がんばれ、ご舎弟さま



そのいちの表






「ふぅぅ……」

 思わず零れる溜息一つ。
 我が身の不運を嘆きながらジッと手を見ます。
 まあ、強化装備の保護皮膜に覆われた手の平があるだけですが。

「はぁぁ……」

 またまた零れる溜息。
 溜息一つで幸運が逃げていくというなら、産まれてこの方どれだけの幸運を逃した事か。
 そんな事を思いながら、これまでの人生を振り返ってしまうのでした。

 嗚呼、思い返せばまだ幼かったあの頃。
 未だ何の憂いもなかった日々が本当に懐かしい。
 ああ本当に、あの頃に戻れたなら、どれほど幸せな事か……

 ……等と現実逃避に走っていると、網膜投影の片隅に着信のシグナルが点ります。

 上位指揮官機からの通信。
 中隊長を素っ飛ばしたその上、我が斯衛第十六大隊・隊長機からの入電でした。

 ――嗚呼、見なかった事にしたい。

 そんな思いが脳裏を過ぎります。
 思わず眉がハの字に寄るのを自覚しつつも、無視する訳にもいきません。
 強引に顔の筋肉を動かしていつも通り無表情を作りながら通信を繋ぎます。

『遅い!
 何をモタモタしておるのか』

 ……出合い頭に叱り飛ばされました。
 黒髪ロングの超イケ面が、わずかに不愉快そうに眉を顰めているのが眼に映ります。

 ホンの数秒躊躇した程度でコレでした。
 相変わらず私には容赦なく遠慮なく厳しい御方なのです。

 そうやって内心で愚痴りつつも、マルチタスクで動いてる私の口は流暢に言葉を紡いでいました。

「申し訳ありません斑鳩大隊長殿。
 此度の戦の趨勢について愚考しておりました」

 いつも通りの抑揚の無い平坦な声が零れていきました。
 この辺りは最早慣れ――いえ、条件反射の域です。

 なにせ――

『……気になるのは仕方ないが、もう少ししっかりするが良い。
 そなたも既に一個小隊を預かる身。 そして何よりこの我の弟なのだからな』

 ――実の兄弟なのですから。

 私の名は斑鳩明憲。
 五摂家が一角、斑鳩家当主の実弟にして、当年十七歳の悩み多く、憂いは更に多い日々を送る青年。

 あとついでに言うなら、前世の記憶持ちというオマケも付いています。
 まあ、全く何の役にも立っていないのですけどね。





■□■□■□■□■□■□





 思い起こせばアレは十二年前。
 兄上と庭で剣の稽古をしていた時の事でした。

 この当時から自他共に厳しかった兄上は、当然の如くビシバシと打って来たのです。
 それも竹刀ではなく木刀で。
 五歳児にする事じゃないですよね?

 でも、この世界では――より正確に言うなら武家という一部の階級では、余り奇異な事でも無かったようです。
 誰も止めようとはしませんでしたし。
 まあ、今にして思えば兄上も、ギリギリ防げる限界を見切った上での稽古だったのでしょう。
 そうでなければ必死に守りを固めていたとはいえ、あの当時の私如きが兄上の剣戟を防げる筈も無かったのですから。

 しかしまあ、それでも予期せぬ事というのは常に起こり得るのです。
 あの時の様に。

 必死に防ぎながら、それでも後退を余儀なくされていた私が踏みしめた草。
 前日の雨に濡れていたソレが、踏みしめる力に負けてズルリとばかりに滑ったのでした。
 当然の如く私の体勢は見事に崩れ、驚いて寸止めが利かなかった兄上の木刀は、ものの見事に私の脳天を直撃したのです。

 その後の事は、正直、覚えていません。
 一瞬で、意識が真っ白になり、次に気が付いた時は病院のベッドの上。
 眼を覚ました私に、付き添っていたのであろう兄上が、ガバッとばかりに抱きついてワンワンと泣き出したのを呆然としながら見ていたのが最初の記憶。

 そう、この世界に生を受けた斑鳩明憲という人物とは、別の名を持ち、別の人生を、別の世界で生きた者の記憶を引き継いでから初めての記憶でした。

 とはいえ、前世の事をそれほど正確に思い出した訳でもありません。
 名前すら思い出せず、ただ此処とは別の世界、別の日本で、別の人生を送っていた誰かの記憶の欠片。
 それが私の内に宿っただけです。

 何か役に立つ知識を得たでもなく、特異な技能が備わるでもなし。
 なにせ記憶の中の誰かが、どんな死に方をしたのかすら分からぬ始末。
 正直、この世界で、斑鳩明憲として生きていくには邪魔なだけの記憶です。

