脇をすり抜けようとして、失敗する。蹴つまずいてそのまま派手にひっくり返った。
「まったく、しょうがねぇなあ」
 曖昧なマイナスを抱えた電気信号。少しずつ、少しずつそれは記憶回路に蓄積されて。
 執拗なディフェンスの隙間からシュートを放つ。狙いは外れて、ゴールポストが激しい音を立てた。
「そらそら、んなことじゃ話にもなんねぇぞ」
 信号は重さを持って知覚神経を通過していった。───感情中枢が何処か奥の方で僅かな火花を散らしている。
 言葉を受け取るたびに、感覚は不快に近い反応を示す。にも関わらず、記憶回路の優先順位はそれらの言葉を抹消されることの無い領域にメモリーしていった。
「もっと足を使え! そんな見えたドリブルじゃあ、すぐに抜かれちまうぞ!」
 ほんの、些細なことなのに。────それでも、彼にとっては二重の意味で。
 すぐにリプレイできる位置にその言葉が入ってくるのは、耐えられなかった。



RUN



「───もういいっ!!」
 それまでじっと自分の足元を睨んでいた彼が、堪りかねたように怒鳴ったかと思うと踵を返して走り出した。
「マスク!?」
 余りにも突然な弟の行動に、驚いたフットが呼び止める。だがマスクの背中は脚部サスペンションの音と共に遠ざかり、やがて彼らのいる練習場から出て行ってしまった。
「……ったく、どうしたってんだよ? マスクの奴」
 解せない様子で首を傾げたフットは、末っ子が走り去ってしまうのを自分と同じように見送っていた兄の方を振り返った。
「どうするよ、兄貴」
「放っとけ放っとけ」
 呆れたような顔をしてマスクが立ち去った方向を見ていたアームだったが、弟の姿が消えるとやがてそちらに背を向けてゴールポストの横に転がったボールに歩み寄った。
「何が気に入らねぇのか知らねぇが、そのうち回路冷やして戻ってくるだろうよ」
 言いながら、ボールをフットの方へ蹴ってよこす。フットはそれを足で受け止めて、もう一度マスクが去った方向を見た。
 とりあえず、その周辺にはマスクの姿は無い。
「そうだな」
 兄の言葉に同意し、爪先でボールをひょいと蹴り上げる。そして、そのまま軽くセンタリングを始めた。
 もちろん。───二人の短絡思考(ショートサーキット)が出した読みが揃いも揃って甘かったのは、言うまでも無い。


