Muv-Luv Alternative 赤き竜の紋章


【黎明の章】


序ノ弐 〜赤き竜の愛し子〜






 絶対零度の真空と暗黒が統べる世界。
 瞬く事無き星々が、わずかな光をもたらす場。

 広大無辺にして、限りなく生物には無慈悲なその空間――宇宙を、無数の巨影が押し渡って行く。

 万を超えるであろうソレらは、かつて地球という名の一惑星、その地上を這う事しか出来なかった脆弱にして無力な生物――人間が産み出した物だ。

 数え切れぬ程の失敗と挫折。
 気の遠くなるような時間と無数の犠牲と流血。

 それはまるで、砂浜の砂を積み上げ、天へと到らんと望むが如き愚行と狂気に他ならない。

 ――だが人は、それら全てを飲み込み、そして然るべき対価を払ったその果てに、今こうして宇宙(そら)を渡り行く。
 今までも、そしてこれからも――

 そんな矮小にして偉大な人類の一人。
 まだ二十代前半と思しき青年、アルトリウス・ペンドラゴンは、周囲を圧倒的な黒と微かな星明りの白に囲まれながら、自ら座乗する白亜の巨艦『プリトウェン』の艦橋で、ひどく面白くなさそうに呟いた。

「……しかし不愉快な戦だったな。
 いや、アレを戦と呼ぶ事自体が、おこがましいか?」

 玲瓏たる美貌の主が、言葉通り不愉快そうに顔を顰めた。
 軍人としてはやや細身ながら、研ぎ澄まされた一振りの名剣を想起させる青年は、なんとも消化不良な様子で、指揮官席のシートに深々とその身を預ける。
 母親譲りの濡羽烏の髪が、一房、目に掛かるのを払った青年は、盛大な溜息を一つ吐いた。

 ――時に、帝国暦六七〇年四月七日――

 帝国軍第三正規艦隊司令の要職にある青年提督は、その指揮下にある二万余隻の艦隊と共に、いま現在ささやかな征旅からの帰途にあり、その艦内で当初から抱いていた不満を誰憚る事無く吐露する。

「まったくエネルギーと人件費の無駄遣いというものだ!」

 いかに現地の警備隊や駐留軍まで抱き込んで、数千隻のオーダーまで戦力を太らせていたとはいえ、たかが地方貴族の叛乱如きに、正規艦隊を注ぎ込だ事をチクリと皮肉った。

 装備も錬度もまるで違う。
 そもそも、雑多な部隊・組織の寄せ集めに過ぎなかった叛乱軍は、連携すらマトモに取れない体たらく。
 帝国正規艦隊二十個中最精鋭を謳われる彼の艦隊から見れば、ただ数が多いだけの的でしかなかった。

 ……とはいえである。

 この叛乱の理由が、今少しマシであったなら、彼もここまで苛立ちはしなかった筈だ

 世の乱れを憂いての挙兵でも良い。
 或いは、身中に納め切れなくなった野心故でも構わなかった。
 もしそうであったなら、この気分の悪さは無かったものをと胸中で愚痴る。

 現実は、至極ありふれた話。
 単に宮中での権力闘争に敗れ、追い詰められた末の暴発。
 自身のみならず、一族郎党に加えて、その周囲まで巻き込んでの派手な自爆に過ぎなかった。

 どうせ最初から勝ち目など無いのだから、とっとと首を括るなり毒を呷るなりしておけば、死なずに済んだ人間が、それ相応に居た筈なのである。
 正直、あの様な輩を相手に出張らせられるなど、自身の鼎の軽重を問われた様で甚だ面白くなかった。

 そうやって全身から不満と不機嫌のオーラを撒き散らしながら、無意識に母親譲りの黒髪を指先で弄り、苛立ちを示す青年。
 そんな彼を宥める声が、ゆっくりと響いた。

『エネルギーの方はともかく、人件費はさして掛かっておりませんぞ。
 何せ、我が艦隊を構成する要員の98%以上は、高度AIによる擬体達ですからな』

 青年の座す司令官席の傍ら、今まで誰も居なかった筈のその場所に、不意に人影が産まれる。
 ローブを纏った老魔術師の姿を象るソレは、この巨艦の中枢に鎮座するコンピュータに宿り、艦隊そのものを統御する超高度AI『マーリン』の対人インターフェースだ。
 見事な白髭を揺らしながら、苦笑混じりに事実を告げる『マーリン』に、これまた母譲りである青年の端整な容貌が渋みを帯びて歪む。

