とある魔術の未元物質
人気第六位 インデックスの消失


―――物事を始めるのに遅すぎることはない。幸せになるのに遅すぎることはない。
善は急げという諺にもある通り、何かをやろうとするのなら早い方が良い。早くやればその分だけ終わる時期もまた早くなる。そして幸せになるのも速い方が良い。幸せが早くに訪れれば、その分長い間幸せを感じていることができる。死ぬ三日前に幸せになったとしても、幸せは三日間しか続かない。











 イギリスの三大勢力の一角でもあり、多くの英国人が信仰しているプロテスタントの総本山、イギリス清教には宗教組織という側面以外にも、一般には隠されたもう一つの顔がある。それが『必要悪の教会(ネセサリウス)』と呼ばれる存在しない筈の第零聖堂区。
 そもそも神の奇跡以外の神秘を否定する十字教において、魔術というものは『穢れたもの』として扱われる。しかし、哀しいかな。現実的に魔術という力がなければ、魔術師に対抗することは不可能だ。魔術師の対策に魔術師は必要不可欠。理想だけでは組織というものは成り立たない。イギリス清教は聖書の教えに背いてでも、自分達の側に組する魔術師(異端者)を許容せざるをえなかった。それが必要悪の教会(ネセサリウス)。必要悪の語源はここからきている。
 だが魔術という力を一手に引き受けるということは、逆に言うのならイギリス清教中の『力』が必要悪の教会に集まるということでもあった。いつしか当初の目論見を大きく外れ、異端中の異端であった必要悪の教会がイギリス清教全ての実権を握ることとなってしまったのは皮肉としか言いようがない。
 そのイギリス清教の裏『必要悪の教会(ネセサリウス)』に若くして入ることを許された天才、ステイル=マグヌスは最大主教から伝えられた命令に眉を顰めずにはいられなかった。

「……どうしてこの僕が……子供のお守りなんてしなければならないんだか……」

 ステイルは深く溜息をつき、自分の不幸を呪った。
 そう。あれは今日の朝のことだったか。



 最大主教直々の呼び出しを受けたステイルは、はやる気持ちを抑えきれない足取りで最大主教の待つ部屋へと向かっていた。
 如何に将来を有望視された天才とはいえ、ステイルはこの必要悪の教会ではまだ新米である。それがいきなりイギリス清教のボスから呼ばれたのだから、ステイルの心中は推して知るべしであった。

「失礼します」

 出来る限り礼儀正しくドアをノックしてからステイルは中に入る。
 イギリス清教の長の部屋だけあり中は広く掃除が行き届いている。壁には芸術に疎いステイルでも一目で美しいと断じる名画が並んでいた。

「君がステイル=マグヌス? 年の割には随分と背が高いけるわね」

 身長の倍もある髪を髪留めで折り畳んでいる少女は、最大主教という名に反した馬鹿みたいな口調で言った。
 しかし必要悪の教会のトップであるという時点でこの最大主教もまともである筈がない。見た目こそ少女だが実年齢は何歳なんだか分かったものではない。
 ステイルが以前に聞き及んだことによると、この最大主教はかなりのやり手だそうだ。注意はしておいた方が良いだろう。
 
「……ええ私がそのステイル=マグヌスです。あと背が高いのは生まれつきなので、最大主教」

 やや語彙を強めながらステイルが返答する。別にコンプレックスという訳ではないが、自身の身体的特徴を大仰に指摘されるのは気に喰わなかった。
 ステイルの言葉を受けた最大主教は特に気にした様子もなく、机の上に一枚の写真つきの書類を差し出す。
 見ろ、ということだろう。ステイルはその書類を覗き込んだ。

