモノだろう。
 だからこそ帝国内で力を持つ者全てが、良くも悪くも潜在的な敵対勢力と成り得る以上、その事を前提として動くべきというのが彼女の結論でもあった。

 今回の一件も、その為の仕込みでしかない。
 こちらのアクションに対する政府や枢木のリアクションは見れた。
 相手の反応を見れれば、こちらが今後取るべき手段の指針が少なからず定まる。

 それに……

「……残念ながら世の中の馬鹿共には、あたしみたいな若くて美し〜い女は、鑑賞対象とはなっても、畏怖して従うべき対象には見えないのよね」

 そう言って鼻先でせせら嗤いながら、世の中の馬鹿共を切り捨てた孤高の天才は、一転、不機嫌そのものといった表情で吐き捨てた。

「まあ、今までならそれでも構わなかったんだけどね」

 ――馬鹿の内心なぞ知った事じゃない。
 ――そんなモノを忖度するなど時間の無駄なだけ。

 そう割り切っていた。
 これまでは。

 だが……

「……これからは、そうも言ってられないのよ。
 舐めた真似するような馬鹿は、最初の内に極力減らしておかないとね」

 ――そうしなければ、恐らく間に合わない(・・・・・・・・・)

 最後の言葉のみ言語化せず、そのまま彼女は豊満な胸を張って見せる。

 香月夕呼は、そこらに転がっている様な外見だけの女(ピーマン)共とは、モノが違うのだと目に見える形で示し、示してそして、身の程知らずにも突っかかって来る馬鹿共の絶対数を可能な限り減らす。
 その為のパフォーマンス相手としては、現時点において帝国内で最も恐れられている枢木こそが最適と判断したが故だった。

 無論、無謀と謗る者は居るだろう。
 或いは、単に増長しただけと蔑む者も。
 だがソレ等の者達であれ、今回の一件の顛末を見て、彼女と敵対する事に少なからず抵抗を覚えるのも間違いない。

 ――あの枢木(・・・・)に喧嘩を売って尚、権力の座から滑り落ちない。

 それは間違いなくこの国における一つのバロメーター足り得るのだから……

「……だから利用させて貰ったのよ。
 この先、あたしが効率良く動く為にね」
「……ホントに潰されたら、どうするつもりだったのよ?」

 必要とあらば、合法・非合法を問わず、あらゆる手段を用いてでも敵対者を葬ると噂される枢木のスタンスは、危険などという甘い代物では無い。
 場合によっては、目の前の親友諸共、自身さえ物言わぬ骸と成り果てている可能性すら有った筈。

 しかし、そんな彼女の懸念を、親友はつまらなそうに鼻息一つで吹き飛ばす。

「ハッ! その程度の低能共なら、あそこまで駆け上がれなかったでしょうよ」

 僅かな期間で、自社を日本最大級の企業体へと押し上げ、宇宙にまで手を伸ばす様な連中が、現時点で自分を消すなどという不毛な選択肢を採る筈も無い。

 第四計画の完遂は、自分にしか出来ないとの確信。
 そしてその頓挫が齎すモノを正確に把握していた彼女にしてみれば、血の巡りが良い連中程、自身を消す可能性が低い事も分かっていた。

 もし、もしであるが枢木に自分を消すという選択をさせる事があるとすれば、それは彼等にとって決して譲歩出来ない領域に自身が踏み込んだ時だけだろう。

 そして今回の一件は、外野からどう見えていたにせよ、連中にとっては許容範囲内。
 少なくとも、現時点で彼女――第四計画総責任者・香月夕呼を消す事によるデメリットは、連中にとってのメリットを上回っていたというだけの事。

 そういった計算があればこその三文芝居。
 巻き込まれた帝国政府にしてみれば、とばっちりもいい処だろうが、そんな事を斟酌する程、殊勝な性格でも無い女傑は平然と言い放つ。

「まっ、今は利用価値があるから放置しておいてやるわ。
 でも本気であたしに盾突くって言うなら、枢木であろうと叩き潰してやるだけよ」

 そう、香月夕呼はこの国を掌握する。
 この国の全てをだ。

 そうしなければ世界を救えないと確信している若き天才の断言が、彼女の親友の耳朶を震わせる。
 震わせて、そして……

「はぁぁぁ……」

 ……神宮寺まりもの唇から、疲れた溜息が一つ零れ落ちていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九五年 二月某日 ??? ――