 頭を打った拍子に、少しおかしくなったのかと自分でも思ってしまうほどでしたが、確かにその記憶は、かつて在った事だと自分自身が納得してしまうのです。
 これにはホトホト困ってしまいました。

 なにせその記憶の中には、五摂家もなければ武家もなく、なにより今この世界に脅威と恐怖を撒き散らしている忌むべき異星起源種――BETAもまた存在しないのです。
 人同士の争いはあり、平穏無事なユートピアとはとても言えない世界でしたが、それでも滅びに瀕していると言われるこの世界よりは遥かにマシな世界。
 そんな世界で生きた誰かの記憶を引き継いでしまった私は、否応無くその記憶に侵食されてしまったのです。

 結果、私の中には一つの願望が宿ってしまいました。

 ――嗚呼、ニートな暮らしがしたい!

 そんな思いが、日に日に募り、斑鳩明憲という個性を侵食していったのです。

 ……侵食していったのですが、その願望が満たされる事はありませんでした。
 他ならぬ我が兄上のお陰で……

 なにせ我が兄上は、『天を掴む』などと平然とうそぶくような御仁。
 才気と覇気に満ち溢れた英傑にして野心家です。

 そんな野心溢れる御仁が、最も使い勝手が良く、かつ、最も裏切らないであろう身内――要するに実の弟である私が、ニート生活をする事など許してくれる筈もありません。

 少しでも怠けようとすれば、盛大なお説教の後、五割り増しの鍛錬と七割り増しの精神修養が科せられる日々。
 憧れのニート生活とは全くかけ離れた厳格極まりない生活が十数年に渡って続いた結果、無表情と無個性な声で内心を鎧隠す今の私が出来上がった訳です。

 まあ、兄上的には自身の教育の結果、寡黙で思慮深い出来の良い弟になったと思っておられるようですが。

 ここで無表情の下に叛意とか隠していれば格好良かったのでしょうが……
 正直、兄上には逆立ちしても勝てそうにありませんでした。

 中身はともかく、器は兄上と同じ斑鳩の血筋。
 武才も充分、頭だって相応に回ると自負しています。
 外見も兄上の少し幼い頃に良く似ているとも言われる程です。
 まあ見分けが付き易い様に、私は髪を短く刈り上げてますが。

 そんな私から見ても、兄上は別格です。
 あれは一種の化け物だと思います。
 到底、まともな手段で勝てるとは思いません。
 曲がりなりにも十八年、弟をやってきた私のそれが実感でした。

 ……飼い慣らされたとか言わないで下さいね。 悲しくなりますから。

 まあそういう事で、私こと斑鳩明憲は次善の策に望みを繋ぐ日々を送っていた訳です。

 要は兄上の野心が満足されれば、私はお役御免。
 ならばその為に、せっせと兄上に貢献し、野望達成を早めれば良い訳です。
 そして首尾良くいったその暁には、適当に捨扶持でも貰って、どこか田舎でゆっくりと引きこもり生活を満喫すれば良い。

 そんな風に考えていました。
 ほんの少し前までは。

「はぁぁぁ……」

 またまた溜息が零れます。
 そしてそれを押し消す様に、ひっきりなしに入ってくる戦況悪化を告げる通信が私の鼓膜を掻き毟りました。

 ――BETAの本土上陸、そして今この時、進行しつつある帝都への侵攻。

 もはや私の華麗な人生設計は、木っ端微塵に砕け散ったのでした。
 兄上の野望を達成するどころの騒ぎではありません。
 この国が、滅ぶかどうかの瀬戸際です。
 どうにもこうにも、思うに任せぬ現実に、溜息の止まる気配もありませんでしたが、どうやら私には溜息をつく自由すら無いようでした。

『ご舎弟様、戦況を憂えるのは分かりますが、隊長として、何より斑鳩家ご当主の実弟としての威厳をお忘れなき様』
「――許せ。
 我の未熟さであった」
『ハッ!』

 兄上の腰巾着、もとい腹心である『赤』が茶々を入れてきます。

 どうも兄上は、初陣である私が失態でも仕出かすのではと思ったのか、自分の取り巻き……ではなく部下をお目付け役に派遣して来ていたのです。
 そんなに信用無いのでしょうか?
 それなりに出来る弟と思われていたと思っていたのですが……