 他の艦は、ほぼ一人。
 艦隊旗艦であるこの『プリトウェン』ですら自身を含めて三名。

 これが銀河を統べる帝国、その最精鋭の実態なのである。

 徹底した省力化と言えば聞こえは良いが、実際は、戦場に立つのを厭う気風が国、否、人類社会全体に蔓延した結果だった。
 ここ何世紀かの間、人類にとっての戦争とは、高度AIを有する電子知性体同士を主力とした軍隊のぶつかり合いでしかなく、戦死者など文字通り数える程しか出ないのが常である。
 そんな世相の中、僅か一六歳で任官し、二十一歳にして正規艦隊司令官にまで登り詰めた彼は、まさに異例中の異例だ。

 そして、更には付け加えるなら……

『まあ、あまり帝都におわす御方の神経を逆撫でするような発言は慎まれませ――アルトリウス皇子殿下』

 青年の双眸、これだけは大嫌いな父帝より受け継いだ琥珀の瞳に、暗い陰りが落ちた。
 ついっとばかりに上げられた視線が、背後に掲げられた帝国正規軍を示す軍旗『赤き竜』へと注がれる。

「ふぅ……」

 溜息が一つ零れた。

 六七〇年前、この旌旗を掲げて混迷する銀河を救った太祖大帝の血が、自身の内に流れている事を誇りに思うと共に、その血が帝都の玉座にしがみ付いているだけの老害を経由してのものである事を厭う。

 その出自、血統に、どうしようもない屈託を抱え込んだ青年は、自身の内で荒れ狂う想いを宥めるように、シートの脇に架けられた佩剣を手にして抜き放った。
 氷の如く冷たく鋭い刀身が、ブリッジ内の灯火を受けて澄んだ光を放つ。

 彼が、太祖の恩寵篤き者(ハイランダー)である事を示す佩剣の輝きを、暫し見つめていた青年は、ようやく落ち着いたのか、刀身を再び鞘へと納め、元の位置へと戻した。
 そのままシートへと背を預けると、瞑目したまま呟く。

「分かっているさ『マーリン』。
 今はまだ、時が満ちてはいない」

 そう、まだ早い。
 まだ早いのだ。

 今の自分に、まだ力が足りない事は、彼自身も良く分かっていた。

 今度の下らぬ討伐も、戦功は戦功だ。
 皇子という身分――それも皇位継承順位第七位という上位皇族(ハイナンバー)の身である事を考慮すれば、恐らく自身の階級も中将から大将へと進む筈。
 そうなれば、今よりも多くの戦力を指揮下に収める事も可能となるだろう。

「……我慢、我慢……か?」
『そうですな。
 もっともそれも長くはありますまい。
 あと一つ、適当な叛乱でもあれば……』

 自身の苛立ちを鎮める様に、アルトリウスは小さく呟く。
 そんな彼に対し、彼の祖父の思考を模して構築された『マーリン』は、逸る気持ちを抑えるように説き続けた。
 いま少しの辛抱であると。

 もう一度の叛乱と鎮定。
 それが為されれば、その身は軍の最上位、帝国元帥へと到る筈。
 現在の軍上層部の陣容からすれば、最低でも宇宙艦隊副司令長官。
 上手く立ち回れば、宇宙艦隊司令長官として、正規艦隊二十個を指揮下に置く事も叶うだろう。

 そうなれば、彼は望みを叶える力を得る事となるのだ。

「あと一回か……」
『あと一回ですな』

 そう遠い話ではない。
 今上帝の治世は乱れに乱れ、叛乱の起きなかった年など、ここ二十年間無いのだから。
 正規艦隊が出る程の大規模な物は、流石に数年に一回程度だが、逆に言うなら数年待てば済む話でもあったのだ。
 そう考えれば数年の猶予が与えられているという事でもあり、更に力を蓄えるには丁度良い頃合でもある。

 そうやって自身の内で折り合いを付けた青年は、気分を変えるべく、この場には居ない腹心の事を問い掛けた。

「そう言えば、ケイはどうした?」
『トウゴウ参謀長殿なら書類に埋もれておりますぞ。
 呼び出しましょうかな?』

 先ほどとは別の意味合いでの苦味が、アルトリウスの面に浮かんだ。
 押し付けられた書類の山に囲まれて、無言のまま判を押し続けている年嵩の幼馴染の顔が、額に浮かんだ皺の数まで詳細にイメージできたのである。
 青年のコメカミを、一筋の温い汗が伝っていった。

「……いや良い。
 もう間も無く次の空間跳躍(ワープ)に入るのだろう?」

 そう言いつつ、さり気なく首を振り、不景気な幻影を振り払った青年に、老魔術師を象った超高度AIが律儀なフォローを入れる。

『現時刻から二千三百七十六秒後、次の空間跳躍(ワープ)に入ります』
「分かった。
 それまでは、精々、皇帝陛下に上奏する美辞麗句な文句でも考えておくさ」
『ではワープイン三百秒前に、改めてお知らせしましょう。
 それまでは、ごゆるりとお過ごし下され』

