第1話

――ここは……。私はジュドーに敗れ去り、アクシズに散ったはず……。ということは、ここが地獄だとでも言うのか。

 意識を取り戻したハマーンがまず考えたのは、確かに死んだはずの自分が何故未だに意識を持っているのかということであった。神経は皮膚からもたらされる暖かい刺激を脳に伝えてきたが、手足は全く動かず、目は閉じたままで、開けることさえできなかった。
 なおも自分の現状を把握しようと努めていると、突如思念が飛び込んできた。

――何者です。私のなかにはいりこんできたものは。
 明らかに女、それも若い女の思念であった。

――お前の中…だと?
――はい。この世に生を享けた直後に、貴女が紅い光を纏って私の中に飛び込んできたのが感じられました。あっ、申し遅れました。私の名は煌武院悠陽。そしてここは日本帝国の帝都にある煌武院本家の一室にございます。残念ながら地獄ではございませんわ。ついでに申し上げれば、今は西暦1983年12月16日、まだBETAは日本にまで来て下りませんのでご安心召されませ。

 明らかに高い知性を感じさせる声色で語る彼女。いや、悠陽。

――日本?確か連邦の極東地域にかつて存在した国家だったか?いや、その前に西暦だと?馬鹿な、時を遡ったとでもいうのか?
 軽い混乱状態に陥るハマーン様。その彼女を落ち着かせたのは、悠陽だった。

――左様にございます。ですが、現状について語り合う前に、まずはお名前を教えてくださいませんか?自己紹介がお友達になる際の基本だそうですよ。
 落ち着いた声で、しかしどこかズレたことを語る悠陽。

――……ああ、そうだな。私はハマーン・カーン。ミネバ・ザビ殿下の摂政としてネオ・ジオン軍を統率してきたものだ。お前の言が正しいならば、今より150年ほど未来からきた、ということになる。

――150年先の未来ですかっ?150年先でも人類は生き延びているのですね?BETAは、BETAはどうなったのです?
 150年先という言葉に強く反応する悠陽。人類は後50年生き延びられるかどうかも危ういと言われている時代の人間としては、当然といえば当然の反応であった。

――150年後だろうが、人類は普通に生きている。相変わらず地球の重力に惹かれながら……な。
 と、自嘲気味に呟くハマーン。
――だが、BETAとは何だ。私は歴史には左程詳しくはないが、そのような言葉は聞いたことがない。

――BETAをご存知ないのですか?150年後の世界では、BETAはいなくなり、BETAと戦った過去も忘れ去られてしまったとでも言うのでしょうか……。
 信じられない、という呆然とした体で自問する悠陽。彼女にとって、BETAの存在すら知らない人間がいるという事実は、考えられないことであった。

――BETAとの戦いだと?20世紀後半は米ソ冷戦の時代で、局地戦闘こそ少なくなかったものの、大規模な戦争はなかったはず。1991年にソ連が崩壊してからは唯一の超大国となったアメリカが世界への介入を繰り返したが、それとて所詮は限定的。一体お前は何について語っているのだ。

――戦後直後こそ、米ソ冷戦といったものもございましたが、BETAの脅威を前に、すぐに人類同士の冷戦など、後背に追いやられたはずです。勿論、各国とも裏では色々と暗闘を繰り返していたようですが……。ハマーン様こそ、いくら150年先の方とはいえ、BETAの存在すら知らないというのは、あまりにも奇異です。一体これはどういうことでしょうか……。

 悠陽、ハマーンともに相手の言っていることが理解しきれずに困惑していた。しかし、その困惑も長くは続かなかった。
 ハマーンの意識が悠陽のなかに飛び込んでからひとときが過ぎ、双方の記憶が還流しはじめたのである。
 記憶の相互還流にともなうあまりの不快感に意識を手放しながら、二人が呟いたのは奇しくも同じ言葉だった。

――まるで異世界のようだ……。



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