「来る!」


  私の予感は的中した。直後に警報が鳴り響く。

 「敵艦隊発見!12時方向、仰角11度、数およそ1万隻。距離2500万キロ、予定接触時間まで7分です」

 相手は1万隻……1個艦隊じゃない。けれど、私たちより多い。数で負けている。

 「全艦、総力戦用意!エステバリス隊、スパルタニアン部隊は直ちに出撃準備。また、総司令部および第10、第13艦隊に緊急連絡、『我、敵艦隊と遭遇せり、これより交戦状態に入ります』と」


 「了解!」

 私は、徐々に光群が明確になる敵の艦隊をメインスクリーに見た。きっと今頃、どの艦隊も帝国軍の攻撃を受けているはず。援軍は望めない。私たちは私たちの力でこの未曾有の窮地を乗り切らねばいけない!


 「敵艦隊、速度変わらず錐行陣形のまま砲撃可能範囲まで近づきます。およそ1分!」


 「そのまま待機です」

 私たちにとってはじめての大規模な艦隊戦、私にとって始めての艦隊指揮……


 「敵艦隊、有効射程内に入ります。イエローゾーン到達まであと二分!」

 数の少ない私たちは初撃にすべてがかかっている。砲火を集中して圧倒し、敵を分断して各個に撃破しなければ生き残れない。


 「敵艦隊、速度変わらず。イエローゾーンに侵入……砲撃してきました!」

 「慌てないでください。まだ遠いです。敵の挑発に乗ってはいけません。各艦、落ち着いて敵との距離を保つように」


 ルリちゃん以外みんな黙ったまま。こんなに張り詰めた艦橋は初めてだわ。


 「敵艦隊、イエローゾーンを突破、レッドゾーンに侵入しつつあり、全主砲射程距離到達までおよそ2分!」

 「こらえてください。全艦、進軍する敵先頭集団に狙点を固定。そのまま待機!」


 ついに、わたしたちは扉を開いた。かつて経験したことのない規模の宇宙での艦隊戦。これからきっと数え切れないほどの血が流れるはず。


 なのに、私は落ち着いている。緊張はしているけれど怖れはない。不思議だわ、今、戦場で数百万にのぼる命と数万隻の艦隊と向き合っている自分は自分じゃないみたい。


 でも空言じゃない。わたしたちが望んだこと、わたしたちが選んだこと。たとえこの手が血に染まったとしても、私たちは戦うと決意した。自分に嘘がつけないから、なによりも後悔したくないから……

 「敵艦隊先頭集団、レッドゾーンに到達。主砲射程に完全に入りました」


 私は、構えた右手を一気に振り下ろした。

「撃てっ!!」






闇が深くなる夜明けの前に

機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説





第三章(前編)

「私たちの『新しい日常』が始まる」






T

 「いったぁーい…………」

 ミスマル・ユリカは、あまりの痛さにベッドから飛び起きた。じんじんと痛覚の拡がる右手を押さえ、半分うずくまるように顔を伏せる。まったく、何で痛いのよー、何が起こったの? なんだったの、わたし、何しちゃったの?

