がんばれ、ご舎弟さま



別視点から書いたそのにです。
ドーゥル中尉→唯依姫→タリサ→ユウヤ→唯依姫視点となっております。


そのにの裏






『むぅ……』

 串刺しにされた上、足蹴にされたマナンダル機、そして鎧袖一触、切り伏せられたブレーメル・ジアコーザ両機を見ながら、私は胸中で呻きを漏らす。

 想像以上の篁中尉の実力に、内心で舌を巻きつつも、やり過ぎではとの思いが微かに脳裏を過った。
 CPからモニターしている三人のバイタルを見る限り、命に別条がないのは確かな様だが、あれでは機体の方がタダでは済むまい。

 ある程度の損害は予想の内だが、それにしても……

『はぁぁぁっ!』

 通信機越しに、篁中尉の鋭い気合いが届く。
 生真面目な彼女らしい真っ直ぐな闘志の発露を示すそれは、常ならば微笑ましいほどだが場合が場合だ。
 なにより普段から、篁中尉とブリッジスの不仲ぶりを目の当たりにしてきた身としては、どうしても不安を拭い切れず、思わず傍らに立つ今回の一件の仕掛け人に疑問を投げ掛けてしまう。

「だ、大丈夫なのですか?」

 ……恥ずかしながら、抑え切れぬ動揺が、私の声をわずかに震わせた。

 己の未熟さに思わず赤面しかけるが、注がれた冷徹な視線に、一気に血の気が退いていく感覚を覚える。

 極北の地(アラスカ)の夜空を想わせる深遠な眼差し。
 一片の動揺すら伺わせぬ瞳の主――XFJ計画総責任者たる斑鳩明憲少佐は、その双眸の輝きに相応しい冷厳な声で告げる。

「問題ありません。
 彼女なら、充分加減を心得ている筈です」

 反論を、疑義を抱かせぬ声。
 揺らぎの欠片すら見えぬ断言が、私の胸中に芽生えた不安を押し潰した。

 周囲からも湧き起る安堵の空気。
 それらを肌で感じながら、やはり眼前の人物が端倪すべからざる存在であると再認識した私は、再び、モニターへと意識を戻す。

『たぁぁぁ!』
『クソがぁぁっ!』

 篁中尉とブリッジス、双方の咆哮がCP内に木霊し、鋼と鋼が激しくぶつかり合う音が互いの管制ユニット経由で響く。
 何度も、何度も……

 ……とはいえ、双方の優劣は誰の目にも明らかだった。

 防戦一方のブリッジス操る不知火・弐型フェーズTと、それを極めて洗練された動きで追い込んでいく篁中尉の不知火・壱型丙。
 どう贔屓目に見ても、ブリッジスの劣勢は否めなかった。

 追い詰められつつあるブリッジスの怒声が、彼の管制ユニット越しに届く。

『これがサムライのやり方とでも言うのかっ!?
 演習に乱入して、一方的に襲い掛かるのが!』

 密やかな溜息を洩らす私。

 ――まだまだ若い。

 そう胸中で苦笑してしまうのは、私が年を食ったからだろうか?

 激昂したくなるのも分らぬではないが、状況不明の今こそ、より冷静(クール)になるべきだろう。
 心は炎の如く熱く、思考は氷の如く冷たく――それこそが、衛士にとっての理想なのだから。

 視線が再び動く。
 眉ひとつ動かす事無く、怒りの咆哮を上げ続けるブリッジスを見据えている少佐の横顔が見えた。

 私より一回り以上年若でありながら、恐らくは理想に限りなく近い位置に立つであろう青年。
 そんな彼にとって、今のブリッジスはどう見えているのだろうか?

 一瞬、脳裏に浮かんだ疑問を、次の瞬間、軽く首を振って駆逐する。

 余りにも、判り切った回答だった。
 だからこそ彼は、ブリッジスの真価を、その潜在能力(ポテンシャル)まで含めて見切る為に、篁中尉の進言を受け入れ、この茶番劇を演出したのだろう。

 今回の結果如何では、首席開発衛士の交代も有り得る筈。
 ハイネマン技術顧問は、何故かブリッジスに執心しているが、見込み無しと判断されれば、彼の反対を押し切ってでも更迭する可能性は高い。
 その場合、計画の進捗自体に深刻な問題が生じる危険性が大きかった。

 胸中で軽い溜息を吐きつつ、全てのカギを握る仮初の部下(ブリッジス)へと視線を戻す。

『卑怯だぞ!
 なにが五摂家だ、なにがサムライマスターだ!
 顔すら見せられない卑怯者がぁっ!!』

 ……私は微かに眉をひそめる。
 ブリッジスが、少し勘違いしているらしい事を悟ったからだ。

 後々の事も考え、出来るだけ同じ条件にする為に、弐型のベースとなった壱型丙を篁中尉に使わせたのは斑鳩少佐の指示だが、その機体が彼の物である事を知っていたのか、ブリッジスは、いま相対している敵を少佐自身だと思っているらしい。
 それを思えば、ブリッジスの興奮ぶりも分らない話でもなかった。
 何故かは知らぬが、役職上接点の多い篁中尉よりも、斑鳩少佐の方により強い敵愾心を抱いている奴にしてみれば、今回の一件は怒り狂うに足るものなのだろう。

 ――とはいえ、その誤解を解く訳にもいかぬ以上、このままやらせるしかあるまい。

 そう内心で結論づけた私だったが、そこでふと違和感に気づき、その大本を無意識に探す。

 ……壱型丙の動きが止まっていた。

 同時に、ブリッジスと篁中尉を映していた画面の一方で、俯き肩を震わせている篁中尉に気づく。

『なんだ……これは?』

 刹那、背筋にゾクゾクと悪寒が走った。
 幾度となく死線を越える際に感じた死の予感。
 私のこめかみに微温く粘着く汗が流れた。

 私の中で、警鐘がガンガンと鳴り響く。
 その発生源を求めるように、私の視線がCP内を揺れ動き、とある一点でピタリと止まった。

 ……たっ、篁中尉!?

 吸い込まれるように惹きつけられたモニター内で、先程まで俯いていた筈の篁中尉が顔を上げていた。

 全く感情を感じさせぬ人形めいた無表情。
 類い稀なる整った容貌の所為か、若干の怖れすら感じさせるソレに、私は不覚にも戦慄を覚える。

 画面の中の篁中尉が、青褪めた唇を震わせるよう動かした。

『貴様、今なんと言った?』
『篁……中尉?』
『……なんと言ったと訊いている』

 体の芯が凍てつく様な冷たい声。
 品行方正な中尉が、普段使う堅苦しい口調とは似て非なる声。

『こ…これは……』

 思わず絶句する私を他所に、閉じていた筈の通信回線をブリッジス機に繋いだ篁中尉が淡々とした口調で告げる。

『もういい……死ね』
『なっ!?』

 紛れもない殺意を秘めた声が、ブリッジスに叩きつけられる。
 突然の死刑宣告に奴が呆ける中、私の中を驚愕が走り抜けた。

 ――まさか、本当に!?