 そんな思いと共に、またまた零れそうになった溜息を噛み殺しながら、手に入る限りの戦況を見直します。

 はっきり言って悪いとしか言えませんでした。
 既に嵐山を始めとし、随所で防衛線が抜かれ、配置されていた部隊は壊滅状態。
 帝都内へのBETAの侵入を許してしまっています。
 これに対処する為の最後の手段として艦砲射撃による殲滅が間も無く始まる様でした。
 当然、帝都も無事には済まないでしょう。
 つまりはそれ程までに、帝国軍は押し込まれているという事なのです。

 ここに至って遂に、斑鳩家当主とその弟が所属しているという事で温存されていた我が大隊にも出陣の命が下される様でした。

 CPからの指示を待つ刹那の時。
 流石に緊張は隠せませんが、不思議と恐怖を覚える事はありません。
 これも兄上の地獄――ではなく愛情溢れる教育と拷問スレスレの精神修養の成果なのでしょうか?

 何となく納得いかない気分を感じつつ、それでも戦への気構えを高めていた私の面前に再び我が兄上の御姿が。

『明憲、これより我が隊は艦砲射撃後、残敵を掃討する為に嵐山方面に進出する』
「ハッ!」
『但し、そなたは指揮下のシリウス小隊を率いて京都駅に向かえ』
「……何故でしょうか?」

 いきなりテンションの下がる事を命ずる我が兄上。
 流石に不審の念を覚えて尋ねる私に、兄上は手短に答えてくれました。

 なんでも物資の集積所も兼ねていた京都駅からの音信が突如途絶えたとか。
 BETA侵攻の報は無かったそうですが、この情勢下では何の当てにもなりません。
 偵察を出すかどうかで揉めていたそうですが、煌武院家の悠陽殿が、兄上に半ば泣きつく形で押し切ったのだそうです。

 はぁぁ〜……優しい性格の割りに、妙なところで強情ですからね。 あの姫君は。

 などとラチもない事を考えていた私を他所に、やや渋い表情のまま兄上は、言葉を繋ぎます。

『駅には大した戦力は置かれておらん。
 もし奇襲を受けたのなら一たまりも無かっただろう』

 珍しく溜息混じりに言う兄上に、私も苦い思いを噛み締めました。
 軍の不手際と言えば不手際ですが、これほど早く帝都内に侵入されるとは誰も思ってはいなかった筈です。
 開戦前には後方と認識されていた駅に、充分な戦力が配置されていなかったのは仕方の無い事だったのかもしれません。

 少なくとも私は、そう思いました。
 そして、そう思ってしまった事を、しばし後、死ぬほど後悔する事になろうとは神ならぬ身が知る由も無かったのです。

『情勢を見極めた上で対処せよ。
 但し、指揮下の戦力で対応し切れぬと判断した場合は速やかに退け』

 ――今はまだ、無理をする局面ではない。

 そう言い残して、兄上は通信を切りました。
 それを合図としたかの様に、第十六大隊所属の戦術機が次々に出撃していきます。

 それを見送った私も、間を置く事無く指揮下の小隊機に命令を下しました。

「シリウス小隊全機出るぞ!」
『『『『ハッ!』』』』

 命令一下、ハンガーに残されていた戦術機達が動き出します。

 白の瑞鶴が三、赤の瑞鶴が一、そして何故か青の試作武御雷一機が……

 嗚呼、この機体を割り振ってくれた時の兄上の自慢気な顔が、声が、脳裏を過ぎります。

 ――蒼き雷と成って戦場を駆け、斑鳩の武名を轟かすが良い。

 この時ばかりは、本気で兄上に殺意を抱きました。
 これは量産試作機、そう『試作』機なのです。
 しかも出来たてホヤホヤで、最終調整すら不完全な代物。
 どんな不具合があるか分かったものではありません。

 そんな物で化け物がひしめく戦場に出ろなどと……
 本当に、死んで来いとでも言いたいのでしょうか?

 ――等という憤りを隠しつつ、兄上の分はどうされたのかをお聞きしました。
 すると、実戦に投入できる青の武御雷はまだこれしかないのだとか。
 目の覚めるような蒼い機体を前に、兄上は堂々と胸を張りました。

『そなたの初陣の祝いだ。
 ちと惜しいが譲ってやろう』

 ダメ押しに、満面の笑みと共にそう言われてしまえば、もはや断る術もありませんでした。
 これで悪気があれば恨みにも思えたのですが、何気に身内には甘い御方ですから。
 まあ、『従順』な身内という条件は付きますが。
 兄上的発想では、多少の問題など衛士の腕で補えるという事なのでしょう。
 そういった面では、それなりに認められているのだと自分を無理矢理納得させたのでした。

