第26話



 細長い坑道が続く。
 どこまでも。

 坑道の壁面それ自体がほのかに蒼白い燐光を放つ。
 それは、醜悪なBETAが作り出したとは到底信じられないほどに、無機的な美しさを湛えていた。
 それは黄泉に舞う蛍のように浮き世離れしており、壁に幽鬼が宿ったかのように生命を感じさせなかった。
 それは、まるで生者を冥府へと誘う鬼火のようであった。
 坑道に沿ってこしらえられた偽装坑道からBETAが湧き出して戦列を寸断すると、そこは立ち所に黄泉比良坂へと変化するのだ。



 誘蛾灯に集う蛾のように、燐光に導かれて坑道を疾駆する影がある。


「クリムゾン02より01へ。推進剤の残量が3割を切りました。このままでは……」
 大隊次席指揮官の神野大佐が悠陽に懸念事項を伝える。暗号通信なので、米ソの部隊には内容は伝わらない。
「進撃速度を彼らに合わせているため、どうしても消耗が激しいようですね、神野。ですが、もう反応炉に到達するはずです」

 そもそもがハイヴ突入を目的として設計された斯衛の最新鋭機「迅雷」と、高い運動性能を誇るとはいえ2.5世代機としての限界があるF-15Eとでは、進軍速度に大きな開きがでるのは避けられなかった。
 アメリカの先進戦術戦闘機計画(ATF)は、ハイヴ攻略用にYF-23、地上戦闘用にYF-22というどっちつかずの結果に終わっていた。しかし、YF-22を推すロックウィードにせよ、YF-23を推すノースロックにせよ、先行量産モデルすら決まっておらず、米軍としては大急ぎで開発したF-15Eストライク・イーグルでハイヴ攻略を行うしかなかった。

 もちろん、F-15Eがハイヴ内戦闘に迅雷ほど向いていないからといって、彼らを見捨てるわけにはいかない。
 米軍部隊を反応炉に連れて行くことは、ハイヴ攻略そのものと並ぶほど政治的に重要なのである。戦術機部隊によるハイヴ攻略が可能となれば、米国議会におけるG弾派は少数派に転落する。その攻略部隊に米軍部隊がいるとなれば、米軍首脳部からオルタネイティヴ4支持を取り付けるのは、それだけ容易になる。

「前方6000、ソナーに感あり。音紋照合。推定個体数……2万を越えますっ」
 神野の緊迫した声が響く。
「前方だけですか?」
 声に緊張感を秘めているとはいえ、相も変わらず冷静な悠陽。ハマーンは時折アドヴァイスするにとどめ、操縦および指揮を悠陽に任せている。
「はい。下層および上層から移動してくるBETAは感知されていません。位置からしても大広間かと」
「そうですね」
 神野の推測に同意した悠陽は、米ソの隊長に連絡する。
「ウォーケン大尉、ラトロフ中佐。間もなく大広間に到達すると予測されます。このまま我々が先行して大広間で邀撃体制をとるBETAを引きつけますので、その間にS-11による反応炉破壊をお願いします」
「了解しました、煌武院閣下」
 すでに悠陽の指揮官としての手腕を認めているウォーケンは、すぐに同意した。
「こちらも了解」
 ソ連特殊情報部隊を率いるラトロフ中佐にも、反論はなかった。

 米ソ両部隊の同意を取り付けるや、悠陽は部隊内回線を開く。
「各機、聞きましたね? 我々はこれより他部隊に先行して前方のBETA群の陽動にあたります。楔壱型をこのまま維持。反応炉の存在を確認した後は、残弾数を気にせずともよろしい」
 ここまでの部隊損耗率は3割。
 これは現在の地上戦闘における損耗率を上回るとはいえ、かつての平均的な損耗率と同等である。
 フェイズ4のハイヴ攻略にあたっていることを思えば、十分以上の成績といえる。
 残すは、反応炉破壊のみ。


 周囲を高速で光の奔流が流れる。
 部隊が戦闘加速に入ったせいだ。


「5秒で横抗を抜けます」
 神野が部隊に通知する。

 ちょうどトンネルを抜けるときのように、前方から眩しいほどの輝きが飛び込んでくる。
 光の中に突っ込むようにして、悠陽は長い横抗を抜けた。

 眼下に広がるのは、床全体が蒼白く光る広大な空間。中央には、50mはゆうにある巨大な反応炉。蒼く光る巨大な手榴弾のような形をしている。パイナップルと言ってもよいかもしれない。
 もはや間違えようがない。
 ハイヴの中核部、大広間に到達したのであった。

