Muv-Luv Alternative 赤き竜の紋章


【黎明の章】


序ノ壱 〜山吹の姫君〜






「はぁぁぁあっ!」

 気合に満ちた雄叫びと共に振り下ろされた巨大な刀身が、掲げられた前腕衝角を叩き割り、その下に隠された要撃級の本体をも真っ二つに断ち割った。
 赤黒い飛沫を盛大に吹き上げながら倒れる化け物の姿を、鋭い眼差しで見据えていた女性衛士は、確実に絶命した事を確かめると、フゥッと軽く息を吐き張り詰めていた気を解す。

 まだ十代半ばに見える美しい少女だった。
 凛とした印象を与える硬質な美貌は、癖の無い美しい黒髪に彩られ、微かに荒くなった呼吸が柔らかそうな双丘を重たげに揺らす。

 雅な着物を纏い、静謐な和室で花を生けている姿が良く似合いそうな純和風美少女。
 だが今、その手にあるのは美しく儚い花ではなく無骨な刀であり、その身を包むのは可憐な絹の衣装ではなく絶妙なボディーラインを浮き彫りにする衛士強化装備だ。

 それがこの時代、この世界、この国の現実。
 現在進行形の末世を生きる美少女が、血生臭い戦場を見渡しながら吼える。

「雨宮、無事かっ?」
「こちらは何とか――って、うっとおしいっ!」

 群がり来る戦車級を右手に持った74式近接戦闘長刀と左手の甲から伸びる試九九式近接戦闘用短刀で器用に叩き潰しながら白い試作戦術機を駆る別の女性衛士――彼女とエレメントを組む雨宮少尉が応えを返す。
 形良く強化装備を膨らませていた豊かな胸が、一瞬、大きく盛り上がってから縮むと、黒々とした濡羽烏の髪がサラリと揺れた。
 相棒の元気な様を確認し、山吹の試作戦術機を操る女性衛士――ホワイトファングス実験小隊隊長を務める篁唯依少尉も、ホッと小さく安堵の吐息を漏らす。

 作戦開始時より三度目の出撃となる現在、既に小隊機四機中二機が脱落していた。
 部下のベイルアウトこそ間に合ったが、貴重極まりない新型量産試作機――後に、00式戦術歩行戦闘機『武御雷』の名を与えられる事となるソレは、無残に打ち砕かれ、食い荒らされて戦車級共の腹に収まっている。

 ギリリッと歯軋りの音がした。
 並びの良い真珠の様な歯が、血が滲むほど強く食い縛られている。

 もっと自分が上手く立ち回っていれば、あの時、ああしていたなら……

 そんな思いが、唯依の脳裏の一角でグルグルと回っていた。
 元々、責任感が強く、それ故に自省に陥り易い少女は、自身の指揮官としての未熟さを痛感し責める。
 そうやって思考の渦に飲み込まれかけた唯依の耳翼を鋭い叱咤が打った。

「隊長指示を!」
「――っ?
 ……す、すまん雨宮」

 唐突な雨宮の呼び掛けに、唯依もハッと我に帰った。
 心配そうに此方を伺う相方の姿に、また悪い癖が出掛かっていた事を理解した少女は、一瞬の油断が生死を分ける戦場で、未練がましい思いに囚われた自身の未熟を恥じながら詫びの言葉を口にする。

 雨宮の整った容貌に安堵の笑みが浮かんだ。
 ついで今度は、悪戯っぽい表情が取って代わる。

「貸し一つですよ。
 この戦が終わったら満月庵の餡蜜を奢って下さい。 食べ放題で」

 隊内のムードメーカーらしいおどけた口調に、強張っていた唯依の頬も微かに弛んだ。
 その凛々しい美貌を損なっていた眉間の皺も、ゆっくりと解れていく。

「ふっ……食べ過ぎて腹を壊すなよ」
「それはそれで本望というヤツですよ」
「全く、貴様という奴は……」

 軽口を叩き合う唯依と雨宮。
 適度に解れた緊張の中、互いに背中合わせとなって、相方の死角を庇い合いながら、眼に映る限りの戦場全体の趨勢を量る。

 日本帝国の悲願、本州島奪還を賭けたアジア最大規模の一大反攻作戦『明星作戦』は、開戦より既に一日を経ながらも、未だ確たる戦果は上げてはいなかった。
 いや地上部隊を陽動とし、ハイヴ内に突入を敢行した軌道降下兵団が、地表構造物(モニュメント)から事前予測されたフェイズ2規模を遥かに上回る深度と広がりを持つ地下茎構造(スタブ)の前に、その侵攻を挫かれた時点で、当初の作戦自体が既に瓦解していたとも言えるだろう。

 このまま地上戦力を投入し、乾坤一擲の勝負に出るか?
 それとも捲土重来を期して、ここは涙を呑んで退くべきか?