 身に覚えのない痛みに対して不平をもらす寝起きの美人艦長は、ばっちり覚めてしまった意識同様、その聴覚に彼女のものでない声を聞いた。

 ハッとして、ミスマル・ユリカがその声の方向に視線を向けると、ベッドのすぐ脇では頭を両手で抱え、うんうんと唸っている愛しい青年の姿があった。

 「あれ? アキト、わたしの部屋で何しているの……も、もしかして夜這い? ちょ、いくら私がアキトのこと愛してるからって、そんな急に……やっだぁー、きゃあ!」

 「なわけあるか!いきなり空手チョップをおみまいしやがって。まったく、クマと取っ組み合いした夢でも見ていたのか」

 テンカワ・アキトは声を張り上げて厳重に抗議した。童顔は痛さでゆがんでおり、チョップの強烈度が思い知らされる。

 「ったく、起こそうと思って近づいたらいきなり問答無用なチョップをかましやがって。油断していたからモロだったぞ」

 「あっ、そーか!」

 「何が?」

 「だからわたしの右手がすっごく痛いんだ」

 「はぁ? あのなーユリカ、ものすごーく力いっぱいチョップしたんだから痛いのは当たり前だ。いったいどんな夢を見ていたんだ。そもそも……」

 アキトが何やら説教を始めたが、ユリカはベッドの上に正座したまま枕をかかえ、ふと天井を見上げて考え込んだ。

 あれ? わたしって何の夢を見ていたんだっけ? なんかとっても大切で、とっても大変な夢だった気がするけど……

 「ま、いいか」

 「えっ? よくないよ、まったくよくないよ」

 アキトは訳もわからず首を横に振ったが、お互いの話がかみ合ってないことに気が付いていない。

 ユリカが不思議そうな顔をして言った。

 「ねえ、アキト、わたしに何か用なの?」

 「あーっ!」

 アキトは思い出して叫んだ。

 「ユリカ、時間時間、時間がないってば!」

 ほえ? とナデシコ艦長は首を捻る。かなり他人事な反応だった。

 「ったく! 昨日の夜、入港した直後にマクスウェル准将と今日の朝9時に協議するって約束したろー、憶えているのか?」

 アキトは、ユリカが慌てると想像していたが、ナデシコ艦長はにっこり笑って傍らにある目覚まし時計を指差した。

 「ほら、まだ7時30分前だよ。いくらわたしが朝弱いからってまだまだ大丈夫だよ。アキトって心配性なんだからぁ」

 その発言に婚約者はあきれたように右手で顔を覆った。

 「……やっぱり。ユリカ、お前その目覚まし、こっちの時代の時間に合わせてないだろ? ナデシコのシステムと直結するものは修正されているけど、個人の持ち物は別だぞ」

 ユリカの秀麗な眉がゆがんだ。たぶん、頭の中は鐘が鳴り響いているに違いない。彼女は恐る恐る尋ねた。

 「えーと、本当は何時?」

 「8時半だ」

 ぎゃふん、と叫んでユリカは立ち上がった。ベッドの上なのでバランスを崩しそうになるが何とか持ちこたえる。即行動に移るのかと思ったら恐慌に陥っているのか首だけが左右を往復している。

 「ちょっと、ユリカ落ち着け。まだあと30分あるから」

 「えー、30分じゃ乙女の身だしなみ時間には短すぎるよー、アキト、何とかしてぇ!」

 「知るか! とりあえず細かいことは後回しだ。まず着替えるんだ」

 うん、と言ってユリカは寝巻きを脱ぎだす。

 「ぶっ! まてぇい! いきなり脱ぎだすなー」

 「アキトぉ、わたしの制服がないよー」

 「えー!? どこに脱いだんだよー、時間がないのに」

 「ふえーん」

 その光景を入り口の影から見ていたツインテールの髪型の美少女がいた。通りがかりの単なる偶然ではない。まったく、朝から騒がしい人たちね。未来でも相変わらず『ばかばっか』って感じ。とりあえず遅れないよう、赤っ恥だけは勘弁願いたいわね。進歩がないんだから……

 ホシノ・ルリはあきれ気味につぶやくと、朝の夫婦漫才を尻目に食堂へと軽やかに歩を進めたのだった。


◆◆◆


 「では、修理が完了するまでに3週間はかかるということですか?」

 ユリカが確認すると、小柄だががっちり体格の同盟技術士官の一人が資料を見ながら言った。

 「はい、損傷した外壁の部分ですが、基地にある部材では取り付けようがありません。ウリバタケ技術主任より仕様書類は提出していただいておりますので、ただちにジャムシード軍事工廠に発注いたしますが、仕様の調整、製造日数と輸送を考慮しますと全体で3週間はかかるものと予想いたします」

 ユリカは、すでに話合いがついていることに驚いたが、ウリバタケが得意げな表情で腕を組んでいるのを見て納得した。さすがと言うべきだった。

 なぜならナデシコ入港後、ユリカをはじめ大半の乗員は休んでしまったが、ウリバタケたち整備班と機関員、また基地の技術士官は夜通し修理に関する協議を重ねていたのである。

 ──宇宙暦795年帝国暦486年、標準暦10月5日──


 同盟軍ハーミット・パープル基地での協議は開始からすでに40分が経過していた。

 ミスマル・ユリカはかろうじて遅刻を免れ、ナデシコ側の総責任者として面目を保っていた。彼女を待っていたナデシコ側の出席者は内心でいささか気をもんだようであるが、ユリカの血のにじむ(かもしれない)努力とテンカワ・アキトの激励(叱責)によって初日早々の赤っ恥をかろうじて回避したのだった。

 この協議に出席したナデシコ側の代表はミスマル・ユリカ、イネス・フレサンジュ、プロスペクター、ウリバタケ・セイヤの4名。同盟側は、基地司令官マクスウェル准将、副官ホールデック少佐、ノルト技術主任少佐、マーチス技術中尉、基地艦隊指揮官クレヴァー中佐の5名である。

