とある魔術の未元物質
SCHOOL70  天使 の 涙


―――異端審問。
十字教には古くから異端弾圧の歴史がある。十字教の神を唯一絶対のものとして、他宗教を異教として認めず戦争を繰り返していった。神の慈悲の名のもと十字軍がどれほどの血を流したのか、その血液だけで湖が作れそうな程かもしれない。宗教の対立というものは根強く、現代においてもそれは残っている。イスラム教との対立などその最たるものだ。









 天使の涙、という礼装の詳細を垣根は知らない。脳科学研究所にあったデータは名前のみでその効果までは記されていなかったし、暗部時代も『天使の涙』なんていうものの事は聞いた事もない。
 サーシャの言葉をそのまま信じるのなら、使用することで『天使と会話』できるようになるらしいが、科学サイドの総本山でそんな如何にもなオカルトな品があるとは考えずらい。言ったのがサーシャでなかったら垣根も信じられなかっただろう。本来そんな代物は学園都市ではなくイギリスなりローマなりにありそうなものだ。

 インデックスが知識を引き出し、それを魔術を使える垣根とサーシャで実行する。十万三千冊というのは伊達ではなくオカルト的防犯性能は薄い学園都市の防御網を難なく突破することに成功、大覇星祭の時から数えて通算二度目の侵入を果たした。

 時刻は夜。
 車道に車はなく、歩道に人はいない。
 静かな、まるで廃墟となってしまったかのような不気味な静寂。
 そんな中に垣根とインデックス、そしてサーシャは降り立った。
 辺りを見渡すが、暗部の刺客が来るような気配はない。

「妙だ……。人が全くいねえ」

 ポツリと垣根が言った。

「第一の解答ですが、学園都市は学生が人口の殆どを占める街と聞きます。この時間ですから、皆帰宅したのではないでしょうか?」

「そりゃそうだが、余りにも少なすぎるんだよ。そりゃ学園都市の殆どの人間は学生だよ。だが……学園都市にはそりゃ人口の半分にも満たねえが学生以外の大人だっている。なによりこの時間なら多少なりとも素行の悪い学生ならまだ出歩いている時刻だ」

 なのに誰もいない。
 人っ子一人。垣根の経験上、このような事態に巡り合ったことはない。

「………………」

 いや、一度だけあった。
 インデックスの『首輪』の事を知らなかったステイル達とドンパチやっていた頃、神裂の張った人払いの術式内に入った時もこのような感じであった。 
 スキルアウトも学生も警備員も関係なく、あの時あそこにいたのは垣根と神裂だけ。どれほど派手に暴れまわろうと人が来る予兆はなかった。これはその状況に非常に似通っている。

「インデックス、学園都市に妙な術式なりは張られてねえか?」

 幸いこちらにはインデックスがいる。十万三千冊の魔道書の知識を持つインデックスにおよそ知らぬ術式などは存在しない。仮に未知のものだったとしても、十万三千冊の知識のもとに構成を暴きだし、理解してしまうことだって出来る。
 もしも学園都市が何らかの魔術攻撃を受けたのなら、インデックスにはその対処法が分かる筈だ。

「分からない」

「はぁ? 分からないってお前、十万三千冊はどこいきやがった」

「で、でも! 特に学園都市に結界とか魔術が張られた痕跡はないし……」

 どうやら本当にそういったものはなさそうだ。
 垣根は考え込むが、魔術においては自分より遥かにインデックスの方が知識があるし信頼できる。よって魔術関連なら垣根帝督よりもインデックスの方が信用できるということだ。
 何故こうも人がいないのかの理由は良く分からないが、それでこちらのデメリットになるということはない。寧ろ好都合だ。人がいないなら、いない隙にその『天使の涙』とやらがある研究所に行って目当ての品を奪い取ってくればいい。

「さっさと行くか。サーシャ、場所は分かってんだろうな?」

 コクッとサーシャが頷いた。
 その反応に満足すると、サーシャの案内で目当ての品が保管されてある研究所への道を進んでいく。

「そういや聞いてなかったな。一体全体どうして『天使の涙』ってのが欲しいんだ?」

 ワシリーサの口振りからして、ロシア正教がサーシャに『天使の涙』奪還を命じたのではなく、サーシャ本人がその礼装を欲したらしいということは理解できた。しかしどうしてサーシャがそんな代物を必要とするかのかは分からない。天使と話が出来る、と聞けば何やら凄い効能がありそうだが、天使と話せるからといって何だと言うのだ。この地上にいもしない天使と話せるより、犬猫と話せた方がよっぽど役に立ちそうだ。

