機動戦艦ナデシコ〜アフターダークネス〜

〜二千万Hit記念SS・アフターダークネス〜








ネルガル重工本社、その会長室で、二人の人物が重厚な作りの机を挟んで対峙していた。
黒い革張りの椅子に深く腰を掛け、軽薄な笑みを顔に浮かる二十代後半のロンゲの男。
傍から見ればとてもそうは見えないが、その男こそネルガル重工会長のアカツキ・ナガレだ。
対してアカツキに対峙している人物はと言えば、青色の瞳にピンク色の長い髪を首筋で纏めて、
パリッと糊の利いたスーツを着こなした、いかにもやり手のキャリアウーマンといった風情の十代後半の女性。
そんなある意味対照的な二人は、ただの上司と部下といった関係ではなく、
不思議な事に、気心の知れた友人同士のような雰囲気を醸し出して向かい合っていた。

「さて、クロエ・フォード君、君には佐世保基地に赴き、ナデシコCのメインコンピューター、オモイカネのシステムチェックをして来て貰いたい」

「オモイカネのシステムチェック……? でも、ナデシコCにはルリがいるはず」

クロエと呼ばれた女性は、眉を寄せて不審な表情をした。
それもその筈で、ナデシコCと言えば、世界中に知らない者は居ないと言っても過言ではない、ある有名な人物が乗り込んでいた。
その人物こそ、『史上最年少の天才美少女艦長』『宇宙の宝』『電子の妖精』と呼ばれ、味方からは尊敬と羨望、また敬愛の念を一心に浴び、
逆に敵からはその強大な能力から、恐怖と畏怖と嫌悪を持って『魔女』とまで呼ばれている人物。
名をホシノ・ルリ。
ネルガル重工、また、クロエ個人にとっても縁のある人物でもある。
ホシノ・ルリは特殊なIFS強化体質であり、過去の戦歴を見れば解るが、ハッキングなどの技術もずば抜けている。
そのルリがいれば、システム上でのオモイカネの調整やチェックは、簡単にできる筈なのである。
クロエからしてみれば、ルリが居るのに態々自分がオモイカネのチャックに行く必要などあるのかと考えるのも無理は無かった。
アカツキはクロエの表情から何を考えているのかを察して、苦笑を浮かべた。

「まぁ、確かにクロエ君の考えている事ももっともなんだけどね。
こんな言い方をするとルリ君は怒るだろうけど、あくまでナデシコCとオモイカネは地球連合宇宙軍の備品であり、
また、ネルガル重工の商品でもある訳だ。ルリ君ならオモイカネのシステムチェックは何時もしているだろうけど、
出荷したとはいえ、万が一の不備などが在っては会社の信用問題に係わるからね。
まっ、商品のアフターケアサービスだとでも思ってくれたまえ」

そう言われてしまえば、一社員でしかないクロエには反論など出来る筈も無く、渋々といった表情で頷くしかなかった。

「大丈夫、君はルリ君と直に会った事はないんだろう? なら気づかれないさ。
それにナデシコクルーは、今も昔も変なところで抜けている人物が多いしね」

気楽に笑って言うアカツキに色々と突っ込みたい事は在ったが、クロエは別な事を考えていた。
確かに間近で直接会った事はないが、一瞬だが遠目で擦れ違った事は在ると。
あの時はあの人と一緒に居たから、自分の事は印象に薄いかもしれないが、ピンク色の髪は目立つ。
厄介な事にならなければ良いがと思いながら、仕事の話の詳細を詰めていった。



某月某日、予定通りにナデシコCが佐世保基地に入港したとの連絡が入ったので、クロエは部下を数人連れて佐世保基地のゲートを潜った。
初代ナデシコの初陣を飾った地は、今は戦禍の傷跡も癒え、元通りの姿を取り戻していた。

