空の境界
──変わりゆく日常──





─御上真の章─(終幕)



「おい、もう終わったのか?」 

 ソファーのほうから素っ気ないが綺麗な声がする。振り返ると、ずっと沈黙したままだった一重姿の少女がソファーの背もたれに両腕を投げ出し、言葉とは 裏腹にこちらを愉快そうに眺めていた。

 「絵になるなぁ」

 と本心で思う。
 
 高校生の頃の両儀式は、一言で表すなら「クールでかわいい」だった。品のよい着物姿、きれいに切りそろえられたショートヘアーが輪郭の整った小さな顔に 見事に調和していた。当時から着物姿で、女の子らしい明るくかわいい柄の一重を好んで身につけていたと思う。
 
 俺は、彼女に近づこうともせず、遠くから見ていただけだったけれど、周りの評判はうなぎ昇りだった。
 
 そらそうだ。「着物美少女」なんて今時、めったにいるものではない。その出で立ちがイベント時に限るわけではなく「常態化」しているとしたら旧家のお 嬢様設定よろしく、その手の方面の方々にはかなりウケていたようだ。
 
 もちろん、俺は「その手の方面の方々」ではない。

 「ああ、式さん、もちろんパーティー参加ですよね?」
 
 俺は誰よりも早く質問する。質問して、はたして彼女は俗な催しに参加するのかどうか、黒桐と顔を見合わせる。
 
 「いいぜ、オレも参加だ。どうせ他より面白いことなんかなさそうだしな」
 
 と、意外に乗り気な返答が俺と黒桐を軽く驚かせる。黒桐が言うには、俺が事務所に来てから雰囲気が少しずつ変わっているのだという。物理的に整理された というよりも、個々の気分が高揚しているということだ。

 具体的にどういう変化かといえば、黒桐曰く、「今はまだよくわからないけれど」だそうだ。確信の行動や言動がはっきりとまだあるわけではないが、さり げなく、どこかいつもと違う「日常の彼女たち」が感じとれるそうなのだ。
 
 ということは、孤高の存在の両儀式も、そんな変化に気分を高揚させているのなら、それはそれで嬉しいことではないだろうか? 俺が加わったことでみんな の気分を楽しませているなら願ったり叶ったりである。パーティー参加もその表れなのだろうか?
 
 いや、式さんに限ってそんな簡単に──単に暇つぶしかもしれない。つい1週間前まで命のやり取りをしていたようにはとても見えない。
 
 例外的に一名は、その変化を告白する。
 
 「女性が三人に僕一人だけ男というのは、正直、肩身が狭いときがあるよ。だから、立場も含めて、橙子さんの暴走や式の無茶を止められる御上さんがいてく れるのはとても心強いんだ。僕にとっての変化は安心感かな」

◆◆
 
 さて、25日は「パーティー」を開くことに決定した。恥ずかしながら幹事は御上真が務めさせていただくことになった。この人事に関しては橙子さんのご 指名もあり、俺もやる気満々だったので引き受けることにした。まあ、俺が冬休みに入っていることもあっただろう。そうでなくても自分から立候補したに違い ない。
 
 橙子さんは自分の机に戻る。
 
 「さてと、鮮花には私から伝えておこう。今は17時4分か……」

 定時は過ぎている。橙子さんは時計を見ると勢いよく言った。
 
 「黒桐、御上、このあと1時間ほど残業を頼まれてくれるか。私は休憩のあとに図面の制作にとりかかる。お前達は協力して業者との折衝用資料の作成と作業 日程表に予定を書き込んでほしい」
 
 「「はい、橙子さん」」

 息のあった返事が事務所に響く。お互いに顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
 
 まったく、どうして今まで俺は彼と友人になれなかったのだろう。ためらい? 呪い? 荒耶宗蓮? 運命? 交差しない心情?
 
 いずれも違う。俺に足りなかったものは、

 「一歩踏み出す勇気」

 
 きっとそうだ。あのとき、巫条ビルの霊を視認したとき、脳裏に鮮明に映し出された「対峙」の映像。あれは浅上藤乃の件より、より身近に認識できた未来視 だった。そのときからでも御上真は『介入』すべきだったのだ。
 
 だが、俺はずっと恐れていたのだ。荒耶宗蓮の言葉を!
 