 林立する無数の石柱が、金色に染め上げられていた。
 朽ち果てた神殿、いや遺跡のただ中に佇みながら、興味深げに周囲を見回していた銀髪の少女の視線が、ある一点にて静止する。

 その延長線上、黄昏の光の中に浮かぶ人影が、徐々に大きく近くなって来るのを、少女――マオ・ゴットバルトは、待ち受ける様にジッと見つめていた。

 おぼろげな影が、ゆっくりと輪郭を確定させていく。
 やがて背の半ば以上を覆う長い髪の主は、不敵な笑みを浮かべてマオを見下ろす位置へと立った。

「……不死なる魔女(イモータル)――『C.C.』」
養父(ジェレミア)辺りから聞いたのか?
 存外にお喋りなヤツだな」

 己を見上げる少女の口から漏れた一言に、C.C.は渋い表情を隠す事も無く相手を見つめ直す。
 あの熱血忠義男が、どのような事を吹きこんだのか多少の興味は惹かれたが、今はそれ以上に重要な事があった。
 本質的に怠惰な彼女にしてみれば、面倒臭い限りであったが、さりとて見て見ぬ振りをする気にもならない。

「しかし、どうやって紛れこんだのやら?
 幾ら異能の持ち主とはいえ、この世界に来れる筈も無いものを……」

 そう、本来なら、あの世界の存在が、この世界に紛れ込むなど有り得ない。
 例え実体を伴っていないとはいえだ。
 精々、今にも途切れそうな糸を繋ぎ止め、コソコソと覗き見する程度しか出来ない筈なのに、何故かこの世界に紛れ込んできたイレギュラー(マオ)に、C.C.が困惑と興味の視線を注ぐと、当の本人は揺らぐ事無き真っ直ぐな視線で彼女を見上げ口を開く。

「……ソレ(・・)を私が願ったから……」
「ほぅ?」

 確信にすら近い響きを持つその呟きに、傲岸不遜な魔女が微かにその眼を見開いた。
 強い興味の視線を注がれながら、マオは臆する事無く語り続ける。

「ギアスとは願い――そうあの方が言っていた」
「――っ!」

 一瞬、アーカーシャの剣と対峙したルルーシュの姿が、C.C.の脳裏を過った。
 ただ一つの願いを武器に、神を降したその後ろ姿が、目の前の少女とダブる。

 透き通る様な声音が、黄昏の中、広がっていった。

「そして私は願った。強く強く」
「だから願い(ギアス)の源たる私の下へと導かれたと?」

 魔女の問い掛けに、少女はコクリと頷く。
 複雑な感情を宿した眼差しのまま、それを見下ろしながら、C.C.は小さく吐息を漏らした。

「……まあ、そういう事にしておこうか」

 それが事実であるかは、彼女にも分からない。
 だが否定する根拠もまた無い以上、そういう事でも良いかと、それ以上の詮索を止めた魔女は、小さな奇蹟を起こした勇者を見下ろしながら再び尋ねた。

「で、お前は何を願うのだ?」
「……力を」

 細く美しい眉が、微かな不快を帯びてピクリと動いた。
 それを知ってか知らずか、少女は思いの丈を言葉に変えて言い放つ。

「私は力が欲しい――『王の力』が」

 シンとした沈黙の帳が両者の間に落ちる。
 見下ろす視線と見上げる視線が絡み合い、暫し沈黙の時が延長された。

「……何故に『王の力』を求める?」

 問い質す声の響きが、重みが変わった。
 試す様な、責める様な声音が、わずかにマオを怯ませたが、その身が抱く願いが彼女の背を押し続ける。

「返したいから」

 そう返したい。
 ただそれだけ。
 たったそれだけが、彼女の望み、そして願い。

「私は多くのモノを受け取った。
 父上から、あの方から、唯依から、そして皆から……」

 本来なら彼の地で喪われていた筈の命。
 ただ虚しく喪われていく為だけに与えられた命は、あの場所で潰え、打ち捨てられるだけだった筈の運命を、(ジェレミア)に拾われる事で大きく変えられた。
 何も無かった筈の空っぽの両腕には、今では抱えきれないほど多くのモノが抱かれている。

