とある魔術の未元物質
SCHOOL35  交差する 刻


―――私は知らない、私がそのとき蝶であると夢見ていた人だったのか、私がいま人であることを夢見ている蝶なのか、ということを。
小説を書いていると時々こう思う。今でこそ自分はこうして第三者とも違う、いわば神の視点で物語を紡いでいる。だがもしかしたら、今自分のいる現実もまた、神の視点で俯瞰している誰かが作った物語なのではないかと。さて、現実は物語なのか。或いは本当の現実なのか。或いは私自身がキャラクターに過ぎないのか。







 独立国同盟の実質的リーダーであるエリザリーナは、一通り仕事を終えてから垣根帝督と会っていた。
 頼みがある、とやけに真剣な顔の垣根に頼まれたからである。【首輪】関連の事かと思ったがどうにも違うらしい。
 約束の時間に約束の広間に着くと垣根帝督が静かに立っていた。垣根はエリザリーナの姿を確認すると、その頼みとやらを口にした。

「魔術を教えてくれ、ですって?
正気なの? それとも無知なの? 能力者が魔術を使えば――――――」

「死ぬんだろ。正確には体中の血管やら細胞やら筋肉やらが爆発するだったか」

「分かってるならもう一度訊くわ。正気なの?
まさか自殺願望がある訳でもないでしょうし、第一この私が魔術を使えば死ぬ人間に魔術を教えると思うのかしら」

「思わねえよ。まだ会って一週間どころか二十四時間も経過してねえが、人の爆発見てケタケタ笑う悪趣味な性格じゃねえことくらいは分かる」

「なら」

「けどよ。それは能力者が魔術を使えねえっていう前提があっての話だろ」

 エリザリーナが一体何をと思うと、ごそごそっと垣根が懐からティーカップを取り出した。
 そして小さく『水よ』と唱えるとティーカップから水が噴き出してきた。

「なっ! あなた魔術を!」

「使った。だがどうだよ。俺の体が爆発したように見えるか?」

 垣根が気軽な動作でティーカップを一振りすると水が止まる。
 魔術を扱う魔術師ならば起こすのも難しくない初歩的な魔術。けどエリザリーナが驚いたのはそれではない。魔術は才能のない者が才能のある者に対抗する為に生み出された技術だ。だからしっかりと手順さえ守れば素人にも魔術を使う事は可能である。
 だがそれは才能のない素人が行った場合であり、才能ある者――――超能力者―――――が魔術を行使すれば垣根が言ったように身体にかなりのダメージを負ってしまうのだ。だというのに垣根の体には傷一つない。魔力を生成する過程で血管が破裂した様子も、傷を負った様子もない。全くの無傷。

「どういうことなの? まさか能力で」

「生憎と能力は使ってねえよ。ここだけの話だが、俺の能力は『未元物質(ダークマター)』って言ってな。理論上は存在する暗黒物質とは違って、本当にこの世界に存在しない物質を生成して操る力だ。
それで前に色々あって体内のあちこちに未元物質を生成しちまってな。どうにも身体の方が妙な事になってるらしい」

未元物質(ダークマター)なんて能力にも驚きだけど、能力者が魔術を使って反動もないなんて常識はずれもいいところね。
それで身体のほうに異常は?」

「ロシア成教のワシリーサって変態魔術師が調べたんだが、良く分からなかったそうだ。だが俺が普通の人間なら確実に死んでいる重症を負っていたのに、なんだかんだで生きていたのは事実らしい。
俺自身が確かめた訳じゃあねえけどな」

「ワシリーサ…………あの手紙の主、殲滅白書のリーダーね。
彼女ほどの魔術師でも分からなかった異常。未元物質が超能力――――科学の産物である以上は、恐らくは科学サイドの総本山である学園都市でもなければ貴方に起こった異常は分からないでしょうね」