「これは?」
 
 やや怪訝になりながらステイルが最大主教に問う。
 書類には生年月日などの必要最低限の情報と、一人の少女の写真が張り付けられていた。少女は通常の黒とは真逆の真っ白な修道服を着こんでおり、銀色の髪とグリーンの瞳が印象的であった。しかし魔術という異常に若くして手を染めているステイルが怪訝になったのはそんなことではない。ステイルが注目したのは書類にあるNameの欄。そこには唯一言『Index』とだけ書かれていた。
 Index、直訳するのならば目次。少なくとも人間につけるような名前ではない。仮にインデックスというのが少女の名前だったのだとしても、この少女にはファミリーネームらしきものは何処にも記載されていなかった。

「まだ新入りなら知らなくとも無理からぬことね。彼女の名前はインデックス、いえこう言えば貴方にも分かりけるかしら。Index-Librorum-Prohibitorumと」

「Index-Librorum-Prohibitorum……? いや待て。まさか彼女はあの!」

 聞いた事があった。必要悪の教会には凶悪な魔術師に対するカウンターガーディアンとして、古今東西あらゆる魔道書の原典十万三千冊を生まれ持った完全記憶能力で記録した生きた魔道書図書館が在籍していると。
 だとすればこの少女がそうなのか。
 純真無垢で人を疑う事を知らない様な、自分と同年代の少女が。

「そう、彼女がイギリス清教が誇る世界一の魔道書図書館。魔術の第一人者にしてエキスパート。『禁書目録(インデックス)』なりけるのよ」

「………………」

 それを聞き、少年ステイルは身から溢れる悔しさを抑えきれずにいた。
 必要悪の教会にくるまで自分は天才だと、そう持て囃されていた。ステイルもその言葉を誇りにしていたし、それを自信にもしていた。しかしそんな自分を遥かに超える存在が既に必要悪の教会にいた。
 十万三千冊の魔道書を記憶した魔道書図書館。もしその知識を一度攻撃に転用すれば、この書類の中でポケッと平和そうな表情をしている少女は国をも滅ぼす魔神となるだろう。
 一介の魔術師ステイル=マグヌスとでは天と地以上の差がある。

「なにか勘違いをしているような表情だから、一つ忠告したりけるけど……彼女とステイル、貴方が戦えばほぼ確実に勝つのは貴方なりけるわよ」

「……お世辞ならもっと上手に言って下さい最大主教。十万三千冊の知識を全て記憶しているというのなら、このインデックスは紛れもなく魔神だ。魔界の神という意味ではなく、魔術を極め過ぎたという意味における魔神。僕なんか相手にもならない」

 十万三千冊の原典はたった一冊でも世界の理を歪めかねない様な危険物だ。それが十万三千冊というのだから、インデックスという少女の持つ出鱈目さは言葉では言い表せないほど危険なものの筈である。しかし最大主教は悪戯っぽく首を振った。

「確かにもしも『禁書目録(インデックス)』が魔術を使えれば、貴方なんて足元にも及ばなきけるは必然。だけどステイル、インデックスは魔術を使えない」

「は?」

「魔術を使うには魔力が必要。魔力を練る事が出来ないインデックスには魔術は使えなしにつきるのよ」

「どういうことです、魔力がないとは」

 魔力というのは生きとし生ける物なら誰もが持つ力だ。学園都市に住まう能力者にしても、生きている以上体には魔力があるのだ。尤も超能力者が身に宿る魔力を使い魔術を行使しようとすれば大きな代償を払うことになるが。
 そして当たり前だがインデックスもまた生きとし生ける人間の一人。ならば魔力は当然の様にその身にあるはずなのだ。

「さぁ、専門の魔術師に言わせれば特異な理由があるようにつきしけるそうだけど。とはいえ今はそんなことはどうでもいいけるのよ。ステイル、貴方を呼んだのはこのインデックスの事でやって欲しいことがあったから」

「やって欲しいこと?」

「たしか……ステイルはこれまでずっと魔術一筋で、電化製品含めた科学は苦手……なりけるわよね」

「ええ、あんな無粋なもの使う気にもなれない」

「なら結構。話した通りインデックスは魔術が使えなしにつきるから、自己防衛能力が乏しい。だから普段はうちに所属する聖人を護衛につけていたのだけれど、その聖人は野暮用でエジプトの方へ行っているけりのよ」