 全ては、(ジェレミア)あの方(ルルーシュ)が、そして唯依達がくれたモノ。
 それほど多くのモノを受け取りながら……

「……でも、何も返せていない。私が無力だから……」
「連中は見返りなど求めていないと思うがな?」

 悔恨と羞恥に塗れた告白に、揶揄する様な切り返しが返される。
 マオは少しだけムッとした表情を浮かべると、魔女の嘲弄を無造作に斬って捨てた。

「求められているから返すんじゃない。私が返したいから返すだけ」

 ただ純粋に受け取ったモノを返したいだけと願う少女(マオ)魔女(C.C.)は苦笑し、苦笑はやがて柔らかな微笑みに変わった。

「『王の力』は、お前を孤独にする……
 ……ふふ、以前ならそう言っただろうがな」

 かつて絶対であった筈のその法則を打ち破った男の周りから、再び現れた力を求める者を前にして、込み上げてくる笑いの衝動を噛み殺しながら魔女はゆっくりと頷いた。

「良いだろう。
 これは契約だ。
 私はお前に力を授ける。
 だからその対価として、私の願いを一つ叶えて貰おうか?」

 この様な不可思議な状況でギアスを与えられるかは怪しいし、この少女に『王の力』を得られるだけの資質があるかも分からない。
 だがそれらを無視してでも、応じたい気分になったC.C.は、彼女に対価として一つの願いを告げた。
 マオの双眸が僅かに見開かれ、そして……

「……受ける。
 私は貴女から力を貰い、貴方の願いを叶える事を誓う」
「良かろう。契約成立だ」

 C.C.の美貌から笑みが消え、代わって珍しいほど真剣な表情が浮かんだ。

「私の与えるギアスは、お前の深層心理……本当の願いを映す。
 だからこそ願うが良い。 お前が必要としている事を強く強く、な」

 以前、ゼロ(スザク)にも告げた様に、彼女の与えるギアスは、相手の深層心理を映す。

 惨めな奴隷の少女が愛を求め、それ故に『誰からも愛されるギアス』を得た様に。
 大事な母親の本心を知りたくて堪らなかった少年が、『誰の心も知れるギアス』を手にした様に。

 だからこそ求める力を得る為に、深層心理すら塗り潰す程に強く願え――と。
 ギアスと願いが通じ合うモノだと言うのなら、その願いで己のギアスを確定してみせろと告げる魔女を前にし、少女は小さく頷くと静かに告げる。

「私は父上と同じ剣となる。
 あの方の征くべき道を切り開く最強の(騎士)の一振りに」

 それは誓い、そして願い。
 それこそが、最も多くのモノを大切な人達に返す道と確信した少女の誓約だった。

 マオの蒼い双眸が閉じられる。
 必死そのものといったその表情に、C.C.の美貌が微かに歪んだ。
 一瞬、脳裏に浮かんだ同じ名を持つ昔の養い子の事を、軽く首を振って追い出すと、彼女も静かに目を閉じながらマオへと顔を近づけていく。

 やがて、少女の桜色の唇に、永遠を歩む魔女のソレが、ゆっくりと重ねられていった。






 どうもねむり猫Mk3です。

 う〜ん今回も超難産。
 前回更新から、早四か月のご無沙汰です。
 いや大変お待たせしました。

 さて、断章『〜 西暦一九九五年二月 魔女 〜 』は、如何でしたでしょうか?
 何気に生還の新井さんでした。

 今回は魔女様メインのお話です。

 まあ、一度はぶつけておかないと、本編で絡ませられないですしね。

 一応、今回の一件により暗黙の相互不可侵が成立の両者。
 当面はそれぞれ勝手に動いていきます。

 まあいずれは、それも破れる時が来るんですけどね。
 ……嗚呼、早くそこまで書かねば!

 などと焦りつつも、あと幾つか小さいのを入れるつもりなので、本編『創嵐編』開始はもうちょっとお待ち下さい。
 果たして年内にいけるのか!!

 ……それは神のみぞ知る……のかなぁ?

 それでは、これにて





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