 協議はまずお互いの紹介から始まったが、ナデシコ側に比べるとマクスウェルを除く同盟の列席者は少なからず驚きを禁じえない様子だった。もちろん、ナデシコの艦型もさることながら艦長が女性であること、乗員たちの装い、そもそも「ナデシコ」という艦が新技術を搭載した同盟の試作新造艦という統合作戦本部からの通達に驚いていた。前日には統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥直々に超光速通信にて基地全将兵に戦争の帰趨を決するかもしれない「特務戦艦ナデシコ」へ協力するよう要請があったばかりだった。

 だからこそ、驚きこそすれ基地全将兵は重大な件を任されたと考え、全面的に協力する姿勢を打ち出していた。ユリカたちはいささか大げさな措置と映ったようであったが……

 背の高い金髪碧眼のマーチス技術中尉が軽やかに立ち上がった。貴公子然としたなかなかのハンサムだった。

 「外壁が加工され、基地に届くのは予定の後半というところです。それまでは機関部の修理を優先して行うことになります。すでにウリバタケ主任とは我ら技術班との話し合いは終えておりますので、早ければ本日の午後より修理を開始いたします」

 手際がいい、とユリカは感心したが、ウリバタケたちの体調が気になってしまい思わず
たずねると、ナデシコ整備班長は「無理はしねーよ」と艦長に手短に答えた。

 マーチス技術中尉は最後に言った。

 「なお、修理の指揮はウリバタケ技術主任が行い、同盟の整備班はサポートのみとし、基本的にナデシコの整備班の方たちでの修理作業といたします」

 それはマクスウェル准将の配慮だった。ナデシコは表向き秘密裏に建造された「戦艦」ということになっているので、それを利用してなるべく人的かつ技術的に関わらせないようにとの意図だった。

 「──以上でナデシコ修理に関する報告と協議を終了いたします。何かご不明な点がございましたらご質問ください」

 マーチス技術中尉が言い終えると長く艶のある髪を揺らし、ミスマル・ユリカが立ち上がった。

 「質問ではありませんが、皆さん、ナデシコの修理に力を注いでいただき本当にありがとうございます。私が無理をしたばかりにナデシコを損傷させ、乗員のみんなを危険な目にあわせたことを反省しています。乗員を代表し、ナデシコ修理にご協力をお願いいたします」

 ユリカは丁寧に頭を下げる。彼女の判断の甘さが招いた今回の事態だけに、乗員の生命を預かる艦長として申し訳ない気持ちでいっぱいであり、同盟の人たちが力を尽くしてくれることに心から感謝していたのだった。

 ユリカの心情を読み取ったマクスウェルが、真っ黒なあごひげの下を緩ませて言った。

 「ミスマル艦長、我々は同じ同盟軍だ。味方の危機を助けるのは当然のことだ」

 続けて、マーチス技術中尉が同感する形で口を開く。

 「司令官閣下のおっしゃるとおりです。ましてナデシコはわが軍の新たな技術の結晶と言える存在です。優秀な艦と優秀な乗員の皆さんを支援するのは当然のことです。どうぞご安心ください」

 その熱弁を冷静に聞いていた一人の男がいた。なかなかの歓迎ぶりですな。今のところ大きな混乱もないし、マクスウェル准将の手腕もさることながら同盟軍上層部の対応も素早い。軍の中枢は優秀な人材で構成されているようですな。

 プロスペクターはちょび髭をなでて笑った。ほんのわずかな口元の緩み。入港前にユリカとイネスからある事実を知らされてから、彼の脳内ではすさまじいほどの速さで思考が展開されていた。今まで驚きの連続ではあったが、それは最上級に属するものであり、抱いていたある種の違和感の謎を解くものだった。

 「より妙なことになってきましたが、今までの事態は一過性で終わるのか、それともしばらく続いてしまうものなのか、皆目検討がつきませんな。いずれにしても長く続いてしまうようならば、私たちはそう遠くない時期に大きな決断を迫られるかも知れませんね」

 プロスペクターの胸中を知る者はもちろんいない。彼自身が考えたようにこれから起る事態に不確定要素がまとわりついていく。同盟が帝国と戦争をしているならば、それは決して甘いものではないはずなのだ。