 常日頃からのいがみ合いは、双方の立場と若さ故のものとして目こぼししてきたが、篁中尉から迸る殺気の鋭さに、その姿勢も崩れかける。

 個人的な諍いから、部下に背中を撃たれた上官。
 或いは、悪意によって、上官により死地へと送り込まれた部下。

 そんな事例を、嫌というほど見せつけられてきた私にしてみれば、案ずるなという方に無理がある。

『止めるべきか?』

 私の中を過る思考。
 もはやブリッジスの適性を見る云々の段階は越えているのではないのかとの疑念が、私を動かそうとしたその時――

『――っ!?』

 ――私は首筋に氷刃を当てられたかの様な錯覚を覚えた。

 反射的に振り向けば、先程と同じく眉一つ動かさぬ青年が、動揺の欠片すらない眼差しで私を見つめている。
 思わず息を呑む私に冷たい一瞥をくれた斑鳩少佐は、同じく浮き足立っていたCP内の面々を戒めるように見回した。
 その視線の一閃だけで、ザワついた空気が薙ぎ払われる。

 狼狽えるなと言わんばかりのその眼差しに、誰もが圧倒されていた。
 飽くまでも演習に過ぎないとの姿勢を崩す事のない斑鳩少佐の態度に、判断を付けかねる私。

 そんな中、再び、苛烈な気勢がマイク越しに届いた。

『はぁぁぁっ!!』

 先程までの比では無いソレに、再び、懸念が湧き上がりかける。
 意に反して泳いだ目線が、再度、斑鳩少佐の様子を伺ってしまった。

 ――泰然自若

 そうとしか形容しようのない態度を崩す事なく、モニターを見つめている青年。
 そこには、私の様な動揺も焦りも、微塵も感じられない。

 思わず私の肩から、ホッと力が抜けた。

『くっ?』

 滑るような動きで接近し、長刀を振り下ろす篁中尉の機体。
 辛うじて防いだブリッジスが、歯軋りと共に吐き出す呻きが聞こえるが、さほどの動揺を感じぬ自身を自覚する。
 むしろ迫真の演技を演じ続ける篁中尉の意外な側面を知り、感心するほどだ。

 間髪入れず繰り出される凄まじいまでの斬撃の嵐が、中尉の衛士としての技量の程を物語っているが、真に迫った演技力も一流の役者と言えよう。

 そうやって、内心で篁中尉への評価を改めている私。
 そんな私を他所に、事態は更に進んでいく。

『ぐぅぅぅっ!?』
『あぁぁぁっ!』

 降り注ぐ乱撃を、必死で防ぐブリッジス。
 荒々しい気合と共に、猛然と攻め立てる篁中尉。

 双方の技量の高さに満足しつつ、私は、此処に至るまでの経緯へと思いを馳せるのだった。





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 ただ長いだけの寒々しい通路に、明憲様と私、そしてもう一人分の足音が響いていく。

 先導者の名は、イブラヒム・ドーゥル中尉。
 XFJ計画を担当する事になったアルゴス試験小隊の隊長を務める中年の男性士官だ。
 明憲様から頂いたプロフィールによれば、かつて難民の英雄とも呼ばれた程の歴戦の猛者だという。

 それほど人物が、何故、前線を離れ後方の試験小隊を率いているかまでは記されていなかったが、或いは、そこに私に近い想いがあるのかもしれないと感じていた。

 そんなドーゥル中尉から数メートルの距離を置き続く明憲様。
 その後を、三歩下がった位置を保ちつつ私が続く。

 コツコツと響く三つの足音。
 それを聞き流しつつ、明憲様の背を見つめていた私に向けて、不意に明憲様が振り返られた。

 軽い目配せ……だろうか?

 招くような眼差しに、一瞬、躊躇しつつも、歩速を上げて応えた私は、明憲様の横に並びながら恐る恐る声を掛ける。

「……何か御用でしょうか?」

 我ながら情けない声だ。
 己の自意識過剰ではと、どこかで疑っていた私の声は、か細く力無い。

 そんな私に向けて、困ったような表情を浮かべる明憲様。

 ――ううっ……そんなに情けない顔をしているのだろうか?

 思わず自己嫌悪に陥りそうになるが、そうなれば更にご心配を掛けてしまうのは確実だ。
 そう思い、なけなしの気力を振り絞って表情を取り繕う私。

 …………
 ………
 ……
 …

 ……ますます顔を顰める明憲様。
 そんなにも変な表情をしているのだろうか?

 (未来の)妻として、夫たる御方に心配を掛けるとは……何たる未熟!

 等と、胸中で自身の未熟さに憤りを覚える私の耳朶を、常と変らぬ静謐な声が震わせる。

「すまない。
 渡しておいた資料――特にブリッジス少尉の物に目を通したのか、確認しておきたかった」

 私が聞き取れる限界まで声量を落とした声。
 恐らくは、ドーゥル中尉には聞かれたくないのだろうと察し、私も自身の声量を明憲様のソレに合わせて答えを返す。

「はっ!
 一通り眼を通しました……」

 だが、そこまで答えた処で、わずかな逡巡が、その先へと進む事を押し留める。
 明憲様が斑鳩家のツテを使い、独自に集めて下さったアルゴス試験小隊の面々のプロフィール――特に気になさっているユウヤ・ブリッジス少尉のソレの内容を思いだしてしまったからだ。

 礼を失していたとは思うが、無意識に自身の眉が寄ってしまう。
 ブリッジス少尉に関する情報は、それ程までに問題を含んでいたのだ。

 胸中に生じた不満の火種が燻り出すのを感じつつ、軽く息をついて心を落ち着けた私は、途切れた答えを繋ぎ直す。

「……ですが正直、彼を首席開発衛士にする事には不安を感じます」
「彼が極度の日本嫌いだからか?」

 打てば響くように返る答え。
 そのお答えを聞き、明憲様も自分と同じ懸念を抱かれていた事を確認した私は、ホッとしつつも、自身の意見を口にした。

「はい……私見ではありますが、任務に私情を持ち込む可能性が大きいかと。
 場合によっては、XFJ計画そのものに深刻なダメージを及ぼす危険性が在るものと愚考します」

 そう告げながら、私の眉が更に寄っていくのを自覚する。
 苦い思いが湧き上がるのを感じつつ、私は話題の人物へと意識を移した。

 ――ユウヤ・ブリッジス少尉。

『日本人の父と米国人の母との間に産まれた日米ハーフの米軍少尉。
 若年ながら衛士としての技量については極めて優秀。
 その技量を評価され、これまでも開発衛士として様々な米軍機の開発・改修に携わる』

 ここまでは問題ない。
 正直、実戦経験が無いのは心許無いが、米国本土に展開する部隊の出身とあれば、それも仕方のない事だと諦められた。

 だが、そこから先――米国から提示された資料には無かった部分については、到底、受け入れられる筈もない。

 明憲様が情報省などを動かして、独自に集めさせた彼のプライベートに関する箇所――

『物心つく前から父親は居らず、母の手で育てられる。
 幼少時より祖父母との仲は極めて劣悪、周囲からも白眼視されていた模様。
 それら全ての原因が、居なくなった日本人の父親に起因するものとして、日本及びそれに関わるモノ全てに対し極めて否定的な言動が目立つ。
 ことに自身を日本人と同一視される事については、強い拒否反応を示し、幾度か暴力沙汰を起こし営倉入りした前歴アリ』