 まあ、そんなこんなの騒動の末に、未だ配備すらされていない筈の『試作』武御雷を乗機とし、この戦に臨む破目になった私。
 正直、泣きたくなる気分でした。

 一応、軽く動かした範囲では、特に問題らしい問題も見えず、多分大丈夫であろうとは思うのですが……

 まあ、単機で戦う訳でも無いので何とかなるでしょう。
 ウチの小隊は腕利き揃いですし。

 そう割り切った私は、自機を帝都の空へと飛び上がらせたのでした。

 ……残念ながら、数十秒後に地を這う様な飛行に移行する破目になりましたが。

 何はともあれ向かうべき先は、京都駅。
 そしてそこで私は、この戦がどういうものなのかを、この眼に焼き付ける事になったのでした。





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 光線級の狙撃を恐れ、地を這うように建物の間を抜けて飛ぶ我がシリウス小隊。
 一直線で飛べず、速度もさほど出せぬ分、普段ならものの数分で着く筈の駅まで、その数倍の時間が掛かってしまいます。

 背後から聞こえていた艦砲射撃の音も既に途絶えて久しく、変わって戦術機の突撃砲であろう発砲音が引っ切り無しに聞こえてきました。
 早くも残敵掃討が始まったようです。
 任務として割り振られているとはいえ、こちらも早めに済ませて本隊に合流すべきなのは確かな状況でした。

 わずかな焦りを感じつつも、兄上の調教――もとい教育により育まれた指揮官としての私は、京都駅手前で着地するとそのまま主脚走行(ラン)で接近する事を選択します。

 既に接近しつつ、何度か放たれた通信に応答がまるで無いのは確認済み。
 友軍機のシグナルが幾つかありますが、全く動いていない時点で、生存の可能性を切り捨てました。

 九割九分九厘、京都駅は既に陥落していると確信した以上、後は、それを確かめて対処を決めるだけです。

 ――奪還が可能ならば奪還を。
 ――それが叶わぬなら、状況を記録した上で後退し、報告を。

 そのいずれかを選択肢として脳裏に上げながら、周囲を警戒しつつ慎重に接近し、ビルの陰から様子を伺います。

 ――やはり居ました。

 灯火の途絶えた駅舎の前に、聳え立つように立つ異形――見間違えようもない要塞級とその足元で蠢く影達。
 戦車級と兵士級、或いは闘士級も混じっていたかもしれません。
 唯一、幸いだったのは、要塞級以外の大型種、そして光線級の存在が見当たらない事でした。

 とはいえ、こちらから確認できない位置に居る可能性も否めません。
 確実を期す為に、ここは一旦、退く方が無難かと私が思ったその時、銃声が轟き、闇の中、一瞬だけ銃火が点りました。

 ――未だ抵抗している者が居る。

 それを示す証を眼にし、耳にした瞬間、私の中から撤退の二文字が消えたのです。

「シリウス1より各機。
 シリウス1は生存者の救助に入る。
 各機は要塞級を撃破せよ」

 その命令を下すと同時に、蒼い機体が闇夜に飛びました。
 振り回される要塞級の鞭を、瑞鶴とは桁違いの機動でかわした私の武御雷は、そのまま銃火の閃いた場所へと突進します。

 ですが既に銃声も銃火も途絶え、当りを付けた場所には建物に突っ込む形で大破した瑞鶴と蠢くBETA共があるだけ。

 心臓が氷の手で鷲掴みにされた様な錯覚が走りました。
 息が止まり、同時に腹の底から怒りが込み上げてきます。

「あああああぁぁぁっ!」

 自身のものとは思えぬ咆哮が口を突きました。
 溢れる怒りを叩きつけるべく付けた照準。
 半ば崩落した建物の一角に、未だ人型を保った影が映ります。
 網膜に映る映像の中、その人影、いえ、山吹色の強化装備を着けた小柄な衛士が動くのを認めた瞬間、スッと冷えた頭が、弾種を切り替えさせると共に、引き金を引かせました。

 三十六ミリ弾の雨が衛士を傷つけぬギリギリの境界に降り注ぎ、無力な獲物を食い殺そうと近づいていたBETA共を肉片に変えました。

 同時に機体のライトで地上を照らし出します。
 鮮明さを増した映像の中、赤黒く染まった小柄な衛士の顔がはっきりと見えました。

 まだ幼い顔の少女。
 恐らくは、この急場に学徒動員された衛士養成校の生徒だと思われる年端もいかぬ娘。
 そんな彼女が、こんな悲惨な戦場に立たねばならぬという現実。