「───あれぇ?」
 すっかり日も暮れた街の通りを行く人の群れの中に、見覚えのあるアイアン・リーガーを見つけてルリーは眼を丸くした。
 無意識のうちに足がそちらに向かい、思わず駆け寄っていってしまう。
 一方、見つけられた方もセンサーの端に自分に向かって走ってくる人影を感知し、少し下を見ていた視線を上げる。
「……あ……」
「ゴールド・マスクじゃない。何してんの?」
 すぐそばまで来て立ち止まると、ルリーは訝しげにマスクを見上げる。マスクは返答に詰まり、居心地悪そうな顔をしてルリーから眼を逸らした。
 この人間はどうも、──苦手なタイプ、のような気がする。
「べ……」
 別に、関係ないだろ、と言いかけたその時。
「フット達は? 一緒じゃないの?」
 それに覆い被さるようにルリーが訊いてくる。言葉を折られたこととその質問の内容が、ただでさえ不安定になっている感情回路を更に刺激した。
「俺が兄貴たちと一緒じゃなきゃ、おかしいかよ!?」
 つい声が大きくなった。───思考がそれにミス判定を出したのは、しかしその直後だった。
「そういう訳じゃない、けど……」
 マスクに言い返されたルリーがその荒い声に驚いた後、肩を落として顔を伏せてしまったのだ。───マスクは焦った。
「……御免、怒った……?」
 別にそんなつもりではなかったのだが、どうやら自分の言葉がマスクの気に障ったらしいと思ったルリーは、呟くように謝った。その姿に、更にマスクは居心地が悪くなっていく。
「怒ってやしねぇ……けどよ」
 不可解な方へ分類される信号に少し口を尖らせながら、ぼそぼそと答える。ルリーから再び視線を外し、見るともなしに彼女の後方へ眼をやった。
 そして、まさしく偶然に、それを見つけた。思わず、半歩足が下がる。
 ────やばい!
「マスク?」
 足音にルリーが顔を上げると、マスクは慌てたように体を反した。
「別に怒った訳じゃねぇよっ! 悪かったなっ!」
 体の向きを変えながらそれだけは言って、マスクはあたふたと走り出す。そして人波をかき分けながらわき目も振らずに去っていった。
「あっ、ちょっとぉ!」
 唐突極まりないマスクの行動に、ルリーは思わず後を追いかかる。だがその足が数歩前に出たところで、
「オーナー!」
 ───聞き慣れた声が、後ろから飛んできた。
「あ、……リュウケン、マグナム」
「オーナー、こんな所にいたんですか」
 近寄ってくる二人を見て、ルリーは思い出した。メンテナンスショップの前で二人を待っていたのだ。その時に何気なく周囲を眺めていて……。
「出てきたらいないから、びっくりしたよ」
「ごめーん、ちょっと……」
 リュウケンの言葉に返答しようとして、ほんの少し逡巡した。そして、笑顔のまま言葉をつなぐ。
「ちょっとね、見たいものあったから」
 あはは、と笑ってごまかすルリーを少々訝りながらも、マグナムとリュウケンは彼女の言葉を信用した。もとより、疑う筈も無い訳だが。
 ちら、とルリーは後ろを振り返った。───灯りが落ち始めた通りに、すでに彼の姿はない。
「オーナー」
 突然、リュウケンが呼んだ。不意打ちを食らったルリーの心臓は飛び上がったが、一応何も無かったような顔をして視線を戻す。
「な、何? リュウケン」
「さっき、誰かいなかった?」
「え…………」
 リュウケンはルリーの方ではなく、彼女を通り越したずっと向こうを眺めている。───つい彼女も先ほど振り返ってしまった、通りの奥。
 ルリーは、逃げるように走っていってしまったマスクの姿を思い出した。───大慌てで、振り返りもせずに。
「───ううん」
 多少の罪悪感と、───だが、彼にとってはこの方がいいのだろうと思いながら。
 ルリーは首を横に振った。


 ───一方。
「大体フット、てめえが!」
「何言ってやがる! 兄貴だって!!」
 すっかり夜になってしまったというのに一向にマスクは帰ってこない。時間が経つにつれだんだん苛立ってきた二人の兄は、ついにストレスをぶつけ合ってしまった。
「もとはと言えば、てめえがあんなこと言うからだろうが!」
「あいつにつけた文句なら、兄貴のほうが多いじゃねぇかよ!」
 非建設的なことこの上ない。こんな会話が延々続けられている。どうのこうの言いながら、二人とも本当はマスクが飛び出していった理由に見当がついていた。
 それをお互いに自分が原因だと思いたくなくて、こういう口論に発展してしまっている。───二人とも、そんなつもりで言った訳ではなかったから。
 言い返しのネタも尽き、二人は物騒な顔付きで睨みあっていた。しばらくそれを続けた後、二人揃ってどちらからともなく突然。
「マスクーっ!!」
 ────街外れの、閉鎖された練習場から走り出していた。