 ――このくだりを読んだ瞬間、はっきりと頭に血を昇らせた私が居た。

 全く何を考えているのかが理解できない。
 そもそも日本軍機の首席開発衛士に、米国人衛士を充てる事自体、納得がいってはいなかったというのに、この様な人物をあてがわれるなど、馬鹿にされているとしか思えなかった。

 どう見ても、日米共同開発計画の首席開発衛士に充てるには、明らかに問題の有り過ぎる人物としか評し様がない。
 XFJ計画遂行上、明らかな阻害要因としか思えぬ人物に、計画の命運を委ねる事など出来よう筈もなかった。

 胸中で燻り出した不満の火種を、必死で揉み消しつつも、私は潜めた声で本音をぶつけてみる。

「……このような人物を、首席開発衛士に指定した米国の意図を理解しかねます。
 有り体に言わせていただければ、XFJ計画を意図的に失敗させようとしている様にも見えかねません」

 歯に衣着せぬ発言に、明憲様の表情がわずかに曇る。
 正直、その様な表情をさせてしまうのは大変心苦しかったが、やはりここは言っておくべきとの思いは揺るがなかった。

 このままブリッジス少尉を首席開発衛士に据えて計画をスタートさせた場合、取り返しのつかない結果を招く恐れもある。
 それならばいっその事、計画が実行される前に、首席開発衛士の交代を要求するのも英断と言える筈だ。
 この計画の成否には、帝国の未来が掛かっている以上、不安要因は可能な限り排除しておくべきだと思う。

 そんな考えから、珍しく明憲様に対して詰め寄る様な形になった私に対し、明憲様は困った様な表情を浮かべて見せた。

 ……何か見落としでもあったのだろうか?

 わずかな不安が芽生えた。

 頂いた資料は、全て眼を通した筈。
 その上で、そう判断したのだが、明憲様のお考えは違うのだろうか?

 そんな不安を抱きつつ、何か考え込んでいる風な明憲様の横顔を盗み見ながら、その心中を推し量る。

 ……不機嫌という表情ではなかった。
 どちらかと言えば、迷っている様に見受けられる。

 そもそも、ブリッジス少尉の資料に目を通したかを確認した事から考えて、明憲様ご自身も、この人選には少なからず不安を抱いているのは確かだ。
 ならば、その上で迷うという事は、何か私が知らされていない事情があるという事なのだろうか?

 胸中でムクムクと膨れ上がる疑念を抑え切れなくなった私は、努めて感情を殺した声で、明憲様に水を向けてみた。

「あき……斑鳩少佐。
 僭越とは思いますが、今からでもブリッジス少尉の交代を、交渉してみては如何でしょうか?」

 明憲様の片眉が微かに動く。
 滅多に感情を表に出さないこの方にしては珍しい反応だ。

 不快を感じてのソレとは違うのが、何となくではあるが理解できる。
 そんな自分に何処かで満足しつつ、やはりとの思いを強くした私に対し、明憲様は黙って首を横に振り否定の意思を伝えてきた。

 私の眼が、スッと細くなるのが分る。
 次いで、自身の疑念が正しかった事を確信すると、わずかに潜めた声で更に質問を重ねた。

「……何故ですか?
 頂いた資料を提示し、本計画の首席開発衛士としての適性に問題有りと訴えれば、向こうも無下には出来ないものと愚考しますが」

 声に滲む不審の念は、隠しきれなかった。
 非礼とは承知しつつも、知りたいという欲求が抑え切れない自身の未熟さを痛感しながら、私は明憲様をジッと見つめる。

 整った容貌に浮かぶ求道者めいた表情は常と変らず。
 だが、そこに微かに滲む感情は、恐らく私自身が抱いているものと同じだった。

 この方には珍しい感情――即ち、不満の色を微かに覗かせた明憲様は、わずかに苦笑を浮かべながら静かに語り出される。

「ブリッジス少尉を首席開発衛士に据える事に拘っている御仁が居る。
 ……不本意ではあるが、本計画を遂行するにあたって、その御仁の意見を無視するのは難しい」
「……どなたです?」

 更に潜まる声。
 反比例する様に、お互いの距離が更に縮まった。

 睦言を囁く――ま、まだ経験は無いのだが――程に近づいた私達。

 不謹慎にも、わずかに耳朶が熱くなるのを自覚してしまう。
 思わず高鳴る鼓動が、明憲様に聞こえてしまわないかと心配しつつ、それでも耳を澄ませていた私の耳翼を、囁く様な声が撫ぜた。

「XFJ計画技術顧問殿だ」
「――っ?」

 頭に昇りかかっていた血が、一気に退いていった。
 一瞬、呼吸が止まったのを自覚しつつ、同時に、明憲様が無視し難いと評した意味を理解する。

 ――XFJ計画技術顧問 フランク・ハイネマン

 『戦術機開発の鬼』と呼ばれる戦術機開発の第一人者。

 それだけなら尊敬に値する人物であろう相手だが、同時に黒い噂の絶えない人物とも聞く。
 叔父様からも、くれぐれも隙は見せるなと念押しされた程だ。

 ユーコン基地へ着任後、明憲様と共に面通しした際も、なんとなく引っ掛かるモノを感じたのを覚えている。
 どこか作り物めいた笑顔の下に、別の顔がある様な印象が強く残っていた。

 正直なところ怪しさ全開といえる相手であり、叔父様に注意されなくても警戒心を解く気にはならなかっただろう。

 ……だが、そんな曰くつきの人物であれ、本計画遂行の為には欠かせない存在でもあった。

 もし、ハイネマン技術顧問が本計画から降りるとなれば、その時点でXFJ計画は破綻しかねないだろう。
 明憲様が、不審と不満を抱きつつも、ブリッジス少尉を首席開発衛士から外せないと断言したのも無理はない事だった。

『なんとかして差し上げたい……だが……』

 叶わぬ思いが、無力な私の胸を締め付ける。
 夫たる方の苦悩を知りながら、何らなす術もない自身の無能さ嘆くしかない私。

 そんな役立たずな私に向けて、明憲様は変わる事無き静謐な声で告げる。

「技術顧問殿の目的は読めない。
 だが、XFJ計画を遂行するには彼の協力は不可欠であり、その要望を拒む事は難しい」

 リスクがある事を承知の上で、技術顧問の要望を呑むしかない――と動揺の欠片すら見せず言い切られる明憲様。

 それを聞いた瞬間、自身の眉間に皺が寄るのを自覚しながら、黙って頷く事しか出来ない自身が、どうしようも無いほど厭になった。

 ――なんたる未熟!
 ――なんたる無能!!

