私たちは、遥かに時間を超えた戦場にいた
 木星蜥蜴と戦っていたときとは明らかに違う
 空前絶後の規模を誇る戦いを記録するため
 アスターテという星系にいる

 光秒単位の布陣ってなんですか?

 対峙する艦艇数は両軍合わせて6万隻
 迎撃する同盟軍4万隻に対し、遠征する帝国軍2万隻
 数だけなら絶対に前者の勝ちのはず

 けれど、先勝したのは帝国軍だった

 驚く私たち、唸る私たち
 強力な新兵器があるわけじゃない
 新兵器が勝負を決するわけじゃない
 戦うのは人、兵器を操るのも人

 勝敗を分けるのは人と人とのもてる能力のぶつかり合い
 その勝負に勝つための手段が「用兵」という
 時代を超えて積み重ねられた戦術的手段!

 そして発想転換された不利な状況
 『同盟軍は分散している!』
 戦力を集中し、味方を高速で移動させよ!
 
 その凄さをまざまざと見せ付けられた私たちは
 彼の存在をいやおうなく知ることになった

 その名は、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵

 いったい、どんな人なんだろう?



 ──ホシノ・ルリ──







闇が深くなる夜明けの前に


機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説








 第四章(中編・其の一)

 幸運のない戦場/アスターテに散る……』







T

 「これは一体どういうことだ!?」

 第4艦隊司令官パストーレ中将は、帝国軍急接近の報を受けるも状況が飲み込めずにショックを受けていた。

 「帝国軍の司令官は何を考えているのだ?」

 愚かしいことを中将は口にしながら、「どうなさいますか?」と問いかけてきた幕僚連中を一通り罵った後、かろうじて我に帰りながら通信オペレーターに向って叫んだ。

 「第2、第6艦隊に緊急連絡! α7.4、β3.9、γマイナス0.6の宙域にて敵艦隊と衝突、至急応援にこられたし、と」

 「ダメです。妨害が激しすぎます」

 絶望的な表情でオペレーターが報告する。それを聞いた中将の額から首筋にかけて冷や汗が流れ落ちた。

 完全に予定が狂った。本来ならば兵力の多い同盟軍に対して半分の兵力の帝国軍は戦場に近づくほど防御陣形をとって守勢に回るはずだった。同盟軍は密集隊形を取った帝国軍を三方から同速で包囲し、火力を集中させてゆっくりと確実に専制国家の軍隊を葬ればよかったのである。

 それが信じられないことに覆されたのだ!

 「すぐに連絡艇を出せ! 両艦隊に2隻ずつだ」

 そう怒鳴ったパストーレ中将の顔を白い閃光が覆った。帝国軍が砲撃をはじめ、同盟軍艦艇に突き刺さったのだ。

 「全艦、総力戦用意! 先頭集団迎撃せよ」

 それこそパストーレ中将が真っ先に口に出すべき命令だった。うろたえて幕僚を罵っている場合ではなかったのだ。その間にもファーレンハイト少将率いる帝国軍先頭集団は確固たる意思と迅速さで第4艦隊の機先を制してしまった。

 「無能者め、反応が遅い」

 旗艦ブリュンヒルトの艦橋でラインハルトが相手の鈍さを冷笑して独語した。その蒼氷色の瞳は鋭さでみなぎっている。

 「ワルキューレを発進させよ。近接戦闘に移るぞ」

 ファーレンハイト少将が生気に満ちた声で命令する。完全に先手を取った自信で彼も少なからず昂揚していた。まずは勝つことが先決だ。ローエングラム伯の功績になるにしても、とにかく勝つ戦いなら勝ってやるさ!

 巨大な艦船から次々に戦闘艇が発進する。腕状の兵装ユニットを持つ白銀に塗装された死の天使だ。エネルギービームの飛び交う宙域を疾走し、同盟軍艦艇の装甲の弱い部分に至近距離からレーザービームやレールガンを叩き込み、次々に損害を与えていく。

 もちろん同盟軍にも艦載機が存在するが……

 「スパルタニアンを出せ! 迎撃せよ」

 パストーレ中将は命じたが、先制された状態ではたやすく発艦させることもできず、その直後に狙い撃ちにされたり、母艦もろとも破壊される有様だった。

 艦隊もまるっきり同じだった。第4艦隊の先頭集団はいいようにファーレンハイト艦隊に侵食され、パストーレ中将の動揺が全艦に乗り移ったかのように無秩序に行動して墓穴を掘り、次々と爆発して宇宙の藻屑と消えていった。

 「な、何をやっておるのだ」

 と顔面蒼白でうめいたのはパストーレ中将であり、

 「何をやっているの!」

 と怒りをあらわにしてつぶやいたのはユリカであって、

 「何をやっていやがる」

 と余裕に満ちて相手を嘲弄したのはファーレンハイト少将だった。彼は口元をほころばせてこの戦いの勝利を確信していた。


 戦闘開始からたったの1時間で第4艦隊の先頭集団は壊滅的な状態に陥っていた。

 「なんということだ、3000隻近い先頭集団が短時間で壊滅するとは!」

 ゴート・ホーリーがスクリーンに映し出された戦況図を見ながら拳を強く握り締め、衝撃に満ちた声でつぶやいた。ほんの1時間20分前までは楽観視した会話が交わされていたが、艦橋内はもうそんな空気は消滅してしまっていた。呆然とした表情のままスクリーンを見つめたままの者もいる。信じられない事態に戸惑っている者も多い。

 ナデシコは同盟側の宙域…つまり第4艦隊の真後ろとなる戦場外宙域にいるため、妨害が激しい中でも戦況の把握が可能だった。その同盟軍の混乱ぶりと帝国軍の速攻の見事さと、どちらに対しても声が出ない。

 ようやく、呆然とした状態からテンカワ・アキトが震えながら声を押し出した。

 「ユリカ、帝国軍は……」

 アキトが驚きの表情のまま、指揮卓の前に立つユリカに問う。彼の婚約者は両手を指揮卓についてまっすぐにスクリーンを見つめ、形の良い唇を耐えるようにかみ締めていた。

 「……各個撃破に出てきたのよ。正面の第4艦隊が一番兵力が少ないから当然だわ」



◆◆◆

 同様の会話は、かろうじて状況を知りえた第2艦隊の艦橋でも交わされていた。焦燥感に染まったパエッタ中将が幕僚の中で落ち着き払っているヤンに意見を求めたのである。ヤンは自席から立ち上がり、シミュレーション図を示して説明する。