「……第一の質問ですが、貴方達は『御使堕し』という大規模魔術を知っていますか?」

「うん、ローマにいた私達も巻き込まれちゃったんだよ。私は『歩く教会』のお蔭で無事だったんだけど、ていとくなんかは大天使ガブリエルになっちゃって大変だったんだよ」

「ほ、本当ですか、それはっ!?」

 サーシャが普段の口癖すら忘れて驚愕していた。
 やはり十字教徒にとってはガブリエルなんて天使が降り立ってしまうのは大変なことなのだろう。しかも入れ替わったとなれば猶更。
 もし敬虔な十字教徒なら大天使と入れ替わった事に歓喜したり恐れ多いと思ったりするのかもしれないが、垣根のような人間には単なる迷惑でしかなかった。入れ替わったから何か特典がある訳でもなし。ローマで大騒ぎになったりと災難しかない。

「……事実って悲しいな。なんで俺なんかの所に大天使が墜落してきやがったんだか。もっとマシな奴もいるだろうに」

「第二の解答ですが、同感です。天使と入れ替わっても碌な事はありません」

「やけに実感があるように言うんだな。まさかお前も天使と入れ替わったのか?」

 冗談半分に尋ねる。

「第三の解答ですが、その通りです」

「「!?」」

「補足説明しますと、私の場合は入れ替わったのは私の体の方で、大天使ガブリエルが私の姿かたちをとったのですが」

「マジか……」

「はい」

「驚きなんだよ」

 あんな羽目になっていたのは自分だけだと思っていたが、まさか同じような羽目に知り合いのサーシャが合っているとは。
 運命というのは複雑怪奇である。

「んで、それで。結局その大天使と入れ替わった事と『天使の涙』とどういう風に関係があるんだ?」

「第四の解答ですが、莫大な天使の力を長時間体に宿していたせいか、指の震えや魔術への拒否反応が起こるようになりまして、それをどうにか治す為に天使と名のつく礼装などを片っ端から調べているんです」

「テメエも大変だ。インデックスの方は何かこれの対処法、知らねえのか?」

「うぅ、これがただの呪いとかなら何とかなるかもしれないんだけど……『御使堕し』自体がかなり特殊性のあるものだし、これは呪いというよりも後天的に得た体質に近いから……」

「治す方法は知らねえって?」

「…………ごめんね」

 シュンとインデックスが項垂れる。
 それにサーシャがあたふたと慌てだし、腕をパタパタさせながらフォローした。

「だ、第五の解答ですが、こうして私と一緒に学園都市に占有してくれているだけで助かっています。これ以上のことなんて求めていません!」

「でも……」

「大丈夫です、それよりも『天使の涙』の解析などをお願いしたいのですが、どうでしょう?」

「それなら、頑張ってみるんだよ!」

 手を握りしめインデックスがガツッと宣言した。サーシャの方もどことなく嬉しそうに微笑んでいる。こんな所で女同士の友情が成立したらしい。この三人で一人の男である垣根にはどうも居心地が悪い。

「ねぇ、ていとく! あそこ、誰か倒れてる!」

 返事をする前に、インデックスが素っ飛んでいく。
 慌てて追いかけると、インデックスの言う通り二十歳くらいの青年が道端で倒れ込んでいた。

「熱中症……はこの時期だしねえとして、いきなり発作でも起きたのか?」

 未元物質で青年の体を調べてみる。――――――しかし、外傷もなく病もない。いたって健康体である。ということは。

「魔術か?」

「うん、そうだと思う。見た事のない術式だけど…………」

 サーシャの方を見るが、どうやらサーシャには分からないらしい。
 ここは魔術のプロフェッショナルであるインデックスの判断を待つべきだ。

「あーらぁ。誰かと思えば垣根帝督じゃない。ローマで縮こまってるって聞いたんだけど、またこの街に来たんだ?」

「!」

 しかしインデックスが答えを導き出す前に、背後から女の声が聞こえてきた。
 振り向く。視線の先にいるのは黄色いフードを被り顔面に幾つものピアスを無造作につけた女。ピアスがついているのは顔面だけでなく舌にもだった。全体的にどこか威圧感を感じさせる風貌。

「誰だ、テメエ」

「前方のヴェント、ロシアでアンタを半殺しにしたアックアの同僚よ」



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