「失礼、ネルガル重工の方達ですね? 艦長の命により、お向かいに参りました。
自分はナデシコCの副長を務めています、高杉三郎太大尉です。どうぞよろしく」

ドッグ入りしているナデシコCを眺めていると、突如後ろから声を掛けられた。
声のした方を振り向けば、そこには軍服を身に纏い、金髪に前髪の一房を赤く染めている男が笑みを浮かべて立っていた。
あの当時、ナデシコBに係わる主要メンバーの顔やプロフィールに目を通していたクロエは、当然男の事を知っていた。
元木蓮の優人部隊出身のエースパイロット。
一時期ルリの護衛を陰から勤め、そのままナデシコBから現在に至るまで、ルリの側近を勤めている。
本来なら既に佐官に昇進していても可笑しくないのだが、本人の要望により尉官に留まっているのが現状だ。
その理由としては、ルリの側で働きたいと言う思いも在るのだろうが、それ以上に数年前に起こった事件により、
ルリの力が危険視されている節があり、その為にルリの身辺警護を自ら買って出ているのが真相だ。
軍上層部もルリの身を案じていたので、この話を渡りに船にと、三郎太にルリの警護を任せるに至った。

「初めまして、高杉大尉。私はネルガル重工ソフトウェアエンジニア部門、
副部長を務めさせていただいております、クロエ・フォードと申します。
本日は当社の製品でもある、スーパーコンピューターオモイカネのシステムチェックをさせて頂きます」

差し出された手を笑顔で握り返し、クロエ達は三郎太に促されて、ナデシコCへと歩を進めた。

「しかし、貴方みたいな美人で若い人が副部長の地位とは、驚きました」

「美人と言っていただけるとは、お世辞でも嬉しいものです。
それと、我が社は実力主義ですから、私のような若輩者がこのような地位に就けたのです。
これもまた、会長の会社運営の基本方針みたいですね。
まあ、こう言ってはなんですが、当社の会長は少し変わった所があるお人ですから。
それに若さと地位と言うなら、ホシノ・ルリ艦長の方が凄いと思いますよ。」

「いえいえ、お世辞などではありませんよ。自分は綺麗な女性には素直に綺麗だと言うのが性分ですから。
そうそう、会長と言うとアカツキ・ナガレ氏でしたか? 直接お会いした事はありませんが、お噂はかねがねお聞きしますよ。
何でも地球と木蓮の戦争時には、自らエステバリスのパイロットとしてナデシコに乗り込んだとか。
その上、エース級の腕前と言う話じゃありませんか。是非、一度お手合わせを願いたいものです」

確かにアカツキはエース級の腕前を持つエステバリスパイロットだが、二人が手合わせをする機会はほぼ皆無だろうとクロエは睨んでいる。
アカツキが拒否をするのではなく、寧ろアカツキ自身も喜んで手合わせをしそうではあるのだが。
二人を阻むのは、秘書課という強大な壁。
『お気楽極楽トンボ』と呼ばれるアカツキは、度々会社を抜け出しては仕事を放り出している。
以前はエリナ・キンジョウ・ウォンが、アカツキの首根っこを抑えて仕事をさせていたのだが、
かの女史は現在、宇宙開発部の部長として月面支部へ出向中である。
エリナの苦労を知っていた同じ秘書課の同僚達は、エリナが月面支部へ栄転すると決まった時に、
エリナの栄転を祝福するより、今後の自分達の苦労を想像して頬を涙で濡らしていた。
アカツキはアカツキで、怖い秘書がいなくなった事で、伸び伸びと仕事をサボるようになっていた。
そんな状況が続く中、遂に秘書課の面々は元同僚の女史に泣きつき、女史の指導の下実力行使に打って出る事となった。
エリナの長距離通信による説教と、秘書課の懸命の努力によりアカツキも諦めたのか、
仕事をサボる事も以前と比べれば少なくなっていった。
もっとも、真面目に仕事に取り組んだのは、落ち目の会社を建て直すのに必死だったのかもしれないが。
そのような事情もあり、秘書課の目が厳しい現在、アカツキが会社を抜け出して三郎太と手合わせをする機会は皆無だろう。
そんな他愛も無い会話をしつつ、一行はブリッジに着いた。
ふと視線を感じて振り向くと、金色の瞳に銀の髪、その特徴から一目でホシノ・ルリと分かる女性が、目を見開いてこちらを見つめていた。
気付かれたかも知れないと思いつつ、表面上は至極冷静に微笑を浮かべていた。