 ニート生活がしたいなどと言っていた私に、その事に憤る資格などないのは百も承知です。
 それでも心中に満ち溢れ荒れ狂う怒りを抑えながら、その爆発を抑える為に制御された怒りが迸ります。

「シリウス1より各機へ。
 全兵装使用自由(オールウェポンズフリー)、BETA共を殲滅せよ」

 そう命ずると共に、全ての砲口を地上に向けた私は、容赦なく引き金を引き絞り、砲弾の雨を化け物共の頭上へと叩きつけます。
 同時に抜き放った74式近接戦用長刀を振るい、或いは脚部のカーボンエッジブレードで蹴り飛ばして、武御雷や山吹の衛士に襲いかかろうとする雑魚共を引き裂き続けました。
 醜悪な異形の悉くが砕け飛び散り、背後では要塞級が崩れ落ちる轟音が響きます。
 それでも尚、止む事の無い砲火と血刀の洗礼は、異形どもの全てが肉片と化して大地にブチ撒けられる瞬間まで止む事は無かったのでした。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 数分後、蠢く異形の悉くを粉砕し尽くした私は、荒れる呼吸を鎮めながら、ゆっくりと機体を停止させました。
 先程の衛士、いや少女の傍らで武御雷に駐機姿勢を取らせた私は、小隊各機に周囲の警戒を命ずると、そのまま管制ユニットを開け、下へと飛び降ります。
 背後のスピーカーから、お目付け役の怒声が聞こえましたが、知った事ではありません。
 倒れ伏す少女へと一目散に駆け寄った私は、脈と呼吸の有無を確認すると、そこでようやくホッと一息つきました。
 少なからぬ負傷をしているようでしたが、生命に関わると思われる程の物は無いようでした。

 とはいえ所詮は、素人判断。
 早急に、まともな医師に見せるべきと考えながら、周囲を見回したところで、私の視線が凍りつきました。
 BETA共の体液に染まった大地に、ポツンと転がるモノ。

 BETA共の喰い残し、そしてかつては人であった『物』。

 おそらくは、ここで気絶している少女の戦友であったのだろう『ソレ』を、食い入る様に見詰めます。
 不思議と嘔吐感も気分の悪さも感じず、ただ心が冷えていく事だけ感じる自身に戸惑いを覚えながら。

 幼少時より施された熾烈なまでの精神修養の成果と言えばそれまでの事。
 これを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、その時の私には分かりませんでした。

 そんな私の背に、今にも途切れそうなか細い声が届きます。

「そこ……の…御方……」

 唐突に掛けられた声に、微かな驚きを覚えながら、呼び掛けられた方へと振り向いた私は、そこで再び固まりました。
 大破した瑞鶴、その管制ユニットに生じた亀裂から、蒼白な顔の少女が覗いているのが見えたからです。

 驚きに一瞬、動きが止まってしまった私。
 そんな私に向けて、まるで幽鬼の様にも思えたその少女は、今一度、必死の声を絞りだしました。

「そ……の…お……た」

 今度は遅滞無く動けました。
 ですが慌てて駆け寄った私は、管制ユニットの亀裂から覗ける内部の惨状に思わず息を呑んでしまいます。
 墜落した際、モロに強打したのでしょう。
 歪んだ管制ユニットにより少女の下肢は無残にも潰されていました。
 その上、周囲に肉片となって散らばっている戦車級の仕業なのでしょうが、身体の一部が食い千切られています。
 濃い血臭が鼻をつき、私の眉をしかめさせました。

 素人判断でも、もはや助かる見込みが無いのは分かります。
 いえ、今まで生存し、且つ、意識を保っていられた事自体、奇蹟に近い。

 だからこそ私は、彼女が何を望んでいるのかが分かりました。
 感情が絶えた平坦な声が、私の喉をスルリとすり抜けていきます。

「介錯は?」

 せめて苦しみを止める為に、そう望まれたと思った私はそう尋ねました。
 そして、その予想は半分正しく、そして半分間違っていた事を、彼女の返答により気付きます。

「おねが……い…します。
 でも、その…前に……」

 微かに頷いた少女は、なけなしの力を振り絞って、何かを言おうと、いえ、尋ねようとします。
 わずかに動く虚ろな目線は、既に視力を失っている事を、そして見えぬ眼で、何かを、誰かを探そうとしている事を私に伝えました。