 そう言い残すと、老魔術師の幻影は消えた。
 裂いていたリソースの一部を、艦隊の統御へと戻したのだろう。

 恒星間航行に必須である空間跳躍(ワープ)航法は、跳躍の際、艦の周囲に空間の歪みが発生するのだが、この際、艦同士の歪曲空間が間違って接触したりすると深刻極まりない結果を招くのだ。
 まだ人類が空間跳躍(ワープ)航法を手にして間もない頃、その危険性が充分に認識されていなかった時代に、多くの艦船が空間跳躍(ワープ)直前の接触事故で失われていった悲惨な記録が多数残されている。

 空間の歪みに艦体を引き裂かれ、宇宙の藻屑と化すならまだマシな方。
 運が良ければ遺品程度は回収出来るのだから。
 最悪とされるのは、そのまま暴走した歪曲空間に呑まれ、何処とも知れぬ世界の狭間に落ちる事であった。
 この場合、遺品の回収どころの騒ぎではない。
 完全にこの世界から消滅するという事であり、宇宙船乗りにしてみれば絶対に避けたい事態でもあった。

 その為、本来なら今頃『マーリン』は、艦隊全体の座標調整に大忙しだった筈である。
 その事に思いを致した青年の口元が僅かに綻んだ。
 妙に世話焼きなAIに、今は亡き祖父の事を思い出す。
 自身の肩に入っていた力が、わずかに弛んだ気がした。

「……あと一回……か」

 無意識の内に胸元をまさぐる手。
 その指先に、堅い物が触る。
 軍服の胸元に差し込まれ、抜き出された手の平には、鈍い輝きを放つ小さなペンダントが握られていた。
 一瞬の躊躇の後、開かれた蓋の内側から一筋の光が立ち上ると、たおやかな女性の似姿へと変わる。

 もの悲しげな色を湛えた紫の双眸が印象的な美女。
 どこか青年に通ずる美貌を持つ黒髪の佳人にむけて、アルトリウスは小さな呟きを漏らす。

「もう少し……もう少しです……母上。
 必ずや、貴女のご無念を晴らしてみせます」

 哀切と思慕が複雑に入り混じった誓約が、無人の艦橋へと静かに広がり、そして溶けていった。





――帝国暦六七〇年四月十九日――

 地方叛乱の鎮定に赴いていた帝国正規軍・第三艦隊は帝都へと凱旋した。

 ……だが、その帰還を出迎えるべき盛大な式典は全てキャンセルされ、艦隊を構成していた全ての乗員は、泊地への帰投直後に軍当局に拘束され厳しい事情聴取を受ける破目になる。

 勝って当然の討伐とはいえ勝者は勝者。
 それを罪人の如く扱う軍当局に対し、本来上がるべき不満の声を囀る者は居なかった。
 皆、唯々諾々として軍の取調べに応じ、求められるままに知る限りの事情を口にする
 その事に疑義を挟む者など、調べる側・調べられる側の何れにも居なかった。

 そして、それは当然の事。
 それ程までに彼らが巻き込まれた事態は重大かつ深刻だったのだから。

 帰還途上の空間跳躍(ワープ)の際に発生した複数艦船による接触事故。
 その事故――否、より正確に言うなら暗殺事件によって喪われたのは、一隻の戦艦と二隻の巡洋艦、そして彼ら第三艦隊の面々を統べる艦隊司令その人だったからである。





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「……ふむ、つまり我が最愛の息子にして、有能な第三艦隊司令官は、悪逆なる謀反人共の手により世界の狭間に落ちたという事だな?」

 取り急ぎ情報を集め終えた宰相より、自身の息子である第四十七皇子アルトリウス暗殺事件の顛末を聞き終えた今上帝ユーサー・ペンドラゴン\世は、傍らに置いたワイングラスを飲み干すと、片頬を歪めながら問い質した。
 悲哀も憤怒も感じられぬ皇帝の下問を受け、跪いたままの姿勢で帝国宰相の職にある壮年の男が答える。

「御意にございます。 陛下」

 感情を完璧に消した声。
 それを押し潰す様に、含み笑いが陰々と響き渡る。
 能面の如く表情を固めた宰相や侍従らを他所に、しばし肩を震わせていた皇帝は、隠し切れぬ歓喜と共に滔々と喋り出した。

「ふふふ……いや、悲しいかな、悲しいかな。
 余はアレの成長を楽しみにしておったのにのう」

 言葉と声が乖離する。
 跪いたままの宰相の口元が微かに引き攣ると、それを見越したように弄う声が彼の背を打った。

「そちらもそうであろう?
 アヤツなら、余の後を襲う立派な皇帝となるだろうとな」

 そう言いながら宰相を、侍従らを睥睨する。
 全て知っているのだぞと言わんばかりの態度に、睨まれた者達の胸郭内で心臓が激しくタップを刻んだ。

「その様な事は、毛頭ございません」

 嘘である。
 次代の皇帝としてアルトリウスをこそと、秘かに支援していたのは他ならぬ宰相自身。
 今回の討伐も、その位階を少しでも早く進める為、彼が便宜を図ったが故である。