「初めまして、地球連合宇宙軍所属、ナデシコ級戦艦艦長、ホシノ・ルリ中佐ですね?
私はネルガル重工ソフトウェアエンジニア部門、副部長を務めさせていただいております、クロエ・フォードと申します。
本日はスーパーコンピューターオモイカネのシステムチェックをさせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします」

「あ、はい。地球連合宇宙軍所属、ナデシコC艦艦長、ホシノ・ルリ中佐です。本日はオモイカネをよろしくお願いします」

差し伸ばされた手を握り返しながらも、ルリの視線はクロエのピンク色の髪に注がれていた。

「どうかされましたか? 私の髪に何か付いてますか?」

「あ、いえ。ただ、何処かでお会いした事があるような気がしたものですから……」

「そうですか? 直接お会いするのは今日が初めてだと思いますが。
もっとも私の方では、雑誌やテレビ等でホシノ中佐のお姿は度々拝見しておりますが」

「そう、ですか……。そうですね。どうやら私の勘違いだったようです。すみませんでした」

「いえいえ、お気になさらずに。では、私共は作業へと入らせて頂きますね」

戸惑うルリを余所に、クロエは微笑を浮かべて作業へと移っていった。
ただ作業へと移る一瞬、クロエの視線がある一点で留まった事は誰も気が付かなかった。



「どうしたのルリちゃん? あの娘を見てボーッとしちゃって」

「あ、ユリカさん。いえ、クロエさんと言いましたか。あの人、以前アキトさんと一緒にいた娘にそっくりなんです」

ルリに声を掛けたのは、ミスマル・ユリカ。あるいはテンカワ・ユリカ。
テンカワ・アキトの妻であり、ルリにとっては義理母にあたる人物でもある。
現在、地球連合宇宙軍准将の地位に就いており、提督としてナデシコCに乗り込んでいる。
一時期『火星の後継者』に捕まり、遺跡と融合させられていたが、度重なる検査にも異常無しと出たため、
体調が戻ってからは軍部に復帰し、ルリ共々アキトを探す日々を送っている。

「ルリちゃん、その話詳しく教えてくれる?」

ユリカに促されて、ルリはあの日の事を話して聞かせた。
遠めで電車がすれ違う一瞬だったが、確かにアキトの傍らにピンク色の髪をした少女が居たことを。
そして恐らくその少女こそが、火星に舞い降りた白亜の戦艦のオペレーター、ラピス・ラズリと名乗った少女であろうと。

「んー。でもあの子、ルリちゃんと違って青色の瞳だよ? 
もしその子がルリちゃんと同じ特殊なIFS強化体質なら、金色の瞳なんじゃないの?」

「それはそうですが、ユリカさん。瞳の色くらいならカラーコンタクトで誤魔化す事はできますよ」

「あっ、そっか。そうだよね。でも瞳の色以外で判断するとなると、IFSの形と電子情報の処理能力ぐらいかな?」

「……えぇ、それなんですが、先ほど握手をした時に盗み見したのですが、IFSの形が私のと違うんですよね。
勿論、ハーリー君とも違います。あの形は、ネルガルが一般に販売している極普通のIFSの形でした」

「そうなると、そのラピスちゃんって子とは何の関係も無いただのソックリさんって事?」

ユリカが人差し指を顎に当てながら首を傾げると、ルリが首を振り眉を寄せた。

「理屈の上ではそうなるんですが……何か引っ掛かるんです。
オモイカネが使えたら、ネルガルにハッキングを仕掛けて調べる事も可能なんですが」

「まあ、焦っても仕方が無いよ。今はオモイカネの点検中だし。オモイカネの点検が終わったら、その時考えよう」

「……そうですね。そうします」

ハッキングは勿論犯罪なのだが、アキトへの手掛かりを前にした二人には、そんな事は些細な問題にすぎなかった。



「お疲れ様でした。本日のオモイカネのチャックは全て終了いたしました。特に問題になるような点は見当たりませんでした。
本日のチャック事項等は、こちらのデータに纏めておきましたので、後ほどご確認ください」