「心配ない。
 山吹の衛士の娘なら無事だ」

 ひどく優しく穏やかな声。
 こんな声が出せたのかと、自身ですら思うようなソレが、少女の心残りを拭い去ります。

 安堵の笑みと共に、少女の白蝋の様な額に浮かぶ脂汗が酷くなりました。
 最後の気力を使い果たした彼女には、もう苦痛に耐える力は残っていない事が、私にも伝わってきます。

 拳銃を抜き、少女の胸へと照準を合わせました。
 確実に即死させるつもりなら頭を狙うべきですが、流石に、女の顔を撃つのは忍びなく、何より強装弾で心臓を撃てば結果は同じと割り切ります。
 引き金を引くその前に、私は最後の問いを放ちました。

「名はなんという?」
「山…し…ろ……かず…さ…と…もう…します」

 ドックタグを見れば済む事を、敢えて尋ねました。
 自身の手で、殺す相手の名くらいはとの思いからです。

 三度、口中でその名を転がした私は、最後に告げました。

「山城上総……確かに覚えた。
 家の方には、必ず伝えよう。
 ご息女は最後まで見事に戦い果てたと。
 この斑鳩明憲が、介錯を勤めた事も含めてな」

 少女の眉が、苦痛以外の要素で微かに震えました。
 既に視力を失っていた彼女は、介錯を申し出た相手が、武家の頂点たる五摂家縁の者とは気付いていなかったのでしょう。

 微かに震える唇が、言葉を為そうとしましたが、それは余計に苦痛を長引かせるだけ。
 そう判断した私は、ただ一言告げます。

「斑鳩明憲、謹んで介錯つかまつる」

 少女の唇が動きを止めました。
 替わって微かに頷く素振りを見せ、そのまま光を失った眼を閉じます。
 私の呼吸が、一回だけ深く長くなりました。

「御免!」

 薄闇の中、一度だけ銃声が鳴り響いたのでした。






「はぁぁぁぁぁ………」

 再び、溜息が漏れます。
 もう手持ちの幸運全てを使い尽くした気分でした。

 倒れ伏す山吹の衛士。
 名も知らぬ少女を抱き上げながら、私は、今一度、溜息をつきます。

 あまりにも軽く華奢な肢体。
 軽く小突けばそれだけで折れてしまいそうな儚げな少女。

 そんな彼女を見下ろしながら、私は諦めの境地へと到ります。
 天を仰ぐ私の頬を、無念の涙がハラハラと流れ落ちていきました。

『憧れのニート生活は、当面、お預けだな』

 場合によっては一生か。
 そう胸中で覚悟を決めながら、私は少女を抱いたまま駐機姿勢を取る自機へと歩み寄って行ったのでした。





■□■□■□■□■□■□





 ――そして三年後。





「はぁぁぁ……」

 輸送機のキャビン内で、私はまた力なく溜息をつきました。

「ふぅぅ……」

 重ねて零れる溜息一つ。
 我が身の不運を嘆きながらジッと手を見ました。
 ゴツゴツとした男の手の平があるだけです。

 そんな私の横手から見かねたような問いが放たれました。

「どうされたのです。
 先程から溜息をついてばかりですが?」

 凜とした美声が、私の耳朶を擽ります。
 目覚ましには最適の声だと思いました。
 まあ、そんな機会は、今までありませんでしたが。

「明憲様?」

 重ねて掛けられた声には、案ずる色が濃く滲んでいました。
 流石に、これ以上心配を掛ける訳にもいかず、美声の主へと向き直ります。

 腰にまで届く艶やかな黒髪を持つ凛然とした美女――三年前、縁あって私が助けたあの時の少女衛士――篁 唯依中尉が、気遣わしげにこちらを見ていました。
 こちらを見据える眼差しの真摯さに、内心では思わず気圧されてしまいましたが、それでも私の口は躊躇無く答を返します。

「いや、これからの任務の困難さを考えていただけだ。
 後、今は軍務中なので名前で呼ぶのは控える様に、篁中尉」
「ハッ!
 申し訳ありませんでした。 斑鳩少佐」

 言い訳+誤魔化しの注意に、生真面目な敬礼が返されました。
 ううっ少々引け目を感じてしまいます。
 とはいえ、常時展開の無表情仮面は、そんな内心を完璧に隠してくれた様でした。
 無言のまま頷く私に、篁中尉の肩から力が抜けるのがわかります。

 ……力が抜けた代わりに、今度は挙動不審になりましたが。

 眼を伏せたまま、時折、チラチラとこちらを見上げてきます。
 おまけに頬の辺りが、ほのかに色付いていました。

 何なんでしょう?
 この可愛らしい生き物は?