 天井までは200mはあろうか。
 円形の床の直径は目算でも1000m以上。

 半球形をした大広間の天井にまで大量のBETAが貼り付き、悠陽隷下の部隊に向けて牙を剥く。
 BETAはハイヴ内でレーザーを照射しない。
 ただ一つの例外が、主縦坑内の光線級による垂直方向のレーザー照射である。

 言い換えれば、主縦坑の直下、すなわち反応炉周辺を除いて、レーザー照射を警戒する必要はない。

 天井から霰のごとく降り注ぐ大型BETA種を狙い撃ちにしながら、大広間内を連続跳躍する。制圧支援機は、最後のミサイル弾を発射。限られた空間に密集するBETA群に対して、極めて有効な打撃を与える。

 80mm弾をばらまきながら、悠陽は壁面に沿うように反時計周りで跳躍する。
 撃破を狙う必要はない。
 斯衛部隊を追いかけるように、BETAが団子状になりながら迫ってくる。
 雲霞のごとく、という比喩さながらの有様だ。
 あるいは、空を黒く染めるような蝗の大群に似ていると言ってもよいかもしれない。

 反応炉周辺にいたBETAも、見事に陽動に引っかかり、大広間中央部にBETAのいない空白地帯が生じる。

 そのタイミングを見計らって、米ソ両戦術機部隊が大広間に突入。

 周囲に散らばるBETAには目もくれずに、反応炉に向けて推力全開で跳躍する。

「こちら、チャーリー01。04はA地点、09はB地点、11はC地点に指向性S-11をセットせよ。私はD地点に向かう。残機はBETAを反応炉に近づけるな。E地点からG地点はラトロフ隊がやってくれる」
 ウォーケンが矢継ぎ早に指示を出す。
 悠陽たち斯衛部隊が命を張りながら作り出した一瞬の好機である。
 逃すわけにはいかなかった。


 反応炉を中心とした狭い円周上の各点にS-11が次々にセットされていく。
 当然、BETAは迎撃に向かおうとするが、悠陽の巧みな陽動によって、主力は反応炉から離されている。

「S-11セット完了。煌武院閣下、大広間からの待避を」
 ウォーケンが告げる。
 S-11の強力な爆風に近距離でさらされては、戦術機といえども無傷では済まない。
「了解しました。全機、デルタ13縦坑より大広間から離脱」
 そう通達するや、悠陽は大広間に突入したのとは別の坑道を使い、全速力で大広間から離れる。
 縦坑にBETAの姿は見えず、追いすがってくる大量のBETAも、後ろに置き去りにされている。

 距離が離れたため、米ソ両部隊とのデータリンクが途絶する。

 その瞬間、後方で爆音が轟いた。
 反応炉の中心部でもっとも破壊力が高まるように設置された7個の指向性爆弾が、想定どおりの威力を発揮した。
 爆発によって行き場を失った空気の大半は、反応炉直上に広がる直径200mの主従坑を伝って地上に抜けようとする。
 しかし、出口を求める空気の圧力は、悠陽たちのもとをも襲い、ドムに似てがっしりとした脚部を持つ迅雷を揺さぶった。

 サーファーのように空気の大波をいなして、悠陽は加速する。
 損傷機がないことを部隊内データリンクを通じて確認。

 ほっと一息つく。

――ご苦労だった。よくやったな。
 ハマーンがねぎらいの言葉をかけてくる。

 網膜に、ミッション・コンプリートの文字が躍る。
 三カ国合同のハイヴ攻略シミュレーションが成功裏に終わったのだ。

――道中の助言に感謝します、ハマーン。
 悠陽はそう応じて、額に光る汗を拭う。

 視界が突如切り替わり、薄暗いシミュレータの内部が網膜に広がる。

 ハイヴ内での戦闘自体は60分程度だったが、軌道降下シミュレーションからハイヴ攻略シミュレーションに至るプログラムを連続してこなしたため、2時間以上もシミュレータに閉じ込められていたことになる。