差し出された記録ディスクを受け取りながら、ルリは目の前の少女を引き止める方法を目まぐるしく考えた。
そんなルリを余所に、天真爛漫なユリカは至極あっさりと少女を引き止める言葉を口にする。

「クロエちゃんだったよね? お仕事も終わったみたいだし、これから私とルリちゃんとの三人で食事でも一緒にどうかな?」

その言葉に驚いて、ルリはユリカの方を振り向いた。
一方のクロエも僅かながら目を見開いて驚いている様子だった。
ユリカはそんな二人の様子などお構いなしに、「美味しいお店知ってるんだよ〜」と笑顔を振り撒いていた。
そんなユリカにルリは苦笑を漏らし、クロエは知れず目尻を緩めていた。

「申し訳ありません。お誘いは嬉しいのですが、これから今日の作業報告を上司に提出しないとけませんので……
食事はまた別の機会にでも誘ってください」

「そっか。残念だけど、お仕事じゃ仕方が無いよね。次の機会まで楽しみにとって置く事にするね」

頭を下げるクロエに、ユリカは少し残念そうな顔をしながらも、仕事ということで納得したようだった。
そして別れの挨拶をすると、クロエは佐世保基地を後にした。



「……ルリちゃん」

「えぇ、分かってます―――こちら、ナデシコC艦長ホシノ・ルリ中佐です。
これより三日間、ナデシコC乗務員は休暇となります。
街へ降りる事も許可しますが、緊急時の際には直ぐに連絡が取れるよう、
各自コミュニケを装着の上、常時着信を許可に設定しておいて下さい」

館内放送を終えたルリは、ブリッジに自分とユリカの二人しか居ないのを確認すると、おもむろにオモイカネのチェックを始めた。
ウィンドウがルリを取り囲むようにクルクルと球状に展開され、目まぐるしく情報が行きかう。
だがその様子に首を傾げたのはユリカである。
ルリが全力でIFSを使う時には、活性化されたナノマシーンが発光するのだが、今はそれが見当たらない。
ユリカの不審な眼差しを察してか、ルリは苦笑を浮かべて事情を説明した。

「念の為に、ですよ。クロエさんがラピスだとしたら、チェックの振りをして何か仕掛けてある可能性もありますからね」

ハッキングではなく、システムチェック。だからナノマシーンはそれほど活性化しなかったのだろう。
そして言われれば確かにその通りなのだが、不思議とユリカはそんな事はされてはいないとの確信が持てていた。
おそらくはルリも同じ気持ちなのだろうが、ルリ自身が先ほど言ったように本当に念の為になのだろう。
やがて満足そうに一つ頷くと、ルリはユリカに顔を向けた。

「お願い、ルリちゃん」

ルリは力強く頷くと、ネルガル重工本社のメインコンピューターにハッキングをする為に、IFSに命令を下した。
すると風も無いのにルリの髪がふわふわと宙を漂い、肌や髪が微かに光を放ち明滅し始める。
これこそが、特殊なIFS強化体質のルリが全力を出している証。
先ほどのオモイカネのチェック時の数倍の数のウィンドウが、数倍の速さでルリの周りを目まぐるしく回る。
次々とウィンドウに表示される情報が入れ替わり、ルリはオモイカネと協力して何十もの防壁を突破して行く。
『協力』と言ったのは、ルリはオモイカネに対して命令ではなく、お願いしているからだ。
一人と一台の立場は、本人達からしてみれば主従のそれではなく、あくまで対等な『友達』その言葉が一番しっくり来るだろうか。
初めて出会った頃、ルリは他人に対しては何処か壁を作って接していた中で、オモイカネは一番身近な存在だった。
時が流れ、ルリが他人と深く交流するようになっても、ルリにとってはオモイカネは掛け替えの無い存在に変わりは無かった。
そんな一人と一台の息はピッタリと合い、奥深く侵入する傍ら、相手に気づかれないようにする為に自分達の足跡を消していく。
ルリとオモイカネを見ていると勘違いしそうだが、ネルガルのメインコンピューターの防壁は世界有数の堅牢さを誇っている。
その防壁を易々と突破して行っているのは、それだけルリとオモイカネの技術と性能が突出しているからに他ならない。
だが突然、そんなルリの表情が難しい物になった。