 だが、その夢は無惨にも崩れた。
 即位より既に七十年を経て、その治世後半を暗赤色で染め上げ続ける眼前の皇帝の手によって……

 無論、証拠は無い。
 だが同時に、ここまでの会話で確信もした。
 あの英明な皇子を暗殺させたのが、他ならぬ皇帝自身であると。

 絶望に目の前が暗くなる思いを噛み締めながら、必死に表情を取り繕う事しか今の宰相には出来なかった。

 そして、そんな彼の心情を知り尽くしているのだろう。
 片頬を歪ませ、陰惨な悦びの色を浮かべたユーサー\世は、猫が鼠をいたぶる様な口調で宰相を、そして自身の手で謀殺した実の息子をあげつらって見せた。

「ほぉう……そうか。
 まあ、子供の頃から可愛げの無いヤツではあったからの。
 そちが気に入らなかったのも無理はあるまい。
 そう考えれば、今回の凶事もアヤツ自身の身から出た錆やもしれぬな」

 齢百二十二歳でありながら、発達した老化抑制技術により未だ壮年の若さを保つ今上帝は、愉快気にそう言い捨てると、ふと何かを思い出した顔になり、次いでニンマリと笑みを浮かべた。

「アヤツの母も、最期まで余に心を開こうとはせなんだ」

 今は亡き后妃の一人であるアルトリウスの実母の事を口にする。
 皇帝の面に、人類唯一の統一星間国家を統べる『王』には到底相応しくない淫蕩と愉悦の入り混じった毒々しい色が滲んだ。

「……まあ、それはそれで一興であった。
 余に屈すまいとする身の程知らずを、何度も手ずから正してやり、最後は余の子を孕ませ、産ませてやったのだからな」

 今や臣民全てに『狂い竜』と恐れられる暴君は、当時を思い出しながら、心の底から愉快げに嗤った。

 美酒美食に耽り、欲するままに美姫を犯す。
 今も昔も変わらず享楽と淫蕩に耽る男にとって、小娘如きのささやかな抵抗など、快楽に添えるスパイスでしかなかった。

「アレを亡くしたのは、実に惜しかった。
 生きておれば、まだまだ愉しめたものをな」

 嗜虐に満ちた声音に、死者を悼む色は無い。
 ただ、お気に入りの玩具を失った事に、不満の意を表すのみだ。
 跪き床に敷かれた真紅の絨毯を見る宰相の眼が、あまりの非道さに負けず劣らず赤く染まっていたが、それをすら弄う様に嘲りを含んだ声が響く。

「まあ、死んでしまった者は、仕方あるまいよ。
 問題は、生きている者を、どうするかだな」

 思いも寄らぬ皇帝の言葉に、宰相はわずかに首を捻った。
 胸中に湧いた疑問が、言葉となって溢れ出る。

「生きている者……でございますか?
 恐れながらアルトリウス殿下を弑逆し奉った謀反人共は、共に世界の狭間に落ちる前に乗艦ごと宇宙の塵と成り果てたとの事ですが……」

 そう聞いている。
 その筈なのだ。

 ワープイン直前の旗艦『プリトウェン』に乗艦ごと突っ込み、歪曲空間を暴走させた挙句、彼にとっての希望を世界の狭間へと追い落とした犯人は、艦もろともに空間の歪みに引き裂かれて爆散したと。

 そう、罪を負うべき者は、既にこの世に居ないのだ。
 ……居ない筈だったのだが。

「その者らにも、家族・親族の類は居ろう?
 我が最愛の息子を弑いた報いを、受けさせねば示しが着くまい」

 宰相の肩がピクリと震えた。
 帝政国家である帝国だが、大逆罪はあっても、連座制は無い。
 太祖大帝自身が制定した憲法が、それを保障しているからだ。

 ――親の罪は、子に及ばずと。

 思わず上げられた目線が見下ろす視線と絡む。
 ゾッとするような冷酷さと残虐性を秘めた光に、反論しようとした宰相の舌が凍りついた。

「族滅せよ。
 それが竜の王(ペンドラゴン)に牙を剥いた愚か者の末路よ」
「……御意、全ては陛下の御心のままに」

 下された絶対の勅命――血族皆殺し――に、呼吸二つだけ遅れて肯定の言葉が返された。
 屈服の証を確認したユーサー\世は、満足そうに一つ嗤うと、もはや興味を失った様に玉座から立ち上がる。