 悠陽は、肩をほぐしながら立ち上がると、シミュレータのハッチを開いた。

「お疲れ様でした、悠陽様」
 係の者がタオルと冷えた飲料を渡してくる。
 
 ここは城内省のシミュレーション・ルーム。
 周りを見れば、シミュレータから次々と斯衛の強化装備を纏った悠陽の部下たちが出てくる。皆、疲れ切っているようだが、表情は明るい。

 悠陽はタオルで、しっとりと濡れた首筋を拭いながら、通信室に向かう。
 渡されたドリンクの仄かに甘い香りが、鼻孔をくすぐる。
 兵士や運動選手の水分補給に最適化されたドリンクが、悠陽の体内に籠もる熱を取り除く。

 今回のシミュレーションは、軍用ネットワークを用いて、帝都、アラスカ、ハワイの三カ所を結んで行われた。演算を行ったのはアメリカ太平洋軍のメインコンピュータである。
 距離が離れているため、若干のラグが生じるという技術的問題はあったが、それも止むを得ないことであった。各部隊とも、一ヶ月後に迫ったスワラージ作戦のための最終準備に追われており、シミュレーションのためだけに他国に赴く暇はなかった。

 次善策として行われた軍用ネット・シミュレーションは成功と言って良い。

 各部隊とも、既にシミュレーションは何度も重ねているため、結果に目新しい部分はほとんどない。
 今回の合同シミュレーションの目的は、ハイヴ攻略訓練というよりも、部隊間の信頼醸成である。

「見事な戦闘指揮でした、閣下。我が軍でもハイヴ攻略シミュレーションは幾度となく繰り返してきましたが、ここまでスムーズに攻略に成功したことはありませんでした。これも一重に閣下の適切な判断の賜です」
 通信室にたどり着いた悠陽を出迎えたのは、モニター越しに敬礼するウォーケンであった。
 今回の合同シミュレーション用に特別に高難度に設定されたヴォールク・データ。
 その難易度の高さのゆえに、早々に反応炉攻略成功は難しいと判断したウォーケンの予想は、良い意味で裏切られた。
 合同部隊の前衛として、米ソに先行して進路を啓開した悠陽たち斯衛第25大隊。
 その動きに誘われるかのようにして、ウォーケン大隊もいつの間にかハイヴ最深部に到達していたのである。

 普通に考えれば、10歳の少女の指揮のもとにハイヴに突入するなど狂気の沙汰。
 当初は悠陽に強い不満を抱いていたウォーケンであったが、たちどころに不満は賞賛に代わった。
 社会的良識よりも軍事的合理性を重視するよう訓練されたウォーケンからみて、悠陽の指揮には非の打ち所がなかったのである。
 しかも、この人のもとでなら戦えると兵士に信じさせるような、不思議な魅力が悠陽にはあった。ウォーケンの心は、演習成功の興奮と歓喜が入り交じって、高鳴っていた。
 
「ありがとうございます、ウォーケン大尉。貴官の部隊指揮、特に反応炉爆破は見事でした」
 鈴を転がしたような玲瓏とした声が、モニター越しに伝わる。
「次にお会いするのは、軌道上のランデヴー・ポイントでしょうか。それまでに、我が部隊の連携をさらに効果的にしておきます。閣下、此度こそはハイヴ攻略に成功すると確信しております」
 興奮を伝えるかのような早口でウォーケンが応じる。

「貴官なら、必ずや部隊をさらなる高みに導くことでしょう。再見の日を楽しみにしておりますよ、大尉」
「ハッ」

 悠陽は通信を切り、シャワールームに向かおうかと思案する。
 ソ連特殊情報部隊を率いているラトロフ中佐とも意見交換を行う必要があるが、そこは律儀なソ連軍人のこと。まずはソ連軍内で演習結果を検討したあとで、日米との情報交換に臨むであろう。それならば、シャワーを浴びて着替える時間は十分にあると推測された。