 何れの側にも理があり、同時に無理がある決断を決めかね司令部内でも喧々囂々の議論が交わされる中、国連軍の皮を被って参加していた米国から突きつけられた最終通告により指揮系統自体が混乱の極みに達していたが、戦場に立つ一衛士の身である彼女に、そこまでの事情が伝わってくる筈も無い。
 だがそれでも、周囲の状況や後方の混乱具合から、戦況が明るくない事を敏感に感じ取っていた唯依は、にじり寄る戦車級の群れに散弾を見舞って蹴散らしながら、その美貌をわずかに翳らせていた。

『CPからの指示も殆ど来ない。
 推進剤の残りや残弾もそろそろ心許無いな』

 予想以上に深く敵陣の奥まで切り込んだ所為か、対光線級として撒き散らされた重金属雲の微粒子が通信を阻害し、まともに繋がらなくなっていた。
 正直、残された武装も燃料も、かなり消耗しているのも拙い。

 ――ここは一旦、退くべきか?

 そんな弱気な思いが、一瞬だけ少女の脳裏を過ぎる。
 だが次の瞬間、網膜投影を通して至近に見えるソレが、その思考を打ち消した。
 水分が枯渇し、微かに渇いた唇が強く強く噛み締められる。

 天を切り裂くようにそそり立つ異形の建造物。
 この瑞穂の国を陵辱する忌まわしい異星起源種の象徴とも言えるハイヴの地表構造物(モニュメント)

 後少し、もう少しで、ソレに一矢報いられる位置まで来れた事が、来れてしまった事が、彼女の決断を鈍らせていた。
 理性は撤退すべきだと主張しているが、感情がどうしても納得してくれない。

 彼女の初陣――無惨な敗北に終わった過日の帝都防衛戦。

 亡き父と共に過ごした思い出が、千年の都と共に灰燼と帰していく様を背に、無念の涙を呑んで逃げる事しか出来なかったあの戦い。
 その雪辱を果たす機会が、いま目の前にあるという甘美な誘惑が、唯依から本来備わっていた冷静な判断力を奪っていたが、それでもまだ、雄叫びと共に一直線に突っ込んで行きたい衝動を押さえ込む程度の事は出来た。

 既に周りは、敵が七で味方が三。
 ここで二機連携(エレメント)を崩して勝手に動けば、操る機体が如何に帝国の技術の粋を凝らした最新鋭機とはいえ、恐らく両方とも生きては帰れなくなる。

 唯依の奥歯がギリリッと軋んだ。
 口中に鉄錆の味が、じわりと広がっていく。

 豊麗な胸の奥で滾る激情を吐き出すかの様に放たれた斬撃が、飛び掛ってきた戦車級十数体をまとめて血霧に変えて吹き飛ばした。

『無念!』

 声に成らぬ慟哭が、唯依の胸中で響いた。

 退きたくない。
 否、退けなかった。
 せめて一矢だけでも報うまでは。

 ……だが。

 チラリと動いた目線が、しつこく食いついてくる戦車級共を蹴散らす雨宮の横顔を見る。
 余裕を保って見せてはいるが、やはり隠し切れぬ疲労が滲んでいた。
 そしてそれは、恐らく自身にも当て嵌まるのだろうとも。

 もう一度動く視線。
 今度は、アメジストを思わせる美しい紫の双眸に、黒い黒い憎しみの焔が灯った。

 傲然と聳え立つハイヴの地表構造物(モニュメント)
 人の反攻など歯牙にも掛けぬと言わんばかりに、小揺るぎもせず存在するソレを睨みつけながら、彼女はそれでも決断を下す。

『父様、不甲斐ない唯依を……お許し下さい』

 今は亡き父に、自らの無力さを詫びる唯依。
 ここまで来ながら、何も成す事無く退くしかない我が身を恥じつつ、それでも撤退を告げようとした彼女の鼓膜を懐かしく頼もしい声が打つ。