 「しばらくは私も多忙になりそうですな」

 彼は予言したわけではない。客観的に分析しただけである。

 しかし、それはプロスペクターが驚くほどの速さで現実を帯びてくる。それを成し得る人物の登場と事態の発生によって情勢はめまぐるしい変貌を遂げるのである。


 彼が再び協議に耳を傾けたとき、議題はナデシコ乗員の基地上陸について始まろうというところだった。



U


 「それでは乗員の皆さん、基地への上陸を開始しますが、注意事項を守って安全で楽しい同盟ライフを過ごしましょうね」

 ──10月5日、16時30分──

 ユリカの艦内放送が終わると、まず第一班100名ほどが基地へ上陸を果たした。当分出撃することもないと聞いている乗員たちだが、その時のことを考えてか持ち込む荷物は少ない者が意外に多い。

 ナデシコ乗員に充てられた住居エリアは基地兵士のエリアとは反対側だった。が、ウランフとマクスウェルの意図を示すように、いくつかの区画を隔てたにすぎないでいた。また部屋数は十分であり、それまで一室を3人で使用していた女性エステバリスパイロット「トリオ」もそれぞれの部屋が持てるということで喜んでいた。


 移動路に乗るリョーコ、イズミ、ヒカル、イツキのカルテット組みは、すでに修理の始まったナデシコに向かって敬礼した。一時的に離れるだけであり、以前、艦を離れたときよりはるかに短い時間なのだが、四人とも苦楽をともにしてきた「戦艦ナデシコ」に敬意を払いたくなったのだった。

 「ねえねえ、かっこいい人いるかなー」

 と、アマノ・ヒカルが目を輝かせて周囲を見回すが、彼女の瞳に映るのは警備するゴツそうな同盟兵士ばかりだった。

 「ヒカル、くだらないことばっかり言ってんじゃないぜ。あんまりこっちと関わっちゃだめなんだ。ただでさえなんかしゃべりそうなんだよなー」

 とげのある顔でリョーコが懸念を表明すると、ヒカルのほほがみるみるうちに膨らんだ。

 「もう、ひどいよリョーコ。わたしだって言っていいことと悪いことくらい区別つくもん!」

 眼鏡娘は抗議して顔を背けてしまった。

 「ヒカルさん、冗談ですよ冗談。ちゃんとリョーコさん、ヒカルさんのこと信頼していますって、ねえイズミさん?」

 イツキ・カザマが仲裁に入る形でにっこり笑って言うと、イズミもうなずいたのでヒカルは気分を回復したようだった。それを確かめてストレートヘアーの美人パイロットは話題を転じた。

 「この基地の人員は5000名だそうです。巡航艦が一隻、駆逐艦が3隻、中型輸送艦一隻、工作艦2隻、強行偵察型スパルタニアン3機、通常型スパルタニアンが38機だそうですよ。前線監視が目的なので最低限というところなのでしょうね」

 イツキが言い終えた直後にエレベーターの扉が開き、4人は案内に沿って乗り込んだ。

 「へー、イツキ、どこからそんな情報を仕入れてきたんだ?」

 ショートヘアーの似合う男勝りのリョーコがたずねると、イツキは右手に持つ小冊子を3人に見せる。

 「下船の折、IDカードと一緒に渡されたこの小冊子に書いてあったんですが、読んでいません?」

 「…………」

 誰も読んでいないらしい。

 エレべーターの扉が開いた。他の乗員とともに4人は降りる。

 「ところで……」

 3人はドキッとした。今まで不気味なほど沈黙していた「ダジャレの女王」ことマキ・イズミが突然つぶやいたのだ。

 「どうしました、イズミさん?」

 問い返したのはイツキだ。

 「うーん、スパルタニアンっていうのが気になったんだけど、それってスパルタ戦闘機? くっくっく……」

 「えーと、ちょっと待ってください──ああ、これは同盟軍の戦闘艇ですね。いわゆる宇宙戦闘機です。全長は40メートルもあるそうですよ」

 リョーコの動きが止まった。その表情は水を得た魚のごとくという表現がぴったりだった。

 「戦闘艇か、そいつは面白そうじゃん。よし、荷物を置いたら早速おがみに行こうぜ!」

挿絵 
 「えー、本気なのリョーコ?」

 「あったりまえだ、ヒカル。どうせ当分の間はナデシコもエステバリスも出番がないんだ。暇をもてあますだろ? この際だ、1400年後の兵器ってやつがどんなものかじっくり体験しねーとな」