 川べりに座り込んだまま、掴んだ小石をサイドスローで投げてみる。
 手を離れた小石は川面で四度跳ね、描かれた波紋はすぐに流れにかき消された。周囲はすっかり暗くなってしまったが、川の両サイドに立つ常夜灯のおかげで暗視対応をしなくてもその様子を眺めることができた。
 川から視線を上げ、ふと空を見る。昼間と同じように良く晴れていて、星も見える。
「───こんなとこにいた!」
 突然背後から声をかけられ、マスクは慌てて振り返った。すでにメモリーに入って久しいその声から予測したとおりの相手が、彼の後ろに立っていた。
 ほとんど何のセンサーも機能しなかったところを見ると、よほどぼんやりしていたらしい。
「あんた……」
「へへー、……捜したのよぉ、マスクってば足速いんだから」
 笑顔でマスクに話しかけ、ルリーは当たり前のことのように彼の横に腰を下ろす。相手の行動が理解できず、マスクは困惑したまま彼女を見ていた。
「……帰ったんじゃなかったのかよ?」
「まだ用事があるからって、マグナム達には先に帰ってもらっちゃった」
 ルリーはマスクに顔を向け、また笑った。その笑顔自体がマスクには不可解すぎ、一体どう対応すればいいのか判らない。
「マスク、なんだかみんなと会いたくなさそうだったから」
 ───とんでもない電流が、前触れもなくマスクの神経回路を通過した。人間で言うなら『驚愕』と言ったところだろうか。
「どっ、……どういう」
 ────意味だ、そりゃ!
 本当はそう言いたかったのだが、先ほどの電流が原因で言語領域が妙な混乱を起こしたらしい。どうしても言葉がうまく後に続かなかった。
「違うの?」
 そして、そうやってしどろもどろに焦っているうちに、結局ルリーが不思議そうな顔で無邪気にとどめを刺した。仕方なく、マスクは彼女から視線を外し、また川の方を見下ろした。
 できれば『彼ら』と顔を合わせたくなかったのは、本当のことだ。反論など出来る訳が無い。
 少し不機嫌そうな表情で川の流れを見ている──というか、やはり睨んでいるというか──マスクを、ルリーは横からじっと見つめている。その、至近距離からの視線のおかげで、マスクはこの上なく落ち着かなかった。
 降参するまでに大して時間がかからなかったのは、────この場合、仕方ないと言ってもいいだろう。
「───……あいつら、」
 観念したように眼を閉じて、あくまで不機嫌そうに呟く。
「すっげえお節介だからな」
 相手がどう思おうが、照れ隠しの類いでは断じてない。少なくとも、自分の言っていることは確かに事実なのだから。
 そう強く思っている辺りがすでに信用できないところなのだが、本人がそんなことに気づく訳が無い。
「フット達とケンカでもしたの?」
 だがそれも、ルリーには効かなかったらしい。すべての順序を無視していきなり核心を突いてきた彼女の問いは、マスクを激しく慌てさせた。
「んだよ、いきなり!」
「あーっ、やっぱりそうなんだ!」
「ばっ、馬鹿言うな! そんなんじゃねぇよっ!!」
「ふーんだ、さっきはちょっとびっくりしたけどもう怒ったって怖くないもん! そーなんだ、マスクってば兄弟ゲンカして飛び出してきたんだー!」
「違うっつってんだろっ!!」
 おたつくマスクに、ルリーはまともに言い返す隙も与えない。マスクの方もどんどんムキになってきて、知らず知らずのうちに声が大きくなっていった。
「じゃあ何よ、ケンカじゃないなら何だって言うの?」
 言われて、マスクは言葉に詰まった。───ケンカでないことは確かだが、ではあれはどう説明すればいいのだろう。
 あれではまるっきり───状況を思い返して、マスクは体温度が上昇するのを感じた。
「……あ……」
 不意に言葉が口を突いてでた。───何を言おうとしているのか予測もできないまま。
「兄貴たちとケンカなんて出来るわけねえだろっ!!」

 理屈じゃない。
 それは昔からそうだったから。今までずっとそうだったから。
 どんなに思い返しても、自分達以外に何かを必要としたことなんて一度もなかった。

 言ってから、マスクは自分の言葉に驚いた。
 マスクの大声に思わず眼を見開いていたルリーは、自分で言った台詞に茫然としているマスクに笑いかける。それでようやく、マスクの思考が元通りに動き始めた。
「そうね、そうだよね」
 笑顔のまま何度も頷きながら、座りなおす。そんな彼女を、マスクは困惑ありありの顔で見下ろしていた。
「ケンカなんてする訳ないわよね。あんなに仲いいんだから」
「仲がいい……?」
「だってそうじゃない、三人ともずっと一緒にいるんだもの」
 今一つ根拠らしいものが見えないルリーの確信に、マスクは更に困惑した。だがルリー自身は、自分の言葉に絶大な信頼を持っているようだった。
「あれ? そしたらマスク、何でこんなとこに一人でいるの?」
 ルリーの言葉に、マスクの困惑はあっという間に本当の『困った』にすり変わる。ルリーはルリーで、実に純粋な疑問を真っ直ぐマスクに向けていた。
 マスクは覚悟を決めた。───一度観念してしまったのだから、後は何度降参しようが同じだ。と思うことにする。
「……実は……」
 話し始めても、やはりルリーの顔は見れなかった。