 「やはり敵は各個撃破戦法に出てきたのです。数の最も少ない正面の第4艦隊に攻撃を仕掛けたのは当然の選択です。第6艦隊とわが艦隊は最も距離が遠く、敵にすれば第4艦隊を打ち破った後でも我々が合流するより早くどちらかと対することが可能です」

 「だが、第4艦隊も簡単には……」

 「両軍は正面から衝突したと推測されます。第4艦隊の兵力は最も少ない12,000隻、対する帝国軍は20,000隻、勝敗はおのずと明らかです」

 この辺りで意を決してくれればとヤンは思うのだが、そう簡単にパエッタ中将の頭は柔軟になるようではなかった。懸念した通り危険な方向に意を決してしまう。

 「第4艦隊が数の上で不利ならばなおのこと我々は救援に向わねばならない。上手くいけば帝国軍の後背を突くことも可能になる」

 ヤンは間髪いれずに否定した。パエッタ提督は淡々としている幕僚の真意を問うた。

 黒髪の幕僚は訴える。

 「我々が戦場に到着したときには戦闘は終わっています。敵は一早く戦場を離脱し、我が艦隊と第6艦隊が合流するより早くいずれかの背後に回って攻撃してくるでしょう。そして次に狙われるのは2番目に数の少ない第6艦隊が確実です」

 「ではどうしろというのだ」

 「手順を変えるのです」

 ヤンは、そう言って操作卓をいじり、シミュレーション図を進める。

 「第6艦隊と戦場で合流するのではなく、一刻も早く味方と合流し、その宙域に新戦場を設定するのです。両艦隊を合計すれば28,000隻、帝国軍は20,000隻ですから、互角以上の勝負が可能になるでしょう」

 シミュレーション図に向けられていたパエッタ中将の目が冷徹な発言をした幕僚に注がれた。この方法だと第4艦隊を見殺しにすることになるのだ。

 「残念ですが、今からでは間に合いません。戦場まで何時間かかると思われますか?」

 ヤンの声は素っ気ない。なんとしても司令官を説得し、これ以上の犠牲を抑えねばならない。ラップのいる第6艦隊が次に狙われるのだ。

 しかし……

 「友軍の危機を放置してはおけん」

 中将の声にヤンは肩をすくめた。ヤンは姿勢をいつもより正して上官を諌めた。

 「では我々を含め、3個艦隊いずれもが帝国軍の各個撃破戦法の餌食になってしまいます。お考え直しください、司令官閣下」

 パエッタの考えは変わらないようだった。第4艦隊が持ちこたえくれれば、なんとかる、などと希望的観測まで言い出す始末だった。

 ヤンは、スッパリと断言した。
 
 「無益だと先刻も申し上げましたが」

 ダンッ、とパエッタ中将は指揮卓に両拳を叩きつけた。

 「ヤン准将、現実の戦闘は貴官の言うような机上の計算だけでは成立せんのだ。敵の指揮官ローエングラム伯は若く、そして経験も少ない。対してパストーレ中将は私の友人であり、百戦錬磨の勇者だ」

 「ですが司令官閣下、ローエングラム伯は先の戦いの白い艦の指揮官です。彼は……」

 パエッタ中将の不快気な声がヤンの言葉を遮り、彼に席に着くよう左手を振った。ヤンもこれ以上パエッタ中将の意思を覆すことは難しいと判断したのか、おとなしく自席につく。

 (私に権限があれば……)

 ヤンは、ラップとジェシカ・エドワーズの顔を思い浮かべながら、ふとそう思わずにはいられなかったのだった。





U

 戦闘開始から3時間強で、第4艦隊はすでに艦隊と呼べる状態ではなくなっていた。

 ナデシコの艦橋では、いいように帝国軍に侵食されていった第4艦隊のふがいなさに怒りを覚えつつ、帝国軍の用兵に度肝を抜かれていた。同盟軍の意表を突いたとはいえ、帝国軍の速攻と整然たる陣形、同盟軍先頭集団に突入してからの目の覚めるような近接戦闘への移行。相手の混乱に乗じ、その混乱を拡大させて艦隊を分断し、本隊が決定的な打撃を与えていくという、まさに恐るべき集団戦術の巧みさと連係の緻密さ! 

 今まで彼らが体験してきた木連軍との戦闘とはまったく異質で強大な組織力を駆使した冷酷無比な手段!

 介入不可能な状況……これほどの戦闘を見せつけられるとは!

 ユリカたちは、それまでの認識が甘すぎることを悟らざるを得なかった。

 いまや、ナデシコの戦術スクリーンに示された陣形図は第4艦隊のものだけバラバラになっていた。艦橋からうかがい知ることが出来る状態も同じと言ってよい。各所に寸断された光群の小集団が絶望的な抵抗をしつつ、その数を一つ、また一つと確実に減らしていく。

 「いったい、同盟軍の司令官は何をしているの!」

 と珍しく声を荒げたのはユリカであり、第4艦隊の陣形が崩れていくさまを目の当たりにしながらも何も出来ない自分に怒りすら抱いていた。ユリカに限らず、他のクルーからも同様の声が上がり、また同じ心境だった。

 ユリカたちは知らなかったが、ほぼ無為無策のうちに敗れつつある第4艦隊司令官パストーレ中将は、艦橋付近に集中攻撃を受けた際に生じた破口から真空に吸い出され、すでに冥界への門をくぐっていたのである。