 などと馬鹿な事を考えている私の目前で、何かに踏ん切りをつけたのか、意を決した表情の篁中尉は、真っ直ぐにこちらを見据えて訴えてきました。

「で、ですがあの……その…プライベートの時間は、名前でお呼びしてもよろしいですよね?」

 そう言いながら大事そうに左手の薬指、いえ、そこに輝く斑鳩の家紋入りの婚約指輪を右手で包み込みます。

 そして彼女が、そのままジッと見上げてくる仕草に、私は白旗を振りました。

 再び無言で頷くと、彼女の美貌にパァッと喜色が広がります。
 私は、今度は彼女に気付かれぬ様、漏れかけた溜息を噛み殺しました。

 ……良い娘だと思います。
 文句の付けようも無いほどに。

 光を弾いて輝く濡羽烏の髪、玲瓏たる白い美貌。
 プロポーションも三年前とは比べ物にならない程、成熟し充実している事が、堅苦しい軍服を纏っていてもまるで隠せていません。
 まあ残念ながら、まだ眼にした事はありませんが。

 家事にも秀で、特に料理が得意、何度かご馳走になった肉じゃがは絶品でした。
 正直、私自身も、常の凛とした姿勢と時折見せる可愛らしさのギャップに、強く惹かれているのも事実です。

 多分、これ以上は望むべくも無い理想の妻になってくれるだろう事も分かります。
 ……分かるのですが、その理想の体現こそが、ネックなのでした。

 嗚呼、あの日、あの時の兄上の声が今でも耳に残っています。






『明憲、そなたの許婚を決めたぞ』

 夕食中に何の前振りもなく、いきなりのたまってくれた我が兄上。
 危うく口の中のモノを噴出すところでした。
 目を白黒させながら慌てて飲み込む私に対し、ニヤニヤ顔で付け足してくれた事が更に腹立たしかったです。

『そなたも面識のある篁の娘よ。
 あの娘が当主という事なので、入り婿という形になるが問題あるまい』

 もはや完全に私の意見など聞く気も無い事が丸わかりです。
 流石に、反論しようとした機先を、更に制せられましたし。

『我が愚弟たるそなたには生来の怠け癖がある。
 そなたの様な者の妻には、ああいった真面目でしっかり者の娘こそが相応しい』

 そう言い切った兄上は、私の意志など完全に無視して、サッサと事を進めてしまわれ、あれよあれよという間に、婚約まで漕ぎ着けてしまったのです。

 これで五摂家の権威を楯に相手の意向を無視していたなら、まだやりようもあったのですが……
 正式な見合いの日、二人だけになった際に面と向かって篁……いえ唯依に問い質したところ、彼女も合意の上との事。
 予想外の展開に絶句する私に向けて、彼女は訥々と事の次第を語ってくれました。

 どうもあの時、意識を失っていたと思っていた唯依ですが、夢うつつながら意識が残っていたそうです。
 そして事の次第の全てを見届けたのだとも。

 ――私に生命を救われた事。
 ――死に掛けていた戦友に私が止めを刺した事。

 それら全てを……

 命を助けた事はともかく、介錯とはいえ戦友を殺した事が、なぜ婚約を受け入れる事になるのかと首を傾げた私に、彼女は静かに告げました。

 自分がやらねばならず、そして出来なかった事を、代わってやらせてしまいましたから……と。

 殺してくれと願う戦友を、殺してやれなかった自分。
 そしてそんな自分の代わりに手を汚してくれた人。

 生命を助けられた恩義と悔恨に根差す引け目、そして感謝の念。
 あの日から抱き続けたそれが、いつしか恋情に変わったのだと。

 そう告白する彼女を前にし、私は唸る事しかできませんでした。
 正直、あまり健全な形での恋愛ではないのではと感じたからです。
 危地を共に乗り越えたとか、絶体絶命の窮地を助けられたとか……所謂、吊り橋効果の可能性が否めませんし。

 ですが、それを彼女――唯依に告げる事は、私には出来ませんでした。
 涙に潤んだ瞳で、私を見詰める唯依の姿が、私の反論を消し去ったからです。

 涙こそ女性の最強の武器。
 特に美人でナイスバディであれば、その威力はいや増すのです。
 唯依ほどの美女に迫られて拒めるほど、私は枯れてはいないのですから。





 こうして全ては兄上の思惑通り。
 婿入りする篁の家格を上げる実績作りと称して、XFJ計画の総責任者を押し付けられるところまでも。
 ……まあ所詮は、反対派の口を塞ぐ為のお神輿で、実務は唯依に丸投げですが。