 「それは面白そーですね」

 イツキも楽しそうに賛成した。

 「イズミは?」

 「もちろんOKよん」

 バシッとリョーコは右手の拳を左の手のひらに叩きつける。

 「よーし、決まりだ。じゃあ、各自荷物を置いて15分後にエレベーター前に集合だ」

 「「了解!」」

 「えー、わたし、漫画描いてていい?」

 強烈な非難の視線を浴び、ヒカルもしぶしぶ同意したのだった。




V

  「アキト、しっかり持ってねー」

 軽快な足取りで前を進むナデシコ艦長に比べ、そのすこし後方で大きな旅行カバンとバックを抱える青年の足元はおぼつかない。

 「ちょ、ユリカ、いくらなんでもこんなに荷物いらないだろー」

 テンカワ・アキトが迷惑そうに抗議したが、前を歩く「婚約者」はラピス・ラズリの小さな手を握ったまま振り向いて言った。

 「ダメダメ、アキト、男に二言はないんでしょう。私がラピスちゃんを連れ出すことができたら荷物をぜーんぶ持つって言ったでしょ」

 「言ったけど……物理的にちょっと」

 「大丈夫大丈夫、だってもうすぐ移動路の上だし、乗ればエレベーターまですぐだよ。いいのかなぁ、そんな情けない姿をラピスちゃんにみせちゃって?」

 アキトの表情が変わった。足元をしっかり踏ん張り、背筋を伸ばして荷物の重量にたえる。少女にカッコいいところを見せようというのではなかった。彼は、彼が自分に課した誓いを思い出したのだ。もっと強くなる、もっともっと強くなる。強くなって大切な人を守るんだ。これくらいでへこたれてる場合じゃないぞ。

 「アキト、がんばれ」

 ラピスの応援する声が耳に響いた。少女は小さなリュックを背負い、鼻歌を口ずさんだり、ほとんどピクニック気分のようだ。つい先刻までナデシコから降りたくないとわがままを言っていた姿とはまるで違う。

 エレベーターから降りた3人は住居区画へと続く通路をしばらく歩き、まずユリカの部屋に到着した。

 「さあて、どんな部屋かなぁ」

 IDカードを端末に通し、最初は指定された暗証番号を入力すると扉が開く。自動的に
照明が点灯し部屋の全貌が姿を現した。

 「へー、けっこう広いわ。ナデシコのときより広いかも」

 部屋の内装は落ちついた色彩でまとめられており、その月並みの配色に若干ユリカは不満をもらしたものの、軍隊──しかも前線基地なのでそれ以上文句は言わない。キッチン、リビングルーム、寝室は個別の空間に別れており、基本的な家具はそろっていた。この点は満足の域に達していた。

 「アキト、荷物ありがとう。その辺に置いていいよ」

 「うん。けっこうきれいな部屋だね。それにナデシコの乗員全員をすんなり受け容れる部屋数があるんだね」

 「そうね。マクスウェル准将のお話だと、この基地の最大収容人員は10,000人だから、ぜんぜん余裕みたいだね」

 「なるほどね」

 アキトは荷物を置いた。ようやく重量物から開放された青年の表情はとても晴れやかだ。

 「じゃあ、ユリカ、俺、自分の部屋に行くよ」

 「えー、もう行っちゃうの? ゆっくりしていけばいいのに」

 「そうはいかないって。ラピス、行くよ」

 アキトが告げると、ラピス・ラズリはパッとユリカの手を離し青年の手を握った。ようやくユリカに対しても心を開きかけた少女だったが、まだまだアキトには及ばないようだった。

 ふと、ユリカが部屋を見渡してつぶやいた。

 「アキト、始まるんだね。私たちの新しい生活が」

 テンカワ・アキトは足を止めて振り向いた。

 「ああ、そうだね。何が待ち構えているのかわからないけれど、ここで俺たちの生活が始まるんだ」

 それが短くとも長くとも、新たなる地で新しい時間を過ごすことには変わりがなかった。「地球」という彼らの遠い故郷を離れ、はるか未来で待ち受ける生活というものが、いかなるものなのか二人には想像がつかない。想像ができる者がいたとしたら、彼らはその先をこぞってその人物に尋ねたことであろう。まさにそれこそ非現実的だ。二人はお互いにくすくす笑う。その傍らでは会話の内容がいまいち理解できない少女がきょとんとしている。