「それじゃあ僕が呼ばれたのは」

「護衛の聖人……神裂火織が帰還するまで『禁書目録(インデックス)』の護衛を貴方に任せけるのよ、ステイル=マグヌス」

「………っ!」

 まさかとは思わったがこれは大任だ。イギリス清教に所属している日本人の聖人の噂はステイルも知っていた。
 聖人とは神の子と同じ身体的特徴をもって生まれた者のことであり、生まれながらに常人を遥かに超えた身体能力と魔力をもっている。ステイルの一般的天才をも大きく超えた、本当の意味での天賦の才の持ち主、それが聖人なのだ。
 その聖人の代役というのだから、自分という魔術師にどれほどの期待がかかっているのかは想像に難しくない。

「どう? 自信がないのなら他の者に――――――」

「やります」

 即答だった。
 もしここで断れば自分はチキンだ。年齢の割に背が高いと言われるのはまだ我慢できる。しかし英国人としてチキン呼ばわりされるなど耐え難い恥辱であった。元より自分は覚悟してこの必要悪の教会に入ったのである。与えられた仕事から逃げるという選択肢など最初からありはしない。

「そう。期待しているわステイル=マグヌス。だから……私の期待に応えてくれるよう、祈りけるわよ」

 馬鹿みたいな口調の最大主教へ慇懃に礼をすると、ステイルはその場を辞した。
 


 そして今に至るのだが、やはりステイルとしては必要悪の教会最初の仕事が子供のお守りというのは拍子抜けだった。入る前は直ぐにでも魔術結社相手との戦闘に召集されるかもしれないと思い、ルーンの用意を進めていたというのに。神父服の下に潜ませていた大量のルーンは無駄になってしまったようだ。
 ステイルは嘆息しつつも件のインデックスがいるという教会の門をくぐる。しかし教会の中には誰もおらずガランとしていた。

「まったく誰もいないじゃないか。ここの神父は一体全体なにをしているんだ」

 薄く怒気を滲ませつつステイルは懐から煙草を取り出すと、魔術で指先に火を灯し煙草の先に当てた。煙草を加え吸い込むと、ニコチンが肺の中にすぅと入ってくる。この煙草を吸っている時の独特の感覚がステイルはなによりも好きだった。魔術漬けで趣味など殆どないステイルにとって数少ない趣味といえるものが喫煙である。
 法律ではステイルの年齢での喫煙は禁止されているのだが、そんなものは気にも止めていない。法律より自分の命が大切だ。そして煙草がない世界では生きていけない自分は法律を破っても仕方がない、というのがステイルの持論である。もしまともな倫理観の持ち主が近くにいれば「この不良神父っ!」と怒鳴るだろうが、生憎そんな人間は魔女狩りのプロフェッショナルが集う必要悪の教会にはいない。そう思っていたのだが、

「そこの人! 駄目なんだよ、その年齢で煙草なんて! まだ未成年でしょ!」

 どうやら必要悪の教会にもいたようだ。多少なりともまともな倫理観をもった、人の注意できるようなお人好しが。
 ステイルは振り向き言う。

「ニコチンやタールのない世界はね、地獄というんだ。そして敬虔なる神の下僕たる僕は地獄に堕ちるなどあってはならない」

「むぅー、屁理屈かも!」

 白い歯を剥き出しにプンスカと怒るのは、見間違えようがなく書類の少女だ。こうして実物を見るとやはり小さい。ステイルは見た目と年齢が一致しないと良く言われるが、目の前にいる少女はステイルと逆の意味で見た目と年齢が一致していないといえる。

「兎も角、この煙草は没収なんだよ」

「あっ、こら止めろ!」

 白い修道服を着た少女――――――インデックスは無い背を伸ばしステイルの口から煙草を奪い取ろうとする。しかし煙草が三度の飯を倍にしたよりも好きなステイルがただで奪われる訳がない。煙草に手を伸ばすインデックスの頭を左手で抑え付け、その間に右手で煙草を口から離し肺にたまった煙を吐き出す。吸って吐く。この動作こそがなによりも重要だ。この思考な時間を決して邪魔させはしない。
 これがステイル=マグヌスとインデックスの最初の出会いだった。
 まだこの時ステイルは、インデックスという少女が背負わされている呪われた運命について全く知らない無知な男であった。



