第14艦隊も出発準備でおおわらわ
 みなさん、多忙です
 艦長のジュンさん、気合入りまくりで目が火事です
 エステバリスのパイロットのみなさんは
 なんかもっと暑苦しいくらい燃えています

 ふう……

 私も多忙です
 新しいデーターの入力やら
 各管制システムのチェックやら
 けっこう面倒なことが多いです

 武器管制の一部も入れ替えて新しくなったし
 ナデシコはセンサー類を新品にしたので
 その調整やら起動チェックやらetc……
 わりと仕事があるんです

 あっ、カールセン准将の雷がおちたみたいです
 あの士官さん、かわいそう……

 いえ、なんでもありません

 オモイカネは楽しそうです
 私と長い時間、対話できるからだそうです

 ああ、私も地上に行きたかったなぁ……

 今頃、あの二人は……
 お土産、ぜったい買ってきてほしいです


 ──ホシノ・ルリ──






闇が深くなる夜明けの前に

機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説






第五章(中編・其の三)

『始まる、帝国領侵攻作戦/出撃! 第14艦隊』




T

──宇宙暦796年、標準暦8月12日──


 会議の翌日からユリカの多忙な日々がスタートした。艦隊司令部と本部長室を一日に数回往復し、艦隊編成表、書類の決裁、各部隊への指示と合間を縫っての視察等etc……

 自身が覚悟を決めたとはいえ、ほとんどアキトと会えないのはもちろんのこと、ナデシコにも戻れず、日々量産される書類の山にうんざりであり、艦隊司令部で眠りこけたことも一度ではない。


  ──以上のように、本来ならミスマル・ユリカ少将は「勤勉」と「精錬」という二つの強力な処理能力を総動員し、出征までの準備を至急に整えるべく激務と一緒に行動するはずであった。

 しかし、ユリカと街路樹の木陰の中を歩くテンカワ・アキトの横を夏とは思えないさわやかな涼風が吹きぬけ、テルヌーゼン市にあるシャンクラリオン通りは日常とさほど変わらない落ち着いた風景の中にあった。

 「ええと、たしかこの辺だけどなぁ……」

 アキトが何やら簡単な地図の書かれた紙を眺めながら周囲にある建物を確認する。未来的で高いビルが立ち並ぶテルヌーゼンの中心街に比べると高さは控えめであり、きれいに整備された歩道に連なる樹木が鮮やかな緑の衣をさわさわと風に揺らし、快適な木陰を作り出している。

 「ねえ、アキト、もうちょっと先じゃないかなぁ?」

 ユリカは、アキトの肩越しから地図を覗き込む。ユリカの放つ甘い芳香に婚約者は頭がクラクラになりかけた。

 「やっぱりもう少し先だよ。早く行こう!」

 ユリカは、戸惑ったままのアキトの手をとり、颯爽と歩き出した。

 ユリカは、ラップ少佐の遺言をジェシカ・エドワーズに伝えるためカールセンたちに事情を話し、一日だけ猶予をもらうことを了承されていた。準備が落ち着いてからだと逆に時間がなくなってしまうため、早めに彼女に会っておく必要があったのだ。

 それに、目的が達成できれば後は心置きなく遠征の準備に集中できる。

 ユリカは、アキトを当然のように伴ってテルヌーゼンを訪れたのである。その際の騒動については後日語ることにしよう。


 通りを歩くユリカは、とても最年少で同盟軍初の女性正規艦隊司令官には見えない。空色のワンピースに白いカーディガン、日差し除けのつばの広い白い帽子という夏らしいさわやかな服装だった。当然ながら道行く男どもから熱い視線を向けられていたが、本人がアキト以外眼中にないため、誰一人として彼女の記憶に留められた者は存在しない。

 かたやテンカワ・アキトは、同伴する美人と比べると地味そのものであり、白いTシャツに半袖のジャケット、下はジーンズだった。

 二人が肩を並べて歩くと「恋人同士」というよりは「姉と弟」に見えなくもないらしい。少なくとも二人の関係を想像できない人物からはそう見えるようだった。

 「婚前旅行みたいだね」

 などとユリカは音速飛行機の中でのろけたものだ。クルーの幾人かに同じようにからかわれたが、目的が遺言を伝えに行くこともあり、アキトは軽く笑っただけだった。


 10分ほど歩いて目的のビルが見つかった。途中で地上車を降りずにそのまま向えば迷わずにもっと早く到着できたことだろう。

 そうしなかったのは、

 「街を歩きたい」

 というユリカの要望にアキトも同意したからだ。二人とも遠回りしたとは考えていない。ジェシカ・エドワーズが活動拠点とするテルヌーゼン市をよく見ることができたし、地上車からでは見ることも感じることもできない街の風景や同盟市民の生活が垣間見ることができたのだ。アキトにとっては料理店やフードストアを覗くことが出来たのが最大の収穫だった。

 また、せっかくの地上なのだ。目的はシビアとはいえ、みんなには悪いと思ったが多少の寄り道は許されるだろう。宇宙に滞在する期間が長かった分、地上の感触が心地いいのだから仕方がない。

 二人が見上げたのは、テルヌーゼンにおける反戦市民連合の拠点であるオフィスビルだった。よくある政治宣伝の横断幕などは掲げられておらず、ごちゃごちゃした印象もない。入り口のガラス張りのドアは大きく、入り易そうな感じだ。エドワーズ議員の身辺は決して穏やかではないはずだが外にはガードマンも配置されておらず、いっそ潔いよいとしか言いようがない。

 ドアをくぐると、左やや正面に受付窓口らしきがあり、30代くらいと思われる茶褐色の髪の女性がユリカたちに定番の挨拶をしてきた。

 「おはようございます。ご用件を伺います」

 ユリカは、落ち着いた感じの一階フロアを一瞥し、幾人かの視線を受けながら窓口にたった。

 「ミスマル・ユリカと申します。突然で申し訳ありませんが、ジェシカ・エドワーズ議員にぜひお会いしたいのですが、議員はいらっしゃいますか?」

 「ご予約はされていますか?」

 予想した回答が帰ってきた。当然していない。行き当たりばったり上等である。スールズカリッター大尉が気を利かせて「事前に予約を入れましょうか?」と言ってくれたのだが、ユリカは丁寧に断った。エドワーズ議員(反戦運動側)にとってスキャンダラスになりかねないので、ユリカとアキトはあくまでも一個人の訪問として会うつもりだった。

 「いえ、予約はしていません。ですが今日、どうしても議員に会いたいのです」

 ユリカは真剣な表情で訴えたが、突然押しかけてきてエドワーズ議員に会わせて、と言われて素直に会わせてくれるはずがない。ただでさえ、議員は主戦派の目の上のたんこぶなのである。ヤン・ウェンリーがエドワーズ議員の身の安全を黒幕たるトリューニヒトに約束させたとはいえ、テロによって命を失ったソーンダイクン候補の二の舞になりかねない保障はどこにもない。

 案の定、警戒する受付の女性に身分証の提示を求められてしまった。

 こうなったら出すべきか? いや、こうなることは十分予想できていたことだ。身分を隠したまま議員に会うことなど虫がよすぎる話ではある。

 ただ、ユリカとアキトが軍人だと知ったとき、反戦派の人たちは二人の訪問を心よく思わず、素っ気なく追い返されるかもしれないのだ。

 二、三の押し問答をアキトがしている最中にユリカは決意した。身分を明かそう。激しく拒絶されても是が非でもエドワーズ議員に会わなければならないから……

 「わたしは……」

 ユリカが言いかけたとき、奥のほうから明瞭な声がした。

 「何の騒ぎかしら?」

 二人の視線の先には、まるで絵に描いたような金髪碧眼の麗しい女性が立っていた。窓口に近づく歩調はしっかりとしており、茶色っぽい婦人用スーツに身を包んだその姿は上品かつ清楚だ。

