第11話



「雷電様が、わざわざ一個中隊で悠陽様と相対せよというのです。何かあるだろうとは思っておりましたが、まさかここまでとは……」

 模擬戦終了後、煌武院家にて酒を酌み交わしながら談笑する二人。
 時は夜。今宵は満月。障子を開け放ち、庭先に見える月を肴に、紅蓮と雷電は酒を楽しむ。

「しかし……。あれほどの気迫。明らかに実戦経験があるとしか思えません。それも、一度や二度ではない。一体、悠陽様にどういう戦闘教育を施したのです?」

 そう言い募る紅蓮。

「すまぬが、その質問には答えることができん。たとえ、相手がそなただとしてもな」
 雷電の返答はにべもない。
 彼自身、先の模擬戦に驚愕していた。
 確かに、二度も激戦下の日本で将軍に就任するなどという経験をすれば、それなりの凄みもあろう。だが、それは、あそこまで死に彩られたものなのだろうか。そう。辛うじて人間同士の最後の大戦に参加した経験を持つ雷電にはわかった。あれが、悠陽が放っていた気が、戦場の死の香りそのものであると。
 一体、孫はどんな体験をしてきたというのだろう。血を吐くような、辛い経験だったに違いない。
 そう思わずにはいられない。

「そうですか……。分かり申した」
 長いつきあいから、これ以上聞いても何も教えてはくれまい。そう判断する紅蓮。

「ですが、此度の演習、斯衛のひよっこどもにとっても、大変いい機会でしたな。先の大戦以来、日本は長らく平和でした。それは大変素晴らしいことなのですが、同時に、今や戦場を知らない軍人がほとんどです。わたしは、観戦武官として欧州戦線に赴きましたゆえ、辛うじて戦場の空気というものを知っておりますが……。本当の死の危険のない演習において、あそこまで濃密な戦場の死を体験できたことは、若者どもにとって何よりの宝となりましょう」

 そう。今や、斯衛で、戦場を経験したことのあるものはほとんどいない。BETAが東進しつつあるとはいっても、戦線は日本から遠く離れている。帝国軍も、斯衛軍も、大陸には兵を派遣しておらず、精精が対BETA戦闘調査のために観戦武官を派遣する程度。最も、中には、奔放な紅蓮のように、観戦武官と言いながら、戦術機を駆って戦闘に参加したものもいたが……。

 しかし、日本もいずれ対BETA戦争に巻き込まれるは必定。そして、対BETA戦闘においては、新兵のかなりの部分が、はじめての戦場で命を落とす。「死の八分」は伊達ではない。戦場に立ち込める死の香り。BETAの圧倒的な物量。次々と断末魔の悲鳴を上げながら散っていく、僚友たち。そうした戦場の空気に呑まれ、冷静な判断力を失った新兵たちは、簡単にBETAの餌食となる。

 そして、残念ながら、どれほど訓練所で新兵を鍛えようとも、戦場の空気を予め味わわせることだけは、できない。それは、どんな優秀な教官であっても、不可能なことであった。不可能なはずであった。

 だからこそ、と紅蓮は思う。今回の模擬戦は、参加した衛士たちにとって得がたい経験だ、と。圧倒的な戦場の気をまとった悠陽に気おされて、皆狂乱し、失神していった。これが実戦だったら、間違いなく全員死んでいた。だが、彼らは生きている。そう。どれほど精神的に消耗しようとも、生きているのである。そして、どれほど少女に対する恐怖があろうとも、それは戦争のPTSDとは比べ物にならない。

 アメリカ風に言えば、彼らは初体験をすることなく、チェリーを卒業できたのである。

 欧州戦線において、あまりにも過酷な戦場に耐え切れず、発狂していく戦士たちを、紅蓮は見てきた。正常な判断力を失い、重症を負ったものたちの虚ろな瞳を、これでもかというくらい見てきた。だからこそ、紅蓮は悠陽に感謝する。過酷な初体験をする前に、それを疑似体験する機会を与えてくれてありがとう、と。部下たちが生きのびる可能性を、どれほど僅かではあれ、高めてくれてありがとう、と。

 同時に、悠陽を憐れと思う。あの年にして、あの気迫。尋常ではない。あるいは、彼女が生まれた直後に起こった某事件のせいか、とも思う。あれ以後も、表に出ていないだけで、彼女には生を賭けた闘いがあったのかもしれない。

 紅蓮は、静かに盃を傾ける。考えてもはじまらぬ。悠陽様を何よりも大事にしている雷電様のこと。本当に困った状況に陥ったら、孫のために力を貸してくれと言って来るであろう。そのときに手助けをすればよい。

「ときに、紅蓮」
 雷電が声をかけてくる。

「米軍がG弾戦略を採用して、地表にG弾をバラ撒くのを防ぐために、わしはいずれ斯衛の精鋭を中心に、ハイヴ突入部隊の創設を提案するつもりだ。どうにも米国の動きがキナ臭い。いずれ、国連軍主導で大陸でのハイヴ突入作戦が提案された折には、この部隊を参加させたいと考えておる。今回、模擬戦に参加してもらった衛士たちを中心に、内々に部隊を組織しておいてもらえないか」