「えーっ! それで思わず飛び出してきちゃったのぉ!?」
「悪いかよっ!!」
 飛び出してきた経緯自体が大して長いものではないので、事情の説明はすぐに終わった。───だからこそ余計に、ルリーはその些細さに驚きの声をあげずにはいられなかった。
「はーあ、……ひょっとしてマスク、今反抗期なの?」
「んな訳ねえだろ、……そりゃ、確かに」
 呆れたようなルリーの言葉に、マスクは思い切り驚かれたことも手伝ってますます仏頂面になっている。それが慣れない相手に対する、彼としての懸命のポーズであることに果たしてルリーが気づいたかどうか。
 視線を外したまま、だが少し神妙な口調でマスクは言葉を続ける。
「俺だって、……下らねえことだと思うさ。けど」
 一体自分は、───何を話しているのだろう。人間の、しかもこんな少女に。その上恐らく、苦手であろうタイプの。
「……少し前から、気になってたんだよ」
 言いながら、───マスクは何気なく、空を見上げていた。
 二人が座っている前を、遊覧船が下っていく。ルリーはそれをちらと見て、すぐにまたマスクの方へ視線を戻した。
 マスクの眼は、晴れた夜空から離れない。
「……───俺は、兄貴たちに何がしてやれるんだろうなあ……ってよ」
 言葉の最後の方は、溜息に似ていた。
 ───アームとフットにとって、自分はどういう存在なのかは知らない。だが少なくともマスクにとって、二人の兄は世界そのものと言っても過言ではなかった。
 “生まれた”時から、彼らはマスクの眼の前にいた。
「……何か、してあげたいの?」
 膝を抱えて座り込んだルリーが、マスクの横顔を覗き込みながら訊いた。マスクは相変わらず彼女を見ようとはしなかったが、また川へ視線を戻し小石を投げた。
 ひとつ、ふたつ───川面を跳ねる石は、何度目かに薄闇の中に消えていった。
 マスクは何も答えない。───だからルリーも、それ以上何も言えない。
「……俺、」
 あまり気の長くないルリーが次の言葉を探しかけた時、やはり気の長くないマスクが先に沈黙を破った。───その眼は川を通り越して、何処を見ているのか良く判らない。
「何やったって、兄貴たちを追い越せねえんだ」
「───え?」
 マスクの呟きに、ルリーは驚いて彼に向き直る。
「ど……どーしてぇ? そんなこと……」
「だってそうだろ!」
 反論の言葉を出しかけるルリーに、マスクはそれに重なるように言い返した。
 その時初めて、マスクはルリーの方を見た。
「野球じゃアーム兄貴に勝てねえし、サッカーはフット兄貴に敵わねえ! いつまでたっても、俺は兄貴たちに追いつくこともできねえんだよ!!」
 真正面から、ルリーはマスクの瞳を見た。───必死で、追い詰められた場所から何とか抜け出そうとしている、けれど。
「そりゃ、兄貴たちは何でも俺に教えてくれる……けど、」
 これがあのゴールド・マスクなんだろうか。少し前までは、彼がこんな顔をするなんて想像も出来なかったに違いないのに。
 ダーク・キングスの“恐怖の貴公子”の名が、───これでは泣くどころの騒ぎではない。
「俺は……」
 マスクの言葉が途切れる。
 追い越せないでいることが、───くやしいのでも、情けないのでも腹立たしいのでもない。
 ただ。

 追いつけないままでいる自分を、兄達に見られるのがつらくなってきた。───兄達に対して何も出来ないかもしれない自分を思い知らされるのが。
 いつも顔をつき合わせているから、それは尚の事。