 ユリカとアキトは、彼女が三次元街頭ポスターや立体TVで見たジェシカ・エドワーズ議員であることが一目でわかった。

 ユリカとアキトの前で立ち止まったエドワーズ議員は、二人に丁寧に一礼した。

 「ジェシカ・エドワーズです。オフィスビルに足を運んでいただいたのに騒ぎになってしまったようで大変申し訳ありません」

 優しくて凛とした声だ。

 ユリカは慌てて一礼した。

 「ミスマル・ユリカと申します。突然押しかけてきて、エドワーズ議員に合わせてくれと頼んだ私たちにも非はあります。こちらも謝罪させていただきます」

 ユリカは頭を下げる。エドワーズ議員は何か言いかけた受付の女性を片手で制した。

 「私になにか緊急の御用件があるようですが、それは何でしょうか?」

 すぐにでも言ってしまいたいが、ユリカもさすがに場所はわきまえている。周囲を気にするように視線を泳がせる。一階フロアにいる支援者たちの目は警戒感でいっぱいだ。

 それでも言わなければエドワーズ議員にさえ警戒されて話を聞いてくれないかもしれない。でも議員のプライベートな内容なだけにユリカは言い出せないでいた。

 ユリカが決断するより早く、ジェシカ・エドワーズの声がした。

 「わかりました。他の人に聞かれては問題があることなのですね。では応接室に参りましょう。そこでお話を伺います」

 ユリカは顔を上げた。エドワーズ議員はにっこり微笑んでいる。どうやらユリカの苦悩する態度を見てよほどのことだと察したようだった。

 支援者の一人がエドワーズ議員に歩み寄り懸念を表明したが、反戦運動の先頭に立つ女性は「問題ありません。市民の声を直接聞くのも議員としての役目です」と一蹴し、自らユリカたちを応接室に案内してくれた。


 ユリカとアキトは、内心でほっと胸を撫で下ろし、エドワーズ議員の勧めでソファーに腰を下ろした。応接室は程よい広さと調度を兼ね備えており、政治事務所にありがちな堅苦しい雰囲気はほとんどない。

 向かいのソファーに腰を下ろしたエドワーズ議員がすまなそうな顔をした。

 「不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません。どうもすこし過敏になっているようです。ですが、みんな私の事を心配して慎重になっているだけなのです。どうかご容赦ください」

 「いえ、皆さんのご心配はもっともだと思います。ソーンダイクン氏の爆弾テロのこともありますし、主戦論者たちが反戦運動の先頭に立つエドワーズ議員をよく思っていないことは誰だってわかります。そのような事情の中で突然押しかけてきた私たちにも非があります。私たちは何も不快に思っていません」

 「お心遣い、大変感謝いたします。みんなそれぞれ戦争で大切な家族や友人、恋人を失い、戦争を一日でも早く終わらせたいと望んでいる心強い仲間です。彼らの気持ちを理解してくださってありがとうございます」

 エドワーズ議員が優しく微笑み、訪問の目的を尋ねた。ユリカはアキトと顔を見合わせ、小さく深呼吸した。

 「まず、私たちはエドワーズ議員に二つほど謝罪することがあります」

 「と、おっしゃいますと?」

 「一つは私たちが今日、議員を訪ねた理由が反戦運動うんぬんではないからです」

 エドワーズ議員はユリカの目を見据えた。その碧眼に揺らぎはない。

 「実は……」

 ユリカが言葉を続けられなかったのは、婚約者の死をきっかけに反戦運動に身を投じた一人の女性の意志をくじいてしまわないかと懸念したからだ。いや、そんなことはないかもしれない。でも、彼女の心を傷つけるようなことになれば……

 「伝えてほしい」

 業火の中で懸命に声を絞り出したラップ少佐の姿がユリカの決意を促した。

 「実は、私たちはエドワーズ議員の婚約者ジャン・ロベール・ラップ少佐の遺言を伝えにきたのです」

 切り出された内容にさすがのエドワーズ議員の表情も強張った。

 「ジャン・ロベール・ラップの遺言を伝えに来たと?」

 エドワーズ議員の声は感情で微妙に揺れている。

 「ええ、そうです」

 「ですが、第6艦隊旗艦の生存者は存在しないと聞いています。いったいどういうことなのでしょうか? あなた方は民間人ではないのですか?」

 ユリカは、まっすぐにエドワーズ議員の目を見た。

 「はい、そうです。そして二つ目の謝罪をさせていただきます」

 ユリカは身分を明かした。エドワーズ議員には真実を明かすべきだと判断したのだ。

 「……まさか、あなたが正規艦隊司令官だなんて……」

 ジェシカの反応はもっともである。だが彼女はすぐに表情を元に戻した。

 「いえ、失礼しました。同盟軍始まって以来の快挙なのでしょうが……」

 エドワーズ議員の後半のトーンダウンの意味がユリカにはよくわかった。議員の立場を考えればユリカが現役の軍人あること、それも出征する正規艦隊の司令官であること。いずれも反戦運動側からみれば招かれざる客である。ただ、訪問者が高名なヤン・ウェンリーならばいささか事情は違っていたことだろう。

 ユリカとアキトは、アカツキから彼らの関係を聞いていたからなおさらである。

 「ご懸念はごもっともです。今日、私たちはあくまでも個人の私用としてまいりました。もちろん記録として残ることもありません。ラップ少佐より託されたエドワーズ議員宛のご遺言をどうしても伝えたかったのです。いろいろあって今日になってしまいました。そのことは心より謝罪させていただきます」

 ユリカの真摯な眼差しにエドワーズ議員は心を開いたように頷き、戦死した婚約者の遺言を聞いた。








U

 エドワーズ議員は、しばらく死者と会話するようにまぶたを閉じ、そしてゆっくりと目を開けた。

 「そうですか、あの人は……ジャン・ロベールは“ゆるしてくれ”と言ったのですね」

 「信じていただけるのですね?」

 はい、とエドワーズ議員は静かに呟き、両手を胸の上で重ねて故人を悼むように口を開いた。

 「ジャン・ロベールらしい言い種です。自分を責めるように私に謝るなんて……あの人は最後まで希望を捨てずに生きようとしてくれたのですね」

 エドワーズ議員の声がみるみるうちに嗚咽に変わり、涙がこぼれ落ちるまでさほどの時間を必要としなかった。ユリカもアキトもかける言葉が見つからず、ほんの短い間、悲壮感に満ちた時間がゆっくりと流れ去った。

 やがてエドワーズ議員は涙を拭い、見守っていた二人に頭を下げた。

 「お恥ずかしいところをお見せしました。申し訳ありません」

 ユリカは精一杯、感情をこめてエドワーズ議員にいたわりの声をかけた。

 「悲しい記憶を思い出させてしまい、こちらこそ申し訳ありません。エドワーズ議員の心中、深くお察しいたします。本当に……」

 つい一年前のユリカならば、これほど相手の気持ちを汲んだ言葉をつむぎだすことすら叶わなかっただろう。精神的にもユリカはやはり成長したようだった。

 それにしても、とアキトが思うのは、今日、会ったばかりの二人の前でエドワーズ議員が感情を露にしてしまったことだ。悲しくなったのは当然だが、主戦派が大多数を占める同盟内にて、あえて反戦の表舞台に堂々と立つほどの意志の強い女性である。悲しみによって油断したとは考えられなかった。

 あえて彼女が弱さを見せたのはなぜか?

 それは、あまりにも容易すぎるほどアキトには分かった。エドワーズ議員がユリカと話す表情としぐさ……

 そう、エドワーズ議員は二人を信頼してくれたのだ。たった短い間に彼らを評価してくれたのである。でなければ突然訪れた初対面の人間に弱さを見せたりはしない。

 これは、ユリカやアキトが必死なったからでもあるが、ジェシカ・エドワーズの器の広さというべきではないだろうか?