 悠陽がハイヴ突入に参加するのは、今もなお反対だ。しかし、同時に約束は約束。しかも、今回の演習ではっきりわかったことだが、悠陽は間違いなく帝国でも最強。紅蓮を軽くいなしたことからわかるように、その戦術機操縦能力はぶっちぎりである。

「昨今の戦術機の性能向上は目を見張るものがありますし、いずれ戦術機部隊によるハイヴ攻略も達成できるでしょう。そう考えると、たしかに早い段階でハイヴ突入専用の部隊を作って、特別訓練を施すのもよいかもしれません。面子ですが……斉御司の嫡男は無理でしょう。斉御司殿下がお許しになりますまい。わたしが参加できればいいのですが、殿下のお傍を離れられませぬ……。それ以外のメンバーは大丈夫かと」

 斉御司斉彬は、現将軍の孫にあたる。公私混同をするような人物ではないが、成功率すらもはっきりしないようなハイヴ突入に、自らの孫を派遣することには抵抗を示すだろう。紅蓮も、斯衛の重鎮として、もはや一線での斬り合いはできない。

「ふむ。ちょうど、もうすぐ月詠の子供たちが衛士訓練を終える。訓練生でありながら、並の教官では歯が立たぬほどの腕前という。代々、煌武院の護り手として武に励んできた一族であるし、彼女らを悠陽につけるか……」

 月詠真耶と真那を、悠陽の直衛としてハイヴ攻略部隊に加えるべきか、と画策する雷電。彼女らとて、未だ10代前半の少女に過ぎないのだが。

「やはり、悠陽様をハイヴ突入部隊に入れるおつもりでしたか……。そのために、悠陽様との模擬戦闘を実施したのですね」
ハイヴ突入部隊の話が出た時点で、雷電が悠陽をこの部隊に加えるだろうことは、紅蓮にはわかっていた。斯衛にそれを納得させるために、模擬戦を行ったのだろう。実際、悠陽よりも優れた衛士は帝国には存在しない。欧州戦線を見てきた紅蓮の経験からいっても、恐らく悠陽に勝てるものは、人類には存在しない。

 力ある者には、相応の責務がある。それは、当然のこと。だが、悠陽はまだ8歳になるかどうかである。

 盃に注がれた酒が、月を写す。その月を見ながら、紅蓮は思う。
 哀しいことだ、と。雷電とて断腸の思いであろう。拒めるものなら、拒んでいただろう。だが、BETAが日本まで迫るのも、もはや時間の問題。BETAの本土上陸を阻止するためには、いずれハイヴを攻略して、BETAの東進を食い止めなければならない。
 そして、何よりも。悠陽自身が、ハイヴ突入部隊への参加を強く主張したのであろう。直に戦ってみてわかったが、あの少女は確たる意志を持って模擬戦に臨んでいた。常識で考えれば全滅する他ない、ハイヴ突入任務に参加する覚悟があるのだろう。あの年の少女に、そこまでの覚悟を強いなければならない斯衛が、帝国が、そして世界が、紅蓮には堪らなく嫌だった。

 それからしばしの後。
 斯衛軍第25特別大隊「紅炎」が極秘裏に編成された。大隊長は煌武院悠陽特務大佐。8歳の少女が大佐など、通常の軍ではありえない。しかし、斯衛においては、将軍殿下が承認すればどんな無茶も通る。まして、彼女は煌武院。特別扱いは当然のことであった。国連軍をはじめとする各国軍の混成部隊でハイヴに突入するため、独立指揮権を保つためには大佐相当の階級が必要であろうとの判断である。
 副官が神野中佐。30歳になったばかりの斯衛軍中堅幹部である。衛士としての腕も確かながら、それ以上に、現状把握や作戦立案能力に優れた、怜悧な参謀である。面長な顔に黒縁眼鏡をかけ、眼光はどこまでも鋭い。交渉手腕にも優れており、現場で司令部や他部隊との折衝には彼が当たることになっている。

 まず最初に。ヴォールク・データをもとに、実際のハイヴ攻略に関する悠陽の知識を付け加えて作成された、特別シミュレーション・プログラムを徹底的に繰り返すことになった。特に、急務であったのが、ハイヴ内での三次元機動の習得である。宇宙空間を主戦場としてきたハマーンにとっては今更であるが、多くの衛士にとっては未知の領域である。
 BETA戦闘においては空中跳躍は、光線級のよい的になってしまうというのが常識である。実際の対BETA戦闘を行ったことのない第25大隊の面々にとっても、三次元機動は思いもよらないことであった。
 しかし、ハイヴ内部においては、この常識は通用しない。何故ならば、ハイヴ内においては光線級や重光線級のレーザー照射はないからである。全方位から間断なく湧き出てくるBETAに対応するために、優れた空間把握能力、柔軟な三次元機動力が必須となる。そして、最初から宇宙空間という究極の三次元戦闘空間を最初から想定して作られたのが、モビルスーツ。その設計思想を色濃く受け継いだ斯衛制式戦術機「迅雷」もまた、三次元機動を前提として、各所にバーニアが取り付けられていた。
こうして、ハマーン直々に徹底的に鍛えられることになった、第25大隊。彼らのシミュレータからは悲鳴が途絶えることがなかったという。



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