 『ローエングラム閣下、組織的な抵抗は終わりました。以後、掃討戦に移ります』

 ラインハルトは、緒戦における勝利を伝えるメルカッツ提督の報告を通信スクリーン越しに聞いていた。

 「掃討など無用だ」

 つまり、戦いは3分の1が終わったばかりであり、残敵など放置してかまわない。次の戦闘に備えて戦力を温存しておくことが重要なのだと。

 「追って指示を出す」

 『承知いたしました、司令官閣下』

 重々しく敬礼したメルカッツの姿が通信スクリーンから消える。

 ラインハルトが、両手を後ろに組んだ姿勢のまま赤毛の親友を顧みた。

 「少しは態度が変わったな、彼も」

 「もちろん、変わらざるを得ないでしょう」

 緒戦におけるこの勝利はきわめて大きい。ラインハルトに反感を抱いている提督たちに戦略構想の正しさを認めさせることになり、不利だと考えていた兵士たちの士気を飛躍的に高めることに成功するだろう。逆に同盟軍は必勝の体勢を根底から崩され、浮き足立つことは疑いがない。

 「キルヒアイス、次に攻撃すべきは左右どちらの艦隊だと思う?」

 「ラインハルト様もお人が悪い。すでにお考えは決しておりましょう?」

 「まあな」

 ラインハルトは、会心の笑みをキルヒアイスに向けると針路を指示し、キルヒアイスの進言を容れ、次の戦闘開始までのタイムラグを使って兵士たちに休息をとらせるよう、命令を伝達させた。


◆◆◆

 「帝国軍艦隊、隊列を整えます。時計方向に針路をとりつつあり」

 ルリの報告を聞きながら、テンカワ・アキトが整理のつかない表情のままユリカに尋ねた。

 「ユリカ、帝国軍は戦場を離脱するのかな?」

 ナデシコの美人艦長は、婚約者の顔を一瞥し、首を左右に振って否定した。

 「帝国軍の司令官は次に数の少ない第6艦隊を攻撃するのよ」

 「えっ!? 艦隊戦を2回やるって言うのか?」

 アキトの驚きが納まらないうちにユリカは断言した。

 「アキト、違うの。ローエングラム伯は三個艦隊全てに勝利する算段をすでに立てているのよ」

 今度は艦橋中が驚きの渦に巻き込まれた。信じられない、と全ての顔が語っている。

 「いいえ、ローエングラム伯の戦略構想は柔軟で極めて緻密です。彼は同盟軍の陣形を知った時点で勝利を確信したに違いありません。同盟軍は兵力を分散させたことが逆に仇になったのです」

 「でもユリカ、戦場はリアルタイムで変化するものだし、ローエングラム伯の構想が計画通りに進むとは限らないと思うけど?」

 「ええ、確かにそうよ。けれど、今のところ彼の思惑通りに運んでいると見るべきよ」

 その先を代わってアオイ・ジュンが言葉にした。

 「なるほど、その証拠に残りの同盟軍の動きに変化が見られないね」

 「その通りよ、ジュン君。理由はわかりませんが、第2、第6艦隊は当初の針路を変更しないまま戦場宙域に向っています。もし両艦隊が帝国軍の意図を察していれば可能な限り早く合流をはかり、戦力の集中を行うはずです」

 アキトは、あごに右手を当てたまま少し考え込んでつぶやいた。

 「もしかして第2、第6艦隊はこの状況を把握できていないのかも、妨害も激しいし」

 アキトの瞳がきらりと光った。

 「……だとしたら俺たちは何か出来るんじゃないのかな? ねえ、ユリカ」

 婚約者の建設的なヒントにユリカは大きな可能性を見出したようだった。

 「そうだね、アキト。私たちは何か出来るわ」

 もし本当に第6艦隊がこの状況を把握できずに行動の変更をためらっているならば、敵軍の動向を正確に伝えることによって司令官の判断を決定づけることができるかもしれない!

 目的が定まるとユリカの指示は迷いがない。

 「ルリちゃん、ナデシコが最大戦速で第6艦隊と通信可能な宙域まで向った場合のそれまでの距離と時間、帝国軍が第6艦隊を攻撃するまでの時間とのタイムラグを大至急、計算してください」

 「了解です」

 メインオペレーターの美少女がメインコンピューターである「オモイカネ」と交信を始めるが、ものの数秒で計算は終わってしまった。

 「艦長、およそ20分です」

 ルリは帝国軍艦隊が4時間、ナデシコが3時間半強前後と付け加えた。本来ならば単艦のナデシコの方がもう少し短い時間で目標宙域に駆けつけることが出来るはずだが、帝国軍に捕捉されないようにやや遠回りをせねばならない。

 短い、とユリカとアキトは思うのだが、敵の動向を打電するなら十分な時間だった。第6艦隊の司令官が迅速な対応をしてくれれば「20分」は短いとはいえないが、問題は意思決定に少なからず時間を必要とする可能性が高いだけに、それを考慮に入れると対応に移る行動は少しでも早い方がいい。

 1分1秒がおしい状況となった。

 「ルリちゃん、ただちに最大戦速で目標宙域に向ってください」

 「はい、艦長」

 ルリは、ユリカの意図を察しているのか対応が早い。ナデシコはあっという間に相転移エンジンの出力を最大に上げて虚空のかなたに消えていった。





V

 第6艦隊の士官食堂では、幕僚の一人、ジャン・ロベール・ラップ少佐が今回の作戦に対して異議を申し立てていた。

 「……わざわざ戦力を分散させる必要はありません。過去の勝利の再現など不要です。我々はまとまって行動し、小細工抜きで2万隻の敵と相対すればよかったのです」

 同席している第6艦隊司令官ムーア中将は、不快気に太い眉を吊り上げる。

 「すると何か、貴官は今回の作戦そのものに問題があるというのか?」

 ムーアが口に運ぼうとしたステーキを止めたとき、そこへ一人の連絡士官が入室し、手に持った発信者不明の暗号通信文を読み上げようとする。が、粗野な性格で知られるムーアの鋭いナイフのような視線にさらされ怯えて口を閉ざしてしまう。