 しばし静寂が流れた。

 「ねえ、アキト、もしこのまま戻れなかったら、アキトならどうする?」

 すがるような瞳を向けて問うユリカに、アキトはどこまでも希望にあふれた笑みで答えた。

 「どうもしないよ。生きていくだけさ。ユリカとラピスとみんながいるんだ。たとえ戦うことになっても、きっと俺は逃げないで生きていけると思う」

 思いがけない婚約者の発言にユリカは驚いた。

 「すごいね、アキト、なんか別人みたいだね。わたし、すっごく感動しちゃた」

 「えっ? ああ、まー、ありがとう」

 アキトは恥ずかしそうに頭をかき、話題を転じようとジャケットのポケットから小冊子を取り出して言った。

 「ねえ、ユリカ、夕食までに少し時間があるから基地の施設を確認しに行かない?」

 その建設的な提案に元気をもらい、ミスマル・ユリカは嬉しそうに大きくうなずいたのだった。




 ──ある副操舵士の部屋──

 支給された同盟軍の軍服を着用し、鏡の前でうっとりする女性クルーが1名存在したという。




W

 ナデシコが基地に入港してからおよそ一週間後、いささかの失言はあったものの、乗員たちは注意事項をよく守り、そつなく基地での生活を送れるようになっていた。

 そもそも1400年も前の話が同盟兵士たちから上ることはなく、もっぱら聞かれることといえば最近の軍事情勢のことだったり、家族のことだったり、女性クルーの名前だったり、彼女たちの性格だったり、彼女たちの交友関係だったりした。(ほとんど女性クルーの話題かよ)

 これは機密に関わることは触れないようにとのマクスウェルの事前通達が徹底されていたからに他ならないが、いささかナデシコクルーにとっては拍子抜けする反応だったようである。

 と同時に彼らもまた自分たちとなんら変わらない「人間」であることをあらためて感じたのだった。

 「確かに受け取りました」

 基地司令官室を訪れたミスマル・ユリカは、乗員のデーターが入った光ディスクをマクスウェルに手渡した。マクスウェルは受け取ったディスクの中身を確認し、小さな暗証式強化ケースに保管した。

 「これは直接元帥に渡すことになっています。わが基地の駆逐艦がハイネセンに急行し、確実に届けるのでご心配なく」

 「どうぞよろしくお願いします。実際に待遇決定の通知が届くまでにいかほどかかるのでしょうか?」

 「そうですな、3週間後を予定しているそうです」

 「3週間後ですか……」

 微妙な時間だなぁー、とユリカは思う。なぜなら、ナデシコの修理が完了し、もしジャンプが可能になっていれば決定前にこの世界から姿を消しているからである。そのときは同盟軍の皆さんにわるいかなぁ、とすまなく思う艦長だった。

 というのも2日前、ナデシコ乗員の待遇を決めるにあたり統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥から直接の通信文があり、ナデシコ乗員の戦歴と履歴を提出してもらうようマクスウェルに通達があったのである。ナデシコ側は演算ユニットの回復がなれば必要のないことだったので申し出を保留したのだが、そうとは知らない同盟軍側は彼らを引き込むために──彼らのためにも待遇を決定しておこうと素早い対応を打診してきたのである。

 この際、双方に重要度の認識の落差があるのは仕方のないことだった。
 
 しかし、協議した結果、プロスペクターの「念のため」という要望を受けて提出することにしたのである。主なメンバーは「念のため」が訪れたとき情報の漏洩を恐れたが、光ディスクのデーターは待遇決定後に破棄し、照合時に必要になる名前と所属、階級の基本情報のみ閲覧可能とし、詳細データーは三重のロックをかけて機密扱いとし、なおかつ現時点では統合作戦本部長以外閲覧できないよう暗号設定される、とマクスウェルより説明を受け、ユリカたちも生活が長引けば「名無し」ではなにかと問題が生じると理解を示したのだった。

 もちろん、先のユリカの予定通り、修理完了後にジャンプが可能になっていれば取るに足らない問題となっていたはずだった。

 データーの作成はプロスペクターとイネス・フレサンジュ、ゴート・ホーリーが担当し、基地側より支給された、より進化を遂げた端末機を使ってわずか二日で完成させたのだった。