「ああ。本音を言えば一度学園都市にある専用の研究所に調べさせてえ所だが、生憎と今はその学園都市に追われる身だからな。
そんな贅沢もできねえ」

「それで私の所に来たと」

「そういうこった」

 エリザリーナはしばり考える仕草をすると、やがて口を開いた。

「分かったわ」

「いいのか?」

 半信半疑でそう尋ね返す。
 垣根は馬鹿じゃない。国家元首の詳しい仕事までは知らないが、とんでもなく忙しいという事は分かる。だから今回の事も駄目で元々と言うような気分だったのだが、エリザリーナの返答は良い意味で予想に反していた。
 
「勿論、毎日付きっきりで、という事は出来ないわね。けど週に一、二回程度なら問題ないわ。個人的な事情を言わせて貰えば、一人の魔術師として超能力者にも興味があるわ」

「そうか悪いな。この借りは何時か返すわ。もしお前の国がどっかの国とドンパチする事になったら呼んでいいぜ。こう見えて俺は生きる戦略兵器ことLEVEL5だからな」

「物騒なことを言わないで。そうなる前に決着をつけるのが、私の仕事よ」

「そうかい。――――――――ああ、それとこの事、インデックスには秘密にしといてくれよ」

 エリザリーナのことだ。概ねの事情を察しているのだろう。
 薄く笑うと黙って頷いてくれた。

「じゃあ明日の20時にまた此処に来てくれるかしら」

「分かった」

 軽く会釈すると、垣根は自分に与えられた宿舎へと向かった。
 
(しかし、こうも話が上手い具合にいくと気持ち悪ぃな。まぁ上手くはいったんだ。贅沢言っても仕方ねえか)

 垣根が魔術を知ろうと思ったのには二つほど理由がある。
 一に、学園都市の追っ手や魔術結社の追っ手の対処の為だ。
 学園都市からこのエリザリーナ独立国同盟まで来るため、垣根は多くの襲撃者と邂逅してきた。
 最初は、追っ手かどうか定義が怪しいがエイワスという謎の生命体。次に第四位のレベル5麦野沈利率いる暗部組織『アイテム』。そして飛行機をジャックした『原石』のテロリスト。そして何もかもが規格外だった魔術師アックア。
 麦野沈利にはキャパシティダウンという科学により苦戦した。
 テロリストには『原石』という方向性の異なる能力に一度は飛行機外に突き落とされた。
 そしてアックアには完膚なきにまでにやられた。
 超能力だけじゃ、未元物質だけじゃ足りない。
 ここはもう学園都市という箱庭じゃあない。

――――――既に科学と魔術は交差している。

 これから垣根帝督が相手にしていくであろう存在は、魔術と科学の両方だ。
 科学だけの垣根では、魔術という認識外の法則に敗れる可能性がある。事実、アックアという魔術師には敗れた。科学のみの麦野沈利にさえキャパシティダウンという兵器により苦戦した。
 このままではいけない。
 このままならば負ける。このままだと死ぬ。
 今や垣根帝督は学園都市の明確なる敵だ。そしてインデックスがいる以上、魔術サイドにも狙われている。
 科学と魔術が交差した戦場で勝ち残るには、垣根自身もまた『魔術』というもう一方の法則も知る必要があった。
 幸い本当に都合が良い事に、垣根の体はおかしい。実際に見た事がないので実感はないが、能力者が魔術を使えば体が破裂するというのに、垣根にはそんな兆候はなかった。
 故に、もう魔術を知るのに何の障害もない。最大の問題であった教師ですらもクリアした。

 そして垣根が魔術を知ろうとしたもう一つの理由、それは。

「ていとく!」

「うおっ!」

 部屋の扉を開くとインデックスが突っ込んできた。
 突然の事に対応できず、そのままインデックスの体当たりの衝撃を吸収しきれず地面に倒れる。
 背中に痛みが奔った。頭を引っ込めてどうにか受け身をとらなければ危なかった。インデックスに会って以来、暗部生活で身に着けた地味な技術が、地味ながらに役立っていることに苦笑した。