「無事か、唯依ちゃんっ?」

 切羽詰った叫びと共に一機の戦術機が彼女等の至近へと飛び降りて来る。
 帝国が誇る第三世代戦術機『不知火』、いや、それと酷似しつつも微妙な差異のある機体――不知火・壱型丙だった。

 不知火の改修試作機として造られながら、ベースとなった不知火の突き詰め過ぎた設計が仇となり、余りにもピーキー過ぎる機体に仕上がってしまった為、調達中止確実という不名誉な判定と共に、技術廠の奥で埃を被っていた筈のソレに乗り現れたのは……

「お、叔父様っ?」
「巌谷中佐っ!」

 唯依の父の親友であり、父亡き後は親代わりとして、彼女を一人前の衛士へと育て上げてくれた大恩ある人物、巌谷榮二中佐その人であった。

 思わぬ場所に、思わぬ人物が、思わぬ機体に乗って現れた事に、唯依も雨宮も揃って眼を丸くする。
 対して巌谷はといえば、常とは異なる余裕の無い表情と声で一方的に捲くし立てた。

「話は後だ。 退くぞ!」
「「えっ?」」

 急転する状況が飲み込めず、思わず軍人らしからぬ声を上げる少女達。
 そんな彼女達に対し、巌谷は最低限の情報のみを伝える。

「米軍の連中が、とんでもない事を決めやがった!
 今はとにかく退け。 ここに居ては巻き込まれるぞっ!」

 とても懇切丁寧に説明している余裕など無かった。
 事態の切迫振りが、それを許さない。
 米軍は一方的な最終通告だけを押し付けると、帝国からの抗議や翻意を求める要請を完全にシャットアウトしているのだ。
 今この瞬間にも、連中の物騒な『切り札』が頭上から降ってきたとしても、何の不思議もない。

 そんな巌谷の心情が伝わったのだろう。
 何より実験小隊すら借り出し、帝国内の動ける機体がほぼ払底した状態でも尚、埃を被っていた曰く付きの機体でここまでやって来た巌谷の行動の意味を理解できない程、彼女等は愚鈍ではなかった。

「雨宮!」
「了解です。
 篁小隊長殿」

 一瞬だけ顔を見合わせた唯依達は、短いやり取りだけで素早く意思疎通を図った。
 同時に周囲の生き残り達へもオープンチャンネルで退避を呼び掛けていた巌谷は、少女達を振り返るや、ごく短い一言だけを発す。

「行くぞ、着いて来い!」
「「了解!」」

 巌谷の警告を受けた他の戦術機達が、次々と最後の力を振り絞って跳躍し始める中、二機の試作武御雷と不知火・壱型丙もまた、残された推進剤の量を無視して一気に跳躍・加速へと移る。
 瞬く間に時速数百キロまで加速した複数の機影が、見る見る内に豆粒の様に小さくなり、やがて林立する瓦礫の向こう側へと姿を消していった。

 ……そして、それより凡そ三十分後。

 西暦一九九九年八月六日、午前八時十五分。
 日本帝国・横浜市上空にて、軌道上の駆逐艦より投下された二発のG弾が連続起爆。

 地上にある全てを、文字通り全ての存在を、暴走するラザフォード場――完全無秩序な重力偏差の嵐の中へと飲み込んでいったのである。





■□■□■□■□■□





 ――暗黒の光。

 そうとしか形容し様の無い漆黒のドームが急速に膨れ上がり、全てを呑み込んで行く様を、辛うじて安全圏まで離脱していた衛士達は、ただ呆然と見つめる事しか出来なかった。
 誰も彼もが、つい先ほどまで自身の命を賭けて死闘を繰り広げていた戦場が、巨大で無慈悲な黒に塗り潰されていく有様に、途方も無い脱力感と無力感、そしてそれ等を上回るナニかを抱え込んで呻き声を上げる。

「こ、これは……」
「……米軍が、好き勝手やりやがって」

 茫然自失した雨宮の声に、ある程度事情を知っていた巌谷の怒りに満ちた呟きが重なる。
 その傍らで、全てを嘲笑うかのように巨大化していく黒い光を睨みつける唯依。
 怒りに青褪めた美貌の中、そこだけは紅い噛み締められ唇より、底知れぬ怨嗟と憤怒が言葉となって零れ落ちる。

「おのれ……おのれぇ!」

 向けられた怒りの矛先は、元凶たる忌まわしき異星起源種か?
 それとも土壇場で同盟を破り捨てた挙句、この惨劇を産み出した張本人たる彼の国か?