 やはりシャワーを浴びよう。
 悠陽が通信室を出ようとしたところで、秘匿回線で通信が入った。
 発信元は在日ソ連大使館。

 誰だろうと首をひねりつつ、回線を開くと、涼しげな笑みを顔に浮かべたトリーが現れた。

「ミス煌武院、ご機嫌うるわしう……」
 相変わらず完璧な一礼。
 透き通るような声は、殺風景な通信室にあってなお、優美なメロディを奏でる。

 だが、そこに微かな焦慮の跡があることに、悠陽は気づいた。
 当人は完全に統御できたと思っているのだろうが、抑えることができなかったのであろう。

「ミス・ビャーチェノワ、息災なようで何よりです。なにゆえ私がここにいると分かったのです?」
「ミスター鎧衣ほどではないかもしれませんが、私にも独自の情報網がありますから」
 謎めいた微笑を浮かべながら、トリーがしたり顔で答える。

「鎧衣に、城内省の調査を命じなければならないようですね――それで、今回は何用です?」
 悠陽が嘆息する。

「実は少し困ったことになりまして、ミス煌武院にも注意していただきたいのです」
 愁眉を顰めるトリー。
「何事です?」
「あるいはミス煌武院もご存じかもしれませんが、現在我が国では書記長の意に従わない慮外者がおります。無視しても全く問題ないほど、政治的には取るに足りない連中なのですが――どうやら彼らが日本帝国の一部の武家に唆されて、余計なことをしでかそうとしているようなのです」
 もちろん、グレチコ元帥一派の勢力はソ連国内でも無視できるほど小さくはない。だが、そこは交渉時の心得。虚と実が巧みに混ぜ合わされる。

「どういうことですか、ミス・ビャーチェノワ?」
 悠陽が声に非難の色を滲ませる。

「それは、むしろ私のほうが伺いたいことです。政治的に大した目的もなく、アラスカで大人しくしていた彼らを焚きつけて、日本の武家は一体何をしたいのでしょう?」
 トリーの紅の双眸がモニター越しに悠陽を睨めつける。
 当然、悠陽が目を逸らすはずもなく、紅と蒼の眼差しが衝突する。

「こうして睨み合っていてもはじまりませんわ、ミス煌武院。私どもは、かなり早い段階から、両者の接触を監視してきました。具体的に彼らが何を計画しているのかまでは分かりませんが、数ヶ月前から定期的に帝都内で密談を繰り返していたようです。そして――」
 トリーは一息入れる。紅いルビーの瞳が、かすかな逡巡を伝える。
「そして?」
 悠陽に促されるように、トリーは再度口を開く。
「五日前、在米ソ連市民が二名、行方不明になりました」
「……それで?」
 悠陽は辛抱強く続きを待つ。
「彼らはそれぞれ、洗脳および誘拐の専門家として、一部の世界では名の知れた者たちです」
「つまり……KGBアメリカ支部の職員ということでよいのですね?」
 トリーは、悠陽の問いに沈黙で応じた。
 時として、沈黙は百の言葉よりも雄弁である。
 この場合も、そうであった。

「CIAに不当に拘束された可能性も考慮いたしましたが、それにしてはラングレーに動きがなさ過ぎます」
 悠陽は黙って続きを促す。

「彼らが既に日本帝国領内に潜入している可能性があります。おそらくは、何らかの陰謀を逞しくしている日本の一派に買収されたのでしょう。日本帝国内の謀略に他国人を巻き込むとは、武家の方々にも困ったものです。日ソの友好関係に鑑みて、今回のことで抗議する意思はありませんが、今後はもっと注意していただきたいものです」
 トリーは、冷ややかな声で嫌みたらしく告げる。
 だが、彼女自身、自らの発言を信じてはいないように、悠陽には感じられた。

「それは、全くもって不当な非難でしょう、ミス・ビャーチェノワ。帝国内でどのような動きがあるにせよ、それにソ連市民が、しかもKGB職員が関与するというのは国際問題です。一体、ソ連政府はいかなる権限があって、帝国の内政に干渉するのです?」
 悠陽が語気鋭く応じる。
「繰り返しになりますが、ソ連政府はこの問題に一切関わっておりません。それと、問題の二人は、KGB職員ではなく元職員です。すでにソ連内務相からは指名手配されておりますわ。我が国が貴国の内政に干渉したのではなく、貴国の陰謀家が我が国の市民を巻き込んだのです」
 このままでは、ただの水掛け論になる。
 だいたい、悠陽もトリーも、一国を代表しているわけではないので、外交官のような鍔迫り合いを繰り広げる必要性がない。