 (未来の)妻として、こんな時こそ明憲様を支えねばならぬ筈が、何もできないとは……

 思わず漏れそうになった歯軋りを、それでも必死に抑え込む。
 何の役にも立たない上に、要らぬ心配までお掛けする様な真似など出来よう筈もなかったからだ。

 ……だが、そんな私のやせ我慢も、明憲様にはお見通しだったらしい。

「苦労を掛ける。唯依」
「――っ!
 そ、そんな事はありません………あ、明憲様」

 微かな笑みを浮かべつつ労いの言葉をくれる明憲様。
 一旦は退いた筈の血が、再び昇ってくるのを感じつつ、慌てて首を振り否定する。

『わ、私を殺すおつもりですか!?』

 そう胸中で絶叫しながら、ドクドクと早鐘の様に打つ鼓動を何とか抑え込もうとした私は、無意識の内に左手を包み込み、そこに在るべきモノが無い事に気づいて頬を引き攣らせた。

 一瞬、心臓が止まる程の驚きを覚えるが、無くした訳ではない事を思い出し、ホッと安堵の吐息を漏らす。
 だが、続いて寂寥感が、私の胸の奥に隙間風となって吹き込んできた。

 この地を踏むにあたり、私達が婚約者同士であるという事を伏せておく事にしようと提案されたのは明憲様だが、私自身も同意した事。

 若輩の身であれ、開発主任という立場上、部下達に舐められる訳にもいかず。
 何より、明憲様の名に傷を付けるような風聞も起たせたくはなかった。

 公私の区別も付けず、開発主任に婚約者を抜擢した――などと噂されでもしたら、お詫びのしようもない。

 そう思って承諾したものの、慣れ親しんだ感触が喪われているのは、やはり少し寂しい。
 所詮は物と言ってしまえば、それまでなのかもしれないが、物は物でも、明憲様の想いを形にしたモノだ。

 胸中を吹き抜けた冷たい風が、私の表情を曇らせる。
 いけないと分っていても、思わず縋る様な視線を、最愛の人へと向けてしまった。

『――っ!?』

 明憲様の面に浮かぶ愁いの色が、私の胸を撃ち抜いた。
 一瞬だけ、眼を見開いてしまった私の顔が、次の瞬間、ふわりと崩れてしまう。

『……嗚呼……それは反則です……』

 胸の奥底、心の底から、温かなモノが湧き上がってくる。
 溢れ出る幸せな想いが、私を微笑ませてくれた。

 私自身の寂しさを感じ取り、愁いてくれる明憲様。
 申し訳ないと思いつつも、その事がたまらなく嬉しかった。

 ――せめてこの想いの幾たりかでもお返ししたい。

 そんな思いに突き動かされて、私は軽く胸を張って告げる。

「あまり、お気になさらないで下さい。
 頂いた御心は、ここにキチンとあるのですから」

 そう告げながら自身の左胸――お守り袋に仕舞った大事な婚約指輪に手を当てて見せる。
 やや力み過ぎたのか、自身の胸がたわむのを感じつつ明憲様を見上げると、目元の辺りが、少し、本当にホンの少しだけ赤くなっているのに気づいた。

『……こ……これは……その……』

 私の仕草が、期せずして明憲様に『女』を感じさせてしまった事を直感的に悟る。
 頬が微かに紅潮を増すのを感じつつ、思わず慌てふためいてしまう私が居た。

『そ、そんなつもりではなかったのだが……』

 どうしていいか分からなくなってしまう。
 もしや誘惑したなどと思われてはいないだろうかと不安になった。

『……ま、まあ、許嫁なのだから……その…そういう事があっても、良いかなとは思わないでもないのだが……
 あ、あ、明憲様が望まれるなら、わ、わ、わ、私にも覚悟というものが……って、違う! 違うだろ私ぃ!?」

 思考が千々に乱れ暴走していた。
 恥ずかしさの余り、穴があったら入りたい気分に襲われた私は胸中で絶叫する。

 ――もし、このような場所で、こんなはしたない事を考えていると知られたら、腹掻っ捌いて死ぬしかない!

 そんな悲壮な決意を固めつつ、それでも必死に表情を取り繕って、明憲様の様子を伺う。

 ……明憲様は、既に私を見ていなかった。

 肩すかしを喰らい、思わずガックリと肩が落ちそうになるが、そこは気合いでグッと堪える。
 反射的に追った視線の先で、先行していたドーゥル中尉が、数メートル先にあるドアの前で立ち止まり、こちらを見ている事に気付いたからだ。

 明憲様と私の視線が絡み合う。
 無言で意思を伝え合った私達は、歩速を上げてブリーフィングルームの前で待つドーゥル中尉の下へと歩み寄っていく。

『日本嫌いの首席開発衛士……どのような難物であれ、きっと御してみせる』

 そう心に誓った私は、ドーゥル中尉の導きに従い、明憲様と共にブリーフィングルームへと入っていったのだった。




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『まったくもう……』

 毎日毎日、よく飽きないもんだ――そう思いながらアタシは、いつも通り激しく言い合うユウヤとタカムラを呆れた目で眺めていた。

「こちらの改修要求は全て握り潰す!
 そのくせバランスなんぞ一切考慮していない無茶苦茶な仕様を押し付ける……何を考えてるんだアンタ等はっ!?」
「何度も同じ事を説明させないで欲しい。
 貴様の出した改修要求は、我々の要求仕様に合致しない。
 故に受け入れる事ができないと、その都度、説明した筈だ」

 怒声を上げるユウヤと感情を感じさせない冷たい声でやり返すタカムラ。
 これもまた、いつものパターンだ。

『このまま行けば、また物別れか。
 本当に、この計画は大丈夫なんですかねぇ』

 と言葉には出さずに皮肉を言う。

 ……本音を言わせてもらえば、もうダメなんじゃないかとは思っていたんだけどさ。

 なにせユウヤは筋金入りの日本嫌い。
 対して、あの『お姫様』は、骨の髄まで日本人そのもの。

 オマケに、あまり現場には出てこないが、XFJ計画の日本側責任者として来ている『お坊っちゃま』。
 サムライの総元締めであるショーグンの一族の出だってんだから。

 ヴァレリオが、サムライ・マスターとか言って騒いでいた時のユウヤの顔付きを思い出せば、どう考えても上手く行く筈がないね。

「あ〜あ〜……骨折り損のくたびれ儲けか……つまんねーの」

 今度は、本音が出ちまった。
 チームワークもクソもない今の状況をみれば、この先も、上手く行くようになる日が来るとは到底思えない。

 飽きもせずに言い合う二人を他所に、やや飽きが来たアタシは、さりげなく周囲を見回した。

 もはや日常茶飯事と化した口喧嘩を、ステラやヴァレリオ、そしてヴィンセントを含めた整備員達が遠巻きに見守っている。
 まあ、適当に言い合いをさせた上で、ヴィンセント辺りが機を見計らって仲裁するんだろう。

 そんな事を考えていたアタシの視線が、とある一点で止まった。
 思わず漏れそうになった口笛を堪えつつ、人の輪から少し離れた位置に立っている『お坊っちゃま』を見つめる。

 いつもと違う展開が起こりそうな予感に、アタシの頬が緩んだ。

 やっぱりマンネリは良くない。
 さて、あの『お坊っちゃま』が、この修羅場をどう捌くのか?