「これは……」

「ルリちゃん、どうしたの?」

ルリの表情の変化に気づいたユリカもまた、その表情を真剣な物へと変えた。

「……クロエさんの現住所や所属部署等は容易に分かったのですが、その他の経歴や出身地等の過去のことについては、
プロテクトが掛けられているんです。それも機密事項レベル物です。ただの一般社員にしては、情報規制が厳重すぎます」

「それはつまり、隠したい何かがあるってことだよね? その隠したい何かは分からないけど、それがアキトに繋がる可能性は……」

「はい、可能性としてはゼロではありません。というより寧ろ、可能性としては高いと思います。
クロエさんがもしもラピスなら、隠したい過去だらけの筈ですから。このプロテクトの厳重さも納得がいきます」

「やっぱりそうだよね。私達はアキトに対するどんな些細な情報でも良いから欲しい。
だから……もし違っていたらクロエさんには悪いけど、確認の意味も込めて見てみよう」

「確かに、罪悪感はありますが……私達には優先すべき事があります。ではユリカさん、開きますよ」

力強い瞳で見つめられ、ユリカもまた力強く頷いた。

そして、二人が目にした物は―――



「ん? これは……そう、あの二人かな? まぁ、予想の範囲内の行動だけど」

佐世保基地から本社への帰路の途中の車内。
そこでコミュニケから微かなアラーム音が鳴ったのを聞いて、クロエは微かに笑みを浮かべた。
このアラーム音は、誰かがクロエの個人情報を盗み見した時に鳴るように設定されていた。
そしてクロエの個人情報に興味を持ち、且つ、ネルガルのメインコンピューターに不正にアクセス出来る人物は限られている。

「? どうかしましたか、副部長」

「ううん、何でもない」

アラーム音を聞きつけたのか部下の一人がクロエへ訊ねるが、クロエは何でもないと返した。

でも、ルリもまだ甘いね。監視されているのに気づかないなんて。
それとも、気づいているのに気づいていない振りをしているだけなのかな?
まぁどちらにせよ、私を怪しいと睨んでいるのは確かか。
この後私に接触するかはどうかはともかくとして、面倒な事にならなければ良いけど……

車の窓ガラス越しに通り過ぎる景色見ながら今後の事を思うと、クロエは知れず小さく息を吐いていた。



「こ、これは……く、クロエさんが火星出身者!?」

「……確かに、この情報が正しければ、過去の事は機密事項でも不思議じゃないね」

クロエが火星出身者という事実に、驚きを隠せない二人。
それも無理は無い。火星出身という事は、ある可能性が含まれているからだ。
それも、軍事バランスを崩す事が可能な程の可能性を。

「ユリカさん、この情報が事実だとして、クロエさんはA級ジャンパーだと思いますか?」

「うーん、正直これだけじゃなんとも言えないよ。火星出身者の全員がA級ジャンパーという訳でもないし。
それに彼女、幼い頃に地球に移住しているみたいだし。こればかりは、やってみないと何とも言えないのが実情かな」

「そう、ですね。でも、仮にクロエさん=ラピスだとしても、態々こんな危険極まりない経歴にしますかね?」

「うん。その点が問題だね。嘘にしては危険すぎるし……でも逆に、それを逆手にとってという可能性も捨てきれない……か」

A級ジャンパー。それはC・Cと呼ばれる結晶体があれば、好きな場所へ一瞬で移動できる人間を指し示す。
正確には時空間移動なのだが、時間移動は未だに自分の意思で出来た者は居ないので、この際除外しても構わないだろう。
その能力は極めて便利なのだが、その便利さが諸刃の剣と化すのも記憶に新しかった。
ある一人の男の主導の下に起こされた反乱。
その際にA級ジャンパーはその意思とは関係なく利用され、反乱を成功させるまであと一歩という所まで導くにいたった。
その能力は戦艦一隻を、地球付近から火星上空まで飛ばす事も可能とする。
だが一方で、A級ジャンパーになるための詳しい条件は未だに解明されるに至っておらず、
唯一分かっているのが、ある時期に火星で生まれ育っている事だった。
男はその為に、反乱を起こす前に火星出身者の多くを拉致し、非人道的な実験を繰り返していた。
ユリカもその被害者の一人であり、また、彼女の愛する夫も犠牲者の一人だった。
火星出身者の生き残りは極僅かで、更にA級ジャンパーと分かっているのは、現在たったの二人だけである。
本来なら後一人いるのだが、彼は既に死んだ事になっている。