「……ホントに、そう思ってんの?」
 下を向いて押し黙ってしまったマスクの前に座りなおし、ルリーはできるだけ声に力を込めてそう言った。マスクは顔を上げ、訝しげな眼で彼女を見た。
「ホントにホントにホントに、そんなこと考えてんの?」
 じりじりと、マスクとの間の距離を詰めながら、ルリーは更に力を込めてそう言った。その眼がだんだん怒ってきているように見える。
「な、何だよ」
「本気で追いつけないなんて思うの!? 何もしてあげられないなんて考えるの!? 何でそんなこと判るのよ!?」
 気がつけば、ルリーの怒った顔はすぐ眼の前にあった。だがマスクはそれよりも、彼女の矢継ぎ早の言いたい放題の方が頭にきた。
「あんたに何が判るってんだよ!!」
「判んないわよ、勝てないことばっかり考えてるマスクのことなんて!!」
 頭にきた勢いそのままに怒鳴ったマスクに、だがルリーは負けてはいなかった。言い返しついでに思わず立ち上がってしまっている。
「フット達は何でも教えてくれるんでしょ? いままでずっと一緒にいたんでしょ? 二人とも、マスクが追いついてこないからって先に行ったりしなかったんでしょ?」
 何処かが、───熱い。
「待っててくれるのに、───追いつけないなんて、そんなことどうして思うのよ!」
 それは止めようも、確かめようもなく。

 兄達に勝てないことを恐れている訳ではない。
 彼らに追いつくこともないまま、何も出来ない自分だけが残るのが、怖い。
 何もできないまま、───彼らを失う日が来るかも知れないことを、いつの間にか恐れていた。
 あの時のように。

 最優先の記憶領域に残った、消えることのないメモリー。
 思い知らされるのが嫌で、どうしてもマイナスの感覚しか持てなかったその事実が───不意に理解できた。
「追い越せないなんてこと、絶対ある訳ないじゃない。フットやアームが教えてくれてるのに!」
 自分のことのように、彼女は真剣な顔をしている。───それは真っ直ぐ、彼の『心』に向けられて。
 だがマスクは、今度は決して眼を逸らしたりしなかった。
 追いつけない筈が無い。───彼ら自身が望んでいるのに。
 強くなって、ひたすらに強くなって───その思いはとどまることを知らずに、今も彼ら三人を突き動かしている。
 そして彼らはそれに従い、───今も、なお。
 体の中を風が吹き抜けたような気がして、マスクは苦笑した。
 ────これだから、きっと。
 『彼ら(シルバー・キャッスル)』は、───何も恐れないのかも、知れない。


「……兄貴たち、怒ってっだろーなあ」
 川べりに寝転がってマスクが呟くと、ルリーがその顔を覗き込んできた。
「顔合わせにくいんだったら、ボーシップ号に泊まっていけば?」
「ええ?」
「みんなには道に迷ったとかアーム達とはぐれたとか言っとけばいいじゃない! なんならあたしも話、合わせたげる」
 一瞬、心底嫌そうな顔をして抗議の声をあげたマスクに、ルリーはにこにこ笑いながら提案する。
 妙に楽しそうなルリーの姿に、マスクはそれ以上文句が言えなかった。