 「いやー、データーの作成は大変でしたが、よいものをいただきましたな」

 珍しくプロスペクターがホクホク顔で感想を語る。その表情は大きなプロジェクトをやり遂げた直後に社長より昇進の通知を直に受けた中間管理職のそれに近い。

 「しかし、よくデーターを作成する気になられましたね。私はてっきりあなたが反対なさるのではないかと思っていました」

 そうゴート・ホーリーから問われると、プロスペクターは笑いを収めて窓から虚空を見やった。

 「まあ、協議時に言いましたが、これは将来投資というやつです。ジャンプが可能になっていれば問題はありません。ですが、もし我々がここで生きていくなら身分が必要になるでしょう。ネルガルの威光に頼るわけにはいきませんからね。
 いずれにせよ、私たちにはあまり選択権がありません。今のところ同盟の下に組するのが最善の方策といえるのです。逃亡も考えましたが、ナデシコの状態と現在の情勢ではいかんともしがたい。ならばもしものときを考えて同盟にて地盤固めを図るしかないでしょう」

 「なるほど、おっしゃるとおりです」

 プロスペクターは両手を机の上で組む。

 「ここ数日、修理の合間を縫ってルリちゃんに基地端末からデーターをハッキングしていただいていますが、同盟の状況というのは決してよい状態ではないようですね」

 「と、おっしゃいますと?」

 ゴート・ホーリーは太い眉をしかめた。

 「ウランフ提督が以前、ナデシコをご訪問された折に少しだけお話しされたように、共和主義たる同盟は永い戦時下の中で徐々にその基盤が崩れ、経済やライフラインとも弱体化している状態のようです。加えて近年、急速に軍国主義色を強めているようです。なんとか持ちこたえているのは軍と政治の中枢にシトレ元帥やウランフ提督のような良識派がまだ存在しているからでしょう」

 「では、その体制が維持されている当分の間、我々は政治中枢と関わらずに過ごしていけるのでしょうか?」

 いいえ、とプロスペクターはいつになく真剣な表情で首を横に振った。


 「ゴートくん、たしかに同盟と帝国は150年もずっとだらだらと戦争をしています。だからといって今の情勢や基地が安寧でいられると考えるのは間違いです。確かにこの基地は前線にありますが主戦場となりうる宙域からは離れています。
 ですが戦争というのはいつか終わるものなんですよ。物事に決着がつかないということはないのです。それが早いか遅いかの違いだけです。150年も双方は不毛な戦いを繰り返してきました。逆に、もう150年も双方は戦ってきたのです。その考えでいけば戦争が終わるとしたらどちらかから生じる変革でしょう。その変革は時代の潮流に乗り、大きなうねりとなって戦争そのものを終わらせるはずです。それまで、この基地が安全であるという保障はどこにもないのですよ、どこにもね」


 プロスペクターは再び窓の外を見た。隕石の間からは永遠につづくと思われる深淵の暗闇が遥かな時代を経ても変わることなく存在している。

 「いいですかゴートくん、わたしがあなたにすべてを話した意味を忘れてはいけませんよ」

 「承知いたしております」

 その変革がすでに始まっているという事実を、プロスペクターもゴート・ホーリーもまだ知らないでいた。


◆◆◆


 ホシノ・ルリはプロスペクターからの依頼を受け、ナデシコ修理の合間を利用して基地データーのハッキングを続けていた。少女にとって1400年後のCPを相手にすることもさほど問題ではなかった。まず簡単なデーターをいくつか引き出し、そのパターンを解析してひとつ上のデーターにアクセスし、ほとんど1時間もかからずに全システムを掌握してしまったのである。

 ルリ曰く、

 「人が作っている以上、たいして考えてることは変わってないのよねー」

 だそうである。

 ルリは、事前にプロスペクターから「事実」を知らされていたので、いまさら驚かなかったが、前線基地のためか、ここ数日引き出したデーターの大半は軍事情報が多く、プロスペクターやイネスが欲しているものはわずかだった。

 そんな中、ふと少女はあるデーターに目を留めた。

 「エル・ファシルの英雄」

 宇宙暦788年、帝国側に近い同盟領エル・ファシルで端を発した戦闘で、帝国軍に背後より強襲されて恐慌に陥った同盟軍艦隊が逃亡してしまい、味方に見捨てられた民間人300万人を無事に脱出させた一人の新人中尉についての記録だった。

 「へえー、こんな軍人さんもいるのね。えーと名前は……」

 ルリは、その人物の名前を読み上げることができなかった。ルリしかいないはずの艦橋に、よく見知ったロン毛の青年が突然姿を現したのだった。




 ……TO BE CONTINUED


第三章(後編)に続く



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 あとがき

 涼です。第三章の前編をお送りいたします。今回は原作の本編に突入する直前ということで、後編も同時に投入しております。とりあえず年内に外伝時間部分にはけりをつけておこうと考えました。前編・後編となんとか間に合った、と思います。