 「貸してみろ」

 見かねたラップ少佐が半分ひったくるように通信文を連絡士官から取り上げ、すばやく内容を確認した。直後に彼の表情が確信と警戒の四文字に変化した。

 「閣下、すぐに第一級警戒体制を発令すべきです。これをお読みください」

 ムーアは不機嫌な顔のまま、ラップから受け取った通信文に目を通す。それは以下のような内容だった。

 『帝国軍艦隊、第4艦隊を破り、時計方向に針路を変更。標準時14時前後に貴艦隊の後方、4時15分〜4時半の方角より奇襲の可能性大なり。大至急、対応せられたし!』

 読み終えたムーアの反応は恐ろしく鈍かった。

 「何だ、これは? 偽装電文ではないのか」

 ムーアがそう判断してしまったのも無理からぬことかもしれない。14時前後というなら時間差は5分ほどしかないのだ。いや、過ぎているといってもいいだろう。発信者が不明であることもムーアの不信感を色濃くさせた。

 司令官の心中を察知したのか、ラップが食い下がった。

 「閣下、小官も敵の動きをシミュレートしましたが、通信文の内容と同じ考えです。これは偽装電文などではありません。おそらくこの宙域に味方の哨戒艇がいるのかもしれません。第4艦隊が帝国軍と接触したのはほぼ事実です。状況から考えて敵の行動を予測した場合、電文の内容は信憑性を得ております」

 「そう言うがタイミングがよすぎる。激しい妨害の中、一体どうやって通信文を送ってきたのだ?」

 さらに食い下がろうとしたラップが口を開きかけたときだった。また一人、連絡士官が入室してきた。後衛の駆逐艦から入電があり、4時半の方角に艦影を見るが、識別不能という内容だった。

 「4時半の方角だと?」

 ムーアはいっそう不機嫌に太すぎる眉をしかめた。

 「ほほう、どちらの4時半だ? 午前か午後か」

 嫌みたらしく中将は言ったが食事を中断して立ち上がり、幕僚連中を従えて食堂を出た。

 「うろたえおって! 電文の内容に踊らされすぎだ。敵が4時半の方角にいるはずがないではないか、我らは戦場に急行しているのだ。よって敵は我らの行く手にいるのだ」

 ムーアの後を追うラップがすぐに疑問を呈した。

 「ですが閣下、電文にもありますが、敵は戦場を移動したのです」

 「んんっ!? 第4艦隊を放置してか?」

 「いいえ、電文のとおり、申し上げにくいことですが第4艦隊は敗退したと小官は確信いたします」

 「非常に不愉快で不快な断言だな、ラップ少佐。脂で口が滑らかになったとみえる」

 そのとき、すでに艦橋に続くエレベーターに乗り込んでいた中将たちは、すぐに異変を体で体験することになった。突然、エレベーター内が激しく揺さぶられ、照明が消えかかったのだ。

 不安がよぎる中、艦橋に足を踏み入れたムーアたちは、オペレーターからの驚くべき報告を耳にした。

 「敵です。右舷後方より敵襲!」

 ムーアが見たものは、味方の右後方から漆黒の世界を貫いて殺到する蒼白いエネルギービームの群れだった。中将の頭が混乱した。

 「敵が後方にいるだと!?」

 幕僚の一人が声を震わせながらつぶやいた。

 「敵の別働隊でしょうか? もしくは、やはり第4艦隊は敗北したのでしょうか…」

 「うろたえるな!」

 ムーア中将は、半分自分自身に向けて叱咤すると、心に混乱を生じさせながらも最低限の命令を下した。

 「迎撃せよ、砲門開け!」


◆◆◆

 帝国軍の先陣を務めるメルカッツ大将指揮下の艦隊は、整然たる攻撃陣形をとって同盟軍第6艦隊の後ろから襲いかかっていた。艦首から一斉に放たれる主砲が燦然(さんぜん)たる死のエネルギーの矢となって虚空を貫き、防御シールドが飽和状態に達した同盟軍艦艇の外壁を突き破って艦隊を刺し貫いていく。

 メルカッツ大将は、次々と閃光がきらめいては消えていく常闇をメインスクリーン越しに眺め、細い目に40年間見慣れてきた風景を映しつつ独語した。

 「もはや我らのような老兵の時代は去ったのかもしれぬな」

 メルカッツは、ラインハルトの実力を今度こそ認めていた。緒戦の勝利はまぐれではなかったのだ。正確な洞察と判断をもとに大胆な発想転換が行われた、正当な結果だったのだ。包囲されるより早く敵を各個撃破策に出るとは!

 「メルカッツ閣下、敵の艦列が崩れました」

 かたわらに控える副官シュナイダー大尉の報告に帝国軍の宿将はうなずき、命令した。

 「敵陣に突入しつつ、近接戦闘に移る。雷撃艇を前に」

 母艦から次々と発進した雷撃艇が同盟軍艦艇の艦底めがけて超高速の機動力を生かし、24門からなるレールガンの連続射撃でやすやすと同盟艦艇の外壁を撃ち破り、艦内部を縦横無人に破壊しつくした。破口から爆炎が噴出し、一瞬ねじれ、艦は次々に宇宙の藻屑に還元されていった。

 戦闘は苛烈さを増した。同盟軍は必死の反撃を試みていたが、司令官自信が混乱を収拾することができず、逆に反撃を封じられていた。

 ついにムーアが意を決し、艦橋から叫んだ。まずいほうに……

 「全艦、反転せよ!」

 「閣下! 反転させてはいけません、より混乱が生じるだけです。このまま時計回りに針路を変更し、全艦前進して敵の後背につくべきです」

 ラップ少佐のもっともな進言は、ムーアの腕の一振りで却下された。是が非でも反転攻勢をするつもりらしい。ラップは強い口調で抗議したが、司令官は頑として譲らなかった。

  第6艦隊旗艦ペルガモンが反転を開始すると、後続の艦艇も次々にそれにならう。だが、戦いながら反転するのは容易ではない。

 「愚か者め」

 ラインハルトが、反転する敵の行動を戦術スクリーンで確認しながら蔑むように独語していた。

 一方、老練なメルカッツは、同盟軍の混乱を見逃さず、すかさず乗じた。

 「撃てっ!」

 帝国軍の一斉正射が反転する同盟軍艦艇の側面に突き刺さり、破壊し、爆散させる。先制されている状況で無謀な反転攻勢を敢行した同盟軍は、その愚かな行動にふさわしい最期を自ら演出しつつあった。