 ステイルとインデックスの奇妙な生活はそれから長きに渡って続いた。護衛対象と悪戯に仲良くするのは護衛失格なのだが、ステイルがインデックスを寄せ付けまいとしても不思議とインデックスはステイルの心の中にするりと踏み入ってくる。
 別にインデックスという少女が強引にステイルの心へ土足で踏み入ってきたのではない。ただインデックスを前にすると、この子に門を閉じてはいけないと、そう思ってしまうのだ。ステイル自身、インデックスという少女と過ごす時間はなんともいえない暖かさに満ちていて嫌いではなかった。
 インデックスは事ある毎にステイルの喫煙を止めさせようとしてきて、それを突っぱねるのがステイルの日課にもなっていた。
 必要悪の教会(ネセサリウス)に来た当初は想像もしていなかった平和な生活。賑やかでありながら、まるで広い草原の中にいるような穏やかな日々。
 その日もそんな日々のほんの一ページの途中であった。
 ステイルがインデックスに連れられるようにイギリスの街中を歩いていると、途中で長い黒髪をもつ東洋人らしき女が現れたのだ。

「御久しぶりですインデックス。そして初めましてになりますね。私は神裂火織。…………その子の、友人です」

 どこか躊躇う様にインデックスと名乗った女――――――神裂はそのままの流れでステイルやインデックスと同行することとなった。

「…………………」
 
 不機嫌と疑惑とが入り混じった様子でステイルは共に笑いあう神裂とインデックスを眺める。神裂火織。ステイルの記憶が正しければ元は極東の島国、日本とやらの十字教勢力の一角、天草式だかの女教皇の地位についていたらしい。
 どうしてそんな人物がイギリス清教に天草式の面々を置いて鞍替えし、必要悪の教会なんていう場所にいるのかステイルは知らない。多少気になりはするが、こういったプライバシーは他人である自分がずかずかと踏み込むべきものでもない。少なくとも神裂火織は信用出来ない人物ではなさそうであるし、戦力的にも世界に二十人といない聖人の一人だ。ステイルからは何も言うべきことはなかった。

「ふぅ」

 なにやら洋服屋で談笑する二人から離れ、ステイルは一人ベンチに座った。女性二人に男一人、傍から見れば両手に花の状況であろうが、そこにいる当人からすれば溜まったものではない。インデックスと神裂が魔術の話題でも話しているならまだしも、二人のそれは完全無欠に"女"としての話題だ。男であるステイルに踏み込む余地はない。
 疲れ切った表情で煙草に火をつけると、煙を思いっきり吸い込む。これだけの事なのに、何故か疲れが消えていくような錯覚を覚えるから不思議である。

「まったく、どうして僕がこんなことを」

 何度目かになるか分からぬ自問を再びステイルは吐き出す。無論、答える者は誰にもいない。 
 十万三千冊の魔道書図書館の護衛と言えば聞こえは良いが、やっていることは子供のお守りに等しい。自分は子供のお守りをするために魔術の世界に足を踏み入れたのでも、必要悪の教会の一員になったのでもない。不満は積もるばかり。
 だというのに、こんな在り来たりな日常を楽しいと心の底で思う自分がいるのも事実だ。
 
「悩んでいるのですか?」

 いきなり背後から声をかけられた。誰かと思って振り向くと神裂だった。

「……インデックスはどうしたんだい?」

「彼女なら……あそこです」

 神裂はそう言って試着室を指差す。一見すると神裂がインデックスの護衛を放り出して、ステイルに話しかけてきたように見えるが、試着室の周囲に高度な魔術結界が張られているのをステイルは見逃さなかった。