 それを証明するようにエドワーズ議員はユリカにラップ少佐とのやり取りの内容を尋ねていた。その間、議員が時折見せる沈む表情がアキトにはつらかった。

 「そうですか、艦橋でそんなやり取りがあったのですか……」

 「はい、ラップ少佐は無駄死にを止めようと必死に司令官を説得したのですが、理解してもらえませんでした。私たちも助力したのですが、止めることも救うことも出来ませんでした。私はそれ以上何も出来ず、炎に包まれるラップ少佐を見ていることしかできなかったんです」

 今度はユリカの口調が徐々に弱まっていき、彼女はうなだれ、小刻みに肩を震わせている。業火に包まれた艦橋内で最後の力を振り絞ってユリカに伝えた、あのときの無慈悲な光景を思い出しているに違いない。

 ユリカの瞳から一筋の涙が頬を滑り落ちるのを目撃し、アキトも悼たまれない気持ちになった。

 両膝に置かれたユリカの震える手を、エドワーズ議員はしっかりと握った。

 「ミスマル提督、いえ、ユリカさん、顔を上げてください。本来ならジャン・ロベールの遺言など聞けるものではありません。私にあの人の最期の言葉が届いたのはユリカさんたちが限定された条件下の中でも必死になってジャン・ロベールや他の兵士さんを助けようとしてくれたからなんです。ご自分を責めてはいけません」

 「エドワーズ議員……」

 ユリカは顔を少しだけ上げた。もうその顔は半分涙で濡れていた。潤んだ瞳がエドワーズ議員の姿を投影している。

 「ユリカさん、あなたは何もできなっかた訳ではありません。なにかを成したからこそ、ジャン・ロベールはあなたに遺言を託し、心からお礼を言ったのですよ。一緒に戦ってくれてありがとうと」

 ユリカは、長い間ラップ少佐の言葉の意味を理解できずにいた。それからずっと自問自答するうちにあのときの言葉の本当の意味が分かりかけてきた気がしたのだが、彼女の心の中に半ばトラウマとなった一人の青年士官の死を思い出すたびに、答えが遠ざかっていた。

 「私は戦ってなんかいないよ」

 あのとき、胸が締め付けられるほどの悲しみの中で搾り出した自責の呟きの答えを、ラップ少佐ゆかりの人が解き明かしてくれた。

 「絶望的な状況の中でジャン・ロベールは孤立無援で戦わねばならなったはずでした。そのとき現れたあなた方の助力がどれだけあの人を励ましたことでしょう。たとえ結果がともなわなくても、ジャン・ロベールはユリカさんが人命を軽視する軍国主義に一人の人間として間違いを正すために挑んでくれたからこそ、一緒に戦ってくれてありがとうと心から助力を感謝したんだと思います」

 ユリカの、エドワーズ議員に重ねられた手に力が込められた。ずっとずっと納得した答えを探していたあのときの言葉。

 ラップ少佐を救うことができていれば、彼の言葉の意味を笑って尋ねることが出来たのかもしれない。だが現実は残酷だった。

 なす術もなくラップ少佐は炎に包まれ、彼の乗艦する巨大な戦艦は銀河の片隅で一つの光芒となって消滅してしまった。

 「直接戦ったと言う意味ではないと思いますよ」

 プロスあたりがすでに答えの一端を導き出していたのかもしれない。ユリカを納得させることができなかったのは、ラップ少佐とつながりのない人物からヒントを聞いてしまったから?

 ユリカを納得させる魔法の答えを紡ぎだせるラップ少佐の心を代弁できるものは誰もいないと思われた。ユリカの苦悩と葛藤は永遠に続いてしまうのではないかと、アキトは本気で心配していた。

 しかし、存在した。ラップ少佐が愛した婚約者の口からユリカを呪縛から解き放つ答えが語られたのだ。

 「勝利するための戦いではなく、間違いを正すための戦い」

 エドワーズ議員はもう一度そう言った。とても単純だけど、明確に心に響き渡る探し求めていた答えだった。

 「ありがとうございます、エドワーズ議員。本当に本当にありがとうございます」

 ユリカの表情に笑顔が戻った。エドワーズ議員はユリカを勇気付けるようにその手をしばらく握り締めていた。



 別れ際、ユリカはあえてエドワーズ議員に訴えた。

 「今回の出兵は確かに軍部が提出したものですが、私もヤン提督もいたずらに戦火を拡大したいとは考えていません。軍部内にも良識派が存在し、戦火の拡大をなんとか抑えようと努力している人たちがいることだけは忘れないでください」

 エドワーズ議員は、ユリカの言葉を呑みこむように大きく頷いた。

 「ええ、もちろんよくわかっています。ヤンもあなたも軍人ですが、少なくとも兵士たちをムダに死地に追いやる戦いはしないことでしょう。ですから、どうか無事に戻ってきてください。そこから私たちは非戦むけて手を携えることもできるはずです」

 「はい、エドワーズ議員」

 お互いに固い握手が交わされる。

 それぞれの意志にもはや迷いはない。まっすぐに交差する瞳は以前より輝きを増しているようだ。頼もしき二人の女性の出会い……

 同盟の未来にまたひとつ新し光明を見出したように、テンカワ・アキトには思えたのである。


──宇宙暦796年8月12日──

 雲ひとつない夏空がどこまでも続き、時折涼やかな風が行き交う人々の間と大地にそよぐそんな一日……

 第14艦隊出撃の2週間前の出来事である。








V

 翌日、ユリカの多忙な日々が本当に始まった。

 ユリカは艦隊司令部に連日詰め、ラルフ・カールセンの助言を得つつ、最終的な艦隊編成やらを行っていた。

 ただ、重要な書類の決裁はユリカが行わねばならず、開始数日は書類の山に愕然となったり、艦隊司令部と第14宇宙ステーションを多い日には三往復も行き来することになった。

 一年前のユリカなら「お風呂にはいりたいよー」とか「アキトに会いたいよぉ」とか、とにかく我がままやダダをこねたことだろう。しかし、ユリカは黙々と軍務をこなし、その行動力と処理能力の速さに参謀と副艦隊司令官は驚きと期待に満ちた感想を抱くに至った。ナデシコクルーのみんなも「少将の変貌はどうやら本物らしい」と今さら話題にしたほどである。

 ともすれば、ペンを握ったまま机に突っ伏して「アキトぉー、アキトぉ……えへへへへ……」などと気色の悪い寝言を言いながら力尽きた美人艦隊司令官のあられもない姿が拝めた日もあったらしい。

 また、各手続きや段取りなどは副官スールズカリッター大尉がてきぱきと進め、事務的な仕事の大半を引き受けていた。

 そんな大尉に付き従う一人の女性士官が存在した。意志の強そうな端正な眉目、背中まで伸ばしていた黒髪をバッサリと切ったボブショートヘアー。同盟の軍服を着用することで気兼ねなく行動し、連日の超多忙にもかかわらず不平や不満を一切口せず、淡々と仕事に励んでいた。

 美しいがどこか棘のありそうなエリナ・キンジョウ・ウォンの行動力と処理能力に刺激を受けたのか、スールズカリッター大尉の軍務遂行能力も各段に上昇した。よい意味で二人は刺激しあえているようである。

 エリナが副官業務を手伝うことになった理由はしごく単純だ。副官業務を通じて同盟軍の組織系統を知り、各部署の情報を集めるためである。

 彼女らしい理由と言えるだろう。もっとも、ツクモ中佐とスールズカリッター大尉は暫定的にナデシコに派遣されただけであり、帝国遠征後はそのままナデシコに残留とは限らない。参謀はともかく副官くらいは育てておかなければならないのだ。そういう意味においてエリナはうってつけの人物だった。

 問題は、エリナがすんなりユリカの補佐をするかどうかというところだろう。


 多忙なのは幕僚たちばかりではない。彼らよりはましかもしれないが、他のクルーたちもそれなりに慌しい日々を送っていた。機関員たちは強化&修理された各推進エンジンの点検やデーター整理に余念がないし、イネス・フレサンジュを中心とした医療チームも薬品の補充や新しく導入された医療機器の勉強会や書類の作成に追われ、乗員の健康管理にも気を遣っていた。

 艦橋ではホシノ・ルリを中心に各システムのチェックやデーターの更新および組み込み、「ちょっとした実験」と称して戦艦ディオメデスの艦隊管制システムのハッキングが密かに行われたとかなんとか……

 そんなナデシコ内で最も多忙というか、高揚感を抑えられないのはエステバリスのパイロットた達だろう。新フレーム(と言うと語弊があるが)のエステバリスを眺めたり、眺めまくったり、磨いたり、磨きまくったり、眺めたり、ほおずりしたり、隣で寝てしまったり……

 もとい、装備とシステムの点検・確認・調整、ブリーフィングルームにて新装備と改良点の説明や使用方法、連日のように各戦場の状況を想定したシミュレーションが行われていた。