「さて、今宵はもう下がるが良い。
 余も息子を亡くした傷心を、后妃らに癒してもらうのでな」
「御意」

 去って行く皇帝の足音を、宰相を筆頭に一同が頭を垂れて送る。
 やがて静寂に包まれた謁見の間より疲れた足取りで退出した宰相は、奥の宮から宰相府のある表の宮殿へと歩き出した。

 壮麗かつ豪壮な庭園を渡る回廊を、ただ無言のまま歩んでいた宰相は、道半ばまで来た処で不意に面を上げる。

 降る様な星空の中、文字通り一筋の流れ星がスゥッと墜ちていった。

「……星が墜ちたか……」

 深い溜息が漏れる。
 星は墜ち、希望は潰えた。

 老化抑制技術の進歩により、一般市民の平均寿命すら二百歳に届こうかと言うこの時代。
 あと数十年に渡り、あの暴君の治世は続くのだろう。
 いや、恐らくはその前に……

 脳裏に浮かぶ暗澹たる未来に思いを致した宰相は、疲れ切った風情で力なく首を振った。
 最早、夢も希望も無い。
 胸中に満ちる絶望感が言葉と成って零れ落ちた。

「帝国は……銀河は、終わった……」

 血を吐く様な呻き声が、広大な庭園の片隅で微かに響いた。

 『赤き竜』と謳われた太祖大帝ユーサー・ペンドラゴンT世の建国より七百弱年。
 自身は、ただ『帝国』とのみ称し、民草には『赤き竜の帝国』と慕われた偉大な星間国家が、音を立てて崩れていく様を幻視し、帝国の国政に携わってきた男は声を殺して暫し慟哭する。

 やがてその余韻も消え去り、最後に小さく溜息を着いた宰相は、再びゆっくりと歩き出す。
 もはや振り返る事も無く、振り返るべきモノも無くした男は、そのまま薄闇の向こう側へと消えて行った。





 ―――この日、この時、この場所で、彼の呟きを聞いたのは、ただ庭園を彩る草木と花々のみ。
 だがもし……もしも誰かが聞いていたなら、そしてその者が、更に十年の時を生き残る事が出来たなら、宰相の呟きが忌まわしい予言であったのだと気付いただろう。

 この日より、およそ七年後、最後の上位皇族(ハイナンバー)が、謀反の咎により死を賜った。
 そして連座する形で、数年前に引退した宰相もまた処刑場の露と消える。

 これを以って国家百年の大計が成ったと称し、その日も酒池肉林の限りを尽くした皇帝は、一晩で后妃六人と褥を共にし、更に七人目に圧し掛かったところで頓死した。
 七人目の后妃による暗殺とも、荒淫による腹上死とも言われるが、その死因が明らかに成る事は遂に無かったのである。

 これは皇帝の名誉を慮ったという訳ではなく、帝国自体にその余裕が無くなったが故だ。

 高位の継承権を持つ実力者が全て消え、最後に元凶たる皇帝自身が消えた。
 後に残されたのは、才能も実力もドングリの背比べな低位の皇族達ばかり。
 元々、弛み切っていた帝国の箍は、この瞬間、完全に弾け飛び、そのまま十年に及ぶ大分裂戦争を経て十七の国家に別れた後も、飽く事無く争い続け、銀河は戦国の世へと突入していく事になるのだった。





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 軌道都市を改装した巨大な機動要塞『キャメロット』の司令官室からは、壮年期に到った恒星の強い輝きが見えた。
 有害な放射線等をフィルタリングされ、わずかに黄ばんで見えるその星を見つめながら、壮年の男――アルトリウスの家令にして所領の執政官をも勤めるエクトル・トウゴウは、少し疲れた溜息をつく。

 急転直下の出来事に、叶う限りの兵力や物資・財貨を掻き集めて、ほうほうの態で根拠地より逃げ出してより早二月。
 帝国辺境にあったアルトリウスの所領を脱し、未踏破宙域を越えてこの地に到るまでには相応の苦労もあった。
 だが、最悪を想定しての脱出プラン自体は事前に練られていた為、あくまでも相応以下に収まるものでしかない。

 アルトリウスの腹心として、皇帝への謀反という大逆の片棒を担ぐ程の豪胆な人物を此処まで疲弊させている理由といえば……

「殿下……」

 幼き日より、我が子同然に慈しみ、鍛え上げてきた自慢の主君の安否に他ならない。

 逃亡しつつも、帝国内に張り巡らせた眼と耳を総動員して調べ上げた限りでは、帝国政府は早々に事件の調査を打ち切り、一部士官達の私怨による暗殺として舞台の幕引きを図る方向で動き出した事までは掴めた。
 無論、それが真実とは程遠い欺瞞である事など、それなりの耳目の持ち主なら既に承知しているだろう。
 それら全てを承知の上で、強権を以ってしてまでも、事態の収拾を図ろうとする帝国の動きから、自身が確信していた通り、この凶行の黒幕が皇帝自身である事を示していた。
 知らず知らずの内に、エクトルの眉が険しくなる。
 先手を打たれ、まんまと出し抜かれた自身の無能さに強い自己嫌悪を抱きながら、苦々しさを隠し切れない表情を浮かべた彼の面前に、一枚のウィンドウが開かれた。