「…………OKだ。俺は馬鹿じゃねえ。こういう場合、お前が俺に言う言葉は一つだ。絶対に一つだ。だが敢えて尋ねるが、どうした?」

「お腹減った」

「……………………本当、駄目な意味で予想を裏切らねえ奴だなテメエ」

 そう、これが垣根が魔術を知ろうとした理由。
 インデックスの『首輪』は魔術的な呪縛だ。もし解除しようとするのならば魔術的知識が必要不可欠となる。
 勿論直ぐにどうこうという事にはならないかもしれない。
 けれど、もしかしたら…………。

 垣根は呆れながら立ち上がる。
 既に夕食のメニューは決めていた。
 エリザリーナ曰くこの近くに美味いボルシチを出す店があるそうなのでそこに行こうと思っている。
 まぁなんにせよ、明日の事は明日に。面倒な事は寝る前に考えるとしよう。
 今はただ、この日常を謳歌する。



「本当に出鱈目ね、垣根帝督」

 溜息をつきながらエリザリーナは机に置いた珈琲を一口飲む。
 放置し続けたせいで冷えていたが、それでも美味しいものは美味しかった。
 考えているのは垣根帝督のこと。
 どうして能力者が魔術を使っても平気なのかという事は、おいおい調べるとして。
 問題なのは超能力者が魔術を使うということだ。

 風のうわさで聞いた話だが、前にイギリス清教の一派閥と学園都市の一派閥が手を組み、能力と魔術を兼ね備えた人間を作ろうという試みをした事があったそうだ。
 結果は大失敗。能力者は魔術を使えるようにはなったが、魔術を行使しようとすれば体に死ぬほどの負荷がかかってしまったらしい。
 
 だが垣根帝督にそんな負荷は掛からない。
 少なくともエリザリーナの見た限りでは、魔術を行使した垣根には何の負荷も掛かってはいなかった。

 思わずエリザリーナは息を呑む。
 魔術とは才能がない者が才能のある者を打倒する為に生まれた技術だ。
 故に理論上は誰にでも扱える、が才能の良し悪しがない訳じゃない。才能の塊である聖人や、原典を記すほどの大魔術師や、魔術を極めた魔神。これらは全て努力でどうこうなる次元ではない。
 悲しい事だが、魔術の世界にも才能の壁というのは確かに存在するのだ。

 そしてその魔術に求められる要素の一つが『演算能力』。
 数学の1と0とは違う。オカルト的な術式。より高度な魔術師同士の対決では、魔術の打ち合いというよりかは、術式の構築の戦いといえる。
 相手の術式を検索し、調査し、暴き、逆算し、妨害し。そして戦略を組み立てていく。
 
 そう『演算能力』だ。そして垣根帝督、学園都市におけるLEVEL5の第二位。
 ここまでくれば分かるだろう。LEVEL5の第二位とはなにも超能力の強さにのみ当て嵌まるのではない。
 第二位の超能力者とは即ち、学園都市第二位の頭脳、つまりは演算能力を持つことに他ならないのだ。
 恐らく演算能力という一点ならば、エリザリーナは垣根帝督に及ばないだろう。

 そんな規格外の演算能力を持つ垣根帝督が魔術を扱う。
 しかもLEVEL5の超能力まで自在に行使する。

 エリザリーナはただの魔術師ではなく、魔術を後世に伝える者である魔導師だ。
 こういうのを血が騒ぐとでもいうのだろうか。
 超能力と魔術を真の意味で完全に使いこなす存在。
 もはや魔神などという一言では言い表せない存在を、生み出す事になるかもしれない。
 
(けど魔術を習得した垣根帝督が万が一、敵に、いえ邪道に堕ちれば)

 果たして垣根を止められる者はいるのだろうか。
 もし敵に回ればエリザリーナ自身ですら止められないかもしれない。

(でも…………)

 エリザリーナはインデックスという少女を思い出す。そしてインデックスと一緒に騒いでいる垣根の姿を想像し、笑みを零した。

(そうね。私が教えずとも、どうせ何時かは魔術を知ろうとする。だったら今、私が教えても同じ。いえ多少はストッパーになれるかもしれない)

 今は垣根帝督を信じよう。
 たった一人の女の子を救う為に、遥々ロシアまでやって来た少年を。 



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