 「お前は仲間を傷つけ過去を失うだろう……」
 
 それが頭から離れなかった。どうしてもどうしても、ためらってしまい、大切な一歩を踏み出せなかったのだ。その眼に彼らが映ろうとも、彼女たちがあんな に傷つきながらも戦っているのに、苦しみながらも前に進もうとしているのに……
 
 しかし、11月の終わり、荒耶宗蓮の存在が突然消えていたことを感覚で悟った。何事が起こったのか視えなかった俺は、答えを求めて街を当てもなく彷徨っ ていた時に、あの黒桐幹也と偶然再会したのだった。

 御上真の「魔眼」はものの「真」をすべて捉えることにある。それは複雑で「心」であり、「真」であって、「真理」であるということだ。橙子さんは「荒耶 が欲しがっていた能力の一つ」と言っていた。だからこそ、駒として取り込めなかった場合は、保険のために心理的な鍵を仕掛けたのだ。俺の能力的な未熟が あったにせよ、彼女たちへの想いから、まんまと荒耶宗蓮の罠に落ちてしまったのだ。
 
 「真」を捉える人間が「心」に鎖を掛けられるとは情けない限りだ。荒耶に立ち向かった式さんたちの勇気に報いるため、俺自身を成長させるために、ささや かではあるが御上真は式さんたちの力になろうと、ようやく決意したのだ。

◆◆


 2日前の午前中、コーヒーを運んできてくれた黒桐が、俺にそっといった。

 「御上さん、ありがとう。僕らの力になってくれて」

 返答に窮している俺に向かって、黒桐は温かい表情で続けた。

 「正直、僕はずっと自分に歯がゆさを感じていたんだ。夏のときも、巫条ビルの件でも、十一月の出来事でも、何もできないでただ式が傷つくのを見ているし かなかったんだ。橙子さんも式もそんなことは無いといってくれるけど、女の子を戦わせておいて、大の男の僕は役立たずなんて耐えられないじゃない か……」

 黒桐の表情が翳る。彼は、どうしてこんなにも両儀式が好きになってしまったのだろうか? 

 再会した11月の終わり、喫茶店アーネンエルベで昔の話をした。
 
 黒桐幹也が「彼女」に初めて出会ったのは、高校入学前の雪降る夜──3月だった。
 
 街を見下ろすはずの坂道の途中、雪に覆われたその一角に、着物姿の両儀式は何ともなく、白く冷たい粒が舞う中でぼんやりと闇の向こうを見つめていた。
 
 黒桐は気になって声を掛けた。
 
 「こんばんは」
 
 彼女は振り返り、風景とは裏腹のはかなくも柔らかい微笑で彼に応えたのだという。
 
 話を聞いた俺は、きっとこの瞬間から始まっていたのだ、と強く確信した。黒桐自信は意識しなかったのかもしれない。いや、問われれば、そのときは否定し ただろう。それが「一目ぼれ」の何者でもないことを。
 

 4月。高校に入学した黒桐は、そこで再び式さんと出会うが、彼女はまったく彼のことを覚えていなかったというのだ。それは今でも謎なのだという。

 そうそう、俺はその場面に遭遇していた。黒桐が式さんに「やあ」と言って、「どなたですか?」と素っ気無くあしらわれていた時だ。想えば、俺が式さんを 始めて視認した瞬間だった。彼女の異常さと、そしてどこか自分と似ているとかすかに感じた瞬間でもあった。 

 それから、俺も「両儀式」が気になり、たびたび教室を覗いたりした。声は掛けられなかったけれど着物姿の彼女を通りすがりに確認できるだけでよかった のだ。
 
 ただ、俺が「両儀式」に抱いていた懸念は、たった一ヶ月で現実になった。
 
 彼女は「独り」になった。そう、着物姿の少女は、なぜか人嫌いだったのだ。
 
 と、周りの人間は解釈したようだった。

 「そうなのか?」

 俺は当時、クラスメイトの話を耳にして、納得とも疑問ともいえない調子だった。

 確かに、両儀式には人を拒絶する防壁が存在することを感じてはいた。ごくありきたりの周囲の結論には首をひねっていたが、本当の理由を察するまでにはい たらず、「彼女」が他人と相容れない真実を理解するのは、もうすこし後の事だった。

 ある日、独りでいる両儀式がなんだか痛ましくて、俺は覚悟を決めて声を掛けようとしたが、彼女には一人だけ友人として振舞う同級生がいることを知った。

 黒桐幹也だった。入学式の折、式さんに声をかけて冷たくあしらわれた男だった。特に目立つ存在とは思わなかったが、クラスメイトや周りに話を聞くと、今 のところ両儀式に関わろうとする生徒は彼だけで、昼食時、屋上に一緒に居る姿や、放課後、教室で話す姿が度々目撃されているという。 