「楽しいでしょう彼女。インデックスといると」

「何を言っている?」

「ええ、そうでしょうね。私も最初は自分の気持ちが良く分からなかった。……数年ほど前になりますか。天草式から出て、イギリス清教に来たばかりの私に声を掛けてくれたのが彼女でした。そして私は彼女の友人となったんです」

「成程ね。あの子とは数年来の仲ってわけ」

 ステイルが何気なく言った何の変哲もない一言。なのにその一言は神裂火織という聖人の心を抉り取った。

「……数年来では、ありません」

 震える唇から神裂はそんな事を言った。

「私にとっては確かに彼女は数年来の知り合いということになるのでしょう。ええ私は彼女を数年前から知っている。ですが……彼女、インデックスからしたら私は去年の7月からの友人でしかないんです」

「意味が分からないが、どういうことだい?」

 神裂はインデックスと数年前に出会ったという。なのにインデックスからすれば神裂は去年の七月からの友人だという。
 意味が分からない。
 知り合ったのが数年前で友人になったのが去年の七月というのなら意味は通る。しかし神裂の口振りからするとそういう訳ではないようだ。

「そうですね。貴方もいつか知ることでしょうから、今の内に教えておきましょう。彼女の頭は一年以内の記憶しか覚えておけないんです」

「馬鹿な!」

 突拍子もない神裂の言葉にステイルは思わず立ち上がる。

「インデックスは完全記憶能力者だぞ。一度覚えた事は絶対忘れない。だからこその魔道書図書館だ。その彼女が一年以内の記憶しか覚えていないだって?」

 一年前だろうと何だろうと忘れてしまっては完全記憶能力者ではない。幼少期にチラリと見た木の枝の形なんていう下らない記憶だろうと、パーフェクトに記憶してしまうからこその完全記憶能力だ。一年以内の記憶を全部忘れてしまっては完全記憶能力とは言わない。

「そもそも君の話が本当なら、彼女の頭の中にある十万三千冊だって消えてしまうじゃないか」

「貴方の疑問は尤もです、一から説明しましょう。インデックスは脳味噌の70%を十万三千冊の魔道書を記憶することに使われているせいで、彼女は残りの30%しか記憶していることが出来ないんです。そして完全記憶能力をもつインデックスはどんな些細なことでも完全に記憶してしまうため、その30%は一年で埋まってしまう。そしてその30%までもが埋まりきった時、彼女は…………」

「……どうなるって、言うんだ?」

「―――――――――――――――――死にます」

 単刀直入に神裂は一つの事実を伝えた。
 毎日毎日平和そうにただ笑っていた少女の、余りにも救いがたい運命。
 震えながらステイルは助ける方法はあるのかと神裂に詰め寄った。最悪の事が脳裏を過ぎりはしたものの、神裂の返答は是だった。
 ステイルはならば早く治せ、と言ったものの今度は先程以上に受け入れがたいことを告げられてしまう。
 インデックスを死の淵から救う方法。それは何のことはない。実に単純なことだった。脳の容量が埋まってしまうと言うのなら、余計なものを消してしまえばいい。 
 これまでの一年間の記憶を全部消せば、インデックスという少女は助かる。

「なんだ、それは……」

 認められない。
 記憶を消す。そんなこと簡単に言えるものではない。記憶とは思い出だ。その思い出を全て消し去るなど、その人間の命を否定するにも等しい行いである。魔術を見てしまった一般人から記憶を消すと言うのとは次元が違う。

「なんだそれはッ!」

 ステイルはそれ以上、神裂と言葉を交わすことなく必要悪の教会へと走り帰った。こんなことがある筈がない。全部神裂火織の並べ立てた嘘八百だ。
 しかしそんなステイルの淡い希望は最大主教があっさりと「事実だ」と明かしたことにより打ち砕かれる。

「そんな……くそっ……」

 必要悪の教会を出たステイルはふらふらと路地裏を歩く。
 最大主教によると記憶を消す刻限は後一か月後という。つまり一か月が経てば、ステイル=マグヌスと日々を過ごしたインデックスはこの世から永久に消えてしまうのだ。