 ハイネセンに到着するまで「新フレーム」による模擬戦や訓練が行われたが、会議出席までに余裕の日数がなかったため、実質的に一日しか行われていない。宇宙ステーション周辺宙域で実践訓練はできないので、自然とシミュレーターによる訓練となる。

 「俺って天才かも」

 と自画自賛のタカスギ少尉は、確かに自分で言うだけの実力を示していた。二回に一回の確率でリョーコに勝ってしまうし、イズミやヒカルを相手にしても遜色がない。

 アキトも即発されて気合が入り、熟練度はかなり上昇した。ユリカが感じたとおり、タカスギ少尉の参入はエステバリスのパイロットたちを大いに刺激したようだった。









W

 夕食時、静かになったナデシコの格納庫で自分のエステバリスを感慨深げに眺めているロン毛の青年がいた。

 アカツキ・ナガレである。批判から見事に逃れた元ネルガルの会長は静かな時間が来るのを待っていたかのようにエステバリスと対話していた。

 「よう、アカツキ会長」

 声がした。アカツキが肩越しに振り向くと、その視線の先にはツナギ姿のウリバタケが立っていた。

 「どうしたんだ、飯も食わねえでエステをながめちゃってよぉ、何か思うところでもあるかい?」

 アカツキは否定し、「そういえば以前にも同じことがあったな」と思い出しつつ、新たな変貌を遂げたエステバリスを見上げた。

 「ウリバタケさん」

 「何だ?」

 「ウリバタケさんの結論がこのエステの形なわけですね」

 「ああ、そうだぜ。仮に銀河フレームとしよう

 整備班長は腕を組んで胸をそらし、アカツキと同じように新フレームのエステバリスをまっすぐに見上げた。ライトに照らされた機動兵器が誇らしげに輝きを放っているように映る。

 「あんたから渡された強化計画書に基づいていろいろ模索したんだが、アスターテを見てよぉ、ノーマルのエステじゃあこっちの戦いに対抗するのは無理だと判断したのさ」

 「なるほど。どういうコンセプトでこのフレームに手を加えたんですか?」

 「簡単だぜ。あんたならアスターテを見ていなくてもピンと来るだろう?」

 アカツキは頷き、エステバリスがこちらで戦う上での問題点を挙げた。

 「行動範囲と武装の非力さですね」

 「ビンゴさ。ノーマルの大きさが勝るのは機動力だけだ。ワルキューレの行動範囲と装甲には勝てねえ。アスターテで決定的になっちまった二つの問題をどう解決するか、それが焦点だったぜ」

 真空状態なら0Gフレームだ。だが、ワルキューレに対抗するために武器の口径を増し、武装を強力にしてもその搭載能力と機動力には限界がある。次填まで時間のかかる粒子砲などもってのほかだ。もちろん機体の大きさに対して無理な武装は機動力はおろか、兵器そのものの長所を殺すことにもなる。

 もうひとつは行動範囲だ。戦場が光秒単位の広さに及ぶこっちの戦闘の場合、重力波エネルギーが艦隊ひしめく遮蔽物の多い宙域ではすぐに追尾不可能になるだろう。いくらアンテナフィンを増設しても解決は難しい。

 つまり、機動力と攻撃力、行動範囲を確保できる機体が必要な訳である。

 「なるど、それで月面フレームの0G化というわけですか」

 「まあな、それ以外解決方法が?」

 アカツキは降参して肩をすくめた。

 「たしかに……」

 そう、ワルキューレと広大な宙域に対抗するために必要なパワーと行動範囲が可能なのは小型の相転移エンジンを搭載した「月面フレーム」しかない。

 しかし、月面フレームはその名が示すとおり月面での低重力下使用に特化した機体だ。無重力下で使用するにはその巨体から機動性能に問題がある。さてどうするか?

 ウリバタケの出した答えは単純だった。

 月面フレームの0G化だ。背中にある相転移エンジンを軽量化のためにもう一回り小型化することに成功すると、あとはウリバタケの独壇場だった。母艦からの重力波供給は予備エネルギーとしてそのままに、複合強化セラミックをふんだんに使って月面フレームを0G化してしまったのである。とりあえず実験の意味もあり、武器はレールキャノンとウラン238弾を使用する口径を増したラピッドライフルを選択可能である。もちろん、DFナックルは健在だ。

 「といってもな、機動力はノーマルより低下しちまったけどな……心配すんな、ワルキューレとタメは張れるぜ」

 「ええ、安心しましたよ」

 だが、ウリバタケは先の発言に訂正を加えた。

 「わりい。いい忘れていたが重力波エネルギーの供給範囲外だとな、ディストーションフィールドを展開した状態での高機動戦になるとジェネレーターの出力が落ちちまうけどな」

 「それは推力が食われると言うことですか?」

 「まあな、限界と言うやつだな。もう少し時間があれば同盟がスパルタニアンに搭載しているめっちゃ効率のいい核融合炉エンジンを何とかできたんだが……」

 ウリバタケは顎をなでまわして言葉を切り、またひとつ進化を遂げたエステバリスを見上げた。その表情は見事に仕事をやり遂げた誇らしげなそれとは明らかに落差のあるものだった。

 アカツキは怪訝そうな視線を投げかけた。それに気づいたのか、ウリバタケは青年を一瞥して慎重に言葉を選んだ。

 「もっとも、本当の戦場で勝敗を分けるのは兵器の性能だけじゃねえ。やれることはやったが、あとはあんたやあいつら次第だな」

 「そうですね、努力しますよ」

 「ああ、大いに期待しているぜ」

 いつものウリバタケならここで気合を入れるために一発背中を叩くはずだ。それがない。シリアスなままだった。

 アカツキは、彼も感じた懸念を尋ねた。ウリバタケは答える。

 「スパルタニアンとワルキューレの性能にたいした差はねえ。あんたも知ったと思うが、どっちも推進力は半端じゃねえものがある。相転移エンジンを小型化したが元と出力は変わらねぇんだ。そこで0Gと同じくブースターを左右に増設し、高機動スラスタを改良したわけだが、さっきも言ったように前提としてエネルギーを推進力にまわす必要があるんだよ」

 アカツキは、先の新装備説明会議の内容を思い出した。

 「それでディストーションシールドを?」

 「おうとも」

 ディストーションシールドとは、左腕に装備されたパラボラ状の特殊な出力装置を介して円形状に防御シールドを形成する新しい試みだ。全周囲のディストーションフィールドを重力波エネルギー供給範囲外で形成した場合、推進に必要な出力を充分に得られず、機動力でワルキューレに劣る可能性があるため、部分的なシールドを発生させることでエネルギーの消費を抑えて推力にまわそうという考えだ。

 「それだけじゃねえけどな」

 ウリバタケの思わぬ呟きに、アカツキは首を捻った。防御と消費を抑える以外、なんの意味があるというのだろうか?

 ウリバタケは、理由を知りたそうな青年に生真面目な視線を向けた。

 「この銀河での戦いは木星蜥蜴を相手にしていた時とはまるでスケールも内容もちがう。ディストーションフィールドの性能に頼って回避行動をさぼると確実にやられる」

 アカツキのウリバタケを見る目が違う。

 「これまでのブリーフィングやシミュレーションで俺が口を酸っぱくして回避率を上げろとでしゃばったのは、こっちでの空戦に生き残るために必要だからさ」

 「なるほど。正面から仁王立ちで挑んで全てのワルキューレを相手に出来るかといえば、個別に意志のある人間が乗る機体を相手にするのはたしかに無理ですね」

 ウリバタケはアカツキの解答を否定した。

 「俺が言いたいのは、これまでの戦闘スタイルを改めない限り生き残れないってことさ。俺は整備と開発専門だが、そんな素人目にも意識改革が必要だってわかるんだぜ」

 アカツキは心底肩をすくめた。ウリバタケに反感を抱いたわけではない。そんなことにまで考えが及んでいたウリバタケに恐れ入ったのだ。普通はアカツキやリョーコたち、戦闘の専門が認識すべき内容である。

 アカツキは、直接アスターテを体験したわけではないが、ナデシコが記録していた戦いにはすでに目を通している。その凄まじさに肩を震わせるとともに、ナデシコ時代に戦っていた戦闘スタイルとはまるで違う究極の組織戦術に度肝を抜かれてしまった。