 ペルガモンを護衛する戦艦が次々と中性子ビームの餌食になって火球と化し、旗艦のスクリーンを白い閃光で覆った。

 「敵戦闘艇、本艦に急速接近!」

 オペレーターが悲痛な声を上げて報告する。爆発光の中から無数のワルキューレが躍り出て、ペルガモンの巨大な艦体にレーザービームを面白いように撃ち込んでいった。

 「ドッグファイトだ! スパルタニアンを出せ」

 ムーア中将は叫んだが、この命令はあまりにも遅すぎた。第4艦隊の時と同様、同盟軍の戦闘艇は闘死する権利すら与えられぬまま、母艦もろとも宇宙の塵と化していったのだった

 「閣下、勝敗は間もなく決しますが、敵に降伏勧告をなさってはいかがでしょうか?」

 赤毛の副官の提案にラインハルトはほんのしばらくの間黙っていたが、その意図を理解すると白皙の下に笑顔をつくった。

 「キルヒアイスは優しいな」

 赤毛の副官も笑い返した。

 ラインハルトは命じた。

 「よし、敵将に降伏勧告せよ」






W

 戦場外宙域で戦いの行方を見守っていたナデシコの艦橋では、ユリカたちが一方的に撃沈されていく同盟軍艦艇の様に打ちのめされながら、がっくりと肩を落としていた。

 「遅すぎたのね……」

 ナデシコの艦長は、指揮卓に目線を落としたまま、うなだれてつぶやいた。その隣ではテンカワ・アキトがユリカの肩にそっと手を置き、「ユリカのせいじゃないよ」と慰めていた。

 予想外の出来事が起こってしまったのだ。帝国軍を避けて迂回した宙域で磁気嵐にあってしまい貴重な時間を浪費してしまったのである。通信可能宙域に到達したとき、帝国軍との時差は10分を切ってしまっていた。

 それでもユリカは、危機が迫っていることを伝えるべく、なるべく簡単かつ確実な内容の電文を発信したのだった。

 帝国軍が第6艦隊に襲いかかるわずか5分前のことだった。

 「でも、間に合わなかった……」

 同盟軍第6艦隊は、帝国軍先頭集団に突き崩され、反転攻勢が招いた混乱から立ち直れないまま、第4艦隊と同じ運命をたどろうとしていた。

 ユリカやアキトは、戦いや人の死など見慣れているはずだった。見慣れているというのは間違った認識であるかもしれないが、木連との戦いの中で彼らは多くの死を目の当たりにしてきたのだ。戦うからには犠牲が出るのは仕方がない……にしても、これほどの規模の戦い、これほどの強力な艦隊を有する同盟軍が半分の数の帝国軍になすすべもなく消え去ろうとしているのだ。

 それもおそらく人的な障害のために。彼らが今まで接してきた死の数を10倍以上の数値で上回る100万人単位の死。そこには幸運も計算違いも互いの心を繋ぐ妥協もない、ただ冷酷に敵を排除する意思だけが永久の闇を支配していた。



 「主砲制御室、主砲制御室、応答せよ」

 「機関部出力低下……機関室、機関室、応答せよ」

 「後部砲塔からの応答ありません」

 悲痛なまでのオペレーターの声が静まり返った艦橋でむなしく響きわたっていた。

 「ジェシカ……」

 絶望的な状況の中、ラップ少佐は婚約者からお守りとしてもらったハンカチを震える手で握り締めていた。

 「こんなことになるなんて……」

 護衛の戦艦を撃沈され、味方とも分断されて孤立したペルガモンは帝国軍艦隊の重包囲にあった。

 「司令官、あれを!」

 幕僚の一人が肉薄する一隻の帝国軍戦艦を指差した。全員、最後の瞬間がやってきたのだと覚悟しただろう。

 その戦艦の艦首部分がチカチカと光っていた。

 「発光信号か?」

 不審気にオペレーターがささやいた。状況を飲み込めないのかムーア中将や幕僚たちは沈黙している。

 「解読してみろ」

 ラップ少佐が司令官の代わりに促すと、オペレーターは解読をはじめた。

 「……貴艦は完全に包囲せられたり、脱出の道なし、速やかに降伏せよ、寛大なる処遇を約束す……」

 解読が終わると、無数の視線がムーア中将のたくましい背中に突き刺さった。ラップも上官の背中に視線を投げつけ、彼の決断を待った。

 しばらく沈黙していたムーアの肩が徐々に震え、その拳が指揮卓の上で握られた。

 「降伏だと、バカにしよって! 生きて虜囚の辱めを受けろと言うのか」

 「ですが閣下、一時の汚辱にまみれても生きてさえいれば再戦の機会も得られます。ここは……」

 ラップが冷静な声で司令官に決断を促すが、ムーアは承服しかねたように憤怒の形相で幕僚をにらみつけた。

 「きさま! 命を惜しむか。かくなる上は玉砕あるのみだ。死んで武人の魂を敵に見せつけてやるのだ」

 「それは無駄死にです」

 「黙れ、卑怯者め!」

 ムーアの身勝手な言いように、ついにラップは怒りをあらわにした。

 「閣下、あなたは自己満足のためだけに多くの将兵を道連れにしようとしている。どちらが卑怯者とおもわれますか!」


◆◆◆

 『そうそう、その人の言うとおりよ!』

 周辺の妨害がゆるくなった瞬間を見逃さず、ペルガモンの通信システムをハッキングしていたナデシコの美少女オペレーターは、その艦橋内で応酬されるやり取りを通信スクリーンに通してユリカたちにも発信していた。

 ユリカもアキトもミナトも、誰もがラップたちの運命を決めるやり取りに固唾を呑んで見守っていた。もう、彼らにはそうするしかなかったのだ。

 が、状況は悪い方向へと滑り落ちているようだった。

 ムーアの一言にユリカたちは慄然とした。

 「きさまっ、反抗するか! ラップ少佐を拘束しろ、上官反抗罪だ」

 周囲の幕僚たちが何のためらいもなくらラップ少佐の両脇を抱え、彼を引きずるように強制的にどこかに連れて行こうとする。

 「やめろ、みんな目を覚ませ! 無駄死にしたいのか、くだらない軍事ロマンチズムに毒されるんじゃない」

 そう訴えるラップだったが、彼を連れ出す幕僚らは何の感傷も感じてはいないようだった。

 邪魔者を排除したムーア中将が血走った目をスクリーンに固定しながら、玉砕への号令をかけようと口を開きかけたときだった。

 『降伏しなさい!』

 正面のメインスクリーンを埋め尽くしたのはミスマル・ユリカの顔だった。彼女はいてもたってもいられず、ルリの協力で強制的に通信を開いて割り込んだのだ。穏やかな表情を崩すことの少ない楽天家の美女が本気で眉間を寄せて激怒している。