 言葉を発した唯依自身にすら定かではない、だが間違いなくその心身を焼く怒りの焔を燃やしながら、少女は悪夢の様な光景をその目に焼き付ける。

 この日、この時の出来事は、少女の心に深い爪跡となって残り、彼の国への強い不信感と拭い難い敵愾心として根差す筈だった(・・・・)
 そしてソレ等は、数年後、極北の地で出会う青年との軋轢の元となり、彼女等はいがみ合い、ぶつかり合い、時にすれ違い、時に歩み寄り、そして心を近づけていく筈でもあった(・・・・・・)

 そう、全てはそうなる筈だった(・・・・)

『あいとゆうきのおとぎばなし』――女神になってしまった少女と救世主にならねばならなかった少年の物語。

 それを彩るエピソードの一つとして、彼らの物語も又、紡がれる筈だった(・・・・・・・・)

 ………だが

「「「なっ!?」」」

 無限分の一の可能性。
 限りなくゼロに近く、そして決してゼロには成り得ないソレが、運命の軌跡をわずかにズラし、在り得ざる存在を招く。

 奇蹟の目撃者となった少女らの眼前で、暗黒を切り裂く光が走った。

 ――煌く虹。

 そうとしか形容し様の無い輝きが、漆黒のドームを引き裂き、消し飛ばす。
 本来、虚無となった作用空間に雪崩れ込む筈の大気が、逆に出現した膨大な質量に追われ、不可視の津波となって全てを弾き飛ばした。

「クッ!?」
「姿勢を低くしろ!
 吹き飛ばされるぞ」

 吹き荒れる暴風の中、雨宮の悲鳴と巌谷の叫びが響く。
 その声に導かれるより一瞬早く、戦士としての本能からか、機体を伏せていた唯依だけが、呆然としつつも全てを見届けていた。

 今度こそ血の気を無くした可憐な唇から、ひび割れた呻きが漏れる。

「なんだ……アレは?」

 荒れ狂う嵐の中、その中心に座す白亜の巨体。
 複数の曲線にて構成された『ソレ』は、余りにも巨大だった。
 『ソレ』と比すれば、帝国の誇る超弩級戦艦『紀伊』ですら、玩具にしか見えぬであろうスケールの『ソレ』が、悠然と虚空に浮かんでいる様に気付いた者達は、呆然としたまま、ただただ見つめることしか出来ない。

 震える誰かの唇が、ボソリと小さな呟きを漏らした。

「……新手のBETA?」

 無音の雷鳴が、その場を走り抜けた。
 恐怖と絶望の眼差しで、互いに互いを見つめる。

 米軍の切り札。
 あの惨劇を造り出した超兵器すら歯牙にも掛けぬ存在が……敵?

 全てが底知れぬ恐怖と畏怖に凍りつく。
 誰も彼もが、雨宮どころか歴戦の古強者である巌谷さえもが、愕然として固まる中、ただ一人、たった一つだけ動く影があった。

「な、隊長っ?」
「待て唯依ちゃんっ!」

 狼狽と恐怖の叫びが、二者の喉から迸る。
 だが立て続けの驚愕に、誰もが動けなかった。

 ただ一機。
 残された僅かな推進剤を燃やし尽くし、空を翔る山吹の機影から、唯依の雄叫びが響き渡る。

「はぁあぁぁっ!」

 左腕に握られた突撃砲が、残弾全てを吐き出す勢いで吼える。
 右腕に携えた74式近接戦闘長刀――彼女の父が鍛え上げた得物が、高々と振り被られた。
 その名の如く、雷光と化した山吹の戦術機が、ただ一筋の矢となって白亜の巨体へと吶喊する。

 だが……

「唯依ちゃんっっ!!」

 絶望と悔恨が混じり合った巌谷の絶叫が轟く中、空が白く染まった。

 白亜の巨体そのものが白く輝く。
 否、そう錯覚する程に膨大な数の閃光が縦横無尽に走り抜け、彼の愛娘が乗る機体を無慈悲に呑み込んでいった。






 後書き

 のっけからヒロインが!

 ………
 ……
 …

 などと煽りつつ、次へとどうぞ





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