 そんな野次馬根性を、その時のアタシは抱いていたんだ。


 ……嗚呼、なんでそんな事考えたんだろ?
 とっとと逃げ出すか、強引にあの二人の口喧嘩を止めときゃ良かった。

 数分後、そうやって後悔する破目になるとは思いもしなかったぜ。


「人馬一体だかなんだか知らないが、アンタ等が日本人が精神主義に凝り固まって、バランスもクソも無い出来損ないを造るのは勝手だ!
 だがオレは、開発衛士としての誇りにかけて、自分がテストした機体で死人を出すのは我慢出来ないって言ってるんだよっ!」

 ますますヒートアップしていくユウヤ。
 もう相手が、一応、上官であるという事すら忘れちまったらしい。

 敬語すら使う事無くタカムラを罵る様に、さすがにマズイんじゃねぇかと思いだす。
 いつも言い合っているタカムラだけならともかく、『お坊っちゃま』の眼があるのはチトやばい。

『アイツ、飛ばされるんじゃねぇの?』

 とガラにも無くアタシも心配しちまった。
 ……心配したんだが、それもまたイイかと思いなおす。

 どう見ても、この任務はユウヤには向いていない。
 いっその事、ここでスッパリ辞めちまうのも、アイツの為かも知れない。

 そう思ったアタシは、再び、チラリと『お坊っちゃま』の方を見て――

『居ない?』

 ――思わず眉を顰めた。

 さっきまで、そこに立っていた筈の『お坊っちゃま』が居なくなっていた。

『野郎、怖くなって逃げ出したのか?』

 唾を吐き捨てたい気分になった。
 自分の部下を見捨てて逃げ出しやがるとは、なんとも情けないタマ無しだ。

 そうやって呆れ混じりの溜息をついたアタシは、なんだか馬鹿馬鹿しくなってユウヤ達の方へ向き直りかけ――

『――ッ!?』

 ――固まった。

 固まったアタシの視線の先を、足音すら立てる事無く歩いていく斑鳩少佐。
 ただそれだけの筈なのに、アタシの額に冷たい汗が滲み、背筋に悪寒が走るのを感じた。

『……なんなんだよ……アレは……』

 気配がまるで感じられない。
 そこに居る筈なのに、ふと気を抜けばそのまま見失ってしまいそうな希薄さ。

 それを証明するかのように、アタシ以外の誰もが、少佐の動きに気づいていなかった。

「……重ねて言うが、貴様の改修要求は受け入れられない。
 そもそも貴様は、自分が何をしているのかすら理解していない」
「なにっ!?」

 どこか遠くで、タカムラとユウヤが言い合っているのを聞きながら、アタシは少佐から眼が離せない。

 離した瞬間見失い、気づいた時には、食い殺されている様な予感。
 まるで野生の虎を前にしているような恐ろしさが、アタシの視線を雁字搦めに縛り上げていたんだ。

「我々は、XFJ計画において日本軍機を開発しているのだ。
 断じて、貴様が乗り慣れた米軍機を、開発している訳ではない!」
「オレの改修要求が、独り善がりだとでも言いたいのか!?
 出力はピーキー、安定性は皆無、操縦性は最悪、こんな馬鹿げた機体がアンタ等日本人の求める機体だとでも言うのかよ!」

 怒鳴り合う二人の声が、どこか別世界のような感じだ。
 ノドがカラカラに乾いていくのを感じ、アタシはゴクリと唾を飲み込む。

 少佐の速度が速まった。
 滑る様な足取りの向う先は、言わずと知れたところ。

「不知火・弐型の要求仕様は、我が国が置かれた状況を充分に勘案して策定されたものだ。
 それを、XFJ計画を私物化しようとしている貴様の我が儘に付き合って、変える理由など無い」
「なっ!?」

 タカムラとユウヤのところ。

 みるみる内に距離が詰まっていくが、タカムラ達だけでなく、周りを取り巻いている誰もが気付かない。

 アレは獲物を狙い、密やかに近づく獣の動き。
 気づいた瞬間、バクリと食い千切られるんだ。

「貴様に言っておく。
 帝国の衛士達は、これより遥かに劣る機体に乗って国を守って来た。
 訓練を終えて間もない新兵達ですらだ。
 はっきり言おう、貴様は彼ら新兵よりも遥かに未熟だ」
「――っ!!」

 少佐の眉がピクリと動いた。
 二人の周囲の空気も、ピリピリしていたみたいだが、それ以上に、アタシは少佐が怖かった。

 だって……

「何をやっているか?」
「「――ッ!?」」

 空気が凍った。
 少佐の一声で。

 大きくもなく、激しくもない、だが絶対に無視できない声だった。

 ア、アタシだけじゃないぞ。
 ステラも、ヴァレリオも、ヴィンセントのヤツも、そして何よりさっきまで激しく言い合っていたタカムラ達さえも、だ。

 みんな固まっちまった。
 ドライアイスみたいに冷たく乾いた少佐の声で、凍りついちまったんだ。

 そんなアタシらを、タカムラ達も含めて、声以上に冷たい眼差しで一瞥した少佐は、もう一度言った。

「何をやっているのかと聞いている」

 一転、激しい怒りを秘めた声で、だ。

 さっきまでの無表情な顔が嘘みたいな迫力に、思わずみんなが後ずさる。
 直接睨みつけられたタカムラとユウヤの後ろに居た連中なんかは、他の連中の倍くらいは飛び退ったぜ。

 強面の衛士相手でも、一歩も退きそうにない海千山千の連中がだ。

 その時点で、正直アタシは尻に帆を掛けて逃げ出したくなっちまった。
 逃げ出したくなったんだが……逃げられなかった。

 ……信じらんねぇけど、足が竦んじまったんだ。
 下手に動こうとしたら、そのままスっ転んじまいそうな感じに、泣く泣くその場に残るしかなかったんだよ。

「答えられんのか?
 ……答えられん様な事に時間を使っている程、貴官等は暇なのか?」
「あ……」
「――クッ!」

 何かを言おうとしてタカムラが口籠る。
 同時に、止せばいいのに反論しようとしたユウヤが、少佐の一睨みで黙らせられた。

『空気読め!
 っていうか、これ以上、少佐を怒らせんじゃねぇっ!』

 思わず叫んじまった。頭の中で。
 声を出したら、今度はアタシの方に矛先が向きそうだったから……

 ――なにビビってんだ!

 そう叫ぶ声もある。
 だけど、それ以上に喧しく騒ぐ声が、ソレを押し潰した。

 ――ニゲロ、ニゲロ、ニゲロッ!

 アレはヤバい。
 どうにもこうにもヤバい。

 そんな警報が、アタシの中でガンガンと鳴り響く。

 ……嗚呼、本当に、この時逃げ出してりゃ良かった。そうすれば……

「ならば散れ。
 我が国は、無駄な事をさせる為に、この計画に資金と資材、そして何より貴重な人材を投じている訳ではない」

 鋼を思わせる冷たく硬い声が、アタシの頭を殴り飛ばす。
 そしてフラフラになったところで、冷酷な獣の眼差しがアタシの心臓を射抜きやがった。

 初めて戦場に立ったのと同じ、いやそれ以上の恐怖がアタシに襲いかかり、そして……

「今一度言う。 散れっ!」

 ……そして、その声に追い散らされるように逃げ出したアタシは、初めて戦場から戻った時と同じ屈辱を味わう破目になったんだ。





 ――畜生っ! やっぱりあの時、逃げときゃ良かった!