「ふざけるなよ。そんなものは認められない!」

 自分は何のために魔術師となった? こういった普通の人間では抗えない理不尽に抗うためではなかったか。
 そうだ。自分はただの人間ではない。天才とまで謳われたステイル=マグヌスだ。
 一般人なら死にゆくインデックスに手を差し伸べることは出来なかっただろう。ただ悔し涙を流し、死んでいくインデックスを見送るしか出来ない。だが自分は違う。

「やってやる。僕が――――彼女の呪いを、焼き殺してやる」

 それからステイルのイギリス清教にある魔術書や情報を読みふける日々が続いた。脳味噌に関する情報、脳を治癒する魔術、そして治癒魔術のエキスパートなど。
 しかしそんな努力は全部無駄に終わる。
 ステイルがインデックスに課せられた呪縛を解く方法を見つけるよりも早く、刻限がきてしまったのだ。
 教会の一室にある質素なベッドでは真っ白な修道服をきたインデックスが寝かされていた。脳の容量が限界ギリギリなせいなのか、その瞼は閉じられたままで開く気配がない。

「僕は一体、何をしているんだ……」

 魔術師になれば何だって出来ると思っていた。普通の人間には出来ない事が出来ると信じていた。不可能なんてないのだと信仰していた。
 それがこのザマである。たった一人の女の子すら救う事も出来ず、こうして床に座り込んでいるしか出来ない。
 もはや惨め過ぎて笑いも出ない。なにが天才魔術師だ。必要悪の教会だ。自分はなにも為し得なかったではないか。なにも出来なかったではないか。魔術師が聞いて呆れる。

「儀式は十二時ジャストに行います。……あと十分、何かあれば今のうちに言ってあげて下さいステイル。今の(・・)彼女に話しかけられる最後の機会ですから」

 神裂というらしい聖人は気遣うように声を掛けてきた。
 その悟ったような表情が気に喰わなくて、ステイルはつい噛みついてしまった。

「随分と冷たいんだね。聖人様ともなれば、たかが一人の記憶を消すなんて朝飯前ってことかい」

 言ってからステイルは後悔した。
 何故ならば自分よりも遥か二強い魔術師であるはずの神裂の瞳から、似つかわしくないものが流れていたからだ。
 頬を流れ床にぽつぽつと落ちるのは涙。神裂火織は涙していた。自分の大切な友人の記憶を自分の意志で奪わなければならないことに。

「……貴方には、まだ分からないでしょうね。………少し前まで一緒に笑い合った大切な友人が、次に会った時には赤の他人として自分に接してくることの苦痛が。初めて会った人のように驚く姿が……」

「すまない」

 ステイルは確信する。神裂火織は自分と同じだ。神裂もまた自分と同じようにインデックスの背負わされた運命に抗おうとし、そして敗れたのだろう。

「神裂、一つ頼みがある」

 意を決しステイルは口を開いた。

「なんです? もう間もなく儀式を開始するので手短に」

「その儀式、僕にやらせてくれ」

「貴方が?」

 そうだ。やらねばならない。いや、自分がやらなければいけないのだ。インデックスはこの一年、誰と過ごした? 誰と共に日々を生きていた? ステイル=マグヌスとだ。ステイル=マグヌスに他ならない。ならばその幕引きはステイル=マグヌスの手で行わなければいけないのだ。他の誰にもやらさせない。誰にも譲らない。
 ちっぽけな独占欲なのだろうこれは。
 しかし……このインデックスはステイル=マグヌスのものだ。

「僕は……」

 記憶を消すためのロザリオをインデックスの額にあて、静かにステイルはその時を待つ。

「僕は……たぶん、大した事のない人間だろう」

 自分の未熟さと限界をこの一年で否応なく知らされた。幾ら一介の魔術師としては天才でも、それは所詮常識的なレベルにおける天才に過ぎない。世界には神裂を始めとする怪物がいて、人間でしかない自分とは埋めようのない差がある。