 スパルタニアンの性能を比較してワルキューレの性能を数値化し、ウリバタケに強化計画書を渡しはしたが、あの記録映像を見てその数値化は甘すぎたと舌打ちしたほどだ。タイマンのドックファイトなら、互角以上に「銀河フレーム」は対抗できるだろう。だが、組織戦に特化した銀河の戦争では、これまでの空戦スタイルでは「百戦錬磨のパイロットが多いワルキューレ単体のドックファイトだけだ」という認識は改めなければならない。

 戦いのあり方によって戦闘のスタイルを変化させるのは、戦術の進化と兵器の発達で時代ごとに異なるのが常である。アカツキたちが相手にするのは無人兵器ではない。機動力のないテツジンでもない。意志を持った人間が操縦する決して侮れない機動兵器なのである。

 それらを念頭に置き、時代に即した新しいエステバリスの戦術を早急に構築する必要があるのだ。

 懸念やら問題やらはまだ多そうだが、一つだけアカツキが自信をもっていえることがあった。

 「ウリバタケさん、やはりあなたは凄いエンジニアですよ」

 整備班長は、思わぬ褒め言葉にきょとんとしたが、

 「褒めても何もでねーぜ」

 とすぐに切り返し、いつかの日とおなじく背中を向け、大きく手を振って食堂へと歩き出したのだった。








X

──宇宙暦796年、帝国暦487年8月──

 銀河帝国は、フェザーン経由の情報により、すでに同盟の大規模侵攻作戦を知るに至っていた。「フェザーンの黒狐」たるアドレアン・ルビンスキーが、イゼルローン要塞が同盟によって陥落した事によって生じ力バランスを均等にするため、今度は帝国に勝ってもらわねばならず、極秘に入手した情報を主権を有する帝国に流したのである。

 「叛徒どもの身の程知らずが! たかがイゼルローンを落としただけで調子に乗りおって! ネコがトラにでもなったつもりか」

 軍務尚書エーレンベルグ元帥は古風な片眼鏡を通して怒りを露にし、叛徒どもの暴挙を罵った。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥と統帥本部総長シュタインホフ元帥も同感の様子である。

 とはいえ、前例のない大規模な軍事作戦であることは疑いがない。総勢3000万人に及ぶ壮大な暴挙である。それだけの兵員と必要な物資の運用は帝国軍ですら過去にも例がないのである。

 そこで問題となるのが誰を迎撃の任に充てるかと言うことだった。ほとんど瞬時に三長官は「あの金髪の孺子」を脳裏に思い浮かべたが、当然ながらこれ以上のローエングラム伯の成り上がりを快く思わない彼らはすぐに選定リストから外しにかかった。

 しかし、そこへ国務尚書たるリヒテンラーデ候が現れ、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の意向もあり、近日中にローエングラム伯に対して迎撃の勅令が下るであろうことを告げたのだった。




 数日後、ジークフリード・キルヒアイス中将の艦隊司令部には、彼の三人の幕僚が集まり、同盟軍の遠征についてお互いに意見を交し合っていた。

 「しかし、叛乱軍にこれだけの兵力を動員する力があるとは驚きだな」

 そう発言したのは赤茶色の頭髪と鼻から下を同色の髭に覆われたハンス・エドアルド・ベルゲングリューン准将である。一見は山男のような風貌だ。

 そのベルゲングリューンはキルヒアイスの幕僚となったカストロプ動乱当初、鎮圧に赴く若すぎる提督の能力に疑問を感じて悪態をついていたのだが、赤毛の青年の力量に感嘆し、以後心を入れ替えて軍務に励んでいる。

 「我ら帝国軍でもここまで一挙の動員は容易ではない。イゼルローン失陥によって叛乱軍が勢いづいてしまったというわけだな」

 続いて発言したのはベルゲングリューンの親友、フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー准将だった。細身の顔立ち、ダークグレーの頭髪をきれいになでつけ、あごが二重に割れている長身の軍人だ。彼もカストロプ動乱に際してキルヒアイスの幕僚となり、やや不平満々の親友をなだめつつ、動乱の早期終結に貢献した有能な軍人である。

 親友の発言を受け、ベルゲングリューンが思うところを述べた。

 「勅令によってローエングラム伯が迎撃の総司令官を務めることになり、当然ながら我々も出撃するわけだが、こうなると叛乱軍に対する基本戦略が重要になってくる。ベルトマン准将はどう思う?」

 そうさりげなく尋ねられた精悍な男の青紫色の瞳が楽しそうにきらめいた。

 「もっとも堅実な手段であれば、イゼルローン回廊の出口に縦深陣を敷き、敵を中央部へ誘い込んで包囲殲滅か、損害をある程度与えて撤退させるという方法があります」

 「ふむ。確かにその戦術が妥当であり、地の利を生かした最善の手であることは間違いがない。叛乱軍の大艦隊は回廊内で自由に行動することは出来ないだろうからな」

 ベルゲングリューンが同意すると、ビューローも相槌を打ったが、新たにジークフリート・キルヒアイスの幕僚となった29歳になる准将の表情はなにやら思考するようだった。

 べルゲングリューンがそれに気づいた。

 「ベルトマン准将、貴官には何か別の意見がありそうだが、もしそうなら遠慮なく言ってくれ」

 ベルトマンは年長者に頷き、意見を述べた。

 「小官も回廊の出口で迎撃するのが最善と思っていたのですが、当然ながらそれは叛乱軍も予測しているはずです。先鋒は精鋭を配置して万全を喫するのではないでしょうか?」

 充分ありえることだ、と二人の先輩は同意した。回廊内で大艦隊を展開するのは狭い。その周辺は危険宙域になっており、帝国軍にとって回廊の出口に陣を敷くのが戦術上の常套手段である。

 だからこそ同盟側も予測がつきやすく、戦術および戦略で先手を打ってくる可能性が高い。帝国軍の布陣が整わないうちに精鋭部隊による電撃戦で回廊の出口を押さえ、味方の橋頭堡とすることは現実にありえる。

 「だとすればヤン・ウェンリーの率いる第13艦隊が先陣を務める可能性が高い」

 三人の意見は同時に一致した。イゼルローンをたった一日で陥落せしめた魔術師が先鋒となれば回廊出口に陣を敷いた帝国軍に対し、思わぬ奇計をもって帝国軍をかく乱ないし回廊内に誘い込み、逆に包囲される事態も想像できなくない。

 「ヤン・ウェンリー、なんと厄介な男だ」

 ベルトマンは内心で舌打ちした。ヤンの知略により目の前でイゼルローン要塞失陥の辛酸をなめさせられたのは他ならぬ彼である。彼がしてやられたわけではないが、謎の同盟艦艇の調査も進まぬうちに次は「奇蹟のヤン」の登場である。ローエングラム伯でさえ一目置く同盟の魔術師が先陣に立つことになれば、それだけで基本戦略さえ揺らぐことになるのだ。

 だとすれば、ヤン・ウェンリーと同盟軍の意表を突く作戦を考えるしかない。回廊の出口に布陣せず回廊内に伏兵を配し、まず先行する先鋒部隊を叩き、後衛の部隊を次々に各個撃破する……

 「いや、これではダメだな」

 ベルトマンは思考を振り払った。回廊内は出口付近よりもより叛乱軍が警戒しているに違いないからだ。ヤン・ウェンリーでなくてもそのことに注意を払わないわけがない。回廊内に伏せた味方が逆にあぶりだされて各個撃破されかねない危険をはらんでいる。

 「とすると、もうひとつ採るべき手段があるが……」

 この作戦は有効だと思うのだが、問題は帝国軍上層部がそれをよしとするかだった。

 「ローエングラム伯ならたぶん……」

 ちょうどそこに若すぎる彼らの上官が現れた。三人は起立して敬礼し、キルヒアイスの着座後に再びソファーに座った。

 「お待たせして申し訳ありません。これからローエングラム伯が決定された基本戦略をお話しいたします」

 キルヒアイス中将は誰に対しても言葉が丁寧であり、その顔は端正で温和そのものだった。ベルトマンはこの優しくもローエングラム伯に匹敵する器量の持ち主の幕僚になったことを誇りに思うとともに、早い段階で武勲を立て、ローエングラム陣営の提督として黄金獅子旗の前に立つことを思い描いていた。

 「それではお話します」

 キルヒアイスから語られた基本戦略は、ベルトマンが考えていたもう一つの作戦とほぼ同じものだった。敵を帝国領内深く誘い込み、戦線と補給が限界点に達した時点で全力をもって撃つ、という迎撃する側の必勝の戦法といえた。

 だが、その過程はベルトマンの考えとは違っていた。時間がかかるのは仕方がないが、まさかそこまで徹底しようとは! 民衆たちを餓えさせることになりはしないだろうか?