 全く、今回の一件は、兄上にしてみれば笑いが止まらないでしょう。

 唯依の後見人であり、帝国の衛士達からも信望の篤い巌谷中佐を自陣営に取り込み、更には今は亡き高名な篁中佐の遺児を実弟の嫁にする事で、その名声すら我が物に出来るのです。
 ついでに篁家も、斑鳩一門の幕下に納め、家格も私の婿入りを理由に『山吹』から『赤』に上げる算段までつけているという念の入れ様。

 全く本当に見事としか評しようがありませんでした。

 そうやって過去を振り返っていた私でしたが、ふと気付くと微かな温もりを感じます。
 振り向けば先程より距離が詰まった位置に、彼女が座っていました。
 熱心に書類に眼を通している―――フリをしていますが、耳翼まで真っ赤に染まっている様から、その心中は手に取る様に伝わってきます。

 本当に何なんでしょう?
 この可愛らしい生き物は?

 私は胸中で敗北の溜息を漏らしながら、敗者の取るべき行動を取りました。
 彼女の肩に手を回し、そのまま引き寄せます。

 わずかに身じろぐ気配。
 ですが抵抗はありませんでした。

 そのまま距離を詰め、寄り添う形になった私に向けて、唯依は林檎のように真っ赤な顔を向けながら、手にした書類を示します。

「む、向こうについて、か、か、からの大まかなスケジュールを、つ、作ってみましたぁ!」

 動揺が滲みまくり裏返った声と共に差し出された予定表。
 精緻なまでに組み上げられたソレを前に、私は内心で冷や汗をかくのでした。

 このどこまでも生真面目で几帳面な性格と行動。
 もはやニート生活は諦めましたが、それでも今より温い暮らしを求める私にとって、これだけは苦手意識が抜けないのです。

『嗚呼、コレさえなければ。
 いやもう少しだけ緩ければ……』

 理想にほんの一歩届かぬ事。
 その事に内心で煩悶する私を、不安そうな声が殴打しました。

「……何か、問題があったのでしょうか?」

 そう言いながら揺れる瞳が、彼女の動揺を表し私を責め立てます。
 どこか自信無さ気にしょんぼりとして見える風情が、私の良心にきつい重みとなって圧し掛かるのです。
 そうなってしまえば、私には無言で首を振り、彼女の不安を振り払うという選択肢しかありませんでした。

 沈みかけていた唯依の顔が、パッと明るくなります。
 花が綻ぶ様なその微笑に、不覚ながら私の鼓動も少しばかり早くなってしまいました。
 何だかんだと不満を述べつつも、結局は、しっかりと捕まっていた自分を、改めて自覚してしまった私は、微かな苦笑を浮かべながら、つい数分前の自身の言動を遠くの棚に放り投げると、躊躇う事無く彼女へと手を伸ばします。

 優美な曲線を描く唯依の頤に私の手が添えられると、その一事で私が何を求めているかを悟った彼女は、更に紅潮の度を増しました。
 その白く細い首筋まで真っ赤に染めた唯依は、小動物の様にキョロキョロと周囲を見回すという彼女には似つかわしくない反応を示します。
 とはいえ、先程の言葉――軍務中の公私の区別――を楯に咎めだてする様な事もありませんでした。

 生来の生真面目さと貞淑さが自省を求め、同時に女としての本能と許婚という免罪符が彼女の背を押しているのでしょう。
 二律背反する己の中の己に揺れる唯依を、もう少し見ていたい気もしましたが、私自身の欲求も高まっていました。
 催促するように軽く力を篭めて顔を上げさせると、見上げる彼女の視線と見下ろす私の視線が絡み合います。

 躊躇いと期待に潤む紫の双眸。
 吸い込まれる様なソレに、心を奪われるのを自覚しながら、今一度、私は催促します。
 一瞬だけ、咎める色が過ぎり、ついで観念した光を宿した彼女の眼が、ゆっくりと閉ざされました。
 しっかりと閉ざされた瞼の上で長い睫毛が期待と不安に震える中、整った鼻梁の下で花びらの様な唇が喘ぐようにわなないています。

 全てが美しく、そして愛おしく感じられるソレに、私はゆっくりと自身の唇を重ねていったのでした。











 後書き

TEアニメ二話にインスピレーションを得て書き上げた渾身の作。

最初は緩めで、中はシリアス、最後はお口直しをご用意しております。

どうぞご賞味の程を。





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