「まったく、やっかいな経歴にしてくれたものです。念の為に戸籍標本も洗ってみましたが、親類とかは存在しませんね。
木蓮の火星襲撃時に親類の多くが死亡。残りの親類も戦争によって無くなった事になっています。事実かどうかはともかくとして」

「仮に彼女がラピスちゃんだとしたら、ルリちゃんと同じく電子情報を改竄するぐらいは分けないか……」

「えぇ。一度接触した時に感じましたが、彼女の力はハーリー君を確実に上回ってます。私と同じか、あるいは……
それにあの時の白亜の戦艦にも、当然オモイカネ級のコンピューターが積まれていると考えて然るべきですし」

「……まぁ、地道に調べて行こうか」

「……そうですね」

『はぁ……』

前途多難な状態に、二人揃って思わず疲れた溜息を漏らしていた。



「ただいま、アカツキ」

「ああ、お帰り、クロエ君。それで、二人に会ってどうだった?」

「……アカツキ、もしかして、二人に会わせるのが今回の仕事の本当の理由?」

「ははははっ、いやだな〜クロエ君。そんな訳無いじゃないか」

じと目で見つめるクロエに、アカツキは業とらしい笑い声を上げて否定した。
その様子にクロエは軽く頭を振ると、嘆息した。

「別に良い。真面目に答えてくれるとは思ってない。それで、二人に会った感想……
うん、あの人がユリカを奥さんにした気が少しだけ分かった気がした。
ルリは第一印象や、想像してたよりも少し違ったけど。二人とも、まだあの人の行方を探しているのは分かった」

「ふ〜ん、なるほど。やっぱりアクションがあったか。
もっとも、我が社のメインコンピューターに易々と進入されるのは、喜べないけどね」

「仕方が無い。私ならもっと強固なプロテクトも組めるけど、流石にそれだとルリに気づかれる。
それに、ルリはサレナに監視されている事に気づかなかった。もっとも、サレナはただ見ていただけ。
敵意も害意もないサレナだから、気づかれなかった。誰かに見られていると漠然とした感覚はあったかもしれないけど。
同じオモイカネ級のコンピューターなら、ただ監視する事だけに全性能をつぎ込んでいたサレナに分があった」

苦笑するアカツキに対して、淡々と事実だけを述べていく。
サレナというのは、彼女がオペレーターを務めるとある戦艦のメインコンピューターの名前。
オモイカネとほぼ同性能を持つサレナは、クロエからの指令を忠実に実行する存在でもある。
そんなサレナが受けた指令はただ一つ。
クロエ・フォードの経歴にアクセスする者を監視すること。
阻む事も排除する事もなく、ただ監視し、アクセスした者が居た場合は、クロエにの端末にそれを知らせる。
サレナはクロエからの指令を忠実にこなし、そしてクロエはサレナに対して、絶対の信頼を寄せている。

「それと、これが今回の報告書」

「あぁ、ありがとう。しかし、何故あんな経歴にしたんだい? 
あの経歴はタイトロープのように危うい。君ならもっと安全でマシな経歴にも出来ただろうに」

「確かに出来たけど、それでもあの経歴は、半分は本当でもう半分は嘘。
嘘を言う時は、真実を織り交ぜれば発覚し難くなる。そうプロスから教えられた」

その言葉を聴いて、アカツキは大声を上げて笑った。
彼女は成長している。それは喜ばしい事だった。
彼女もまた、アカツキにとっては負の遺産の証だったのだから。
そんな彼女が力強く成長している事は、アカツキにとっては心が救われるような出来事だった。