 「な、なんだ、きさまは? 帝国軍か?」

 同盟軍の階級章をつけているユリカを前に帝国軍呼ばわりするムーア中将は、やはりどこか錯乱しているようだった。

 『もうこれ以上、戦うのはやめなさい。ラップ少佐の言うとおりです。あなたは自己満足だけのために多くの将兵を巻き込んでいいわけがありません。敗北を潔く認め、帝国軍が差し伸べた手にすがるのです』

 「うるさい! 貴様は一体何者だ」

 怒鳴るムーアにユリカは凛然として身分を明かした。

 『私はハーミット・パープル基地所属、特務部隊戦艦ナデシコ艦長ミスマル・ユリカです』

 「特務? ハーミット・パープル……だと?」

 ムーアはすぐに理解できないようだったが、ラップは基地名を耳にし、瞬時に電文を送ってきたのが彼女であることを確信した。だが、味方だとしても、いったいどうやって通信にアクセスしてきたのか?

 「その小娘が何の用だ」

 『さっきから言っています。降伏してください』

 ムーアは、ユリカの言葉を振り払うように右手を水平に一閃した。

 「だまれ! たかが戦艦の艦長ごときが正規艦隊の司令官に命令するとは何様のつもりだ! 何も出来んくせに生意気な口を叩くな」

 ユリカはまったくひるまない。毅然としてムーアに言った。

 『ええ、残念ですが、私たちの任務は戦いの記録だけです。艦隊もナデシコ一隻だけです。あなた方を救い出すことなど到底無理です。けれど、これ以上の無駄死にを増やさないためにも、私はあなたを説得する義務があるのです』

 「義務? 説得だと? ラップ少佐と同じ、お前のような卑怯者に崇高なる武人の魂を汚されてたまるか」

 『何が武人の魂だ! 人を道連れにするのが崇高だっていうのか!』

 その怒りはテンカワ・アキトのものだった。黙っていられなくなったのか、茶色の短い髪型の青年は褐色の瞳にユリカ以上の激しさをたたえ、身勝手な論法で武装する司令官に鋭く視線を突き刺していた。

 『あんたは自分の失敗を省みようともせず、死んで責任を回避しようとしているだけだ! ラップ少佐が卑怯だって? ちがう、卑怯者はあんただ!』

 ムーアの顔は、怒りと屈辱で血管が切れそうだ。

 「小娘の次は小僧か! きさまらに何がわかるものか」

 『ああ、ぜんぜんわからないよ。人を簡単に死に追いやる考えなんてわかるはずがない。わかってたまるか!』

 アキトは、吐き捨てるように声を荒げると、頑固に考えを改めようとしないムーアを再び睨んだ。

 『あんたのところから外には何が見える? 味方はいるのか、いないだろう。帝国軍の艦しか存在していないはずだ。ラップ少佐の進言を無視した結果がこれだ。あんたが自分の名誉を本当に守りたいなら、ここで降伏するべきなんだ!』

 「うるさい、ひよこどもめ! オペーレーター、通信を切ってしまえ」

 「だめです。理由は判りませんが切れません」

 「なんだと?」

 そこへ、ラップ少佐が隙を突いて幕僚たちの拘束を振り払い、ムーアの前に立ちはだかった。

 「閣下、彼らの言うとおりです。これ以上の犠牲は無益なだけです。閣下が本当に武人の魂を見せ付けたいとおっしゃるならば、このような意にそぐわない惨敗の身の上の死ではなく、一時の汚辱に耐え、名誉ある再戦を選ぶべきです。ここで死んではその名誉挽回もままな……」

 ラップ少佐の必死の説得は、ムーアが一振りした卑劣な拳の鉄槌によって中断を余儀なくされた。壁に背中を打ちつけたラップはよろめいて崩れかける。

 『な、なんてことを、ラップ少佐!』

 殴られた少佐を気遣ったユリカとアキトは、次の瞬間に声を張り上げていた。ムーア中将が狂信的な笑みを彼らに向け、死への号令をかけてしまったのである。






X

「キルヒアイス、叛乱軍からの応答はまだか?」

 「はい、まだ沈黙したままです。ラインハルト様」

 旗艦ブリュンヒルトの艦橋では、金髪の上級大将と赤毛の副官が降伏勧告した第6艦隊からの応答をやや不思議そうな表情で待っていた。

 勧告からすでに8分が経過していたのである。

 「ふん、何を迷っているか知らぬが、敵の司令官も情けないやつだな」

 「敵には敵の事情がございましょう。もうしばらく待ってみてはいかがでしょう?」

 「仕方がないな、もう少し待とう。もしこのままだんまりを決め込むなら敗軍の将など放っておいて次の戦闘にいそしむ方が賢明だな」

 ラインハルトの声はどこか気だるそうだった。

 「申し訳ありません、ラインハルト様。私が出すぎた提案をしたばかりに……」

 「むっ? キルヒアイスが謝る必要などない、提案を受け入れたのは俺だ。だから責任は俺にあるのさ」

 ラインハルトが笑いかけるとキルヒアイスも笑い返す。二人はお互いの顔を見合わせると再びメインスクリーンへ視線を投じようとし、通信オペレーターの一人が落ち着きのない視線を投げかけていることに気がついた。