「それでも、君の為ならば僕は最強であろう。例え―――――――」

 ステイルがその誓いの言葉を言うと同時、刻限がきた。一度目を瞑ると、ステイルは小さく詠唱をする。一人の少女の記憶を永遠の闇に葬る呪文を。ロザリオはステイルの魔力を受けると、その機能通り青い光を放つとインデックスという少女の思い出を微塵の容赦もなく殺し尽した。



 夜が明け次の日。インデックスと会うことを許されたステイルは昨日儀式を行った教会へ足を運んだ。そこにはつい少し前までと変わらない純白のシスターが花壇に水やりをしていた。
 一瞬迷いはしたが、ここまで来て何も言わずに帰るというのは男として情けない。意を決しステイルはインデックスに声を掛けた。

「……インデックス!」

 大きな声で名を呼ぶと、インデックスは驚いたように振り向いた。そしてインデックスが……「誰だろうこの人は」という風に首をかしげる。
 
(分かっては、いたんだけどね)

 もしかしたら記憶を消された後でも覚えていてくれるかもしれない。
 恋愛ものの映画とかでよくあるだろう。記憶を失ったヒロインが主人公と再会した瞬間に全ての記憶を思い出し結ばれるというストーリーが。
 そんな三流恋愛小説のような展開をステイルは心の底で期待していた。そうであって欲しいと願っていた。しかしそんな都合の良いことはやはり、映画の中だけの話。
 インデックスは全てを忘れた。
 ステイル=マグヌスのことを、なにもかも。
 
(この少女を殺したのは……僕だ)

 ステイルは一生、あの日握ったロザリオの冷たさを忘れないだろう。一生あの輝いていた一年間を忘却しないだろう。一生インデックスという女の子を殺したことを忘れないだろう。
 ステイルはおもむろに煙草を取り出すと、慣れた手つきで火をつける。インデックスは何も言わない。一年間でステイルも随分と背丈が伸びた。大人と見間違うばかりに。だからインデックスはステイルのことを大人と認識してしまっているのだ。だからもう止めようとはしない。止めてはくれないのだ。

「えと、……あの」

 インデックスが口を開きかけたその時、ステイルが左腕を上げて制する。

「いや、いい。ここには少し立ち寄っただけだ。直ぐに帰る」

 踵を返すとインデックスに背を向けそこを去る。もう二度と自分があの少女の隣に立つことはないのだろう。
 だが構わない。
 インデックスを殺した日に口にした契約の言葉を今一度呟く。

「インデックス。例え君は全て忘れてしまうとしても」

 あのインデックスは死んだ。自分が殺した。しかしインデックスという少女は生き続けている。一年に一度死んでしまう運命にあるかもしれない。だがその一年間を精一杯に生きているのだ。ならばステイル=マグヌスは、

「僕は何一つ忘れずに君のために生きて死ぬ」

 この日、ステイルは己に一つの魔法名を刻んだ。
 Fortis931、我が名が最強である理由をここに証明する。一人の女の子を助けることが出来なかった無力な男の小さな意地。救えぬのなら、せめて守ろう。生涯をかけて守ろう。いつしか彼女を救うヒーローが現れることを願って、守り続ける。己が命に代えても。




 ここまで読んでくれた読者の皆様が仰りたいことは良く分かります。コレ、もう半分どころか九十%くらいステイルの短編になっちゃってます。どうしてこうなったのかと言うと、インデックスの場合、常日頃から垣根と行動を共にしているので、本編の裏話的な話のタネは作りにくかったので、垣根と出会う前のインデックスを書こうと決めたことが切欠です。
 本編ではステイルが良い所なしだったので、ここはインデックスとステイルの出会いでも一つ書いて見ようかと思い、実際に書いてみたら……もう短編がステイル一色。記憶が消えてしまうという以上、インデックス視点で話を進めるのが難しかったからこそのステイルだったのですが、まさか殆どがステイルに乗っ取られるとは。恐ろしかなステイル。



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