 当然、トリーもそのことを認識しており、口調を和らげる。
「ですが、そんなことは後で正式な外交ルートで議論すればよいことです。問題は、彼らが結託して何をしようとしているか。書記長は、折角築き上げた帝国との良好が損なわれることを非常に憂慮しております。いかなる陰謀であれ、悠陽様の要請があれば、これを断固阻止すべく、我々も全面的に協力する用意があります」

 このトリーの提案を受けて、悠陽はしばし考え込む。コルニエンコ書記長が日ソ関係悪化を望まないというのは本当だろう、と思う。そんなことをしても、書記長には一切メリットがないのだ。では、ソ連内の反書記長勢力は一体何を考えているのか。彼らの目的は、現書記長の権威を失墜させ、彼を指導者の座から引き摺り下ろすことにあるはずだ。だが、そのために帝国内の武家と結託する意味が分からない。

「彼らの意図について、そちらで何も掴めてはいないのですか?」
 悠陽は更なる情報開示を迫る。
「彼らが何をしようとしているかは判明しておりません。もっとも――彼らの得意分野からある程度分かるでしょう。彼らは二人一組で活動していました。主な任務は、他国内で情報提供者を確保すること。それも、提供者本人の意思に関わりなく、です。もちろん、CIAだって目を光らせていますから、高レベルの情報提供者確保は無理で、大抵は出入りの業者などを狙っていたようですね」
「つまり、帝国内でも同様のことをしようとしている、と? ですが、そんなことをせずとも、有力武家ならば情報提供者など帝国内にいくらでも調達できます。裏工作ができる人間にも心当たりがあることでしょう。あえて目立つ外国人を用いる理由がありません」

「その通りです。私どもも、最優先で現在彼らの行方を追っております。何か分かりましたらご連絡いたしますので、どうかそれまでお気をつけてください」
 吸い込まれそうなほどの輝きを秘めた双眸は、憂いを湛えて微かに曇っている。
 本心から心配しているのだろう。

「分かりました。鎧衣にも伝えておきます」
 そう言って、悠陽は通信を切り、ため息をつく。






 悠陽との通信を終え、トリーは一息いれた。

 ドクトル(医者)とスレーサリ(錠前師)と呼ばれる二人の元KGB職員を日本に潜入させる意図がトリーには理解できない。オルタネイティヴ3が何の成果もなく終わった場合、コルニエンコは失脚する恐れがある。膨大な国費を無為に投じた責任を問われることになるからだ。だから、反コルニエンコ書記長派が、オルタネイティヴ3の失敗、とくにスワラージ作戦の失敗を望むというのは理解できる。
 だが、そのために二人の工作員に日本で何をさせようというのか。悠陽を誘拐するなり洗脳するなりして、スワラージ作戦から斯衛を撤退させようとしているのだろうか。だが、帝国情報省がそんな無謀な企てを許すはずがない。とくに鎧衣は悠陽を対象とした謀略など即座に察知するだろう。
 それに、二人が日本に入国した経路も判明しない。彼らはCIAに厳重に監視されていたはずである。その監視を振り切り、ほとんど完全に足跡を消すというのは尋常ではない。KGB職員が潜入する際に利用する経路は全てチェックしたが、そのいずれも使用された痕跡はなかった。そもそも、彼らが本当に日本にいるのかさえ、はっきりとしない。
 いずれにせよ、彼らの目的がスワラージ作戦の失敗にあるなら、作戦開始までの一ヶ月の間に、必ずや何か動きがあるはずだ。トリーは軽く頭を振ると、鎧衣と連絡をとるために通信機に手を伸ばした。


 ハイヴ攻略作戦開始を間近に控えながらも、人類同士の醜い謀略は暴力的な気配を漂わせていた。









 そのころ、スリランカのコロンボ基地では、インド陸軍から国連インド洋方面総軍に出向していたパウル・ラダビノッド主任作戦参謀が、スワラージ作戦の概要をブリーフィングしていた。
 スワラージ作戦に参加するのは、アフリカ連合、インド、東南アジア諸国、米ソ、国連の各軍である。後方部隊も含めた総動員数は合計200万人以上、戦術機4000機、戦車および自走砲1万輌、火砲5万門。加えて、国連宇宙総軍、米ソ航空宇宙軍のほぼ全低軌道艦隊が参加する。
 兵力の大半がインド軍歩兵部隊であるにせよ、米ソから潤沢な武器支援を受けたインド軍および国連軍は、未曾有の大部隊をインド亜大陸に結集させることに成功していた。