 「どうしました?」

 キルヒアイスは誰に対しても言葉が丁寧だった。

 ラインハルトもオペレーターに問う。

 「どうした、何か問題でもあったのか?」

 反射的に立ち上がってしまった若いオペレーターは、何か言いかけて口を閉ざし、やはり言おうとして口を開き、を二回も繰り返した。

 ラインハルトは促した。

 「何か問題があれば些細なことでもよい。言ってみよ」

 キルヒアイスもやさしく頷いたので、オペレーターは安心して口を開いた。

 「はい、少し前から叛乱軍に対して通信のアクセスを試みているのですが……」

 どうやらオペレーターたちはしっかり仕事をしていたらしい。ラインハルトもキルヒアイスもかすかに笑う。

 「……通信がまったく届かないのです」

 「むこうが回線を封鎖しているからではないのか?」

 ラインハルトはごく簡単な推理を立てたのだが、オペレーターの困惑はそんなものではなかった。

 「はい、小官も最初はそう考えたのですが……」

 「違うというのか?」

 金髪の上級大将の問い返しにオペレーターはさらに背筋を正した。

 「は、はい。叛乱軍は通信を封鎖しているのではなく、通信システムそのものが第三者によって支配されているのではないかと……」

 「なに?」

 オペレーターは、ラインハルトにその結論に至った理由を尋ねられ、「通信波そのものが同盟軍艦艇に届いておらず、別の方面から途中でブロックされていることを周辺の通信の流れで突き止めた」と言うのだった。

 ただ、あくまでもその流れはこの狭い宙域の範囲内でしかわからず、どの方面からのハッキングなのか、かなり高度なハッキング技術のために見当がつかないらしい。

 キツネにつままれたという感じで、ラインハルトとキルヒアイスは再び顔を見合わせた。

 「どう思う、キルヒアイス」

 「よくわかりませんが、この沈黙こそがその証拠なのではないでしょうか?」

 そう、降伏勧告から現時点で10分、どうりで長いはずだった。相手に決断を促す通信そのものが消されていたのだから。

 「奇妙だな、キルヒアイス。傍受するでもなく、攪乱するでもなく、システムそのものを乗っ取って、いったいどこのどいつが何の目的で叛乱軍と話をしているのだ? そもそもいつの間にシステムを乗っ取ったんだ? そいつらは何処にいるのだ?」

 ラインハルトの声は、いまいましさというより、不思議な事態に対する好奇心のほうが勝っていた。

 「いかがなさいますか? ラインハルト様」

 赤毛の親友に問われた金髪の若者は形のよいあごに手をあて、少しだけ考えてから答えた。

 「様子を見てみたい気もするが、こちらにも時間は貴重だ。正体のわからないやつらのハッキングごっこに付き合っている暇はない」

 「では、突き止めますか?」

 「そうだな、不逞な輩の顔を拝んでみるか」

 ラインハルトはそう答え、周辺宙域の各艦に対して正体不明の第三者の所在を突き止めるよう、オペレーターに通達を指示した。

 しかし、それは実行に移されることなく終わってしまう。キルヒアイスが知らせた。

 「ラインハルト様、叛乱軍の旗艦が動き出しました」

 ラインハルトの蒼氷色の瞳には、沈黙を破って無謀な突進を始めた第6艦隊旗艦が映っていた。

 「どうやら話し合いは終わったらしい。何があったかは知らぬが、これがやつらの返答か……」

 ラインハルトはつぶやき、砲撃を命じた。






Y

『待って!』

 
『やめるんだ!』


 ユリカとアキトの叫びは届かなかった。ドス黒い軍事ロマンチズムに支配されたムーアがゆがんだ本懐を遂げようと「死令」してしまったのだ。

 「全速、前進せよ!」

 その直後、ペルガモンの巨大な船体は四方からの砲撃にさらされ、幾筋もの光矢に刺し貫かれた。一瞬、動きが静止したかと思うと左に傾斜して船体各所から炎を吹き上げる。その爆発は各所に生存する兵士たちをなぎ払い、吹き飛ばし、叩きつけ、そして生きながら焼き尽くしていった。

 艦橋にも電撃が走り、それが予兆となって底部から火柱を吹き上げ、オペレーターたちを死者に変えていった。爆発の勢いで前方に傾いた戦闘指揮塔は、そこにいるムーアやラップを道連れにしながら悲鳴にちかい金属音とともに大きく崩れ去った。

 ラップ少佐!

 声にならない状態で身を乗り出すように通信スクリーンをわし掴みにしたナデシコ艦長は、炎色に染まった半分しか映らないその先に、倒れた指揮塔の衝撃で偶然スクリーンの前に投げ出され、血まみれの状態で倒れているラップ少佐の姿を発見した。

 『ラップ少佐!』

 今度は、アキトが泣きそうな声で叫んだ。炎の熱でゆがんで見える地獄のような惨状が信じられないのか、それともただなすすべもなく見ているだけの自分を許せないのか、激しく両拳を床に叩きつけている。すぐ隣のユリカは時が止まったかのように通信スクリーンから目を離そうとはしない。

 「……一緒に戦ってくれて……ありがとう」

 わずかに目を開けて、ラップはそんなことをつぶやいた。ユリカには思わぬ言葉。彼の穏やかな顔は、確実な死を知っているからだろうか? ラップは右手に握り締めたハンカチを顔に近づけ、少しだけスクリーンに視線を投じた。ユリカたちには握られたそれが何であるかはっきりとわからない。

挿絵

 「お願いがあるんだ……婚約者に、ジェシカ・エドワーズに伝えて……ほしい」

 ユリカの唇が震えた。

 『ラップ少佐……』

 「彼女に……伝えて……ほしいんだ……約束を破った俺をゆるしてくれ……と……」

 弱々しくかすれるような声で伝え終えた直後、爆発音とともにラップの周りを激しい炎が荒れ狂い、次にスクリーンを白く染めあげた。

 ペルガモンの最期は肉眼でも見えた。一つの光が瞬き、それが急速にしぼんでまた闇に戻ったのだ。拡大投影されたスクリーンには艦艇の残骸が漂い、その周りは数千隻の帝国軍艦艇で埋め尽くされていた。

 ナデシコの情報スクリーンには、マークしていたペルガモンが消滅したことを知らせる表示と、帝国軍が艦列を整えて戦場を離れることを伝える表示とデーターが次々と現れていた。だが、その全てを統括するオペレーターの美少女は魂をどこかに置き忘れてしまったかのように微動だにせず、うっすらと涙さえ浮かべていた。