 「その懸念はもっともですが、叛乱軍の大軍に対するローエングラム伯の戦略は巧緻を極めており、叛乱軍が民衆の解放を目的としている以上、作戦は極めて有効であり、敵の物資と戦力を大いに削ぐものと期待できます」

 と三名に説明したキルヒアイスだったが、完全には作戦内容に承服しかねているのか歯切れが悪い。幕僚たちはみなそう感じていたものの声には出さず、キルヒアイスから手渡された編成表に一通り目を通す。

 「時間がありません。すぐにでも準備に取り掛かっていただきますが、よろしいでしょうか?」

 同盟軍はすでにイゼルローン周辺に膨大な物資と兵力を集結しつつあった。

 「承知いたしました。すぐに準備にとりかかります」

 ベルゲングリューンに続いてビューローとベルトマンも立ち上がり、三名は同時に敬礼して司令部を退出していった。









Y

 ベルトマン准将は、編成ファイルを片手に彼の幕僚であり友人でもあるウーデット中佐とともに艦隊司令部に続く廊下を歩いていた。

 「しかし、叛乱軍のやつらも本気だな。8個艦隊も動員するとはあらためて恐れ入る。おかげでこちらもてんやわんやだ」

 「ローエングラム伯が持ちうる全戦力を動員しますからね。キルヒアイス中将は副将として数個艦隊を率いますから、ある意味同程度の戦力と言うわけです」

 「まったくだな、やることが多くてかなわん」

 「それにしては楽しそうですね」

 中佐のさりげない指摘にベルトマンは短く笑った。

 「まあな。イゼルローンに篭っていた時とは違って敵と対峙することが絶対的に増えるわけだ。その分危険と隣り合わせだが、俺たちは武人だ。戦いは本懐である。今まで後方に押しやられて功績を挙げられなかった分、きっちり採算はとらせてもらう」

 ベルトマンは、しばらく後方勤務が長かった。能力がなく、役職に恵まれなかったというわけではない。彼の母親が息子を前線に送られないよう裏で手を回していたのだ。

 ベルトマンの母親はレインヴェルト子爵家の三女である。ほとんど借金の形に商人であるベルトマンの父親と結婚したようなものだった。だが、貴族の子女にしては現実的な感覚を有しており、自分から望んで嫁いだらしい。

 自分の居場所を確保した母親が次にしたことは実家を守ることだった。散財によって家名を傾かせた長女夫婦を次女と協力して裁判までして追い出すことに成功する。

 その後、実家は次女が当主に納まり、ベルトマン家の援助を受けて復活するのだ。

 そしてヴェルター・エアハルトは、ベルトマン家の三男として生を受けたのである。その三男坊は母親から多くの教育を施されたが継ぐべき財産など特にないので、それならば自分の力を試したいと母親の反対を押し切って幼年学校に入った。ほぼ優秀といってもよい成績で少尉任官を果したが、母親に手を回されて前線勤務にはならなかった。

 ようやく母親の間隙を突く形で前線勤務になり、早々に武勲を挙げて気を吐くことになったが……

 大佐に昇進した際、母親からビデオメールが送られてきた。ベルトマンはその内容を悪い方に予想したが、幸いにも自重を懇願するものではなく、なんと息子の目指す道を認めてくれるものだった。

 「ヴェルター、あなたは私に似ているのですよ。やると言ったらやるという頑固な性質と風のような行動力は私譲りでしょう。だからこそ、あなたの危なっかしいところもわかってしまうのです。
 ですが私も信じた道を突き進みました。そのおかげでこうして今があります。あなたには兄や私の姉たちとは違う豊かな才能と器量があります。決して後悔することのないよう自分の夢に向って突き進みなさい」

 母親は偉大だ、と「ベルトマン大佐」は再認識した。単純に親馬鹿というわけではなく、息子の本質を見抜いた上で本気で心配していたのだ。

 「ふう、俺もまだまだいたらんな……」

 そう反省と感謝をしたのもつかの間、勤務するイゼルローン要塞がまさかの陥落の憂き目に遭ってしまう。母親は息子の無事をとても喜んだが、軍部から謹慎を言い渡されたため、ずいぶん心労をかけてしまったようだった。謹慎中、ビデオメールが朝昼晩と届いたことにはさすがに苦笑いするしかなかったが、落ち込んでいるかもしれない息子を励ますものだったのだろう。

 謹慎が解け、ローエングラム陣営の配属となった事を伝えると、TV電話の向うの母親の表情が安堵と言うより険しいものになった。

 「ローエングラム伯は名将です。彼の麾下の提督たちはみな優秀と聞き及んでいます。今までのように実力もない名ばかりの上官の下にいたときとは状況がガラリと変わるでしょう。ただ、それだけに気を引き締めなければなりません。きっと楽なことにはならないでしょうから」





 「やれやれ、どれだけ見抜かれているんだか……」

 ベルトマンは母親の言葉を思い出して肩をすくめた。まさかローエングラム伯の事を冷静に分析しているとは思わなかったのだ。自分の母親はネコの皮を被っている、実は女傑なのではないかと考えてしまう。

 「准将、どうかなさいましたか?」

 幕僚のウーデット中佐が怪訝そうに声をかけてきたが、ベルトマンはごまかすように笑って言った。

 「いや、叛乱軍をどう料理してやろうかと、ちょっと想像の翼を広げすぎてしまっただけさ」

 「はあ……」

 二人の視線の先には、彼らの上官が待つ艦隊司令部が映っていた。









Z

 フェザーンの中心街から地上車で二時間ほど走った人造湖の畔に一軒の山荘が存在した。先日、自治領主アドレアン・ルビンスキーとフェザーンに駐在する銀河帝国高等弁務官レムシャイト伯ヨッフェンが非公式に会見した場所だった。むろん、同盟が行う大規模な軍事作戦をレムシャイト伯に耳打ちしたのである。

 「例の新編成部隊のことは話さなくてよかったのかしら?」

 ウイスキーグラスを持った赤毛の妖艶な女性の名をドミニク・サン・ピエールという。ルビンスキーが抱える情人の一人であり、山荘は彼女の所有物である。レムシャイト伯との会見の際には山荘を提供していた。

 訊ねられた自治領主は、ウイスキーグラスを片手に湖面に反射する太陽の日差しを無言で眺めていた。

 「どうしたのかしら? まさかうっかり伝え忘れたわけじゃないわよね」

 ドミニクが意地悪っぽく言うと、ルビンスキーはウイスキーを美味そうにあおって情人に振り向いた。

 「君らしくない質問じゃないか。それとも俺に早とちりでも期待しているのか?」

 それもおもしろそうね、と赤毛の美女はかすかに笑い、片手に持ったウイスキーグラスを目の前で回すようにして弄ぶ。ルビンスキーは三杯目を自分で注いでいた。

 「同盟の遠征に関する情報はあっさりと手に入ったが、新編成されたらしいという艦隊の中身や人事だけやたらと情報統制が厳しい。編成されることは間違いないだろうが、その中身が不明だらけでは帝国に売るにしても言い値で叩かれては損だからな。まだ伝えるのは時期尚早だ」

 「つまり、不確定が確定になった時点で帝国に情報を流すわけ?」

 ドミニクの口調はゆったりとして甘ったるい感じだ。普通の男なら耳元でささやかれでもすれば、何もかも洗いざらい情報を吐き出してしまうだろう。

 しかし、彼女が相手にするのは「フェザーンの黒狐」と帝国、同盟の双方からあまり好意的ではないが、一目置かれる男だった。

 「タイミングが問題だな」

 短く、素っ気ない要点だけの回答。

 二人の付き合いは長いが、ルビンスキーがドミニクに心を開いているのかというと決してそんな事はない。美男子とは言い難い5代目自治領主にとって男女の関係など二次的な暇つぶしにすぎず、彼が嗜好するのは政戦略舞台での駆け引きそのものだった。