■□■□■□■□■□■□





「くうぅぅぅっ!」

 噛み締めた歯の隙間を抜けて、情けない悲鳴が漏れる。
 流れ落ちる汗が、管制ユニット内に飛び散るのを感じながら、オレは必至で壱型丙の長刀を受け止め続けた。

 絶え間なく続く長刀の嵐。
 今まで経験した事の無い未知の近接戦闘について行くのがやっとだ。


 ――不知火・壱型丙。

 オレの乗る不知火・弐型フェーズTのベースとなった機体って話だが、こうして相まみえてみれば信じらんねえぜ。
 カタログ・スペックでは、強化改修を施している弐型の方が勝る筈なのに、反撃の機会を掴む事すら出来やしない。

『口先だけじゃなかったって事かよ!』

 オレは必死に守りを固めつつ対峙する蒼い壱型丙を、そしてソレを操っている篁中尉(ジャパニーズ・ドール)を装甲越しに睨む。
 悔しいが近接戦闘には、アッチに一日の長がある事を認めざるを得なかった。

 性能で劣る筈の壱型丙に、弐型が圧倒されているのは、操る衛士の差。

 そう思う度に、オレの口の中で歯軋りの音が鳴った。

『ハッ!
 これが人馬一体だとでも言いたいのかよ』

 文字通り手足の様に壱型丙を操りながら、オレを追いこんでくる篁中尉(ジャパニーズ・ドール)に胸中で悪態を吐く。
 声に出さないのは、聞かれる事を恐れてではなく、迂闊に口を開けば、そのまま舌を噛みかねない程の激しくトリッキーな機動を連続させているからだ。

 今まで経験した事の無い激しく危険な近接戦闘を繰り返しながら、オレは必死で活路を見出そうと考える。
 認めたくないが、このままヤリ続ければジリ貧になるしかなかった。

 そうなっちまえば、もうあの篁中尉(ジャパニーズ・ドール)に頭が上がらなくなる。
 明らかに弐型より劣る筈の機体で、コテンパンに叩きのめされたとなれば、アイツの主張の方が正しかったと言われても反論できなくなるだろう。

『冗談じゃねぇっ!』

 少なくとも、オレは開発衛士として間違った事はしちゃいない。
 いけすかない任務とはいえ、機体の問題点の洗い出しと改善提案については、これっぽちも手なんか抜いた覚えは無いんだからな。

 なにより、女とはいえ日本人に負ける事自体、オレ自身が許せそうになかった。

「グゥッ!
 ガァァァアッ!」

 オレの口から獣のような咆哮が迸る。
 気勢を上げて放った反撃が、虚しく空を切った。

 一瞬の間を置き、横殴りに叩きつけられるスーパーカーボン製の巨大な刃が弐型の右肩を削っていく。
 悲鳴のような轟音が、管制ユニット内に木霊し、それがオレを更に苛立たせた。

 まるでオレが下手くそだから、自分が傷つく破目になったと言われているような錯覚。
 その事が、オレから更に冷静さを奪っていく。

「しっかり動け!
 この出来損ないがっ!」

 自分の口から迸る罵声を聞きながら、泣きたくなるような気分に襲われた。

 異常なまでに敏感かと思えば、こっちの操縦に全く反応しない事もある。
 主機の出力はピーキーで安定領域が異様に狭い。

 まったくオレのいう事を利かない暴れ馬――それが、この弐型に下していた評価だった。

 だが……

「くっ?」

 まるで途切れの無い滑らかな機動で、内懐に飛び込んできた壱型丙の斬り上げる一閃を、不様に飛び退きながら避けるしかないオレ。
 この弐型以上に扱い難い筈の機体を、見事なまでに操って見せる相手が目の前に居る事実は変えられなかった。

『――っ!』

 思わず歯を食いしばる。
 長時間の緊張から震える腕を誤魔化しながら、必死に弐型を動かしつつ、目の前に立ち塞がる蒼い機体を睨みつけた。

 ――もういい……死ね。

 先ほど通信機越しに叩きつけられた宣告が、オレの頭の中に甦る。
 冷たい殺意と激しい怒りで編まれたアレが、演技だとは到底思えなかった。

『……そこまでオレが邪魔だってのかよ!?』

 これが演習であるという可能性が、オレの中から消えていく。
 あちらは間違いなく、こちらを殺しに掛かっていると。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 荒い息が、耳を吐く。
 操縦桿を握る手が痺れ、視界がわずかに霞んでいる。
 心臓がバクバク鳴り続け、今にも喉から飛び出してきそうだった。

『冗談じゃねぇ!』

 殺られてたまるかとの思いのみが、オレの中を満たす。
 ヘタリかける自分にカツを入れ、反撃の機を狙おうとした正にその瞬間、今まで以上の速さで壱型丙が踏み込んできた。

 ――殺られる!?

 これまでよりも数段速く、そして鋭い一閃が、白い軌跡となって、オレの眼に焼きついた。

 水平に放たれた一撃。
 その軌道上にあるのは弐型の管制ユニットそのもの。

 一瞬の間に、そんな事がオレの脳裏を過り、同時にオレは自分の死を確信した。

 ……そう確信した筈だった。なのに……

「ハァ、ハッ、ハッ」

 白い軌跡のままに振り抜かれた一閃。
 それを見ながら、オレは自分の荒い呼気を耳にする。

 あの一瞬、文字通りの刹那の間、オレがイメージするままに白い軌跡を逃れた弐型。

『この感覚は……』

 初めて経験した感覚に、思わず唖然としてしまったオレは、その時きっと隙だらけだったろう。
 返しの一撃を喰らえば、避ける事すら出来ぬままにアッサリと斬り倒されていた筈だ。