「───悪い。やっぱ、俺……」
 街外れに降ろしたボーシップ号が見えてきた頃、不意にマスクは足を止めた。
 済まなそうに視線を落としているマスクに、ルリーは苦笑と共に溜息をひとつついて、向き直る。
「そうね。その方がいいよね、きっと」
 笑顔でそう言った後、ふと何か思い出したように踵を返す。そしてちょっと待っててねとマスクに言って、ボーシップ号に向かって走っていった。
 呼び止める間もなく行ってしまった彼女に、仕方なくマスクはその場に留まる。───そして何をするともなしに、再び空を見た。
 人口の灯りが少ないこの場所では、星はずっと近くにあった。それこそ、今ここに降ってきそうなほどに。
 手を伸ばせば、───届くかも知れないなどと、思わせて。
 自分の抱いた感想に思わず笑いながら、それでもマスクはこの不思議に満ち足りた感触が妙に気に入っていた。
 いつか、───そう。いつか、きっと。
 ───しばらくして、聴覚センサーが人間の足音を捉える。顔を上げてそちらを見やると、ゆっくり近づいてくるルリーが見えた。
 行った時とは随分違う足取りに不思議に思うも、マスクはすぐにその理由を知った。そして慌てて、彼女の方へ走り寄る。
「何してんだよ、あんた!」
 マスクが助けに入る直前、ルリーはその両腕に抱えたものを危うく落としそうになり、そのままマスクが支えにいれた手に向かってへたり込んだ。
「おっもーい!」
 悲鳴を上げながら、手を離す。ルリーが抱えていたそれは、当然のことながらマスクに渡された格好になった。
「え……?」
 自分の腕の中に残ったものを見て、マスクは少々驚いた。───リーガー用のオイルが、合計三本。
 思わずルリーの方を見ると、彼女は両手をぶらぶらさせながら、笑顔でマスクを見上げていた。
「ケンカじゃないかも知れないけど、やっぱりマスクが謝らなきゃね」
 そう言って、また笑う。───まるで自分のことのように。
 マスクはちら、と渡されたオイルを見る。
 こんなものを三本も持てば、相当重いはずだ。───どうして彼女に文句など言えよう。
 素直に礼の言葉もでない自分が、少し情けなかったが。
「じゃあ、気をつけてね」
 およそアイアン・リーガーに言う言葉ではない。だが彼女が言うと、この上ないほど自然だった。
 マスクは突っ立ったままボーシップ号へ駆け戻っていったルリーを見送っていた。───と。
 唐突にルリーが振り返り、大きな声で言った。
「頑張ってね、マスク!」
 そしてすぐに走り去る。───マスクに何か言う隙も与えずに。
 マスクは茫然と、しばらくそこに立っていた。



「馬鹿野郎! 一体何処ほっつき歩いてやがった!」
 ───練習場に戻る道の途中でマスクが二人の兄に発見されたのは、ルリーと別れてから少し後のことだった。
「まったく、いきなり飛び出してったかと思うといつまでも帰ってきやがらねえでよぉ! 機嫌悪くするにも程があらぁ!」
 アームに続いてフットも怒鳴りつける。覚悟していたとはいえ予想以上の二人の剣幕に、マスクは一瞬眼を見張った。
 そして、───どういう訳か、笑いが込み上げてくる。
「何笑ってやがんだよてめえはっ!!」
 案の定、アームの怒りが飛ぶ。だがそれでも、それが判っていても、マスクは笑いが止められなかった。
「マスクっ!」
「御免、……悪かったよ、兄貴」
 言いながら、手に持った土産を二人の兄に向けて投げ渡す。二人は一瞬驚いたものの、反射的にそれを受け取っていた。
「んだぁ? こりゃ」
「シルバー・キャッスルの自家ブレンドオイル、……って、おい、マスク!」
 いつの間にか二人の横を擦り抜けて先に歩き出した弟を、フットは驚いて呼び止めた。
「お前、シルバーの連中と会ったのかよ!?」
「連中にゃ会ってねぇよ。あそこのオーナーとちょっと話しただけだ」
「話ィ? どーゆー話だよ」
「世間話だよ、世間話。先行くぜ!」
 言うなり、マスクは走り出す。───楽しそうな声だった。
 さっきから唐突な反応ばかり見せる弟に困惑していたフットは、更に不可解な顔をして首を傾げた。
「なんだありゃあ? すっかり機嫌直しちまいやがってよ」
 遠ざかっていくマスクの後ろ姿に呟き、アームを見やる。アームはアームで、投げ渡されたオイルをじっと見つめていた。
「───とりあえず、」
 顔を上げ、走っていく末っ子を見た。───マスクは立ち止まり、二人に向かって早く来いと合図している。
「今度シルバーのオーナーに会った時ゃ、礼の一つも言っとくとするか」
 言って、訝しがるフットを促して走り出す。───道の先では、マスクが待っている。


 いつか、───そう。いつか、きっと。
 手を伸ばせば届く。───走り続けて、でも。
 ずっと、そこにいるから。







はぐれリーガー編の頃の話です。




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