 フェザーンが同盟と銀河帝国を内部より支配する。それこそがルビンスキーの壮大な銀河支配の野望図だった。二大勢力の狭間で思案と工作の限りを尽くしてフェザーンが一人勝ちを狙う。

 ドミニクが、そんな危険で甘美な野望を抱くルビンスキーという男に少なからず惹かれたのは間違いないだろう。彼女も若い頃、歌と踊りの才能だけで世のからのし上がろうとしたのだ。

 その夢は潰えたかに思えたが、ルビンスキーという危険な男が運んできた政戦略という野望の舞台へ、半ばドミニク自身も刺激されたように引き込まれていた。

 対してルビンスキーにとってドミニクは情人の一人にすぎないが、その中でも抜群に謀事にセンスのある女性だった。それを証明するように黒狐は彼女と一緒にいることが多い。

 ルビンスキーも「従順」とは程遠いネコの皮を被った女豹をあえて好んで傍に置いている。ルビンスキーが彼女を評価するのはその美貌ではなく、中身なのだから……

 ドミニクは、夏の夕日を背にしてテラスの柵に寄りかかった。スリットの入ったタイトな赤いドレスの下から白皙の肌が露になっている。

 「ところで、あんたの補佐官が例のナデシコっていう戦艦と新編成は何か関係があるようだって話していたみたいだけど、その戦艦の情報はその後どうなったのかしら?」

 ドミニクは、別の方面からルビンスキーの意図を探ろうと、彼が気にしている件を話題にした。自治領主は聞こえたような反応も見せずに沈黙を決め込むかと思いきや、意外に楽しそうな顔を向けて情人に答えた。

 「その件もまだ調査中だが、同盟のヤツラがまじめに情報統制しているらしくてな、ボルテックもやや苦戦している」

 「あら、努力が足りないんじゃなくて?」

 「ボルテックはよくやっている。私の補佐や他との折衝やらを掛け持ちしていて根を上げないのが不思議なくらいだ」

 「楽しそうね。そこまで言うなら部下をいたわって、少しはあんたが動いたら?」

 棘のある言葉さえ、ルビンスキーには思考を活性化させるよい刺激になっているようだった。自治領主は声を上げて笑った。

 「できればそうしたいが、俺もこう見えてけっこう多忙でな。それに部下の能力を信じるのも上に立つ者としての器量だからな」

 「物は言いようね。で、名前以外分かっていないって事なのかしら? もしそうならフェザーンの情報収集能力もたいしたことないわね」

 「いや、それだけじゃない」

 ルビンスキーは、おもむろに胸のポケットからカード大の端末を取り出して情人に渡した。

 「へえ、これが謎の戦艦ナデシコ? 船体は白? ずいぶん変わった形なのねぇ」

 ドミニクがまじまじと見つめる端末機には、やや遠距離から撮影されたと思われる航行中のナデシコの映像が流れていた。

 「いろいろな意味で見れば見るほどわからん戦艦だ。同盟とも帝国の艦艇デザインからは大きく逸脱している……というより旧世代の艦艇デザインだな」

 「そうなの? いまどき重力制御がしっかりしていれば艦艇デザインなんてバランスが取れていればいいんじゃなくて?」

 「単純に宇宙船と割り切るなら多少でも合理的デザインを無視してもいいだろう。帝国艦艇ならそれもありえるが、それが合理性を追求する同盟軍艦艇となればいささか事情が異なってくる」

 「というと?」

 「ふむ。ドミニク、なぜ同盟軍の艦艇が縦に長いデザインか知っているか?」

 「ええもちろん……」

 美女の反応はわざとらしい。ルビンスキーは「相変わらず演技は下手だな」と呟いて続けた。

 「同盟の艦艇は正面の砲戦時に対する被弾率を少なくするために縦長のデザインなのだよ」

 そういう意味でもナデシコという戦艦は同盟の兵器デザイン思想から外れている。しかも船体色は白が中心ときている。

 つまり無駄が多く、目立ちすぎなのだ。

 「もし同盟がナデシコという艦を何らかの目的をもって建造したのなら、それはそれでいいだろう……」

 ルビンスキーの謎かけのような発言にドミニクの細い片眉がわずかに歪む。知性に富んだ赤毛の美女にさえ、すぐには男の言うところの意味を想像できないようだった。

 「まあ、よろしいんじゃありません。あんたにとってはまた一つ、大きな楽しみが増えたと言うことでしょう?」

 ルビンスキーは答えず、肯定とも苦笑いとも思える微笑を浮かべただけである。ドミニクもそれ以上は追及せず、くるりと肢体を半回転させて湖に向き直った。

 「そのナデシコっていうのがいい取引材料になるといいわねぇ」

 ドミニクは独り言のように呟き、ウイスキーグラスを夏の日差しに当てて透過させる。氷と薄い琥珀色のせめぎ合う中で光は屈折してキラキラと美しく輝いている。

 「ずっとこうして輝いていたいものね」

 ドミニクと重なったルビンスキーの呟きは、清涼たる夏の夕暮れの中に吸い込まれて赤毛の美女に届かなかった。

 「あの艦は存在自体が異質なんだよ」








[

 ──宇宙暦796年、標準暦8月27日──

 各艦隊に遅れること5日、ついにユリカ率いる第14艦隊の出発する日がやってきた。

 ナデシコの艦橋に足を踏み入れた初の女性艦隊司令官は、いつもと変わって見える光景に新鮮な驚きを感じていた。みんながまじめに敬礼しているのもそうだが、着用する軍服がナデシコクルーとちがってブラックグリーンに近い3名の同盟軍士官が艦橋で自分を迎えてくれたからだ。艦隊参謀長ガイ・ツクモ中佐、副官スーン・スールズカリッター大尉、エステバリス同盟軍テストパイロット・タカスギ・サブロウタ少尉である。

 つい数ヶ月前まで、こんな思いもよらない光景を想像できただろうか?

 いや、異なる未来で新たな戦いに臨むことになろうとは予見できただろうか?

 「もちろん、無理な話よねぇ」

 ユリカは、艦橋を見渡した。新しい仲間と変わらない仲間たち。彼女に向って敬礼するクルーの表情はやはり変わらない。真剣な顔、かすかに笑う者、さりげなく手を振っている者。

 ユリカがそうであるように、内にある意識は一人一人ちょっとくらい変わっているのかもしれない。けれど皆に感じる気質は何度感じても同じだった。一番安心できる空間だ。

 指揮シートに着座したユリカに参謀長のツクモ中佐が告げた。

 「閣下、全艦に向けて初心表明演説の準備整っております」

 「ありがとうございます、中佐」

 ユリカはお礼を言ってオペレーターの少女に依頼した。

 「ルリちゃん、お願いね」

 「はい、提督」

 ルリが「オモイカネ」の端末に手をかざすと、ユリカの前に通信スクリーンが現れる。彼女はこれから第14艦隊全将兵に向って司令官として演説するのだ。

 「音声だけでよいのではありませんか?」

 ゴートやプロスペクターは、「顔が知られてしまうのはまずいのではないか」と反対意見を述べたが、

 「司令官の顔も知らないで皆さんが協力してくれるはずがありません」

 ともっともな意見で反対を退けた。

 「これから第14艦隊司令官に就任されたミスマル・ユリカ少将が初心を表明される。各員は近くの通信機器および船内スピーカーにて心して聞いてほしい」

 スールズ・カリッター大尉が事前アナウンスして将兵に心構えの時間を作る。

 ルリが表示したいくつかのスクリーンには他艦の艦橋の様子が映っており、通信スクリーンに向って起立している将兵達の姿が多数あった。その表情はいずれも緊張と好奇心であふれていた。