 だが、追い打ちが来る事はなかった。
 何故なら、壱型丙――いや、あの篁中尉(ジャパニーズ・ドール)も、オレと同様に茫然自失となっていたからだ。

 束の間、夕陽の中に立ち尽くす二機の戦術機。

 だが、アイツよりも、オレの方が一瞬早く我に返る。
 我に返って、そして……

「おおぉぉっ!」

 絶叫しながら棒立ちしているだけの壱型丙へと斬りかかる。

 もはや道理もクソもなかった。

 ――殺られる前に、殺れ。

 そんな衝動に突き動かされるまま壱型丙へと斬りかかったオレの視界を、白い軌跡が再び過った。

「ガッ!?」

 肺の中の空気が一気に外に出る。
 口の中に広がる血の味を感じながら喘ぐオレの視界の片隅に、空高く吹き飛ばされていく74式近接戦用長刀が映った。

 全身を襲った衝撃と、それに続く跳躍ユニットとは異なる浮揚感。
 自身に何が起こったのかも分らぬまま、朦朧と霞んでいく意識の片隅に鋭い一声が響く。

『状況終了!
 これにて演習を終了するっ!!』

 無責任で卑怯者な父親の次に嫌いな男の声。
 ショーグンの一族とかいう血統証に開発責任者という肩書を付けて、オフィスでふんぞり返っているだけだった筈の野郎の声。

 どこまでも冷たく硬く、そして強いソレを聞きながら、オレの意識は黒一色に染まった。





■□■□■□■□■□■□





 夕焼けの中、吹き付ける風が私の髪を揺らす。
 先程までの戦いで火照った頬を冷ますソレが、ひどく心地良かった。

 あの後、適当に逃げ込んだ建屋の屋上から沈み行く夕陽を見ながら、私は小さく溜息を吐く。

『……うう……なんたる失態。
 明憲様に合わせる顔が無い』

 つい数十分前の自身の醜態を思い出し、戦闘の火照りとは別の熱さが私の頬を炙る。

 あの時、ブリッジス少尉の罵声を耳にした瞬間、頭に血が昇って我を忘れてしまった。

 私を侮辱するのも、否定するのも構わない。
 その程度の事は覚悟の上だ。

 だがアレは、アレだけは許せなかった。
 どうしても許せなくて、それで……

 ――もういい……死ね。

 気づいた時には、そう言い放っていた。
 言い放ち、そして怒りの赴くままに、それをブリッジス少尉に叩きつけてしまった私。

「……なんたる未熟、なんという醜態……」

 頭を抱え込み、蹲ってしまいたくなる。

 ――いっそこのまま、ここから身を投げてしまおうか?

 そんな刹那的な逃避が脳裏を過るが、流石にそれは無責任と思い留まる。
 始まったばかりのXFJ計画を放り出す訳にもいかず、何より今回の騒動について責任を取らねばならない。

 あの時の私の言葉は、しっかりとCPでも記録されていた筈。
 となれば、最悪、普段から不仲であったブリッジス少尉を、演習にかこつけて殺害を図ったと判断されてもおかしくはなかった。

 もし万が一、そんな事になれば、明憲様にも累が及びかねない。
 それを避ける為にも、私自身が全ての罪を背負う必要があるのだ。

 そこまでは分っている。
 分っているのだが……

「……明憲様……」

 溜息混じりの呟きが漏れた。

 嫌われただろうか?
 呆れられただろうか?
 こんな愚かな女には、もう愛想を尽かされたかも?

 そんな思いが、グルグルと私の中で渦を巻く。
 渦を巻いてそして、惨めったらしく逃げ出してしまった我が身の情けなさに、ひたすら落ち込む事しか出来なかった。

 ――あと少し、もう少しだけ頭を冷やしたら、明憲様の下へ行こう。
 ――行ってそして、処罰を受けよう。

 そう胸中で言い訳を呟きながら、ただダラダラと時間を引き延ばしているのを、私も心の何処かで理解していた。
 理解していながらも、最後の踏ん切りがつかない。

 あの方にお会いするのが恐ろしかった。
 軽蔑の眼差しで見られるのが、怒りの声を叩きつけられるのが、心底、怖かった。

 そうやってウジウジと、ただ時間を浪費していただけの私の背後で、パタパタと軽い足音が唐突に湧き起る。
 一瞬、ビクンと背を波打たせた私は、反射的に音源へと振り返った。

「―――ッ!?」

 ……振り返って、そして今度こそ硬直する。

 視界の左半分に映るのは、屋上へと至るドアへと飛び込んでいく小さな人影。
 そして、右半分を占めたのは――

「……明憲……さま?」

 会わねばならず、されど合わす顔を無くしてしまった御方。
 私の許嫁……いや、もしかしたら『元』許嫁となるかもしれぬ人だった。

 黄昏の色が濃くなる屋上に立つその影は、いつもと変わらぬ落ち着きを湛えている。
 そしてそのまま、こちらへと歩み出したお姿に、私は、混乱の極みへと達した。

 グチャグチャになった頭の中で、幾つもの思考が走り、混じり合い支離滅裂なものと化していく。
 内心の動揺を示すように、私の視界が右へ左へと揺れる中――

「唯依」
「――っ!?
 ………は…い……」

 静謐な声が、私の動きを止める。

 胸中に諦観が満ちていく中、私は、心の何処かで安堵していた。
 己のけじめを、己の手でつけられない不甲斐なさと共に……

 悠然とした足取りで歩み寄ってくる明憲様。
 対して私はと言えば、許嫁としてお会いするのは、これが最後になるかもしれないという恐怖から、直立不動の姿勢を保ちつつも、まともにお顔を見る事すらできない。

 バクバクと鼓動を刻む心臓の音が耳鳴りの様に響く。
 俯き床を見る事しか出来なかった私の視界に黒い影が差した。

「申し訳ありませんでした!
 先程の一件、如何なる処罰でもお受けいたしますっ!」

 私の口から、唐突に、謝罪の言葉が飛び出した。
 ……飛び出して……しまった。

 そんなつもりは無かったのに……
 言い訳も、言い逃れもする事無く、明憲様の叱責を真摯に受け止め、その裁断を仰ぎ、処罰されるつもりだったのに……

 機先を制し、詫びの言葉を紡いでしまった己の弱さが、ほとほと厭になった。
 お優しい明憲様なら、ひたすら頭を下げる相手に鞭打つような真似はしないと、どこかで計算している自身の卑劣さを悟り、情けなさに涙が滲む。

 もはや顔すら上げられない。
 上げれば涙で潤んだ瞳を見られてしまう。
 そうなってしまえば、きっと私は、私自身を許せなくなってしまうだろう。

 後はもう、ただひたすらに頭を下げたまま、これ以上、涙が滲まないように歯を食いしばってこらえる。
 屋上を渡る風が、こぼれかけた涙を一秒でも早く乾かしてくれる事を祈りつつ、頭を下げ続ける私。

 そんな私に向けて明憲様は、罰を与えるので頭を上げるようにと命じられる。

 数瞬の躊躇があった。
 涙が、まだ乾ききっていない事が分っていたから。

 とはいえ、命令に逆らう訳にもいかず、私は下げていた頭を恐る恐る上げる。

 きっとその時の私は、ひどい表情をしていたのだろう。
 覗き込んでいた明憲様の顔にも、ひどく困った様な色が滲んだ。

 反射的に、また俯いてしまいたくなるのを必死で堪え、なけなしの気力を振り絞って向かい合う私。

『……?』

 私の脳裏に疑問符が浮かぶ。
 明憲様の双眸に、これまで見た事の無い光が浮かぶのを見咎めて。

 それは、この沈着冷静な方には、ひどく似つかわしくない光。

 どこか悪戯っ子めいたソレに、思わず首を傾げかけたその瞬間――

「あ、明憲様!?」

 私の喉から悲鳴じみた叫びが迸った。
 咄嗟に身動ぎかけた私の体が、逞しい両腕できつく抱きしめられる。

 思いもかけぬ展開に、頭の中が真っ白になる私。
 そんな私の反応など知らぬ気に、明憲様は、この身を捕えたまま私の肩に顎を掛け、髪に顔を埋めた。

 カッと血が昇っていくのが分る。
 きっと顔は、熟れたトマトよりも真っ赤になっていただろう。

 動揺と困惑に上擦りきった声が、私の喉を通り抜けた。

「あ、明憲さま!
 こ、こ、こ、この様な場所で、お、お、お戯れをっ!?」

 そう言いながら、拘束を抜け出そうと身体に力を込める。
 否、込めようとした――

「――d;ksヴぁんbkwsn@っ!?」

 耳朶を這う濡れた感触に奇声が迸る。

 貞淑たるべき大和撫子にあるまじき自身の醜態。
 しかし、その時の私は、それすらも自覚できなかった。

 一瞬にして、全身に炎の様な熱が籠り、同時に、反抗すべき力が抜ける。

 そしてそれを見越した様に、更に更に強く、この身を抱きしめる明憲様の腕。
 保護皮膜越しにも感じられる軍人として鍛え抜かれた鋼の様な体躯。
 鼻孔に香る男の人の匂い。