「あはははははは、なるほどなるほど。あのプロス君がねぇ。
それで、これからテンカワ君の所へ行くのかい?」

「うん、今日の出来事も報告したい」

「そうかい。では行っといで、ラピス君」

「うん、行ってくる。それじゃアカツキ、しっかり今日の分の仕事は終わらせなよ」

そのラピスの言葉に、アカツキは酢を飲まされた様な顔をした。
ラピスはそんな様子のアカツキに気づかずに、ポケットから青い結晶を取り出すと目を瞑った。
半分は真実、残り半分は嘘。
真実の部分は、ラピスは確かに火星で生み出され、その後地球へと移されたこと。
残りの嘘の部分は、元からラピスには親類縁者など存在しないこと。
火星で生み出されたラピスは、数少ないA級ジャンパーの一人だった。

「イメージ……ジャンプ」

ボソンの光を残して消えたラピスに、アカツキは苦笑を浮かべた。

「やれやれ、ラピス君がまさかあんな事を言うとはね。本当に日々成長してるねぇ。
これも教育ママ二人による、教育の成果かな。将来が楽しみでもあり、空恐ろしくもあるなぁ」

才女二人による教育の成果を目の当たりにして、アカツキは深いため息を吐いた。



ボソンの光が室内を淡く照らし、そして光が消えた後に現れたのは一人の少女。

「あら、ラピスも来たのね」

声がした方を振り向けば、キリリとした眼差しに、皺一つ無いスーツを着こなした女性が一人、パイプ椅子に座って此方を見ていた。
エリナ・キンジョウ・ウォン。此処、ネルガル月面支部で、宇宙開発部の部長を勤め上げている女傑である。

「エリナ、仕事は終わったの?」

「ひと段落着いたから、休憩がてら様子を見にね。イネスもそろそろ来るはずよ」

「そう。アカツキじゃあるまいし、仕事をサボってまでは来るはず無いか」

「ふふっ、ラピスったら。言うようになったじゃない」

二人でクスクスと笑いあっていると、第三者の声が割って入った。

「あら、何をそんなに二人で楽しそうに話しているのかしら?」

ドアを開け会話に割り込んできた人物は、白衣を身に纏った金髪の女性だった。

「あ、イネス。ううん、アカツキの事でちょっとね」

イネス・フレサンジュと呼ばれる女性は、一言で言えば天才。この言葉が一番しっくりくるだろう。
医者の資格を持ちながら、その本業は科学者でもある。
古代火星人が残した数々の技術を現代に甦らせ、歴史に残る名戦艦『ナデシコ』の建造に大きく貢献した人物。
そして、唯一古代火星人と呼ばれる種と接触し、謎のプレートを託されるなど、数奇な運命と人生を送っている人物でもあった。

「そう。ところでラピス、彼女達に接触したんでしょう? どう、正体がばれたりしなかった?」

その話にはエリナも興味があるのか、エリナもラピスの方に顔を向けた。

「うん、正直言うと疑われているみたい。電車の窓ガラス越しとはいえ、一瞬会っているからそれも仕方が無い。
でも瞳の色はともかくとして、IFSの形がルリとは違うのには戸惑っているみたいだった。
それでもクロエ・フォードの個人情報に不正にアクセスして来たから、半信半疑と言ったところだと思う」

「そう。流石の電子の妖精ホシノ・ルリも、全ては見抜けなかったって訳ね。
それにしても、ホシノ・ルリの目を欺くものを作るとは、流石と言うべきかしらね。ドクター」

「別に大した事じゃないわ。ホシノ・ルリは確かに電子情報戦に関しては天才よ。
あの年で中佐なら、軍事的才能も有ると言ってもいいわ。
でも、逆に言えばそれだけのことよ。専門外の事に関しては、誰しも不得手なものよ。
今回の事に関しても、ただ彼女に専門的知識が無かっただけとも言えるわ」

イネスは物事を冷静に捉え、相手も自分も過大評価もしなかれば、過小評価もしない。
だからこそ、エリナの茶化すような言い方にも、事実だけを淡々と答える。

「だけど、イネスには感謝してる。このカラーコンタクトもそうだけど、IFSは普通は誤魔化しようが無い。
特に私のような特殊なIFSだと、こうでもしないと誤魔化せなかったし、欺くことも出来なかった」