 ユリカは呼吸を整え、回線を開くようルリに視線で合図した。真っ黒だった画面がユリカの優美な姿を映し出した。その瞬間の同盟将兵の反応は筆舌に尽くしがたい。

 騒然、といってもよい通信スクリーンの向うを想像しつつ、ユリカは第一声を放った。

 「みなさん、第14艦隊司令官に主任したミスマル・ユリカです」

 ユリカが身にまとう軍服はネルガル時代から慣れ親しんできた白い制服だ。ただし、頭髪の頂を飾るのはネルガルに支給された丸い帽子ではなく、シトレからプレゼントされた黒色のベレー帽である。五陵星とナデシコの花びらを組みあわせたバッジがその布地の表面にあって光り輝いている。

 また、彼女のまとうケープには、ナデシコの花びらを中心にデザインされた第14艦隊の艦隊章がパッチワークされている。組織を背負うということ……それがとても重々しく、そして誇らしくもあった。

 様子を映したスクリーンの向うが静かになっていた。

 「みなさん、私は今回の遠征において要請を受けて司令官に就任しました。私自身は何を成すべきか、何を成せるのか迷いましたが、まず課せられた責任を果すべきだと考えたからです。私は初の女性艦隊司令官です。私の姿を初めて見た将兵の方たちも多いでしょう。噂を耳にして不安になった方も多いかもしれません……」

 ユリカは、一旦言葉を切った。特に演出を狙ったわけではなく、自分の心を落ち着かせるために一呼吸置いたにすぎない。

 「私は第14艦隊の将兵の命を預かる身として、私の全能力を動員して皆さんと共に戦う覚悟でいます。ですが、艦隊司令官として実績の無い私の力だけで第14艦隊を統べることが出来るとは考えていません。皆さんの協力が不可欠なのです。
 どうか無事に故郷に戻ってこられるよう、皆さんのお力を貸してください。私、ミスマル・ユリカも決して己の責任から逃げたりしません」

 最後にユリカが敬礼して演説が終わり、通信が切れる。彼女は通信が切れた後もしばらく真っ黒になった通信スクリーンを眺めたままだった。今の演説でよかったのだろうか? みんなどう受け止めてくれただろうか? 気弱だなとか思われてしまっただろうか、それとも失望されてしまっただろうか……

 不安を並びたてたらキリがない。私は今の気持ちを正直に伝えた。だから振り返るのはやめよう。振り返るのはミスマル・ユリカに相応しくない。

 ああ、そうだ。こんなことを自問自答するのがだめだった。もうナデシコだけの艦長じゃないんだから!

 不意にユリカの耳にパチパチという音が響いていた。はっとして艦橋を見渡すと、みんなが彼女にむかって大きく拍手をしてくれていた。

 「よっ、我らが美人司令官閣下、いい演説だったぜ」

 「ブイ、とかやられたらどうしようかと思いましたよ」

 「同感」

 「閣下、よい演説でした」

 「小官も参謀長の感想に同感です」
 
 「少将閣下、かっこよかったぜ」

 「私も演説してみようかなぁ……」

 「ムリムリムリムリムリモリモリモリ……くっ、うふふふふふふ」

 「ユリカ、僕はユリカの演説に感動したよ」

 「ユリカさんにしてはまともな演説ね。おかげで恥をかかずにすんだわ」

 「やったね、我らが司令官さん!」

 「ユリカ、お疲れ様。きっとユリカの気持ちはみんなに伝わったと思うよ。自信もってよ」

 「合格……」

 「ユリカくんも本当に成長したよね。僕は艦長の頃の君も好きだけど、閣下になった今の君はもっと好きだよ」

 「今の少将の気持ちを心理学的に表現すると……」

 「はっちゃけてぶち壊さなくてよかったですね」

 「なんかごちゃごちゃねー」

 いつもの声がユリカに返ってきた。その励ましに勇気と力をもらい、今日までがんばってこられたのだろう。

 ユリカは、心から感謝を込めて満面の笑みとVサインでみんなに応えたのだった。






 静かに見守っていたツクモ中佐が状況を見計らって航路図を表示し、美人艦隊司令官に告げた。

 「閣下、我々は演習を兼ねてボルハン星系に向かい、ランテマリオを経由してイゼルローン要塞に入港いたします。回廊までの航程はおよそ2週間です」

 それは、偶然にもヤン・ウェンリー率いる第13艦隊がイゼルローン要塞攻略に通った航路とほぼ同じだったが、ユリカたちは知らない。

 「少将、全艦発進準備整いました」

 最終チェックをしていたオペレーターの少女から報告が届いた。その素っ気ない声はいつものホシノ・ルリだった。

 ありがとう、とお礼を返すユリカの傍らに控える参謀長と副官が、あらためてルリを見て憮然とも感嘆とも思える複合めいた顔をしている。ユリカはその二人の反応を横目で楽しそうに一瞥し、よく通る声で命じた。

 「第14艦隊、出発してください」


 ──宇宙暦796年、標準暦8月27日、10時20分──

 ミスマル・ユリカにとって初の艦隊司令官としての第一歩であり、ナデシコにとって木星連合との戦い以来の大規模な作戦参加だった。彼らが銀河を舞台にした争いの世界に現れてから11ヶ月後のことである。

 ユリかもアキトもナデシコクルーの誰しも、帝国領遠征のはてにあるアスターテ以上の衝撃の数々を未だ想像できてはいない。



 ……TO BE CONTINUED

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 どうも、空乃涼です。梅雨明けが早まり、本格的な暑さ到来ですね。多くの学生さんはあと数日で夏休みに入ることでしょう。夏休みをいかに有効に使うか、作者にとっても悩みどころです。

 今話では第14艦隊が出撃しました。今のところ原作と同じように進行しています。
さて、ユリカたちがどう活躍するのか、次回をご期待ください。

 また、「銀河フレーム」に関しましてメカ的なご助言やご意見がありましたら、ぜひぜひ書き込んでください。自分、メカ、特にロボット系には弱いので、なんか不安です(汗

 それから、どなたか「銀河フレーム」をデザインしてください(他力本願)

 次回は後編に突入です。作者が上手くまとめることが出来れば、五章は次で終わり、新章に入れるはずです? その時はやや走り抜けるかもしれません。

 お詫び 

 本編の掲載を優先したため、今話で発表予定だった「艦隊章」ですが、作業が遅れております。ちとリアル事情やらが重なりまして進んでおりません。次回の後編には必ず間に合わせますm(_ _)m

 2009年7月15日──涼──


 (以下、修正履歴)

 新章突入にあたり、誤字の修正と多少の加筆を行いました。
 末尾に短編形式連載の特別SSCを追加しました。

 2009年9月21──涼──


 微妙に修正を加えました
 2009年11月15日
 ──涼──

 最終修正をしました。末尾IF短編は削除。

 2011年6月24日
 ──涼──

 読者さんに指摘された修正漏れを修正しました

 2012年5月1日 ──涼──


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎メッセージ返信コーナー◎◎◎◎◎◎◎◎

 涼です。頂いたメッセージの返信です。どうもありがとうございました。メッセージやご感想をいただけると執筆にも力が入ります。

 ◆◆2009年7月1日◆◆

 ◆◆22時46分

 フォークの嫌らしさが、良い感じ? に出ていて笑えました。前方のラインハルト後方のフォーク(笑。どうユリカが動くのかが楽しみです。これからもがんばってください。

>>>ははは、嫌らしさが出てましたかw フォークの意地悪を一話丸まる書いてみたい気もしますが、無理に引っ張らず、一発入魂で終わらせたいと思います。

 ◆◆2009年7月2日◆◆

 ◆◆17時57分〜59分

 フォークの標的がヤンからユリカに!? 『魔術師還らず』のフラグ消滅!! どんな展開になるか楽しみです。


>>>
はたして、ユリカはフォークの悪意を蹴散らすことができるのでしょうか?
そして、ヤン死亡フラグは消滅したのか? 
 今後の展開にご期待ください。



 ◆◆22時43分

 フォークがどこまで14艦隊を追い込むか楽しみ!

>>>そうですねー。「フォーク姑の章」とか作る気もありませんので、くどくならず「ズバっ」と新章に突入できるようにします。


 以上です。話も前半の山場を迎えつつあります。ご意見やご感想、妄想をお待ちしています。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎メッセージ返信コーナー◎◎◎◎◎◎◎◎

 
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m

<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.