『トウゴウ執政官、予定宙域への移動が完了しました。 次のご指示を』

 キャメロットの管理を委ねている超高度AI『ヴィヴィアン』――より正確に言うなら、その対人インターフェースである妙齢の美女が、帝国正規軍の軍服姿で映っていた。
 自身が思ったよりも物思いに耽っていた事に気付いたエクトルは、一つ頭を振って思考を切り替える。

 まずは、仮初であれ足場を固める事。
 そうしなければ、何も出来はしない。

「……当面はこの星域にて潜伏する。
 恒星周辺にクライン・システムを設置しエネルギーの確保を。
 周辺宙域への哨戒網の設置も並行して行うように」

 既に帝国が、領土拡大を止めて久しい。
 辺境外縁より、更に二千光年以上も踏み込んだこの星系まで、その手が延びる恐れは無いだろうが用心するに越した事は無かった。

 今はとにかく慎重に。
 石橋を叩いて渡る以上に、臆病なまでの慎重さこそが求められる局面と、自身に言い聞かせるエクトルに『ヴィヴィアン』が重ねて判断を仰ぐ。

『了解しました。
 資源の採掘は如何しますか?』
「現状の備蓄で、どの程度保つ?」
『持ち出せるだけ持ち出しましたので、避難民を考慮しても向こう五、六年は問題ないかと』

 ここで少しだけ男は首を捻る。
 本来の手勢のみなら、五年どころかその十倍は余裕で持つだけの物資があった筈だが、今上帝の暴虐を知るアルトリウスの所領の民の一部が避難民として同行していたのだ。
 彼らを食わせ、職を与える事も考えねばならぬ身としては、軽い頭痛を覚える程だが、今後の事を考えれば、それ等を疎かにする訳にも行かない。

 また、事前に練られていた脱出プランにより、秘かに探査がされていたこの星域は、可住惑星こそ無いものの鉱物資源は豊富で、無尽蔵とも言える埋蔵量を誇っている事は分かっていた。
 それらの条件、命題を脳裏で検討したエクトルは、速やかに決断を下す。

「ならば哨戒網設置とエネルギー源確保後、順次、手の空いた者達を割り振る様に」
『了解しました。
 全てご指示通りに』

 優先順位を付けて出された指示に、『ヴィヴィアン』は敬礼を返して了承の意を示す。
 『彼女』にしてみれば、全体の方針さえ示して貰えれば、後は造作も無い事なのだ。
 アルトリウスの旗艦を統べる『マーリン』に匹敵、或いは凌駕するその能力を使い、速やかに対処を開始する。

 そんな『彼女』に対し、こんどはエクトルの方から問いを投げた。

「避難民の様子はどうか?」
『今のところ割り当てられた居住区に落ち着いた模様です。
 水・食料・エネルギー等の供給も充分なので、特に騒動の起きる気配はありません』

 とりあえずの衣食住には不満を抱かせない。
 事前に出されていた指示を、忠実に実行した結果だった。
 先の事はともかく、今は特に憂慮すべき状態に無い事を確認したエクトルは、この件については『ヴィヴィアン』に丸投げする。

「分かった。
 何か変わった兆候が見えたら速やかに報告してくれ」
『了解しました』

 再び、敬礼を返す美女の映像に対し、男はどこか躊躇いがちに問いを重ねる。

「……ああ……その……殿下の件だが……」

 この男には珍しい歯切れの悪い口調。
 どこか青褪めた感のあるエクトルに対し、わずかに心配の相を浮かべた『ヴィヴィアン』であったが、まずは問われた事に答えを返す。

『暗殺現場となった宙域に潜航させていた特殊偵察艦からの報告では、帝国軍は調査を打ち切り帰還したとの事。
 特に監視等の処置も為されていない事も併せて確認されています』

 男の顔が険しさを増した。
 引き締められた口の中より、ギリリッと歯軋りが聞こえる。

 帝国の無情な態度に、怒りを堪えるエクトル。
 そんな彼に対し、憂いの色を浮かべつつ、『彼女』は更に報告を続ける。

『帝国の眼が無くなった事で、こちらの調査が開始されました。
 近日中には、詳細な調査結果が判明するものと思われます』
「それだけが救いだな……
 しかし、間違いないのか?」