ラピスは自分の右手の甲にあるIFSを摘み、強く引っ張った。
ピリッ。そんな音と共に手の甲の皮が破れ、その下からルリと同じ形のIFSが姿を見せた。
人工皮膚―――それがルリの目を欺いた物の正体だった。
ラピス本人の皮膚と見誤るほどの出来の人工皮膚。
IFSの形もナノマシーンの発光も再現されているのは、その皮膚自体にもナノマシーンが使用されているからだ。
イネスは医者としての知識を利用して、ラピスの為にIFSの形も再現された人工皮膚を作り上げた。
そしてその人工皮膚はカラーコンタクトともに、ラピスを極普通の世界に埋もれさせる事に貢献していた。
ありえない金色の瞳に、特殊な形のIFS。そのどちらもが、ラピスと普通の人との隔たりとなっていた。
どちらも目立つために、なら隠せば良いと、カラーコンタクトと人工皮膚が作られた。
髪の色は染めたと言えばいい。
会社は会長の髪型からしてああなのだから、仕事さえ確りしていれば、その辺は比較的自由だったのが幸いした。

「それでイネス、アキトの様子はどう?」

ラピスは心配そうにある一点を見つめた。
そこには男が一人、ベッドに横たわっていた。
何本ものチューブに繋がれながらも、男は眠り続けている。
そう―――あの日からずっと。

「相変わらずよ。元々ボロボロの体だったんだもの。その上酷使し続けた体は、当の昔に限界を迎えていたのよ。
そのボロボロの体を支え続けていた精神も、宿敵を倒し、宿願も叶えた。
きっとその所為でしょうね。張り詰めていた緊張の糸がプッツリっと切れたのは。
だから今は死んだように眠り続けている。疲れきった肉体と精神を癒すために。
……そう言えば聞こえは良いけれど、実際の所は何時目覚めるか、それとも一生目覚めないかも分からない。
アキト君の体を蝕んでいたナノマシーンの除去も治療も、文字通り牛歩の歩み。
……まったく、大切な人一人も救えないで、何が医者よ!? 何が天才よ!? こんなに悔しい事は無いわ!!」

ギリッと奥歯を噛み締め、普段激情とは無縁のイネスは拳を強く握り締めた。
大切な人なのに、好きな人なのに、助けたいのに助けられない。
そのやり切れない思いは、この場に居る三人の共通する思いだった。

「……だからこそ、私は私に出来る精一杯をする。アキトが目覚めた時に、アキトに心配を掛けない為にも」

そのラピスの言葉に二人の女史は見つめ合い、力強く頷き合う。
自分自身の為にも、何よりもアキトの為に、自分に出来る精一杯をする。
三人の目的は決まっている。心も決まっている。
ならばやる事は決まっている。
やり遂げられるか、やり遂げられないかではない。
必ずやり遂げてみせる。
その強き思いを胸に、三人の女性は其々の道を歩んで往く。
全ては一人の何時目覚めるかも分からぬ大切な男の為に。
男が目覚めた時、自分達の下を去るかもしれない。
だがそれでも、例え男が自分達の下を去ったとしても、男が幸せに笑って生きてくれてさえすれば、それでも良かった。
ただ男が目覚め、幸せならばそれで良かった。
三人の一番の願いは、男の幸せなのだから。
だから早く、早く目覚めて欲しい。

「アキト、私達はずっと待ってるよ。アキトが目覚めるその時まで、私達はずっとアキトの事を待ってる」

三人の美しい女性に見守られ、男はただ静かに、深く眠り続ける。
目覚めのその時まで―――






〜あとがき〜

黒い鳩さん、『シルフェニア』二千万Hitおめでとうございます。
此処まで巨大なサイトになるといろいろと大変でしょうが、お体にお気をつけて頑張って下さい。

SSの内容は、ナデシコの劇場版のアフター物です。
そう言えばハーリー、名前は出てきたけど、登場はしてないなw
三郎太の言葉遣いも違和感ありますが、まあ、お客さん相手って事でご勘弁を。
ラピスはまぁ、いろいろと謎多き少女ですから、こんなんでも良いかな〜っとw
ではでは、『シルフェニア』のますますの発展をお祈りしています。

By:ルーン


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