 それら全てが、私の中に押し寄せ、混乱を広げ、抗う意思を奪っていく中、再び明憲様が、私の耳朶を嬲る。

『――っ!!?』

 痛みには一歩届かぬ刺激が、私の耳から全身へと広がっていった。
 甘く鋭い感覚が、コリコリと耳朶を噛む音と共に、この身を犯していく。

 全身の力が完全に抜け、くたりとばかりに明憲様に寄り掛かってしまった私の耳元で、あの方はソッと囁き告げた。

「望み通り罰を与える。
 このまま暫らく、こうしている様に」

 どこか笑みを含んだ声でそう命ずると、わずかに拘束を緩めた明憲様は、私の顔を覗き込んでくる。
 困惑と動揺に、真っ赤に染まっているだろう顔を見られる事が、更に私の羞恥を煽った。

 絡み合う眼と眼。
 言葉無しで伝わる意思。

 どこか嗜虐的なものを感じさせるソレらに、私の背筋がブルリと震えた。

 それは畏怖か、それとも期待だったのだろうか?

 混乱しきり、自身の感情すら把握できなくなっていた私には、いずれとも判別の着かない感情。
 そしてソレを理解する事無く、反射的に非難の言葉が零れ落ちかけ……

「こ、こんな処罰は……んんぅっ!?」

 ……いとも呆気なく封殺された。

 重ねられた明憲様の唇が、私の唇を塞ぎ、強引に黙らせる。
 反論も、反抗も許さぬとばかりに、私の中に侵入してきた舌先が、私の舌を捕え絡め取っていった。

 くちゅくちゅと粘つく水音が、私の聴覚を侵す。
 絡め取られた舌先から感じる柔軟で強靭な感触が、私の呼吸と鼓動を際限なく高めていった。

 荒く熱い息が、重ねられた唇の際から漏れる。
 余りの熱さに、脳がドロドロに熔けていってしまうような錯覚を覚えながら、私の中から完全に抗う意思と力が抜け落ちていった。

 やがて先程とは逆に、ゆっくりと唇が離される。
 絡められていた舌が解け、するりと退かれていくのを、未練がましく追いかけるように私の舌先が、わずかに突き出された。

 喘ぐ、喘ぐ、喘ぐ。

 喪われた酸素を貪るように、全身を侵す熱を吐き出すように、荒い吐息を繰り返す私。

 そんな私を見つめながら、明憲様が厳かに宣告する。

「罰として辱めを与える。
 ……しばし耐えよ」

 そう言い置くと、私の答えを聞く事無く、再び、髪に顔を埋める。
 クンクンと子犬の様に、匂いを嗅ぐ気配に、私の顔が再び熱を帯びた。

 なにせ戦闘後、シャワーを浴びるどころか、着替えてさえいないのだ。
 汗の匂いや、その他が、途端に気になって仕方なくなるが、許しを乞うよりも先に、ドドメの一撃を撃ち込まれてしまう。

「褒められた事ではないが、嬉しくもあった……そういう事だ」

 囁く様な小声が、私の鼓膜を、心を甘く震わせた。
 意図せぬままに、ビクンとこの身が跳ね、次いで全身に歓喜の念が広がっていく。

 ――私の暴走の理由を、理解していて下さった。

 ただそれだけの事が、私の中で木霊し、響き渡る度に、際限なく幸福感を湧き上がらせる。

 叱責され、処罰される事を望んでいた筈。
 そう思っていた筈なのに、それが自身の本心ではなかった事を私は悟った。

 ――認めて欲しい。
 ――気づいて欲しい。

 未熟で愚かな行いだったと自虐しつつ、それでもこの人にだけは分って欲しかったのだと。

 そして明憲様の言葉の意味を確かめるように、オズオズといった風情で私の両腕が、その背へと回される。
 それに応える様に、更に力強く抱きしめ返してくれる逞しい腕の感触。

 縋るように力が籠る私の腕が歓喜に震え、熱い吐息と共に呟きが零れ落ちる。

「あき……憲…様……」

 互いが別ち難く結びついて行く中、再び、明憲様の唇が、私のソレに重ねられる。
 もはや此処が、何処であるかすら忘れ果てた私は、再び私の中に入ってきたその舌先に、躊躇う事無く自身の舌を絡め返した。

 はしたないという考えすら浮かばず、ただただ夢中になって明憲様の求めに応じ、そして求め返す私。
 喉を通り過ぎていく声は甘く蕩けきり、明憲様の背に回した腕には決して離れまいと言わんばかりに力が籠る。

 この身を覆う強化装備の保護皮膜すら邪魔に感じられた。
 忌々しい人造の皮を引き裂き、素肌をそのまま重ねたくなる衝動を堪えながら、少しでも多くその身を重ねようと摺り寄せていく。

 絡み合う舌と共に互いの吐息が混じり合い、重ねられた身から伝わる鼓動が共に高まっていくのがはっきりと分った。

『……ああ……ダメだ。
 ダメなのに……』

 私の中に残る微かな理性が、小さな呟きと共に消えていく。
 杓子定規なだけのソレらでは、この誘惑には抗えない。

 『罰』の名を借りた甘く芳しい蜜。

 抗いがたく甘美なソレに完全に溺れ切った私は、その味に酔い痴れ、それ以外の全てを忘れ果てていく。

 やがて夕焼けは、煌めく夜空へ変わったのだろう。
 いつしか星と月と人の灯が世界を照らし出していたのかもしれない。

 だが私は、それにすら気づく事無く、溺れ続け、酔い続け、求め続けた。

 このまま……ずっと、このまま……

 そんな許されない願いを抱きながら、最愛の人の全てを感じ取り、味わい、受け入れ続けていく。

 そう、いつまでも、いつまでも――










 後書き

 ご舎弟さまシリーズそのにの裏でした。

 今回の糖度は如何ほどだったでしょう?
 ご満足いただけると嬉しいんですけどね。

 さて、次回は南の島へ。
 どんな展開になるかはお楽しみという事で

 まあユウヤにも、ここらでリア充になって貰わないとねぇ。
 南国姉妹丼とかいいカモ。





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