 「どこの物好きだ?」

 自分で言っておいて、自分自身に笑ってしまった。想う気持ちが同じで、彼に強い親近感をもったからだ。 

 それから、もうすこし注意して様子を見ると、さりげなく、何気なく、不意に、時には狙ったかのように両儀式と話す黒桐幹也をはっきりと確認したのだっ た。俺は、その穏やかでまっすぐな瞳から、一瞬で彼が彼女に惹かれていることを見抜き、人為を観察するうちに「その気持ちは俺と同じではないか?」と感じ るようになった。 

 それは当たっていた。やはり黒桐幹也も同じ気持ちで両儀式を気にしていたのだ。しっかりしているけれど、どこか淋しげで、放っておくと怪我をしてしまい そうな、いつしか危険な刃を自分自身に向けてしまいそうな、そんな彼女のことを……

 ただ、想うことは同じでも、決定的に違ったのは“その差”だった。

 俺は、荒耶宗蓮と会う前も、能力が暴走する可能性を回避するために、誰と言わず、あまり親しくなることはしなかったが、黒桐幹也はまっすぐに突き進んだ のだ。彼は「織」というもう一人の人格と関わって「いつかあなたを殺す」と通告されても、己がとっくにイカレていることに気がついていたと語った。後に起 こる真紅の出来事に繋がったとしても、彼の「想い」と「信じる心」は遥かに御上真を上回っていたのだ。

◆◆

 それらを確かめることができたのは3年後、そう、俺が初めて黒桐幹也と話した11月のおわりだった。そのとき、俺は式さんに対する当時の想いを彼に話し た。彼は一瞬だけ驚いたが、そうなんだ、とつぶやいて、

 「ありがとう、ずっと式を心配してくれて」

 俺には返す言葉が見つからなかった。最低でも彼女を独りにした非難を浴びると覚悟していたのに、黒桐幹也は日差しが触れたような笑顔でお礼を言うのだ。 こんなヤツだから、式さんを好きになってしまったのだろう──こんなヤツだから、両儀式も惹かれてしまったのだろう──こんなヤツだから俺は彼と友達 になりたいと願ったのだろう。

 黒桐幹也の告白はつづく。

 「僕は戦闘ではまったく役に立てない。人には向き不向きがあるというけど、僕はそのことに自分を納得させたわけではないんだ。けれど、現実はまさにその とおりで……」
 
 黒桐が沈んでいた表情に力をみなぎらせて顔をあげた。

 「だから、12月の事件でも本当に式のことが心配だったんだ。でも今までよりずっと安心して待つことができた。御上さん、あなたがいてくれたからです。 式を守ってくれてありがとう。僕らの力になってくれて本当に感謝しています。これからもよろしくお願いします」

 黒桐は握手を求め、俺は目頭が熱くなるのをこらえつつ、笑顔で固い握手を交し合ったのだ。この瞬間のために「御上真」は一歩を踏み出し、その先のために 「御上真」はここにいるのだ。
 
◆◆

 「じゃあ橙子さん、さっそく仕事に取りかかります。」

 張り切る俺たちを所長は両手で制した。 

 「まてまて、休憩してからだと言っただろう。お前らはよくても私は困る。二人が仕事をしていると私は休みずらい。私だけ仕事をして二人だけ休んでいるの は馬鹿らしい。だから双方とも休憩してから仕事をすること」

 ほとんど自己都合の部類だが、確かに集中して仕事をしていたので、もう一休憩ほしいところではある。そう思うと、そう思えてくる。

 「よし、決まりだ。17時半まで休憩。しかる後に残業。それで御上くん……」

 橙子さんは、俺を右手で射抜くような動作をして言った。 

 「君の美味しい紅茶のおかわりを頼むよ。どうやら紅茶を飲んでからでないと次の仕事に手がつきそうにない」 

 周りを見ると、嬉しいことに黒桐も式さんも同じようにティーカップを俺に向かって掲げている。俺の望んだ光景がそこにあった。
 
 「お任せください!」

 無論、俺は張り切ってみんなの要望を引き受けたのだった。

 ……END


 ──蒼崎橙子の章へ続く──

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 あとがき


 読んでくれた貴方、ありがとうございます。ようやく一人分が終わりました。
なんというか、まだ三人分あります。一章終えて、「物語を作るって難しいな」とあらためて痛感しています。また、楽しんでいただくための「組み立て」の困 難さをどうクリアしていくべきか? 日々、試行錯誤です。
 が、結局は、己が楽しめなければ読者に楽しんでいただけないのではないか、と一つ思うわけです。

 次回は順調に行けば、「蒼崎橙子の章」となるでしょう。彼女の章はやや短めなので、一気の掲載になると思います。


 2008年3月29日──空乃涼──

 投稿より一年以上が経ち、いろんな意味で修正です。挿絵は削除しました。

 2009年11月11日──涼──

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