 『彼女』の報告に、微かな希望を抱いて相槌を打ちながら、どこか不安げな様子でエクトルは問い質す。
 そんな男に対し、電子の美女はゆっくりと首肯すると肯定の言葉を返した。

『間違いありません。
 殿下暗殺の際に生じた時空間の歪みは、未だ回復していません。
 帝国も、その件を懸念し、今回の航路を無期限閉鎖する事を決定しています』

 ――それだけが希望だった。

 世界の狭間に落ちるとも、異次元を永久に漂流するとも、或いは並行世界に転移するなどというトンデモ学説を唱える学者すら居るが、実際に空間跳躍(ワープ)事故の際、時空間の歪に飲まれた船がどうなるかを確認した者は未だ居ない。

 これは逆に言えば、歪みに飲まれた者達が死んでいるとは断言できない事にもなるのだ。
 ことに通常の事故の場合、直ぐに閉じてしまう筈の時空の歪みが、未だに残り続けているという事実も、彼にとっては何らかの天啓に思える。
 そして何より、彼の主君は太祖の恩寵篤き者(ハイランダー)
 『赤き竜の愛し子』である、と自身を鼓舞する。

 そうやって、蜘蛛の糸よりも細い希望を、必死に手繰り寄せようとするエクトルであったが、ふと自身が大事な事を失念していたのに気付く。
 何よりも先に確認すべき事を、これまで忘れていた己の迂闊さと、それ程までに混乱していたのかという自省の念に囚われながらも、彼は三度問い質した。

「……恥ずかしながら確認を忘れていた。
 殿下が凶事に遭われた星系は何処か?」

 彼にとっては、今後、最重要で押さえるべき場所の確認に過ぎなかった。
 事実、脱出後、体制の安定を図った後は、少なからぬ勢力を送り込む事になるのだが、それは今は先の話。
 あくまでも、地理上の確認でしかなかったが、返された予想外の答えにエクトルは僅かに呻く破目になった。

『オリオン腕 第零特別星区外縁より凡そ二十光分の宙域です』
「ムゥッ?」

 ――第零特別星区

 今では、殆ど語られぬ辺境中の辺境にある星系。
 だが歴史には、必ず存在せねばならぬ場所。

 七百年前には、太陽系と呼ばれた人類発祥の地であり――

「……これも因縁か……」

 ――太祖大帝ユーサー・ペンドラゴンT世自身が、その故郷の星を徹底的に粉砕したという竜の末裔達には因縁深き地でもあった。





■□■□■□■□■□





『……で…………下……』

 どこかで誰かの声が聞こえた。

『…殿……か……』

 必死さを感じさせる声が。

『殿下っ、殿下!』

 幾度となく、彼を呼ばわる声。
 ソレが青年の意識を、こちら側へと引き戻す。

「マーリ……ン?」

 微かに掠れた声で、自信無さげに呟く彼に、覗き込んでいた老人がホッと肩を落とすのが見えた。

『気付かれましたか殿下?
 ようございました。 女医殿を呼ぼうかと思いましたぞ』

 頭を振りながら半身を起こし掛けたアルトリウスの相貌が露骨に歪んだ。

 くだんの『女医殿』こと軍医が嫌いな訳ではない。
 むしろ、彼にとっては有用かつ有能で、更には全幅の信頼の置ける相手でもあった。

 ただ検査と称して色々と弄って来るのは止めて欲しいというのが本音であったが、これまで何度言っても聞く耳を持たないのである。
 彼にとっては数少ない幼馴染であり、気心も知れた相手ではあるが、その分、私的な面でお姉さん風を吹かすのは慎んで貰いたいというのが彼の少なくない悩みの一つでもあった。

 そんな彼の心中を見通した様に、ザッと簡易メディカルチェックを行っていた『マーリン』が、おもむろに口を開く。

『まあ、特に身体的な問題は発生しておりませんし、当面は宜しいでしょう』

 その一言に、アルトリウスは、思わず胸を撫で下ろした。
 そして、そのまま状況を確認しようとした彼であったが、思わぬ闖入者がその予定を阻む。

『敵……ですかな?』

 唐突に好々爺然とした顔を傾げて『マーリン』が呟いた。
 珍しく自信なさ気な様子に、アルトリウスも眉を顰める。

「どういう意味だ?」
『いや……まあ……見て頂く方が早いですかな?』

 どうやら僥倖にも通常空間に復帰出来た様だが、追い討ちの伏兵でも居たのかと身構える。
 そんな彼に対し、何とも言い難い表情を浮かべた『マーリン』は、歯切れ悪く応じながら、中空にウィンドウを一つ開いた。

 鉛色の空とでも言うべきだろうか?
 ひどく濁った大気の中を、一体の派手派手しい色合いをしたヒトガタが飛んでいるのが映っていた。
 左手?に持った銃らしき物の先端が、絶え間なく光っている事から、何かを撃っているらしい事までは分かる。

 分かるのだが……

「何だアレは?」

 疑問が素直に口をついた。
 彼ら帝国軍の装備品に人型兵器という概念が無い訳でもないが、山吹色の派手なカラーリングからして軍用兵器とは思い難い。

 何かのアトラクションか?