 第三章の前編は、ユリカたちの基地での生活の描写を中心に書きました。とりあえず予定通りに本編に進めそうで安心している今日この頃です。


 2008年10月25日  ──涼──

 改訂しました。誤字と追記を行いました。「なにそれ?ナデシコのコーナーそのD」を追加。
 2008年11月25日 ──涼──

 2009年1月16日 (修正追加) 
──涼──

 節ごとに番号を振り、読みにくい部分を修正しました。

 2010年 2月7日 
──涼──



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆◆◆◆ッセージコーナ◆◆◆◆◆◆◆◆

◆◆2008年10月9日◆◆

 前回いただいたメーッセージの返信です。前回は少なめw
 ですが、ありがとうございました。
 また応援メッセージや感想をお待ちしています。
 書いていただけるように作者も努力します。


◇◇11時48分◇◇

 銀河英雄伝説とナデシコの世界観をどう融合させるのか期待しています。がんばって

>>>>メッセージをありがとうございます。両作品の融合ですね。書いてて「やば、むずい」とかいまさら思ったりしました。あまり意識すると逆にわざとらしさが明確になりそうなので、考えているシナリオに沿って「いつの間にか融合してた」くらいになるといいなあ、と希望的観測してます。


 ◇◇17時36分◇◇

 ペテン師との出会いはイゼルローン攻略あたりでしょうか?

 >>>>メッーセージを今回もありがとうございます。
 うーん、気になっているようですね。はっきりしていませんが、いちおう示唆している部分は以前からあります。
 イゼルローンからかどうかはお待ちください。


 以上、メッセージの返信でした。

◆◆◆◆◆◆◆◆メッセージコーナー◆◆◆◆◆◆◆◆

◎◎◎◎◎◎◎◎なにそれ?ナデシコのコーナー(そのD)◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 イネスです。皆さんお久しぶりね。ようやく基地に落ち着いて時間が空いたわね。今日はそんな時間を利用して、私たちがヴァンフリートに現れる少し前に起こった会戦についてお話しましょう。帝国軍の艦艇は35000隻。同盟軍の艦艇もほぼ同数の戦いね。

 それは「第4次ティアマト会戦」です。ティアマト星系はイゼルローン回廊の同盟側出口に広がる星系ね。帝国から見ると、もっとも同盟首都星を望む最短ルートの最初なわけです。だからこの星系は過去何度も戦場になっているようね。数ヶ月前の2月にも第3次の会戦が起こっていることから、戦略的にも重要な星系なのね。

 ことの発端は帝国軍の報復遠征ね。まあ、そんな戦略的に意味のない戦いをするのはばかばかしいと思うのだけど、ばかばかしいと思わない人たちもいるということね。

 惑星レグニツァでの遭遇戦を経て、両陣営がティアマトに布陣を終えたのは9月11日。最初の砲火が交わされたのは9月13日のこと。その間に帝国軍左翼部隊が同盟に突出するように布陣していたけど、正面の同盟軍部隊に突撃を開始した直後に突然右に旋回し、そのまま両陣営の間を通り抜けるようにして時計方向の逆に進んで同盟軍左翼部隊の側面に攻撃を仕掛けたのよ。なんというのか、何で同盟軍の皆さんは攻撃しなかったのかしらね?
 おかげで正面から互いに砲火を交えることになり、ほとんど乱戦みたいになったけど、同盟軍は左翼方向に回りこまれた帝国軍にさんざん悩まされたようね。ウランフ提督もこの会戦に参加していたそうだけど、その帝国軍部隊の戦術に苦しんだそうよ。

 包囲されかかった同盟軍は、なんとか囮を使った奇策で後退に成功したみたいだわ。帝国軍もそれなりに損害をこうむっていたから撤退して「第4次ティアマト会戦」は終わったわけ。9月16日の事ね。
 損害についてはまだ資料が作成されていないみたいだけど、同盟軍の損害のほうが帝国軍より少し上回ったのではないかということよ。
 戦争をするからには決して死傷者が出ないことはないけれど、もうすこし相手の意図を読む必要があるんじゃないかしらね? 特に横断する帝国艦隊を正面に見据えていながら攻撃しなかった第2艦隊の司令官さんとか、状況の分析能力に欠けるんじゃないかしら?

 以上、イネス・フレサンジュがお送りしました。では、次回にお会いしましょうね!


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