 南アジアの予備兵力を根こそぎ動員したため、作戦が失敗した場合、BETAの反攻を防ぐ戦力は存在しないことになる。まさに、背水の陣と言えた。

 本作戦開始が、日本帝国の容喙で二年も遅れたのは業腹だが、待った甲斐はあった。ラダビノッドは、大会議室に集まった各国軍の参謀たちを見渡しながら、感慨にふける。

「それでは、小官より本作戦の概要を説明いたします」
 司会役に作戦説明を求められたラダビノッドは、低いがよく通る声でスワラージ作戦の説明をはじめた。
「本作戦の戦略目的は、ボパール・ハイヴ攻略という作戦目的の達成を通じて、オリジナル・ハイヴすなわちカシュガル・ハイヴ攻略のための橋頭堡を確保することにあります。BETAは、オリジナル・ハイヴを守るように、カシュガルを中心とする全方位にハイヴを建設しております。そのうちの一つ、ボパール・ハイヴを確保することで、オリジナル・ハイヴへと至る陸路が開けます」

 もちろん、インドからカシュガルへたどり着くためには、ヒマラヤ山脈およびカラコルム山脈という名だたる難所を迂回する必要があり、事はそう単純ではない。だが、それでもボパール・ハイヴ攻略は、オリジナル・ハイヴ攻略のための重要な戦略的手段であった。

「同時に、ボパール・ハイヴを攻略することで、中国大陸東進に主力を割いているオリジナル・ハイヴのBETA群を牽制することができます。また、イラクのアンバール・ハイヴの戦力を東西に分断させ、スエズ防衛線に対するBETAの圧迫を緩和することにもつながります。もちろん、人類史上初めてのハイヴ攻略に成功すれば、人類全体の士気の底上げにもつながります。
 したがって、本作戦の第一目的はボパール・ハイヴ攻略にあります。第二目的としては、ボパール・ハイヴ攻略が成功しなかった場合でも南アジアで後退し続ける対BETA戦線を立て直し、BETA支配地域を奪回することにあります」

 第二目的というが、実際のところは作戦失敗のせめてもの埋め合わせに過ぎない。ハイヴ攻略ができるかどうかは、日米ソの合同部隊に委ねるしかなかった。作戦開始を二年も引き延ばしたのだ、是非とも攻略に成功してほしい、というのが、ラダビノッドの祈るような願いであった。

「本作戦開始前の準備作戦として、ボパール・ハイヴ周辺のBETA群に対する第一次攻勢が三日後に開始されます。現在のBETA支配領域は、ボパール・ハイヴを中心に半径400kmに及んでいます。当然ながら、この支配領域を一気に奪回するのは、補給面からいって不可能です。国連インド洋総軍の試算では、ハイヴの100km手前で攻勢限界点に達することでしょう。
 したがって、本作戦開始前に、ボパール・ハイヴ内のBETA群を間引き、かつハイヴ周辺に前進基地を建設するために、準備作戦の実施が不可欠となります。ムンバイ基地に戦力を集中した西部軍集団は、ムンバイの北方200kmの港町スーラトを補給拠点として、東北東の方角に300km戦線を押し上げ、旧インドール市近郊に野戦陣地を設営します。カルカッタを拠点とする東部軍集団は、ボパールの西南西500kmにあるライプル基地を前進基地として、北東方向に400km前進し、ボパール・ハイヴ東北東の旧サーガル付近に野戦陣地を設営いたします。
 次に、東部軍集団よりも早い段階で戦術目標を達成した西部軍集団は、一個軍を南東の方角に進出させ、ボパール・ハイヴ南南東100km地点に作戦機動群のための補給基地を建設します。
 ハイヴを取り囲むように三つの陣地が建設された段階をもって、準備作戦は終了いたします。インド戦線では、ヨーロッパ戦線ほどにBETAの密集度が高くないため、作戦実施にあたって重大な抵抗には遭遇しないと予測されます」