 ――といった風情で問い質す主に対し、眉を寄せながらも『マーリン』は、律儀に分析結果を答えた。

『火薬式の銃というか大砲の様ですな。
 推進機関は油脂類を燃焼させて推力を得ている模様です』
「……どこぞの金持ち貴族が造らせたアンティークの類か?」

 彼ら基準で、何時の時代の技術だと言いたくなる様な代物ではある。
 だが好事家の貴族の中には、その手の類の物を作らせて悦に入っている連中も居ると、小耳に挟んだ経験のあるアルトリウスが軽い気持ちで尋ねた。
 とはいえ如何に膨大なデータベースを持つ『マーリン』であれ、そんな瑣事まで知る筈も無い。

 ただ黙って首を振る姿に、そうかと納得し掛けた青年であったが、その耳を聞き逃し難い言葉が襲った。

『ちなみに撃たれているのは我が艦です』
「なんだとっ!?」

 思わぬ報告に、少なからず動揺するアルトリウス。
 冷静に考えれば、あの程度の代物が、星間戦争に使われる戦艦に傷を負わせるなど有り得ない。
 『マーリン』の落ち着きぶりも、ソコから来ているのだが、悪いタイミングで続く報告が彼の混乱をいい具合に拡大してくれた。

『更に言うならば、あのヒトガタの後方より無数の飛翔体が接近中。
 大分速度は遅いようですが、どうやらミサイルの類かと思われます』

 明らかな攻撃に、青年の顔が軍人のソレに切り替わった。
 速やかな迎撃の命令を下す。

「対空迎撃、全て射ち落とせ!」
『イエス・サー。
 対空迎撃開始します』

 命令一下、『プリトウェン』の船体が白く輝く。
 各所に据えられた対空レーザーや小口径ブラスターが、一斉に火を噴き、自艦以外の『全ての飛翔体』を容赦無く射ち落としたのだった。

 遮る物の無くなった鉛色の空を見て、アルトリウスは、フッと息を抜く。
 そんな青年提督の耳翼を、最後の凶報が打った。

『そう言えば、あのヒトガタですが、珍しい事に有人機でした』
「――っ!?」

 宮廷の令嬢達に、熱い吐息を吐かせる青年の麗貌が、盛大に引き攣った。

 高度AIによる戦闘が主体のこの時代。
 機動兵器の殆どは無人機であり、特殊な事情の持ち主か、或いは余程の馬鹿以外、戦場に有人機に乗って出てくる奴等居ないのが常識である。
 だからこそ彼も、相手を確かめもせずに遠慮なく叩き落せたのだ。

 如何に先制攻撃(?)されたのは事実とはいえ、これで相手の貴族が上級の爵位持ちともなれば、相当に厄介な事になるのは疑いない。

 苦虫を噛み潰したような表情になったアルトリウスは、今一度だけ空を見た。
 見事なまでに何も無くなった空だけが、そこには広がっている。

 青年提督兼帝国第四十七皇子は、深い憂慮の溜息を一つだけ吐いた。









 西暦一九九九年八月六日であり、一部にとっては、帝国暦六七〇年四月七日でもあるこの日。

 運命は在るべき道を逸れた。
 閉ざされたメビウスの輪が、歪み、軋み、崩れ落ちるまで、未だ暫しの時を要するのだが、今この瞬間にそれを知る者は無い。



 そして――





「……ここは、何処だ?」

 淡い空色の浴衣に似た寝巻きに、優美な曲線を描く裸身を包んだ少女は、半身を起こしながら力無く呟いた。
 寝乱れて僅かに肌蹴た胸元を合わせる手が、たわわに実った双丘に触れる。
 少女――篁唯依の胸中を示すように、豊かな膨らみがフルリと震えた。





 ――そして歪んだ輪に導かれ、この地へと墜ちた『赤き竜の愛し子』と『山吹の姫』の邂逅もまた、今少し、ホンの少しの時を要するのであった。






 後書き

 お粗末さまでした。
 という事で、主役登場の回。
 上手く出来てましたでしょうかね?

 ちなみに、オリ主の容姿はマブラブで言うなら真壁清十郎君に
 似た感じをイメージしといて下さい。
 +アルファ王様オーラで。

 一応、うんちくとかも付けておきますので、
 世界観とかはそちらで補足しますが、
 出来るだけ本文で分かるようには頑張ります。

 ではでは。





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