 アオイ・ジュンとゴート・ホーリーは自席から立ち上がって敬礼していた。どちらの手も震えを帯びている。プロスペクターは黙祷をささげた状態で顔を伏せていた。

 ミナトとメグミは声を押し殺すようにして泣き、エステバリスの女性パイロットカルテットは、ペルガモンが消滅した宙域に向って気丈な表情のまま敬礼していたが、ヒカルが我慢できずに泣き出すと同じように涙した。

 「くそっ!」

 アキトは、両膝を崩し床に何度も何度も拳を叩きつけた。悔しさと非力さと非業な死に対する怒り。青年がずっと戦ってきた理由にもなった数々の負の連鎖……

 再び、テンカワ・アキトは向きあわねばならなくなった。

 「戦う理由」

 という命題に

 「俺たちは、なぜここにいるのか?」

 という存在意義に。

 それは、葛藤への道……

 「人を傷つけたくない」

 「大切な人を失いたくない」

 「戦わなくては生き残れない」

 「戦わなくては誰も守っていけない」

 「戦わないで済む方法はないのか」

 ある。決して求めず、決して触れず、決して施さず全てを破棄し、仲間と自分の存在を消すこと……

 「それはできない……」

 そう、アキトは仲間も自分も捨てることはできない。戦うしかないのだ。

 いつかその報いが彼に逆流しようとも、絶対に譲れない想いはある。


 しかし、アキトは今は泣いた。たった一人の人間が示してくれた全力の物語に心を打たれ、ただ純粋に悲しみにくれて、その涙を流した。

 ミスマル・ユリカは、いつの間にか床に崩れ落ちていた。決して目を離さずに全てを見よう、そう決めたはずなのにラップ少佐が炎につつまれた瞬間、彼女は目を背けてしまった。火星の人々の死、コロニーの人々の死、ダイゴウジ・ガイの死、白鳥九十九の死、戦火の中に消えた人々……

 ユリカは、目を逸らさずに見てきたはずだった。間接的な死も直接的な死も、ナデシコの艦長として、人々を守る軍人として、また一人の人間として自覚して受け止める必要があるから。痛みと悲しみを知らないで戦っていいわけではないから。現実から目を逸らさずに見つめてきたはずだった。

 彼女が至った答え……

 肯定する死などありはしない、比較する死も存在しない。

 でも……でもこんな酷い死はない!

 ユリカの目に涙があふれ、嗚咽とともに声を絞り出した。

 「ラップ少佐……私は戦ってなんかいないよ」

 何も映らなくなった真っ白な通信スクリーンから聞こえてくるノイズが、また一つ新たに背負った彼らの悲しみをより一層深いものにするのだった。


 

 ……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 涼です。アスターテ会戦の「中編」です。60KBを越えてしまったので、この辺りでご勘弁ください。ボリューム的に2話分です。2008年はこれでおしまいです。続きは来年です、すみません。
 
 ユリカたちは、とても悔しがることになりました。この気持ちがはたしてどう心境の変化をもたらすのでしょうか? 
 
 また、ラインハルトが微妙に「彼ら」の存在を感じ取りました。ほんとに索敵されてたら、ナデシコは逃げ切れなかったでしょうw

 それにしても、かなり悩みました。というのは惜しまれつつ亡くなったヤンの親友であるラップ少佐をなんとか救出できないかと悩んでいました。結論的に状況に穴が無いので「不能」と判断したのですが、ユリカたちがその死に際に立ち会うという場面を作り、救出できないジレンマを個人的に和らげたつもりです。

 正直、状況をかなり改編(ご都合主義ふくむ)するとラップ少佐が生き残れる確率が増すのですが、ヤンとラインハルトにとって転機となる「アスターテ会戦」を改編することは、その後の二人の運命に少なからずの影響を与えてしまうので避けました。(作者に上手く改編する実力がありません)

 ラップファン(俺だ)の方がいましたら申し訳ありません。作者も断腸の思いです。

 今回も楽しんでいただければ幸いです。

 次回作でお会いしましょう。

 参考資料
 ・徳間書店 銀河英雄伝説 黎明篇
 ・フィルムブック銀河英雄伝説 VOL・1 VOL・2 
 ・DVD 銀河英雄伝説劇場版 「新たなる戦いの序曲」
 ・DVD 銀河英雄伝説 VOL・1 「アスターテ会戦」

 2008年12月23日──涼──

 以下、修正履歴

 誤字や段落間違い、一部文章を追加しました。
 2009年4月29日 ──涼──


 微妙な修正を加えました
 2010年3月
5日 ──涼──

 全体的な調整と挿絵の一部削除。文章の一部を書き換えています。
 2012年10月6日 ──涼──


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆メッセージ返信コーナー◆◆◆◆◆◆◆◆◆

涼です。遅まきながら、ここではいただいたメッセージの返信をしたいと思います。
 まいど遅れてすみません。メッセージを書いてくれた方、本当にありがとうございます。

以下返信とさせていただきます。

 ◆◆2008年12月7日◆◆


 ◇◇7時9分◇◇

 今回も楽しく読ませていただきました。

>>>今回もご感想をありがとうございます。改編の難しい作品ですが、皆さんに楽しんでいただけるよう、努力します。今回も楽しんでいただければ、また感想やご意見などお願いします。

 ◇◇7時11分◇◇

 なぜなにナデシコ同盟編で同盟側からでるとしたら誰が出ますかね。

>>>あー、なるほど。気になっている方はいるようですね。「なぜなにの同盟編」はユリカたちが同盟の知識を得るために、あくまでもナデシコ艦内で行ったシリーズなので、同盟側からは誰も出ないんですよ(謝)

 ただ、これには個人的に三つのシリーズを構想しています。質問の内容に合致するとしたら第三シリーズだと思いますよ。

 ◆◆12月20日◆◆

 ◇◇17時34分◇◇

 幸運を!

 >>>ありがとうございます。いろいろな意味にとれる一言ですねw 幸運を個人的に引っ張ってきたいところです。



 以上です。今回の中編でもご意見ご感想がありましたら、メッセージまたは感想掲示板でお待ちしています。

2008年12月23日 ──涼──

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆メッセージ返信コーナー◆◆◆◆◆◆◆◆◆



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