 ラダビノッドは、一息入れた。これまでのところ、説明に聞き入る各軍の参謀たちから反論は一切ない。

「これら三陣地への補給物資搬入が完了するのが、2月10日前後と予定されております。したがって、2月中旬より、スワラージ作戦が開始されます。
 まず、衛星軌道上の重爆装駆逐艦隊からの軌道爆撃により、作戦の第一段階が開始されます。爆撃第一波は対レーザー弾を使用、光線級の集中照射により重金属雲を生じさせます。これに呼応するように、地上の全砲兵戦力による第一次砲撃を敢行、超低空における重金属雲の濃度を高めます。
 十分な量の重金属雲の発生を確認したのち、軌道爆撃艦隊は対装甲用クラスター突入弾を分離、ハイヴを中心とする半径90km地域に面制圧爆撃を加えます。光線級のレーザー照射間隔は12秒、重光線級は36秒です。地上からの第二波砲撃は、この間隔を利用するように砲撃タイミングをずらしてサーモバリック弾の雨を降らせます。この波状砲撃完了時点で、本作戦のために準備された弾薬の7割を使用している計算になります。これは、軌道爆撃艦隊の残弾数が一割にまで落ち込み、国連インド洋総軍の備蓄量は一時的に6割程度落ち込むことを意味します。それと引き換えに、地表のBETAの7から8割は粉砕されているはずです。
 次に、西部軍集団および東部軍集団の戦術機部隊がハイヴ周辺まで残敵を掃討しつつ前進、ハイヴ内に退避していたBETA群を地表に引きずり出します。この戦術機部隊の前進をもって、作戦は第二局面に移行します。両戦術機部隊の戦術目的は、ハイヴ内BETAの誘引および残存光線級および重光線級群の掃討です。
 ハイヴ内BETA群を東西に誘引し、ハイヴからBETA群を排除した段階で、作戦は第三局面に移行します。衛星軌道上を周回中の国連宇宙総軍第一軌道降下兵団および日米ソ戦術機連隊が再突入を開始、再突入殻の運動エネルギーを利用してハイヴ突入口を確保し、突入を開始します。同時に、南部より作戦機動群が北上、ハイヴ周辺およびハイヴ内に展開し、誘引によりハイヴ周辺から切り離されたBETA群がハイヴ内に引き返すのを阻止します。戦術機部隊の光線級吶喊および支援砲撃により、地表のBETAを足止めしつつ殲滅ことが、第三局面の目的です。
 ハイヴ突入部隊の作戦限界は90分。これを越えてもハイヴ内に変化が見られない場合、作戦機動群がハイヴへの二次突入を開始、反応炉破壊にあたります。
 本作戦は、反応炉破壊をもって終了し、破壊に失敗した場合は残存部隊を収容しつつ、野戦陣地まで撤退します。小官からは以上です」

 スワラージ作戦は、軌道艦隊からの戦術機部隊の投入という軌道降下戦術が試される最初のハイヴ攻略作戦である。とはいえ、軌道降下戦術自体は、長期にわたって国連軍内で議論されており、コロンボに集まった参謀たちにとっても目新しいものではない。作戦そのものも、光線級の迎撃能力を上回る飽和攻撃によって面制圧を目指すという、人類には馴染み深い火力主義に基づいたもの。
 実際、過去のハイヴ攻略戦においても、莫大な量の砲弾を浪費した果てに、地表から一時的にBETAを掃討できたことがあった。ただし、ハイヴに突入した部隊はことごとく反応をたち、4時間後には地表もBETAに奪い返されるという有様であった。1978年のパレオロゴス作戦時にハイヴ内に突入したヴォールク連隊が深度511mまで到達。これが、現在までの人類の最高到達深度であった。それに対して、フェイズ4ハイヴの予想深度は1200mから1500m程度。単純計算でもヴォールク連隊の倍以上の距離を突破しなければならない。
 これが、人類が直面している現実であった。

 自ら戦術機を駆ることのできないラダビノッドにできるのは、悠陽たちがハイヴに突入するまでのお膳立てである。ハイヴ突入後は、無線通信は途絶し、有線通信もハイヴ内を侵攻するうちに途絶える。そこから先は、突入部隊の衛士たちの力量にかかっていた。



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